2015年11月5日木曜日

【エッセイ】ピノを勝手に食らうな

 みなさんもご存じのとおり仕事中に食べるアイスクリームのうまさは格別だから、ぼくは会社近くのスーパーでピノを買ってきてオフィスの冷凍庫に常備している。
 仕事の合間合間に「難しい案件を処理しています」みたいな顔をつくりながら冷凍庫へと足を運び、こそこそとピノを食べるのが至福のひととき。
 ピノを食うために仕事をしているといってもいいぐらいだ。

 そんなぼくのピノが、どうも知らぬうちに減っている気がする。
 はじめは気のせいかと思ったが、明らかに減っている。
 あと10個はあったはず。
 しかし、この冷凍庫を開けるのは社内の人だけだ。
 同僚を見渡してみても、勝手に他人のピノを口に入れるような育ちの悪い人はいない。

「なんかさ、冷凍庫に入れてるピノが減ってるんだよね。怪奇現象かな」
 後輩Nに向かってつぶやいた。

  「ああそれ、おれが食ってるんすよ」

「はあ!?」

  「ピノうまいですよね」

「いや知ってるけど。ピノのうまさは誰よりもよく知ってるけど。じゃなくて、ええー!? なにおまえ、冷凍庫に入ってる誰のかわかんないピノを勝手に食べちゃうの?」

  「そんなことしませんよ」

「したじゃん」

  「誰のかわかんないのは食べませんよ。犬犬さんのってわかってたから食べたんですよ」

「あーそっかー。って、ええー!?」

  「だってちゃんとピノの箱に犬犬さんの名前書いてるじゃないですか」

「そうだよね。うん、ちゃんと名前書いてるよね」

  「だから、あー犬犬さんのなんだーって思って、それで、食べました」

「いやいや意味がわかんない。そこで『それで』って接続詞を使う意味がわかんない。『にもかかわらず』でしょ。いやそれでもどうかと思うけど」

  「だって犬犬さん、よくお菓子くれるでしょ。変なおばちゃんみたいに」

「あげてるね。変なおばちゃんは余計だけど」

  「だからこのピノも、おれにくれるために買ったんでしょ」

「はあ?」

  「だからもらってもいいかなって思ったわけです」

「……。いやね、よしんばね。よしんばおまえにあげるために買ったとしてもね。もらうのと勝手にとるのは意味合いがぜんぜん違うからね」

  「“よしんば”って何ですか」

「はぁ……。わかった、じゃあ一万歩ゆずって、勝手にとったことはいいとするわ。で、何でアーモンド味ばっかり減ってるわけ?」

  「いちばん好きなんですよ、アーモンド味」

「おれも好きなんだよ! アーモンド味を食べるために525円も出してピノバラエティパックを買ってると云ってもいいぐらいにね!」

  「気が合いますね」

「なに握手求めてきてんだよ。今のやりとりから和解にはほど遠いわ!」

  「犬犬さん」

「なんだよ!」

  「これで今日は最後にするんで、もう一個だけもらっていいすか」

「あげねーし!
 しかも今日は最後ってことは明日以降も食う気だし!
 って勝手に取っとるし!
 アーモンドだし!」

2015年11月4日水曜日

【エッセイ】交換日記と文章修行


高校生のとき、同じクラスの女の子と交換日記をしていた。
ぼくの唯一の甘酸っぱいおもいでだ。

きっかけはよく覚えていない。
なぜだかわからないけど、ぼくのところに女の子から手紙がまわってきて、ふざけた返事を書いたら、それが妙にウケた。
それからというもの、「○○先生についてどう思いますか?」とか「さっきの授業中に先生が発した□□という言葉についてどう思う?」みたいな他愛のない質問状が届くようになった。
一生懸命考えておもしろおかしく質問に答えて、別の紙にこちらからも質問を書く。

口下手なぼくは話しかけることもできず、もちろんデートに誘うこともできず、交換日記だけの関係だった。
日記といってもちゃんとした日記帳に書くわけではなく、ノートの切れ端やプリントの裏に書くだけだった。
いつしかぼくは彼女に好意を持つようになったが、告白するどころか交換日記に本心を書くこともできなかった。
交換日記は半年以上続いたが、そのうちその子に彼氏ができて終わりを告げた。



ノートの切れ端、というのが緊張感があった。
ノートの切れ端ならいつでも終わらせることができる。
つまらないことを書いたら、もう返事が来ないかもしれない。
なんとなく始まった交換日記は一度途絶えてしまったら再開するのは難しい。
そのはかなさがあったからこそ、この手紙のやりとりを終わらせないようにしよう、飽きられないようにしようと、毎回毎回手を変え品を変えて渾身の文章を書いた。
文体を変え、クイズ形式にしたり会話調にしたり。わざと核心を書かずに次回への引きを作ったり、あえて誤ったことを書いて指摘させたり。そんなテクニックも使ってたったひとりの読者を引きつけようとした。
授業中にこそこそ書く手紙なので、常に先生に見つかる危険性もはらんでいる。もし見つかって読まれてもさほど恥ずかしくない文章にするような客観的な視点も要求された。

