2016年12月24日土曜日

烙印をきれいに押す


ビジネスの場で

「がんばります」
「努力します」
「全力を尽くします」
「注力します」
「全身全霊で取り組みます」
「最善を尽くします」

という言葉を耳にすると、ああこいつはずっと同じ失敗をくりかえすダメなやつだ、という烙印を押すことにしています。


頭脳労働に従事している以上、
「全力を尽くさなくても物事が円滑に運ぶようにする」
のが仕事というものです。

うまくいかなかった要因を「努力が足りなかったせいだ」と考える人間は、同じ失敗をくりかえしますし、また他人にも同じ失敗をさせます。

オフィスワークにおいて、常に全身全霊をかけて取り組まないといけないのは
「印鑑をきれいに押す」
という作業のときだけ!

2016年12月19日月曜日

隣からモヘンジョ・ダロ

姉夫妻が一戸建てを買ったので遊びに行く。

南隣が空き地なので、すごく陽当たりと風通しがいい。
「明るくていい家だね」
「今はね。でももうすぐ南に家が建つから陽当たり悪くなっちゃうんだよね。来月から工事も始まるからうるさくなるし」
と話していた。



それから数ヶ月してまた遊びに行くと、まだ隣は空き地のまま。
「あれ? 隣に家が建つんじゃなかった?」
と訊くと、

「それがね、すごいラッキー! 隣の工事がはじまってすぐに、地面の下から遺跡が出たんだって! 考古学的に価値のある遺跡だったらしくて、あの土地は発掘を続けるために国が買い上げて、家は建てないことになったんだって!」
と大喜びしていた。


そんなこともあるんですね。

「景観を壊す高速道路の建設反対!」
なんて運動をしている人たちは、ぜひ参考にしてください。
遺跡埋めるといいですよ。

2016年12月17日土曜日

世界のおかあさん


子どもの頃、おもちゃを取りあってきょうだい喧嘩になると、おかあさんが
「喧嘩するんだったらふたりとも遊んじゃダメ! これはおかあさんが使う!」
と宣言して、おもちゃを取り上げてしまった。

世界中で起きている領土問題も、そんなふうにしたらいい。
「北方領土をめぐって争うんだったら、2国とも使わせません! 南極みたいに誰のものでもない土地にします!」
とすればいい。

「日本としてはそこまで北方領土がほしいわけじゃないけど、目と鼻の先までロシアが来るのは嫌だ」

「ロシアとしても、北方領土がほしいというより、そこが日本領になって米軍基地とか造られたら困る」

みたいな事情があったりするわけだから、どっちのものでもなくなったら、それはそれで仕方ない。

それに「あと1年たっても仲直りできてなかったら領土没収します!」って締切を設定されたら、
「じゃあ四島を二島ずつで分けましょうか」
という現実的な話し合いもできるんじゃないかな。

世界のおかあさん的な存在の出現、待ってます。


2016年12月14日水曜日

高齢スクリュードライバー

高齢者ドライバーの事故が増えていることを受けて、高齢者が運転することに対する規制を強めよという声が高まっている。

そうなると当然、規制に対する反対意見も多く聞かれる。

賛否両論あってしかるべきなんだけど、両者ともレベルの低い意見が多いなあという印象。
特に高齢者の免許規制反対派に。


意見1
「車がないと生活できない高齢者もいる」

反論
それって「麻薬の売人は麻薬の取引を禁じられたら生活できない」みたいな話だよね。
不便だからって他人を危険にさらしていいわけない。


意見2
「ひとくちに高齢者といっても認知能力や運動能力は個人差が大きい。一様に規制するのはおかしい」

反論
それって「おれは何度も飲酒運転してるけど一度も事故を起こしたことがない」みたいな話だよね。
どっかで線引きは必要なんだから、事故を起こす確率が高いカテゴリー内にいる人に規制を施すのは必然。


意見3
「統計的に見ると高齢者よりも若者のほうが事故を起こす確率が高い」

反論
それって「おれは10万円しか盗んでないけどあいつは20万円も盗んだ」みたいな話だよね。
だったら若者の運転を規制しよう、という話になるならまだわかるけど、それと「高齢者の運転を規制しなくていい」とはまったく無関係。

そもそも単純な事故率だけで比較できないと思いますけどね。
かたや今は運転技術が未熟だけど慣れるにつれてどんどんうまくなって事故率の下がる若者、かたやこの先どんどん事故率が上がる一方の高齢者。どっちから免許を取り上げるかっていったら、そりゃ後者でしょう。
「18~20歳の事故率が高いから」っていってその世代を免許取得できなくしたら、今度は21~23歳の事故率が上がるだけでしょう。



「社会全体で見たときに、高齢者の運転を制限することによる不利益と、もたらされる利益の総和を比べて、どっちが大きいか」
という議論をすべきなのに、大半が個人の不利益の話に終始してる、という印象。


2016年12月13日火曜日

【エッセイ】イークァイ、イークァイ

十数年前に北京に留学していたとき、寮で同室だったKさん。
Kさんはふしぎな人で、語学留学に来ているくせにまったく中国語を勉強しようとせず、スーパーマーケット(中国語では超市という)で謎の食材を買ってきて、毎晩そいつを肴に酒を飲んでいるだけだった。



そんなKさんと北京の街に買い物に出かけたときのこと。
一軒の店でKさんがバッグを見ていると、店員が声をかけてきた。
「おっ、それはいいバッグだ。今なら特別に100元でいいぞ」

もちろんこれはぼったくり価格だ。
中国では交渉するのが基本だから、「高すぎる。もっとまけろ」「90元」「15元なら買ってやる」なんてやりとりをして、値切って買うことになる。
外国人相手には、まず相場の5倍近い値をふっかけるのがふつうだ。

Kさんは勉強をしないので中国語がわからない。
ぼくが通訳をしてやった。
「100元でどうだって言ってるよ。でも明らかに高すぎるから値切ったほうがいいよ」

するとKさん、
「犬犬くん、1元ってなんていうの」
と訊ねてきた。
当時、1元は日本円で15円。
いくら中国の物価が安いとはいえ、バッグが1元は安すぎる。

が、ぼくは訳してあげた。
「1元はイークァイだよ」

Kさん、そのまま
「イークァイ、イークァイ」と店員に言う。

店員は苦笑しながらも交渉をする。
「じゃあ90元でどうだ」
「イークァイ(1元)、イークァイ(1元)」
「よしっ、80元」
「イークァイ、イークァイ」
「しょうがない。75元。これ以上は下げられないぞ」
「イークァイ、イークァイ」

すると店員、とうとう怒りだした。
「こっちは値下げしてるんだから、そっちも上げないと交渉にならないじゃないか!」
と。
店員の言うことももっともだ。
それを訳して伝えると、Kさんはぼくに訊ねた。

「犬犬くん、1.1元ってなんていうの」



結局バッグは買えなかったけど、いやあ、あれは百戦錬磨の中国人の店員に勝利した瞬間だったなあ……。


2016年12月6日火曜日

覗き見趣味と強い意志


マザー・テレサも言っていたように他人のプライバシーを覗くことほどおもしろいものはないよね(よく考えたらマザー・テレサは言ってなかったかもしれない)。
電車で本を読んだりメールを打ったりしている人がいれば、できるかぎり覗きこむように心がけている。

こういうことは日頃から意識していないと意外と実行に移すのは難しい。
ジョギングを続けようと思ってもすぐ三日坊主になってしまう人が多いが、それは意志が弱いからだ。
ぼくは「ひとりでも多くの人のプライベートな部分を覗き見よう」という気持ちを強く持っている。
これが継続につながっている。
何事もすぐに投げだしてしまうみなさんは、ぜひぼくのこの姿勢を見ならってほしい。


ぼくは本には詳しいほうなので、他人が読んでいる本をちらっと見ただけでだいたいのジャンルがわかる。
活字の組み方でどの出版社かわかるし、出版社とフォントの大きさや行間がわかればある程度のジャンルは見当がつく(河出なら純文学、徳間なら時代小説かミステリ、新潮でページ数が少なければ軽めのエッセイまたは文豪の作品が多いとか)。
おかげで「なるほどね。いかにも伊坂幸太郎を好きそうな風貌だな」とか「ばかみたいな顔してるのに意外と骨のあるノンフィクションを読むんだな」とか考えてにやにやすることができる。
これはかつて本屋で働いていた経験があるからこそだ。
若いうちの経験がゲセワな趣味に活きるのは、とても誇らしいことだ。


本もおもしろいが、他人のメールはもっとおもしろい。
先週の金曜日に女の人が打ち込んでいたLINEの内容は、今日はありがとうございましたまた誘ってくださいというものだった。
合コンか初デートの帰りだったのだろうか。
きっとお相手を気に入ったのだろう。

彼女の恋がうまくいくかはどうでもいいけどいいけど、このLINEのやりとりが長く続くといいな。それも早めに返事が来るといい。
しかしぼくの願いもむなしく、合コン相手からの返事が来る前に彼女は電車を降りてしまった。
残念だが、覗き見に慣れているぼくはこんなことではいちいち落ち込まない。強い意志を持っているから。


それにしても、後ろから覗きこまれているのを知らずにLINEを打つ女の人は、どうしてあんなに魅力的なのだろう。
ぼくが本を読むふりをしながらちらちらスマホを覗きこんでいることを知ったら、きっと彼女は嫌な顔をするだろう。恥ずかしがるだろう。

けれどもぼくを楽しませるという崇高な行為をしてくれたのだから、ちっとも恥じることはない。自分のLINEを他人に読ませて楽しませてくれる女の人は、きっと将来孫から愛されるおばあちゃんになるはずだ。

おばあちゃんは見ず知らずの若者の口座に大金を振り込んじゃったりするぐらいガードが甘いから、今の若い女の人たちがおばあちゃんになったときには、スマホやタブレットを覗き見るチャンスがぐっと増えているにちがいない。

