2015年12月29日火曜日

【ふまじめな考察】それにひきかえ太陽系では……

「欧米では○○なのに、それにひきかえ日本ときたら……」
という言い回しを用いていいのは、

欧米の人から「アジア人って○○だよね」と言われても、
「日本も中国もミャンマーも一緒にするな!」
とは思わない人だけ。

2015年12月28日月曜日

【エッセイ】ミノムシって絶滅危惧種なんですってよ

ミノムシって絶滅危惧種に指定されているんだって。
20年くらい前から寄生虫のせいで激減してるらしいよ。

そういや昔は秋になるとよく見かけたのに、今ではまったく目にしない。

絶滅危惧種になっているという本を読むまではそんな虫がいることすら忘れていたぐらいだから、あたしはミノムシが絶滅したってまったく困らない。
困らないどころか、ミノムシって成虫になったら蛾になるわけだけど、できることならこの先、蛾と一切関わることのない人生を歩んでいきたいとすら思っている。

でも、ミノムシはおもしろいから生きていてほしい。
アリジゴクとかマイマイカブリとか尺取り虫とか、そういう個性派メンバーの虫たちにも、がんばって種として長生きしてもらいたい。
あたしの人生と関わらなくていいから、この世のどこかで細々と生きていてくれ、って思う。

ヤクザとかギャンブル狂とか露出狂とかの人たちも、絶対に関わりあいにはなりたくない。
でもそういうのがまったくいない社会もつまらなさそうだから、生態系における個性派メンバーとして、どっかでひっそりと息をしていてほしいものです。

2015年12月26日土曜日

【ふまじめな考察】公平なテロ

海外で自爆テロや銃乱射事件があったときにも、

犯人の卒業文集を朗読したり、
近所の人に「ええ、ちゃんと挨拶する子でしたよ」と言わせたりしないと、
報道の中立性・公平性は守られないのではなかろうか。

2015年12月25日金曜日

【エッセイ】やぷれし靴下いとをかし

靴下がやぶれた。
靴を脱いだら、親指がにょきっと顔を出している。

ああ、よかった。
ぼくは胸をなでおろす。
やっとやぶれてくれた。うれしい。


ぼくはものを捨てられない。
服を捨てるタイミングがわからない。
このシャツなんかもう10年着つづけている。

ジャケットやズボンは大丈夫。
何年か着ていると汚れや染みがついたりするので、捨てる理由ができる(このときばかりは、自分が食べ物をぽろぽろこぼす人間でよかったと思う)。

靴下や肌着なんかの下着類はほんとに捨てられない。
またユニクロの靴下ときたら生地が丈夫だから、なかなかやぶれない。 
だから足首のとこがよれよれのナチュラルルーズソックスになっても、捨てどきがわからなくてずっと履きつづける。
余った布が足首にまとわりついて気持ち悪い。

捨てたい。
でもまだ履ける。
捨てられない。

だから、靴下がやぶれたときは心から安堵する。
これで、捨てても誰にも怒られない(やぶれる前に捨てても誰にも怒られないんだけど)。


しかし。
靴下はまだいい。いつかはやぶれるから。

いちばんの厄介者は、パンツだ。
汚れがついたってどうせ人に見られるものじゃない(ぼくが女にモテすぎる男なら毎日新しいパンツを履くのに!)。
おまけにパンツときたら、靴下とちがってまずやぶれない。
だからぜんぜん捨てられない。

『鬼のパンツ』の歌詞で
「10年はいてもやぶれない つよいぞー つよいぞー」とあるが、ぼくのパンツはひょっとしたら10年以上履いてるかもしれない。


 ぼくのパンツはいいパンツ
 つよいぞー つよいぞー
 10年はいても捨てられない
 つよいぞー つよいぞー(貧乏性が)

2015年12月24日木曜日

【エッセイ】違いのわかるわたくし

妻が作る料理は、おいしいと思うこともあるし、うーん正直これは……と思うこともある。

人は褒めてもらえると伸びる。
ここは、違いのわかる男であるぼくが導かねば。
おいしいと思ったら積極的に「これおいしい」と言うようにしている。


しかし。
こないだ妻から言われた。
「あなたがおいしいと言うときって、オイスターソースを使った料理のときだけよね」

たしかにそうだわ……。
オイスターソースがあるかどうかの違いしかわかってなかったわ……。

2015年12月23日水曜日

【ふまじめな考察】まじめがまじめにかっこよく

校歌って、たいした学校でもないのに、ものすごい伝統があって豊かな自然に囲まれて若人たちがひたむきに勉学に取り組んで切磋琢磨しながら成長してゆくじゃない?
なんだかなあって感じよね。
地に足がついてなさすぎない?

作詞したのはその学校とは縁もゆかりもない人(創設時には卒業生がひとりもいないのだからあたりまえ)。
しょせん関係ない人が作った歌なんてそんなもんよね。

でもさ、じゃあ生徒みんなで校歌の歌詞を考えましょうってやったとするじゃない?
まずまちがいなく、ふつうの生徒は応募しないよね。
考えるのって、内申点高い系の生徒だけよね。
まじめに生徒会やるような生徒だけ。
そういう子らが、真剣に、かっこいい歌詞にしようと一生懸命考えるわけ。
もうわかるよね?

笑えないぐらいダサい歌詞になる。
まちがいなく。
だってまじめな生徒が、まじめに、かっこいい歌詞考えるんだもん。
かっこいいわけない。

やっぱり縁もゆかりもない人が考えた歌詞がいいよね。
変に肩に力が入ってなくて。

2015年12月21日月曜日

【エッセイ】潔いチラシ

路上でチラシを配っている人が

「チラシですよー!
 チラシ配ってまーす!」

と言いながら配布していた。

ふつうは「新装開店でーす」とか「セール中ですよー!」とかだと思うのだが、「チラシですよー!」とはじつに潔い。


他にも潔い売り文句を考えてみた。

・レストランのメニュー「料理 1200円」

・洋服屋の店員「服、入荷しました」

・CM「宣伝してます」

2015年12月19日土曜日

【考察】専守防衛の秋

渋い皮で身を覆って

その上から硬い皮でガードして

さらに外側をトゲで武装して

そこまで食べられないように工夫しているのに

結局おいしく食べられてしまうクリって、ほんとかわいそう。

【考察】利かせろ、とんち!

小さい子どもを持つ女性が仕事をしようとするやん?
子どもを保育園に預けないと仕事に行けないやん?
でも仕事してないと保育園には入れてくれないやん?

……。

おい!
国会に一休さんを呼んでまいれ!!


2015年12月17日木曜日

【ふまじめな考察】イルミネーションとアヘン戦争

あたしがふしぎでならないのは、クリスマスのイルミネーションだとか夜景だとかを見て
「わー! きれーい!」
とはしゃぐ輩がいるってこと。

そしてそういう妙な感性の持ち主が特に通院も服薬もせずにまともな生活を送っているってこと。

電飾がぴかぴかしてて、いったいそれの何がきれいなの?

「きれい」ってのは、雲ひとつない青空だったり、しみひとつない肌だったり、掃除のゆきとどいた部屋だったり、
「余計なものがない、整然とした状態」を指すんじゃなくて?
金色と赤と緑と青の電飾がちかちかしている街なんて、肌でいったらほくろとしみとそばかすとあばたとにきびとかさぶたがあるような状態なわけじゃない?
それをきれいと思える感覚の人が、足と鉄球を鎖でつながれずにふつうの生活を送っている、ってことがほんとふしぎよね。


しかもそういう人間がどうも少なくないらしい。
でなきゃ、12月にあんなに街がちかちかラブホテル化することの説明がつかない。
ほんとふしぎ。

ばらばらの色がばらばらのタイミングでちかちかちかちかしているのをきれいだと思う人間がたくさんいるのに、19世紀の清みたいにアヘンが蔓延していないことが、ほんとふしぎ。

2015年12月16日水曜日

【読書感想文】 長野 伸江 『賞賛語(ほめことば)・罵倒語(けなしことば)辞典』


長野 伸江 『賞賛語(ほめことば)・罵倒語(けなしことば)辞典』


内容(「BOOK」データベースより)

ほめることば・けなすことば「サラリーマン」「妻」「夫」といった対象別に紹介。ことばの達人たちの実例から、「ほめる・けなす」のテクニックも学べます。


 辞典と銘打たれてはいるが、辞典としての有用性はほぼゼロ。
 でも読み物としてはおもしろい。
 1770年刊の『遊子方言』で、「茶漬けを食べる」という意味の「茶づる」なる言葉が使われている、みたいな雑学も数多く拾える(「サボる」「タクる」のように名詞に「る」をつけて動詞にするのは200年以上前から日本人はやってたんだね)。あと「社畜」は1987年にはすでに使われていたとか。

 古典文学、俳句、狂歌、現代小説、法律などさまざまな媒体から「ほめ言葉」「けなし言葉」の用例を拾ってきているが、だんぜんおもしろいのはけなし言葉のほう。なんならけなし言葉だけでもいいぐらい。
 腰弁当、筍医者、文字芸者、小糠婿など、誰かを小馬鹿にする言葉には洒落が利いたものが多い。

 褒めるときはたとえ拙い言葉で褒めたってかまわない。むしろたどたどしい語り口のほうがお世辞っぽさが消えて真実味が増す。

 でも。
 けなすときはそうはいかない。
 へたな悪口は、言われた本人を怒らすのはもちろんのこと、傍で聞いている人まで不快にする。
 だから人をこばかにするときは知恵と技巧が必要だ。

「行動できる者は行動する。行動できない者が師になる」
 英国の作家であるバーナード・ショーの言葉だ。
 なんと知性にあふれた悪口だろうか。
 見事な悪口は、褒め言葉よりも人を楽しませる。


2015年12月15日火曜日

【読書感想文】 桐野 夏生 『グロテスク』


桐野 夏生 『グロテスク』

内容(「BOOK」データベースより)

名門Q女子高に渦巻く女子高生たちの悪意と欺瞞。「ここは嫌らしいほどの階級社会なのよ」。悪魔的な美貌を持つニンフォマニ アのユリコ、競争心をむき出しにし、孤立する途中入学組の和恵。ユリコの姉である“わたし”は二人を激しく憎み、陥れようとする。圧倒的な筆致で現代女性 の生を描ききった、桐野文学の金字塔。

 読みごたえのある小説だった。
 ただ、おもしろい、という感想は出てこない。あえて言葉にするなら、気持ち悪い、がいちばんふさわしいだろうか。
 残虐な描写があるわけではない。恐怖をあおるような文章でもない。ただ、じわりと不快な気分になる。読んでいる間ずっと。

 脇役を入れて数十人の登場人物が出てくるのだが、その誰も彼もが周囲に対する悪意を隠そうともしない、嫌なやつだ。
 さらに主要な登場人物はみな歪んだ考えを持っていて(歪み方もそれぞれちがう)、ずっと読んでいると、度のあってない眼鏡をかけつづけているような気持ち悪さがまとわりつく。

 それなのにページを繰る手が止まらない。
 この小説には、魔力が宿っている。
ぼくがいちばん薄気味悪さを覚えたのは、登場人物以上に、作者に対してだった。

「嫌な話」を書くのは、ハッピーな話の何倍も体力を使う。ぼくは趣味でものを書いているだけなので、オチをつけたり、冗談を挟んだりして、少しでも口当たりをまろやかにする。これは読む人のためというより、むしろ自分のためだ。ネガティブなことばかり書いていると、風邪をひいたときのようにどっと倦怠感に襲われるからだ。

 だからぼくは、徹頭徹尾「嫌な話」を書ききった、桐野夏生という人がおそろしくてならない。
 ここまで悪意に満ちた(ほんとに「満ちた」
としか言いようがない)小説を書いているからてっきり狂気の世界の住人かと思いきや、母親として子育てをしていたらしい。
 それ、かえって怖いぞ。
 自分の母親がこんな小説を書いていたらと思うと、おお、身震いが止まらない。
 

2015年12月14日月曜日

【エッセイ】電子クリスマス

知人が
「小学生の息子がクリスマスプレゼントに電子顕微鏡を欲しがってるんだけど、値段高くないかな?」
と言っていたので、

「大丈夫ですよ、安いやつだったら数百万円で買えますよ!」
と教えてあげた。


「ええ!? そんなに高いの!?」

「いや、安いですよ。いいやつなら億を超えるんで」

「よく知らないけど、電子顕微鏡ってそんなにするのか……」

「ふつうは大学とか研究機関が買うやつですからね。息子さん、光学顕微鏡とまちがえてるんじゃないですか?」

「あ、そうかも。光学顕微鏡ってのは安いの?」

「そうですね。電子顕微鏡よりはだいぶ安いですよ。数十万円で買えます」


2015年12月13日日曜日

【エッセイ】誰かのいつもの

 散髪に行った。
「いつもと同じでいいですか?」
と聞かれた。
「はい、お願いします」

 で。
 いつもよりかなり短い。
 ぜったい誰かとまちがえてやがる。

 というか。
 よく考えたら、はじめて行った美容院だった。

2015年12月11日金曜日

【考察】最近のリセット事情

「最近の子はゲームのやりすぎで、現実もリセットできると思っている」
という言説があるけど、

本だって途中で放り出した後にまた最初から読みはじめられるし、

サッカーでボロ負けしても次の試合は0ー0からはじまるし、

絵を描き損じたら新しい画用紙にいちから描けばいいし、

ゲームにかぎらずたいていの趣味はリセット可能なんだけどな。


最近の老人はリセットするという発想ができないから、「気をとりなおす」ことができなくて、気に食わないことがあるとすぐ暴力に走っちゃうのかな?

2015年12月10日木曜日

【エッセイ】せめて順番を

妻が「そういうことは、未亡人になって、定年退職して、たっぷり時間ができてからやるわ」
と言ってたけど、
ぼくが先に死ぬのは確定かよ。

せめて未亡人になるのと定年退職の順番を逆にしてくれよ。

2015年12月8日火曜日

【読書感想文】新潮45編集部『悪魔が殺せとささやいた』

新潮45編集部『悪魔が殺せとささやいた』

 内容(Amazonより)
澱のように沈殿する憎悪、嫉妬、そして虚無感―。誰にも覚えのある感情が、なぜ黒い殺意に変わるのか。日常のなかで突然襲い来るその瞬間、血のつながった家族、愛した人、通りすがりの名も知らぬ者を殺めるまでに、人を駆り立てるものは何か。虚飾、自己愛、そして妄想…いびつで残酷な人間の本性に迫り、殺人事件の真相を暴く、ノンフィクション集。好評シリーズ第五弾。

 猟奇的な殺人事件レポート。
 一応ノンフィクションということになっているが、関係者各方面に取材をしているわけではなく、一方の主張をそのまま事実かのように記事にしているので、ノンフィクションとしての正確性は乏しい。あくまで週刊誌的な読み物だ。
 しかし半分作り話と思って読めば、けっこうおもしろい。
 ぼくは今まで殺されたことはないのだが(みなさんもないはずだ)、殺人事件に巻きこまれるかどうかというのは単に運の問題でしかないのだと思い知らされる。
 隣人がどんな思いを持って暮らしているかなんて誰にもわからない。どんなことで恨まれているかわからないし。
 恨みを買っていないと思っていても安心はできない。この本には「殺人者の家族として生きるのはかわいそう」という理由で親から殺されてしまった人も紹介されている。

 危険な場所には近寄らない、危ない人とは関わらない、まさか殺したりはしまいと思わずに早めに逃げる。
 殺人事件の被害者にならないためにできることといえば、こういったことぐらい。
 それでもわずかにリスクを抑えるだけなんだろうけど。


【エッセイ】書店員にこばかにされる方法

本好きかどうかは、本の読み方ではなく、本の選び方で決まる。

ほんとの本好きは、本を選ぶのが好きだ。
読むより選ぶほうが好きだという人もめずらしくない。
書店やAmazonに行くとついつい長居してしまう。

ひとに「なんかおすすめの本ない?」と訊くやつは、ひとりの例外もなく偽者だ。


だから、元書店員として断言する。
本の帯に「本屋さんが選んだ泣ける本」「書店員が選んだベストミステリ!」みたいなことが書いてあるが、あれを書いている書店員の心は欺瞞に満ちている。
「こんなポップを見て買うやつなんて、ふだんよっぽど本を読まないおばかさんなんだな」
と思いながら書いている。
「ほんとの本好きはおれのポップなんか見向きもしないで、自分の嗅覚を頼りに本を選んでくれるはず!」
と思っている。
ぼく自身がばかに向けてポップを書いていたから、まちがいない。

だってそうでしょうよ。

服屋のマネキンのコーディネートを上から下までそのまんま買って、「おれおしゃれにはうるさいんだよね」と言ってる人を、おしゃれ店員がこばかにしないと思いますか?

2015年12月7日月曜日

2015年12月5日土曜日

暗算こそが我が人生

今日も初対面の人から「冷蔵庫の中身、すぐに賞味期限切れさせそうだよね」って言われたあたしだけど、こう見えて暗算はけっこう得意。
だって日能研に通ってたから。
毎週月曜日は行きたくないって泣きながら通ってたから。

買い物をして、代金が678円になったとするよね。
財布を見たら、小銭がけっこうたまっている。
しめた、って思う。
“ごはんを炊くのが上手”と並んであたしの数少ない特技である暗算能力を使うときがきた!

あたしは瞬時に計算して、財布から1233円をとりだして、レジに置く。
いや、置くんじゃない。たたきつける。
びたんっ。
王手!

レジ係は怪訝な顔をするよね。
678円だっつってるのに何こいつ1233円とか出してるの、まじ意味わかんねーし、義務教育受けなおしてこいよ、って顔してる。

でもあたしは涼しい顔。
まあいいからレジ打ってみなさいよって。
そんな顔をするし、調子づいているときにら実際に口に出して言う。
「いいから打ってみなさいよ」

レジ係は、このはし渡るべからずの橋を堂々と渡りはじめた小坊主を見たときみたいに「解せぬ!」って顔するんだけど、そうはいっても客であるあたしには逆らえないわけよ。資本主義バンザイ。

首をかしげながら預り金額を入力するレジ係。
「1」「2」「3」「3」「小計」

そして液晶画面に明々と表示されるおつり。


“ ¥555 ”


決まった……!
どやさっ。

678円の請求に対してあたしが1233円出したとき。
おつりが硬貨3枚ですむなんて、このレジ係はたとえ頭の片隅でも想像しただろうか。
いいや、してないね。
義務教育受けなおしてこいよと思っていた(にちがいない)レジ係に対して、あたしは声を大にして言ってやりたい。
義務教育受けてましたけど?
それどころか日能研通ってましたけど?
泣きながら?

ところで、あなたの人生の最大の晴れ舞台っていつ?
結婚式? 大学の合格発表? 甲子園に出たとき? 紫綬褒章もらったとき?

あたしは今、このとき。
555円のおつり表示を前にして
「こ、こ、こ、こいつ……。できる……!?」
って脳内であたしにひれ伏している(にちがいない)レジ係に向かって、そら見たことか! って尊大な顔をしているとき。

すばらしきかな我が人生!

2015年12月4日金曜日

【考察】潤滑油は百薬の長

自転車が錆びついたから油をさしたら、ブレーキのとこにまで油が入り、摩擦がなくなってブレーキがまったく利かなくなって痛い目に遭ったことがある。

「酒は人間関係の潤滑油」とはよくいったもので、たまに利かなきゃいけないブレーキまで利かなくなるところまで一緒だ。

2015年12月3日木曜日

【エッセイ】おしりやぶれかぶれ

 ひさしぶりの再会というのはたいてい心おどるものなんだけど、でも中にはもうこいつとは一生かかわりたくない! ってやつもいるわけ。
 でもそういうやつにかぎって再会しちゃうんだよね。

 なんでこんなことを言いだしたのかというと、またしても破れちゃったわけ。
 スーツのズボンのおしりのとこが。
 びりっと。

 テレビから地震速報の音が聞こえてきたら一瞬でそっちに意識もっていかれるけど、その音よりも鮮明に「びりっ」て聞こえたからね。

 いやー。まさかまたズボンのおしり破れに遭遇するとは。
 4年ぶり2回目。
 甲子園でいったら、地方の商業高校ぐらいのそこそこの強豪校だよね。

 4年前に破れたときは、会社早退したからね。
 いや、冗談じゃなくほんとに。
 そりゃあ12時におしり破れたら、午後から仕事にならないでしょ。立ち仕事だったし。

 ワタミの社長ですら「大丈夫か。今日ははやく帰れ」って云うでしょ。

 二親等が死ぬぐらいの出来事だからね、
おしり破れるってのは。
 余裕で忌引き休暇使いましたよ。嘘だけど。
 で、半べそで帰宅しましたよ。ええ。

 前回はしゃがんだときに破けたんだけど、今回は椅子に座ろうとしたとき。
 
 どっこいビリッしょー!!
ってな感じで豪快にいっちゃいましたわ。
 
 まさかこんな大災害が待ち受けているなんて。
 今朝のニュースでは、波浪注意報と強風警報だけしか出てなかったから、おしり破れについてはなんの対策も講じてきていない。
 事前に言ってくれたらアップリケぐらいは用意してきたのに。
 お天気お姉さんの役立たず!

 けれども不幸中の幸いで今回は破けたのが夕方だったから、武田信玄の教えを守って終業時間までじっとやり過ごすことができた。

立ち上がってからコートを着るまでのはやきこと風の如し。

人目につかぬようそっと動くこと林の如し。

恥ずかしくて赤面すること火の如し。

傷口が広がらぬよう動かざること山の如し。

 
 ということで、コートでおしりを隠しながら、なんとか無事に帰宅することができたわけです。
 コートの季節でよかった。

「今日は冷えこみがきつくなるので長めのコートを着てお出かけください」
といってくれたお天気お姉さん、さっきはごめんなさい本当にありがとう!

