2017年12月25日月曜日

生きる昭和史/ 小熊 英二 『生きて帰ってきた男』【読書感想】

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『生きて帰ってきた男
――ある日本兵の戦争と戦後』

小熊 英二 

内容(e-honより)
とある一人のシベリア抑留者がたどった軌跡から、戦前・戦中・戦後の日本の生活面様がよみがえる。戦争とは、平和とは、高度成長とは、いったい何だったのか。戦争体験は人々をどのように変えたのか。著者が自らの父・謙二(一九二五‐)の人生を通して、「生きられた二〇世紀の歴史」を描き出す。

いい本だった。
1925年(大正14年)生まれの小熊謙二さん(筆者の父親)の生涯をつづったノンフィクション。大正15年=昭和元年だから、大正14年生まれだと、昭和20年=満20歳ということになる。まさに昭和とともに生きた人。生きる昭和史だ。

小熊謙二さんは、戦前に少年時代を送り、会社勤めをした後に徴兵されて満州に行き、捕虜としてシベリア抑留され、帰国後は肺炎や子どもの死を経験しながらもさまざまな職を転々とした人。
そんな一市民の人生を描くことで、戦前~戦中(シベリア収容所)~戦後の雰囲気がありありと伝わってくる。

戦争体験について書かれた本は多いが、こういう本はめずらしい。
あとがきで筆者も書いているが、ひとつには戦中だけでなく戦前から戦後数十年にわたって戦争体験者の一生を追いかけていること。もうひとつは、主役が軍幹部やエリート、著名人ではなく、さらに「これは伝えたい!」という熱い感情を持っていないこと。
今でこそ誰でもブログやSNSで気軽に情報発信できるようになったが、少し前までは著名人や強い熱情(とある程度のお金)を持った人しか情報発信する機会がなかった。息子がライターでなければ小熊謙二さんの生涯がこうして本になることはなかっただろう。そういう点で稀少かつ価値のある本だ。



事実を淡々と、かつ詳細に書いているのがいい。ときおり「あのときはこう思った」という謙二さんの言葉がさしこまれるが、「特に気にしなかった」とか「たいへんだとは思ったが仕事が忙しくてそれどころじゃなかった」とか、終始冷静だ。語られる人も語る人も感情的でないことで、かえって情景が伝わってくる。リアルな日本人の実感、という感じだ。
たとえば東日本大震災だって、遠く離れた所に住んでいる人の大半からしたら「たいへんなことが起こったとは思ったがすぐにふだんの生活に戻った」というのが偽らざる心情だろう。真珠湾攻撃も玉音放送も、歴史の本を読むと天地がひっくり返るような出来事として書いているけど、ほとんどの人はそんな心境だったんじゃなかろうか。

たとえば、軍に召集される直前の心境についての回想。

「自分が戦争を支持したという自覚もないし、反対したという自覚もない。なんとなく流されていた。大戦果が上がっているというわりには、だんだん形勢が悪くなっているので、何かおかしいとは思った。しかしそれ以上に深く考えるという習慣もなかったし、そのための材料もなかった。俺たち一般人は、みんなそんなものだったと思う」

何かおかしい、と思いながらも声を上げず、深く考えることもやめて、破局に向かっていく。
こういう後世には伝わりにくい"空気"を文章にして後世に残す、というのはとても有意義なことだと思う。たぶん次の戦争のときも同じようなことになるだろうから。
ぼくは今の時代のあれやこれやに対しても「何かおかしい」と思っている。でも特に行動を起こしていない。まさに、同じ心境なんだろうな。



南京大虐殺について。

「米軍の残虐行為は報道で知ったが、日本軍の残虐性にくらべれば、米軍のやっていることはオモチャみたいなものだと思った。中学生のころには、クラスのなかで同級生が、中国戦線から帰った兵隊からもらったという写真を内緒で見せあっていた。捕虜の中国人の首を、軍刀でちょん切る瞬間だった。中学生でもそういうものに接する機会が、当時の日本にはよくあったと思う」
「シベリアの収容所にいたとき、『日本新聞』に南京事件のことが載った。同じ班に『満州日日新聞』の記者がいて、「この事件は日本では伏せられていたが、外国ではオープンで知れ渡っていた」と言っていた。収容所では、中国戦線の古参兵である高橋軍曹が、猥談のついでに残虐行為の話をしていた。戦火をさけて中国人の婦女子だけが隠れている場所を発見し、集団暴行をしたというような内容だった。ほかにも古参兵たちの伝聞で、日本軍がどんなことをやっていたのかはだいたいわかった」
「だから「南京虐殺はなかった」とかいう論調が出てきたときは、「まだこんなことをいっている人がいるのか」と思った。本でしか知識を得ていないから、ああいうことを書くのだろう。残虐行為をやった人は、戦場では獣になっていたが、戦後に帰ってきたら何も言わずに、胸に秘めて暮らしていたと思う」

