2018年4月13日金曜日

おまえの人生はないのかよ

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独身時代、Facebookに子どもの写真を載せている友人を心の中でばかにしていた。

子どもがおまえのすべてかよ、おまえの人生はないのかよ、と。


いざ自分が子を持つ親になってみると、ブログに子どもの話題を書いている。
SNSに子どもの写真こそ載せてないが、それはうちの子が親から見ても決して器量良しではないからで(親から見たらかわいいけどね)、子役級にかわいかったらパラパラ漫画を作れるぐらい大量の写真をアップロードしていると思う。

十年前のぼくが今のぼくに言う。
「おまえの人生はないのかよ」

ぼくは答える。
「いや、ないわけじゃないんだけどさ。でも減ったよね。子どもが自分の人生の大半を占めるようになったのは事実だね。おまえから見たら恥ずべきことだろうな。でもこれはこれで悪くないんだぜ」

だって仕方ないじゃないか。
朝、子どもと一緒にご飯を食べ、子どもの着替えを手伝い、子どもを保育園に送っていき、仕事に行く。帰ったら子どもが「遊ぼう!」と行ってくるのでいっしょにパズルやトランプをして遊び、子どもと話しながらご飯を食べ、子どもに歯みがきを手伝い、子どもを風呂に入れ、子どもに絵本を読んでやり、子どもと一緒に落語を聴きながら寝る。
それが平日。
休日は朝から夜までずっと子どもと一緒にいる。そりゃあ子どもが人生の大半を占めてしまうのは仕方ない。


少し前に「日本の親に夢を訊いたら『子どもの幸せ』と言うが、それはあなたの義務であって夢ではない」という言説を聞いた。

はぁ? 義務と夢が一緒だったらあかんの?
納税は義務だが、「納税によって多くの人の暮らしを良くすることが夢」という人のことまで否定しなくていいでしょ。

人間は遺伝子の乗り物だから、次世代の繁栄こそが生きる目的だ(必ずしも自分の直系の子孫でなくてもいい)。
それに比べたら個人の功名や満足感なんてとるにたらないことだとぼくは思う。


過去の自分から「おまえの人生はないのかよ」と言われたら、

「あるけど、より新しい人生に引き継いでいる最中」だと答えたい。

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