2018年4月23日月曜日

【読書感想】瀧波 ユカリ『ありがとうって言えたなら』

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『ありがとうって言えたなら』

瀧波 ユカリ

内容(文芸春秋BOOKSより)
決して仲のいい母娘じゃなかった。
だからこそ、今、お母さんに伝えたいことがある――。

余命宣告、実家の処分、お墓や遺影のこと、最後の旅行、そして緩和ケア病棟へ。
「母の死」を真正面から描いた、涙なしでは読めないコミックエッセイ。

『臨死!! 江古田ちゃん』で知られる瀧波ユカリさんのコミックエッセイ。「すい臓がんで余命一年」を宣告された母親の闘病と看取りを描いている。

紹介文にある「涙なしでは読めない」は真っ赤な嘘。でも嘘で良かった。べつにお涙ちょうだいのお話を読みたいわけじゃなかったので。

もうさあ、「人の死? じゃあ"感動"で"号泣必至"で"心あたたまる"だな!」みたいな超頭の悪い条件反射キャッチコピーのつけかたはやめましょうよ。涙を誘うことだけが本の価値だと思ってんじゃねえよバカ。この本まともに読んだのかよ、極力感情を抑えた描き方してんじゃねえかよ、そこが魅力なのに真逆の方向性のコピーつけてんじゃねえよ。

……と編集者への悪態はこれぐらいにしておくけど、漫画は良かった。感動的じゃないところが良かった。自分の親の死を感動のタネにしようとするやつなんて信用ならんからね。



この本でいちばん印象に残ったのは、古い服は捨てていいかと訊かれたお母さんが
「でも捨てろ捨てろと言われると悲しくなるわ。
 あんたにはわからないかもしれないけどね…」
とつぶやくシーン。
この気持ち、なんとなくわかる。
もう着ない服。合理的に考えたら捨てない理由はない。でも、生きているうちに自分のものを整理されるのは悲しい。

この発言をしたときのお母さんは、「あなたはもうすぐ死ぬ人なんだから」とまだまだ生きる人から線を引かれたように感じたんじゃないかな。
ぼくも自分の余命があとわずかになったとしても、身辺整理をしてすっと旅立つ、なんてできないと思う。きっと歯ブラシのストックを買いこんだり、寿命のある間に読みきれないほどの本を買ったりして、せいいっぱい現世を散らかしてから死んでゆくような気がしている。



この漫画で描かれているお母さんは、傍から見ているとあまり「いいお母さん」ではない。
攻撃的だし、過剰に自信家だし、素直じゃないし。個人的には付きあいたくないタイプだ。瀧波ユカリさんもたぶん同じように思ってる。母親だからつきあってるけど、そうじゃなかったら距離を置いている。きっと。
幼少期のことはこの漫画にはほとんど描かれていないけど、それでも母親との接し方にずっと困ってきた様子がひしひしと伝わってくる。
このお母さんはひょっとしたら"毒親"に近いかもしれない。それでも瀧波ユカリさんは付きあっている。母親だから。

特に、瀧波ユカリさんのお姉さんへの接し方はひどい(ちなみにこのお姉さんは江古田ちゃんの"おねいちゃん"そのまんまの姿)。いちばん近くにいるから、というのがあるにしても「世話をしてもらっている相手をそこまで悪く言えるのか……」と、げんなりしてしまう。
お姉さんが看護師で、そういう人の相手に慣れているように見えるのが救いだけれど。



ぼくの祖母のことを書く。
祖父が亡くなり、ひとり暮らしになった祖母はまもなく認知症を発症し、身のまわりのことがまったくできなくなった。
長男が引き取って一緒に暮らすことになったのだが、祖母は娘(ぼくの母)に対して息子夫婦の愚痴ばかりこぼしていた。

介護をしてくれている長男夫婦については愚痴ばかりで、遠く離れて暮らしている娘のことは褒めちぎっていた。「あんたは優しいけど息子はちっとも優しくない、私に意地悪ばかりする」孫のぼくにすら言っていた。
認知症の人に言ってもしょうがないと思ったのでぼくも黙っていたけど、すごく不愉快だった。
家に引き取って世話をしている長男や、血のつながりもないのに介護をしてくれている長男の嫁がいちばんがんばっている。
そんなことは誰が見ても明らかだ。それなのに祖母は被害妄想に襲われて長男夫婦の悪態ばかり。

認知症を患うまでは祖母は誰に対しても優しい人だった。
いつもにこにこしていて、絵に描いたような「いいおばあちゃん」だった。そんな人が長男夫婦の悪口ばかり言うようになったので余計に悲しかった。病気が悪いんだとわかっていても不快感は拭えるものではない。

ドラマや漫画だと「最期は仏のようになって死んでゆく」なんて描写があるが、あんなのは嘘だ。嘘じゃないかもしれないけどレアケースだ。
死にゆく人に他人を気づかう余裕なんてないし、攻撃しやすい人を攻撃する。



『ありがとうって言えたなら』には、死を前にしてなお穏やかにならない、それどころか攻撃性を増している病人の姿が描かれている。
瀧波ユカリさんのお母さんは余命一年だったから周囲は困惑しながらもなんとか耐えられたけど、この状態があと何年も続いていたら、べつの人までダウンしていたかもしれない。仕事しながら、子どもの面倒みながら、感謝してくれるどころか恨みごとしか言わない親の世話をして……なんて不可能だよなあ。ぼくなんか仕事と育児だけでもうまくできてないのに。

医療現場で働いている人にしたらこういうのって日常の光景なんだろうけど、そうじゃない人間にとってはいたたまれない気持ちになる描写だ。
自分の親もこんなふうになるんだろうか。そのときうまく接することができるだろうか。自分も最期は周囲につらく当たって恨まれながら死んでゆくんだろうか。

家族にうっすらと「早く死ねばいいのに」と思われながら死んでいくのってつらいなあ。
今の法律って、自由に生きることはある程度保証してくれてるけど、自由に死ぬ権利はぜんぜん保証されてないよね。高齢先進国として、もっと死にやすい世の中になってほしいな。

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