2016年6月4日土曜日

【読書感想文】貴志 祐介 『悪の教典』

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貴志 祐介 『悪の教典』


内容(「BOOK」データベースより)

晨光学院町田高校の英語教師、蓮実聖司はルックスの良さと爽やかな弁舌で、生徒はもちろん、同僚やPTAをも虜にしていた。 しかし彼は、邪魔者は躊躇いなく排除する共感性欠如の殺人鬼だった。学校という性善説に基づくシステムに、サイコパスが紛れこんだとき―。ピカレスクロマンの輝きを秘めた戦慄のサイコホラー傑作。


けっこうぶあつい本なのですが、一気に読みました。
圧倒的な筆力。特に中盤の「これからすごく悪いことが起こりそうな不穏な雰囲気」はただならぬものはありましたね。


ピカレスク小説(悪人を主人公にした小説)というのはすごく難しいと思います。
悪役を魅力的に描くためには、相当な説得力が必要です。
いきあたりばったりに悪いことをしているヤツなんてただのチンピラですから。
「道徳的に正しくないのに読者に納得させる論理」が必要になるわけですから、善人や凡人を主人公にするよりずっと困難です。

ぼくが知っているかぎりで成功しているピカレスクものといえば、小説ではありませんが、手塚治虫『MW(ムウ)』ぐらいでしょうか。
手塚治虫クラスでないと描けない、それぐらいピカレスクものは難しいのでしょう。


『悪の教典』の著者、貴志祐介は『青の炎』という傑作小説も書いています。
これも、殺人事件の犯人を主人公にしています。
ただ『青の炎』の主人公は、殺人を犯して隠蔽工作をおこなうものの、悪人ではありません。
殺人は妹を守るためだし、殺される人物は十二分に憎らしい人間として描かれています。
いってみれば、「正義のために殺人をしなければならなかった同情すべき善良な市民の葛藤」を描いた物語でした。


ところが『悪の教典』の主人公である蓮見という教師には、一切の同情の余地がありません(大きく共感できるとしたらあなたはかなりあぶないね)。
徹頭徹尾、己の欲望のために他人の人格や命を蹂躙する。さらにそこには一片の躊躇がない。
「自分より人気があるのが妬ましいから殺そう」と考えるぐらい、犯罪行為に対するためらいというものがありません。

犯罪を思いとどまる理由は「捕まったら困る」だけです。それも、ぼくらが「夜遅くまで遊んでいたいけど明日起きられなかったら困る」と思うぐらいのライトな感覚です。


こう書くとどうしようもないクズ人間に思えますが、蓮見という人物はきわめて魅力的です。
知性が高く、ユーモアの精神もあり、同僚や上司からの信頼も篤く、生徒から慕われている、理想的ともいえる教師です。ただ自分に都合の悪い人物を殺してしまうだけ(だけっていえるようなこともないですが)。



 以前に『良心をもたない人たち』という本を読んだことがあります。アメリカの臨床心理学者がサイコパスについて解説した本です。
何人かにひとりの割合で、他人の感情がまったく理解できない人、他人を傷つけてもまったく心が痛まない人(サイコパス)がいるそうです。
たいていは社会不適合者として生きていくことになるのですが、中には知能の高いサイコパスもいて、その場合は「他人の感情を理解できるふり」を学習によって身につけることができるため、うまく社会に溶け込むことができるようになるのだとか。
周りになじめるどころか、そうした人は目的のためなら他の人が躊躇するような手段も平気でとれるため、経営者やチームのボスとして成功することが多いのです。知能も高いわけですし。

ほとんどの社会制度は、「たいした理由もなく他人に危害を加える人間はいないだろう」という前提で設計されています。だから、他人を平気で傷つけられる人間にとっては抜け穴だらけの制度になるわけです。



法に触れなければ(というより自分が逮捕されなければ)何をしてもいいという考えを持っている知能の高いサイコパスから攻撃対象にされた場合は、とことんえげつない攻撃を食らうことになり、まずふつうの人は太刀打ちできずに精神などをやられてしまいます。
知能の高いサイコパスへの対処法は、ほぼ「極力かかわらないようにする」という選択しかないのです。
たとえば知能の高いサイコパスが同じ会社にいて攻撃してくる場合は、誰かに助けを求めたり上司に解決を依頼したりしても無駄です。サイコパスはターゲット以外の前では善良な人間のふるまいをすることができるので。「被害者が会社を辞める」ということが唯一の解決手段です。


そんな、きわめて知能の高いサイコパスが教師になったら......。
それが『悪の教典』の物語です。


ほんとに背筋がぞっとするような後味の悪いストーリーが延々と続きます。
まさに「悪魔」と呼ぶにふさわしい所業です。
読んでいてすかっとするような描写は皆無です。
なのにページをめくる手が止まらない。嫌な思いをすることがわかっているのに読んでしまう。
これは貴志祐介という作家の筆力の高さによるものですね。

いや、ほんと後味が悪かった。
エンタテインメントとしての完成度が高すぎて、あまり他人には進められない本です。



ちょっと残念だったのは、上巻と下巻で大きくテイストが変わったこと。
上巻は「静かにじわじわとせまりくる恐怖」をうまく描いた上質なホラーだったのに、下巻では派手なサスペンスアクションになります。
ぼくは上巻のほうが不気味で好きでした。
どっちがいいというのは好みの問題だとは思うのですが、上巻が好きな人には途中から丁寧な話運びが失われるような気がするし、下巻のテイストが好きな人にとっては、上巻は退屈なんじゃないかと思うんだよなあ。
いっそべつの物語にしたほうがよかったんじゃないかと思うぐらい。

ただ、下巻のラストに関しては再び「じわじわとせまりくる恐怖」を表現しているので、いい終わりかたでした。
あっ、いい終わりかたってのは後味の悪い終わりかたって意味ね。


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