2017年11月30日木曜日

ふわふわした作品集/『文学ムック たべるのがおそい vol.1』【読書感想】


『文学ムック たべるのがおそい vol.1』

西崎 憲 (編集)


【執筆陣】
<巻頭エッセイ>
「文と場所/夢の中の町」 穂村 弘 
<創作>
「あひる」 今村 夏子 
「バベル・タワー」 円城 塔 
「日本のランチあるいは田舎の魔女」 西崎 憲 
「静かな夜」 藤野 可織
<翻訳>
「再開」 ケリー・ルース 岸本 佐知子・訳 
「コーリング・ユー」 イ・シンジョ 和田 景子・訳
<短歌>
「はばたく、まばたく」 大森 静佳
「桃カルピスと砂肝」 木下 龍也
「ひきのばされた時間の将棋」 堂園 昌彦
「ルカ」 服部 真里子
「東京に素直」 平岡 直子
<特集 本がなければ生きていけない>
「虚構こそ、わが人生」 日下 三蔵
「Dead or alive?」 佐藤 弓生
「楽園」 瀧井 朝世
「ただ本がない生活は想像のむこう側にも思い浮かばず」 米光 一成
穂村弘、岸本佐知子という「ぼくの好きな変な文章を書く人」の両巨頭が執筆陣に名を連ねているのを見て(岸本さんは翻訳だけど)購入。

小説、短歌、翻訳小説、エッセイから成るムックなんだけど、なんだかふわふわした作品が並んでいるという印象だった。夢を見ているみたいというか。
ぼくは地に足のついた物語のほうが好きなので正直あまり性に合わなかったな……。

しかし今村 夏子『あひる』と西崎 憲『日本のランチあるいは田舎の魔女』は、幻想的な雰囲気と妙なリアリティが融合していておもしろかったな。森見登美彦の描くファンタジーみたい。なさそうである、ありそうでない話。特に『日本のランチあるいは田舎の魔女』は劇団員のなんでもない日常から突然霊能力バトルになって意表を突かれた。どんな展開だと思ったが不自然ではなく、これは表現力のなせる業なんだろうなあ。


米光 一成『ただ本がない生活は想像のむこう側にも思い浮かばず』に出てくる一節。

 人にあげたり、処分したとたんに、必要になる(気がする)。名著は手に入りやすいが、トンデモな本(ありがとうの重要さを説くため何十ページもありがとうと繰り返し印刷されてる本や、短歌で綴った聖書や、とんでもない誤植がある本など)は、これを手放したら二度と手に入らないという恐怖のために手放せず、名著を評判の高いものばかり手放してしまう(「バカの棚になる」と読んでいる法則である)。

これ、本コレクターとしてはわかるなあ。
電子書籍のおかげでそんなことなくなったけど、基本的に本って一期一会だからねえ。不人気な本ほど二度と手に入らないからなかなか手放せないんだよねえ。
ぼくの本棚もバカの棚になってるなあ。まあバカな本ばかり買ってるからかもしれんけど。


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2017年11月29日水曜日

つくり笑いの教え方


つくり笑いがへただ。
ここはうそでも笑っといたほうがいいと頭ではわかっているのに、どうもうまく笑えない。


冗談というのは必ずしもおもしろくなくてもいい。場を和ますためにたいしておもしろくない冗談を言うことが必要なときもある。それは理解している。そして、おもしろくない冗談を言った人に対してはつくり笑いで返してやるのが人間関係をスムーズにする潤滑油であることも。
でもとっさに笑顔が出ない。ひと呼吸おいて「あっこれ笑ったほうがいい状況だ」と考えて、それからようやくひきつったように口の端を持ちあげる。せっかく和みかけた場が、ぼくのへたなつくり笑いのせいでまたぎくしゃくしてしまう(ように感じる)。

我ながら愛想がないなあと思う。でも世の中の人だってほとんどがはじめからできていたわけじゃないだろう。ひたすら慣れるしかないのだろうな。
体育会系の先輩のギャグを見せられたり、上司と酒を飲みにいって冗談を傾聴したり、そうしたことの積み重ねでつくり笑いはうまくなっていくのだろう。ずっとそういう場から逃げてきたぼくがうまくつくり笑いをできないのは当然のことなのだ。

