2016年6月29日水曜日

【エッセイ】へばぶー

へばぶー。

うちの娘が生後9ヶ月で、まだ人間の言葉をしゃべれなかったときのこと。

「だー」とか「ばー」とかの音を発するだけで、電子レンジとかの音の鳴る機械とあまり変わりませんでした(いや電子レンジの音には「あたため完了」という意味があるのでレンジのほうが高性能ですね)。


あるとき、娘がお母さんのほうを向いて、「まーまー」と言いました。

これはオール子育て世代が必ず一度は経験するあるあるネタだと思いますが、当然ながらうちでも
「まあこの子はもう『ママ』といったわ!天才ね!」
とゲロが出るぐらい陳腐なリアクションをしました。


すると、娘はくるりと振りかえってぼくの顔をまじまじと見つめ
「へばぶー。」
と言ったのです。



その日からです。

妻がぼくのことを「へばぶー」と呼ぶようになったのは。
  
  
「へばぶー、洗濯物ほしといてー!」

自宅で言われるならまだしも、

「へばぶー、お金払っといて!」

外出先で云われることもあります。
もともと二銭五厘くらいしかなかった夫の威厳が、さらに値下がりしております。


まるで、うちの家にいそうろうさせてもらっている「へばぶー」という名の変な怪獣みたいな扱いです。
珍獣へばぶーと子どものふれあいを題材にえほんが1冊書けそうです。


あれから2年ほどたちましたが、いまだに我が家でのぼくの扱いは「へばぶー」です。
もう娘ははっきりと「おとうさん」としゃべれるのですが、ときどきお母さんの真似をして「へばぶー」と言います。


このままだと娘がいずれ結婚するときに、
「おかあさん、へばぶー、今までほんとうに……」
みたいな手紙を読んで、いちばん泣けるくだりが台無しになりそうです。


どうすればよいのでしょうか。
へばぶー、困ってます。



2016年6月28日火曜日

【エッセイ】悲惨な歴史を語り継ぐ

ぼくが中学生のころは、携帯電話なんて誰も持っていなかった。
中学生はもちろん、大人でもほとんど持っていない時代だった。

だから同級生の女の子の家に電話をかけるのはほんとに緊張した。

電話をかけると、たいていはその子のお母さんが出る。
「○○子さんいますか」
というのがまず恥ずかしかった。

ふだんは苗字で呼んでいるものだから、『女子を下の名前で呼ぶ』ということだけで恥ずかしくてたまらなかった。

「ごめんね、○○子は今お風呂に入ってて......」
と言われたりすると、さらに恥ずかしくなった。
 同級生のあの子が今お風呂に......と思うと、あらぬ想像をして顔が真っ赤になった。

たまに、お父さんが電話に出ることもあった。
さすがに「うちの娘にどのような用かね」と詰問されるようなことはなかったが、それでもびくびくした。

思わず何も言わずに受話器を置いてしまったこともあった(発信者の番号が相手に表示されない時代だったからこそできたことだ)。


たった一本の電話をするだけですごく緊張した。
携帯電話のように「今何してるー?」ぐらいの軽いノリで電話をかけられるような時代じゃなかった。
無理矢理にでも用事を作って、電話をしていた。

もしあのとき携帯電話があれば、ぼくでも女の子と気軽に電話やLINEのやりとりができただろう。
そうすれば、ひょっとすると彼女ができて、それはそれは楽しい学生生活を送ることができたんじゃないだろうか。

あれは携帯電話がないゆえの悲劇だった。
そして、今の若い人たちは、あたりまえのように携帯電話とともに学生生活を送っている。
携帯電話のない学生生活を送った世代は、三十代中盤のぼくの世代が最後だろう。



ぼくが九十歳くらいまで長生きしたら。
語り部として、携帯電話がなかったことの悲惨さを若い人たちに伝えていかなければならない。
各地の中学校をまわって、講演をしなければならない。
それが、学生時代に彼女のいなかったぼくに課せられた使命なのだと思う。