2015年12月2日水曜日

【エッセイ】エッチに関するルールについて

 そうはいってもぼくはいたって生真面目な人間だから、法律や規則は極力守るように努めている。
 無人の野菜販売所でもきちんとお金を払うし、よほどのっぴきならない状況にならないかぎりは立ち小便だってしない(つまり先週金曜の晩はのっぴきならない状況だったということになる)。



 ここで突然だが、性の話をする。

 おっと。
 ぼく自身の名誉のためにことわっておくが、「性」といっても、社会的な性差をあらわすジェンダーだとか、生物学的な男女のちがいといった意味の「性」ではなく、もちろん、やらしい意味での「性」の話だ。

 小学生のとき、男子が女子と仲良くすることは、戦争と同じくらいの「悪」だった。

 女子と仲良くするやつはエロい、
 エロいことはいけない、
 したがって女子と仲良くするのはいけない。
 この一分の隙もない三段論法は、神聖ニシテ侵スベカラズ鉄の掟として男子小学生の世界を統べていた。
 優等生だったぼくはもちろんその掟を愚直に守り、憎まれ口以外の言葉を女子との間に交わすことはなかった。

 それがどうだ。
 ぼくの預かり知らぬところで、いつのまにやらルールが変わっていた。
 女子と話すなんてかっこわりい、と云ってたやつが、女の子と手をつないで一緒に帰るようになっていた。
 おれエロいことになんて興味ねえし、と云ってたやつが、どうやらスカートめくりよりももっとエロいことを女の子と楽しんでいるらしかった。
 エロいやつは蛇蝎のごとく蔑まれていたのに、ぼくが気づいたときには、エロいことをしたやつのほうが偉いという風潮に変わっていたのだ。
 なんたる価値観の転換。

 昭和二十年八月十五日。
 敗戦を機に、軍国主義から民主主義へと世の中が一変した戦後の日本人もこんな感覚を味わったのだろうか。
 いや。
 彼らには玉音放送というターニングポイントがあった。
 しかしぼくの場合、気づかぬ間に世界のルールが変わっていたのだ。
 終戦を知らずにジャングルで隠れていた横井庄一さんが真実を知らされたときの気持ちだ(のはずだ)。

 いったいいつのまに。
 あれか。
 たまたまぼくが風邪で学校を休んだときに、学級会で話し合いがもたれて、
「それではー、エロいことをした人のほうがー、かっこいいということになりましたー。賛成の人は拍手をしてください!」
みたいな議事があったのか。
 ぼくだけ聞いてないぞ。
 あんまりじゃないか。
 学校を休んだときは近くの家の人がプリントを届けることになってるのに。
 そんな大事なおしらせが、ぼくにだけ届いてない。

 おかげでぼくは今も、女の人と話すことに後ろめたさを感じてしまう。
 会社で女性社員と雑談をしているだけで、
「うわー、あいつ女と仲良くやってるゼー」
なんて後ろ指をさされるんじゃないかという気がしてならない。



 とまあ、突然のルール変更に苦しんだ経験があるから、なるべくならルールは変えないでいただきたいというのがぼくの信条だ。
(以上、「憲法改正に対するあなたのお考えをお聞かせください」という質問に対する回答)


2015年12月1日火曜日

【エッセイ】プロ野球カードゲーム

プロ野球カードゲーム。
ぼくが小学生のとき、死ぬほど遊んだゲームだ。

タカラから発売されていて、1球団が1セットになっていて618円(本体価格600円。当時は消費税3%)。
1セットに、30枚ほどの選手カードが入っていた。
カードの表は、選手の写真と昨年の成績。
じつはここはほとんど意味がない。
大事なのは裏面だが、それについては後ほど説明する。

ぼくが持っていたのは、1993年版の西武、阪神、巨人、ヤクルト、中日、広島。
なぜこの6球団だったのかというと、

・マンガ『かっとばせキヨハラくん』の影響で西武ファンだった
・当時はほんとにセ・パの格差がひどく、パ・リーグにスター選手はほとんどいなかった(イチローが活躍する少し前だ。せいぜい清原、野茂、伊良部ぐらい)
・セ・リーグの中でも横浜は特に不人気だった

というような理由が挙げられる。

その中でもやはり西武ライオンズはお気に入りだった。
93年の西武といえば、黄金期の呼び名にふさわしく、圧倒的な強さを誇っていた。
なにしろその前年、パ・リーグのベストナインは10人中8人が西武の選手、ゴールデングラブ賞も9人中8人は西武だった。
渡辺久、工藤、伊藤勤、秋山、石毛、田辺と後に監督になるほどの選手を6人も抱えており、さらに走攻守三拍子そろった名手辻(1塁走者だったのにシングルヒット一本で本塁生還しちゃうんだぜ)、バントの達人・平野、鈴木健など、いい脇役もそろっていた。
そこにくわえて4番に清原、中継ぎと抑えに潮崎と鹿取。それを智将・森監督が率いているわけだから、ほんとに隙のないチームだった。


話がそれた。あの頃の西武の強さについて語ると止まらなくなるので、このへんでプロ野球カードゲームの説明に戻る。

ゲームの進めかたはこうだ。
プロ野球カードゲームはふたりで対戦する。
守備側と攻撃側がサイコロ(別売)をそれぞれ1個ずつ振る。
出目の合計が7ならファール、6以下の偶数ならストライク、5以下の奇数ならボール(ちなみにこれは何も見ずに書いている。最後に遊んだのは20年ほど前なのにまだ細かいルールまで覚えていることに自分でも驚いた)。
そして2つのサイコロの合計が8以上ならヒッティングとなる。今度は攻撃側が2個のサイコロを振る。
ここではじめて打者カードの裏を使うときがきた。
そこには、出目の組み合わせによるヒッティングの結果が書いてある。
2・6→レフト線2塁打
4・5→サードゴロ
6・6→ホームラン
など。
1・2と2・1は同じものとして扱うため、サイコロの組み合わせは全部で21通り。つまり21通りのヒッティング結果があるわけだが、その内訳は選手によって異なる。
打率の高い選手だと安打になる組み合わせが多い、長距離打者は本塁打の組み合わせが多い、三塁打が発生するのは足の速い選手だけ、など。

さらに選手には走塁のパラメータもあり、「二盗」「犠飛で本塁生還」「一塁からツーベースヒットで生還」などが成功するかどうかもサイコロの組み合わせで決まる。もちろん足の速い選手ほど成功の確率は高まる。

とにかくカードとサイコロだけですべてが決まる、シンプルながらじつに奥深いゲーム。それがプロ野球カードゲームだ。


このゲームにぼくは夢中になった。
友人と対戦することもあったが、ひとりでやることのほうが圧倒的に多かった。
サイコロでほとんどすべてが決まる(意志が入るのは送りバントをするかどうかとか代打を出すかなどの采配の部分だけだ)。だからひとりでやったとしても、どちらが勝つかはわからない。

ぼくは、ひとりで毎日チンチロチンチロとサイコロを振り、6球団によるリーグ戦をおこなった。
各チーム50試合ずつのペナントレースを戦わせ、スコアブックもつけて、首位打者や最優秀防御率などのタイトル争いもおこなった。
スコアを記録したノートは数冊にのぼった。


だが、どんな遊びもいつかは飽きる。
いつしかプロ野球カードゲームにも飽きて、ひとりでサイコロを振ることもなくなった。

そして数年後。
高校数学で『確率』の分野を学んだぼくは、こうつぶやかずにはいられなかった。
「えっ、かんたんすぎる……」

なにしろ毎日毎日サイコロを振っていたのだ。
2つのサイコロの出目の合計が10になる確率が1/12であること、ゾロ目が出る確率が1/6であることなんかは、数多の経験からとっくに導き出していたのだ。
さらに打率や防御率も算出していたので、計算も得意になっていた。
『確率』の分野においては当然テストも満点だった。


楽しく遊べて確率の勉強もできるプロ野球カードゲーム、今では販売していないようだ。
残念でならない。
もしぼくの子どもが将来野球を好きになったら、手作りでプロ野球カードゲームを作ってやろうと思う。

2015年11月30日月曜日

【思いつき】われら復讐の子

「復讐は何も生まない!」
と言う人は、『忠臣蔵』『かちかち山』『さるかに合戦』が誰にも何の感動も与えずにこれだけ長く語り継がれてきたと思っているのだろうか。

2015年11月28日土曜日

【思いつき】日本ふつう話

 有名な日本むかし話も、ちょっと変えるだけでメルヘンさのかけらもないごく普通の話になるね。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

「わたしがお風呂に入っているあいだは、決して中をのぞかないでください」
 男が言いつけを破って中をのぞくと、
あんなに美しかった女は鬼の形相へと変わり、走り去ったまま二度と戻ってくることはなかったということでした。


2015年11月27日金曜日

【戯曲】正直村と嘘つき村(当時)

「この先に、正直村と嘘つき村があります」

 「はい」

「どちらも行政区分としての村ではありません」

 「はい?」

「かつて存在していた正直村と嘘つき村は、平成の大合併により四国中央市に統合されました」

 「四国中央市に」

「今では、『愛媛県 四国中央市 正直』という地名にその名を残すのみです」

 「嘘つき村のほうは」

「イメージが悪いのでその名前は完全に消えました」

 「なるほど。四国中央市は四国の中央にあるんですか」

「いえ。北端です」

 「じゃあ嘘つき村の精神は今も根づいているわけですね」

2015年11月26日木曜日

【エッセイ】下々の生活

ミュージシャンが全国ツアーで言う
「大阪めっちゃ好きやねん!」
「福岡好いとーとよ!」
って、ほんとに好きだったらぜったいそんなこと言わないよね。

庶民の服を着て城下町へ出て「なるほどこれが下々の生活か」とうそぶく殿様と同じような傲慢さを感じる。

全国ツアーでご当地あいさつをするミュージシャンは、アメリカ南部なまりの人に向かってわざと南部なまりの英語でしゃべって銃を向けられたらいいのに。

2015年11月25日水曜日

【思いつき】人形のプーさん

くまのプーさんが熊じゃなくてぬいぐるみだということを、今さらながらはじめて知った。
どうりで黄色いと思った。

ってことはプーさんの世界は、クリストファー・ロビンの空想の世界なわけか。
『くまのプーさん』のクリストファー・ロビンとプーさんの関係は、
『トイ・ストーリー』におけるアンディとウッディだったんだね。
 視点が逆だから気がつかなかった。

2015年11月24日火曜日

【エッセイ】しつこくないやぎさんゆうびん

 2歳児が歌っていた。
「くろやぎさんからおてがみついた♪
 しろやぎさんたらよーまずにたべた♪
 しーかたがないっ!」

 うん、そうだよね。
 そっちのほうがまっとうな対応だよね。

2015年11月23日月曜日

【ふまじめな考察】世にもつまらない文章

インターネットが普及したことによって、ホームページやブログやTwitterやFacebookなんかで、誰でもかんたんに自分の文章を全世界に向けて発信できるようになった。
とても便利な世の中になったと思うが、何がすばらしいって、誰でも手軽に「つまらない文章を読めるようになった」ことだ。

昔は、そうではなかった。
書籍や雑誌や新聞など、活字となって世に出回っているものは、ちゃんと訓練を受けた人が書いていて、ちゃんと訓練を受けた人がチェックしていたわけだから、一定の水準には達していた。
現在TwitterやFacebookで散見される「うちの子こんなにかわいいのよ。でへへ」みたいなゴミや、「おれってこんなに人脈広くてすごいお方なんだぜ。どやっ!」みたいな産廃は、インターネット以前には活字になる前に葬られていたものだった。
そういったひどい文章は、小学校の文集や会社の社内報でひっそりと出回っているだけで、誰でもかんたんにアクセスできるようなものではなかった。

つまらない文章を読むと、勉強になる。
起承転結のない自分語りがいかに読者を不快にさせるか、どんな文章指南書よりも雄弁に教えてくれる。
テクニックのない人の内輪話を読んでいると、痰壺をのぞいているような気分になる。この事実は、名文家とされる文豪の著書をいくら読んでもわからないことだ。

ぼくが子どもの頃、大人はみんな立派な人だと思っていた。
大人たちが書く文章は、筋道が通っていて、読み手のことを意識していて、エゴを抑えたものばかりだったからだ。
その認識が誤りだったことを、インターネットは教えてくれた。
大人がみんな読みごたえのある文章を書くわけではなく、そういった文章を書ける大人だけが世間に文章を発表する権利を与えられていただけだったのだと。

文章にかぎった話ではない。
歌がへたくそな歌手や、つまらないお笑い芸人や、考えのない評論家は昔からいた。ただ彼らが陽の目を見なかっただけで。
今、我々は彼らから多くのものを学ぶことができる。いい世の中になったものだ。

数百年前から駄作を提供してくれていた、和歌がへたくそな歌人や、弱い武士や、思想浅薄な儒学者たちの存在が現在に伝わっていないことがつくづく残念でならない。

【思いつき】あんたがたどこさ


たぬきがあんたがたどこさをしているイラスト。

撃たれて煮られて焼かれて喰われるとも知らずに……。

2015年11月20日金曜日

【ふまじめな考察】おばあちゃんの寿命を伸ばすには

海外のとある大学教授の話。
試験前になると多くの学生が
「すみません、祖母が先週亡くなりまして。葬儀があって勉強できなかったんです。そういう事情なんで、なんとか単位をもらえないでしょうか……」
と言いにくるので、
「試験と祖母の急死の間の因果関係」
を調べたそうです。
教授がデータを収集してみたところ、祖母が亡くなる確率は、試験の前にはふだんの10 倍以上になり、さらに成績の良くない学生の祖母が亡くなる確率は50 倍にも上ることがわかったそうです。
(中室牧子『学力の経済学』より)


なるほど、おもしろい研究だ。

ということは、平均寿命を伸ばすためには、大学の試験をやめればいいわけだな!
(正しい推論から導きだされる、誤った結論)

2015年11月19日木曜日

【エッセイ】一円たりない

 レジから離れてから気がついた。
 お釣りが一円たりない。
 もう一度数える。
 まちがいない。

 心臓が高鳴る。
 ぼくは今、試されている。
 そう、こういうときにこそ真の人間性が試されるのだ。
 ここでいかにスマートに振る舞えるかが、ダンデーな大人か、あるいはしみったれた守銭奴かを決定づけるのだ。
 さあ、この危機的状況を打破できるのか。
 ペットボトルのキャップほどしかないぼくの人間としての器に、途方もなく大きな試練が注がれている。
 
 
 足りないのが百円だったなら話はかんたんだ。
 なぜなら、百円だったら堂々と云えるから。
 胸を張ってレジに戻り、「おつり百円たりなかったよ!」と大きな声で云えばいい。
 そこまで強く云われたらあの中国ですら尖閣諸島をあきらめんじゃね? ってぐらい声高らかにぼくの領有権を主張することができる。
 百円という大金だったなら。

 しかし。
 今ぼくの手元に足りないのは一円なのだ。
 都会では自殺する若者が増えているが、問題は一円たりないことなのだ。

 数万年前に我々の祖先が言語を獲得して以来、ありとあらゆるフレーズが人々の間を飛び交ってきた。
 その中でも、およそこんなにも情けないセリフはなかろう。
「一円たりないんですけど」
 九歳のときのことが頭によみがえる。
 あの日おつかいを頼まれたぼくは、会計を済ませた後、おつりが十円たりないことに気づいた。
 あわててレジに駆けもどり、店員のおねいさんに十円たりない旨を伝えた。
 そのときの不信感に満ちたおねいさんの顔が今でも忘れられない。
 ほんとにたりなかったの?
 そうやって十円多くせしめようって腹でしょ、小汚いガキンチョね。
 おてんと様は騙せても、このあたいの目は欺けないわよ。
 この桜吹雪が目に入らないの?
 おねいさんの瞳はそう云っていた(ような気がした)。
 結局、しぶしぶといった様子でおねいさんは十円玉を手渡してくれたのだが、疑われた(ような気がした)ことは、まだ少年だったぼくに深いショックを与えた。

 この出来事は、ぼくを卑屈な人間にした。
 それはつまり今ぼくが女にモテないのはあのおねいさんのせいであるということである。
 
 
 しかしもうあの頃とはちがうんだ。
 ぼくもいい大人になった。
 ネクタイだってしてるし、シャツの裾だってほとんどズボンの中にしまってる。
 こんな三十のおじさんが、たかが一円のために嘘をつくなんて誰も思いやしない。
 堂々と権利を主張すればいい。
 だめだ。
 考えすぎるな。
 あれこれ考えるほど、必死さが増す。
「あっ、えっ、ぼぼぼくのおおおつりがですね、たりなかったっていうか、あでも一円なんすけど、あっ、えっ、あやっぱいいです。すんませんすんません、うへへっ」
 こんなにかっちょ悪いことはない。

 こんなときぼくは思う。
 ああ、ぼくがばばあだったなら。
 もしぼくがばばあだったなら、
「ちょっとあんた一円たりないわよ何考えてんの!」
と、脊髄反射よりも早く云えるのに。

 また、こんなことも思う。
 ああ、ぼくが野口英世だったなら。
 留学費用を女遊びに使い込んだせいで渡米できなくなり、親切な人に泣きついて借りた金もまた夜の街で使い果たしてしまった野口英世だったなら。
 きっと一円たりないことなんて一秒たたないうちにきれいさっぱり忘れてしまえていただろうに。

 でも云わなきゃ。
 そうだ、一円が惜しいから云うわけじゃないんだ。
 閉店時に一円のレジ誤差が出るとお店の人が困るだろうから、教えてあげるだけなんだ。これは親切なんだ。
 よし、云おう。
 なるべく、なんでもない調子で。

 決意を固めたそのとき。
 店員さんが近づいてきた。
 ぼけっと突っ立っているぼくに、
「すみません、先ほどプリンを買われた方ですよね」
  「はあ」
「レジの前に一円落としていまして、お釣りを一円少なく渡していました。申し訳ありません」
 そう云って店員さんはぼくに一円玉を差し出した。
 なんだ。
 向こうから気づいたじゃないか。
 ぜんぜんぼくが気をもむ必要なんてなかったじゃないか。

 ぼくはダンデーな大人の余裕たっぷりに応じる。
「あっ、えっ。そそそそうですか。ぜんぜんぜんぜんききき気がつかなかったです。すんませんすんません、うへへっ」


2015年11月18日水曜日

2015年11月17日火曜日

【エッセイ】無神経な父

 ぼくの父親はほんとに無神経な人だ。

 プレゼントをもらったときに
「同じやつこないだ買ったばっかりなんですよ」
って言っちゃう。
「うちの家ほんとに田舎で……」と謙遜する相手に対して、
「あーたしかに、あのへんほんとになんにもないですよね!」
と言ったこともある。
 悪気がないのが余計にたちが悪い。

 無神経な発言をしては、母にたしなめられるのが常だ。



 ぼくが小学生のときのこと。
「わらじを作る」という授業があった。
 紐を編んで、わらじを作る。まずは自分ひとりで一足作り、残り一足は授業参観の日に保護者と一緒に作るという予定だった。

 前半のわらじ作りの日。悪ガキだったぼくは、悪友Sと一緒に紐で指を縛ったり、紐を切って投げたりと、ぜんぜんまじめにわらじを編まなかった。
 ふと気がつけば、他の子たちのわらじ作りは着々と進んでいる。すでに一足完成させた子もいる。

やばいな。おれらもそろそろやるか。
あれ。
けっこう難しいな。ちゃんと説明聞いてなかったからな。
まずい、このままだとおれとSだけまったくできていないじゃん。

……ふと隣を見ると、Sはすごい勢いでわらじを編みあげてゆく。
 しまった、こいつめちゃくちゃ器用なんだった!
 そして無情にもチャイムが鳴り、前半のわらじ作りが終わった。
 周りを見渡してみると、どんなに遅い子でも4割は完成している。ぼくだけだ、1割もできていないのは。


 その日から1週間、ぼくはずっと憂鬱だった。
 わらじができていないことはべつにかまわない。自業自得だ。
 問題は、ぼくだけがぜんぜんできていないこの状況を、授業参観でやってきた母が見たとき、何と思われるかだった。

 母は怒るだろうか。
 いや、それならまだマシだ。
 母はきっと怒らない。きっと深いため息をつくだろう。そして悲しそうな顔を見せるにちがいない。
 己のばかな行為で母親を悲しませる。ほんとに気が滅入る話だ。
 まじめにわらじを作らなかったことを心底後悔した。


 そして授業参観当日。
 意外にも、学校に来たのは母ではなく父だった。
 ぼくの父は仕事大好き人間なので授業参観のようなイベントに来るのは決まって母親だった。 母に用事があって代わりに休みをとったのだろう。父が参観日に来たのは後にも先にもこのときだけだった。

「それでは、おうちの人と一緒にわらじ作りの続きをしましょう」
 担任が言い、みんなはロッカーに作りかけのわらじを取りに走った。ぼくだけが重たい足どりで、1割もできていないわらじを取りに行った。
 
 父は、戻ってきたぼくが手にしている、ちっともできていないわらじ(というかほとんどただの紐)を見た。それから周囲を見渡して、他の子の作品と見比べた。自分の息子だけがダントツで見劣りしていることは明らかだった。

 父は、笑った。

 それはもう、大笑いだった。
「はっはっは! おまえだけぜんぜんできてないじゃないかー!」
 ぼくのできそこないのわらじを指さして爆笑していた。 

 てっきり、母がいたらそうしたであろうと同じように、悲しむか怒るかだと思っていた。ところが予想に反して父が大笑いしたので、ぼくはびっくりして、そして照れ笑いを浮かべた。

「おまえだけだぞ、こんなにひどいのは。なんだこれ。わらじの形にもなってないじゃないか! はっはっは!」

「ははっ。ずっと遊んでたからね」

「ほんとおまえはダメだなー!」

 もし母がこの場にいたら、「そんなこと言わないの!」と父をきつくたしなめていたことだろう。
 だが父はちっともぼくに対して気を遣わなかった。
 そして「ぜんぜんできてないけどしょうがない、一からわらじつくるかー」と言ってぼくと一緒にわらじを完成させた。

 ぼくは、このときの父の無神経さに心から救われた。
 作ったものをばかにされて、嘲笑されて、おまえはダメだと言われたことで、1週間憂鬱だった気持ちがすっと晴れた。


 同情よりも無神経にばかにするほうが、よっぽど相手を楽にすることもあるということをぼくはそのとき学んだ。


2015年11月16日月曜日

【写真エッセイ】エサヤルナラマスクかけてやれ

公園にあった落書き。




ハトのフンの粉吸うと
肺ガンなるぞ
エサヤルナラマスクかけてやれ
わからんのか本ぐらい読め


なんかものすごい狂気と暴力性を感じる……。
と思ったんだけど、見た目のインパクトが強烈だからそう思うだけで、冷静に書いてあることの内容だけみると、見ず知らずの誰かの健康を気づかう心優しいメッセージだ。

表現のしかたがおかしいだけで、じつはこれを書いた人はすごくいい人なんじゃないか!?