中島みゆきの『ルージュ』という曲にこんな歌詞がある。
つくり笑いが うまくなりました
世渡りがうまくなった自分を悲観的にうたっている歌だ。ぼくも二十歳くらいのときはこの歌を聴いて「ああ世間ずれしてしまうって悲しいなあ」と思っていた。そしてそんな自分が好きだった。
でも三十を過ぎた今、「つくり笑いがうまくなるのって悲しいことじゃなくてむしろ喜ばしいことだ」と思う。
つくり笑いがうまいほうがぜったい得だし、周りを幸せにするし、自分自身もハッピーになる。

だからわが子に対して「つくり笑いが上手な人になってほしい」と望んでいる。
でもつくり笑いを上手にするのってどうやって教育したらいいんだろうね。
だじゃれを連発する父親になるとか? でも父親相手にはつくり笑いなんてしてくれないだろうしね。家庭でつくり笑いを教えるのは無理なのかな。


2017年11月28日火曜日

偏差値三十の靴


女の人は男の靴を見るっていうじゃない。
服は少々無理をしていいものを着れるけど、靴にはほんとの余裕が出るって。
だから男の価値は靴で決まるって。

やめてくれ。見ないでくれ。
自慢じゃないがぼくの靴はへろへろだ。たぶん歩き方がヘンなんだと思う。すぐに足の甲のところに線が入る。磨くことはないからすりきれて黒い靴が白っぽくなってる。靴ベラを使わずに足をつっこむからかかとのところがふにゃふにゃになってる。結び目もヘンだ。
偏差値三十の靴だ。ここからの第一志望合格は厳しそうだ。


まあ見るのは勝手だけどさ。でもそれを公言しないでくれ。「女は男の靴を見るのよ。だからいい靴履きなさい。毎日磨きなさい。靴にはそれはそれはきれいな女神さまがおるんやで」ってプレッシャーをかけるのはやめてくれ。そっと見るだけにしてくれ。

男は女の胸元を見るとき、こそっと見る。見ていないような顔をしてちらっと見る。ましてそれを公言したりしない。口が裂けても「女の価値は胸で決まる」なんて言ったりしない。
なのに女は「女子はけっこう男性の靴を見てるよ」と堂々と言っちゃう。セクハラだ。エッチ。

これ以上女性が男の靴についてとやかく言うのならぼくだって……いや、これ以上はほんとのセクハラになるのでやめとこう。


2017年11月27日月曜日

血圧計がこわい


血圧計がこわい。
ポンプでしゅっしゅっってやる手動のやつじゃなくて、機械の筒の中に腕を入れて自動的に測定されるタイプの血圧計。

怖くないですか。あの腕をぎゅーっと締めつけてくるロボ。
もちろんこっちも「締めつけられるぞ」と覚悟して血圧計に対峙するんですけど、「これぐらいの強さで締めつけてくるだろうな」という想定の五割増ぐらいの力で締めつけてくる。毎回。毎回五割増。「五割増でくるぞ」と身構えているのに、さらにその五割増で締めつけてくる。

あんなに強く締める必要ある?
体温計を見てみなさいよ、腋の下にはさむだけ。つかずはなれずの適切な距離を保っている。
ところが血圧計は想定の五割増でぎゅーっですよ。アメリカ人の握手かってぐらいの強さ。いやアメリカ人にだってあの強さで握ったらファックとか言われちゃうよ。

隙あらばこっちの腕を砕いてやろう、みたいな意思を感じる。ほんとほんと。
医者とか看護師とかが近くにいるときはおとなしくしてるけど、もしも密室で血圧計と一対一だったらあいつは何してくるかわからない。そんな怖さがあるよね。
想像してみて。二畳ぐらいの狭い部屋。窓はない。扉は閉まっている。壁はぶあつくて、こちらの声は外に漏れない。その部屋の真ん中に血圧計が置いてあるの。あなたはそこに手を入れる勇気はある? ぼくはぜったい無理。


