2015年9月30日水曜日

【エッセイ】うまかったよ、大将!

 外食をして、これは!と思う味に出逢ったときには、なるべく料理人に対して賞賛の言葉をかけるようにはしている。
「おいしかったです」と。
 だって自分が料理人だったら云われたいから。

 なのだが。
 なのだが。
 これがすこぶる難しい。
 以前、定食屋で食事をした後、店の主人に
「ごちそうさま。おいしかったです」と云ってから店を出た。
 押しつけがましくないように、かつ真心が伝わるように、微笑をたたえながら。
 ところが店を出たあと。
 一緒にいた同僚から「そんなに嫌そうに云うぐらいなら云わなきゃいいのに」と指摘された。
「えっ。嫌そうに聞こえた?」
「うん。なんか云わされてるって感じだった。
 いじめ問題が発覚したときの校長の謝罪会見ぐらい気持ちがこもってなかった」
「そんなに嫌そうだった!?」
 なんてこった。
 自分の中では梅雨明けの空に一陣の西風が吹きぬけたかと思うぐらいさわやかに言ったつもりだったのに。

 ごきげんな振る舞いで
「ごっそさん! 大将、うまかったよ!」
 たったこれだけのことなのにどうにもうまく云えない。
 ナプキンで口まわりのソースを拭いながらウェイターに
「たいへんいい味だった。
 シェフに挨拶したいから呼んできてくれないか」
と伝えられればいいのだが、そういう気どったことをしていいのは年収2000万円以上の人だけだと、たしか小学校の道徳の教科書に書いてあったはず。
 海原雄山ばりにキレて
「この料理をつくった者は誰だ!」
と怒鳴っておいてから、
 びくびくしながら現れた料理人に
「いやあ、うまかったよ」
とにっこり微笑むという『緊張と緩和効果で褒められた喜び倍増計画』も考えたのだが、多大なる胆力を要求される上に逆に怒られそうな気がするのでいまだ実行には移せていない。

 クッキングパパの登場人物みたいに、料理を口に入れた途端によだれと自尊心を垂れ落としながら
「うまかー!」
と叫べたらどんなにいいだろう。
 あれだけバカみたいな顔をしてうまさを表現できたなら、きっと作った人もクッキングパパみたいにしゃくれながら喜んでくれるにちがいない。

 だがしかし。
 球技大会でクラスの女子が応援にきてるときのサッカー部に負けず劣らず自意識ビンビンのぼくとしては、やはり恥ずかしい。
 がんばって「おいしかったです」と云うようにしているのだが、いつも照れくさくてボソボソ云ってしまうので相手にきちんと伝わっているかわからない。
 もしかしたら相手は
「今の客、帰り際にぶつぶつ言ってたな。文句があるならはっきり言えばいいのに」
と思っているかもしれない。
 これでは逆効果だ。

 そうだ。
 口に出して云うから恥ずかしいのだ。
 幸いにも日本には「背中で語る」というすばらしい文化がある。
 うまいとか愛しているとかは言葉で表すものではなく、態度で伝えるものなのだ。
 島国根性ばんざい!

 というわけで、うまいものに出逢ったときはとにかくたくさん注文する、という戦略を取り入れることにした。
 身の丈を超えて大量に食っていれば、きっとぼくが感じた「うまい!」という感情も感謝の気持ちも伝わるはず!


 ……といういきさつを経て、
食いすぎでトイレで吐いたのが昨夜のこと。
 絶品の海鮮あんかけ焼きそばを作ってくれたご主人。
 トイレから出たぼくに優しく「大丈夫ですか」と声をかけてくれたご主人。
 ぼくの「うまかったよ!」のこの思い、ゲロの匂いとともに無事に届きましたでしょうか。

2015年9月29日火曜日

【思いつき】主婦界の三猿

見ざる、言わざる、着飾る。
(値段を見ずに、夫に報告せずに、高い洋服を買う主婦を表す言葉)

2015年9月28日月曜日

【エッセイ】ガンマンの生まれかわり

後輩が『トイ・ストーリー』を観てみたいと言っていたので、DVDを貸してあげようと手渡した。

ジャケットを見た後輩、
「わっ、トイ・ストーリーだ!」

 「返すのはいつでもいいよ」

「これ、中身入ってます?」

 「入ってるよ」

「でもどうせ中身がぜんぜんちがうDVDなんでしょ?」

 「なんでだよ」

「あれっ、ほんとにトイ・ストーリーだ。あーわかった。どうせディスクが傷だらけで再生できないんでしょ」

と、ディスクを裏返してまじまじと傷チェックをされた。


どんだけ信用ないんだ。

え? なんで?
親切心でしてあげたことでどうしてこんなにぼくが傷つかなきゃならないの?