ま、でも、ぼくはかかわりあいにはなりたくないけど。

2015年11月15日日曜日

【読書感想】 内田 樹 『街場の戦争論』

内田 樹『街場の戦争論』

内容(「版元ドットコム」より)
日本はなぜ、「戦争のできる国」になろうとしているのか?
安倍政権の政策、完全予測!
全国民の不安を緩和する、「想像力の使い方」。
シリーズ22世紀を生きる第四弾!!
改憲、特定秘密保護法、集団的自衛権、グローバリズム、就職活動……。「みんながいつも同じ枠組みで賛否を論じていること」を、別の視座から見ると、まったく別の景色が見えてくる!現代の窒息感を解放する、全国民必読の快著。


  内容はいつもの内田樹という感じなのですが(べつにけなしているわけではなくいつもの水準でおもしろいということだ)、本文よりもあとがきに心を動かされました。
 以下引用。

 ですから、この本はかなりシリアスかつアクチュアルなトピックを扱ってはいますけれど、ほとんど論争的な性格を持っておりません。ただ、「みんながいつも同じ枠組みで賛否を論じていることを、別の視座から見ると別の様相が見えます」ということを述べているだけです。それだけ。「僕が見ているようにみんなも見るべきだ」というようなことは求めておりません。

 ぼくが他人に読ませる文章を書くときに心がけていることがふたつある。
 ひとつは「自慢ほどつまらないものはない」ということ。これは説明不要でしょう。
 もうひとつは「『~するべき』の言い回しを極力避ける」ということ。
 右翼でも左翼でも、原発推進派でも反対派でも、うどん派でもそば派でも一緒なんですが、
「~するべき」「~しなければならない」「~という考え方をするやつはだめだ」
という調子で書かれたものは、まあつまらない。

 逆説的だけど、他人に指示をする文章は、他人に読ませる文章ではありません。
 登山をするべきだとはどこにも書いていないけれど、読んだ後に「おれも山に登ろう!」と思わされるテキスト。それが他人に読ませるための文章です。
 あるいは「おれは山が嫌いになった!」と思わされるテキスト。これもまたいい文章です。
 書き手の意図とはぜんぜんちがう方向に心を動かされるのも、すばらしい読書体験です。

 金曜ロードショーで観る映画が7割減でおもしろくなくなるのは、画面の端に
「この後、感動のエンディング!」
みたいな煽り文句が出てくるからです。
 はいここで泣きなさい、この映画は名作なので感動しなさい。そんなことを言われておもしろくなるわけはありません。

 論争は自己満足と自己満足のぶつかりあいです。他人を動かす力はありません。
 テレビ番組や国会の論争を見て「これはいいものを見た」と思ったことはありますか。ぼくはありません。少なくとも論争をしている片方を、多くの場合は双方を嫌いになる。耳を貸したくなくなる。
 こうすべき、これが絶対に正しい、という主張に人を動かす力はありません。

 スローガンというやつも同じです。
 書くの好きな人多いですよね、スローガン。
 学校の教室に貼ってある「元気に明るくあいさつしよう」やら、オフィスの「汗と知恵を出せ!」みたいなのやら、電車内の「チカン、アカン」やら。
 あれを読んで「よし、元気に明るくあいさつしよう!」とか「今まで温存していたけど、知恵を出すことにしよう!」とか思ったことはありますか。ぼくはありません。痴漢は妄想の中でしかやったことありませんが、もし本当の痴漢だったとしても、あれを見て「チカン、やめよう!」と思うことはないでしょう。
 そりゃそうですよね。
 あれで人の心を動かせるなら、小説家なんてひとりもいりません。何百ページにもわたる小説を書く必要なんかない。たった一文、「感動しなさい」と書くだけでいい。「おもしろがりなさい」と書きさえすればいい。

 そんなわけでぼくは思うのです。
「~するべきだ」という言い回しはぜったいに避けるべきだ!

2015年11月13日金曜日

【エッセイ】ナッツなめちゃいました

 同僚のA田さんは、美人なのに結婚できないまま30歳を迎えた。
 彼女がハンカチを持たずに衣服で濡れた手を拭くことや、食品以外のものをなんでもかんでも冷蔵庫に入れてしまうことは、以前にここで書いた。

 そんなA田さん、最近はナッツ類にはまっている。
 きっかけは、ぼくがうっかり
「ぼくんちの近くに豆屋さんがあって、いろんなナッツを1袋100円で売ってるんですよ」
と云ってしまったことだった。
 ナッツ好きのA田さんは
「お金渡すから買ってきて!
 くるみと、カシューナッツと、マカデミアンナッツと、あとピスタチオでいいや」
と、ぼくに300円を握らせて命じた。
 あの、A田さん。
 100円足りないんですけど。
 
 ◆ ◆ ◆

 そんなわけで最近のA田さんは仕事中にずっとナッツをぽりぽりやっている。
 ハンカチを持ち歩かないぐらいがさつな人だから、もちろん彼女のデスクの下はピスタチオの殻だらけだ。
「A田さん、ほんとナッツ好きですね」
  「そうなのよ。あと、かりんとうも好き。やっぱおやつは自然な食品がいいよね。チョコやスナックと違って食べすぎても太らないし」
「いやいや。ナッツはすっごく高カロリーですよ。脂肪も多いですし。種子ですからね」
  「そうなの!? 知らんかったー。ただでさえ、最近腹出てきたのになー」

 ◆ ◆ ◆

 ナッツが高カロリーだと知ったA田さんは、しかし大好きなナッツを控えることもできず、斬新な対策を打ち出した。
 それは「ナッツをかじらずに舐めつづける」という方策だった。

  「ほら、かじるからついつい食べすぎちゃうのよね。舐めてたら溶けるまでに時間かかるから、食べる量を抑えられるでしょ」
「いや、そうかもしれないですけど……。ナッツって、あの食感がおいしいんじゃないですか。舐めてもおいしくないでしょ」
  「いいの! どんな食べ方してもあたしの自由でしょ!」

とはいうもののA田さん、ほお袋にくるみを溜めこむのはやめてください。
 仕事の話をしてるときに、口から溶けかけのくるみが飛び出すんで。

 あと、お皿がないからってお菓子をティッシュに乗せて机に置いとくのも、ほんとやめてください。
 近くの席の人みんなが、ティッシュに乗ったかりんとうを見てぎょっとした顔してますから。

2015年11月12日木曜日

【エッセイ】チェスとエロス

小学生5年生のとき。
大人向けの本のおもしろさに目覚めつつあったぼくは、母の本棚をあさり、タイトルがおもしろそうだったのでジェフリー・アーチャーの短篇集『十二の意外な結末』を手に取った。

タイトルのとおり、十二の短篇が収められた作品。そのうち十一の作品についてはまったく記憶に残っていない。
だが『チェックメイト』だけは、鮮明に覚えている。何度も読み返した作品だからだ。

短篇小説として優れているわけではない。感動するような話ではないし、意外なオチもない。見聞が広げられたり、考えこまされたりするような小説でもない。
ではこの短篇のいったい何が10歳のぼくを惹きつけたのかというと、すごくエロかったからだ。


『チェックメイト』はこんな話だ。
ある男が、チェスクラブで美女と出会う。
ふたりは男の自宅でチェスをすることになった。
そこで男は美女からこう持ちかけられる。
私が勝ったらあなたからお金をもらう、ただしあなたが勝ったら私は一枚ずつ服を脱ぐ、と。
そして男は連勝し、約束通り美女は身にまとっているものを脱いでいくのだが、あと一回勝てばいよいよ下着を脱がせられるというところから連敗を喫し、男は大金を巻き上げられてしまう。
じつは美女はチェスのチャンピオンで、その強さを隠していたのだった……。

というお話。


大人にとってはちっともエロいストーリーではない。
だが10歳のぼくにとっては、美女が服を一枚ずつ脱いでいく描写がものすごく刺激的だった。
まだエロ本も読んだことのなかったぼくにとって、はじめて触れたエロいメディアが『チェックメイト』だったのだ。何度も読み返し、そのたびに興奮した。

日本の文学、漫画、映画、テレビにチェスの描写が出てくることはめったにない。小川洋子の『猫を抱いて象と泳ぐ』ぐらいしかぼくは知らない。
また、チェスの対局をしたこともない。

だから、ぼくにとってチェスといえば、エロい美女の服を脱がすための手段であり、将棋やバックギャモンのようなテーブルゲームというより、どちらかというと“前戯”に分類されるものなのである。


2015年11月11日水曜日

【エッセイ】代わりに夏休みに補修受けるんで

ということで眼科に行ったら、結膜炎だと診断された。
薬局で目薬をもらってくださいと言われる。

薬局に寄ると会社に遅刻しそうだったので、上司に電話をした。

Trrrrr……

「すみません、結膜炎になったので薬局に行ってから出社します。15分ほど遅刻します」

 「ええっ! 結膜炎!?」

「はいそうです(そんなに驚くような病気か?)」

 「おまえ、結膜炎って、それ出社して大丈夫なのか? うつるんじゃないのか?」

「いや、ふつうにしてたら大丈夫なんじゃないですか。医者にも特に何も言われませんでしたし」

 「いやいや、うつるって。プールとか入ったりしたら」

「いやぼく、課長もご存じのとおりデスクワークなんで……」


というわけで社長、今日のプールは見学させてください!

2015年11月10日火曜日

【エッセイ】優しい両替

 駅前で、アジア系女性が若い男の人に声をかけていた。
「両替シタインデスケド……」
という言葉が漏れ聞こえてきた。
 しかし、若い男性は彼女を無視してその場を離れてしまった。

 ぼくは激しく憤った。
 なんて冷たい若者だ。
 こういうときに他人に親切にするのが日本人の美徳ではないのか。
 旅は道連れ世は情けとか、
 情けは人のためならずとか、
赤の他人に親切にすることを尊ぶ言葉が今にも伝わっている。
 その素晴らしい日本の伝統はどこへいってしまったのか。
 これは、生まれ育ったこの国を愛するものとして黙ってはおれない。
 ぼくが日本人代表として立ち上がるしかあるまい。
 見てなさい、外人さんよ。
 まだまだ日本も捨てたもんじゃないってことを今からぼくが証明してみせるよ。
 なんならあなたの持ってる外貨をぼくが両替してあげたっていいぜ!

 とまあ弘法大師ぐらいの広い心と、
めいっぱいの笑顔で外人さんに声をかけたわけです。

「両替ですか。なんでもおっしゃってください」
 「ハイ。コノテレフォンカードヲ500円ニ両替シタイデス……」
「あーごめん無理」

 ほんとごめん。
 薄情な若者とかいって。
 あとそれ両替じゃないから。

2015年11月8日日曜日

【ふまじめな考察】トイレの並び順

駅のトイレに入る。個室が3つある。
あなたはどこに入りますか。


Bと答えたあなたは、相当な変わり者だ。

まあふつうはAかCだろう。
隣に人がいると用を足しにくいという人はけっこう多い。まして両隣に人がいると、すごくやりづらい。
結果、真ん中は使われていないことが多い。

両端のトイレが汚くなってきても真ん中だけきれいなままだ。
もったいない。
せっかくあるのに、真ん中だけ使われない時間が長くてもったいない。

この無駄を解消するために、ぼくが考えたのはこんな並びのトイレだ。


どの個室も他の2つの個室と壁を共有している。
これで「真ん中だけが両隣に人がいる」という問題は解消された。
しかも公平を期すため面積を同じにしてある。

だが。
それでもやはり不公平感は拭えない。
Aだけが三方に隣人を配することとなり、より閉塞感を味わうことになるからだ。

そこで考案したのが、以下の配置だ。


いかがだろう。
これなら、
「どの個室も他の2つの個室と隣り合っている」
「面積が同じ」
「形も同じ」
という条件を満たしており、実に公平だ。
おまけに個室と個室は点で接しているだけなので、「壁の向こう側でも誰かが用を足している」感覚はゼロに等しい。

唯一残された問題は「どうやってこのトイレに入るのか?」ということだけだが、これも想定済みだ。
上から降りる、下から昇る、時空のひずみを利用する、先に人を洗面所に配置してからそのまわりにトイレを作る、などいくらでも方法はある。

実用的でないことをのぞけばたいへんいいアイディアだと思うのだが、いかがだろうか?


2015年11月6日金曜日

【ふまじめな考察】ニホンマダラビールモドキ

発泡酒とか、第3のビールとか、ノンアルコールビールとか、それぞれ本物のビールの味に近づける努力を各企業がおこなってるよね。

でもあたしに言わせれば、本物のビールの味に近づけることなんか、すっごくかんたん。
ビールとまったく同じパッケージに入れて売ればいいの。
これだけ。

まあほとんどの人は言われなきゃ気づかないだろね。
そんでビールを飲んだと思いこんで、まんまとノンアルコールビールで酔っぱらっちゃうでしょうね。
いいアイディアだと思わない?

あっ。
でも。
酔っぱらわないためにノンアルコールビールを飲むわけだから、酔わせたらだめか。

2015年11月5日木曜日

【エッセイ】ピノを勝手に食らうな

 みなさんもご存じのとおり仕事中に食べるアイスクリームのうまさは格別だから、ぼくは会社近くのスーパーでピノを買ってきてオフィスの冷凍庫に常備している。
 仕事の合間合間に「難しい案件を処理しています」みたいな顔をつくりながら冷凍庫へと足を運び、こそこそとピノを食べるのが至福のひととき。
 ピノを食うために仕事をしているといってもいいぐらいだ。

 そんなぼくのピノが、どうも知らぬうちに減っている気がする。
 はじめは気のせいかと思ったが、明らかに減っている。
 あと10個はあったはず。
 しかし、この冷凍庫を開けるのは社内の人だけだ。
 同僚を見渡してみても、勝手に他人のピノを口に入れるような育ちの悪い人はいない。

「なんかさ、冷凍庫に入れてるピノが減ってるんだよね。怪奇現象かな」
 後輩Nに向かってつぶやいた。

  「ああそれ、おれが食ってるんすよ」

「はあ!?」

  「ピノうまいですよね」

「いや知ってるけど。ピノのうまさは誰よりもよく知ってるけど。じゃなくて、ええー!? なにおまえ、冷凍庫に入ってる誰のかわかんないピノを勝手に食べちゃうの?」

  「そんなことしませんよ」

「したじゃん」

  「誰のかわかんないのは食べませんよ。犬犬さんのってわかってたから食べたんですよ」

「あーそっかー。って、ええー!?」

  「だってちゃんとピノの箱に犬犬さんの名前書いてるじゃないですか」

「そうだよね。うん、ちゃんと名前書いてるよね」

  「だから、あー犬犬さんのなんだーって思って、それで、食べました」

「いやいや意味がわかんない。そこで『それで』って接続詞を使う意味がわかんない。『にもかかわらず』でしょ。いやそれでもどうかと思うけど」

  「だって犬犬さん、よくお菓子くれるでしょ。変なおばちゃんみたいに」

「あげてるね。変なおばちゃんは余計だけど」

  「だからこのピノも、おれにくれるために買ったんでしょ」

「はあ?」

  「だからもらってもいいかなって思ったわけです」

「……。いやね、よしんばね。よしんばおまえにあげるために買ったとしてもね。もらうのと勝手にとるのは意味合いがぜんぜん違うからね」

  「“よしんば”って何ですか」

「はぁ……。わかった、じゃあ一万歩ゆずって、勝手にとったことはいいとするわ。で、何でアーモンド味ばっかり減ってるわけ?」

  「いちばん好きなんですよ、アーモンド味」

「おれも好きなんだよ! アーモンド味を食べるために525円も出してピノバラエティパックを買ってると云ってもいいぐらいにね!」

  「気が合いますね」

「なに握手求めてきてんだよ。今のやりとりから和解にはほど遠いわ!」

  「犬犬さん」

「なんだよ!」

  「これで今日は最後にするんで、もう一個だけもらっていいすか」

「あげねーし!
 しかも今日は最後ってことは明日以降も食う気だし!
 って勝手に取っとるし!
 アーモンドだし!」

2015年11月4日水曜日

【エッセイ】交換日記と文章修行

高校生のとき、同じクラスの女の子と交換日記をしていた。
ぼくの唯一の甘酸っぱいおもいでだ。

きっかけはよく覚えていない。
なぜだかわからないけど、ぼくのところに女の子から手紙がまわってきて、ふざけた返事を書いたら、それが妙にウケた。
それからというもの、「○○先生についてどう思いますか?」とか「さっきの授業中に先生が発した□□という言葉についてどう思う?」みたいな他愛のない質問状が届くようになった。
一生懸命考えておもしろおかしく質問に答えて、別の紙にこちらからも質問を書く。

口下手なぼくは、話しかけることもできず、もちろんデートに誘うこともできず、交換日記だけの関係だった。
日記といってもちゃんとした日記帳に書くわけではなく、ノートの切れ端やプリントの裏に書くだけだった。
いつしかぼくは彼女に好意を持つようになったが、告白するどころか交換日記に本心を書くこともできなかった。
そのうちその子に彼氏ができて交換日記は終わりを告げたが、やりとりは半年以上続いた。


ノートの切れ端、というのが緊張感があった。
ノートの切れ端ならいつでも終わらせることができる。
つまらないことを書いたら、もう返事が来ないかもしれない。
なんとなく始まった交換日記は、一度途絶えてしまったら再開するのは難しい。
そのはかなさがあったからこそ、この手紙のやりとりを終わらせないようにしよう、飽きられないようにしようと、毎回毎回手を変え品を変えて渾身の文章を書いた。
文体を変え、クイズ形式にしたり会話調にしたり。わざと核心を書かずに次回への引きを作ったり、あえて誤ったことを書いて指摘させたり。そんなテクニックも使って、たったひとりの読者を引きつけようとした。
また、授業中にこそこそ書く手紙なので、常に先生に見つかる危険性もはらんでいる。もし見つかって読まれてもさほど恥ずかしくない文章にするような客観的な視点も要求された。


いい経験だったと今にして思う。

ぼくは今では少しコピーライティングの仕事をしているが、あのときほど必死に文章修行をしたことはない。今後もないだろうな。

2015年11月3日火曜日

【エッセイ】ボルダリング殺人

ボルダリング(フリークライミングの一種)に初挑戦。
ちょろっとレッスンを受けただけですぐに始められるのがいい。
練習しなくとも上級者のすぐそばでプレーできる競技というのは、めんどくさがりで練習嫌いのぼくにはぴったりだ。
こんなスポーツは他にちょっと思いつかない。

なにより、達成感が得られやすいのがいい。
細かい課題がたくさんあるので、ちょっとやっただけですぐ上達する(気になる)。
これは飽きっぽいぼくにはぴったりだ。

こんなすばらしいスポーツがあってもいいものか。
まるで打ち出の小槌のようにいいことばかりが出てくるではない。
 
 
とまあ、はしゃぎにはしゃぎながら3時間ほど壁を登っていたのだが。
気がつけば、手が血まみれになっている。
知らない間にぼくの別人格が人を殺めたんじゃないかってぐらいに血に染まっている。
登っているあいだにどこかに挟んだらしい。
友人から指摘されて気づいたのだが、膝もすりむいて出血している。
足の爪も猛烈に痛い。
腕の腱も異常にこわばっている。

壁昇りに夢中で、身体が発するSOSサインにまったく気づいていなかったのだ。
これはいかん。
自分が死んだことに気づかずにうっかり化けて出ちゃうタイプのアレだ。

あわてて切り上げて帰ったのだが、
もちろん翌日の筋肉痛たるや無形文化財レベルである。
腕を鞭打たれる夢で目が覚めたほどだ(これは腕の痛みによるものであって、ぼくの性癖を投影したものではない)。
すぐにさじを投げてしまうやぶ医者よりも握力がなくなり、ドアを開けるだけで乙女のような叫び声が飛び出す始末。

つらい練習をしなくてもいいといっても、結局はつらさを先延ばしにしているだけなのだ。
やはり打ち出の小槌なんてものはないわけで、というわけでクレジットカードのご利用は計画的に。

2015年11月2日月曜日

【ふまじめな考察】汚れをください

スポンジに洗剤をたっぷりつけ、きゅっとひとなで。
ぎとぎとの油汚れがすっととれて、真っ白なお皿が姿を現す。
という洗剤のCM。

欲しい。
欲しくてたまらない。

新製品の洗剤を、ではない。
あの油汚れがほしい。


あんなにきれいに落ちる汚れ、CMでしか見たことない。
ぎっとりと汚れているのに、さっと拭くだけで鮮やかに落ちる。
あの汚れを拭いたらさぞかし気持ちよかろう。
換気扇の汚れもあんなだったら、どんなに換気扇掃除が楽しいだろう。


ふだんやらないところを掃除するのは楽しい。
なぜなら、目に見えて汚れが落ちていくから。
風呂場の排水溝を掃除をするのは、風呂をきれいにしたいからじゃない。ぬめぬめの髪の毛を見て、ああこんなに汚れがとれた、と達成感を味わいたいからだ。

「留守宅に侵入して風呂を掃除していた男が逮捕されました。男は『ぬめぬめをとりたいという欲望が抑えられなかった』などと供述しており、警察ではぬめぬめ欲しさの計画的な犯行と見て捜査を進めています」
みたいな事件もどこかで起こっているにちがいない。
それぐらい「汚いものがとりたい」というのは、人間の根源的な欲求なのだ。


だから、こまめに掃除をして、いつも部屋をぴかぴかにしている人を見ると、かわいそうだと思う。
だって彼らは、ごっそり溜まった汚れを落とす快感を味わえないのだから。汚れは溜めれば溜めるほど、こそげ落とす喜びは大きい。微々たる汚れしか落とせない、きれい好きさんが不憫でならない。


ところで洗剤のCMの話に戻るが、あの映像に出てくる汚れは、当然《落とすための汚れ》なんだろな。
汚く見えて、落ちやすい汚れ。
となると、洗剤を開発している薬品会社には、《落とすための汚れ》を開発する《汚れ開発部》が存在するにちがいない。
そこでは、よりかんたんに落ちてより汚ならしく見える汚れを開発するために、優秀な研究員たちが日夜、研究に研究を重ねているのだ。

殺虫剤を開発しているメーカーでは、実験をするためにゴキブリや蚊を大量に飼育している。
あそこにもまた、《殺すための虫》を飼育する害虫飼育班がいるわけだ。

なんだか不毛なことをしている気もするが、よく考えたら我々はみな、排出するために食事をして、死ぬために生きているわけだから、ま、そんなもんか。

2015年11月1日日曜日

【考察】ママ友とのつきあい方

育児の本を読んでいたら
『公園デビューの悩み ~ママ友とのつきあい方~』
って特集があったんだけど、『ママ友』って言葉が悩みの原因なんだと思う。

友だちだと思うから、仲良くしなきゃ、嫌われたくないって悩むわけでしょ。

「お姉ちゃんの友だちの妹」は、わたしの友だちじゃない。
その人に好かれなくたってかまわない。
「子どもの友だちのお母さん」が友だちじゃない、ってのもそれと同じだよね。

2015年10月31日土曜日

【思いつき】鼻からパスタ

映画『ドラえもん のび太の恐竜』でのび太が卵から育てたピー助(フタバスズキリュウ)は、
最近の研究では卵生ではなく胎生だとされていて、おまけに恐竜のカテゴリに入れられていないそうだ。

おいのび太ー!
約束通り鼻からスパゲティ食えよなー!