病院って命の危険と隣り合わせじゃないですか。
だからぼくは、いろんな検査を受けながら危険を回避するための脳内シミュレーションをおこなっている。
たとえば点滴を受けているあいだ。地震が起こったらどうしようか、と考える。初期振動を感じたら、あいているほうの手で管をつかみ、一気に引き抜く。多少の出血はあるかもしれないが、空気が血管に入るような事態よりはマシだろう。
たとえば採血。この看護師が急に注射器で血管に空気を送りこんできたらどうしようか、と考える。あいているほうの手で腕の根元を抑え、すかさず立ち上がって右足で注射器を蹴りあげ、大声を上げて出口に向かって走る。
万が一の事態にもすぐ対応できるように、ずっとそんなシミュレーションをしている。採血中に鏡で自分の顔を見たことはないが、きっと鬼のような形相で顔で看護師さんをにらみつけていることだろう。

ところが血圧計だけはどうシミュレーションをしても助かる道がない。
もしもこのロボが狂ってすごい力でぼくの左腕を砕きにきたら。
この力でがっちり抑えられたら、ほとんど身体を動かせないに違いない。できることといえば電源プラグをコンセントから引っこ抜くことぐらいだろうが、この位置からはコードに手を伸ばせない。こいつらが叛逆を起こせば、生身の人間に太刀打ちできる術はないのだ。

血圧計の前で人は無力だ。だからせめてぼくの番のときに叛逆を起こさないように、小声で「かっこいい機械ですね」とつぶやいて血圧計様のご機嫌をとることぐらいしかぼくにはできない。


2017年11月25日土曜日

引越バイトの六日間



大学時代、引越屋のバイトをしたことがある。
三月の繁忙期。引越バイトをしていた友人が「とにかく人が足りないから二足歩行できるやつなら誰でもいいから連れてこい!」と言われ、ぼくにもお声がかかった。

友人は高校時代はサッカー部に所属し、大学ではボクシング部(ところでボクシング部ってなんでウインドブレーカーの背中に『拳闘部』って書くんだろうね。ダサいよね)。筋肉質な体つきだった。
一方のぼくは高校では野外観察同好会で大学は持久走同好会。筋肉とは無縁の同好会員に肉体労働が務まるかなと一抹の不安もおぼえたが「日給一万五千円超えるで。一週間だけでいいし」という甘い言葉に乗せられて、バイトをやることにした。その言葉が地獄への片道切符だとそのときは知るよしもなかった(ちゃんと帰還してるけど)。

「まあ若いからなんとかなるか」というぼくの見通しは、「ユーチューバーになって楽しく生きていく」ぐらい甘い考えだったことをバイト初日の午前中に思い知らされた。
朝六時に起きて自転車で一時間かけて集合場所へ。その時点でこっちは「いやー今日はがんばったなー」ぐらいの気持ちになってるのに、なんと仕事はまだ始まってもいないのだ。あたりまえだが。

トラックに乗せられて七時半から作業をしたのだが、なんと最初の休憩が午後三時。その間、お茶を飲む時間すら与えられなかった。休憩なしで七時間半の肉体労働。ぎゃあ。思いだしただけで変な声が出た。
重い荷物を抱えて走りまわっているので汗びっしょり。のどが渇いた。他のバイトを見るとみんなペットボトルを持参しているのだが、バイト初日のぼくは何も用意していない。出たよ新人への洗礼。
休憩なしで走りまわっている人たちに「ちょっとジュース買ってきていいっスか」とは言うことができずに「すみません、トイレに行きたいんですけど……」と嘘をついて新築マンションのトイレを貸してもらった。水洗トイレを流すと手洗い場から水が出る。それを飲もうと思いついたのだ。
ところが新築なので水道が通ったばかりらしく、石灰の混じった白濁した水が出てきた。おいどこまで試練をお与えになるんですかと遠藤周作『沈黙』ばりに神に問いかけたのだが、神はただ沈黙するばかり。しかたないのでトイレの白濁水を飲んだ。なんだこの仕打ちは。捕虜か。