そう考えると年をとるのが楽しみだ。

2016年11月30日水曜日

結婚するのがふつうだという幻想


「今の若い人たちは結婚願望が低い」
「子どもを持つより自分の楽しみを優先しようとする」
なんてことをよく耳にする。

でも。ふと思った。
「結婚しない」という選択は、じつは昔から多かったんじゃないのか。

大半の人が
「自分が食っていくだけでせいいっぱい」
「残すほどの財産もない」
だった時代であれば、
「結婚しない」「子どもなんていらない」という選択をするのはごくごくふつうのことだ。

「結婚しても子どもを持たない」という生き方についても、昔は避妊の技術がなかったから選択されなかっただけで、技術があったらそれを選んだ人も多かったのでは。


落語には、『たらちね』『ろくろ首』など、

「邪魔するよ」
 「おや、大家さん。どうしたんですかい」
「おまえもいい歳だろ。そろそろかかあでももらってもいいだろう」
 「うちに来てくれる女がいればいいですけどね」
「そう思って、いい縁談を持ってきたんだ。ところが少しだけ問題があってな」

……という流れではじまる噺がいくつかある。
それだけ、結婚しようとしない人が一般的だったということでしょう。

「いい歳なんだから結婚して身を固めるのがあたりまえ」
という価値観なんて、ここ100年ぐらいの(人類の歴史から見たら)ごく短期間の例外的な時代のものなんじゃないのか。

これから先、日本はまちがいなく若者が生きにくい時代になる。
結婚しない、子どもを持たない人は増えていく。

でも、それは歴史的に見ればめずらしいことではない。
いつの時代も、あえて結婚しなかった人はけっこうな割合で存在した。
ただ、そういう人の存在は後世に伝えられなかっただけ(だって語り継ぐ子孫がいないんだもん)。

2016年11月28日月曜日

幽霊から学ぶ生物進化学と経営への提言


まったく光の届かない深海に棲む魚は、ものを見る必要がないため眼が退化するといいます。

一方、幽霊。

彼らには脚がありません。
浮遊能力を身につけたことで歩く必要がなくなり、脚という器官が不要になったためです。

脚をなくしたことで脚の維持・活動にかかっていた物資やカロリーを他の器官にまわせるようになりました。
また、脚の分の重量がなくなったために、浮遊に用いるエネルギーも少なくて済みます。
脚をなくすのはたいへん効率がいい退化であるといえますね。

また幽霊には胃や腸などの消化器官もありません。
彼らは怨念をエネルギーに変換して活動しているため、食物からカロリーを摂取する必要がないのです。
そのため消化器官は少しずつ小さくなり、ついにはなくなってしまったのです(ただし完全に消えたわけではなく、なごりはまだ見られます。「霊腸」と呼ばれる、今では何の役にも立たない器官がかつて腸を持っていた痕跡です)。

消化器官はなくなりましたが肺や舌は今も残っています。
これは「うらめしや」といった言葉を発することで怨みを伝達するためです。

怨念エネルギーによって肺に空気を取り込み、怨念エネルギーによって空気を吐き出し、その際に喉を振動させることによって「うらめしや」という音を発するのです。

幽霊の声帯は人間のものより長く、また自在に震わせることができます。
これによって、より低く恨めしく聴こえる声を出すことができるのです。
他の幽霊との怨み競争に勝つための戦略であるといえるでしょう。

大昔の幽霊は人間とほとんど同じ姿をしていました。
ですが代を重ねるごとに少しずつ遺伝子が変化していきました。
不必要な器官を持った幽霊は怨むことができずに淘汰されていき、結果として今の姿の幽霊だけが残ったというわけです。

失ったものばかりではありません。新たに身についた機能もあります。
たとえば浮遊能力がそれです。

昔の幽霊は、浮くことができませんでした。
当時は高い建物がなかったので、浮かずとも怨む相手の夢枕に立つことができたからです。
ところが文明が進むにつれ、高いところに住む人間が増えてきます。これでは夢枕に立つことができません。
しかし幽霊は進化の過程で浮遊能力を獲得しました。
浮遊できる幽霊は他の個体に比べて怨みに行くのに有利だったために、浮けない幽霊は淘汰され、浮ける個体ばかりになったのです。

このように別の種の進化にあわせて進化することを「共進化」といいます。
捕食者が鋭い歯を持つようになったからカニが堅い殻を持つようになった、というのと同じです。

また、幽霊が建物などを透けることができるのも、共進化により獲得した形質です。
昔の人の家は鍵がなかったり壁にすき間があったので幽霊が侵入しやすかったのですが、今の住宅は気密性が高いのでかんたんに入ることができません。
そこで壁を透けて通れる能力を身につけたのです。

このように、幽霊の進化速度はたいへん速く、人間のライフスタイルの変化にあわせてその形態や行動はどんどん変わっています。
近年では、写真に写ったりビデオテープを介して呪ったりといったことも可能になっています。

もしかすると、もうドローンにつかまって移動したり電気自動車に特化した幽霊も出現しているかもしれません。

幽霊がこれだけ長期にわたって繁栄してきたのも、この
「的確に状況の変化をとらえる力」と
「変化に柔軟に対応するために既存の成功パターンを捨てて自己を変革していく柔軟な精神」
があったからに他なりません。

我々ビジネスマンが幽霊から学ぶべきことは非常に多くあります。

ここにお集まりいただいた経営者諸兄に対しては、ぜひこのことを忘れずに今後の経営に勤しんでいただきたいと思います。

本日はご清聴、ありがとうございました。


2016年11月26日土曜日

寝ている人の口に何かを放り込むことについて

お疲れなのだろう、電車の中で口を開けて眠っている人がいる。

心がざわつく。
この口に、何か放り込んでやりたい。

ボタンがあればつい押したくなるのと同じで、ぽっかりと開いた口は人間の本能的欲求に強く訴えかける何か入れたい。

消しゴムのカスでもあれば、パスタに粉チーズでもかけるようにぱらぱらっと口の中に放り込んで味を調えてあげるのに。
だけど電車の中なので消しゴムのカスはない。
おい口をあけて寝ている女よ。消しカスがなくて命拾いしたな。

まあどっちにしろ他人の口に何かを放り込んだりはしない。
なぜならぼくは大人だから。分別があるから。



ぼくがまだ小学生で、父親と一緒に風呂に入ったときのこと。
父が湯船に浸かって大口を開けて気持ちよさそうに眠っているのを見て、口の中に何か放り込みたくなった。
といっても風呂の中なのでたいしたものはない。
ぼくは湯船のお湯をすくって、父の口に注いだ。

直後、父は溺れた。

んげほっ。がはああぁっ。
信じられないぐらいむせかえり、顔を真っ赤にして何度も咳きこんだ。
ぼくは、父はこのまま死ぬんじゃないかと思って怖くなった。手のひらいっぱいのお湯で死ぬなんて、お湯って怖いなと思っていた(怖いのはおまえの発想だ)。

1分後、めちゃくちゃ怒られた。
ぼくの父はめったに感情的にならない人だが、このときばかりは声を荒らげて怒った。
無邪気な好奇心で殺されかけたのだから。
後にも先にも、全裸であんなに怒られたのはこのときだけだ。




この体験からぼくは三つのことを学んだ。

寝ているときに口にお湯を入れると人はかんたんに溺れるということ。

他人の口に勝手にものを入れてはいけないということ。

そして、服を着ているときよりも裸で怒られたときのほうがずっとダメージがでかいということ。


ぼくはもう大丈夫だ。経験から学んだから。
勝手に人の口にものを放り込んだりしない。

だけど世の中の人々はそうではない。
隙あらば、本能のままに他人の口に消しカスやお湯を入れてしまうやつらばかりなのだ。

だからみんな知っておいてほしい。
電車内で口を開けて寝ることは、死と隣り合わせの危険な行為なのだと。

あと、全裸で怒られるのは服を着て怒られるのより三倍ダメージを受けるのだと。

 

2016年11月21日月曜日

【エッセイ】雷天犬捕獲大作戦


母の奇行について。

うちの母は犬が好きだ。
ずっと犬を飼っていたのだが、かわいがっていた犬が昨年死んでしまった。
しばらく落ち込んでいたのだが、最近また犬を飼いたいという気持ちがふつふつと沸いてきたらしい。
「でもねえ、わたしもお父さんも、もういつ死ぬかわからないし、犬だけ残されたらかわいそうでしょ。だから飼っちゃいけないと思うのよねえ」

犬を飼いたい。でも飼えない。
そんなジレンマを抱えた母はひらめいた。
「そうだ、迷い犬を保護しよう!」

迷い犬を見つけて保護すれば、飼い主が見つかるまでの数日間限定で、犬を飼う楽しさを味わうことができる。
これまでにも何度か迷い犬を預かった経験のある母はそう考えた。


しかし迷い犬などそうそういるものではない。
そこで彼女がとった行動は「カミナリの日に近所をうろうろする」というものだった。

犬を飼ったことのある人は知っていると思うが、たいていの犬はカミナリをものすごく怖がる。
遠雷であってもあのゴロゴロが聞こえたとたんにパニックを起こし、すくみあがり、吠え、走り回る。
首輪から抜け出したり塀を飛び越えたりして脱走する犬もめずらしくない。

それを知っている母は、カミナリの音が聞こえると家を飛び出し、あちこち歩き回って積極的に迷い犬を探しているのだとこないだ電話で話してくれた。
いいアイデアを思いついたと自慢気だ。

しかし。
母もまあまあいい歳だ。

カミナリの日にあてもなくうろうろする老婆を見て、近所の人はどう思うだろう。
「ああ犬好きのおばあちゃんなんだな」と察してくれる人は決して多くはあるまい。

犬を保護するより先に自分自身が保護されないことを、息子としては切に願うばかり。

2016年11月20日日曜日

【エッセイ】地味だけど効果的ないやがらせ

ファミレスに行って、メニューを見て、さあ注文。
店員呼び出しボタンを押す。

ピンポーン


......店員、こないな

もう一回押す

ピンポーン


......こないな

もう一回押す

ピンポーン


おいどうなってんだこの店。
ぜんぜん注文訊きにこないじゃないか。
そんなに客が多いわけでもないのに。
店員が少ないわけでもないのに。

隣のテーブルには店員が来てるのに、なんでこっちには来ないんだ!?