2015年10月30日金曜日

【ふまじめな考察】お盆とハロウィン

ハロウィンについて調べてみたら、こんな記述があった。
ケルト人の1年の終りは10月31日で、この夜は夏の終わりを意味し、冬の始まりでもあり、死者の霊が家族を訪ねてくると信じられていた(Wikipedia)

てことはハロウィンってお盆みたいな行事なのか。
言われてみれば、ハロウィンとお盆って似たところがある。

ハロウィンでは子どもがお菓子をもらいにくる。
お盆では親戚が集まって子どもにお菓子が配られる(ことが多い)。

ハロウィンではカボチャでお面を作る。
お盆ではキュウリやナスで牛や馬を作る。

ハロウィンでは仮装して騒ぐ。
お盆では盆踊りをして騒ぐ。


きっと今の若い日本人たちが死後に帰ってくるのはお盆じゃなくてハロウィンなんだろうな。

2015年10月28日水曜日

【考察】成らなかったのは為さなかったから、ではない

「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も」
って言葉、あたりまえのことしか言ってなくてぜんぜん中身がないよね。

それでもこの言葉が廃れずに残ってるのは、五七五で語呂がいいから、ってだけの理由だと思うな。


2015年10月26日月曜日

【エッセイ】うちの娘は日本一(ばか)

2歳の娘が服を自分で着たら、前後逆。
「逆だからもう一回やろっか」と言って手を貸そうとすると、「いや!」と手に噛みついて暴れる。
「だったら好きにしなさい」とそのまま放置した。

前後逆のままお出かけして、
前後逆のままごはんを食べて、
前後逆のまま公園で遊んで、
前後逆のまま買い物に出かけたら、
疲れて寝てしまった。
まだお風呂にも入ってないのに。

結局、翌朝まで前後逆だった。


で、思ったんだけど、2015年にかぎっていえば、日本一長い時間、服を前後逆に着ていた人なんじゃない?
あなた、今年に入ってから、22時間続けて前後逆の服を着つづけていたことありますか?

2015年10月24日土曜日

【エッセイ】おニューをおろす日

タンスの引き出しを開ける。
今日はどの服を着ようか。
そのとき、引き出しのいちばん奥に潜んでいるタグ付きの長袖シャツと目が合う。
これを買ったのは10ヶ月前だったか。まだ一度も袖を通していない。

おお、ひさしぶり。
んー、今日はおまえの出番じゃないよ。
わかってる。わかってるとも。
大丈夫だって、おまえにはここいちばんってとこで活躍してもらうんだから。
だってほら、今日は柴田と飯を食いに行くだけなんだから。あいつのまえでおしゃれしたってしょうがないだろ。
だから、な。
そのうち、な。

そして、手前のよれよれのシャツを手にして、そっと引き出しを閉める。
この10ヶ月、ずっとこのくりかえしだ。
新品のシャツをおろせない。
やがて季節が代わって長袖シャツを着る機会はなくなる。夏の間、新品シャツはタグも切られぬまま、タンスの奥でじっと出番を待ちつづける。
ふたたび季節はめぐり、半袖では肌寒さを感じるようになってきた。
だがあいつの出番はこない。
まだ「そのとき」じゃない。
今日は新品をおろすほどの日じゃない。

ふと思う。
「そのとき」なんて来るのだろうか。
新しいシャツをおろすのにふさわしい日って、いったいいつなんだろう。
たとえば新しい彼女との初デート。
うん、これは「そのとき」だ。
でも、既に結婚してしまっているぼくには、初デートの日は二度と来ない(来たらまずい)。

ぼくが出かける用事といったら、山に登るか、草野球をするか、2歳児とお砂遊びをするか、柴田と飯を食いに行くかだけだ。
そのどれもが、服が汚れる危険性を大いにはらんでいる(柴田と食事をすると、たいてい話に夢中になってぼくか柴田かが飲み物をこぼす)。
服が汚れるイベントにおニューの服を着ていくわけにはいかない。

だから新品の服をおろす機会は永遠にこない。タグはずっとついたままだ。
タグをつけていたって、今さら返品なんかできるはずない。買ったのは10ヶ月前だし、レシートはとっくにないし、それどころかどの店で買ったかも忘れてしまった。
だけどなんとなくタグは切れない。
「あたしとうとう独身のまま35歳になったけどまだ男の前では下ネタを聞いてもわからないふりをするのよ」、そんな感じだ。
だって新品なんですもの。


このシャツに袖を通す日は永遠に来ないのか。
この先もミートソースの染み付きの古いシャツでぼくは柴田と飯を食いに行くのか。永遠に。

そう思っていた。

だが。

ついに。
このシャツを着る日がやってきた。
タグを切る日がやってきた。

新品をおろす日、それが今日。
今日、ぼくは服を買いにいく。

服屋の店員はみんなおしゃれだ。
あいつらになめられないためには、それなりにこざっぱりした格好をしなければならない。
新品のシャツをおろすのに、こんなにふさわしい日があるだろうか。

今日ぼくはまあたらしいシャツで服を買いに行く。
きっと、買ってきた服はタンスの奥底にしまうだろう。
もちろん、タグは切らずに。


2015年10月22日木曜日

【エッセイ】しょせんはキヨシ

のどが痛いのでドラッグストアへ。
のどの痛みを抑える薬を持ってレジに並んでいると、店員のおじいちゃんに声をかけられた。
「うがい薬はありますか?」

急に声をかけられたのでびっくりして、言葉が出てこず無言で首をふった。

「うがい薬がないなら塩水でうがいするといいですよ」

セットでうがい薬を売りつけようとする営業トークかと思ったが、どうも親切心でアドバイスしてくれているようだ。
塩水など勧めても金にはならないもんな。

「塩水が苦手ならお茶でうがいするのもいいよ。お茶でうがいして、最後に飲みこむんです。私はお茶でやってます」

おじいちゃんの話は止まらない。

 「へえ。飲み込んじゃっていいんですか」

「そう。あとは四つ折りにしたタオルね」

 「タオル?」

「タオルを四つ折りにして、のどに巻くんです。こうやって寝るとのどが楽になります」

 「そうなんですか。じゃあやってみます」

とは言ったものの、しょせんここはマツモト○ヨシ。
調剤薬局で薬剤師さんに云われたらすなおにいいことを聞いたと思えるのに、マツモト○ヨシだといまいち信憑性に欠けるというかなんというか……。

所属や肩書きで人を判断するのはよくないんだけど、やっぱり疑わしいんだよなー。
アドバイスの内容も、医療従事者の指示ってよりも、おじいちゃんの知恵袋ってかんじだしな……。

2015年10月21日水曜日

【写真エッセイ】ダセえのはオレじゃない


これは負け惜しみで言うわけじゃないんスけど、
21世紀にもなってまだ木片でフタをしてるなんてすげえダセえと思うんスよね、オレ。

2015年10月20日火曜日

【読書感想】 みうらじゅん・宮藤官九郎 『どうして人はキスをしたくなるんだろう?』


「BOOK」データベースより
男と女、人生、趣味と仕事…くだらなすぎて今さら人に聞くのは恥ずかしい“素朴な疑問”に永遠の中2たちが真っ向から挑む!ロマンチックで下世話な哲学問答集。

『ゆるキャラ』の名付け親と『あまちゃん』の原作者の対談、と書かれている書評があったが、それはまちがってないけどまちがってるぞ!
 いや、たしかにそれはみうらじゅんと宮藤官九郎のことなんだが、その説明では彼らのことを1パーセントも言い表していない。1パーセントどころかマイナス50パーセントの説明だ。

 だって「ゆるキャラとあまちゃんの産みの親による対談」って云っちゃったら、老若男女が楽しめる話だと思われてしまう。まさかまさかチンポとクンニと親孝行の話ばかりだとは思わないだろう(ただの下ネタではなく親孝行の話も並ぶのがさすがみうらじゅんだ)。


 それにしても内容がない。いや、褒め言葉ね。
 酒の席の世迷い言にふさわしく、根拠もとりとめも正確さもない話ばかりがくりだされる。仮にも編集者がきちんとまとめて活字になったものを読んでいるわけだから、元の対談はほんとに支離滅裂だったにちがいない。
 読んでいるときは楽しいが、読み終えてみると見事に何も残らない。まさに酒の肴のような対談。
 気のおけない友人とだらだらくっちゃべるみたいなものなので、そういうのが好きでない(すなわち人生における無駄を愛せない)人からするとまったくおもしろくない本だろう。まあそういう人がこの本を手に取るとは思えないが。


 とまあ、何の役にも立たないすばらしい本なのだが、惜しむらくは宮藤官九郎のトークがやや弱いところ。
 いや、クドカンの話もそれだけ見ると十分おもしろいのだが、みうらじゅんと渡り合うほどの異常性は感じられないんだよなあ。
 みうらじゅんといえば、いとうせいこうだったり伊集院光だったりリリー・フランキーだったりと組んでクレイジーな対談をくりひろげてきたわけだけど、そういったタッグに比べると、クドカンは見劣りする。
 もう少し、演劇の話とかクドカン寄りの話題があってもよかったな。ほとんどエロバカ話で、みうらじゅんの十八番だからなあ。
 いつものみうらじゅんと聞き役、という感じでした。
 


2015年10月19日月曜日

【エッセイ】無駄を避けるという無駄

快速電車が停車しない駅に行くとき。
調べたところ、快速に乗って目的地のひとつ先の駅まで行き、そこから普通電車で引き返すのがいちばん早い行き方だとわかる。

いやだ。

行った路線を引き返すなんて、そんな無駄なことしたくない。
余計に時間がかかると知っていても、はじめから鈍行で行く。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

ラーメンを食べたい。
店の前にふたりほど並んでいる。
10分ほど待てば店に入れそう。

でもいやだ。

何をするでもなくただ並ぶなんて、そんな無駄なことしたくない。
10分並ぶぐらいだったら、10分歩いて別の店に行く。
その分余計にカロリーを消費してしまうとしても、10分間を移動という有意義なことに使いたい。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

「無駄なことが嫌いなあまり、無駄なことをしてしまう」
 この感覚、他人にしゃべっても理解してもらえないんだよな……。

2015年10月17日土曜日

【エッセイ】胃袋管理制度

 ゆとりっていうか。
 言われるまで動こうとしない指示待ちっていうか。
 まあ要するに無能なんだよね。

 あっ。
 最近の若者じゃなくて。
 ぼくの満腹中枢の話。

 いやー。
 前々からね、こいつ怪しいなとは思ってたんだよね。
 こいつ働いてないときあんなーって。
 どうもちょくちょくサボってるときあんなーって。
 それでもね。
 あの厳しい就職戦線を勝ち抜いてぼくの脳内に内定を決めたやつだからね。
 それなりにはね、仕事のできるやつだと思ってたよ。
 やるときはやるはずだ、と。
 ところがよ。
 最近じっくり観察してみたのね。
 人事考課の目になって。
 そしたらこいつ、ぜんぜん仕事してないのね。

 たとえばさ、朝めし抜くじゃん。
 昼めしもめんどくさいから食べないじゃん。
 それなのにね。
 うちの満腹中枢ときたら何の警告も発さないの。
 腹へったーとか、ぐぅーきゅるるるーとか、そういうの一切なし。
 一分前に玉音放送あった?
 ってぐらい、見事な沈黙を保ってんの。
 いやこれだめでしょ。
 飯食わないってのは生命の存続に関わる危機だからね。
 うるせえよ会議中に早鐘の如く腹鳴らしてるの誰だ!
って言われるぐらい自己主張してほしいわけ、こっちとしては。
 つまりぐーぐー腹鳴らしてかまわんよ、と。
 それなのにね。うちの満腹中枢ときたら。
 あれかな。引っ込み思案なのかな? ぼくに似て。
 まあねー。
 わからんでもないよ。
 ぼくも十数年前までは矢沢あい作品の主人公ばりに、強気に振る舞っていても実は傷つきやすい繊細なアタシだったからね。
 でもさあ。
 ぼくももう三十歳すぎてるわけ。もうおじさん。
 だからね。
 よしんば美しい女性の前で腹がぐーぐーいったとしてもね、
「はっはっはっ。腹の虫までもが美しいおなごに恋い焦がれて泣いとるわ!」
って云ってぽーんと腹を叩いてみせる、そんぐらいの図太さは身につけてきたつもり。
 だからね、満腹中枢がどんなに激しく主張してきたとしてもね、
寂しい夜はわけもなく泣きわめいたとしてもね、
そんなところも全部ひっくるめておまえの魅力だっていって、ありのままを受け止めるぐらいの覚悟がぼくにはある。
 ぜんぜんある。

 ほんとは引っ張っていってほしい。
 満腹中枢に。
 よっしゃ腹ヘってきたからそろそろメシにしようぜ! とか。
 どかんとカツ丼でもいこうぜ! とかって。
 常にリードしてくれて、でもあたしの希望を最優先してくれる人であってほしいー☆
 なんて世の中なめた女子大生みたいなセリフも口にしてみたい。
 やっぱ満腹中枢ってのは生命維持を司るポジションだからね。
 四番でキャッチャーで三年生で主将、ぐらいの安心感は漂わせててほしい。
 しまっていこー!
ってアルプススタンドまで届くぐらいのバリトンヴォイスで叫んでほしい。
 あるいはオリバー・カーンぐらいの絶対的守護神であってほしい。
 なのにうちの満腹中枢ときたら、デブだからキーパーやらされてますって程度の頼もしさしかない。
 へたしたらルールもよくわかってないままキーパーやってんじゃない? って思うことさえある。
 もうとっくに空腹のオフサイドライン超えちゃってるよーって。

 まあまあ。
 そうはいってもね。
 空腹のサインを出さないだけならぼくだってそんなに文句はたれませんよ。
 単に旧社会主義国の自動車製造ライン並みに安全基準が甘いだけなのかなーって思うだけ。
 ところがこいつ(満腹中枢)ときたら、空腹だけじゃなく満腹のサインも出さない。
 ノーサイン。ノールック。ノーアイコンタクト。
 だからぼくは食べだしたら止まらない。食べすぎる。
 満腹を感じないから許容量を超えて食べる。
 で、吐く。
 うちの実家で飼っている、元野良犬の雑種犬がまさにそんなかんじ。
 若き日のジャン・ヴァルジャンかよってぐらいにがっついてて、あればあっただけ食べる。
 で、食べすぎて吐く。
 で、吐いてまた食う。

 そんなんだからね。
 ちゃんと教えてほしいわけ。
 ほら、いるじゃん、ダムの水量管理員みたいな人が。
 ああいう作業着の公務員のおじさんがね、
日がな一日ぼくの横についてね、
ぼくの胃袋の内容量を管理して、
そろそろ腹へってるはずだから飯にしたらどうだとか、
これ以上食うと吐くぞとか。
 そういう指示を出してほしい。
 世代的に指示がないと動けない。

 それなのに小さな政府とかいって、どんどん公務員の削減が進められてるからね。ぼく専属の胃袋管理員制度の導入はどんどん遅くなるばかり。
 どうしたもんかね、これ。

2015年10月16日金曜日

【考察】パソコンを使えないおじさんのパラドックス

パソコンのパの字も知らない人が
「パソコンでできることなんてたかがしれてる」
と言う。
あるいは大学に行ったことのない人が
「大学なんて行ったって意味がない」
と公言したりする。

どうしてわからないものを低く評価するのだろう。

ぼくはプログラミングができないので、プログラマのことは尊敬している。
あんな謎の言語を操って意味のある命令をくだすことができるなんてすごい。
また、ぼくは宝塚音楽学校に通ったことがないが、そこへ通うことに意味がないとは思わない。ぼくが想像するよりもっと、いろんなことを学べるんだろう。


自分に理解できないものを、低く見積もるか、高く評価するか。

その差がどこからくるのか考えてみた。


子どもの頃。
テレビで芸人がしゃべっている。
周りの大人はどっと笑っている。でも自分にはそのおもしろさがちっともわからない。
子どもは「芸人がつまらない」とは思わない。原因は自分にあると思う。
「この人はおもしろいことを言ったのに、ぼくには理解できなかっただけだ」
と思う。

40年後。
芸人のギャグで、若者たちがどっと笑っている。けれど自分にはそのおもしろさがちっともわからない。
おじさんは「自分には理解できない、優れた点がある」とは思わない。原因は他者にあると思う。
「おれが理解できないということは、この芸人も、これで笑っている客も、レベルが低い」
と思う。

子どもは理解できないものから学ぼうとする。
理解できないものを、わからないくせに低く見積もるようになったら、それが老いるということなのだろう。
老害と呼ばれている人はきまってそういう人だ。年齢を重ねていても、未知のものから学ぶ姿勢を忘れていない人は若い。
いつまでも学びつづけなければならない。


パソコンを使えないくせに、
「パソコンなんてたいしたことはできない」
と言うおじさんの神経は、ぼくには理解できない。

だが。
おじさんの気持ちが理解できないからといって、理解できないおじさんの気持ちを低く評価してはいけない。
わからないものは尊重せねば。

「わからないものを低く見る」ことをやめるためには、「わからないものを低く見る人」のことを尊重しなければならない。
というパラドックス。

2015年10月15日木曜日

【思いつき】読解力を鍛える算数の問題

太郎くんは、おかあさんから1000円を渡され、りんごを5個買ってきてほしいと頼まれたので、3km離れた八百屋さんまで分速100mで走っていきました。
太郎くんが出発した10分後に次郎くんも家を出ました。
八百屋には太郎くんのほかに2人のお客さんがいました。
八百屋のおじさん(48)に、りんごはあと4個しか残っていないと言われたので、太郎くんはそれをすべて買うことにしました。おわびだといって、八百屋のおじさんは本来1個150円のりんごを20%引きで売ってくれました。

さて。
太郎くんはりんごをいくつ買いましたか?

2015年10月14日水曜日

【ふまじめな考察】なぜバーテンダーはシャカシャカやりすぎるのか

この世の中でいちばんの欺瞞はバーにある。

バーテンダーのシェイク、あのシャカシャカシャカってやつ。
あたしカクテルのこととかぜんぜん知らないけど、あれぜったいウソ。

あそこまでやらなくてもいい。
エコじゃないし。

ラーメン屋の大将が湯切りするときみたいに、ちゃっちゃっちゃって3回ぐらい混ぜたら十分。
シャカシャカシャカって3回振って、もしちゃんと混ざってなかったらイヤだから念のためあと2回だけシャカシャカってやって、はいもうオッケー。

それ以上やるのは、もう完全にパフォーマンスでしかない。
どっかのバカな女が
「シャカシャカシャカ、かっこいー!」
って言い出して、
それ聞いたバカなバーテンダーが調子に乗って必要以上にシャカシャカシャカシャカシャカシャカやりだした。
それしか考えられない。

だってそういうのいっぱい見てきたもの。
好きな女の子が有名ミュージシャンをかっこいいって言ってるのを聞いて、必死こいてギター練習して、必要以上に練習してる間に好きな女の子に彼氏ができてるってパターン。
ギターがうまい男が好きなんじゃなくて、好きな男がギター上手ってだけだったことを思い知らされるパターン。

バーテンダーのシャカシャカも一緒。
かっこいいバーテンダーがシャカシャカやってるのがかっこいいってだけ。シャカシャカがかっこいいわけじゃない。
かっこいいバーテンダーだったら、米を研いでる姿もかっこいい。ぬか漬けを漬けてるところも渋くて絵になる。とんがりコーンを全部の指にはめてから食べる振るまいなんか優雅ですらある。

そういうことわかってない童貞バーテンダーが、うわべだけ真似してシャカシャカシャカシャカシャカシャカやりだした。
もうあれ、完全にいちばんかっこいい回数、通りすぎてる。
たぶん3シャカぐらいがベスト。
そのへんですぱっと終わらせれば、見ているほうも
「なに今のやつ!? 一瞬だったからよく見えなかったけどかっこよかった気がする! もっと見たい!」
って思う。
引き際が大事。わびさびの極致。

千利休がカクテル作るときは、シャカっと1回だけやって、あとはじっくり余韻を楽しむと思うな。

2015年10月13日火曜日

【写真エッセイ】乳製品地獄


 ふと気づいたのだが、我が家の冷蔵庫は乳製品ばかりだ。
 ヨーグルト2箱にチーズ6種、牛乳、飲むヨーグルト。
 この写真には写っていないが冷蔵庫のドアポケットには牛乳2本と練乳が常に立っているし、冷凍庫にはピザ用チーズとミルクアイスバーとピノが入っている。
 会社のデスクの引き出しを開けるとミルクキャンディーとミルクティーの粉末が出てくる。
 ついでにいうと、ぼくが愛用しているボディーソープはヤギのミルクからできている(ちょっと臭い)。

 ここまで乳を摂る人間は、アルプスの酪農家にも多くはいまい。
 クララも驚いて立ち上がるほどのミルク尽くしだ。

 ぼくはほらばかり吹いているので、生前妄言をはたらいた者が落ちる大叫喚地獄に行くことがすでに確約されている(もう招待状も届いている)
 だが乳製品ばかり口にしているぼくを釜茹でにしたら、地獄の大釜にラムスデン現象(牛乳を温めたときに表面に膜が張る、例のアレ)が起こることはまちがいあるまい。


2015年10月12日月曜日

【エッセイ】保育士のタスク処理

娘の保育園の運動会。
「会場の設営を手伝ってほしいので、おとうさんたちは早めに会場に来てください」
と案内があったので、朝8時に会場へ。

で、行ってみたのだが、やることがない。
ぼくだけでなく他のおとうさんたちも、所在なさそうに立ち尽くしている。
といって設営が終わっているわけではなく、保育士さんたちは忙しそうに走り回っていろんな仕事をしている。

なんでこんなことになっているのかぼくなりに考察してみた。
保育園の先生は小学校の先生とちがい、子どもに仕事をさせることがまずない。
あなたはこれをやって、あなたはこっちの仕事をして、とタスクを割りふっても園児には対応できないからだ。
だから保育士さんは、仕事を割りふることに慣れていない。

その結果、会場設営の指揮を執る人間がひとりもおらず、保育士さんだけがあっちへ行ったりこっちへ走ったりしている。
集まったおとうさんたちは、それぞれの職場ではちゃんと仕事をしている人たちなのだろうが、なにしろバイトばかりで責任者がひとりもいない店に突然放り込まれたようなものだから、何をすることもできない。
尋ねようにも、保育士さんたちはあっちこっちへ走り回っている。

運動会なのだからマイクもあるのに、誰も指示を出さぬまま、とうとう保育士だけで設営は完了し、休みの日に早起きして集まったおとうさんたちはあくびをするのであった。

2015年10月10日土曜日

【エッセイ】あなたの風邪はどこから? ぼくは娘から!