本気で脱走も考えはじめた午後三時、ようやく引越作業が終わり、昼飯となった。お茶もおにぎりもめちゃくちゃうまかった。
はあたいへんだったと安堵していたのだが、甘かった。ようやく一軒目が終わったに過ぎなかったのだ。
その日は三軒の引越を担当した。すべて終わったのは午後九時。社員の人が「だいたいカタがついたからバイトは帰ってもいいぞ」と言い残して次の引越先に向かっていった。フルマラソンを走った後に「この後フットサルやるけど来る?」と言われるようなものだ。引越会社の社員とはなんという体力の持ち主なのだろうと恐怖すら感じた。
疲れたが家まではまた自転車で一時間走らねばならない。「うわああああああ」と大声を出しながら帰った。なんで世の中のやつはこんなに引越するんだよ、と日本国憲法に定められた居住移転の自由を恨んだ。

家に帰り、こんな生活があと六日もあるのかと絶望を感じるひまもなくあっという間に眠りについた。いろんな夢を見た。たぶん肉体が疲れすぎていてレム睡眠百パーセントだったのだと思う。


運が良かったのか悪かったのか、一日目がいちばんきつい現場だった。
二日目以降はは一日に三軒の引越を担当することもなかったし、七時間半休憩なしという現場も最初だけだった。なぜいちばんきつい現場にド新人を割り当てるのか。洗礼か。
また、慣れてくるにつれて力の入れ方のコツをつかんで、ベルトに荷物を乗せてだいぶ楽に運べるようになった。初日は軍手だったのだがゴム手袋をするようにしたらぐっと楽になった。
大きなミスといえば六人がかりでピアノを運んでいる最中に指がすべって「あああぁぁムリです!」と叫んでピアノを落としかけてこっぴどく怒られたぐらいで、それなりに充実感も味わえるようになってきた。

ぼくがいちばん嫌だった仕事は、エレベーターのないマンションの三階まで書籍がたっぷり詰まった段ボールを運ぶことでもなく(あらゆる荷物の中で書籍がいちばん密度が高い)、ピアノが廊下を通らないからワイヤーで吊りあげて窓から入れる作業でもなく、トラックの誘導だった。バックするトラックの背後にまわって「オーライ!オーライ!」と叫ぶあれである。

「おまえ誘導やれ」といきなり指名されたときは面食らった。単身者の引越で荷物が少ないため、社員ひとりとぼくひとりという現場だったのだ。
ぼくは二年前に普通運転免許をとっただけのペーパードライバーで、もちろん誘導なんて一度もやったことがない。
「えっでも……」という間もなく、社員のおっちゃんはトラックの運転席に乗りこんでバックをはじめた。いやちょっと待てよと思いながら一応「オーライ、オーライ……」と言うと、運転席から「ぜんぜん聞こえねえぞ!!」とキャッチャーが外野手に声をかけるときぐらいの大声がとんできた。これだから体育会系は嫌なんだよ、野外観察同好会では大声出すシチュエーションなかったんだからしょうがないじゃないかと思いながらやけくそになって「オーライ! オーライ! ストーップ!」と叫んだら、トラックから降りてきたおっちゃんに「三メートルも余裕あるじゃねえか!」と怒鳴られた。
「もう誘導なしでいいや」と言うとおっちゃんは運転席に戻り、塀の五十センチ手前でぴたりとトラックを止めた。誘導なしでできるやんけ、と思った。
「誘導なしでできる、って思ったやろ?」とトラックから降りてきたおんちゃんがにやりと笑った。「俺ぐらいになるとひとりでもできるけどな、一応後ろについて確認せなあかんルールやねん」


引越屋のバイトは六日で終わった。ほんとは七日やる予定だったが六日目の夕方に筋肉が「もう無理です」と泣きついてきたので一日早く終わりにしてもらった。筋肉と対話できたのは後にも先にもあのときだけだ。
めちゃくちゃハードな仕事で不慣れなぼくは何度も怒鳴られたが、引越屋の社員はみんないい人だった。
ただ、早朝から働いているくせに夜九時に「やっと調子出てきたな」と笑っていたり、さんざん重い荷物を運んでるくせに休憩時間にまで腕立て伏せをしていたりしてして、イカれている人がやたらと多かった。
そんなところも含めて、なかなかいい経験だったと今になって懐かしく思う。ただ、二度とやりたくはない。