2015年12月29日火曜日

【ふまじめな考察】それにひきかえ太陽系では……

「欧米では○○なのに、それにひきかえ日本ときたら……」
という言い回しを用いていいのは、

欧米の人から「アジア人って○○だよね」と言われても、
「日本も中国もミャンマーも一緒にするな!」
とは思わない人だけ。

2015年12月28日月曜日

【エッセイ】ミノムシって絶滅危惧種なんですってよ

ミノムシって絶滅危惧種に指定されているんだって。
20年くらい前から寄生虫のせいで激減してるらしいよ。

そういや昔は秋になるとよく見かけたのに、今ではまったく目にしない。

絶滅危惧種になっているという本を読むまではそんな虫がいることすら忘れていたぐらいだから、あたしはミノムシが絶滅したってまったく困らない。
困らないどころか、ミノムシって成虫になったら蛾になるわけだけど、できることならこの先、蛾と一切関わることのない人生を歩んでいきたいとすら思っている。

でも、ミノムシはおもしろいから生きていてほしい。
アリジゴクとかマイマイカブリとか尺取り虫とか、そういう個性派メンバーの虫たちにも、がんばって種として長生きしてもらいたい。
あたしの人生と関わらなくていいから、この世のどこかで細々と生きていてくれ、って思う。

ヤクザとかギャンブル狂とか露出狂とかの人たちも、絶対に関わりあいにはなりたくない。
でもそういうのがまったくいない社会もつまらなさそうだから、生態系における個性派メンバーとして、どっかでひっそりと息をしていてほしいものです。

2015年12月26日土曜日

【ふまじめな考察】公平なテロ

海外で自爆テロや銃乱射事件があったときにも、

犯人の卒業文集を朗読したり、
近所の人に「ええ、ちゃんと挨拶する子でしたよ」と言わせたりしないと、
報道の中立性・公平性は守られないのではなかろうか。

2015年12月25日金曜日

【エッセイ】やぶれし靴下いとをかし

靴下がやぶれた。
靴を脱いだら、親指がにょきっと顔を出している。

ああ、よかった。
ぼくは胸をなでおろす。
やっとやぶれてくれた。うれしい。

ぼくはものを捨てられない。
服を捨てるタイミングがわからない。
このシャツなんかもう10年着つづけている。

ジャケットやズボンは大丈夫。
何年か着ていると汚れや染みがついたりするので、捨てる理由ができる(このときばかりは、自分が食べ物をぽろぽろこぼす人間でよかったと思う)。

靴下や肌着なんかの下着類はほんとに捨てられない。
またユニクロの靴下ときたら生地が丈夫だから、なかなかやぶれない。 
だから足首のとこがよれよれのナチュラルルーズソックスになっても、捨てどきがわからなくてずっと履きつづける。
余った布が足首にまとわりついて気持ち悪い。

捨てたい。
でもまだ履ける。
捨てられない。

だから、靴下がやぶれたときは心から安堵する。
これで、捨てても誰にも怒られない(やぶれる前に捨てても誰にも怒られないんだけど)。

しかし。
靴下はまだいい。いつかはやぶれるから。

いちばんの厄介者はパンツだ。
汚れがついたってどうせ人に見られるものじゃない(ぼくが女にモテすぎる男なら毎日新しいパンツを履くのに!)。
おまけにパンツときたら、靴下とちがってまずやぶれない。
だからぜんぜん捨てられない。

『鬼のパンツ』の歌詞で
「10年はいてもやぶれない つよいぞー つよいぞー」とあるが、ぼくのパンツはひょっとしたら10年以上履いてるかもしれない。

 ぼくのパンツはいいパンツ
 つよいぞー つよいぞー
 10年はいても捨てられない
 つよいぞー つよいぞー(貧乏性が)

2015年12月24日木曜日

【エッセイ】違いのわかるわたくし

妻が作る料理は、おいしいと思うこともあるし、うーん正直これは……と思うこともある。

人は褒めてもらえると伸びる。
ここは、違いのわかる男であるぼくが導かねば。
おいしいと思ったら積極的に「これおいしい」と言うようにしている。


しかし。
こないだ妻から言われた。
「あなたがおいしいと言うときって、オイスターソースを使った料理のときだけよね」

たしかにそうだわ……。
オイスターソースがあるかどうかの違いしかわかってなかったわ……。

2015年12月23日水曜日

【ふまじめな考察】まじめがまじめにかっこよく


校歌って、たいした学校でもないのに、ものすごい伝統があって豊かな自然に囲まれて若人たちがひたむきに勉学に取り組んで切磋琢磨しながら成長してゆくじゃない?
なんだかなあって感じよね。
地に足がついてなさすぎない?

作詞したのはその学校とは縁もゆかりもない人(創設時には卒業生がひとりもいないのだからあたりまえ)。
しょせん関係ない人が作った歌なんてそんなもんよね。

でもさ、じゃあ生徒みんなで校歌の歌詞を考えましょうってやったとするじゃない?
まずまちがいなく、ふつうの生徒は応募しないよね。
考えるのって、内申点高い系の生徒だけよね。
まじめに生徒会やるような生徒だけ。
そういう子らが、真剣に、かっこいい歌詞にしようと一生懸命考えるわけ。
もうわかるよね?

笑えないぐらいダサい歌詞になる。
まちがいなく。
だってまじめな生徒が、まじめに、かっこいい歌詞考えるんだもん。
かっこいいわけない。

やっぱり縁もゆかりもない人が考えた歌詞がいいよね。
変に肩に力が入ってなくて。

2015年12月21日月曜日

【エッセイ】潔いチラシ

路上でチラシを配っている人が

「チラシですよー!
 チラシ配ってまーす!」

と言いながら配布していた。

ふつうは「新装開店でーす」とか「セール中ですよー!」とかだと思うのだが、「チラシですよー!」とはじつに潔い。


他にも潔い売り文句を考えてみた。

・レストランのメニュー「料理 1200円」

・洋服屋の店員「服、入荷しました」

・CM「宣伝してます」

2015年12月19日土曜日

【考察】専守防衛の秋

渋い皮で身を覆って

その上から硬い皮でガードして

さらに外側をトゲで武装して

そこまで食べられないように工夫しているのに

結局おいしく食べられてしまうクリって、ほんとかわいそう。

【考察】利かせろ、とんち!

小さい子どもを持つ女性が仕事をしようとするやん?
子どもを保育園に預けないと仕事に行けないやん?
でも仕事してないと保育園には入れてくれないやん?

……。

おい!
国会に一休さんを呼んでまいれ!!

2015年12月17日木曜日

【ふまじめな考察】イルミネーションとアヘン戦争


あたしがふしぎでならないのは、クリスマスのイルミネーションだとか夜景だとかを見て
「わー! きれーい!」
とはしゃぐ輩がいるってこと。

そしてそういう妙な感性の持ち主が特に通院も服薬もせずにまともな生活を送っているってこと。

電飾がぴかぴかしてて、いったいそれの何がきれいなの?