と思ってふと隣のテーブルに目をやると、客と店員がもめている。

客が店員に声を荒らげていた。
「だから呼んでないって言ってるだろうが!」


ん?
どういうことだ?

こっちは呼んでるのに店員が来なくて、
隣のテーブルは呼んでもないのに店員が来ている......。


どうやら、前にいた客が、この席と隣のテーブルの呼び出しボタンを入れ替えたらしい。
そのせいでぼくが呼び出しボタンを押すたびに、店員が隣のテーブルに行っていたようなのだ。


おい誰だボタン入れ替えたやつ!
地味だけど、この席の客も隣の客も店員も困る、かなり効果的ないやがらせだぞコノヤロウ!!


2016年11月16日水曜日

【エッセイ】わざとイライラさせる方法

最近読んだ本に載っていた、アメリカのとある大学でおこなわれた実験。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

まず被験者たちをイライラさせる。
イライラした被験者たちを2つのグループに分ける。
1つのグループは、ストレス発散のためにサンドバッグをなぐったり物を投げたり大声を出したりする。
もう1つのグループは、何もせずに静かに座る。

その後、2人1組でゲームがおこなわれ、ゲームの勝者は敗者の顔の前で不快な音を立てる権利が与えられた。

さてサンドバッグを殴って叫び声を上げたグループは怒りが静まっただろうか。
結果は逆だった。
サンドバッグを叩いたグループは叩く前より攻撃的になり、仲間の目の前で長く大きな音を立てた。
つまり、イライラしたときに暴れたり大きな声を出すのは、ストレスを発散するどころか逆効果だということだ。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

……という実験結果もおもしろかったのだが、ぼくがもっとおもしろいと感じたのは実験の前段階。

「まず被験者たちをイライラさせる」という部分。

被験者たちをイライラさせるために、実験者は何をしたか。


実験の参加者は、まず大きな数(たとえば3000)から、13ずつ引き算をさせられる。
2987、2974、2961……というように暗算で数を引いていく。

そして、30秒ごとに
「もっと早くできないのか!」とか
「どうしてそんなに遅いんだ!」とかの言葉を被験者に浴びせたのだそうだ。


この実験内容を読んで、ぼくは大笑いし、そして感心した。

いやこれ、どんなに修行を積んだ高僧でも相当イライラするよ。まちがいなく。
シンプルだけどじつに効果的な方法だ。

この実験を考えた人物は、なんて頭がよくて、そしてなんて性格が悪いんだろう。
実験をやっている間、さぞ楽しかったにちがいない。


で、これがイライラさせるための実験ならいいんだけど、
まさに行動している最中の相手に対しての叱咤がいい結果を生むと思ってる上司とか教師とか親とかって少なくないよね!


2016年11月14日月曜日

【エッセイ】なぜ誰もがマネキンに欲情するのか

仕事で疲れたとき、ぼくはちょっと遠回りして、女性用下着売場の前を通って帰ります。

誤解のないように云っておきますが、ぼくは女性の下着そのものに興奮するようなヘンタイではありません。

そんなヘンタイではなく、下着を身につけた“マネキン”に魅力を感じるタイプのヘンタイなのです。


下着なんてものはしょせんただの布っきれです。

女性用下着には興味がないのでブランドとかはまったくわかりません。
ワコールだかトリンプだかピーチジョンだかチュチュアンナだか知りません(ほんとまったく知らない)。
物質として見ればどれもハンカチと大差ありません。

そんなものに性的な興奮をおぼえる人が世の中にはいるみたいですが、まったくどうかしています。


ただ、マネキンが身につけたとたん、下着はぐっと魅力を増します。
ぼくは下着マネキンにかぎらずマネキン全般が好きなので、アウターをまとったマネキンや、紳士服売場のマネキンもよく眺めます。

服には頓着しない性質なので、衣料品売場を通るときは服よりもマネキンを見ている時間のほうが長いぐらいです。知らず知らずのうちにマネキンのポーズを真似ていたりもします。

「服は着せやすいかもしれないけどやっぱり頭のないマネキンは魅力半減だな」とか

「イトーヨーカドーにある赤いマネキンにはえもいわれぬ気持ち悪さがあるな」とか

「あのマネキンのポーズは空条承太郎以外の人がやってるの見たことないな」とか

そんなことばかり考えてしまいます。



そんなマネキン好きのぼくから見ても、やはり女性下着を身につけたマネキンには、ずばぬけて心を惹く魅力があります。

下着売場のマネキンはどうしてあんなに美しいのでしょう。

下着を最高にきれいに見せるために造られたものだから、といってしまえばそれまでです。
しかしやはりそれだけでない気品をあのマネキンたちは持っています。

見た目の美しさだけでいえば、どの人間よりもマネキンのほうが上だと断言できます。
たとえばニッセンとかディノスなどのカタログには、下着を身にまとった外人モデルさんの写真が載っています。
当然ながらスタイルはばつぐん。顔もきれい。ポーズも完璧。光のあてかた、写真の構図に至るまで、下着がもっとも美しく見えるよう計算されつくしています。

それでも。
それでもなお、西友の下着売場のマネキンに遠く及ばないのが現実です。


なにしろマネキンときたら、やせすぎず太りすぎない絶妙のプロポーションに、陶器のような白い肌(いろんな色のマネキンがあるけどぼくは #FFFFFFのような純白が好き)。

ポーズも、洋服屋のマネキンのようなこれ見よがしな格好はしておりません。下着売場の彼女たちはあくまで慎ましやかに、けれどもきりりと背中を伸ばして胸を張り、凛とした自信をのぞかせています。

それにマネキンには生身の人間とちがってほくろもシミもありませんし、背中の変なところから毛が生えたりもしていません(美人のうなじに生えた変な毛はそれはそれで魅力的なのですが、これについて語りだすと長くなるので今はやめときます)。

そして何よりいいのは、マネキンには顔がないということ。

いいですか。
顔がないということは、裏を返せば、そのとき自分が見たいと思う表情を思い描けるということ。
想像力によって描かれた顔は無限通り。

いうなれば、マネキンは千の仮面を持つ少女。おそろしい子!

のっぺらぼうほどセクシーな表情はありません。



それほど魅力的なマネキンですが、ぼくは決して凝視したりはしません。
こっそりと見るだけです。それも、一瞬。

やはり下着売場にあからさまに目を向けるのは気恥ずかしいですし、女性客だって下着を選んでいるところをおじさんに見られるのはいい気がしないでしょう。
ですから通路を歩きながら、周囲に人がいないときを見計らって、横目でちらりと目をやるだけです。

そのかわりといってはなんですが、ぼくがマネキンを見るときは顔を不自然につくったりはしません。

自分の顔を見ることはできませんが、マネキンを見るときのぼくはきっとひどくいやらしい顔をしていると思います。
あえて隠しません。
実際にいやらしい気持ちを抱いているのにいやらしい顔をしないなんて、かえって品性が汚らしいと思いませんか。
どうせマネキンにしか見られていないのですから。

美しいマネキンの前では嘘をつけませんし、嘘をつきたくもありません。


「いやらしい顔をしたっていいんだよね」

ぼくはちらりとマネキンの顔を窺います。

「そう、いいのですよ。だってそれがあなたなんですもの」

ほら、マネキンののっぺらぼうな顔もちゃんとそう答えてくれているではありませんか。




2016年11月11日金曜日

【エッセイ】ナチュラル美人

うちのおじいちゃんは農家だったが、車が大好きで、頭がぼけてきてからも車を乗り回していた(ほんとやめてほしかった。人をひき殺さなかったのは奇跡だと思う。あとド田舎で人がいなかったからだと思う)。

それから新しいもの好きで、新しいトラクターだから性能がいいとか、新しい肥料はすごいにちがいないとかいっていた。


もちろん例外はあるけれど、都会に住んでいる人よりも、田舎に住んでいる農家のおじいちゃんのほうが機械や化学肥料に対して全幅の信頼を置いているように思う。
「科学は生活を豊かにしてくれるものだ」という意識が、ゆるがないものとして根底にあるのだ。

自然に還ろう、なんてのはめったに自然の脅威にさらされることのない都会で生活しているから言えることであって、じっさいに自然を対峙して生きている人からすると、自然というものは人間を苦しめる存在であって、そこから守ってくれるのが科学という認識なのだと思う。


自然と美人はちょっと遠くから見ているぐらいがいちばんいいですよね、ほんと。


2016年11月10日木曜日

【思いつき】ヘイトお見合い


嫌いなものを語るときにこそ、その人の人間性があらわれるね。

好きを語るときは「あれ好きなんだー」で済むけど、
嫌いを語るときは「なぜ嫌いなのか」を自分なりに理由づけして、理論武装してから臨む。

お見合いでも、趣味を尋ねるよりも嫌いなものを言いあったほうが、お互いへの理解が深まるんじゃないかな。



 「マサヒロさん、お嫌いなものは?」

「占いと愛犬家と歯みがきと料理の写真撮る奴ですかね」

 「へー、そうなんですね」

「ミカさんのお嫌いなものは?」

 「一気飲みと朝礼とフラッシュモブを少々……」

「なるほど、なるほど。わかります」

 「ところでマサヒロさんは音楽鑑賞が趣味だということですけど、どういうジャンルが……?」

「すっごくふつうなんですけど、EXILEとか嫌いですね。あとはゆずとかユーミンとかですかね」

 「あっ、私もあれ嫌いです! 『栄光の架け橋』」

「ですよねー。ぼくたち気が合いそうですね!」

 「ですねー」

「えーと、こんなこと訊いちゃっていいのかな……」

 「なんですか?」

「どういった男性がタイプですか……?」

 「えっとですね。ちょっとマッチョな感じで、坊主の人。自分のイメージを上げるためなら何でも利用してやるぞっていうタイプ。そういうタイプが嫌いですね」

「芸能人でいうと?」

 「市川海老蔵さんがどんぴしゃです」

「あーわかります!」



どうでしょう。
相手の人となりがよく見えてきますし、ものすごく話が弾みそうですよね。

それか、まったくの無言になるかのどっちかね。

2016年11月7日月曜日

【エッセイ】どっちみち貸さないけど

よほど立ち居振舞いに隙があるのか、ちょくちょく変わった人に声をかけられる。

今日は自宅のすぐ近くで、自転車に乗った30歳くらいの男から
「すみません、お金ないんで、食べるもの買うお金もないんで、お金貸してもらえませんか」
と言われた。

もちろん金は貸さずに「急いでるんで」とその場を離れた。


その男に云いたいことはたくさんある。

「貸してくれって云うけどおまえ絶対返す気ないだろ」とか

「まずその自転車売ったら?」とか

「ほんとに困ってるなら交番か役所に行きなよ」とか。


いろいろあるけど、でもいちばん云いたいことは、

「知らない人にお願いをするときは自転車にまたがったままじゃなくて、ちゃんと降りてからお願いしなさい!」

とりあえずはこれ。


2016年11月5日土曜日

【エッセイ】光源氏のように

ぼくの友人にNくんという豪傑がいる。

といっても迫りくる宇宙からの危機に全米でただひとり勇敢に立ち向かったり、五条大橋で刀を999本集めたりするタイプの豪傑ではない。

彼自身はいたって温厚な男だ。
彼が豪傑たるゆえんは、どんな怪しい誘いも決して退けないことにある。


インターネットの世界には怪しい誘いが跳梁跋扈している。
Facebookに会ったこともない若いオナゴから友だち申請が来たり、
LINEで届いたメッセージに
「ひさしぶり(*^^*) 携帯変えたからこっちに連絡ちょうだい(はぁと)アイコ」
という文章とともに何故かメールアドレスではなくURLが貼られていたりする。