前世のぼくが、決闘の相手を背後から撃ち抜く卑怯なガンマンだったとか?

2015年9月27日日曜日

【エッセイ】嘘のマネジメントについて


 最近、自分のついた嘘が覚えられない。

 誕生日はいつですかとか、身長はいくつですかとか、好きなタレントはとか訊かれると、あたしは咄嗟に嘘をついてしまう。
「尊敬する人は女医の西川史子さんです」
なんてありえない答えを云ってしまう。

 なぜだかわからないけど、自分のパーソナルデータを正直に申告するのが気恥ずかしい。
 だから徳島県出身ですとか福祉系の大学に行ってましたとかのどうでもいい嘘をつく。
 あまりにどうでもいい嘘なので、ついたあたしですらすぐに忘れてしまう。
 それでも世の中には気持ち悪いほど記憶力のいい人がいて昔の細かい嘘を執念く覚えていたりするから困ってしまう。

 ついた嘘をきちんと覚えていればいいんだけど、物覚えが悪くなってきているので細かい嘘をいつまでも覚えていられない。
 これはよくない。
 こんなことを続けていれば、いつか嘘がばれてあたしの信用が失われちゃう。

 そこであたしは対策を講じた。
 いつ誰に対してどんな嘘をついたのかを手帳に記録するようにしたのだ。
「9/19 三浦さんに『バツイチ。原因は夫の浪費癖』と嘘」といった具合に。

 これでしばらくはうまく嘘を把握できていたのだが、嘘の量が増えてくるにつれ、手帳のメモだけではシステマティックに管理するのが難しくなってきた。

というわけで誰か、嘘を管理するアプリ知らない?

2015年9月26日土曜日

【エッセイ】盛っちゃえ睡眠薬


同僚のSさんが、睡眠薬を盛ったらしい。

すごい。
「睡眠薬を盛る」なんて、「魔法をかける」とか「夢をかなえる」と同じくらい現実味のない響きの言葉だと思っていた。
実際にやってしまうなんて。すごい。

「睡眠薬を盛ったことありますよ」とこともなげに語る同僚がなんだかまぶしく見える。現実という檻をひょいと飛び越えたみたいに、足どりも軽やかだ。夢をかなえた人ってこんな感じなんだろうか。

しかしSさんは理知的で落ちついている人だ。とても睡眠薬を盛ってしまうような人には思えない。

「誰に盛ったんですか!?」

 「息子です」

「ええっ! それはやはり親子間の骨肉の争いというか……」

 「はっはっ。そんなんじゃないですよ。だって息子はまだ九歳ですからね」

「いったいどういうことですか。九歳の息子さんに睡眠薬なんて……」

彼が語ってくれたのはこういう理由だった。
寝つきが悪くて仕事中に眠くなってしまうので病院に行くと睡眠薬を処方された。
睡眠薬を飲んだことがなかったので、これが睡眠薬かとしげしげと見ているうちに疑問がわいてきた。
飲んだ後にどんな様子になるのか。何分くらいで眠りに就くのか。服用後に眠くなったとしても、それは薬効ではなくひょっとしたら「睡眠薬を飲んだ」という思いこみのせいで眠くなるというプラシーボ効果もあるのではないか。
もともと理系の人なので、実験をしてみないとわからない、それも事情を知らない被験者を選ぶ必要がある、と思いたった。

「それで息子さんを選んだわけですか……」

 「そうです。しかし実験は失敗しました」

「なぜですか」

 「お茶に混ぜて飲ませたのですが、吐きだしてしまったのです。『パパ、このお茶 苦い!』と言って」

「鋭いですね。本能的に察したのでしょうかね」

 「いや、これはわたしも知らなかったことなのですが、製薬時にわざと苦い味をつけているようなのです。おそらく悪用されないためでしょうね。わたしのようにこっそり誰かに飲ませようとする人がいてはいけませんから」

「そうですか……」

 「まあそれがわかっただけでも発見です。求めていたデータはとれませんでしたが、実験をやった甲斐があったといえるでしょう」

「しかし怖いですね。子どもに睡眠薬を飲ませるなんて……」

 「あ、もちろん危険がないように与える量は減らしましたよ。体重から算出したので心配はないです」

「いや、わたしが怖いのはそういうことではなく、もっと道義的なことなんですけどね……」