「きれい」ってのは、雲ひとつない青空だったり、しみひとつない肌だったり、掃除のゆきとどいた部屋だったり、
「余計なものがない、整然とした状態」を指すんじゃなくて?
金色と赤と緑と青の電飾がちかちかしている街なんて、肌でいったらほくろとしみとそばかすとあばたとにきびとかさぶたがあるような状態なわけじゃない?
それをきれいと思える感覚の人が、足と鉄球を鎖でつながれずにふつうの生活を送っている、ってことがほんとふしぎよね。

しかもそういう人間がどうも少なくないらしい。
でなきゃ、12月にあんなに街がちかちかラブホテル化することの説明がつかない。
ほんとふしぎ。

ばらばらの色がばらばらのタイミングでちかちかちかちかしているのをきれいだと思う人間がたくさんいるのに、19世紀の清みたいにアヘンが蔓延していないことが、ほんとふしぎ。

2015年12月16日水曜日

【読書感想文】 長野 伸江 『賞賛語(ほめことば)・罵倒語(けなしことば)辞典』


『賞賛語(ほめことば)・罵倒語(けなしことば)辞典』

長野 伸江

内容(「BOOK」データベースより)
ほめることば・けなすことば「サラリーマン」「妻」「夫」といった対象別に紹介。ことばの達人たちの実例から、「ほめる・けなす」のテクニックも学べます。

辞典と銘打たれてはいるが、辞典としての有用性はほぼゼロ。
でも読み物としてはおもしろい。
1770年刊の『遊子方言』で、「茶漬けを食べる」という意味の「茶づる」なる言葉が使われている、みたいな雑学も数多く拾える(「サボる」「タクる」のように名詞に「る」をつけて動詞にするのは200年以上前から日本人はやってたんだね)。あと「社畜」は1987年にはすでに使われていたとか。

古典文学、俳句、狂歌、現代小説、法律などさまざまな媒体から「ほめ言葉」「けなし言葉」の用例を拾ってきているが、だんぜんおもしろいのはけなし言葉のほう。なんならけなし言葉だけでもいいぐらい。
腰弁当、筍医者、文字芸者、小糠婿など、誰かを小馬鹿にする言葉には洒落が利いたものが多い。

褒めるときはたとえ拙い言葉で褒めたってかまわない。むしろたどたどしい語り口のほうがお世辞っぽさが消えて真実味が増す。
でも。けなすときはそうはいかない。
へたな悪口は、言われた本人を怒らすのはもちろんのこと、傍で聞いている人まで不快にする。
だから人をこばかにするときは知恵と技巧が必要だ。

「行動できる者は行動する。行動できない者が師になる」
英国の作家であるバーナード・ショーの言葉だ。
なんと知性にあふれた悪口だろうか。
見事な悪口は、褒め言葉よりも人を楽しませてくれる。

2015年12月15日火曜日

【読書感想文】 桐野 夏生 『グロテスク』

桐野 夏生 『グロテスク』

内容(「BOOK」データベースより)

名門Q女子高に渦巻く女子高生たちの悪意と欺瞞。「ここは嫌らしいほどの階級社会なのよ」。悪魔的な美貌を持つニンフォマニ アのユリコ、競争心をむき出しにし、孤立する途中入学組の和恵。ユリコの姉である“わたし”は二人を激しく憎み、陥れようとする。圧倒的な筆致で現代女性 の生を描ききった、桐野文学の金字塔。

読みごたえのある小説だった。
ただ、おもしろい、という感想は出てこない。あえて言葉にするなら、気持ち悪い、がいちばんふさわしいだろうか。
残虐な描写があるわけではない。恐怖をあおるような文章でもない。ただ、じわりと不快な気分になる。読んでいる間ずっと。

脇役を入れて数十人の登場人物が出てくるのだが、その誰も彼もが周囲に対する悪意を隠そうともしない、嫌なやつだらけだ。
さらに主要な登場人物はみな歪んだ考えを持っていて(歪み方もそれぞれちがう)、ずっと読んでいると、度のあってない眼鏡をかけつづけているような気持ち悪さがまとわりつく。
それなのにページを繰る手が止まらない。
この小説には魔力が宿っている。ぼくがいちばん薄気味悪さを覚えたのは、登場人物以上に、作者に対してだった。

「嫌な話」を書くのは、ハッピーな話の何倍も体力を使う。
ぼくは趣味でものを書いているだけなので、オチをつけたり、冗談を挟んだりして、少しでも口当たりをまろやかにする。これは読む人のためというより、むしろ自分のためだ。ネガティブなことばかり書いていると、風邪をひいたときのようにどっと倦怠感に襲われるからだ。

だからぼくは、徹頭徹尾「嫌な話」を書ききった、桐野夏生という人がおそろしくてならない。
ここまで悪意に満ちた(ほんとに「満ちた」としか言いようがない)小説を書いているからてっきり狂気の世界の住人かと思いきや、母親として子育てをしていながら書いていたらしい。
それ、かえって怖いぞ。
自分の母親がこんな小説を書いていたらと思うと、おお、身震いが止まらない。


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2015年12月14日月曜日

【エッセイ】電子クリスマス

知人が
「小学生の息子がクリスマスプレゼントに電子顕微鏡を欲しがってるんだけど、値段高くないかな?」
と言っていたので、

「大丈夫ですよ、安いやつだったら数百万円で買えますよ!」
と教えてあげた。

「ええ!? そんなに高いの!?」

「いや、安いですよ。いいやつなら億を超えるんで」

「よく知らないけど、電子顕微鏡ってそんなにするのか……」

「ふつうは大学とか研究機関が買うやつですからね。息子さん、光学顕微鏡とまちがえてるんじゃないですか?」

「あ、そうかも。光学顕微鏡ってのは安いの?」

「そうですね。電子顕微鏡よりはだいぶ安いですよ。数十万円で買えます」

2015年12月13日日曜日

【エッセイ】誰かのいつもの

 散髪に行った。
「いつもと同じでいいですか?」
と聞かれた。
「はい、お願いします」

 で。
 いつもよりかなり短い。
 ぜったい誰かとまちがえてやがる。

 というか。
 よく考えたら、はじめて行った美容院だった。

2015年12月11日金曜日

【考察】最近のリセット事情

「最近の子はゲームのやりすぎで、現実もリセットできると思っている」
という言説があるけど、

本だって途中で放り出した後にまた最初から読みはじめられるし、

サッカーでボロ負けしても次の試合は0ー0からはじまるし、

将棋や囲碁だってかんたんにリセットできるし、

絵を描き損じたら新しい画用紙にいちから描けばいいし、

ゲームにかぎらずたいていの趣味はリセット可能なんだけどな。


最近の老人はリセットするという発想ができないから、「気をとりなおす」ことができなくて、気に食わないことがあるとすぐ暴力に走っちゃうのかな?