2016年6月27日月曜日

【読書感想文】テランス・ディックス 『とびきり陽気なヨーロッパ史』

テランス・ディックス『とびきり陽気なヨーロッパ史』

内容紹介(裏表紙より)
この1冊でヨーロッパがわかる!......かな?
EUも結成されたことだし、ここらでお隣の国々のことを知っておこう、と各々にヘンで面白い歴史をわかりやすくまとめたわけだけど、そこは皮肉なイギリス人のこと、一筋縄じゃいきません。ユーモアたっぷりにコキおろしながら、思いやりもほの見えたり。過激なイラストがこれまた、笑えます。

イギリス人ノンフィクションライターが書いたヨーロッパ史。
原著が出版されたのが1991年。
ベルリンの壁崩壊が1989年、欧州連合条約(EUの成立を定めた条約)が調印されたのが1992年なので、まさに「今からEUをつくってヨーロッパがひとつになるんだ!」という時期に書かれた本です。

なので全体的に「ヨーロッパもいろいろあったけど、これからはひとつになって仲良くなっていこうね!」というテイストで書かれています。

25年後たって、EUがバラバラになろうとしている(しかも当のイギリスがまっさきに離脱することになった)この時期に読むと、もの悲しくなってしまいます。
「この頃は希望に満ちあふれていたのにどこでどうまちがってしまったんだろう......」と、離婚前夜に結婚式の写真を見ているような気分になります。まだ離婚したことないけど。


中立公平な立場から書いているわけではなく、「イギリス人から見たヨーロッパ史」なので、かえって新鮮でおもしろいです。
(紹介されているのはEU発足時加盟国のうち、自国イギリスを除いた12国です)
イギリス人からはヨーロッパってこう見えるんだ、と(あくまで、いちイギリス人の意見んですけど)。
イギリスとの長い確執を持つアイルランドにたっぷりページを割いている一方で、ドイツはここ3世紀くらいの歴史しか語られていなかったり(それまでドイツという国がなかったのでしかたないところもありますが)。


日本人がヨーロッパを語るとしたら、長い歴史を持つギリシャやイタリア(ローマ帝国)か、大国であるイギリスやフランスからはじめると思うのですが、第1章がベルギー、第2章がデンマークというのもおもしろい。
でもよく読むと、ベルギーやデンマークというのは実にヨーロッパらしい歴史を持っている国なのです。
ずっと周囲の国との争いに翻弄され、第二次世界大戦ではナチス・ドイツに占領され、冷戦時は米ソ対立に巻き込まれるという、気の毒な歴史。

ヨーロッパの中央にあるがゆえにこんな運命をたどってしまうのですね。
ヨーロッパの国々は地続きでいろんな外国に旅行できていいなあ、とのんきなことを考えていたのですが、とんでもない。
かんたんに攻めこまれるということですからね。
島国である日本の何倍も、防衛戦略も外交も難しいんでしょう。


逆にいうと、こうしたベルギーやデンマーク、それからオランダやルクセンブルクのような小国がしょっちゅう攻めこまれたという歴史があったからこそ、数多の苦難を乗り越えてヨーロッパ連合が誕生したんでしょうね。
連合を組まないと大国には太刀打ちできないですもんね(その中にあってEUに加盟せずに孤高を貫くスイスも、それはそれですごいですけど)。


ぼくは学生時代に世界史をちゃんと勉強していなかったのですが、今ちゃんと歴史をひもといてみると、ヨーロッパ史ってほんと血みどろの歴史ですよね。
常にどこかで血が流れてるんじゃないかって思うぐらい。
冷戦後やっと「さほど緊張が走っていない平和なヨーロッパ」が訪れましたが、それ以前は千数百年前のローマ帝国時代にまでさかのぼらないと、平和な時代ってないですもんね。