Nくんは、そのすべての誘いに「とりあえず乗ってみる」のだそうだ。
友だち申請は承諾し、見るからに怪しいURLも一応クリックし、メールアドレスが載っていればひとまずメールを送るのだという。

もちろんNくんだってばかではないから(ばかなんだけど)、
それらの誘いの送り主が、出会い系または詐欺をなりわいとしているおっさんであることは知っている。

「じゃあなんで誘いに乗るんだよ?」

ぼくの問いに対して彼は、きっぱりと云った。
「でも万にひとつ、ほんとにエッチな出会いを求めているかわいい女の子からの誘いだったなら。きっと彼女は、すごく勇気を出してメールを送ったと思うんだ。そのけなげな想いを無駄にさせるなんて……おれにはできないっ!」


ジェ、ジェントルマンっ……!

本当の優しさとは、きっとこういうことをいうのだろう。

その手のメールは即座にごみ箱に放り込んでいるぼくのような小市民からすると、会ったこともない(そして実在するかどうかもわからない)淫乱女のために大量のスパムメールを甘んじて受け入れる彼は、まるで光源氏のようにまばゆい存在である。

そして光源氏のようにエロい。



2016年11月2日水曜日

【エッセイ】ジョジョの奇妙なロボコップ

プレイステーションVRというやつをはじめて体験したよ。
ロボコップのヘルメットをもっとかさばる感じにしたやつをかぶってするゲーム。

ロボコップって知ってる?
ロボットのおまわりさん。
っていっても観たことない人には伝わらないかな。
んーなんていったらいいかな。

あっ、そうだ例えていうなら『ビバリーヒルズ・コップ』のロボット版。
ってよけいにわからんね。



んでもとにかくそのロボコップをかぶってするゲームが、プレイステーションVR。
だからたぶん「バーチャル・ロボコップ」の略でVRなんだと思う。

それか「ビバリーヒルズ・ロボコップ」の略かも。
ワーオ、ハイブリッド!
(ビバリーヒルズはVじゃなくてBか?)



それはそうとVRの映像すごい。
ゲームの光景が、ほんとに目の前に広がっているみたい。
『ビバリーヒルズ・コップ』もびっくりのド迫力。


ぜひVRで『ジョジョの奇妙な冒険』のゲーム開発してほしいよね。
VRの世界に自分のスタンドが出てくるの。
で、動き回ったり、敵と戦ったり、落ちてる宝くじを広い集めたりすんの(重ちーのハーヴェストかよ地味だな!)。

もちろん「スタンドが傷ついたら本体もケガをする」という設定も生かしてほしい。
スタンドがケガをしたら、電気を流すなどして痛みを感じるようにしてほしい。
スタンドが熱いものに触れたら、熱を感じさせてほしい。

危険だけど、だからこそ、ものすごくスリリングなゲーム体験ができるはず。



たとえば冬場にスタンドがドアのノブに触れたら、生身の肉体にもバチッとくるとか。

たとえばスタンドがカップ焼きそばの湯切りに失敗したら、生身の肉体も熱さを感じるとか。
ついでに360゜サラウンドシステムで、台所のシンクのべこんっていう音が鳴り響くとか。


そういうド迫力なゲームを期待してるよ!!


2016年10月31日月曜日

【おもいつき】イカれのには理由がある

イカれたメンバーを紹介するぜ!


まずはギター!
彼女にフラれてから、投函もしない愛の手紙を毎日書きつづけている!


次はベース!
毎日終電までの激務のせいで、朝布団から出られなくなった!


それから紅一点!
自分は汚れていると思って1時間以上も執拗に手を洗いつづけるキーボード!


最後はこの俺!
創作の苦悩のあまり、自分の耳をそぎおとしたボーカル!


このイカれた4人のメンバーがお送りするぜ!



観客(内に向かうタイプのイカれかたか……)

2016年10月28日金曜日

【エッセイ】結婚式における脇役

妻の妹の結婚式に出席した。

で、思ったんだけれど、「新婦の姉の夫」って結婚披露宴の出席者の中でもいちばんの脇役じゃない?
新郎新婦と直接交流があるわけでもない。血のつながりもない。


結婚披露宴における主役は、誰がなんといおうと花嫁。
これは異論がない。
野球でいうとピッチャーで4番。

準主役は花婿。
野球でいうとキャッチャー。
花嫁に比べると大きく差はあるけれど、いなくてはゲームが成立しないポジション。

内野手は、新郎新婦の両親あたり。
新郎父親は、両家を代表して挨拶するので、内野の要のショート。
新婦父は花嫁をエスコートするので、重要だけどさほど難しくないファースト。
『お母さんへ』の手紙を読んでもらえる新婦母がサードで、特に出番のない新郎母がちょい地味なセカンド。


身内だけでやる結婚式もあるぐらいだから、内野手だけでもいちおう野球の試合にはなる。

でも本格的にやるなら外野手もいないとね。

新郎新婦の友人たちや会社の同僚たちが外野手だね。
新郎新婦からはちょっと離れたところにいるけど、活躍次第ではピッチャーよりも目立つこともあったり。
「式のことはぜんぜん覚えてないけど、余興やスピーチだけは印象に残っている」って披露宴もあるもんね。


披露宴の司会者はウグイス嬢。
受付はビールの売り子。
決して目立つことはないけれど、この人たちの働きがあるからこそ野球観戦は大いに盛り上がる。


新郎新婦の親戚は、球場に観にきているファン。
特に出番はなく、拍手を贈るのが仕事。
「あの小っさかった○○ちゃんがこんな立派な花嫁さんになって......」と感動したりもする。
多めのご祝儀という形でお金を落としてくれるところもファンと一緒だね。


で、新婦の姉の夫(ぼく)はというと......。

「野球ファンの彼氏につれてこられた、野球にぜんぜん興味のない彼女」ですかね......。


2016年10月26日水曜日

【エッセイ】素材の味を楽しむために

寿司食ってたら、食通ぶったやつが

「醤油をつけると素材の味が死んじゃうから、通は醤油をつけずに云々」

としょうもない持論を展開していて、

うるせえよ素材の味を楽しみたいならシャリじゃなくて稲に生魚のせて食っとけよばか!


2016年10月24日月曜日

【エッセイ】てっきり的な話


高校の同級生たちと飲む。
高校時代にひそかに思いを寄せていた女性に云われた衝撃の一言。

「久しぶりだねー。会うの、高校卒業以来だね」

え?

嘘でしょ?

うわーこれ冗談の顔じゃないわ……。

いやいやいやいや。
高校卒業してから10回以上は会ってるからね!

成人式でも会ったし。

同窓会でも会ったし。

何度か一緒に飲み会やったし。

そういや京都を案内してほしいって云われて南禅寺と銀閣に連れてったことあったし。

その後数人で朝まで飲んだし。

よく考えたら去年も友人の結婚式で会ってるし。

ぼくの基準に照らし合わせればこれってかなり親しくしてるほうだったと思うんだけど、それ全部忘れてる……!?

あれかな。
記憶的なものを喪失的なことしちゃった的な話かな?

うん、そうだよね。
そうゆう路線ね。

記憶回路にね、若干のトラブルがあるパターンね。
脳のシナプスとか海馬みたいなとこが大型連休とってる感じね。

はいはいはいおっけーおっけー。

そうだよね、でなきゃね、忘れるわけないよね。
10回以上会ってる人を。ぼくを。

あー、あせったー!
てっきりあれかと思ったわ。
ぼくに対しては何の関心も無いから覚える必要を感じなかったみたいなやつかと。てっきり。

あーっ、よかったー! ちがっててよかったー!

2016年10月21日金曜日

【読書感想文】高野 和明『ジェノサイド』

高野 和明『ジェノサイド』

内容(「BOOK」データベースより)
急死したはずの父親から送られてきた一通のメール。それがすべての発端だった。創薬化学を専攻する大学院生・古賀研人は、その不可解な遺書を手掛かりに、隠されていた私設実験室に辿り着く。ウイルス学者だった父は、そこで何を研究しようとしていたのか。同じ頃、特殊部隊出身の傭兵、ジョナサン・イエーガーは、難病に冒された息子の治療費を稼ぐため、ある極秘の依頼を引き受けた。暗殺任務と思しき詳細不明の作戦。事前に明かされたのは、「人類全体に奉仕する仕事」ということだけだった。イエーガーは暗殺チームの一員となり、戦争状態にあるコンゴのジャングル地帯に潜入するが…。

学生時代の読書は、小説:ノンフィクション=8:2ぐらいの比率でした。
ですが30代くらいになると、その比率は逆転。2:8ぐらいになりました。
勉強したいという気持ちが学生時代よりも強くなったからなのでしょうか(学校に行かなくなると知識欲を満たす場が読書ばかりになりますからね)。
ノンフィクションのほうが楽しめるようになり、月並みな表現ですが「やっぱり事実は小説よりも奇なりだな」と思うこともよくあります。

ですが、高野 和明『ジェノサイド』を読んで思ったことは
「いやいや、人間の想像力には限度がない。小説はどこまでもおもしろくなる!」

つづきはこちら


2016年10月19日水曜日

【考察】歌舞伎俳優のふしぎ。


歌舞伎俳優のふしぎ。

テレビのワイドショーを観ると、よく歌舞伎俳優が話題に上がっている。

ぼくは歌舞伎のことはさっぱりわからないのだけれど、やれカンクロウが死んだだの、カンザブロウが熱愛発覚しただの、カンタロウが舞台を休んだだの、けっこうな頻度で歌舞伎ネームを耳にする。


ふと疑問に思ったんだけど、世の中の人ってそんなに歌舞伎を好きなの?