2015年12月10日木曜日

【エッセイ】せめて順番を

妻が「そういうことは、未亡人になって、定年退職して、たっぷり時間ができてからやるわ」
と言ってたけど、
ぼくが先に死ぬのは確定かよ。

せめて未亡人になるのと定年退職の順番を逆にしてくれよ。

2015年12月8日火曜日

【読書感想文】新潮45編集部『悪魔が殺せとささやいた』

新潮45編集部『悪魔が殺せとささやいた』

 内容(Amazonより)
澱のように沈殿する憎悪、嫉妬、そして虚無感―。誰にも覚えのある感情が、なぜ黒い殺意に変わるのか。日常のなかで突然襲い来るその瞬間、血のつながった家族、愛した人、通りすがりの名も知らぬ者を殺めるまでに、人を駆り立てるものは何か。虚飾、自己愛、そして妄想…いびつで残酷な人間の本性に迫り、殺人事件の真相を暴く、ノンフィクション集。好評シリーズ第五弾。

猟奇的な殺人事件レポート。
一応ノンフィクションということになっているが、関係者各方面に取材をしているわけではなく、一方の主張をそのまま事実かのように記事にしているので、ノンフィクションとしての正確性は乏しい。あくまで週刊誌的な読み物だ。

しかし半分作り話と思って読めばそれなりにおもしろい。
ぼくは今まで殺されたことはないのだが(みなさんもないはずだ)、殺人事件に巻きこまれるかどうかというのは単に運の問題でしかないのだと思い知らされる。
隣人がどんな思いを持って暮らしているかなんて誰にもわからない。どんなことで恨まれているかわからないし。
恨みを買っていないと思っていても安心はできない。この本には「殺人者の家族として生きるのはかわいそう」という理由で親から殺されてしまったケースも載っている。もうどうしようもない。

危険な場所には近寄らない、危ない人とは関わらない、まさか殺したりはしまいと思わずに早めに逃げる。
殺人事件の被害者にならないためにできることといえば、こういったことぐらい。
それでもわずかにリスクを抑えるだけなんだろうけど。


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【エッセイ】書店員にこばかにされる方法

本好きかどうかは、本の読み方ではなく、本の選び方で決まる。

ほんとの本好きは、本を選ぶのが好きだ。
読むより選ぶほうが好きだという人もめずらしくない。
書店やAmazonに行くとついつい長居してしまう。

ひとに「なんかおすすめの本ない?」と訊くやつは、ひとりの例外もなく偽者だ。


だから、元書店員として断言する。
本の帯に「本屋さんが選んだ泣ける本」「書店員が選んだベストミステリ!」みたいなことが書いてあるが、あれを書いている書店員の心は欺瞞に満ちている。
「こんなポップを見て買うやつなんて、ふだんよっぽど本を読まないおばかさんなんだな」
と思いながら書いている。
「ほんとの本好きはおれのポップなんか見向きもしないで、自分の嗅覚を頼りに本を選んでくれるはず!」
と思っている。
ぼく自身がばかに向けてポップを書いていたから、まちがいない。

だってそうでしょうよ。

服屋のマネキンのコーディネートを上から下までそのまんま買って、「おれおしゃれにはうるさいんだよね」と言ってる人を、おしゃれ店員がこばかにしないと思いますか?

2015年12月7日月曜日

【思いつき】困りたい

あー。

困りたいなー。

困ってみたいなー。


目のやり場に。

2015年12月5日土曜日

暗算こそが我が人生


今日も初対面の人から「冷蔵庫の中身、すぐに賞味期限切れさせそうだよね」って言われたあたしだけど、こう見えて暗算はけっこう得意。
だって日能研に通ってたから。
毎週月曜日は行きたくないって泣きながら通ってたから。

買い物をして、代金が678円になったとするよね。
財布を見たら、小銭がけっこうたまっている。
しめた、って思う。
“ごはんを炊くのが上手”と並んであたしの数少ない特技である暗算能力を使うときがきた!

あたしは瞬時に計算して、財布から1233円をとりだして、レジに置く。
いや、置くんじゃない。たたきつける。
びたんっ。
王手!

レジ係は怪訝な顔をするよね。
678円だっつってるのに何こいつ1233円とか出してるの、まじ意味わかんねーし、義務教育受けなおしてこいよ、って顔してる。

でもあたしは涼しい顔。
まあいいからレジ打ってみなさいよって。
そんな顔をするし、調子づいているときにら実際に口に出して言う。
「いいから打ってみなさいよ」

レジ係は、このはし渡るべからずの橋を堂々と渡りはじめた小坊主を見たときみたいに「解せぬ!」って顔するんだけど、そうはいっても客であるあたしには逆らえないわけよ。資本主義バンザイ。

首をかしげながら預り金額を入力するレジ係。
「1」「2」「3」「3」「小計」

そして液晶画面に明々と表示されるおつり。

“ ¥555 ”

決まった……!
どやさっ。

678円の請求に対してあたしが1233円出したとき。
おつりが硬貨3枚ですむなんて、このレジ係はたとえ頭の片隅でも想像しただろうか。
いいや、してないね。
義務教育受けなおしてこいよと思っていた(にちがいない)レジ係に対して、あたしは声を大にして言ってやりたい。
義務教育受けてましたけど?
それどころか日能研通ってましたけど?
泣きながら?

ところで、あなたの人生の最大の晴れ舞台っていつ?
結婚式? 大学の合格発表? 甲子園に出たとき? 紫綬褒章もらったとき?

あたしは今、このとき。
555円のおつり表示を前にして
「こ、こ、こ、こいつ……。できる……!?」
って脳内であたしにひれ伏している(にちがいない)レジ係に向かって、そら見たことか! って尊大な顔をしているとき。

すばらしきかな我が人生!

2015年12月4日金曜日

【考察】潤滑油は百薬の長

自転車が錆びついたから油をさしたら、ブレーキのとこにまで油が入り、摩擦がなくなってブレーキがまったく利かなくなって痛い目に遭ったことがある。

「酒は人間関係の潤滑油」とはよくいったもので、たまに利かなきゃいけないブレーキまで利かなくなるところまで一緒だ。

2015年12月3日木曜日

【エッセイ】おしりやぶれかぶれ

ひさしぶりの再会というのはたいてい心おどるものなんだけど、でも中にはもうこいつとは一生かかわりたくない! ってやつもいるわけ。
でもそういうやつにかぎって再会しちゃうんだよね。

なんでこんなことを言いだしたのかというと、またしても破れちゃったわけ。
スーツのズボンのおしりのとこが。
びりっと。

テレビから地震速報の音が聞こえてきたら一瞬でそっちに意識もっていかれるけど、その音よりも鮮明に「びりっ」て聞こえたからね。

いやー。まさかまたズボンのおしり破れに遭遇するとは。
4年ぶり2回目。
甲子園でいったら、地方の商業高校ぐらいのそこそこの強豪校だよね。

4年前に破れたときは、会社早退したからね。
いや、冗談じゃなくほんとに。
そりゃあ12時におしり破れたら、午後から仕事にならないでしょ。立ち仕事だったし。
ワタミの社長ですら「大丈夫か。今日ははやく帰れ」って云うでしょ。

二親等が死ぬぐらいの出来事だからね、おしり破れるってのは。
余裕で忌引き休暇使いましたよ。嘘だけど。
で、半べそで帰宅しましたよ。ええ。

前回はしゃがんだときに破けたんだけど、今回は椅子に座ろうとしたとき。
 
どっこいビリッしょー!!
ってな感じで豪快にいっちゃいましたわ。
 
まさかこんな大災害が待ち受けているなんて。
今朝のニュースでは、波浪注意報と強風警報だけしか出てなかったから、おしり破れについてはなんの対策も講じてきていない。
事前に言ってくれたらアップリケぐらいは用意してきたのに。
お天気お姉さんの役立たず!

けれども不幸中の幸いで今回は破けたのが夕方だったから、武田信玄の教えを守って終業時間までじっとやり過ごすことができた。

立ち上がってからコートを着るまでのはやきこと風の如し。
人目につかぬようそっと動くこと林の如し。
恥ずかしくて赤面すること火の如し。
傷口が広がらぬよう動かざること山の如し。


ということで、コートでおしりを隠しながら、なんとか無事に帰宅することができたわけです。
コートの季節でよかった。

「今日は冷えこみがきつくなるので長めのコートを着てお出かけください」
といってくれたお天気お姉さん、さっきはごめんなさい本当にありがとう!