娘が風邪をひいたので看病していたらぼくにもうつった。

それにしても子どもの回復力ってすごい。
娘ときたら、40度近い熱を出していたくせに、2日ぐらいでけろっとして走り回っている。
一方、30歳オーバーのぼくときたら、1週間たってもまだ咳が止まらない。
 
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 話はとつぜん変わるが、以前 友人から
「仕事を辞めるつもりなんだけど、たいしたスキルもないし、今からだと転職も厳しいと思う。おれでも転職できそうな会社に心当たりない?」
と相談を受けた。
 ぼくなりに八方手をつくし、いくつか知り合いにあたり、
「そういう人だったら面接してもいいよ」
といってくれる会社を見つけた。
 急いで友人に連絡をとると、
「ああ、あれね。いや、会社やめないことにしたよ。今の仕事けっこう好きだし」
とあっさりした返事。

 おい!
 ぼくがあれこれ考えて手をつくしているうちに、勝手に自己解決してんじゃねえよ!

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

と思ったものだけど、
ぼくがゴホゴホ咳きこんでいる横で 風邪をうつした張本人が元気に走り回る姿を見ていたら、そのときの気持ちを思い出した。

2015年10月9日金曜日

【考察】全小説家を代表してがっかりします

毎年毎年、村上春樹がノーベル賞の受賞逃したっていわれて、そろそろ「村上春樹」が秋の季語になりそう。

でも受賞を逃したのは、村上春樹だけじゃなく日本中の作家全員なんだけどな。

全員のカルマを一身に背負わされてかわいそう。
キリストみたい。

2015年10月8日木曜日

【エッセイ】犬と赤子に関しては勝手にさわってもよいものとする

 何が嫌いって、散歩中のよその犬を勝手にさわるおばちゃんほど嫌いなものはないね。

 今朝のこと。
 小型犬を連れた女の人が信号待ちをしてた。
 そこへやってきたおばちゃん。
 あたしだってダテに55年も生きてないから何でも知ってるわよ、知らないのは恥と遠慮だけ、って顔したおばちゃん。
 おばちゃん、小型犬に向かって
「あっららぁぁかぁわいぃワンちゃんねぇい」
って語りかけながら犬の頭に手を伸ばした。
 当然のように。
 もう、ほんと当たり前の顔をして。
 普通の女の人だったらさあ。
 自分のケツさわるときでももうちょい遠慮するぜ。
 ってぐらいの当然顔だった。

 あれ、なんなんだろうね。
 犬と赤子に関しては勝手にさわってもいいってルール。
 おばちゃんってすぐさわるでしょ。
 飛び上がってバスケのネットさわらずにはいられない小学生かって。
 いつ制定された?
 そのルール。
 その小動物にかぎりさわってもいいルール。
 歴史の授業中は寝てたからあんま知らないんだけど、ヴェルサイユ条約で決まったんだっけ?
 ハンムラビ法典? ヤルタ会談? ドラフト会議?
 かわいいかったら他人のものを勝手にさわっていいわけ?
 だったらおれだってさわっちゃうよ。
 おたくの18歳の娘さんかわいいですね、つって。
 かゆいところございませんか、つって。
 指紋つくぐらいべたべたさわっちゃうよ、もう。
 指紋つきすぎて鑑識のハマさん呼ばれるぐらいさわっちゃうよ、もう。
 嫌でしょ、ぜんぜん知らない人に自分の持ち物さわられんの。
 誰だよあんたうちの犬さわらないでよってなるでしょ。
 誰だよ鑑識のハマさんてってなるでしょ。

 そんなこと考えながらおばちゃんに気の向くまま風の吹くままさわられゆく犬を眺めてたらね。
 あるんだね、奇跡って。
 おばちゃんにさわられそうになった犬が。
 それまでおとなしく信号待ちをしていた小型犬が。
 突然狂ったように吠えはじめた。
 もうほんと恐ろしい勢いの咆哮だった。
 激怒。マジ激怒。
 火がついたように怒るって言葉があるけど、ほとんど出火してた。
 江戸の街だったら「安政の大火」とかって名前がついて文献に名前刻んじゃうぐらいの燃えさかりよう。

 すげえって思った。
 万物の創造主すげえって思った。
 神が犬をお造りになってから幾万年。
 すべては神の思し召しのままだとしたら、今日、まさに今ここで、小型犬が吠えるようにプログラミングしたわけでしょ。何万年も前に。
 完璧。
 タイミング完璧。
 神がかってる。ていうか神。
 そんでおばちゃんは逃走。
「あらあらあらあらごめんごめん」
って言いながら走って逃げた。
 人間としての尊厳なんて微塵もなかった。
 まあ無理もない。
 人生において、あんなに激しく誰かから怒られることなんかまずないもん。
 むかし引っ越しのバイトしてたときに、みんなででっかいピアノ持ちあげて運んでる最中に
「すみません、もう無理です!」
って叫んで手をピアノから離したやつがいて、
その後そいつはチームリーダーから叱られ死するんじゃねえのってぐらい叱られてたけど、そんとき以来。あんなに怒られてる人見るの。

 でも小型犬も存外しつこくて、おばちゃんが横断歩道の向かう側に渡ったあともずっとおばちゃんの方に向かって吠えてんの。
 もう事件性感じさせちゃうくらいの吠えっぷり。
 鑑識のハマさん再登場しちゃうんじゃねえのって思ったもん。
 さすがにもう許してやれよって思った。
 おまえまだ怒ってんのかよって。
 おまえいつまで目を血走らせてんの王蟲かよ早く腐海に帰れよって。
 もうおばちゃんだいぶ遠く行っちゃったぞ。
 犬の視力だとそろそろ見えなくなる距離だろうよ。
 ご自慢の嗅覚を頼りに怒ってんじゃないよと。
 ほんと、ずうっと怒ってる。
 ドラゴンボールだったら、悟空がフリーザまっぷたつにして地球に帰ってきたのにまだ怒りのスーパーサイヤ人になってるぐらい、怒りが長期政権化しちゃってる。
 ずっと怒ってると読者にそっぽ向かれちゃうよ。
「悟空いつまでスーパーサイヤ人化してんのマジウザインデスケド」とか掲示板に書かれちゃうよ。
 看板漫画だからってあぐらかいてたらすぐに打ち切られちゃうよ。
 ジャンプ編集部は容赦ないよ。

 ってメッセージを小型犬に向かってテレパシーで発信しつづけたんだけどね。
 ぜんぜん届かない。
 所詮、犬。
 所詮、小型犬。
 いつまでも鳴きやまないからだんだん腹立ってきてね。

 小動物にかぎり勝手に頭はたいてもいいってルールできねえかな、ホント。

2015年10月7日水曜日

【エッセイ】おひとりコンサート

娘のために『おかあさんといっしょコンサート ワンワンワンダーランド』に行こうと思いたった。
幼児でもひとりにつき1席を確保しなければならないらしい。

チケットを検索すると、まだ数席残っている。
おおよかったと買おうとすると、それらは隣接する席ではなく、おひとり席がいくつか点在するだけだった。
 
 
『おかあさんといっしょコンサート ~ワンワンワンダーランド~』にひとりで行く人がどれぐらいいるっていうんだよ!
チケットの売り方考えてよね!

2015年10月6日火曜日

【エッセイ】ノー残業代デー

会社にパートのデザイナーがいる。エムさん。
細かい依頼でも嫌がらずに受けてくれるし、仕事も早い。おまけに忙しいときには残業も引き受けてくれるので、上司からも評判がよかった。
「エムさんがいてくれて助かるわ」

ところがあるときから
「エムさん早く帰ってな」と追いだすように帰らせるようになった。
エムさんは相変わらずまじめに仕事をしているのに。

「最近エムさんが冷遇されてますけど、なにかあったんですか?」
と訊くと、「ここだけの話だけどな」と上司が教えてくれた。

エムさんはパートなので、残業したらその分だけ時給が発生する。
ところが正社員のデザイナーは残業代が出ない。
その結果、パートのエムさんの給料が、同じ仕事をしている正社員を上回ってしまったのだという。

「さすがにパートのほうが給料高かったらまずいだろ。だから残業させないようにした」
なるほどなと合点がいった……、いや待てよやっぱりなんかおかしいぞ。


2015年10月4日日曜日

【写真エッセイ】貼っとくだけダイエット


友人宅の冷蔵庫に貼ってあったメモ。

彼はダイエット中なので、体重と体脂肪の記録をつけているらしい。

21日……記録スタート。
22日……順調。
23日……計測を忘れる。
24日……2日ぶりに記録。
25日……記録なし。
26日……記録なし。
27日……記録なし。
28日……記録なし。

よし!
彼のダイエットが成功しない方に5,000円!

2015年10月3日土曜日

【ふまじめな考察】プロングホーンとオークション

 プロングホーンという動物がいる。北米に生息する、シカみたいな生物だ。
 こいつは走るのがものすごく速い。
 地上でもっとも速く走るのはご存じの通りチーターだが、チーターは完全な短距離走者で、トップスピードは数秒しか維持できない。
 ところがプロングホーンはスタミナもあり、時速60km近いスピードで5分以上も走りつづけることができるのだ。おまけに最速で90km近く出せる。

 すごい。
 なにがすごいって、こいつらは無駄に速いってことだ。もう完全に無駄。
 ふつう動物が走るのは、獲物を追うときか、捕食者から逃げるときだ。ところがプロングホーンは草食だし、北米にはそんなに速く走る肉食動物はいないのだ。
 北米にはコヨーテが生息しているが、こいつらの最速は65kmくらいだ。おまけにスタミナはない。
 プロングホーンが90kmも出さなくても悠々逃げきれてしまう。完全に駿足の持ち腐れ。
 オークションで、7万円で落札できる商品に9万円も払っちゃってるのだ。もったいない。

 ところでプロングホーンよ、最近、歳のせいか小走りするだけですぐ息切れするようになってきたぼくに、余分に持っている20km/h走る力をぼくにわけてくれないか。
 あとできたらオークションで余った2万円も。


2015年10月2日金曜日

【写真エッセイ】「エンジン バッテリー 違い」で検索


 友人たちと車で出かけていると、車のエンジンがかからなくなった。
 みんなで車を押してみたが、スンともいわない。
 戦争が起こったら自分は真っ先に死ぬだろうなと思うのはこんなときだ。

 ある友人はいろいろ触ってどうやらバッテリーに問題がありそうだと突き止めた。
 別の友人はスマホで解決策を検索した。
 またある友人は別の車と故障車をケーブルでつないで、バッテリーを蓄電(?)していた。
 みんなが力を合わせたおかげで故障した車は息を吹き返し、再びエンジン音を響かせた。
 その間ぼくが何をしていたかというと、みんなが車を直そうと奮闘している姿を「みんながんばっとるねぇ」と言いながらムービーで撮影していただけだ。
 いちばん迷惑なタイプの人間だ。
 非常時にまったく役に立たない、いやそれどころかただ目障りなだけのタイプだ。

 だが臆面もなく言い訳をさせてもらうと、なにしろぼくはエンジンとバッテリーの違いもよくわかっていない。故障車を直せるはずがない。
 こんな人間が免許を所有していて公道で車を走らせているわけだから、つくづく物騒な世の中になったものだ。まったくもって嘆かわしい。

 今年で58歳のぼくの母親は
「わたしが使うと壊してしまいそうで怖いから」
という理由で、パソコンに指一本触れようとしない。
 HDDレコーダーの予約録画もできないから
「ビデオの録画やっといて。これ」
と云って観たい番組を赤丸で囲った新聞のテレビ欄をぼくに渡してくる。
 ぼくの自動車工学のレベルは彼女のそれと変わらない。
 とうとうクラッチが何のためにあるのかよくわからないままMT免許を取得してしまったくらいなのだ(左足を退屈させないためだと自分のなかでは解釈している)。
 非常時に役に立たないタイプの人間だから(ひょっとすると平常時も、かも)戦争に巻き込まれたら、敵と戦うどころか味方の手で殺されてしまうかもしれない。

 こういうわけでぼくは憲法九条改変に反対するのだが、どうも最近の日本の政治家はエンジンとバッテリーの違いがわからない人のためを思って政治をしてくれないのだから、まったくもって嘆かわしいことだ。


2015年9月30日水曜日

【エッセイ】うまかったよ、大将!

 外食をして、これは!と思う味に出逢ったときには、なるべく料理人に対して賞賛の言葉をかけるようにはしている。
 だって自分が料理人だったら云われたいから。

 なのだが。
 なのだが。
 これがすこぶる難しい。
 以前、定食屋で食事をした後、店の主人に
「ごちそうさま。おいしかったです」と云ってから店を出た。
 押しつけがましくないように、かつ真心が伝わるように、微笑をたたえながら。
 ところが店を出たあと。
 一緒にいた同僚から「そんなに嫌そうに云うぐらいなら云わなきゃいいのに」と指摘された。
「えっ。嫌そうに聞こえた?」
 「うん。なんか云わされてるって感じだった。
 いじめ問題が発覚したときの校長の謝罪会見ぐらい気持ちがこもってなかった」
「そんなに嫌そうだった!?」
 なんてこった。
 自分の中では梅雨明けの空に一陣の西風が吹きぬけたかと思うぐらいさわやかに言ったつもりだったのに。

 ごきげんな振る舞いで
「ごっそさん! 大将、うまかったよ!」
 たったこれだけのことなのにどうにもうまく云えない。
 ナプキンで口まわりのソースを拭いながらウェイターに
「たいへんいい味だった。
 シェフに挨拶したいから呼んできてくれないか」
と伝えられればいいのだが、
そういうきどったことをしていいのは年収2000万円以上の人だけだと、たしか小学校の道徳の教科書に書いてあったはず。
 海原雄山ばりにキレて
「この料理をつくった者は誰だ!」
と怒鳴っておいてから、
 びくびくしながら現れた料理人に
「いやあ、うまかったよ」
とにっこり微笑むという『緊張と緩和効果で褒められた喜び倍増計画』も考えたのだが、多大なる胆力を要求される上に逆に怒られそうな気がするのでいまだ実行には移せていない。

 クッキングパパの登場人物みたいに、料理を口に入れた途端によだれと自尊心を垂れ落としながら
「うまかー!」
と叫べたらどんなにいいだろう。
 あれだけバカみたいな顔をしてうまさを表現できたなら、きっと作った人もクッキングパパみたいにしゃくれながら喜んでくれるにちがいない。

 だがしかし。
 球技大会でクラスの女子が応援にきてるときのサッカー部に負けず劣らず自意識ビンビンのぼくとしては、やはり恥ずかしい。
 がんばって「おいしかったです」と云うようにしているのだが、いつも照れくさくてボソボソ云ってしまうので相手にきちんと伝わっているかわからない。
 もしかしたら相手は
「今の客、帰り際にぶつぶつ言ってたな。文句があるならはっきり言えばいいのに」
と思っているかもしれない。
 これでは逆効果だ。

 そうだ。
 口に出して云うから恥ずかしいのだ。
 幸いにも日本には「背中で語る」というすばらしい文化がある。
 うまいとか愛しているとかは言葉で表すものではなく、態度で伝えるものなのだ。
 島国根性ばんざい!

 というわけで、うまいものに出逢ったときはとにかくたくさん注文する、という戦略を取り入れることにした。
 身の丈を超えて大量に食っていれば、きっとぼくが感じた「うまい!」という感情も感謝の気持ちも伝わるはず!
 
 
 ……といういきさつを経て、
食いすぎでトイレで吐いたのが昨夜のこと。
 絶品の海鮮あんかけ焼きそばを作ってくれたご主人。
 トイレから出たぼくに優しく「大丈夫ですか」と声をかけてくれたご主人。
 ぼくの「うまかったよ!」のこの思い、
ゲロの匂いとともに無事に届きましたでしょうか。

2015年9月29日火曜日

【思いつき】主婦界の三猿

見ざる、言わざる、着飾る。
(値段を見ずに、夫に報告せずに、高い洋服を買う主婦を表す言葉)

2015年9月28日月曜日

【エッセイ】ガンマンの生まれかわり

後輩が『トイ・ストーリー』を観てみたいと言っていたので、DVDを貸してあげようと手渡した。

ジャケットを見た後輩、
「わっ、トイ・ストーリーだ!」

 「返すのはいつでもいいよ」

「これ、中身入ってます?」

 「入ってるよ」

「でもどうせ中身がぜんぜんちがうDVDなんでしょ?」

 「なんでだよ」

「あれっ、ほんとにトイ・ストーリーだ。あーわかった。どうせディスクが傷だらけで再生できないんでしょ」

と、ディスクを裏返してまじまじと傷チェックをされた。


どんだけ信用ないんだ。

え? なんで?
親切心でしてあげたことでどうしてこんなにぼくが傷つかなきゃならないの?

前世のぼくが、決闘の相手を背後から撃ち抜く卑怯なガンマンだったとか?

2015年9月27日日曜日

【エッセイ】嘘のマネジメントについて

 最近、自分のついた嘘が覚えられない。

 誕生日はいつですかとか、身長はいくつですかとか、好きなタレントはとか訊かれると、あたしは咄嗟に嘘をついてしまう。
「尊敬する人は女医の西川史子さんです」
なんてありえない答えを云ってしまう。

 なぜだかわからないけど、自分のパーソナルデータを正直に申告するのが気恥ずかしい。
 だから徳島県出身ですとか福祉系の大学に行ってましたとかのどうでもいい嘘をつく。
 あまりにどうでもいい嘘なので、ついたあたしですらすぐに忘れてしまう。
 それでも世の中には気持ち悪いほど記憶力のいい人がいて、昔の細かい嘘を執念く覚えていたりするから困ってしまう。

 ついた嘘をきちんと覚えていればいいんだけど、物覚えが悪くなってきているので、細かい嘘をいつまでも覚えていられない。
 これはよくない。
 こんなことを続けていれば、いつか嘘がばれてあたしの信用が失われちゃう。

 そこであたしは対策を講じた。
 いつ誰に対してどんな嘘をついたのかを手帳に記録するようにしたのだ。
「9/19 三浦さんに『バツイチ。原因は夫の浪費癖』と嘘」といった具合に。

 これでしばらくはうまく嘘を把握できていたのだが、嘘の量が増えてくるにつれ、手帳のメモだけではシステマティックに管理するのが難しくなってきた。

というわけで誰か、嘘を管理するアプリとか知らない?

2015年9月26日土曜日

【エッセイ】盛っちゃえ睡眠薬

 同僚のSさんが、睡眠薬を盛ったらしい。

すごい。
「睡眠薬を盛る」なんて、「魔法をかける」とか「夢をかなえる」と同じくらい現実味のない響きの言葉だと思っていた。
実際にやってしまうなんて。すごい。

「睡眠薬を盛ったことありますよ」とこともなげに語る同僚がなんだかまぶしく見える。現実という檻をひょいと飛び越えたみたいに、足どりも軽やかだ。夢をかなえた人ってこんな感じなんだろうか。

 しかしSさんは理知的で落ちついている人だ。とても睡眠薬を盛ってしまうような人には思えない。

「誰に盛ったんですか!?」

 「息子です」

「ええっ! それはやはり親子間の骨肉の争いというか……」

 「はっはっ。そんなんじゃないですよ。だって息子はまだ九歳ですからね」

「いったいどういうことですか。九歳の息子さんに睡眠薬なんて……」

 彼が語ってくれたのはこういう理由だった。

 寝つきが悪くて仕事中に眠くなってしまうので病院に行くと、睡眠薬を処方された。
 睡眠薬を飲んだことがなかったので、これが睡眠薬かとしげしげと見ているうちに、疑問がわいてきた。
 飲んだ後にどんな様子になるのか。何分くらいで眠りに就くのか。服用後に眠くなったとしても、それは薬効ではなくひょっとしたら「睡眠薬を飲んだ」という思いこみのせいで眠くなるというプラシーボ効果もあるのではないか。
 もともと理系の人なので、実験をしてみないとわからない、それも事情を知らない被験者を選ぶ必要がある、と思いたった。

「それで息子さんを選んだわけですか……」

 「そうです。しかし実験は失敗しました」

「なぜですか」

 「お茶に混ぜて飲ませたのですが、吐きだしてしまったのです。『パパ、このお茶 苦い!』と言って」

「鋭いですね。本能的に察したのでしょうかね」

 「いや、これはわたしも知らなかったことなのですが、製薬時にわざと苦い味をつけているようなのです。おそらく悪用されないためでしょうね。わたしのようにこっそり誰かに飲ませようとする人がいてはいけませんから」

「そうですか……」

 「まあそれがわかっただけでも発見ですからね。求めていたデータはとれませんでしたが、実験をやった甲斐があったといえるでしょう」

「しかし怖いですね。子どもに睡眠薬を飲ませるなんて……」

 「あ、もちろん危険がないように与える量は減らしましたよ。体重から算出したので心配はないです」

「いや、わたしが怖いのはそういうことだけではなく、もっと道義的なことなんですけどね……」

2015年9月25日金曜日

【エッセイ】2歳児ジャパン

2歳の娘が、サッカー日本代表の本田圭佑がリフティングをするOLYMPUSのCMを観て
「じょうずー!」と手を叩いていた。

本田くん、君、上手なんだってよ!