この人だけじゃなく、多くの戦争経験者がこういう話をしている。規模の違いこそあれ、あったことはまちがいないのだろう。
こういう話を聞いても「なかった。でっちあげだ」と言う人って、どうかしてるとしか思えない。経験者の多くがあったと言っているのに、その時代に生まれていなかった人がどうして否定できるんだろう。
これでも「南京事件はなかった」と言う人って証拠を欲しているわけじゃないから、仮にタイムマシンができて実際に見たとしても信じないんだろうね。




この本を読むまで知らなかったのだが、基本的に日本政府は戦争被害者に補償はおこなっていないらしい。

シベリア抑留された人に対しては、戦後四十年以上たった1988年、"補償金"ではなく"慰労金"として10万円と銀杯が支給されただけだとか(ちなみに他国では捕虜として労働に従事した場合はその労働に対する賃金がもらえるそうだ)。
数年働いての報酬としては雀の涙だが、徴兵されていた朝鮮人に対してはそれすら支給されていなかった。
その不支給がおかしいといって元日本軍の朝鮮人が日本政府を訴えた裁判で、小熊謙二さんは共同原告として証言台に立つことになる。
そのときの演説が胸を打つ。

 数年前私はシベリア抑留に対する慰労状と慰労金を受け取りました。しかし日本国は彼が外国人であるとの理由で対象としておりません。これは納得できないことであります。
 何故、彼がシベリアで抑留生活を送らねばならなかったかを、考えて下さい。かつての大日本帝国は朝鮮を併合して朝鮮民族の人々を日本国民としました。その結果私と同じく彼も日本国民の義務として徴兵され、関東軍兵士となり捕虜となったのであります。慰労がシベリア抑留という事実に対し為された以上、彼はそれを受ける権利があります。
 日本国民であるからと徴兵しシベリア抑留をさせた日本国。その同じ日本国が無責任にも、今になってあなたは外国人だからダメというのは論理的に成り立ちません。
 これは明らかな差別であり、国際的に通用しない人権無視であります。

 この陳述書を裁判官たちの前で読み上げたことについて、謙二はこう述べている。
「勝つとも思えなかったが、口頭弁論で二〇分間使えるというので、言いたいことを言ってやった。むだな戦争に駆り出されて、むだな労役に就かされて、たくさんの仲間が死んだ。父も、おじいさんもおばあさんも、戦争で老後のための財産が全部なくなり、さんざん苦労させられた。あんなことを裁判官にむかって言っても、むだかもしれないけれど、とにかく言いたいことを言ってやった」

戦争に駆り出されたことにも、シベリアの過酷な環境で強制労働をさせられたことにも、財産を失って戦後に苦しい思いをしたことにも、「そういう時代だったから」とぜんぜん恨みがましいことを言っていなかった人が、どんなに理不尽な目に遭ってもじっと耐えてきた人が、それでも我慢できなくなってにじみだすようにして語るこの言葉。
小熊謙二さんの、静かで、深い怒りが伝わってくる。

特に政治家には読んでもらいたい本だ。戦前・戦中・戦後を生きた人の肌感覚を多少なりとも理解するために。


この人が典型的日本人だとは思わないけど、こういう考えの人は決して少数派ではないと思う。なのに多数派の考え、人生は、いつの時代も世に出ることがほとんどない。
これはすごく貴重な一冊だ。息子がライターだったから、さらに戦後思想史に十分な知識があったからこそ生まれた、偶然のような一冊。
著名人も出てこない、個性的な人も出てこない、ドラマチックな出来事も起こらない。なのにめちゃくちゃおもしろい。

NHK大河ドラマで、こういう市井の人の生涯を一年かけて描いたらすごくおもしろいだろうなあ。朝ドラみたいに安っぽいメッセージは込めずに、ただ事実をありのままに再現する。
観てみたいなあ。


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