2015年12月2日水曜日

【エッセイ】エッチに関するルールについて

 そうはいってもぼくはいたって生真面目な人間だから、法律や規則は極力守るように努めている。
 無人の野菜販売所でもきちんとお金を払うし、よほどのっぴきならない状況にならないかぎりは立ち小便だってしない(つまり先週金曜の晩はのっぴきならない状況だったということになる)。



 ここで突然だが、性の話をする。

 おっと。
 ぼく自身の名誉のためにことわっておくが、「性」といっても、社会的な性差をあらわすジェンダーだとか、生物学的な男女のちがいといった意味の「性」ではなく、もちろん、やらしい意味での「性」の話だ。

 小学生のとき、男子が女子と仲良くすることは、戦争と同じくらいの「悪」だった。

 女子と仲良くするやつはエロい、
 エロいことはいけない、
 したがって女子と仲良くするのはいけない。
 この一分の隙もない三段論法は、神聖ニシテ侵スベカラズ鉄の掟として男子小学生の世界を統べていた。
 優等生だったぼくはもちろんその掟を愚直に守り、憎まれ口以外の言葉を女子との間に交わすことはなかった。

 それがどうだ。
 ぼくの預かり知らぬところで、いつのまにやらルールが変わっていた。
 女子と話すなんてかっこわりい、と云ってたやつが、女の子と手をつないで一緒に帰るようになっていた。
 おれエロいことになんて興味ねえし、と云ってたやつが、どうやらスカートめくりよりももっとエロいことを女の子と楽しんでいるらしかった。
 エロいやつは蛇蝎のごとく蔑まれていたのに、ぼくが気づいたときには、エロいことをしたやつのほうが偉いという風潮に変わっていたのだ。
 なんたる価値観の転換。

 昭和二十年八月十五日。
 敗戦を機に、軍国主義から民主主義へと世の中が一変した戦後の日本人もこんな感覚を味わったのだろうか。
 いや。
 彼らには玉音放送というターニングポイントがあった。
 しかしぼくの場合、気づかぬ間に世界のルールが変わっていたのだ。
 終戦を知らずにジャングルで隠れていた横井庄一さんが真実を知らされたときの気持ちだ(のはずだ)。

 いったいいつのまに。
 あれか。
 たまたまぼくが風邪で学校を休んだときに、学級会で話し合いがもたれて、
「それではー、エロいことをした人のほうがー、かっこいいということになりましたー。賛成の人は拍手をしてください!」
みたいな議事があったのか。
 ぼくだけ聞いてないぞ。
 あんまりじゃないか。
 学校を休んだときは近くの家の人がプリントを届けることになってるのに。
 そんな大事なおしらせが、ぼくにだけ届いてない。

 おかげでぼくは今も、女の人と話すことに後ろめたさを感じてしまう。
 会社で女性社員と雑談をしているだけで、
「うわー、あいつ女と仲良くやってるゼー」
なんて後ろ指をさされるんじゃないかという気がしてならない。



 とまあ、突然のルール変更に苦しんだ経験があるから、なるべくならルールは変えないでいただきたいというのがぼくの信条だ。
(以上、「憲法改正に対するあなたのお考えをお聞かせください」という質問に対する回答)


2015年12月1日火曜日

【エッセイ】プロ野球カードゲーム

プロ野球カードゲーム。
ぼくが小学生のとき、死ぬほど遊んだゲームだ。

タカラから発売されていて、1球団が1セットになっていて618円(本体価格600円。当時は消費税3%)。
1セットに、30枚ほどの選手カードが入っていた。
カードの表は、選手の写真と昨年の成績。
じつはここはほとんど意味がない。
大事なのは裏面だが、それについては後ほど説明する。

ぼくが持っていたのは、1993年版の西武、阪神、巨人、ヤクルト、中日、広島。
なぜこの6球団だったのかというと、

・マンガ『かっとばせキヨハラくん』の影響で西武ファンだった
・当時はほんとにセ・パの格差がひどく、パ・リーグにスター選手はほとんどいなかった(イチローが活躍する少し前だ。せいぜい清原、野茂、伊良部ぐらい)
・セ・リーグの中でも横浜は特に不人気だった

というような理由が挙げられる。

その中でもやはり西武ライオンズはお気に入りだった。
93年の西武といえば、黄金期の呼び名にふさわしく、圧倒的な強さを誇っていた。
なにしろその前年、パ・リーグのベストナインは10人中8人が西武の選手、ゴールデングラブ賞も9人中8人は西武だった。
渡辺久、工藤、伊藤勤、秋山、石毛、田辺と後に監督になるほどの選手を6人も抱えており、さらに走攻守三拍子そろった名手辻(1塁走者だったのにシングルヒット一本で本塁生還しちゃうんだぜ)、バントの達人・平野、鈴木健など、いい脇役もそろっていた。
そこにくわえて4番に清原、中継ぎと抑えに潮崎と鹿取。それを智将・森監督が率いているわけだから、ほんとに隙のないチームだった。


話がそれた。あの頃の西武の強さについて語ると止まらなくなるので、このへんでプロ野球カードゲームの説明に戻る。

ゲームの進めかたはこうだ。
プロ野球カードゲームはふたりで対戦する。
守備側と攻撃側がサイコロ(別売)をそれぞれ1個ずつ振る。
出目の合計が7ならファール、6以下の偶数ならストライク、5以下の奇数ならボール(ちなみにこれは何も見ずに書いている。最後に遊んだのは20年ほど前なのにまだ細かいルールまで覚えていることに自分でも驚いた)。
そして2つのサイコロの合計が8以上ならヒッティングとなる。今度は攻撃側が2個のサイコロを振る。
ここではじめて打者カードの裏を使うときがきた。
そこには、出目の組み合わせによるヒッティングの結果が書いてある。
2・6→レフト線2塁打
4・5→サードゴロ
6・6→ホームラン
など。
1・2と2・1は同じものとして扱うため、サイコロの組み合わせは全部で21通り。つまり21通りのヒッティング結果があるわけだが、その内訳は選手によって異なる。
打率の高い選手だと安打になる組み合わせが多い、長距離打者は本塁打の組み合わせが多い、三塁打が発生するのは足の速い選手だけ、など。

さらに選手には走塁のパラメータもあり、「二盗」「犠飛で本塁生還」「一塁からツーベースヒットで生還」などが成功するかどうかもサイコロの組み合わせで決まる。もちろん足の速い選手ほど成功の確率は高まる。

とにかくカードとサイコロだけですべてが決まる、シンプルながらじつに奥深いゲーム。それがプロ野球カードゲームだ。


このゲームにぼくは夢中になった。
友人と対戦することもあったが、ひとりでやることのほうが圧倒的に多かった。
サイコロでほとんどすべてが決まる(意志が入るのは送りバントをするかどうかとか代打を出すかなどの采配の部分だけだ)。だからひとりでやったとしても、どちらが勝つかはわからない。

ぼくは、ひとりで毎日チンチロチンチロとサイコロを振り、6球団によるリーグ戦をおこなった。
各チーム50試合ずつのペナントレースを戦わせ、スコアブックもつけて、首位打者や最優秀防御率などのタイトル争いもおこなった。
スコアを記録したノートは数冊にのぼった。