いい経験だったと今にして思う。

ぼくは今では少し文章を書く仕事をしているが、あのときほど必死に文章修行をしたことはない。今後もないだろうな。

2015年11月3日火曜日

【エッセイ】ボルダリング殺人


ボルダリング(フリークライミングの一種)に初挑戦。
ちょろっとレッスンを受けただけですぐに始められるのがいい。
練習しなくとも上級者のすぐそばでプレーできる競技というのは、めんどくさがりで練習嫌いのぼくにはぴったりだ。
こんなスポーツは他にちょっと思いつかない。

なにより、達成感が手軽に得られるのがいい。
細かい課題がたくさんあるので、ちょっとやっただけですぐ上達する(気になる)。
これは飽きっぽいぼくにはぴったりだ。

こんなすばらしいスポーツがあってもいいものか。
まるで打ち出の小槌のようにいいことばかりが出てくるではない。


とまあ、はしゃぎにはしゃぎながら3時間ほど壁を登っていたのだが。
気がつけば、手が血まみれになっている。
知らない間にぼくの別人格が人を殺めたんじゃないかってぐらいに血に染まっている。
登っているあいだにどこかに挟んだらしい。
友人から指摘されて気づいたのだが、膝もすりむいて出血している。
足の爪も猛烈に痛い。
腕の腱も異常にこわばっている。

壁昇りに夢中で、身体が発するSOSサインにまったく気づいていなかったのだ。
これはいかん。
自分が死んだことに気づかずにうっかり化けて出ちゃうタイプのアレだ。

あわてて切り上げて帰ったのだが、もちろん翌日の筋肉痛たるや無形文化財レベルである。
腕を鞭打たれる夢で目が覚めたほどだ(これは腕の痛みによるものであって、ぼくの性癖を投影したものではない)。
すぐにさじを投げてしまうやぶ医者よりも握力がなくなり、ドアを開けるだけで乙女のような叫び声が飛び出す始末。

つらい練習をしなくてもいいといっても、結局はつらさを先延ばしにしているだけなのだ。
やはり打ち出の小槌なんてものはないわけで、というわけでクレジットカードのご利用は計画的に。

2015年11月2日月曜日

【ふまじめな考察】汚れをください


スポンジに洗剤をたっぷりつけ、きゅっとひとなで。
ぎとぎとの油汚れがすっととれて、真っ白なお皿が姿を現す。
という洗剤のCM。

欲しい。
欲しくてたまらない。
新製品の洗剤を、ではない。
あの油汚れがほしい。



あんなにきれいに落ちる汚れ、CMでしか見たことない。
ぎっとりと汚れているのに、さっと拭くだけで鮮やかに落ちる。
あの汚れを拭いたらさぞかし気持ちよかろう。
換気扇の汚れもあんなだったら、どんなに換気扇掃除が楽しいだろう。

ふだんやらないところを掃除するのは楽しい。
なぜなら、目に見えて汚れが落ちていくから。
風呂場の排水溝を掃除をするのは、風呂をきれいにしたいからじゃない。ぬめぬめの髪の毛を見て、ああこんなに汚れがとれた、と達成感を味わいたいからだ。

「留守宅に侵入して風呂を掃除していた男が逮捕されました。男は『ぬめぬめをとりたいという欲望が抑えられなかった』などと供述しており、警察ではぬめぬめ欲しさの計画的な犯行と見て捜査を進めています」
みたいな事件もどこかで起こっているにちがいない。
それぐらい「汚いものがとりたい」というのは、人間の根源的な欲求なのだ。

だから、こまめに掃除をして、いつも部屋をぴかぴかにしている人を見ると、かわいそうだと思う。
だって彼らは、ごっそり溜まった汚れを落とす快感を味わえないのだから。汚れは溜めれば溜めるほど、こそげ落とす喜びは大きい。微々たる汚れしか落とせない、きれい好きさんが不憫でならない。



ところで洗剤のCMの話に戻るが、あの映像に出てくる汚れは、当然《落とすための汚れ》なんだろな。
汚く見えて、落ちやすい汚れ。
となると、洗剤を開発している薬品会社には、《落とすための汚れ》を開発する《汚れ開発部》が存在するにちがいない。
そこでは、よりかんたんに落ちてより汚ならしく見える汚れを開発するために、優秀な研究員たちが日夜、研究に研究を重ねているのだ。

殺虫剤を開発しているメーカーでは、実験をするためにゴキブリや蚊を大量に飼育している。
あそこにもまた、《殺すための虫》を飼育する害虫飼育班がいるわけだ。

なんだか不毛なことをしている気もするが、よく考えたら我々はみな、排出するために食事をして、死ぬために生きているわけだから、ま、そんなもんか。

2015年11月1日日曜日

【考察】ママ友とのつきあい方

育児の本を読んでいたら
『公園デビューの悩み ~ママ友とのつきあい方~』
って特集があったんだけど、『ママ友』って言葉が悩みの原因なんだと思う。

友だちだと思うから、仲良くしなきゃ、嫌われたくないって悩むわけでしょ。

「お姉ちゃんの友だちの妹」は、わたしの友だちじゃない。
その人に好かれなくたってかまわない。
「子どもの友だちのお母さん」が友だちじゃなくたっていいじゃない。