2015年9月24日木曜日

【思いつき】世界の半分を君に

「はっはっは。よくぞここまでたどりついたな勇者よ。おまえの力はなかなかのものだ。殺すには惜しい。どうだ、わたしの手下にならぬか? 世界の四分の一をおまえにやろうじゃないか」

 「四分の一だと? ふざけるな魔王! ぼくらがこれまでどれだけの犠牲を払ってここまでたどりついたと思っているのだ!」

「というと……?」

 「四分の一では割に合わないと言っているのだ!」

「なるほど正直なやつだ。では三分の一でどうだ?」

 「こちらとしてはそれは呑めない条件だ。これまでのコストを考えると、70パーセントはもらわないと利益が出ない」

「70パーだと! そんな法外な」

 「こちらとしてはおまえを倒してすべてをもらってもいいのだぞ」

「そこまで言うのならこちらとしても考えがある。じつは、べつの勇者グループにも見積もりをとったのだが、そこは55パーセントでやるといっている。そちらにお願いして、共同事業でおまえらを倒すとしよう」

 「なにっ。待て待て待て。ほかにも勇者がいるなんて聞いてないぞ」

「相見積もりをとるのはビジネスの基本だ」

 「……わかった。しかたがない。50パーセントずつ折半しようじゃないか」

「たしかにそのへんが妥当だろうな。今後の付き合いもあるから、ここで無理にごねて遺恨を残したくはない。よし、50パーセントで手を打とう」

 「だが問題はどう世界を半分に分けるかだ」

「それはもちろん、この魔王の城がある北半球をわたしがもらい、おまえたち勇者グループは南半球を統治するのだ」

 「ふざけるな! こちらのほうが圧倒的に不利じゃないか! 世界の主要な都市のほとんどは北半球にあるのだぞ」

「しかし南半球にもエアーズロックとかマチュピチュとか、けっこう有名な観光スポットがあるが……」

 「ぼくらは観光のためにここまで戦ってきたんじゃないぞ! ビジネスのためだ!」

「しかしわたしはこの城を離れたくないし……」

 「じゃあこうしよう。この城のあるユーラシア大陸はおまえが統治するがいい。ぼくらは南北アメリカ大陸とアフリカ大陸をもらう」

「それだと逆に当方が不利じゃないか?」

 「ではオーストラリア、南極大陸と他の島々をおまえにやろう」

「……まあそれなら良いか。中国、ロシア、インドなどの今後の経済成長が見込める国々も手に入るしな」

 「あとは細かい話になって恐縮なのだけど、契約書を作るにあたって収入印紙はどちらが負担するのかとか、形としては贈与にあたるので贈与税をどうするのかとか、そのあたりも決めないといけないな」

「それならわたしどものほうにいい司法書士や税理士の先生がいらっしゃるので、相談してみよう。どうすればいちばん税金を抑えられるか聞いてみよう」

 「そうしていただけると助かるぞ魔王!」


2015年9月23日水曜日

【エッセイ】ハートフルエッセイ ~子どもの手なずけかた~

 数少ないぼくの特技のひとつに “子どもを手なずけるのがうまい” というのがある。
「子どもと遊ぶのがうまいね」とよく云われる。
 そんなぼくが数多くの子どもと遊んできた経験から導きだしたテクニックのひとつが、
「お尻をさわらせたらもうこっちのもの」
というものだ。
 これは金言として居酒屋のトイレに貼っといてもいい。

 子どもがぼくのおしりをさわったら、おおげさに嫌がる。「きゃっ、やめてやめて!」と叫ぶ。
 これで子どもはイチコロだ。
 けたけたけたと笑い、もっと困らせようとぼくのお尻をさわろうとしてくる。
 あとは両手でお尻を押さえながら「やめてやめて!」と逃げればいい。猫じゃらしを振られたネコのように、逃げまどうお尻を追いかけずにはいられない。
 その後は走って逃げたり、ときどきわざと捕まったり、逆襲して子どものお尻を軽くたたいたりすればいい。
 あっというまに子どものテンションはマックスまで上がる。子どもの数が多ければ多いほど興奮の度合いは高まる。


 さて、誰しも気になる問題は “それはわかったけど、じゃあまずどうやって子どもにお尻をさわらせるの?” だろう。
 これはなかなかむずかしい。
 ぼくほどの達人になると、相手の年齢、性別、性格、ごきげんその他あらゆる状況を解析して、四十八ある技のいずれかを瞬時にくりだして、お尻をさわらせる。

 四十八の技をここで紹介してもよいのだが、それでは諸君のためにならない。
 他人から教わったお尻さわられ術で子どもを手なずけようなど、虫がよすぎる。ぜひ各人、日々鍛練して、己のお尻さわられ道を究めていただきたい。
 さすれば君たちのお尻は自然と魅力を増し、子どもばかりか大人ですらふれられずにはいられないほどのフェロモンを漂わせはじめることであろう。
 ぼくほどの達人になるとそういったお尻がすぐわかる。フェロモンを出しているお尻が光輝いて見え、「さわってよ」というお尻の声が聞こえてくる……。

 と、ここまで書いたところで読みかえしてみたのだが、子どもとのふれあいについて説明するハートフルエッセイだったはずなのに、いつのまにかベテラン痴漢の独白みたいになってきたので、このへんで筆を置く。

2015年9月22日火曜日

【ふまじめな考察】ナンパをできるやつは喪主もできる

『ナンパをできるやつは葬式の喪主もできる』
 これはぼくの座右の銘である。

 ぼくはナンパをしたことがない。
 だからナンパのできる人には素直にあこがれる。
 ナンパをする男は、どうして見知らぬ女性(それも美しい女性)に声をかけられるのだろうか。不思議でしょうがない。
 ぼくなんて、知り合いであっても美しい女性と話すのは苦手だ。
 美しい女性を前にすると、緊張して思っていることの1パーセントも伝えられない(もっともぼくが考えていることの100パーセントを伝えたとしたらまちがいなく変態呼ばわりされるだろうから、伝えられなくてむしろラッキーだ)。
 ところがナンパ屋さんたちは、見知らぬ女性に声をかけるだけでなく、その話術と情熱をもって相手と仲良くなってしまったりするらしい。
『プロジェクトX』級のビッグプロジェクトだ。

 できたら楽しいだろうなあ、ナンパ。
 べつにかわいい女の子とどうこうなりたいからナンパをしたいわけではない。
 ……。
 いや、本当はもちろんどうこうなりたいんだけど。
 ……。
 あー。
 どうこうなりたーい!

 いかんいかん、思考100パーセントのうちの2パーセント目が出てしまった。話を戻そう。
 ナンパの成果云々は別にして、「見知らぬ人に気安く声をかける」という行為自体にあこがれる。
 かわいい女の子でなくてもいい。居酒屋で隣に座った小太りのおっさんでもいい。
 小太りのおっさんに
「Hey, そこの彼、どっから来たの? ひとり?」
と話しかけられたらどんなにいいだらう。
 きっとその先に待ち受けるのは夢のように楽しい時間だ。
 だけど。
 無駄に自意識だけが高いぼくは、恥をかくことをおそれるあまり、そよ一歩を踏み出すことができない。
 ナンパした相手に無視されたり、
「はぁ? マジキモイんですけど」
と云われたら、二度と立ち直れない。
 自らを否定されたショックでゲロ的なものを吐いてしまうかもしれない。

 しかし。
 そのプレッシャーに立ち向かい、克服したものだけが、皆から「ナンパ師」という称号で呼ばれることができるのだ。
 ナンパ経験のあるお方と未経験のチキン野郎では、持っている力がちがう。
 普段その違いは目に見えない。
 一生に一度あるかないかの大舞台が突然やってきたとき。そのときナンパ力の有無が決定的な差となってあらわれる。
「突然やってくる一生に一度あるかないかの大舞台」とは何か。
 それが“喪主”である。

 それはある日突然やってくる。
 はじめてだからといってリハーサルはさせてもらえない。失敗したからといってやり直しは許されない。
 まさに一世一代の大勝負だ。

 葬式という舞台における主役が死体なら、喪主は監督であり総合演出であり脚本家だ。
 喪主がいなくてはどんなに立派な死体もただの遺棄死体。葬儀において、死体を活かすも殺すも喪主の腕にかかっているわけだ。死んでるけど。

 ぼくの父親はまだピンピンしていて週3でゴルフに行ったりしているが(どう考えても行きすぎだ)、人生というやつはわからないものだから、明日死んでしまうかもしれない。
 そのとき、長男であるぼくは立派に喪主を務めあげることができるだろうか。
 まったくもって自信がない。
 見ず知らずの参列者たちとうまく挨拶できる気がしない。へらへらしてしまいそうだ。
 喪主挨拶で緊張して「本日はお日柄も良く……」とか云ってしまいそうだ。
 なぜぼくには喪主が務まらないのか。
 それはナンパをしたことがないからだ。

 見知らぬ相手と落ち着いて会話をおこなう社交性。
 つらくても常に己を保つ強い精神力。
 本心を押し殺して確実にことを運ぶ冷静さ。
 一方でときには感情を表に出す素直さ。
 どれもが、ナンパと喪主の双方に必要なものである。
 ナンパという修羅場をいくつもくぐってきた百戦錬磨の兵士に、葬式の喪主が務まらないはずがないのだ。
『ナンパができるやつは喪主もできる』
 自信を持って提唱しよう。


 葬儀だけではない。
 たとえば異星人とのファーストコンタクトにおいても、ナンパの経験は成否の鍵を握っている。
 西の空に強い光が差し、あたりが真昼のように明るくなった。
 空から、30億人は乗れるかという巨大な船がゆっくりと降りてきた。それほど大きな宇宙船が地上に降りたったというのに、あたりは怖いくらいに静かだった。それが彼らの科学力の高さを示していた。
 地球人たちが集まり、誰もが固唾を飲んで宇宙船を見つめている。
 やがて。
 船の中からそれは姿を現した。
 誰もがはじめて見る地球外生物。さすがは宇宙人。頭に三本のツノを生やしているぞ。あれは地球のものではないな。地球人であんな頭をしているやつは、スネ夫をのぞけばひとりもいないからな。
 まだ彼が敵なのか味方なのかわからない。どうやってコミュニケーションをとっていいのかもわからない。
 
 あっ。

 ひとりの地球人が宇宙人に近づいてゆくぞ。
 誰だあいつは。
 雑誌で見たことあるぞ。たしか『LEON』とかいう雑誌で。
 そうだ、あいつはジローラモだ!

 さすが八年連続でナンパ・イタリア代表に選ばれただけのことはある(選考委員はぼく)、あっという間に宇宙人を口説きにかかっちまった。
 なんてナンパな野郎だ。見てみろよ、もう打ち解けちまった。スネ夫型宇宙人と熱い抱擁を交わしている。
 まちがいない、ナンパができるやつは宇宙人とだって仲良くなれるんだ。
 ナンパは数万光年の距離だって軽々と超えるんだ!

 ジローラモを皮切りに、次々に世界中のナンパ師たちが宇宙人と仲良くなってゆく(説明するまでもないが、宇宙人はたくさんの人と同時に会話する技術を持っている)。
 ぼくだって異星間交流を深めたい。宇宙人に向かって「その頭、地球の漫画に出てくる人と同じでかっこいいですね」と言ってあげたい。
 だけどナンパをしたことのないぼくは、宇宙人に声をかけることができない。
 どんなタイミングで話しかければいいのか。なんて言葉をかければいいのか。気味悪がられるんじゃないだろうか。高い知性を持った宇宙人にばかにされるんじゃないだろうか。
 フォアグラのように肥大しきった自意識に邪魔されて、ぼくは話しかけることさえできない。

 いつまでも逡巡しているぼくを後目に、スネ夫型宇宙人は仲良くなった地球人たちに呼びかける。
「おおい親愛なる地球人たち。
 立ち話もなんだからさ、うちの星に寄っていかない? うちの星でSVD(スペース・ヴィジュアル・ディスク)でも観ない?
 うちの星は地球とちがって、差別もないし、貧困もないし、戦争もないし、おまけに肉ばなれもないんだよ。うちに来たらいいじゃん」

 さすがは単独で地球にやってくる宇宙人、なんてナンパがうまいんだ。
 ぼくも行ってみたい。戦争と肉ばなれのない世界へ。
 人類のおよそ半分がすでに宇宙人と仲良くなったころ、ようやくぼくも決意を固めた。
 一世一代の勇気をふりしぼってスネ夫型宇宙人に話しかける。
 あのう。ぼくも連れていってもらえませんか。あなたの星へ。
 だが、スネ夫型宇宙人はその三本のツノをかきあげ、スネ夫特有のイヤミな口調でぼくに云う。
「悪いなのび太、この宇宙船30億人乗りなんだ」

 なんと。
 ぼくの前の人がちょうど30億人目だったのだ。
 もっと早くに声をかけていれば!
 日頃からナンパのトレーニングを積んでさえいれば!

 そして宇宙船は、地球上のすべての「ナンパのできるやつ」を乗せてゆっくりと地上から飛び立っていく。
 残されたぼくたちはショックのあまりゲロ的なものを吐きながら、去りゆく宇宙船を呆然と眺めるばかりだ。

 選ばれなかった絶望感はでかい。
 こんなつらい思いを抱えて、とても生きていける気がしない。かといって死ぬわけにもいかない。だって喪主をできるやつらは全員宇宙人に連れていかれちゃったんだもの。死んでも葬式もあげてもらえない!
 ぼくたちの悲痛な叫び声は銀河の彼方には届かない。

 だが、次第に気持ちも落ち着いてきた。
 いつまでも落ち込んでいてもしょうがない。
 そうだ。ナンパのできる30億人は連れていかれてしまったが、まだ地球には約40億人もいるじゃないか。
 このナンパのできない40億人でこれから仲良くやっていこうじゃないか!

 とは思うのだが、ナンパのできないぼくたちはやっぱり互いに声をかけることができず、地球上にはただ気まずい沈黙だけが漂っているのであった。

2015年9月21日月曜日

【思いつき】教えておばあさん

「ねえおばあさん、おばあさんの自尊心はどうしてそんなに大きいの」

「それはね赤ずきん、幼いうちから『あなたはできる子』と育てられたから、自分にできないことを受け入れたくないがために、失敗をおそれるあまりはじめから難しいことには挑戦しようとせずに困難から逃げ回りつづけてきた結果、根拠を伴わない自信だけが肥大化していったのよ」

「まあなんて正確な自己分析!」

【読書感想】 真保 裕一 『奇跡の人』

真保 裕一 『奇跡の人』

「BOOK」データベースより
31歳の相馬克己は、交通事故で一度は脳死判定をされかかりながら命をとりとめ、他の入院患者から「奇跡の人」と呼ばれている。しかし彼は事故以前の記憶を全く失っていた。8年間のリハビリ生活を終えて退院し、亡き母の残した家にひとり帰った克己は、消えた過去を探す旅へと出る。そこで待ち受けていたのは残酷な事実だったのだが…。静かな感動を生む「自分探し」ミステリー。

 いっとき「自分探し」という言葉が流行った。有名サッカー選手が「自分探し」を引退の理由に挙げたりしていたが、最近は堂々と口にするのが恥ずかしい言葉になった。たぶん。
 いい歳して自分探しなんて恥ずかしいとか、自分を探すのに縁もゆかりもないインドに行ってどうすんだよ、とかのつっこみを受けて、ダサい言葉として認識されるようになった、ってのが最近の潮流だ。

 しかし自分探しをしたくなる気持ちはわかる。
 ぼくは中国で一ヶ月ほど暮らしたことがあるが、そのときなぜか女にすごくもてた。日本では彼女もいなくて童貞だったのに、中国では二人の女性からあからさまに好意を示され、他の女性からも「あなたはすてきな人だ」と言われた。
「ひょっとすると本来のぼくの居場所はここなのかもしれない。これがぼくの本当の姿なのでは……?」と思ったものだ。
 小学生のころは「もしかするとぼくは養子で、ある日大富豪の両親が迎えに来てくれて……」と妄想した。
「ここじゃないどこかに今よりすばらしい自分がいるはず」と思うという点で、これもまた自分探しだ。
 自分が変わる努力はしなくても環境だけが劇的に好転するなら、こんなにいいことはない。ぼくは買ってもいない宝くじに当たりたい。自分が『みにくいアヒルの子』であってほしい。
 だから引退の理由に自分探しを挙げてしまう中田英寿を誰も責められない(あっ名前書いてしもた)。


 というわけで、自分探しは人間の本分だ。
 で、『奇跡の人』である。事故で過去の記憶をなくした主人公が、過去の自分を探す物語である。
 周囲からは「今の君は生まれ変わったんだ。昔は関係ないじゃないか」と云われる。読者も、読みすすめているうちに「あーこれ知ろうとしないほうがいいやつだわ。やめときゃいいのに」と思う。好ましくない過去が出てきそうな予感がする。
 しかし立ち止まれない。ふつうの人でも自分を探してしまうのだ。過去の記憶がなければ、その空白の期間にすばらしい自分を探してしまうのは避けられない。
 かくして、次第に自分探しにとりつかれた主人公はずぶずぶと深みにはまり、現在持っているものまで失ってゆく……。


 という、たいへんおそろしい物語。梗概に「静かな感動を生む」なんて書いてあるからハートウォーミングな話かと思っていたらとんでもない。

 自分なんて探すことなかれ。
 宝くじがめったに当たらないように、より良い自分より悪い自分が出てくる可能性のほうがずっと高いんだから。

2015年9月19日土曜日

【エッセイ】さらばおれらの時代

高校野球を観ていると

最近の高校生はみんなうまいなー。
おれらのときよりレベルが高くなったよなー。
おれらのときよりずっと科学的で効率のいい練習をしてるんだろうなー。
って思うんだけど、

よく考えたらおれ野球部じゃなかったわ、ってことない?
おれは毎年思うんだけど。

2015年9月18日金曜日

【エッセイ】ぶどうの学校

知り合いが、ぶどうの学校に通っているという。

「ぶどうの学校……。そんなのがあるんですか」

 「そうなんですよ」

「ほんとですか」

 「ほんとにあるんですよ」

「あっ。“武道”の専門学校ですね」

 「いえ、“葡萄”のです。食べるほうの」

「ほんとですか」

 「ほんとにあるんです」

「……。あっ、わかった。ワイン作りを教えるんですね」

 「いえ、ワイン用とはべつの品種です。学校でやるのは食べる用です」

「ほんとですか」

 「ほんとですってば」

「ぶどうを育てるんですか」

 「そうです。育て方を教えてくれるんです」

「……。ああ、農業高校みたいなのですか。それの果樹コースとか」

 「そこまでじゃないです。ぶどうを育ててみるだけです。他の果樹や野菜はやってません」

「ほんとですか」

 「ほんとなんですって」

「なぜまたぶどうを」

 「生徒を募集してたんで。ぶどう嫌いじゃないですし」

「そんな理由ですか」

 「そんなもんですよ。わたし、以前ダンスを習ったこととありますけど、そのときもなんとなく楽しそうだったからっていう程度の動機でした」

「いや、ダンスはわかるんですけど。気楽にはじめてもいいと思います。でもぶどうの学校は……」

 「ぶどうも同じでしょう」

「ぶどう狩りでいいじゃないですか。わざわざ学校で習わなくても」

 「収穫だけじゃなくて栽培もしてみたかったんです。ちゃんとした先生に教わって」

「ぶどうだけをですか……。
 ああ、わかった。ご実家がぶどう農家なんでしょう! そしてあとを継ぐ予定なんですね。だからぶどう栽培について学ぼうと思った。なるほど、それなら理解できる!」

 「いえ、実家はサラリーマン家庭です。親戚にぶどうを育てている人はひとりもいません」

「だめだ……。ぼくの理解の範囲を超えている……!」

2015年9月17日木曜日

【考察】若者よ、手を抜け。あと生き馬の眼も。

他人に優しくできる人は、余裕がある人よね。
精神的に余裕がないときには、周りを助けたりできないもの。

心に余裕があるのは、一生懸命じゃないから。
いつも全力の人は周りに気を配れない。


100パーセントの力でがんばれとか。
常に本気でやれとか。
あたしは周りに迷惑をかけたくないから、そんなことしちゃだめだと思ってる。
一生懸命がんばっていた時期があたしにもあったけど、あの頃は周りに優しくできなかった。

だいたいどの世界でもトップランナーは周囲から嫌われているけど、あれは余力がないからなんだろね。

ラブ・イズ・手抜き。

2015年9月16日水曜日

【エッセイ】女性用マスクの快感

 風邪をひいてマスクをしていると、サイズがあっていないと指摘された。
 マスク大きすぎですよ、と。
 鼻の横にスキマあいてますよ、と。

 翌日ドラッグストアへ行って「小さめ。女性用」と書かれたマスクを買ってきた。
 さっそく装着してみる。
 女性用のマスクを身につける、という行為はちょっと変態みたいでどきどきする。でも嫌いじゃないぜ。

 ぴったり。ジャストサイズだ。
 マスクってこんなにも顔にフィットするものだったのか。
 なんてことだ。
 花粉症を発症してから10年あまり、通算で1,000日はマスクをかけつづけてきたが、ずっと大きめのものをかけていた。
 1,000日間ずっとぼくの鼻の横にはスキマがあいていた。
 だけどそれを疑問に思ったことはなかった。
 その間ずっと花粉やウイルスがスキマから入り放題だったにもかかわらず、
「マスクしてるのにあんまり効果ないなあ」
と鼻水をたらしたアホみたいな顔で首をかしげていた。
 いってみれば、車に鍵をかけながら運転席の窓を全開にしていたわけだ。
 それで「最近車内のものがなくなるなあ」と首をひねっていたわけだから、我ながら相当なおばかさんだ。

 二次元の布で三次元の顔をスキマなく覆うことはできないものだと思ってあきらめていた。
 高い壁に直面したとき、乗り越える方法を探すよりも、乗り越えられない言い訳を探してしまう。
 いつからだろう、そんな大人になってしまったのは。

 なんてちっぽけな人間なんだ、ぼくは。
「小さめサイズ」がお似合いの人間だ。
 自分を過大評価して「普通サイズ」をかけていた自分が恥ずかしい。
 小さめの穴があったら入りたい。

2015年9月15日火曜日

【写真エッセイ】有用の長物


大阪市内で発見した、謎の建造物。

ついにトマソン(参照リンク)を発見した! と色めきたって写真を撮ったのだが、よくよく見るとこれはトマソン(無用建造物)ではないような。
こいつには意図を感じる。誰かがなんらかの目的を持って、わざわざ設置したような。

思ったのは、バリアフリーのためのスロープではないかってこと。
でもどう見たって車椅子でここを通行できるとは思えない。落下一直線だ。
作りかけなのかな? 2025年完成予定なのかな?
でもすでにビルの敷地からはみ出てるしな。
このまま延長していったら、スロープが地面に着くころには道路を越えて、向かいのビルに達するだろうな。

スキーのジャンプ台みたいにも見えるな。
でもそのわりには傾斜が小さいからな。
これじゃあK点は越えられないよな。

台の部分に注目してたけど、よく見たら中が空洞になってるな。
あんまり強度はなさそうだ。
これは上になにかを乗せるためのものじゃないのかも。

そうか、あれか。ガリバートンネル。ドラえもんのあれ。ちっちゃくなるやつ。

ここをくぐってちっちゃくなって中に入れば、ごくふつうのビルが巨大建造物に!
狭いスペースを広く使える、未来都市にぴったりのすばらしいアイデアだ!

