2017年11月22日水曜日

法よりも強い「空気」/山本 七平『「空気」の研究』【読書感想】

このエントリーをはてなブックマークに追加

『「空気」の研究』

山本 七平

内容(Amazonより)
「空気を読む」ことが誰にも求められる現代の必読書!
社会を覆う「空気」の正体を正面から考察し、1983年の初版以来読み継がれ、日本の針路が云々されるたびにクローズアップされる古典的名著。
〈以前から私は、この「空気」という言葉が少々気にはなっていた。そして気になり出すと、この言葉は一つの〝絶対の権威〟の如くに至る所に顔を出して、驚くべき力を振っているのに気づく。(中略)至る所で人びとは、何かの最終的決定者は「人ではなく空気」である、と言っている〉
昭和期以前の人びとには「その場の空気に左右される」ことを「恥」と考える一面があった。しかし、現代の日本では〝空気〟はある種の〝絶対権威〟のように驚くべき力をふるっている。あらゆる論理や主張を超えて、人びとを拘束することの怪物の正体を解明し、日本人に独特の伝統的発想、心的秩序、体制を探る、山本七平流日本学の白眉。

ときには法よりも強く社会を支配してしまう「空気」。

最近「福井県で中学生が自殺した事件を受けて、文部科学省が全国に生徒指導の見直しを通知した」というニュースを見た。「空気に支配されすぎだろ」と感じた。
たしかに人が死んでるから大きな事件だし再発防止に向けた取り組みはしていかないといけないんだけどさ。でも教育って「今日から変えます!」っていって来月に成果が出るものじゃないわけで。結果が出るまでには早くたって十年かかる。それを「なんとかしなきゃいけない"空気"だから」ってトップが右往左往してたらそれにふりまわされる現場はたまったものじゃないだろうな。
一人の自殺者のために一万人の生徒の教育プログラムを変更するってどう考えてもおかしいんだけど、でも「自殺した生徒はお気の毒ですけど、それはそれとして一過性の雰囲気に流されずに従来通りの方針でやっていきます」とは言いだせない"空気"だったんだろうな。文部科学省は。

会社で会議をやったときなんかに、その場の出席者全員が「こんな会議意味ない」と思いながら、空気的に誰もそれを口に出すことができず「では目標達成に向けて各人がさらに努力してまいるということで……」みたいななんの意味もない結論を出して、誰も「もう終わりにしよう」とは言えないまま毎週会議が開かれつづける、ということがよくある。

たぶん行政や政治の世界では、利益追求という明確な指標がない分、より空気に支配された決定をおこなっているのだろう。

岩瀬 彰『「月給100円サラリーマン」の時代』に、戦争に向かう時代のサラリーマンについてこんな記述があった。
 当時のホワイトカラーも、極端な貧富の格差の存在や政財界の腐敗には内心怒りを感じてはいた。だが、多くのサラリーマンはただじっとしていた。文春のアンケートで資本主義は行き詰まっていると訴えた二十九歳のサラリーマンは「自分の生活のためと、プチブル・インテリの本能的卑怯のために現代社会生活の不合理と矛盾を最もよく知りながらも之が改革運動の実際に参与出来ない」と言い、それが「一番の不満です」と述べている。
空気に支配され、空気に逆らうことができず、徴兵されて死んでいった。命を落とすような状況になっても空気には抗うことができなかった。
たぶんぼくもその時代に生きていたら同じ末路をたどったと思う。
独裁者が始めた戦争ならその人物が退けば流れは止まったかもしれないが、空気ではじまった戦争だけにかんたんに止められなかったのかもしれないな。



この『「空気」の研究』、内容は難解でいまいち理解できなかった。
自動車公害とか共産党とか田中角栄の話とか、「当時は誰でも知っていた話」があたりまえのように例えとして出てくるので、三十年以上たった今読むと「例え話があることでかえってわかりにくい」になる。

まあ、「ぼくたちはたやすく空気に支配される」ということを自覚できるだけでも読む価値はあるかなと思う。

 一方明治的啓蒙主義は、「霊の支配」があるなどと考えることは無知蒙昧で野蛮なことだとして、それを「ないこと」にするのが現実的・科学的だと考え、そういったものは、否定し、拒否、罵倒、笑殺すれば消えてしまうと考えた。ところが、「ないこと」にしても、「ある」ものは「ある」のだから、「ないこと」にすれば逆にあらゆる歯どめがなくなり、そのため傍若無人に猛威を振い出し、「空気の支配」を決定的にして、ついに、一民族を破滅の淵まで追いこんでしまった。戦艦大和の出撃などは〝空気〟決定のほんの一例にすぎず、太平洋戦争そのものが、否、その前の日華事変の発端と対処の仕方が、すべて〝空気〟決定なのである。だが公害問題への対処、日中国交回復時の現象などを見ていくと、〝空気〟決定は、これからもわれわれを拘束しつづけ、全く同じ運命にわれわれを追い込むかもしれぬ。

センセーショナルな出来事が起こるたびに右往左往してもろくな結果は生まないからね。
おい文部科学省、おまえらのことだぞ!


【関連記事】

【読書感想エッセイ】岩瀬 彰 『「月給100円サラリーマン」の時代』



 その他の読書感想文はこちら


このエントリーをはてなブックマークに追加

0 件のコメント:

コメントを投稿