だが、どんな遊びもいつかは飽きる。
いつしかプロ野球カードゲームにも飽きて、ひとりでサイコロを振ることもなくなった。

そして数年後。
高校数学で『確率』の分野を学んだぼくは、こうつぶやかずにはいられなかった。
「えっ、かんたんすぎる……」

なにしろ毎日毎日サイコロを振っていたのだ。
2つのサイコロの出目の合計が10になる確率が1/12であること、ゾロ目が出る確率が1/6であることなんかは、数多の経験からとっくに導き出していたのだ。
さらに打率や防御率も算出していたので、計算も得意になっていた。
『確率』の分野においては当然テストも満点だった。


楽しく遊べて確率の勉強もできるプロ野球カードゲーム、今では販売していないようだ。
残念でならない。
もしぼくの子どもが将来野球を好きになったら、手作りでプロ野球カードゲームを作ってやろうと思う。

2015年11月30日月曜日

【思いつき】われら復讐の子

「復讐は何も生まない!」
と言う人は、『忠臣蔵』『かちかち山』『さるかに合戦』が誰にも何の感動も与えずにこれだけ長く語り継がれてきたと思っているのだろうか。


2015年11月28日土曜日

【思いつき】日本ふつう話

 有名な日本むかし話も、ちょっと変えるだけでメルヘンさのかけらもないごく普通の話になるね。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

「わたしがお風呂に入っているあいだは、決して中をのぞかないでください」
 男が言いつけを破って中をのぞくと、
あんなに美しかった女は鬼の形相へと変わり、走り去ったまま二度と戻ってくることはなかったということでした。


2015年11月27日金曜日

【戯曲】正直村と嘘つき村(当時)

「この先に、正直村と嘘つき村があります」

 「はい」

「どちらも行政区分としての村ではありません」

 「はい?」

「かつて存在していた正直村と嘘つき村は、平成の大合併により四国中央市に統合されました」

 「四国中央市に」

「今では、『愛媛県 四国中央市 正直』という地名にその名を残すのみです」

 「嘘つき村のほうは」

「イメージが悪いのでその名前は完全に消えました」

 「なるほど。四国中央市は四国の中央にあるんですか」

「いえ。北端です」

 「じゃあ嘘つき村の精神は今も根づいているわけですね」

2015年11月26日木曜日

【エッセイ】下々の生活

ミュージシャンが全国ツアーで言う
「大阪めっちゃ好きやねん!」
「福岡好いとーとよ!」
って、ほんとに好きだったらぜったいそんなこと言わないよね。

庶民の服を着て城下町へ出て「なるほどこれが下々の生活か」とうそぶく殿様と同じような傲慢さを感じる。

全国ツアーでご当地あいさつをするミュージシャンは、アメリカ南部なまりの人に向かってわざと南部なまりの英語でしゃべって銃を向けられたらいいのに。

2015年11月25日水曜日

【思いつき】人形のプーさん

くまのプーさんが熊じゃなくてぬいぐるみだということを、今さらながらはじめて知った。
どうりで黄色いと思った。

ってことはプーさんの世界は、クリストファー・ロビンの空想の世界なわけか。
『くまのプーさん』のクリストファー・ロビンとプーさんの関係は、
『トイ・ストーリー』におけるアンディとウッディだったんだね。
 視点が逆だから気がつかなかった。

2015年11月24日火曜日

【エッセイ】しつこくないやぎさんゆうびん

 2歳児が歌っていた。
「くろやぎさんからおてがみついた♪
 しろやぎさんたらよーまずにたべた♪
 しーかたがないっ!」

 うん、そうだよね。
 そっちのほうがまっとうな対応だよね。


2015年11月23日月曜日

【ふまじめな考察】世にもつまらない文章

インターネットが普及したことによって、ホームページやブログやTwitterやFacebookなんかで、誰でもかんたんに自分の文章を全世界に向けて発信できるようになった。
とても便利な世の中になったと思うが、何がすばらしいって、誰でも手軽に「つまらない文章を読めるようになった」ことだ。

昔は、そうではなかった。
書籍や雑誌や新聞など、活字となって世に出回っているものは、ちゃんと訓練を受けた人が書いていて、ちゃんと訓練を受けた人がチェックしていたわけだから、一定の水準には達していた。
現在TwitterやFacebookで散見される「うちの子こんなにかわいいのよ。でへへ」みたいなゴミや、「おれってこんなに人脈広くてすごいお方なんだぜ。どやっ!」みたいな産廃は、インターネット以前には活字になる前に葬られていたものだった。
そういったひどい文章は、小学校の文集や会社の社内報でひっそりと出回っているだけで、誰でもかんたんにアクセスできるようなものではなかった。

つまらない文章を読むと、勉強になる。
起承転結のない自分語りがいかに読者を不快にさせるか、どんな文章指南書よりも雄弁に教えてくれる。
テクニックのない人の内輪話を読んでいると、痰壺をのぞいているような気分になる。この事実は、名文家とされる文豪の著書をいくら読んでもわからないことだ。

ぼくが子どもの頃、大人はみんな立派な人だと思っていた。
大人たちが書く文章は、筋道が通っていて、読み手のことを意識していて、エゴを抑えたものばかりだったからだ。
その認識が誤りだったことを、インターネットは教えてくれた。
大人がみんな読みごたえのある文章を書くわけではなく、そういった文章を書ける大人だけが世間に文章を発表する権利を与えられていただけだったのだと。

文章にかぎった話ではない。
歌がへたくそな歌手や、つまらないお笑い芸人や、考えのない評論家は昔からいた。ただ彼らが陽の目を見なかっただけで。
今、我々は彼らから多くのものを学ぶことができる。いい世の中になったものだ。

数百年前から駄作を提供してくれていた、和歌がへたくそな歌人や、弱い武士や、思想浅薄な儒学者たちの存在が現在に伝わっていないことがつくづく残念でならない。

【思いつき】あんたがたどこさ


たぬきがあんたがたどこさをしているイラスト。

撃たれて煮られて焼かれて喰われるとも知らずに……。

2015年11月20日金曜日

【ふまじめな考察】おばあちゃんの寿命を伸ばすには

海外のとある大学教授の話。
試験前になると多くの学生が
「すみません、祖母が先週亡くなりまして。葬儀があって勉強できなかったんです。そういう事情なんで、なんとか単位をもらえないでしょうか……」
と言いにくるので、
「試験と祖母の急死の間の因果関係」
を調べたそうです。
教授がデータを収集してみたところ、祖母が亡くなる確率は、試験の前にはふだんの10 倍以上になり、さらに成績の良くない学生の祖母が亡くなる確率は50 倍にも上ることがわかったそうです。
(中室牧子『学力の経済学』より)


なるほど、おもしろい研究だ。

ということは、平均寿命を伸ばすためには、大学の試験をやめればいいわけだな!
(正しい推論から導きだされる、誤った結論)

2015年11月19日木曜日

【エッセイ】一円たりない

 レジから離れてから気がついた。
 お釣りが一円たりない。
 もう一度数える。
 まちがいない。

 心臓が高鳴る。
 ぼくは今、試されている。
 そう、こういうときにこそ真の人間性が試されるのだ。
 ここでいかにスマートに振る舞えるか。そこでダンデーな大人か、あるいはしみったれた守銭奴かを決定づけるのだ。
 さあ、この危機的状況を打破できるのか。
 ペットボトルのキャップサイズのぼくの人間としての器に、途方もなく大きな試練が注がれている。
 