ただ失敗しているところがただひとつ。
ガリバートンネルの隣に、通常の階段を設けていること。
これだと、階段を通って、ちっちゃくならずに入ってきた人に踏みつぶされちゃうよ!

2015年9月14日月曜日

【読書感想】 貴志 祐介『青の炎』




http://www.amazon.co.jp/gp/product/4041979064/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4041979064&linkCode=as2&tag=mago800-22

「BOOK」データベースより

櫛森秀一は、湘南の高校に通う十七歳。女手一つで家計を担う母と素直で明るい妹との三人暮らし。その平和な家庭の一家団欒を踏みに じる闖入者が現れた。母が十年前、再婚しすぐに別れた男、曾根だった。曾根は秀一の家に居座って傍若無人に振る舞い、母の体のみならず妹にまで手を出そう としていた。警察も法律も家族の幸せを取り返してはくれないことを知った秀一は決意する。自らの手で曾根を葬り去ることを…。完全犯罪に挑む少年の孤独な 戦い。その哀切な心象風景を精妙な筆致で描き上げた、日本ミステリー史に残る感動の名作。


 殺人犯の立場から書かれた小説は、そう珍しくない。ミステリの世界には“倒叙もの”というジャンルがあるぐらいだ。
 ただそのほとんどにおいて、殺人犯は読者の共感は集めない。あくまで主役は探偵役であり、殺人犯は(多少の同情の余地こそあれ)許すまじ非道な人物だ。
 善良な市民である多くの読者は悪がのさばることを望んでいない。ピカレスクもののストーリーが支持を集めることは難しい。

 その難関に挑戦して、見事成功したのが『青の炎』だ。
 悪と戦うために自ら悪事に手を染める秀一は、殺人者でありながら、まぎれもないヒーローだ。

 ぼくは殺人を犯したことはない(まだ)。
 実刑を食らうような罪も犯したことはない(つもりだ)。
 なのにというか、だからというか、犯罪者として警察に追われる夢をよく見る。すごく怖い夢だ。追われつづけるのは自分が死ぬよりも怖い。もちろん夢だからすぐに覚めて、ああ夢か、よかったとため息をつく。
 その安堵のない日々が続いたらと思うと。
 いっそ捕まったほうが楽だとも思うし、でもやっぱり捕まるのもおそろしくてたまらない。

 逃げ場のない恐怖。それを嫌というほど味わえる小説だ。
 現実では味わいたくない感情を味わえる。小説の魅力をめいっぱい感じさせてくれる名作だ。



2015年9月13日日曜日

【ふまじめな考察】よく見たら収納もない

とあるミステリ。
人里離れた館に閉じこめられてそこで殺人事件が起こる、というよくあるやつ。
どうやって犯人は誰にも気づかれずに殺人現場まで移動したのか、という話になって館の間取り図が出てきた。

あれっ。

ないっ……!

風呂がどこにもない……!

どういうことだ。
21世紀にもなって風呂なしの家なのか。
年老いた大富豪が晩年を過ごすために建てた館なのに。
まさか銭湯まで通ってるのか、大富豪。
人里離れた館なのに、歩いていける距離に銭湯があるのか。
だとしたら、犯人はこの中にいるとはいえないんじゃないか。風呂屋のおやじも容疑者のひとりなんじゃないか。

大富豪は大の風呂嫌いで、見るのもいやだから館に風呂をつけさせなかったのだろうか。
そうにちがいない。
そんな館に人を招くなよと言いたくなるが。


待てよ……。
間取り図をよく見ると、ないのは風呂だけじゃない!
トイレもないっ……!

そんなはずはない。風呂はともかく、トイレのない館なんてない。

図面には書いてない2階があるのだろうか。トイレは2階にだけあるのか。
しかし年老いた大富豪だぞ。
歳をとるとおしっこは近くなるし、そのたびに階段を昇り降りするのはたいへんだ。

そうか。
離れがあるのか。
たしかに、古い日本の家だとそういう造りになっていることもある。便所が離れにあって、庭に出ないと行けないようになっている造りの家。
館というからてっきり洋館かと思っていたが、まさか古い日本家屋だったとは。
謎はすべて解けた!

いやいやいや。
そうなるとまたべつの疑問が。
昨夜は、この館に人の出入りはなかったはずだ。そのことはお手伝いさんが証言している。セキュリティシステムがはたらいているので誰かが出入りしたらわかるはずだと(だから風呂屋のおやじは犯人ではない)。
そして、朝早くに大富豪の死体が発見され、居間に全員集められた。

と、いうことは。

ここにいる全員、昨夜から朝にかけて誰もトイレに行っていないということになる。
全員に、「トイレには行けなかった」というアリバイがあるのだ。
どうなってるんだ。平気なのか。
昨夜はごちそうがふるまわれていたぞ。ワインで乾杯もしていた。一晩トイレに行けなかったら、相当尿意もたまっているんじゃないか。風呂がないから風呂場で用を足すわけにもいかないし。

みんな我慢しているのか。
殺人犯におびえている女も、冗談じゃないと怒っているおじさんも、冷静に推理をしている探偵も、そしてばれないだろうかとひやひやしているであろう真犯人も、みんなおしっこを我慢しているというのか。

しかしそうは見えない。
みんな、いたって落ち着いている。
ひとりずつ昨夜の行動を確認している場合じゃないだろう。「おれは部屋に戻る」とか言う前に、まずはトイレだろう。
なぜ誰も「ちょっとトイレ」の一言を言わないんだ?

まさか、この館の人間は、誰もおしっこを我慢していないのか……?

ということは、なんらかの方法で既に排尿を済ませたことになる。
彼らは、いったいどんなトリックを使っておしっこをしたのか……。
謎は深まるばかりだ。

2015年9月12日土曜日

【エッセイ】弁当道

 合気道や茶道が究めるべき道であるように、お弁当もまた人がその人生を賭けて探求する「道」である。

 お弁当作りは単なる家事ではない。
 己自身と真摯に向き合い、胸に去来する種々の感情を、食材とともに「これっくらいの、おべんとばこ」に詰めたもの、それがお弁当だ。
 まさしく「弁当道」と呼ぶにふさわしい。

 手作りのお弁当には作り手の人間性が表れる。
 だから、もし妻に
「あなたの作るお弁当は泥みたいで汚い」
と云われた夫がいるとしたら、その男はまちがいなく泥のように汚い性根の人間だ。

 そう、ぼくのことである。

 我が家は共働きなので、ぼくもたまには弁当をつくる。
 飽きないようにメニューを変えているし、それなりに栄養のことを考えて作っているつもりだ。
 だが妻に云わせると
「泥みたい」
なのだ。
「弁当箱の蓋をあけるたびに、スコールが降った後の砂利道かと見まちがえる」
のだという。
「こんな悪路、ジープでも走れないわ」
なのだそうだ。

 ここまで云われては、一家の副あるじであり、サブ大黒柱であるぼくとしては黙っていられない。
「ごめんなさい。気をつけます」
 妻に逆らって得をすることなどひとつもない。

 たしかにぼくの作るお弁当は、彩りが悪い。
 味付けはたいてい醤油、気分を変えて味噌、中華風にしたければオイスターソースを使う。
 いずれにせよ茶色くなる。
 プチトマトやパセリを入れれば色鮮やかになるだろう。
 だけどぼくには井脇ノブ子級に美的センスがないので、彩りなんぞは食材を選ぶ決め手にはならない。

 ぼくがスーパーで買い物をするときは、
[(可食部分の重量)+(おいしさ)×0.25+(栄養素)×0.5]÷(価格)
で表される式の値を求め、この値が最大となるように食材を選んでいる。
 要は、安くて腹に溜まる食材が優先され、色合いについてはまったく考慮に入らないということだ。
 その結果、ジャガイモだとかソーセージだとか古くなって30%引きのバナナだとかの茶色い食材ばかりを手に取ってしまい、パセリやパプリカやフルーツなんぞの彩り豊か系は見向きもされないということになる。

 茶色い食材を使い、茶色い調味料で味付けをするわけだから、完成した弁当が何色になるかは火を見るよりも明らかだ。
 かくして、お昼時に弁当箱の蓋を開けたら、一面の泥色が広がっていることになる。

 泥っぽいのは色合いだけではない。
 弁当の水分含有量という観点から見ても、ぼくのつくる弁当は「泥」だ。
 調理したものをそのままフライパンからどばっと弁当箱に詰めてしまうせいだろう。たいてい箱の中がびちゃびちゃになっている。
 いや、中だけで済んでいればまだいいほうだ。運搬方法が悪かったときは弁当箱から煮汁が染み出して、弁当包みはおろか、鞄内に同居していた書類までが泥、じゃなかった、汁まみれになってしまう。

 これはひょっとしたらお弁当箱の構造が悪いのではないかと思ったぼくは、東急ハンズに行ってみた。
 難しいことはよくわからないけど最近はタブレットとかWi-Fiとかのすごいシステムがあるらしいから、ITの力でお弁当の汁漏れもなんとかなるかもしれない。

 ハンズには多種多様なお弁当箱があった。
 さすがはハンズ。
 軽いやつとか保温性にすぐれたやつとか、重箱みたいなやつまである。
 だが「汁漏れしにくい!」をうたった商品は見あたらない。
 ぼくはハンズの店員さんをつかまえて訊いてみた。
「この中でいちばん水はけの悪いお弁当箱はどれですか」
 「えっ。水はけ、ですか……?」
「いやね、いつもお弁当箱の中がびっちょんびっちょんになるんで……」
 「あー。でしたら、お弁当仕切りを使われてはいかがでしょう」
 そう云って店員が薦めてくれたのは、プラスチック製の小さなカップだった。
 なるほど。
 こいつを使えば、汁を切らずに適当に詰め込んだとしても、他のおかずに浸水被害が及ぶことは少なそうだ。
 おまけにそのお弁当仕切りたちはオレンジやグリーンなど、実に鮮やかな色をしている。
 色合いの面でも、お弁当が泥化するのを食い止めてくれそうだ。
 ぼくは直ちにお弁当仕切りを購入した。
 これで少しは妻の不機嫌も解消されるだろう。

 しかし。
 よく考えてみると、カラフルなお弁当仕切りを買ったからといって、おかずの色が汚いとか、煮汁がお弁当箱からあふれだすとかいう根本的な問題はまるで解決されていないのだ。
 障壁の本質を見ようとせず、その場しのぎの安易な逃げ道に走る。
 まったくもってぼくの生き方そのものではないか。
 泥のように汚い生き方だ。

 やはりお弁当は、作る人の人間性がはっきりと表れる「弁当道」なのだ。

2015年9月11日金曜日

【考察】もしもあなたがスリならば

たしか20年ほど前は、電車内で
「スリの被害が発生しております。ご注意ください」
というアナウンスが流れていた。

最近は耳にしない。
まさかスリが根絶されたのだろうか、いやいやまさかそんなことはあるまいと思って調べてみたら、意外なことがわかった。

「スリにご注意ください」
とアナウンスされると、乗客は、自分は大丈夫かなと心配になる。
で、ポケットやかばんに手をあて、財布が盗られていないことを確認する。

この行為が、スリに財布の場所を教えるようなものなのだ。
スリ被害を防ぐためのアナウンスが、逆にスリの手助けすることになっていた。
というわけで、各鉄道会社はスリに注意のアナウンスをしなくなったんだってさ。


2015年9月10日木曜日

【考察】もしもあたしがスリならば

あたしがスリなら、電車内でスマホゲームに夢中になってるやつらだけ狙うよね。

あいつらほんと鈍くなってるから、ズボンごと財布スられても気づかないよ、絶対。

2015年9月9日水曜日

【エッセイ】ダメあかん!

2歳の娘が、気に入らないことがあると
「ダメあかん!」
と言うようになった。

奇妙な言葉だ。
もちろんわが家にはそんな言い回しを使う人間はいない。「ダメ」は言うが、「あかん」は子どもにたいしては使わないようにしている。
娘が通う保育園の先生に、世間話のついでに聞いてみた。
「娘が『ダメあかん!』という言葉を使うようになったのですが、そういうことを言う子がいるんですか?」

すると保育士さんは恥ずかしそうに
「あー……。それは、わたしたち保育士が言うからですね……」
と、そのわけを教えてくれた。

大阪の保育園なので、家で「あかん!」を聞かされて育つ子どもがいる。
一方、うちのように「ダメ!」と言う家庭もある。
保育士さんが子どもに注意をするときは危険が迫っているときが多いので、子どもに瞬時に言葉を理解させないといけない。
そのとき、ふだん「あかん!」と言われている子に「ダメ!」と言っても理解できない可能性がある。
そこで、どちらのケースでもすぐに伝わるように「ダメあかん!」なのだそうだ。

なるほど。
こうやって、大阪の園児たちは知らず知らずのうちにバイリンガルになってゆくのか。

2015年9月8日火曜日

【ふまじめな考察】ヘアスタイルの自主決定権

美容院に行くと「どんな感じにしましょう」と訊かれるけど、あれなんとかならんものかね。

ぼくはいっつも「前髪は眉にかからない程度で、横は耳にかからないぐらいで、あとは適当に」と言うことに決めている。
こう言っておけばだいたい思ったとおりにしてくれもらえる。
だが、ときどきふと思う。
はたしてこれが正解なのだろうか。
美容師さんからは「なんだよそのいいかげんな指示は。もっと具体的に言ってくれなきゃわからないよ」と思われているのかもしれない。
かといって、
「前髪は眉の上4ミリまで。耳まわりはy=2/3x^の放物線を1/4ラジアンの角度で傾けた図形を描くようにして、頭頂部は福山雅治のつむじと近似になるように。かつ前頭葉から海馬の外殻にあたる部分は……」
みたいな細かい指示を出したら、(しょうもない顔面のくせにうるせえなあ。おまえの頭に関心あるやつなんかいないから頭髪の代わりにもずくが乗ってたって誰も気づきゃしねえよ)と思われることはまちがいない。

病院だと、ほとんどクライアント(患者のこと)が口をはさむ隙がない。
医師や診察をし、臨床検査技師が検査をおこない、
「あなたの血圧は正常値より高いです。このままだと脳溢血を引き起こすリスクがあります。血圧を下げる薬を処方しますので一日に三回服用してください」
と、すべて決めてくれる。
クライアントは、プロがそういうのならまちがいないと、安心してエスカレーターに乗っかっているだけでいい。


ぼくは「どんな分野であれ素人が口をはさむとろくなことにならない。プロに一任するのが最も効率的でいい結果を生む」と信じているから、できることなら髪のことに関しては美容師さんに全権委譲したい。

美容院に行くと、美容師がぼくの顔立ち、頭部の形、髪質などを入念にチェックしたのち、
「あなたの今の髪型は男性の15パーセント、女性の45パーセントからダサいと思われる髪型です。このままだとロマンスのチャンスをみすみす逃す可能性があります。モテモテになるのは無理だとしても、そこそこ見られる髪型にしてあなたの髪質にあった整髪料を処方しておきますので、一日一回、鏡の前でヘアセットしてください」
という診断を下してくれるのだ。

これは便利ー!
ぼく程度の人間に、ヘアスタイルの自主決定権なんかいらないんだよ!

2015年9月7日月曜日

【エッセイ】完全犯罪の憂鬱

 完全犯罪を成し遂げたことがある。

 中学2年の冬だった。
 社会科の先生が体調不良のため休職することになり、代理で非常勤の教師が来ることになった。
 代理で来るのは若い女の先生らしい。
 彼女がはじめて授業をおこなう日。かしこいぼくは、クラスの男子全員を集めて提案した。
「どうだ、全員の名前と座席をシャッフルしようじゃないか」

 代理の先生はぼくたちの顔と名前を知らない。だから別人の名前を名乗ってもバレないはず、とふんでのことだった。
 そして我々は、それぞれが別人の名前を名乗ることにした。
 ぼくの名前はT木になった。
 山本幸作という名前と座席は、M山に貸した。
 学ランに名札が縫いつけてあったため、学ランごと交換するという念の入れようだった。

 よくこんなくだらないことにクラスの男子全員が協力してくれたものだと感心する。
 生徒会役員のやつも、不良のやつも、クラスの人気者も、ほとんど登校拒否のやつも、なぜかそのときだけはみんな協力してくれた。
 文化祭でも合唱コンクールでもばらばらだったクラスが、ようやくひとつになった瞬間だった。

 結果は、大成功だった。
 あたりまえだか代理の先生は変装した男子たちの正体に気づかず、ぼくらは嘘の名前で堂々と自己紹介までしてみせた。
 代理の先生はそれを素直に信じ(クラスの男子全員が偽名を名乗っている可能性を疑う教師がこの世にいるだろうか)、ぼくらは終始笑いをこらえながらその1時間を過ごした。

 なかなか大がかりないたずらだったが、最近友人から「こんなこともあったよな」と言われるまで完全に忘れていた。
 ぼくにとってあまり印象的な出来事ではなかったらしい。
 いたずらというやつは、たいていバレて叱られた思い出とセットで記憶されているものだ。
 とうとうバレることのなかった「学ラン交換」は、ぼくの中で消化されずにどこかへ流れてしまったらしい。

 誰にも知られない完全犯罪なんておもしろくない。
 アルセーヌ・ルパンをはじめとする大泥棒たちがわざわざ反抗予告をする理由が、ぼくにはわかる気がする。

2015年9月6日日曜日

【読書感想】 九井 諒子『ダンジョン飯』

九井 諒子『ダンジョン飯』(エンターブレイン)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00S0E4JW8/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B00S0E4JW8&linkCode=as2&tag=mago800-22

(Amazon.co.jpより)
待ってろドラゴン、ステーキにしてやる!
九井諒子、初の長編連載。待望の単行本化!
ダンジョンの奥深くでドラゴンに襲われ、
金と食料を失ってしまった冒険者・ライオス一行。
再びダンジョンに挑もうにも、このまま行けば、途中で飢え死にしてしまう……。
そこでライオスは決意する「そうだ、モンスターを食べよう! 」
スライム、バジリスク、ミミック、そしてドラゴン!!
襲い来る凶暴なモンスターを食べながら、
ダンジョンの踏破を目指せ! 冒険者よ!! 


 なんというか、すごく説明しにくいんだけど、あえて既存のジャンルにあてはめるなら、料理漫画である。『クッキングパパ』のように具体的なレシピがあり、『美味しんぼ』のような食の蘊蓄も得られ、『孤独のグルメ』のように精緻なレポートで食欲をそそる。
 が、扱う食材はすべて架空のものである。魔物や鎧や肉食植物を調理して、そして食らう。

 小説やゲームなどのファンタジーの世界に食事シーンは少ない。ぼくらが見たこともない動植物が跋扈する世界なのだから、そこの住人たちも当然ぼくたちとはちがうものを食っているはずである。なのに、その描写はほとんどない。
『ドラゴンクエスト』の冒険者たちは何を食っているのだろう。数々のアイテムがあるけど、食べ物ってあったかな。やくそう、ちからのみ、まもののにく。どれも食料じゃないな。

 どんな奇妙な世界だって、そこに生きている人は腹もへるし糞もするし眠くもなる。しかし日常的な行為はあまり語られない。
 歴史的に重要なできごと ー 戦争や地震や革命 ー は記録に残る。しかし、市井の人々が何を食べ、どうやって寝て、どうやって歯を磨いていたのかの文献は少ない。あえて記録に残すほどではないと思うから。

 過去だけじゃない。
 たとえばイタリア。ぼくらはイタリア料理に関する知識を持っている。ピザやパスタはよく口にするし、カプチーノも飲む。
 けれど、「今日は昼飯遅かったし、晩はかんたんでいっかな」というとき、日本人ならお茶漬けなんかで済ませるが、イタリア人ならどうするのか。マルゲリータで済ませたりするのか。
 イタリアの男子高校生はどんなお弁当箱を使っているのか。パスタソースがお弁当箱から染みださないようにどんな工夫をしているのか。
 和菓子職人に選ばれたお茶は綾鷹でしたが、ティラミス職人はどんなコーヒーをたしなむのか。
 ぜんぜん知らない。

 Twitterやブログが広まって誰でも手軽に情報を発信できるようになった今でも変わらない。旅行に行ったことやめったに作らないごちそうを作ったことは記録しても、サンスターで歯をみがいたことや、ヤマザキの食パンで朝ごはんを済ませたことをわざわざ世に発信する人は多くない。


 だから『ダンジョン飯』は、ファンタジーの世界を知る上で、貴重な記録である(ファンタジーだからもちろん空想の記録だけど)。
 魔物と戦う冒険者たちが、何を食べ、どのように栄養バランスを考え、トイレをどう処理しているかまで丹念に書かれている。単なる想像ではない。しっかりとした科学的知識に裏打ちされた、筋の通った理論が世界観を強く支えている。生物学の教科書を読んでいるような気にさえなる。

 “無人島に持っていきたい一冊”というものがあるが、まぎれもなくこれは“ダンジョンに持っていきたい一冊”だ。


2015年9月5日土曜日

【考察】女子とおばさんの境界線

自分のことを「女の子」「女子」というようになったら、もう女の子じゃないし、
「おばさん」と言われて怒るようになったら、おばさん。

2015年9月4日金曜日

【ふまじめな考察】善人の道案内

みんな知ってるー!?

