2016年1月10日日曜日

【エッセイ】墓地散歩のすすめ その1

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散歩には墓地がいい。
車も来なくて歩きやすいし、なにより人がいないのがいい。
墓地が繁盛するのは盆、お彼岸、年末年始だけなので、その時季を避ければはほとんど人と出くわさない。誰かいたとしても、墓地では誰もが寡黙になる。静かでいい。

ぼくがよく散歩するのは図書館の裏の墓地。
すぐ近くを高速道路が走っているのに、そこだけすっぽりと音が抜け落ちたように閑静。ここに比べると図書館が騒々しく感じるほどだ。

ただ近所にあるというだけで、ぼくとはまったく縁のない墓地だ。
知っている人の墓はひとつもない。それが落ち着く理由のひとつかもしれない。ここにはぼくのことを知っている人はひとりもいないし、おまけに全員死んでいる。
とても愉快だ。

墓地を散歩するというと、怖くないのとか、罰当たりな、とか云われる。
だが、すでに墓に入っているジョン・レノンも言っていたではないか。想像してごらん、と。

ぼくが死んで墓に入ったら、と考えてみる。
自分の子孫が墓参りに来るのは年に1回。
隣家の墓だって似たようなものだ。
お彼岸などの繁忙期をのぞけば墓地全体が閑散としている。
ああ。
ひまだ……。
なんせ死後の世界には試験も学校もないのだ。テレビもねえしラジオもねえ(いや「テレビはもう死んだ」とか言われているからひょっとしたら死後の世界にもテレビはあるのかもしれないけど、若いタレントはほとんどいない)。
誰か来ないかな。誰でもいいんだけどな。
赤の他人でもいい。
誰か通ったら、あいつの顔は38点、とかひまつぶしができるのに。

と思っているはずだ。まちがいなく。

という理由をつけて、死者たちのひまつぶしにつきあうためにぼくは墓地へと足を運ぶ。


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