2018年5月24日木曜日

【読書感想】小佐田 定雄『上方落語のネタ帳』

このエントリーをはてなブックマークに追加

『上方落語のネタ帳』

小佐田 定雄

内容(e-honより)
教養として知っておきたい落語の名作をあらすじと裏話で楽しむ傑作選。読めばあなたも“ハナシがわかる人”に。

上方落語の百八つの噺のあらすじとともに、噺家による演じ方の違い、時代による変遷、演者が留意している点などを解説。

内容紹介文に「教養として知っておきたい」なんて書かれているが、これを書いた人は落語をわかっていない。落語は娯楽だからいいのに。教養になったら落語は死ぬよ。

 原型は、明治維新によって失職した武士が自宅で汁粉屋を始める『御膳じるこ』という噺。武士の商法を笑いにした一席で、なんと三遊亭円朝の作だという。
 明治二十年から三十年代になると「改良」という言葉が流行する。そこで三代目桂文三という人が演じたのが『改良ぜんざい』。官員さんが威張り散らす噺だ。
 そして、時代が大正になると「文化」という言葉が流行る。「文化住宅」が登場したのもこのころだという。そこで、この落語も『文化しるこ』と装いを新たにした。
 さらに昭和になり、戦後、「専売公社」や「電電公社」などの半官半民の組織ができると『ぜんざい公社』となったわけである。「公社」にしたのは桂米朝であり、「甘い汁」という辛辣なサゲを付けたのは桂文紅だ。
 いわば時代とともに変遷した噺なのだ。民営化の声があがっている今日、いささか時代とズレているのではと思っていたが、お役人の融通のきかなさは永遠のテーマのようで、現在でも演じられている。

これは『ぜんざい公社』がたどった変遷。三遊亭円朝の新作落語だったが、百年以上も受け継がれているわけで、もう立派な古典落語だ。
 内容も変わっているとはいえ「お役所の融通の利かなさ」というテーマが明治初期から今までずっとウケているのがすごい。役人が四角四面なのは人類普遍の性質なんだろうな。たぶん海外に持っていっても通じるだろう(ぜんざいは通じないだろうが)。

「改良」とか「文化」とか、その時代を象徴する流行り言葉がくっついてるのもおもしろい。そういや酒の電気ブランも「電気」が流行っていたからなんとなくつけられた、と聞いたことがある。
今だったら「スマートぜんざい」とか「クールぜんざい」みたいなもんだろうね。



落語の強みはなんといっても著作権が希薄なところだ。多くの噺家の手によってどんどん噺の細部が変わっていくので、数百年も前の噺が今でもおもしろさを保っている。
また、つぎたしつぎたしで笑いを足せるのも落語の良さだ。

日本で漫画文化が発達したのは、オリジナリティを主張しなかったからだという話を聞いたことがある。手塚治虫は、積極的に他の漫画の技法をとりいれて、また他の漫画家が自身の技法を真似るのを許したと言われている。もちろんストーリーのアイデアをパクるのはいけないが、「コマ割りの方法」や「表現技法」についてはパクってもいいというのが暗黙の了解になった。それが業界の発展を促進させたというのだ。

落語に至っては、すべてがフリー素材だ。技法だけでなく、他の人が考えた噺を演じさせてもらってもいい(もちろん他人の新作落語を自分名義で発表してはいけないが)。さらに改変も許されている。自分がいいと思ったアイデアはどんどん加えていける。この懐の広さこそが落語の強みだ。
テレビドラマ『古畑任三郎』で「人気落語家が新作落語を盗むために兄弟子を殺す」という回があったが(『若旦那の犯罪』)、あの展開には違和感がある。弟弟子が「ぼくにちょうだいよ」というからだ。あれは「ぼくにも教えをつけてよ」と言うべきだろう。


漫才やコントの寿命は、落語に比べて圧倒的に短い。人気芸人であればあちこちでネタを披露するので一年もたたぬうちに「またこのネタか」となってしまう。
ほんとにおもしろいネタが飽きられて日の目を見なくなるのはもったいない。漫才やコントでも著作権は五年とかにして、それを過ぎたら他の漫才師が演じたり、アレンジしたりするのを許したらいいのに、と思う。


【関連記事】

【読書感想】桂 米朝『上方落語 桂米朝コレクション〈一〉 四季折々』



 その他の読書感想文はこちら




このエントリーをはてなブックマークに追加

0 件のコメント:

コメントを投稿