2016年5月17日火曜日

【読書感想文】奥田英朗『どちらとも言えません』

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内容(「BOOK」データベースより)
スポーツに興味がなくても、必読。オクダ節エッセイ集。
サッカー後進国の振る舞いを恥じ、プロ野球選手の名前をマジメに考え、大相撲の八百長にはやや寛容?スポーツで読み解くニッポン。
スポーツはやって楽しく、観て楽しく、そして語ってこそ楽しい!プロ野球に大相撲、サッカーW杯からオリンピックまで、スポーツ大好き作家が勝手気ままに論じます。サッカー後進国の振る舞いに恥じ入り、プロ野球選手の名前をマジメに考え、大相撲の八百長疑惑にはやや寛容?オクダ流・スポーツから覗いてみるニッポン!
「Number」に連載されたスポーツエッセイ。毎回ワンテーマ10枚で、連載全26回+2010年サッカーW杯臨時増刊4回分。 基本的に特定の選手やチームには一切取材せず、一ファンとして、あるいは単に観戦した者として、フリーの立場から綴っているので極めてニュートラルな書き方になっているのが特徴です。そのため、とりあげた選手や競技について読者の側に知識がなくても、スポーツを中心にすえた文化論として読めます。もちろん、著者ならではの軽妙な語り口は健在。著者の若い時代に見聞きした話も多数入っているので、40代以上の読者には特にお薦めな一冊。

奥田英朗氏ってこんなにエッセイがうまかったのか。

スポーツのことをこんなにおもしろく語れる人は多くない。
スポーツはもちろん、社会一般や他国の文化や人の心の機微にも造詣が深く、それなのにあくまで観戦者の立場を守りつづけた文章を書けるのはすばらしい。

スポーツライターには無理だろうね、このほどよい温度感でエッセイを書くのは。
関係者だと利害関係が生じるから思いきったことは書けないし、どうしたって「世間一般の人は知らない、入念な取材に基づくここだけの裏話」になってしまう。
それだといいルポルタージュにはなってもおもしろいエッセイにはならない。

その点、奥田英朗氏は本業が小説家なので、スポーツ業界からどう思われたっていいやぐらいの気持ちで書いているのだろう。肩に力を入れずにあることないこと書いていて気持ちがいい。
たとえば、2010年のサッカーワールドカップについて書いたこんな文章。
 ところで、今大会最大のスターはC・ロナウドとメッシだろうが、彼らがハンサムかどうかという議論はさておき、印象的な顔であることは間違いない。ロナウド君は、粋がった町のチンピラ顔なんですね。ラテン女にモテモテで、目一杯自分を飾るが、どこか安いムードが漂う。ギャング映画だと序盤に殺されそう。一方のメッシ君は学生顔。ノートと教科書を抱えてキャンパスを歩くのが似合っていて、青春学園物のネクラな脇役によいのではないか。ついでにパク・チソンは丁稚顔。岡崎は柴犬顔。中澤はEEXILE顔。いやすまない。さっきから失礼なことばかり書いている。
どうです、こんな無責任なことを書ける人がスポーツライターにいますか。いないでしょう。
匿名掲示板にだって書くのを躊躇していまいそうな“適当発言”。
これを由緒あるスポーツ情報誌『Number』に署名入りで書いてしまうのだから、根性がすわっているというかなんというか。


ぼくはほぼ毎年高校野球を観るために甲子園に行くのだが、友人とビールを飲みながら下劣なことばかりしゃべっている。
やれ「□□高校の監督は顔に知性が感じられない。学校の偏差値の低さが顔に出ている」だの、やれ「○○県は民度が低いからアルプススタンドの応援もダサい」だの、当事者に聞かれたらぶん殴られても文句のいえない低俗な軽口を叩いている。

これは友人しか聞いていないから言える冗談だけど、だからこそおもしろい。
『どちらとも言えません』もそれと同じ。
無責任だからこそ辛辣で痛快。
野球場で酔っぱらいが飛ばしているヤジみたいなもの。
妙にヤジがうまいおっさんっているもんね。
そういうおっさんはえてして改まって意見を求められると言葉に詰まっちゃったりするもだけど、おもしろいヤジをそのまま文章にできるのが奥田英朗氏の才能なんだねえ。