知らない人に道を訊かれたとき、
ふつうに教えても
「どうもありがとうございます」
ぐらいだけど、

一度でたらめな道を教えて、相手が歩きだして1分後ぐらいしてからあわてて追いかけて「やっぱりこっちでした!」ってほんとの道を教えると、
「ええ!? そのためにわざわざ追いかけてきてくれたんですか! なんていい人なんですか!」
ってなかんじで、ものすごく感謝感激してくれるんで、超オススメだよ☆

2015年9月3日木曜日

おっさんだけどおっさんじゃなかった

50歳くらいの小太りの男性が、駅前に立っている。
全身から汗をかき、うちわでぱたぱたぱたぱたとせわしなく扇いでいる。
そこにやってきた、連れの男性(こちらも50歳くらい)。
「おまえ、そんなだらしない格好してたらおっさんみたいやで」

お っ さ ん み た い や で 。

ぼくの目にはどっからどう見てもおっさんにしか見えなかったのだが。
まさかおっさんじゃなかったなんて。
いやあ、人は見た目によらないものだ。

2015年9月2日水曜日

遠き遠きモテの世界

「自分はモテないし、この先もモテることはない」
という現実をぼくが知ったのは、小学3年生の春のことだった。

 遠足で、隣県の山に登ったときのことだ。
 山頂でお弁当を食べたあと、ぼくらは付近の斜面を走り回って遊んだ。
 斜面を駆け上がり、その後駆け下りる。そしてまた上る。
 その行為のどこに悦びを見いだしていたのかは今となっては謎だが、自分のしっぽを追いかけて回り続ける雑種犬よりアホだった小3のぼくらは、その生産性ゼロの遊びに数十分以上も耽っていた。
 その間にも南米の密林がどんどん減少して砂漠へと変わっていることも知らずに。

 突然、鋭い悲鳴が響いた。
 女の子たちが騒然としている。
 走り回っていた女の子のひとりが斜面から転げ落ち、さらに悪いことに石に頭をぶつけたのだ。
 彼女の意識ははっきりしていたが頭からは血が出ていた。
 すぐに担任の先生がとんできたが、ぼくは本当に、彼女がそのまま死んでしまうのではないかと思った。
 小学生にとって「頭から血が出る」というのは、あのベジータがあっさりフリーザにやられてしまったときと同じくらい絶望的な状況だからだ。
 そこで遊んでいた誰もが、ぼくと同じようにオロオロしながら、けれど何もできずに頭から血を流す女の子を遠巻きに見ていた。

 そのときだった。
 同じクラスのヨシダくんがけがをした女の子に駆け寄り、ハンカチを差し出したのだ。

 衝撃的な出来事だった。
 今でも当時の感動とともに、その光景を鮮明に思い出すことができる。
 まちがいなくその場にいた全員(教師も含め)が、ヨシダくんの振る舞いにときめき、そして彼に惚れたはずだ。
 もちろんぼくもそのひとりである。
 傷ついた女性にさっとハンカチを差し出す紳士的な振る舞いもさることながら、何よりぼくが驚嘆したのは、彼が「ハンカチを持っている」ということだった。

 当時のぼくにとってハンカチというものは、パーカライジング(リン酸塩の溶液を用いて金属の表面に化学的にリン酸塩皮膜を生成させる化成処理)と同じくらい、自分の生活とは縁遠いものだった。
 トイレに行っても手を洗わないし、よしんば洗ったとしても濡れた手の処理は
・ズボンでごしごしする
・友だちの背中になすりつける
の二択だったぼくにとって、手をハンカチで拭くなんて、手にリン酸塩を塗ることぐらいありえないことだった。
 つまり、ぼくはごくごく普通の小学3年生男子だったわけだ。
 ところが、ぼくと同じ歳月しか生きていないヨシダくんは、ハンカチを所持していただけでなく、これ以上ないというベストなタイミングでポケットから取り出し、あろうことかさりげなく女の子に差し出してみせたのだ。
 なんて破廉恥な小学3年生なのであろう!

 そして彼がハンカチを差し出した瞬間、ぼくは稲光に打たれたように悟ってしまった。
 「モテる」とはこういうことだ、と。

 このときぼくがはっきりと認識した「モテる」世界は、眼前に見えているにもかかわらず、西方浄土よりも遠く感じられた。
 自分が立っている場所との落差を感じ、深い絶望を覚えた。
 とても自分が、傷ついた女性にさりげなくハンカチを渡せる男になるとは思えなかった。
 8歳のぼくが感じた予感は悲しいことに的中し、30歳をすぎた今でも女性に対してハンカチを差し出すことはおろか、お世辞のひとつすら言えない。

 ああ。
 なんて遠いんだ「モテる」世界よ!
 ぼくには一生かかってもたどり着けそうにないよガンダーラ!!

2015年9月1日火曜日

受け取るな!のビラ

 路上でビラ配りをしている男女が
「こんなの受け取ろうと思います?」
「あたしだったら絶対に受け取らないー」
とおしゃべりしながら配っていたので、
もらおうとした手をあわてて引っ込めた。

2015年8月31日月曜日

それが男の優しさ

「今日は食欲ないから晩ごはんいらないわ」
と妻に告げる。
 すると彼女は
「大丈夫? 明日仕事休んで病院に行ったほうがいいんじゃない?」
と私の身体を気づかった。

 その気持ちはありがたい。
 だが妻よ。
 男が、それぐらいのことで仕事を休むなんて弱音を吐くわけにはいかない。
 それが男のせいいっぱいの強がりってもんだ。

 ましてや、
「家に帰る途中で誘惑に負けてラーメンを食べちゃったから、満腹で妻が用意してくれた晩ごはんを食べられない」
なんてことは口が裂けても言うわけにはいかない。
 それが男のせいいっぱいの優しさってもんだ。
 そうだろう?

2015年8月30日日曜日

ラブコメの宿命

ラブコメ漫画って、けっこう早い段階で主人公とヒロイン(ヒーロー)がひそかに両想いになってしまって、もう結末は決まってしまう。
でもそれだと話がつづかないから、 お互いの勘違いによってぎくしゃくさせたり、フラれるとわかりきっているライバルを登場させたりするよね。

あれって、ドラゴンボールでいうと、
もうセルは死んでるのにまだ生きていると誤解している悟空たちが一生懸命修行をしていたり、
さあフリーザと闘うぞってときに今さらヤムチャが新キャラとして登場したり、
みたいなもんだよね。

2015年8月29日土曜日

【読書感想】真鍋 博『超発明: 創造力への挑戦』


真鍋 博『超発明: 創造力への挑戦』(筑摩書房)

「BOOK」データベースより
星新一との仕事でも知られる天才イラストレーター・真鍋博が、頭の体操として考え、あたため、育ててきた“夢の発明品”129個の大博覧会!実現可能に見えるものからユーモアにみちた珍発明まで、ポップで精細なイラストとその解説文で、未だ実現しない夢に見る“日本の未来”を40年も前から語り続けています。日本SF界を支えた“思考”と“発想”をご堪能あれ!

 昔の人の「未来予想」は愚かでおもしろい。だってはずれているに決まっているから。
 自分だけが答えを知っているクイズのように、にやにやしながら「君たちにはわかんないよねー。難しいよねー」と底意地の悪い楽しみかたができる。
 明治時代のとある学者が「このままだと東京の街は馬車の馬糞でいっぱいになる」と真剣に憂慮していたらしいが、そういう的はずれな予想がぼくは大好きだ。

 真鍋博の『超発明』も、今から40年以上前に刊行された本なので、いわば“昔の人の未来予想”だ。当時の科学技術を土台に、ありったけの想像力というスパイスをふりかけて考案された発明たち。
 これがなんというか、性格の悪いぼくにとっては残念なことに、40年たった今でも色褪せていないのだ。今年書かれたと言われても信じてしまうくらいの鮮度の良さだ。
 予想は古くなるが空想は古びないのだと教えてくれる。


 真鍋博といえば星新一作品のイラストで有名だが、あらゆる刺激をなくして死を疑似体験する『無刺激空間』や、増えすぎた生物を狩る『天敵ロボット』なんて発明は上質のショートショートような味わいだ。
 諷刺やエスプリがたっぷりと効いて、さらなる想像をかきたてられる。


 輸送や陳列のコストを削減する『四角い卵』、味を記憶する『録味盤』、光そのものを絵の具にする『オプティカル・パレッ ト』、物体の一部分だけの重さを量る『部分体重計』のような、もうすぐ実現するんじゃないかという発明(ぼくが知らないだけでもう開発されているのかもしれないが)も魅力的だが、突拍子もないナンセンスな発明にこそ真鍋博の豊かな想像力が光る。

たとえば次の発明。
『球体レコード』
 円盤より球体の方が表面積は大きい。そして球体レコードがその歴史的発展の単なる延長でない点は、エンドレスであり、一個のレコードに何億曲でも収録できることだ。
まだレコードしか録音手段がなかった時代なので「レコードをいかに改良するか」という発想になるのは当然だ。だがそこから出発して、現代ではほぼ実現したといってもいい“一個のレコードに何億曲でも”という着地点にまで持ってくるのは、単なる空想にとどまらない、現実的な視点も必要になる。
 理論に裏打ちされた空想、これもやはり星新一に共通するものがある。


 最後に、ぼくがいちばん気に入った発明を紹介。

 『空砲』
 かつて人類は人類同士の闘争のため大砲を撃ち合ったが、未来は人類が人類を救うためお互いに酸素の爆弾を落とし合い、空気の大砲を撃ち合わねばならないだろう。
 闘うのは人間の本能であり、それを否定した平和は不自然そのもの。しかし、それが花であり、鳥であり、きれいな空気の弾であれば、闘争はより建設的であり、より平和的であるといわねばならない。

 美しいほどにリアリスティックでロマンティックな発想ではないか。
 隣国同士が憎み合わずに互いに贈り物をすれば世の中はよくなる。だが、それを支えるのは親切心ではない。愛は地球を救わない。なぜなら愛は長続きしないから。
 だが競争心や闘争心は持続する。数々の戦争が数多の偉大な発明を生んだように、米ソの対立が宇宙開発につながったように、『憎悪は地球を救う(可能性もある)』のではないか。

 地に足のつかない理想を並べたてる輩よりも、こういうリアリスティックなアイデアにこそノーベル平和賞をあげたほうがいいんじゃなかろうか。
 ノーベル平和賞だって “競争心を平和のために利用する発明” だしね。




2015年8月28日金曜日

2番組の神

 クローン技術や人工臓器の分野は、欧米のキリスト教国が「神の意思に背くことになる」と二の足を踏んでいる間に、日本がじゃんじゃん研究を進めてクローン人間でもつくればいいとおもう。
 仮に神が全智全能なら、とうぜん人間がクローン人間をつくることもわかった上で人に知恵をお与えになったのだろうから。
 ぼくからしたら、時間の概念をいとも簡単にねじまげてしまう「2番組同時録画機能付きHDDレコーダー」のほうがよほど神をもおそれぬ所業である。

2015年8月27日木曜日

閉店いたしました

 なぜだろう。
 お店のシャッターに貼られたお知らせを見ると泣きそうになるのは。

『喫茶シャンゼリゼは□□月□□日をもちまして閉店いたしました。長い間ご愛顧ありがとうございました』

 この手の貼り紙を見ると、つい足を止めて見入ってしまう。
「そっか……。閉店か……。
 ちくしょう、なんで店をたたむ前にぼくにひとこと相談してくれなかったんだよ!」
と叫ばずにはいられない。

 深夜1時。
 喫茶店シャンゼリゼの店主、山井伸彦(仮名)は部屋の灯りもつけずにじっと目を閉じていた。
 もう決めたことだ。今さらどうなるものでもない。わかってはいるが、身体が石にでもなったように動かない。
 しかしいつまでもこうしているわけにはいかない。伸彦は痛む腰を押さえながら座布団から立ち上がった。
 たしかここにしまっておいたはず。階段下の物置部屋からすずりと筆を引っ張り出してきて、文机の上にならべた。
 ふうっと深い息をついた。墨を手に取りすずりに当てる。
 いつか絶対役に立つからと小学生のときに習わされていた書道。それがこんなときにやっと役に立つなんて。人生は皮肉なものだな、伸彦は苦笑した。
 なんと書こうかと墨を動かしながら考えた。
 未練がましいことは書きたくなかった。最後まで喫茶シャンゼリゼにはダンディーな店であってほしい。
 考えがまとまらないうちに自然と筆が動きだした。
「喫茶シャンゼリゼは閉店いたしました。長い間のご愛顧ありがとうございました」
 もっと気の利いたことを書きたかったが、結局ありきたりな文章になってしまった。だがそれが今の心情を過不足なく表しているように思えた。
 これをシャッターに貼ればすべてが終わる。二十数年積み上げたことも、こんな紙切れ一枚で終わってしまうんだな。
 思った瞬間、伸彦の目からは涙がとめどなく……。

 そんな光景が貼り紙の奥に透けて見える。
 伸彦の苦悩や無念さが想像されて、途方もなく悲しくなる。
 実際、酔っ払って帰ったときには、閉店したパン屋の前で涙を流してしまったことまである。
 そのパン屋を利用したことは一度もないのに。

 これだけでもちょっとした異常者だが、だんだんエスカレートしてきて、最近では閉店のお知らせだけでなく、なんでもないお知らせを見ても涙腺が熱くなる。
『お盆休みのため、八月十三日から十七日までは休業させていただきます』
の貼り紙を見ただけで
「そっか……。お盆休みか……。
 ちくしょう、なんでひとこと相談してくれなかったんだよ!」
と条件反射的に悲しみがこみあげてくる。

 ここまでいくとほとんどビョーキだ。自分でも気持ち悪いと思う。
 そのうち『全品2割引!』とか『アルバイト募集』の貼り紙を見ただけで涙を流すようになるかもしれない。
 
 べつにぼくは感受性豊かでも、情に厚いわけでもない。どちらかといえば冷たい人間だと思う。
 葬儀中の家にでている「忌中」の貼り紙を見てもなんとも思わない。
 ふーん、人間誰しも死ぬしねー、と思って5秒後にはもう忘れている。

 なぜお店の貼り紙だけが心に響くのだろうか。
 医者でも神でもないぼくが人の死をくい止めることはできないが、閉店や休業ならなんとかできたかもしれないと思うから、悔しいのだろうか。

 だが実際には財力も人脈もないぼくには、お店がシャッターをおろすことさえ止められない。
 なんて無力なんだろう。

 ぼくにできることはただひとつ。

 山井伸彦(仮名)のお盆休みが幸せなものになるよう、心から祈ること。
 ただそれだけだ。

2015年8月26日水曜日

【読書感想】森 晶麿『黒猫の遊歩あるいは美学講義』

森 晶麿『黒猫の遊歩あるいは美学講義』
(早川書房)

「BOOK」データベースより

でたらめな地図に隠された意味、しゃべる壁に隔てられた青年、川に振りかけられた香水、現れた住職と失踪した研究者、頭蓋骨を探す 映画監督、楽器なしで奏でられる音楽…日常に潜む、幻想と現実が交差する瞬間。美学・芸術学を専門とする若き大学教授、通称「黒猫」と、彼の「付き人」を つとめる大学院生は、美学とエドガー・アラン・ポオの講義を通してその謎を解き明かしてゆく。第1回アガサ・クリスティー賞受賞作。


 知人が薦めるので買って読んでみた。「読んだら感想聞かせてね」と言われていたので、ぼくは今、すごく困っている。
 だってぜんぜんおもしろくないんだもの。

 ハヤカワだから一定品質は担保されてるミステリかと思ったら、ぜんぜん。謎の答えどころか謎そのものが作者の頭にあるだけで、ちっとも見えない。探偵が「真相はこうでっせ。どやすごいやろ」と言うんだけど、はあべつにそこはどうでもいいしな、それがわかったからなんなの、わからなくても誰も困らねえしな、という謎ばかりなのだ。
 レストランで飯食ってたら、呼んでもないシェフがしゃしゃりでてきて「実は材料は○○から取り寄せて、こんなに苦労して下味つけて……」と解説してくる感じというか。うっせえ聞いてねえよおまえの得意げな自慢聞いてたら飯がまずくなるから出てくんじゃねえよ、そもそもそこまでこだわってるわりにうまい飯でもねえよ、と言いたくなる。

 しかしぼくの好みに合わなかっただけで、これが駄作だというつもりはない。世の中にはシェフの自慢話を聞きたい人もいるのだ。ハーレクインとか、ちょいミステリ気取りのライトノベルとかが好きな人にはハマるんじゃないだろうか。
 実際、文章はうまいしね。思い出したかのように唐突に放りこんでくる過剰な言い回しが鼻につくだけで。

 おっと。いかんいかん。ついつい悪口になってしまう。
 今回ぼくに与えられた課題は「この本を薦めてくれた人に、嘘をつかずに、かといって相手の気を悪くさせることなく、いかに感想を伝えるか」である。

 ううむ。難しい。

「大学の教科書みたいだね。教授が書いた本で、学生たちに半分強制的に買わせるやつ」
ぐらいで、許してもらえないだろうか。
 

2015年8月25日火曜日

リアルインターネット

「インターネットと現実の区別がついていない若者の犯罪」
みたいな表現をニュースでよく耳にするけど、
ネットと現実との区別ってなんだよ、htmlもcssも現実にあるものなんだよ、もちろんそれを作った人間も使ってる人間も現実にいるんだよ、ネット上にあるものは全部現実なんだよ。
まさかすべて幻だと思ってるのか?

こういうこと言うやつのほうがよっぽど現実とネットの区別がついていないね。
インターネットは単なる通信手段であって、夢でも幻でもないんだよ。

「会話と現実の区別がついていない」
「手紙と現実の区別がついていない」
とかいう言い方をしてみれば、
「ネットと現実の区別」という表現がいかにばかまるだしかがわかるのにね。

2015年8月24日月曜日

洗う石油王

人と話すのが嫌いだ。

できることなら誰とも話したくない。
仕事中だって、隣の人ともチャットで話したい。
いわんや見ず知らずの人なんて。


とはいっても、仕事上、はじめて会う人と話さないといけないこともある。
イヤだけど、まだぼくの家の庭から油田が見つかって石油王になっていない以上、今のところ仕事をして稼がないといけない。

うちの会社では、お客さんが来ると受付の女性がお茶を出してくれる。
お客さんと話しおえると、ぼくはお茶の入っていたコップを持って給湯室へ向かう。コップを洗うためだ。
ほとんどの社員はコップを放置するので、ぼくのように洗いにいく人間はめずらしい。
受付の女性は「そんなことしなくていいですよ! わたしたちの仕事なんで」とか「洗ってくれるなんて優しいですね」とか言ってくれる。

ちがうんだ。
優しさから洗っているわけではない。
ましてや受付の女性によく思われたいという下心でもない(エロい目で彼女たちの尻を見つめることはあるけど)。

ただ洗いたいだけなんだ。
知らない人と話すとどっと疲れるから、食器洗いみたいに無心でできる作業をすることで、澱んだ精神を洗い流すのだ。

だからもしぼくの家の庭から石油が湧きだしたとしても、やはりぼくは仕入れに来た石油貿易会社の社員と話した後には、ひとり台所に行って黙々とコップを洗うことだろう。
油田つきの庭どころか、土地すら持ってないけど。

2015年8月23日日曜日

個性的な組織

いろんな組織に所属したことがあるけど、どこにいっても
「うちのサークルは個性派ぞろいだ」とか
「ここの業界は特別だから」とか
「この会社は変な人ばっかりだ」とか言う人がいる。

みんな自分のいる場所が特別だと思いたいのだ。

もし「うちは個性的だ」と言う人がひとりもいない組織があれば、それこそ真に個性的な組織にちがいない。

2015年8月21日金曜日

ロボットフェンシングコンテスト

あたしは思う。

いちばんかっこわるいスポーツはフェンシングよね。

たしかに剣士たちは優雅さと強さの両方を兼ね揃えていて、その動きは美しくさえある。

でもさ。

あの人たち、コード出てるでしょ。お尻のあたりから。

なんなのあれ。
いや、わかってる。
剣先が身体に触れたかどうかを判定するためのセンサーでしょ。
それはわかった上で言うんだけど、なんなのあれ。
なに線でつながれてんの。
これだけWi-Fiが飛び交ってる時代に、なにゆえ有線?

あたしには剣士たちが操縦されてるようにしかみえない。

テレビつけてフェンシングやってたら、あれ、ロボコンやってんの? これNHK?
って思う。
剣士の後ろをコントローラー持ちながらついてくる高専のメガネ男子の姿を探してしまう。

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

「優勝は近畿ブロック代表、舞鶴高専!」
 アナウンサーが高らかに叫び、会場いっぱいに鳴りわたる拍手にあわせるように紙吹雪が舞った。

 優勝を決めた舞鶴高専のメンバーは抱きあって涙を浮かべ、惜しくも準優勝に終わった都城高専の三人は笑顔で敵チームに惜しみない拍手を送った。
 勝者が泣きじゃくり、敗者が清々しい笑顔を見せるその光景が、いかに厳しい戦いだったかを物語っていた。

 敗れた都城高専のロボット剣士『ロビンfoot』の完成度は群を抜いていた。バランスよく二足歩行をしながらエアシューターの力で突きだされる剣は、スローカメラでやっととらえられるほどの速さだった。準決勝で受けた剣の影響で左アームが操作不能になるというハプニングさえなければ優勝してもおかしくなかった。
 だがロビンの隙を逃さず、ガードが甘くなった左胸に剣をつきつけた舞鶴高専のロボット『ミヤモト634号』の技術はそれ以上に目を見張るものがあった。1秒間に600回以上の振動を与えられた腕からくり出される鋭い攻撃は、ハチドリの羽ばたきから着想を得て、プログラムに改良に改良を加えたという必殺の剣だった。

 戦いは終わった。
 舞鶴高専の三人は、いまや四人目のメンバーともいえるロボット剣士にも抱擁をおこなった。そして、おつかれさまと労をねぎらうように電源ボタンをオフにしてからロボ剣士の尻のボタンを押した。
 尻から伸びた操縦コードは、しゅるしゅるしゅると音を立ててコード入れに吸いこまれてゆき、コントローラーがボディにぶつかってかたんと音を立てた。
 掃除機の電源コードから着想を得て、改良に改良を加えたという高い技術が、そこにも活きていた。