歌舞伎はテレビ中継もしないし、公演をテレビCMで宣伝しているのも観たことがない。
テレビを観ている人たちの大半は、歌舞伎そのものにはぜんぜん興味がない。たぶん。

なのに歌舞伎俳優のプライベートは、報道の価値があるらしい。ふしぎだ。

歌舞伎ファンってどれぐらいの数がいるんだろう。
少なくともぼくは「歌舞伎ファンです」という人に会ったことがない。
野球ファンとかジャニーズファンとかに比べれば、ずっとずっと少ないと思う。
人口でいったら、落語ファンとかオペラファンとか骨董好きとかとそれほど変わらないんじゃなかろうか。

なのに、
「落語家Sが熱愛発覚!」
「あの大御所オペラ歌手Cが緊急入院!」
「新進気鋭の女流陶芸家Yが離婚間近!?」
なんてことは、まず報道されない。

どうして歌舞伎俳優ばかりが話題になるのだろう。

誰か知ってる?

2016年10月17日月曜日

【エッセイ】どっちもがんばれ大統領候補

アメリカ大統領選をめぐり、どちらを支持するか。
アメリカ国民に問うた、とあるアンケートの結果。

クリントン氏支持が48%

トランプ氏支持が41%


おお、すごい。
なんと、89%の人が、明確にどちらを支持するかを明確にしているとは。

日本だったら、「わからない」「どちらともいえない」などの回答がずっと多くなるにちがいない。



自分の気持ちを白黒はっきりうちだすアメリカと、あいまいにぼやかす日本。


どっちがいいかは……。

「どちらともいえない」よね。
日本人だもの。


2016年10月16日日曜日

【読書感想文】 中山 七里『贖罪の奏鳴曲』

中山 七里『贖罪の奏鳴曲』

内容(「BOOK」データベースより)
 御子柴礼司は被告に多額の報酬を要求する悪辣弁護士。彼は十四歳の時、幼女バラバラ殺人を犯し少年院に収監されるが、名前を変え弁護士となった。三億円の保険金殺人事件を担当する御子柴は、過去を強請屋のライターに知られる。彼の死体を遺棄した御子柴には、鉄壁のアリバイがあった。驚愕の逆転法廷劇!

いろんな本を読みますが、めったにこういう感想は抱くことはありません。
この本の感想は
「おもしろいけど好きになれない小説」
でした。

続きはこちら

2016年10月13日木曜日

【エッセイ】ハロウィンの仮装をおもしろくするために

ハロウィンの仮装で、おもしろいものを見ないのはなぜなのだろう。

あれだけたくさんの人が仮装しているのだから、1割くらいは笑えるもの、センスが光るものがあってもよさそうなものなのに、まあつまらない。
誰一人としてセンスを感じない。

なぜかと考えてみたのだが、やっぱり「仮装していいときに仮装してるから」なんだろうね。
ハロウィンに仮装をするのって葬式に喪服を着るようなものだから、そりゃ笑えない。
仮装は場違いだから笑えるのであって、これだけハロウィンが市民権を持ってしまった今日では、どんな格好をしてもそれは正装にすぎない。


卒業式や成人式にヤンチャな服装で出席するヤンキーに対しては
「やるべきときにやるべきことをやっていてすごくまじめな人なんだな」という印象しか持たないけど、それに似ている。

「ハロウィンに仮装」も「まじめにふつうのことをやっている」だけだから、それを見て笑えるわけがない。


新入社員が初出社の日に喪服を着てきたら
「なんであいつ喪服なの。これは大物ルーキー現る!」
ってな感じですごく笑えると思う。


そこでぼくが提案する仮装は
「ハロウィンの1週間後あたりにゾンビの格好して
 『あれ? おれだけ? 今週じゃないの? まじで!?』
 みたいな顔で赤面する人」
の仮装。

これだったら見てみたい。
そして恥ずかしすぎるからぜったいにやりたくない仮装でもある。

2016年10月12日水曜日

【エッセイ】ハンコぺったん


4歳の姪と電話をしていたときのこと。
「今なにしてたの?」と訊くと
 「ハンコぺったんしててん」とかわいい返事。

「へー。ハンコで遊んでたの」
 「遊んでるんとちゃうねん。ハンコぺったんせなあかんねん」
「ん?」
 「この電話が終わったらまたぺったんせなあかんねん。たいへんやわ」
「ん?遊んでるんじゃないの?」



彼女の母親(ぼくの姉)に話を聞いてみると、こういうわけだった。

夕食の支度をしていると、姪が「おてつだいする!」と言いだした。
しかし揚げ物をしているので近寄らせたくない。
かといって、せっかくお手伝いをしようという気になっているのに無下に断るわけにもいかない。
そこでハンコと紙を渡して
「おかあちゃんの代わりにこの紙いっぱいにハンコぺったんしといて。お願い」
と頼んだのだそうだ。

なるほど。
これならひとりでやらせても危なくないし、子どもも達成感を味わえて仕事の喜びを学べる。

これはいい子育て術を知ったと思い、妻にも教えた。妻も感心していた。


 
一週間後。
妻が黙々とミシンを踏んでいたので「よっしゃ、手伝ったろ」と言ってみた(ミシンの電源ボタンがどこにあるのかも知らないけど)。

すると妻は微笑みながら
「んー。じゃあハンコぺったんしといて」

こいつ……。さっそく実践しとるっ!!


で、質問なんだけど、あと何回ぺったんしたらいいのかな?

2016年10月9日日曜日

【読書感想文】曽根 圭介『藁にもすがる獣たち』

 

曽根 圭介『藁にもすがる獣たち』

内容(「BOOK」データベースより)
サウナの客が残していったバッグには大金が!?持ち主は二度と現れず、その金で閉めた理髪店を再開しようと考える初老のアルバイト。FXの負債を返すためにデリヘルで働く主婦。暴力団からの借金で追い込みをかけられる刑事。金に憑かれて人生を狂わされた人間たちの運命。ノンストップ犯罪ミステリー!
いやあ、実に「うまい」小説でした。

続きはこちら

2016年10月8日土曜日

【エッセイ】さながら石油王

今日は会社の飲み会。
妻に対しても、一週間前から「帰りが遅くなる」と言ってある(上司への報告は社会人の基本だからね)。

そんなとき、妻が風邪をひいた。
かなりしんどいらしく、朝から寝込んでいる。


これは……。

チャンス!!

圧倒的チャンス!!



他の家庭はどうか知らないが、夫婦の立場というのはポイント制だとぼくはとらえている。

ごはんを作ったら2FP、洗い物をしたら1FPがプレイヤー(夫または妻)に加算される。
 ※FPとは夫婦ポイントのこと

逆に、連絡なしに帰りが遅くなった場合や、余計なものを買ったことがばれた場合などはFPが減点される。


日常のあらゆる行動に対して、FPのプラスマイナスが規定されており(ポイントは夫婦によって異なる)、
このFPの累積によって各プレイヤーのランクが決定し、すなわち家庭内での地位が確定する。
(つまりぼくのFPは妻よりも圧倒的に少ないということになる)


また、プレイヤー間のFPに著しい差が生じた場合は、上位のプレイヤー(=妻)は下位のプレイヤー(=夫)に対して攻撃を加えることができる。
攻撃とはすなわち、怒りを爆発させるということであり、
この際の攻撃力は、

(直近1ヶ月のFP差)+(直近1週間の相手のマイナスFP)/(1+(直近1週間の相手の獲得FP))×14.2

という式で求められる。


さらに、攻撃力が550を超えると、特別ボーナスが加算される。

属性が同じ相手プレイヤーのエラーを過去40年までさかのぼって召喚し、攻撃力に加算することができるのだ。
「4年前のあのときもあなたはこう言ったわよね!」という過去ほじくり攻撃である。


2016年10月4日火曜日

【エッセイ】放屁の文化史

突然だが、ぼくが生まれ育った家庭では
「放屁は黙殺」という掟があった。

一家団欒の席において誰かがことに及んだ(つまり音の出る屁を放った)場合、家族の誰もそのことに言及しない。
顔色ひとつ変えずに、会話を続けるのが鉄則である。

とはいえ、掛け軸に「放屁は黙殺」としたためた書が床の間に飾ってあるわけではない。

家族会議が開かれて三日三晩話し合って
「やはり放屁については言及しないこととしよう」
という議決を出したわけでもなく、いつの間にかなんとなく決まった不文律だ。


基本的にはおならは我慢する。
それでも人間なんだから、おならの一発や二発、うっかり出てしまうことはある。
事を大げさにするほどのことでもあるまい。そっと目を閉じて(というより耳と鼻を閉じて)、なかったことにするのが大人のたしなみだろう。
これが、(話し合ったわけではないけどおそらく)うちの実家の共通認識である。


どこの家でもそうなのだと思っていた。
ところが最近判明したのだが、どうも各家庭によってそのへんの処遇についてはまちまちであるらしい。


ぼくの妻。
彼女の生まれ育った家庭においては、そもそも「おならは御法度」であるらしい。
だから万にひとつもおならをするようなことがあってはならないし、よしんばその禁を破った場合は速やかに頭を下げてその場にいる者の許しを乞わなければならないのだという。