あくまで「観客の目線」。
エッセイのほとんどは、テレビ中継や新聞記事に基づいて書かれたもの。つまり、我々読者と同じ条件。
それにちょっとした考察や思いつきの要素が加えられることで、ぐっと読みごたえが増す。
 わたしはふと思ったのだが、もしかしてアメリカの野球って、日本の大相撲みたいなものなのではなかろうか。ワールドシリーズ(このネーミングからして傲岸不遜でしょう)が唯一無二の晴れ舞台で、五輪もWBCも眼中にない。ファンはグローバル化など少しも望んでおらず、おらが町のチームの勝敗のみに一喜一憂する。その証拠に、彼らは日本が優勝しても、「おめでとう。でもイチローも松坂もメジャーの選手でしょ」くらいの余裕の態度でいる。大相撲も同様で、仮に相撲の国別対抗戦をやったら、今なら文句なくモンゴルが勝つと思う。しかし日本人はそれほど危機意識を持たないような気がする。なぜなら朝青龍も白鵬もほぼ日本人として受け入れられているし、相撲は日本の国技で、その座が揺らぐことは永遠にない。世界の中心にいるという自負心が、国民の上から目線を増長させるのである。
さすがは小説家。
異国の文化も、このようなストーリーを持たせることで腑に落ちる。
「わかったような気になる」だけなんだけどね。
でもそれでいい。
だってスポーツ観戦自体ってそんなもんだから。スポーツ解説者なんて、勝手に選手の心情を憶測して、さも真実であるかのように説明してるだけだから。
スポーツ観戦に必要なのは真実ではなく物語性なんだよね。

そういやぼくは小学生のときに近藤唯之(元スポーツ新聞記者)のプロ野球エッセイをよく読んでいたけど、あれなんか完全に報道じゃなくて物語だったもんなあ……。


奥田英朗氏のエッセイは、正確性よりも「わたしはこう思う」というホンネを大事にしている。そして皮肉や警句もほどよく効いている。
これがまたスポーツをした後のような爽快感を味わわせてくれる。
たとえばこんな一節。
 これはマスコミ自身が一番わかっていることと思うが、スポーツ報道には、どこか「本当のことは言いっこなし」という雰囲気があるんですね。多少強引にでも盛り上げないと、新聞は売れないし、テレビの視聴率も上がらないのだ。
 たとえばバレーボール。なんでバレーボールのワールドカップが毎回日本で開催されるのか、考えてみるとよろしい。おかしいでしょう。永年開催権なんて。小さな声で言うと、興味がないんですね、他国は。好きにやっていいよ、なのである。
あーあ、言っちゃったよ……。
それをわかってても口に出さないのが大人のふるまいなんだけど、改めて言われると「いややっぱりそうだよなー」と苦笑。
みんなうっすら思ってるんだよね。


ちなみに、ぼくが思う「本当のことは言いっこなし」は、「みんな柔道なんかまったく好きじゃないんでしょ?」ってこと。

いやほんとつまんないもん。
そりゃ豪快に一本背負いとかきめてくれたらおもしろいよ?
でも、スポーツとしての柔道って(特にレベルの高い人同士の試合だと)点数稼ぎ & 時間稼ぎだからね。
でかい選手が胸ぐらつかみあったままじりじりじりじりすり足で歩くだけの競技なんて誰がおもしろがるんだって話ですよ。
ほんとはみんな興味ないけど、日本人選手がメダルを稼いでくる競技だから、オリンピックの時期になったら応援してるふりしてるだけでしょ?

もしもだよ。
国際オリンピック連盟が
「次のオリンピックから柔道はなしね」って言い出したとするよね。
けっこうな数の日本人が反対すると思う。
でもそれって、「日本の獲得メダル数が減るから反対!」じゃない?
「柔道をオリンピックで見たいから反対!」って人は柔道家以外にいる?

日本がすごく弱くなってメダルを1個もとれなくなったとしても柔道を見つづける人ってどれだけいる?


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