最後に、この本に出てくる、役に立つ法則を紹介します。

 ここで独裁者と世界征服を企てる人のために二つの重要な法則をご紹介しよう。

  一、イギリスをただちに侵略せよ。決してあと回しにするな。
  二、どんなことがあろうとも、決してロシアを侵略するな。


ナポレオンとヒトラーはこの法則を破って身の破滅を招いています。
どうかみなさんもご参考にしてください。


2016年6月24日金曜日

【読書感想文】 ジョージ・フリードマン『続・100年予測』

『続・100年予測』

ジョージ・フリードマン

内容(「BOOK」データベースより)
金融危機以降、国家間のパワーバランスは劇的に変化したか?アメリカとイランがついに和解?日本は軍事力を強化するか?地政 学が導く世界の行く末とは…。「影のCIA」の異名をもつ情報機関ストラトフォーを率いる著者の『100年予測』は、クリミア危機を的中させ話題沸騰!続 篇の本書では2010年代を軸に、より具体的な未来を描く。3・11後の日本に寄せた特別エッセイ収録。

はじめにことわっておかないといけないのが、タイトルが大嘘だということ。

よく売れた『100年予測』の次に書かれた本なので『続』というタイトルにしたんだろうけど、ぜんぜん続編じゃない。
『100年予測』とはほとんど関係がないし、この本では今後10年間のことしかふれられていない。
ちなみに原題は『THE NEXT DECADE(次の10年)』。
また単行本では『激動予測:「影のCIA」が明かす近未来パワーバランス』という内容を正確に言い表すタイトルだったので、文庫化するときにわざわざひどい題をつけたようだ。

これはハヤカワ書店が金儲けのことしか考えなかったせいだろう。

さらにハヤカワ書店はこりずに、この次に書かれた本を『新・100年予測』として出版したそうだ。
その本は未読だけが(もう買う気もない)、聞いたところでは予測ですらなく、過去の話がほとんどだとか。
ちょっとひどすぎるね。
タイトルも作品の一部だから、あまりにでたらめな邦題はつけないでいただきたい。こういうことやってると読者を失うよ。


とまあ、タイトルは最低ですが、本の内容はいいものでした。
ただ『100年予測』があまりにおもしろかったので、それと比べるとちょっと期待はずれかな。

ジョージ・フリードマンはアメリカの地政学者。
地政学とは聞き慣れない学問かもしれないが、地形から政治や軍事をとらえる学問。

『100年予測』にはこんな言葉が出てきた。

われわれはいつの時代にどの場所に暮らすかによって、行動を厳しく制約される。そしてわれわれが実際に取る行動は、思いがけない結果を招くのである。

歴史を動かすのは、個人の仕事ではなく地理だという考え方だね。
ジョージ・フリードマンによれば、アメリカが世界の覇権を握ったのも、ソ連が崩壊したのも、地形が決めたこと。

歴史ドラマが好きな人にとっては受け入れがたい考え方かもしれない。
坂本龍馬やナポレオンがいてもいなくても(長期的視野で見ると)大差なかった、ということになるとドラマ性がなくなっちゃうもんね。
地政学の考え方を認めたがらない人が少なくないことも、理解はできる。


でも、たとえば1962年に起こった「キューバ危機」。
キューバへの核弾頭配置をめぐってあわや第三次世界大戦が起こるのではないかという一触即発の事態になった事件。
これはまちがいなく、キューバの位置がアメリカの大西洋進出を妨げる絶妙な位置に存在しているからこそ起こった事件だった。
ぜんぜん違う場所にあったら、キューバのような小国が原因で世界大戦が起こりかけることはありえない。

そういえば第一次世界大戦勃発のきっかけも、オーストリアの皇太子が暗殺されたことだった。
オーストリアも大国ではないが、地理的に重要なポジションを占めていたがゆえに世界大戦につながったんだろうね。


2009年に日本語訳が出版された『100年予測』によれば、今後100年で日本はトルコと組んでアメリカと敵対し、21世紀後半にはメキシコが台頭してアメリカと衝突するという予測が書かれていた。
にわかには信じられないことだけど、根拠を読めば「なるほど、ありえなくもないな」と思わされる(根拠が気になる方はぜひ読んで)。

一方、『THE NEXT DECADE』(邦題がひどいので原題で書く)には奇抜な予想は書かれていない。
どうすればアメリカの国益を最大化できるかという視点に基づいて、世界各地でのアメリカの振る舞い方が示されている。