 
 足りないのが百円だったなら話はかんたんだ。
 百円だったら堂々と云える。
 胸を張ってレジに戻り「おつり百円たりなかったよ!」と大きな声で云えばいい。
 そこまで強く云われたら中国ですら尖閣諸島をあきらめんじゃね? ってぐらい声高らかにぼくの領有権を主張することができる。
 百円という大金だったなら。

 しかし。
 今ぼくの手元に足りないのは一円なのだ。
 都会では自殺する若者が増えているが、問題は一円たりないことだ。

 数万年前に我々の祖先が言語を獲得して以来、ありとあらゆるフレーズが人々の間を飛び交ってきた。
 その中でも、およそこんなにも情けないセリフはなかろう。
「一円たりないんですけど」
 九歳のときのことが頭によみがえる。
 あの日おつかいを頼まれたぼくは、会計を済ませた後、おつりが十円たりないことに気づいた。
 あわててレジに駆けもどり、店員のおねいさんに十円たりない旨を伝えた。
 そのときの不信感に満ちたおねいさんの顔が今でも忘れられない。
 ほんとにたりなかったの?
 そうやって十円多くせしめようって腹でしょ、小汚いガキンチョね。
 おてんと様は騙せても、このあたいの目は欺けないわよ。
 この桜吹雪が目に入らないの?
 おねいさんの瞳はそう云っていた(ような気がした)。
 結局、しぶしぶといった様子でおねいさんは十円玉を手渡してくれたのだが、疑われた(ような気がした)ことは、少年だったぼくに深いショックを与えた。

 この出来事はぼくを卑屈な人間にした。
 つまり今ぼくが女にモテないのはあのおねいさんのせいであるということだ。


 しかしもうあの頃とはちがうんだ。
 ぼくもいい大人になった。
 ネクタイだってしてるし、シャツの裾だってほとんどズボンの中にしまってる。
 こんな三十のおじさんが、たかが一円のために嘘をつくなんて誰も思いやしない。
 堂々と権利を主張すればいい。
 考えすぎるな。
 あれこれ考えるほど必死さが増す。
「あっ、えっ、ぼぼぼくのおおおつりがですね、たりなかったっていうか、あでも一円なんすけど、あっ、えっ、あやっぱいいです。すんませんすんません、うへへっ」
 こんなにかっちょ悪いことはない。

 ぼくは思う。
 ああ、ぼくがばばあだったなら。
 もしぼくがばばあだったなら、
「ちょっとあんた一円たりないわよ何考えてんの!」
と、脊髄反射よりも早く云えるのに。

 こんなことも思う。
 ああ、ぼくが野口英世だったなら。
 留学費用を女遊びに使い込んだせいで渡米できなくなり、親切な人に泣きついて借りた金もまた夜の街で使い果たしてしまった野口英世だったなら。
 きっと一円たりないことなんて一秒たたないうちにきれいさっぱり忘れてしまえていただろうに。もしくは一円足りなかったことを理由に誰かから一万円借りるのに。

 でも云わなきゃ。
 そう、一円が惜しいから云うわけじゃないんだ。
 閉店時に一円のレジ誤差が出るとお店の人が困るから教えてあげるだけなんだ。これは親切なんだ。
 よし、云おう。
 なるべく、なんでもない調子で。

 決意を固めたそのとき。
 店員さんが近づいてきた。
 ぼけっと突っ立っているぼくに、
「すみません、先ほどプリンを買われた方ですよね」
  「はあ」
「レジの前に一円落としていまして、お釣りを一円少なく渡していました。申し訳ありません」
 そう云って店員さんはぼくに一円玉を差し出した。
 なんだ。
 向こうから気づいたじゃないか。
 ぜんぜんぼくが気をもむ必要なかったじゃないか。

 ぼくはダンデーな大人の余裕たっぷりに応じる。
「あっ、えっ。そそそそうですか。ぜんぜんぜんぜんききき気がつかなかったです。すんませんすんません、うへへっ」


2015年11月18日水曜日

【思いつき】ときには乳酸菌のように


 「生きたまま腸まで届く!」

(寄生虫アニサキスのキャッチコピー)

2015年11月17日火曜日

【エッセイ】無神経な父

 ぼくの父親はほんとに無神経な人だ。

 プレゼントをもらったときに
「同じやつこないだ買ったばっかりなんですよ」
って言っちゃう。

「うちの家ほんとに田舎で……」と謙遜する相手に
「あーたしかに、あのへんほんとになんにもないですよね!」
と言ったこともある。
 悪気がないのが余計にたちが悪い。

 無神経な発言をしては、母にたしなめられるのが常だ。



 ぼくが小学生のときのこと。
「わらじを作る」という授業があった。
 紐を編んでわらじを作る。
 まずは自分ひとりで一足作り、残り一足は授業参観の日に保護者と一緒に作るという予定だった。

 前半のわらじ作りの日。悪ガキだったぼくは、悪友Sと一緒に紐で指を縛ったり、紐を切って投げたりと、ぜんぜんまじめにわらじを編まなかった。
 ふと気がつけば、他の子たちのわらじ作りは着々と進んでいる。すでに一足完成させた子もいる。

 やばいな。おれらもそろそろやるか。
 あれ。
 けっこう難しいな。ちゃんと説明聞いてなかったからな。
 まずい、このままだとおれとSだけまったくできていないじゃん。

……ふと隣を見ると、Sはすごい勢いでわらじを編みあげてゆく。
 しまった、こいつめちゃくちゃ器用なんだった!
 そして無情にもチャイムが鳴り、前半のわらじ作りが終わった。
 周りを見渡してみると、どんなに遅い子でも4割は完成している。ぼくだけだ、1割もできていないのは。

 その日から1週間、ぼくはずっと憂鬱だった。
 わらじができていないことはべつにかまわない。自業自得だ。
 問題は、ぼくだけがぜんぜんできていないこの状況を、授業参観でやってきた母が見たとき、何と思われるかだった。
 母は怒るだろうか。
 いや、それならまだマシだ。
 母はきっと怒らない。きっと深いため息をつくだろう。そして悲しそうな顔を見せるにちがいない。
 己のばかな行為で母親を悲しませる。ほんとに気が滅入る話だ。
 まじめにわらじを作らなかったことを心底後悔した。

 そして授業参観当日。
 意外にも、学校に来たのは母ではなく父だった。
 ぼくの父は仕事大好き人間なので授業参観のようなイベントに来るのは決まって母親だった。 母に用事があって代わりに休みをとったのだろう。父が参観日に来たのは後にも先にもこのときだけだった。

「それでは、おうちの人と一緒にわらじ作りの続きをしましょう」
 担任が言い、みんなはロッカーに作りかけのわらじを取りに走った。ぼくだけが重たい足どりで、1割もできていないわらじを取りに行った。

 父は、戻ってきたぼくが手にしている、ちっともできていないわらじ(というかほとんどただの紐)を見た。それから周囲を見渡して、他の子の作品と見比べた。自分の息子だけがダントツで見劣りしていることは明らかだった。