たとえば、会話中にぼくがうっかり放屁をしてしまう。
ぼくは三十年来の習慣に従い、なにくわぬ顔で話を続ける。
このとき、ぼくの親族であればやはり聞かなかったことにして会話を続行してくれる。

しかし妻は許さない。
アゲハチョウの幼虫には外敵を追い払うために顔みたいな模様がついているけど、ちょうどあれぐらいの怖い顔をしてぼくを睨みつける。
その表情の変化に気づかないふりをして会話を続けるぼく。
すると彼女はとうとう、口に出して夫の不始末を咎める。

「ごめんなさいは?」

これがぼくには理解できない。
なぜそっとしておいてくれないのか。

いうなれば、ぼくの実家は『恥の文化』。
放屁をしても、誰も何も言わなければしなかったのと同じだから、恥ずかしくない。
和をもって貴しとなす日本古来のやりかただ。

一方、妻が説くのは『罪の文化』。
放屁はそれ自体が罪だから、周囲の反応には関係なく償わなければならないと主張する西洋文化だ。


はたしてどちらが正しいのか。
ぼくは、旧友のSくんに相談してみた。

彼は云った。
「おれの実家は事前申請制を採用してる」

なんと、彼が生まれ育った家では、おならが出そうになったら
「もうすぐ出る!」と宣言して、家族が心の準備を整えてから出すのだという。

彼の家ではおならをすること自体は罪ではないが、黙っておならをしてそれが明るみに出た場合にはじめて非難を浴びるのだという。
「黙っておならしたの誰?」と。

Sくんにはたいへん美人なお姉さんがいるが、そのお姉さんもやはり宣言してからなさっていたそうだ。


なんと。
新たなルールが見つかった。
例えるならば、戦国文化であろうか。
戦国武将のように「やあやあ我こそは……」と名乗りを上げてから出陣しないと卑怯者と見なされる、たいへん勇ましい文化だ。

いろんな家庭があるものだ。


ところでこのSくん、今では結婚して二人暮らしだ。
「今も宣言してるの?」
と尋ねると、彼は首を振った。
「おならをしたら奥さんにめちゃくちゃ怒られる。事前申請しても、後から謝ってもだめ。そもそもおならをしたらだめだって言われる。『たとえ私が留守にしているときでもだめ』だってさ」

高らかに名乗りを挙げて刀を振り回していたのも、今は昔。
もう今は武士の時代ではないのかもしれないな……。
剣の道に悩む宮本武蔵の顔が、寂しそうに笑うSくんにだぶって見えた。


2016年10月3日月曜日

【創作】たまごのしょうたい

そのときです。

おなかにきょうれつないたみと、からだがきゅうにもちあげられるかんかくがありました。

オオワシです。
オオワシのおおきなつめが、おなかにくいこんでいるのです。
じたばたとあばれましたが、ぎらりとまがったかぎづめがからだにくいこむいっぽうで、とてもにげられそうにありません。

オオワシがおりたったのは、じぶんのすでした。

ナイフのようにするどいくちばしで、ふたりのはらわたをひきさきます。



ああ、あそこにおちていたのはオオワシのたまごだったんだ。

あのたまごをホットケーキにしてしまったぼくたちのことを、うらんでいたのか。

やけるようなはらわたのいたみと、うすれゆくいしきのなかで、ぐりとぐらがさいごにおもったのはそのことでした。

2016年10月2日日曜日

【エッセイ】心に傷を持った老ニワトリ


大阪・天王寺動物園の情報紙を見たら、「幸せを呼ぶニワトリ・マサヒロ」という記事が乗っていた。

記事によると、マサヒロは肉食動物の生き餌として入荷したが、カモに餌の食べ方を教える「先生役」に抜擢されたために命拾いし、その後は野生のイタチを捕獲するための「おとり餌」にされたがイタチが現れなかったために九死に一生を得て、また餌になるところだったが偶然需要がなかったために、現在は動物園で飼われているとのこと。



「今や、マサヒロは動物園の一員として、命の大切さを伝える大切な役目を担っているのです」

と締めくくられてるけど、いやあ......。
この話から読み取れるのは「命の大切さ」なんて、そんな単純な美談じゃないでしょ......。

「人間が動物の生殺与奪の権利を握っているんだな」ってことでしょうよ......。


命の大切を教えるなら、このニワトリが過酷な戦地から帰還した傷痍軍人のように、

「仲間たちはみんな死んだ。腕っぷしが立つやつも、頭のいいやつも、みんなから好かれてたやつも、家族思いだったやつも、みんな死んだ。私が生き残ったのはただ運がよかっただけだ。だから二度とあんな悲惨な入荷がおこなわれないことを願う」

って、未来を担うヒヨコたちに語りついでいくしかないのでは。

2016年9月30日金曜日

【考察】憎い3歳児

3歳の娘がいる。

もちろん我が子なのでかわいいけれど、腹の立つことも多い。
ぜんぜん言うことを聞いてくれなかったり、時間がないときにかぎってだだをこねたり、よくわからない理由で不機嫌になったり。

聞いた話では、親が子に手をあげてしまうのは、3~5歳くらいのときが多いらしい。

ぼく自身のことを考えてみても、子どもが1歳2歳のときよりも、3歳になってからのほうが憎らしさが増したように思う(かわいさも増してるけど)。


よく考えるとふしぎなことだ。

1歳や2歳のときだって、親の言うことなんて聞いてくれなかった。
時間がないときにぐずったり、急に怒りだしたりしていた。

同じことなのに、なんで1歳2歳に対しては「しょうがないな」と思えて、3歳に対してのほうが腹が立つのだろうか。
これは、「こちらの意図が伝わる」からだと思う。

3歳になると、かなりしっかりとコミュニケーションがとれる。
「遊んでないで早くごはん食べてね」という言葉の意味も正確に伝わっているはずだ。
なのに、いつまでも遊んでいてぜんぜんごはんを食べてくれない。

「言葉が伝わらないから言うことを聞いてくれない」よりも
「言葉が伝わるのに言うことを聞いてくれない」のほうが、ずっと大きなストレスなのだ。

ま、そりゃそうだよね。
まったく日本語がわからない外国人にこちらの意図が伝わらなくても腹は立たないけど、50年日本人をやっていて日本語が理解できるにもかかわらず他人の話にまったく耳を貸そうとしないおっさんには腹が立つもんね。


だから3歳の子どもに対しては、手を上げてしまいそうになるぐらい腹が立つんだろうね。


でもよく考えたら、それは子どもにとっても同じはず。

1歳のときは言葉がしゃべれなかった。
2歳になっても、感情をうまく言語化することができなかった。
3歳になって、ちゃんと言葉で気持ちを伝えられることができるようになった。

「まだあそぶ!」とか「いや! おふろはいらない!」とか。

言葉の意味は正確に伝わっているはず。
なのに大人たちはぜんぜん言うことを聞いてくれない!


もどかしさと腹立たしさはお互い様でしょうな。



2016年9月29日木曜日

【エッセイ】100万人のヘビ使い

『世界史を変えた50の動物』(エリック・シャリーン/原書房)という本を読んでいると、
「今でもインドには100万人のヘビ使いがいる」という記述に出会った。

100万人のヘビ使い……!
さすがはインドだ(インドのこと何も知らないけど)。

懐の深さがすごい。

日本にも、ヘビ使いに似た職業としてサル回しがいる。
でも日本にサル回しは100人もいないだろう。
日本には、100人のサル回しが食っていけるだけの余裕がない。


以前、十二星座にへびつかい座が加わって十三星座になると聞いたときに
「なんだよへびつかい座って」と思った。
でも、インドで100万人が従事するぐらいメジャーな職業だったのだ。
インドだけで100万人ってことは、世界には100万とんで50人くらいのヘビ使いがいるにちがいない。

世界中にライオンは100万頭もいないだろう。
弓道やアーチェリーや弓を使った猟で食べていっている人は100万人もいないだろう。

そう考えると、獅子座や射手座よりもへびつかい座のほうがよっぽどメジャーな星座といえる(本物の乙女も絶滅危惧種らしいから、乙女座よりもメジャーかも)。


100万人ってどれぐらいの数なんだろうと思って調べてみたら、日本の警察官の人数が約28万人らしい(総務省統計)。
ヘビ使いの4分の1しかいない。

もしも100万人のヘビ使いと、250万匹のヘビ(ヘビ使い1人あたりの平均ヘビ所有数を2.5として算出)が大挙して日本に押し寄せてきたとしたら。
たった28万人の警察官では防ぎきれないだろう。自衛隊や消防を入れたって敵わない。日本はあっというまにヘビだらけになってしまう。


でも心配しなくても大丈夫。
ヘビ使いのヘビはキバを抜かれているので、襲われて命を落とすようなことはほとんどないんだって。

これで安心して眠れますね。

ではみなさま、よい夢を。

2016年9月28日水曜日

【考察】ザリガニの差

厄年の男女を対象にした神社の厄払いと、

「これを買わないと不幸になりますよ」
と言って高い壷を売りつける霊感商法

両者の違いについて考えてみたけれど、
残念ながらぼくには違いが見つけられませんでした。

あえていうなら、壺が手に入るだけ後者のほうが少しマシかな。
壺でザリガニとか飼えるし。

2016年9月27日火曜日

【ふまじめな考察】今年はこれを流行らせます

「今年の流行色」は、日本流行色協会なる団体が毎年制定しているらしい。

流行色を誰かが決めてるってどうなのよ。
流行って自然発生的に起こるもんでしょ。

と思ったのだけれど。
特にカラートレンド情報については、長い歴史の中でカラー設計の指針としてその信頼性と的確性が広く認められています。
(日本流行色協会ホームページより)

という文章を読むと、ファッション業界からするとありがたい指針かもしれないなと思いなおした。

なんの制約もなしにゼロからものをつくるってたいへんだもんね。
自由は創造性を制限する。
「今年はこのテーマに従って服をつくってください」という指針があったほうが、かえってつきぬけた発想も生まれやすいのかもしれない。