フリードマンによれば、アメリカがとるべき戦略はシンプル。

一.世界や諸地域で可能なかぎり勢力均衡を図ることで、それぞれの勢力を疲弊させ、アメリカから脅威をそらす

二.新たな同盟関係を利用して、対決や紛争の負担を主に他国に担わせ、その見返りに経済的利益や軍事技術をとおして、また必要とあれば軍事介入を約束して、他国を支援する

三.軍事介入は、勢力均衡が崩れ、同盟国が問題に対処できなくなったときにのみ、最後の手段として用いる

要するに、各地域で巨大勢力が生まれないように互いに争わせ、アメリカ自身は手を汚さないようにしましょう、というスタイルだね。言い方は悪いけど。

でも実際このとおりだとおもう。
この考え方を知っていれば、東アジアに対するアメリカのスタンスがよく理解できる。

アメリカにすれば、日本と中国と韓国は互いに憎みあっているぐらいの状態が望ましい。
中国と敵対しているかぎり、日本がアメリカにたてつくようなことはまちがってもないだろうからね。逆に、日中が仲良くなればアメリカにとって経済的にも軍事的にもたいへんな脅威になる。
だからドンパチやらない程度に仲が悪くなっていてほしい。

アメリカは日本の味方もしないし韓国の肩も持たない。
北朝鮮がアメリカに攻撃をしかけてくるのは困るけど、北朝鮮が日本や韓国と険悪な状況にあるのは好ましい。
アメリカにとっていちばん困るのは、日本と中国と韓国(と北朝鮮)が結託して、東アジア連合を作られること。

……ってな具合に、地政学がわかると世界情勢がよくわかるし、将来の予想も立てやすくなる。

「物理的な位置が国家間の関わり方を決める」というのが地政学の考え方だけど、これって国家の話だけじゃないよね。

個人の行動や人間関係も、地理によって大きく影響を受ける。

学生時代、ぜんぜん意識していなかった異性なのに、席替えで隣の席になったとたんに急に気になって……なんて経験、ない?
小学生のときによく遊んだのは家が近い子だったんじゃない?
これは大人になってもそんなに変わらない。
職場の席が近いとか、帰る方向が一緒とか、案外そういうことで交友関係って決まってくる。

ぼくらは地理の影響を受けずには生きられない。

また、この本は組織について学ぶための教科書にもなる。
組織を効率よくコントロールしようと思ったらアメリカがとっている戦略(できるかぎり自らは介入せずにキーパーソン同士をほどよく敵対させてパワーバランスを保つ)が有効かもしれない……。

国際情勢だけでなく、いろんなことがらが読みとけるようになれる(かもしれない)本だね。


 その他の読書感想文はこちら


2016年6月22日水曜日

【エッセイ】あまちゃん帝王学

知人の六十代男性から聞いた話。

彼が高校生のとき、修学旅行で東北に行った。
そこに海女さんがいた。『あまちゃん』の舞台の地である。

そこでは、修学旅行生たちが海に向けて野球ボールを投げ、海女さんが泳いでとってくるというショー(?)がおこなわれていたのだそうだ。


えええっ。

なんというサービスだ。じぇじぇじぇ。

要は、犬の訓練でやる「とってこい」である。

「あれが修学旅行でいちばん印象に残っている思い出だなあ」と六十代男性は平然と語っていたが、そりゃ印象に残るだろう。

学生がおもしろ半分に投げたボールを追いかけて、中年の海女さんが冷たい海に飛び込む。
じつにものがなしく、そして奇妙に官能的な光景だ。

そうゆうのはオットセイとか長良川の鵜とかにやらせることだろう。



今だったら絶対に許されない。
いや、四十数年前でも道徳的にどうなんだ。
そういうショーがあることもさることながら、それを修学旅行でやらせる学校もすごい。
ときに他人に厳しく接することも大切だという教育なのか。


団塊の世代はお店の従業員に対して横柄な態度をとる人が多いが、それはこうした帝王学(?)の成果なのかもしれない。