 父は、笑った。
 それはもう、大笑いだった。
「はっはっは! おまえだけぜんぜんできてないじゃないかー!」
 ぼくのできそこないのわらじを指さして爆笑していた。 

 予想に反して父が大笑いしたので、ぼくはびっくりして、そして照れ笑いを浮かべた。

「おまえだけだぞ、こんなにひどいのは。なんだこれ。わらじの形にもなってないじゃないか! はっはっは!」
「ははっ。ずっと遊んでたからね」
「ほんとおまえはダメだなー!」

 もし母がこの場にいたら、「そんなこと言わないの!」と父をきつくたしなめていたことだろう。
 だが父はちっともぼくに対して気を遣わなかった。
 そして「ぜんぜんできてないけどしょうがない、一からわらじつくるかー」と言ってぼくと一緒にわらじを完成させた。

 ぼくは、このときの父の無神経さに心から救われた。
 作ったものをばかにされて、嘲笑されて、おまえはダメだと言われたことで、1週間憂鬱だった気持ちがすっと晴れた。

 同情よりも無神経にばかにするほうが、よっぽど相手を楽にすることもあるということをぼくは学んだ。

2015年11月16日月曜日

【写真エッセイ】エサヤルナラマスクかけてやれ

公園にあった落書き。



ハトのフンの粉吸うと
肺ガンなるぞ
エサヤルナラマスクかけてやれ
わからんのか本ぐらい読め

なんかものすごい狂気と暴力性を感じる……。
と思ったんだけど、見た目のインパクトが強烈だからそう思うだけで、冷静に書いてあることの内容だけみると、見ず知らずの誰かの健康を気づかう心優しいメッセージだ。

表現のしかたがおかしいだけで、じつはこれを書いた人はすごくいい人なんじゃないか?

ま、でも、かかわりあいにはなりたくないけど。

2015年11月15日日曜日

【読書感想】 内田 樹 『街場の戦争論』

内容(「版元ドットコム」より)
日本はなぜ、「戦争のできる国」になろうとしているのか?
安倍政権の政策、完全予測!
全国民の不安を緩和する、「想像力の使い方」。
シリーズ22世紀を生きる第四弾!!
改憲、特定秘密保護法、集団的自衛権、グローバリズム、就職活動……。「みんながいつも同じ枠組みで賛否を論じていること」を、別の視座から見ると、まったく別の景色が見えてくる!現代の窒息感を解放する、全国民必読の快著。

内容はいつもの内田樹という感じなのだが(べつにけなしているわけではなくいつもの水準でおもしろいということだ)、本文よりもあとがきに心を動かされた。
 ですから、この本はかなりシリアスかつアクチュアルなトピックを扱ってはいますけれど、ほとんど論争的な性格を持っておりません。ただ、「みんながいつも同じ枠組みで賛否を論じていることを、別の視座から見ると別の様相が見えます」ということを述べているだけです。それだけ。「僕が見ているようにみんなも見るべきだ」というようなことは求めておりません。

ぼくが他人に読ませる文章を書くときに心がけていることがふたつある。
ひとつは「自慢ほどつまらないものはない」ということ。これは説明不要。

もうひとつは「『~するべき』の言い回しを極力避ける」ということ。
右翼でも左翼でも、原発推進派でも反対派でも、うどん派でもそば派でも一緒だけど、
「~するべき」「~しなければならない」「~という考え方をするやつはだめだ」
という調子で書かれたものは、まあつまらない。

逆説的だけど、他人に指示をする文章は、他人に読ませる文章ではない。
登山をするべきだとはどこにも書いていないけれど、読んだ後に「おれも山に登ろう!」と思わされるテキスト。それが他人に読ませるための文章だ。
あるいは「おれは山が嫌いになった!」と思わされるテキスト。これもまたいい文章。
書き手の意図とはぜんぜんちがう方向に心を動かされるのも、すばらしい読書体験だ。

金曜ロードショーで観る映画が7割減でおもしろくなくなるのは、画面の端に
「この後、感動のエンディング!」
みたいな煽り文句が出てくるから。
はいここで泣きなさい、この映画は名作なので感動しなさい。そんなことを言われておもしろくなるわけがない。

論争とは自己満足と自己満足のぶつかりあい。他人を動かす力はない。
テレビ番組や国会の論争を見て「これはいいものを見た」と思ったことはありますか。ぼくはない。論争をしている人たちのうち少なくとも片方を、多くの場合は双方を嫌いになる。耳を貸したくなくなる。
こうすべき、これが絶対に正しい、という主張に人を動かす力はない。

スローガンというやつも同じ。
書くの好きな人多いよね、スローガン。
学校の教室に貼ってある「元気に明るくあいさつしよう」やら、オフィスの「汗と知恵を出せ!」やら、電車内の「チカン、アカン」やら。
あれを読んで「よし、元気に明るくあいさつしよう!」とか「今まで温存していたけど、知恵を出すことにしよう!」とか思ったことはありますか。ぼくはありません。痴漢があれを見て「チカン、やめよう!」と思うこともないだろう。

あんな直截的なメッセージで人の心を動かせるなら、小説家なんてひとりもいらない。何百ページにもわたる小説を書く必要なんかない。たった一文、「感動しなさい」と書くだけでいい。「おもしろがりなさい」と書くだけでいい。

そんなわけでぼくは思う。
「~するべきだ」という言い回しはぜったいに避けるべきだ!

2015年11月13日金曜日

【エッセイ】ナッツなめちゃいました

 同僚のA田さんは、美人なのに結婚できないまま30歳を迎えた。
 彼女がハンカチを持たずに衣服で濡れた手を拭くことや、食品以外のものをなんでもかんでも冷蔵庫に入れてしまうことは、以前にここで書いた。

 そんなA田さん、最近はナッツ類にはまっている。
 きっかけは、ぼくがうっかり
「ぼくんちの近くに豆屋さんがあって、いろんなナッツを1袋100円で売ってるんですよ」
と云ってしまったことだった。
 ナッツ好きのA田さんは
「お金渡すから買ってきて!
 くるみと、カシューナッツと、マカデミアンナッツと、あとピスタチオでいいや」
と、ぼくに300円を握らせて命じた。
 あの、A田さん。
 100円足りないんですけど。
 


 そんなわけで最近のA田さんは仕事中にずっとナッツをぽりぽりやっている。
 ハンカチを持ち歩かないぐらいがさつな人だから、もちろん彼女のデスクの下はピスタチオの殻だらけだ。

「A田さん、ほんとナッツ好きですね」

「そうなのよ。あと、かりんとうも好き。やっぱおやつは自然な食品がいいよね。チョコやスナックと違って食べすぎても太らないし」

「いやいや。ナッツはすっごく高カロリーですよ。脂肪も多いですし。種子ですからね」

「そうなの!? 知らんかったー。ただでさえ、最近腹出てきたのになー」



 ナッツが高カロリーだと知ったA田さんは、しかし大好きなナッツを控えることもできず、斬新な対策を打ち出した。
 それは「ナッツをかじらずに舐めつづける」という方策だった。

「ほら、かじるからついつい食べすぎちゃうのよね。舐めてたら溶けるまでに時間かかるから、食べる量を抑えられるでしょ」

「いや、そうかもしれないですけど……。ナッツって、あの食感がおいしいんじゃないですか。舐めてもおいしくないでしょ」

「いいの! どんな食べ方してもあたしの自由でしょ!」

とはいうもののA田さん、ほお袋にくるみを溜めこむのはやめてください。
 仕事の話をしてるときに、口から溶けかけのくるみが飛び出すんで。

 あと、お皿がないからってお菓子をティッシュに乗せて机に置いとくのも、ほんとやめてください。
 近くの席の人たちが、ティッシュに乗ったかりんとうを見てぎょっとした顔してますから。