どんな色が流行るかあらかじめわかっていたほうが仕入れや在庫の計画も立てやすいだろうし。



「今年の流行」は、色だけじゃなく他の分野でも計画的に制定したらいい。

「来年流行するギャグは、謝罪のギャグです」とか。
で、謝罪ギャグを生みだした芸人を、テレビ番組も積極的に使うようにするの。 

流行りのギャグって、初めて見たときはそんなにおもしろくなくて、何度もくりかえされるうちに 人口に膾炙して広まっていくことが多い。
でも見る人もあらかじめ「今年は謝罪ギャグがくる」ってわかってるから、心の準備ができていて、初見から笑うことができる。

うん、準備ができてるっていいね。



詐欺も年々新しい手口が考え出されては廃れていく。
ある程度知れわたってしまえば詐欺として通用しなくなるから、詐欺師は常に新しい手口を考案しなくてはいけなくてたいへんだよね。

だから日本流行詐欺協会が、
「来年は葬式を利用した詐欺が流行ります」
という指針を示してやるといい。

ある程度の指針があったほうが詐欺師も騙しかたを考えやすいだろう。

流行に敏感な人は特に葬式詐欺には注意するから引っかからない。
そうなると詐欺師たちも食っていけなくなるんじゃないかと心配してしまうよね。

でも大丈夫。
流行にうとい人って決して少なくないから。
もう若者が誰も使わなくなった頃に流行りだったギャグを言い出すおっさんとかいるでしょ。
ああいう人が、ちゃんと後から流行の詐欺にひっかかってくれるから。



日本流行疫病協会は、
「来年は蚊を媒介にした伝染病を流行らせます」
って、ちゃんと流行の指針を示しといてほしい。

流行が事前にわかってたら医療機関も対策できるし、予防接種もできる。
指針があるとほんと助かる。

それに、病死に見せかけた殺人計画も立てやすいしね。

2016年9月26日月曜日

【読書感想文】米原 万里 『旅行者の朝食』

内容(「BOOK」データベースより)
さる賢人曰く、人類は以下の二つに分類される。「食べるために生きるのではなく、生きるためにこそ食べる」「生きるために食べるのではなく、食べるためにこそ生きる」さて、あなたはどちらのタイプ?グルメ・エッセイロシア風味。

旅行グルメ本みたいなタイトルですが、旅行の要素はほとんどなく、食べ物エッセイ。

続きはこちら


2016年9月25日日曜日

【エッセイ】凶器を手にした心を持たないやつら


いっとき仕事で毎日車を運転していましたが、どれだけ運転しても慣れなくて、車に乗るのがイヤでイヤでしかたありませんでした。
そのときの会社を辞めたときにまず思ったことは「よかった、これで車の運転をしなくて済む」でした。

なんでそんなにもイヤだったのかというと、周りのドライバーの悪意がむきだしになっている(ように感じられる)ことに耐えられなかったからです。


ぼくは大量殺人鬼や総理大臣ではないので、あからさまな敵意を向けられることは、めったにありません。

でも、車を運転していると、それをしょっちゅう感じてしまうのです。
「こいつ、とろとろ走りやがって。割り込んでやれ」
「へたくそな運転してやがるな。わざとぶつけてやろうか」
「だっせえ車に乗ってんな」

周囲の車のドライバーからの声が聴こえてくるような気がします。


歩いていたり自転車に乗っているときはそんなこと感じないのに、どうして車を運転しているときだけそのような心持ちになるのでしょうか。

やはり、顔が見えないからでしょうか。

運転手の顔が見えず、ただの大きな鉄の塊しか目に入らないため、攻撃的な目を向けられているような気がするのかもしれません。


考えてみると、自動車というものはいともかんたんに人の命を奪うことのできる乗り物ですから、いわば凶器です。

多くの車と並んで走っているという状況は、ナイフや銃やアイスピックやバールのようなものを手にした人たちに囲まれている状況と同じようなものなのです。

おまけに、その凶器を持った人たちは顔が見えず、何を考えているのかまったくわからないのです。

不安な気持ちにならないわけがありません。
車を運転している間、ぼくはずっと怖くてしかたありません。


しかし。
ぼくが大嫌いな車の運転をしているときでも、ただひとつだけ安心する瞬間がありました。

それは、救急車がサイレンを鳴らして近づいてきたときです。
救急車が来ると、ほとんどすべての車は速度を落としたり脇に寄ったりして道を譲ります。
この行動を見て、ぼくはほっとするのです。

ああよかった、ぼくの周りにいるのは凶器を手にした心を持たない大量殺人鬼じゃなかった。
ちゃんと良心を持った人たちが運転しているのだ。
その証拠にほら、どこかで怪我か急病になった顔も知らない人が助かるよう、救急車に道を譲ったじゃないか。


救急車が走り去ると、車たちはまた雑然と走り出します。
でももうさっきとは違います。
つい先ほどの行動によって、彼らは見ず知らずの人のために道を譲る、心優しい人たちだと証明されたのですから。

もう怖くありません。
ぼくはひと心地つきます。

そして冷静に周りを見渡して、こう思うのです。

前の車、とろとろ走りやがって。
わざとぶつけてやろうか。

と。

2016年9月22日木曜日

【思いつき】歌詞ビフォーアフター

日本人に「嫌いな歌詞の歌は?」と訊いたらまちがいなくトップ3には入るであろう『世界にひとつだけの花』。

終始上から目線なのが、嫌われている要因なんでしょう。

(話はそれますが、昔の槇原敬之は掌篇小説のようなストーリー性の高い良い歌詞を書いていたのに、逮捕されてから説教くさくなってしまった。これは、たくさん説教された人間は説教くさい人間になってしまうといういい教訓です)。


それなのに僕ら人間は
どうしてこうも比べたがる
一人一人違うのにその中で
一番になりたがる?

そうさ 僕らは
世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい

うん、「何を偉そうに」という気持ちが湧いてくる歌詞ですよね。

「僕ら」というところが特に良くないんでしょうね。
おまえがそうだからって他の人まで同じ心持ちだと思うなよ、って気持ちが湧いてきますもんね。



だから思いきってこの歌詞をリフォームしちゃいましょう。

やり方はかんたん、「僕ら」を「ヤツら」にするだけ。

それでは、歌詞リフォームの匠が修繕した後の歌詞をごらんください。


それなのにヤツら人間は
どうしてこうも比べたがる?
一人一人違うのにその中で
一番になりたがる?

そうさ ヤツらは
世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい


なんということでしょう。
あれほど偉そうに感じられた歌詞が、「僕ら」を「ヤツら」にしただけで、宇宙人の視点が与えられ、見ちがえるほど新しいテーマを持った歌詞へと生まれ変わりました。

最大の特徴だった説教くささは残しつつも、「宇宙人からの説教」という様相を呈したことで、「おまえが言うな」感を見事に取り払いました。
これなら聴いた人も「文明の進んだ宇宙人に言われるのならしかたない」とすんなり受け入れられます。


さらに、

「ワレワレから見たらおまえら人間など大差ない。おまえらもアリの個体差を見分けられないだろう。おまえらがどれだけがんばったところでワレワレの足下には及ばんのだから、せいぜい種の保存のために、ちっぽけな命というその花を咲かせることだけに一生懸命になればいい」

というメッセージが伝わってくるではありませんか。


これなら宇宙船地球号の住人たちも大喜びですね。

2016年9月19日月曜日

【読書感想文】茂木 誠『世界史で学べ! 地政学』

内容
なぜ日米は太平洋上でぶつかったのか。日中関係と北方領土問題の根本原因は―新聞では分からない世界の歴史と国際情勢が、地政学の視点ならスッキリと見えてくる!世界を9つの地域に分けてわかりやすく解説。ベストセラー「経済は世界史から学べ!」の著者が贈るビジネスパーソン必読の書。

ジョージ・フリードマン『100年予測』やマクニール『世界史』がおもしろかったので、地政学の本をどんどん読みたくなって購入。

なんか予備校講師が書いた本みたいな表紙。
表紙が安っぽいので5点減点......。というどうでもいい採点はさておき、内容は明快。
地政学の入門書としてはちょうどいい。

続きはこちら




2016年9月16日金曜日

【エッセイ】国民メダル倍増計画


リオ・オリンピックで日本の獲得したメダルの数が過去最高になったそうですね。
これをもって「日本もスポーツに強くなった」と言っている人がいますが、それは正確な言い方ではありません。
べつに日本人全般の身体能力が大幅に向上したわけではありません。
正しくは、国家としての「力の使いどころが変わった」、もっというと「金の使いどころが変わった」です。

リオ・オリンピックで日本が獲得した金メダル12個のうち11個は、レスリング(4個)、柔道(3個)、競泳(2個)、体操(2個)で稼いでいます。

これらの競技に共通しているのは、「メダルの数を増やしやすい」競技だということです。

まず種目の数が多い。
たとえば柔道なら14種目、レスリングなら18種目もあります。
国家としてこれらの競技に力を入れて選手を育成して全種目に選手を送り込めば、理論上は32個の金メダルを獲得できるチャンスが得られます。
もちろん現実的に金メダル総なめということはありえないでしょうが、世界的な競技人口が多くない競技ですから、国家として力を集中すれば2割ほどの種目で金メダルを獲ることは(他の競技に比べれば)難しいことではないでしょう。
実際、柔道とレスリングあわせて32種目のうち2割強の7個の金メダルをい本は獲得しています。

さらに競泳や体操に関しては、種目の数が多いだけでなく「1人の選手が複数の種目に出場できる」というメリットがあります。

体操男子なら床、あん馬、跳馬、鉄棒、平行棒、個人総合と、1人優れた選手がいれば最大6個の金メダルを獲得できる可能性があります(団体も入れれば7個)。 内村航平選手は3大会で7個のメダルを獲得しています。
水泳でも種目別、メドレー、リレーなどを掛け持ちすれば1人でメダル量産が可能です。2000年のシドニー・オリンピックではオーストラリアのイアン・ソープ選手が5個のメダルを獲得しました。

さらに、個人競技(体操団体と水泳リレーを除く)だというのもトータルのメダル獲得数を増やすための重要な要素です。

このへん、サッカーなどの人気競技と比べてみればコストパフォーマンスの良さは明らかです。
サッカーの場合、まずチームを作るのに選手だけで20人は必要になります。
選手が増えればその分、スポーツドクターやら栄養士やらのスタッフの数も増えるので、1チーム作るだけでもかなりの大所帯になります。
しかもサッカーの場合、一流選手は世界各国でプレーしていますので、強化合宿に彼らを招聘するだけでもたいへんです。
数十人の交通費、宿泊費、食費、その他雑費などを考えると莫大な金額になることは疑いがありません。

それだけのお金を使っても、獲得できるメダルは最大で1個(実際にはメンバーの数だけもらえますが、新聞やテレビではメダルは個数ではなく種目数で数えます)。
さらにサッカーの場合は日本と他国のレベルの差が大きいので、予算を割いて強化したところでメダルを獲得できる可能性はかぎりなく低い。
サッカーは、メダルの数を稼ぐためには非常に「コスパの悪い」競技であるかとがわかります。

......と考えると、「オリンピックで数多くのメダルを獲得するように」という使命を与えられた関係各部署が、コストパフォーマンスの悪いサッカーやバレーボールよりも、容易にメダル数を稼げる柔道・レスリング・水泳・体操にかぎりある資金を投下するのは当然のことです。
実際、それらの競技に投下される強化費はここ10年ほど、以前よりずっと増加しているそうです。

「メダルさえ増やせばいい」というシンプルな目標に向かって関係部署が努力をおこない、その努力が見事に実ったという形です。

(べつに柔道や体操でメダルを獲りやすいっていってるわけじゃありませんよ。ただ国全体として見たときに数を稼ぎやすいというだけです)

誤解しないでいただきたいのは、ぼくがこういうやり方を批判しているわけではないってことです。
国家として、こういう戦術をとるのは「アリ」だと思います。
いや、それどころかぼくは好きなんです。
真っ向勝負で勝てない相手に対して戦うときは資源の投下を局所的におこなうことで、部分で負けてもトータルで勝ちを拾いにいく、これは非常に「スポーツ的」な考え方ですよね。
テクニックもパワーもシュート本数もボール支配率も劣っていたチームが勝った、なんてことが起こるのがスポーツのおもしろさですからね。

非常に「クレバー」なやり方で、体格で劣る日本人が国際大会で成功を収めるためにはこの方法しかないとさえ思います。

「リオデジャネイロ・オリンピック男女総合」というひとつの競技だと考えたときに、まちがいなく日本は成功したといっていいと思います。

団体競技や勝ち目の薄い競技など、「費用対効果の悪い競技を国として切り捨てたことは成功だった」ということはもっと喧伝されてもいいと思いますよ!

もちろん皮肉込みで言ってますよ!

2016年9月15日木曜日

【エッセイ】強烈な好意

中国にいたとき、とあるパーティーに参加して話してたら

「なんだ日本人は嫌なやつだと思ってたけど、話してみたら日本人っていいやつじゃないか。日本人最高!」

って流れになって、

「日本人最高!」「日本人最高!」
の大合唱が起こった。

はじめはうれしかったんだけど、

あまりに周りの中国人が熱狂的なので、
だんだん
「ここで水を差すようなことを言ったら殺されるんじゃないだろうか」
と怖くなってきた。

強烈な好意は、あからさまな敵意と同じくらい怖い。
ということを学んだ夜でした。

2016年9月13日火曜日

【読書感想文】曽根 圭介 『鼻』

曽根 圭介『鼻』

内容(「BOOK」データベースより)
人間たちは、テングとブタに二分されている。鼻を持つテングはブタに迫害され、殺され続けている。外科医の「私」は、テングたちを救うべく、違法とされるブタへの転換手術を決意する。一方、自己臭症に悩む刑事の「俺」は、二人の少女の行方不明事件を捜査している。そのさなか、因縁の男と再会することになるが…。日本ホラー小説大賞短編賞受賞作「鼻」他二編を収録。大型新人の才気が迸る傑作短編集。


『暴落』『受難』『鼻』の3篇からなる短篇集。

感想はこちら


【エッセイ】うちの雲孫を紹介します

子どもの子どもは孫。
孫の子は曾孫(ひまご)。
曾孫の子は玄孫(やしゃご)、その子は来孫(らいそん)、以下、昆孫(こんそん)、仍孫(じょうそん)、雲孫(うんそん)と続くらしい。

ほう……。

それ、いつ使うの……?



曾孫はわかる。

玄孫もわかる。

20歳で子どもを生んで、その子がまた20歳で子どもを生んで、その子がまた……というのをくりかえしていくと、80歳で玄孫ができる計算になる。

うん、ぜんぜんありうる。

その調子でいくと、100歳で来孫が誕生。
そして120歳で昆孫。

だいぶ厳しいが、理論上はありうる。


ここまでが、同じ時代に生きることのできる限界だ。

仍孫や雲孫には、生きて会うことは不可能だ(冷凍睡眠でもすればべつだが)。


ぜったいに会うことのない孫の孫の孫の孫のことを話題にする機会があるでしょうか?

いや、ない。

あなたはこれまでの人生において、雲孫のことを考えたことがあっただろうか?

「おれの雲孫、どんな顔してんだろ? おれに似てんのかな?」
とか考えたことがあっただろうか?

ないだろう。

考えるまでもない。
雲孫はあなたの顔にはぜんぜん似ていない。
だって256分の1しかあなたの血をひいてないんだもの。

256分の1というと、日本全体の面積に占める、栃木県日光市の割合ぐらいだ。
日本と日光市、ぜんぜん似てない。
似ざる、言わざる、聞かざるだ。




断言してもいい。
仍孫とか雲孫なんて言葉、誰も使わない。

ぼくらに残された時間にはかぎりがある。
存在するかどうかもわからない子孫のことを考えるひまがあるなら、今、周囲にいる人たちに気を配ってあげてほしい。

これはとても大事なことだから、このことは雲孫の代まで語り継いでいきたいと思う。


2016年9月9日金曜日

【エッセイ】年齢をnとすると、10の(n/10-1)乗× 1万円

「20歳のときに10万円使わないとできない経験は、30歳になると100万円使わないと体験できなくなる」

という意見を聞いた。

なるほど、たしかにそういう面もあるだろうな。
30代になったぼくも、そう思う。

学生時代なら10万円出せば1週間海外旅行ができるが、社会人になると仕事を休んだり(場合によっては辞めたり)、休んだ分の埋め合わせをしたりしないといけないので、金額に換算すると10万円ではきかなくなる。

20歳のときに1日寝たらとれた疲れは、30歳になると1週間とれなくなったりするしね。


でも、だから20代のうちに貯金をせずにどんどんお金を使おうという考えには賛同できない。
なぜなら、
「20歳で10万円の浪費をする人間は、30歳になると100万円浪費するようになる」
からだ。

あと
「20歳にとっての10万円の借金は、30歳の100万円の借金と同じくらい、持っている資源を失わせる」
ともいえる。


ってことで何が言いたいのかというと、使うことも大事だけど貯金も大事ですよってこと。
つまんない結論ですけど。

2016年9月7日水曜日

【エッセイ】狂牛病から15年

若い人は知らないだろうが、2001年に、狂牛病(BSE)騒動というのがあった。
狂牛病という脳がスポンジ状になる病気が見つかり、牛肉を食べると人間も狂牛病に感染するおそれがあるという噂が流れ、牛肉がぜんぜん売れなくなったのだ。
そのあおりで潰れた焼肉屋も多かったと聞いた。

参考→Wikipedia


その頃、ニュースなんかで
「狂牛病は食中毒とはちがうので、食べてすぐに発症したりしない。10年後、15年後に脳がスポンジ状になってしまうのだ」
といった解説がなされていた。

感染してもすぐには気づかないこと、

脳がスポンジ状になってしまうという症状、

そして「狂牛病」というおどろおどろしい名前、

すべてが恐ろしかった(「狂牛病」というネーミングでなければ、あそこまでおおごとにならなかったと思う)。


で、あれから15年後。
狂牛病にかかったという人の話は聞いたことがない。


そして今、ぼくは思う。

 あの騒ぎはなんだったのか、と。


そして、こうも思う。

 脳がスポンジ状になったら知識の吸収力がものすごく向上しそうだな、とも。

2016年9月6日火曜日

【エッセイ】足りない分を君に贈る

妻と娘(3歳)と、3人で夕食。

食卓にはトウモロコシが2切れあった。

すると3歳児が言った。
「あれー。3にんいるのに、トウモロコシ2こしかないねー。1こ、どっかにいったのかなー」


おお。
もう引き算の概念を理解しているのか! うちの子は天才だ!


と思っていたら、続けていわく、
「おとうちゃんのトウモロコシはどこいったんかなー」


足りない分=おとうちゃんの分 って決めるなよ!!

2016年9月5日月曜日

【エッセイ】こつこつ地道に2億円

振り込め詐欺メールが届いた。

期日までに指定の金額を振り込まないと裁判するぞ、というよくある詐欺メールだ。

でも、よく見ると……




200,000,000円……!
指定された振り込み金額が2億円!!

無理だー。
用意できねー!

そもそも2億円って振り込める金額なのか?
ATMのお金入れるところに2億円入るのか?

もし信じこんだとしても断念する金額だろ、これは。


ものすごく騙されやすい大富豪しかひっかからないだろー。

この詐欺メール送ったやつ、大穴を狙いすぎ!

もっとこつこつ地道に詐欺やりなさい!

2016年9月4日日曜日

【読書感想文】奥田 英朗『用もないのに』

奥田 英朗『用もないのに』

内容(「BOOK」データベースより)職業:小説家。年齢:とりあえず中年。じきに五十路の身である。〆切のある旅なんて真っ平御晩。自慢じゃないが、おやじの腰は重いのである。と、胸を張ったはどこへやら。編集者の甘言につられて、北京、NY、あっちこっちの野球場、果てはお遍路まで…。人気作家がしぶしぶ物した、脱力紀行エッセイ集。

奥田英朗さんの書く文章は軽妙でテンポよく読めるので、紀行エッセイに向いていますね。
紀行文ってどうしても説明が多くなってしまうので、堅い文章だとほんとうに読むのがつらくなってしまうので。

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