2015年11月12日木曜日

【エッセイ】チェスとエロス

小学5年生のとき。
大人向けの本のおもしろさに目覚めつつあったぼくは、母の本棚をあさり、タイトルがおもしろそうだったのでジェフリー・アーチャーの短篇集『十二の意外な結末』を手に取った。

タイトルのとおり、十二の短篇が収められた作品。そのうち十一の作品についてはまったく記憶に残っていない。
だが『チェックメイト』だけは、鮮明に覚えている。何度も読み返した作品だからだ。

短篇小説として優れているわけではない。感動するような話ではないし、意外なオチもない。見聞が広げられたり、考えこまされたりするような小説でもない。
ではこの短篇のいったい何が10歳のぼくを惹きつけたのかというと、すごくエロかったからだ。



『チェックメイト』はこんな話だ。

ある男が、チェスクラブで美女と出会う。
ふたりは男の自宅でチェスをすることになった。
そこで男は美女からこう持ちかけられる。
私が勝ったらあなたからお金をもらう、ただしあなたが勝ったら私は一枚ずつ服を脱ぐ、と。
そして男は連勝し、約束通り美女は身にまとっているものを脱いでいくのだが、あと一回勝てばいよいよ下着を脱がせられるというところから連敗を喫し、男は大金を巻き上げられてしまう。
じつは美女はチェスのチャンピオンで、その強さを隠していたのだった……。

というお話。


大人にとってはちっともエロいストーリーではない。
だが10歳のぼくにとっては、美女が服を一枚ずつ脱いでいく描写がものすごく刺激的だった。
まだエロ本も読んだことのなかったぼくにとって、はじめて触れたエロいメディアが『チェックメイト』だったのだ。何度も読み返し、そのたびに興奮した。

日本の文学、漫画、映画、テレビにチェスの描写が出てくることはめったにない。小川洋子の『猫を抱いて象と泳ぐ』ぐらいしかぼくは知らない。
また、チェスの対局をしたこともない。

だから、ぼくにとってチェスといえば、エロい美女の服を脱がすための手段であり、将棋やバックギャモンのようなテーブルゲームというより、どちらかというと野球拳に近い。
ゲームではなく、“前戯”に分類されるものなのである。

2015年11月11日水曜日

【エッセイ】代わりに夏休みに補修受けるんで

ということで眼科に行ったら、結膜炎だと診断された。
薬局で目薬をもらってくださいと言われる。

薬局に寄ると会社に遅刻しそうだったので、上司に電話をした。

Trrrrr……

「すみません、結膜炎になったので薬局に行ってから出社します。15分ほど遅刻します」

 「ええっ! 結膜炎!?」

「はいそうです(そんなに驚くような病気か?)」

 「おまえ、結膜炎って、それ出社して大丈夫なのか? うつるんじゃないのか?」

「いや、ふつうにしてたら大丈夫なんじゃないですか。医者にも特に何も言われませんでしたし」

 「いやいや、うつるって。プールとか入ったりしたら」

「いやぼく、課長もご存じのとおりデスクワークなんで……」


というわけで社長、今日のプールは見学させてください!

2015年11月10日火曜日

【エッセイ】優しい両替

 駅前で、アジア系女性が若い男の人に声をかけていた。
「両替シタインデスケド……」
という言葉が漏れ聞こえてきた。
 しかし、若い男性は彼女を無視してその場を離れてしまった。

 ぼくは激しく憤った。
 なんて冷たい若者だ。
 こういうときに他人に親切にするのが日本人の美徳ではないのか。
 旅は道連れ世は情けとか、
 情けは人のためならずとか、
赤の他人に親切にすることを尊ぶ言葉が今にも伝わっている。
 その素晴らしい日本の伝統はどこへいってしまったのか。
 これは、生まれ育ったこの国を愛するものとして黙ってはおれない。
 ぼくが日本人代表として立ち上がるしかあるまい。
 見てなさい、外人さんよ。
 まだまだ日本も捨てたもんじゃないってことを今からぼくが証明してみせるよ。
 なんならあなたの持ってる外貨をぼくが両替してあげたっていいぜ!

 とまあ弘法大師ぐらいの広い心と、
めいっぱいの笑顔で外人さんに声をかけたわけです。

「両替ですか。なんでもおっしゃってください」
 「ハイ。コノテレフォンカードヲ500円ニ両替シタイデス……」
「あーごめん無理」

 ほんとごめん。
 薄情な若者とかいって。
 あとそれ両替じゃないから。

2015年11月8日日曜日

【ふまじめな考察】トイレの並び順


駅のトイレに入る。個室が3つある。
あなたはどこに入りますか。


Bと答えたあなたは、相当な変わり者だ。

まあふつうはAかCだろう。
隣に人がいると用を足しにくいという人はけっこう多い。まして両隣に人がいると、すごくやりづらい。
結果、真ん中は使われていないことが多い。

両端のトイレが汚くなってきても真ん中だけきれいなままだ。
もったいない。
せっかくあるのに、真ん中だけ使われない時間が長くてもったいない。

この無駄を解消するために、ぼくが考えたのはこんな並びのトイレだ。


どの個室も他の2つの個室と壁を共有している。
これで「真ん中だけが両隣に人がいる」という問題は解消された。
しかも公平を期すため面積を同じにしてある。

だが。
それでもやはり不公平感は拭えない。
Aだけが三方に隣人を配することとなり、より閉塞感を味わうことになるからだ。

そこで考案したのが、以下の配置だ。


いかがだろう。
これなら、
「どの個室も他の2つの個室と隣り合っている」
「面積が同じ」
「形も同じ」
という条件を満たしており、実に公平だ。
おまけに個室と個室は点で接しているだけなので、「壁の向こう側でも誰かが用を足している」感覚はゼロに等しい。

唯一残された問題は「どうやってこのトイレに入るのか?」ということだけだが、これも想定済みだ。
上から降りる、下から昇る、時空のひずみを利用する、先に人を洗面所に配置してからそのまわりにトイレを作る、などいくらでも方法はある。

実用的でないことをのぞけばたいへんいいアイディアだと思うのだが、いかがだろうか?



2015年11月6日金曜日

【ふまじめな考察】ニホンマダラビールモドキ

発泡酒とか、第3のビールとか、ノンアルコールビールとか、それぞれ本物のビールの味に近づける努力を各企業がおこなってるよね。

でもあたしに言わせれば、本物のビールの味に近づけることなんか、すっごくかんたん。
ビールとまったく同じパッケージに入れて売ればいいの。
これだけ。

まあほとんどの人は言われなきゃ気づかないだろね。
そんでビールを飲んだと思いこんで、まんまとノンアルコールビールで酔っぱらっちゃうでしょうね。
いいアイディアだと思わない?

あっ。
でも。
酔っぱらわないためにノンアルコールビールを飲むわけだから、酔わせたらだめか。


2015年11月5日木曜日

【エッセイ】ピノを勝手に食らうな

 みなさんもご存じのとおり仕事中に食べるアイスクリームのうまさは格別だから、ぼくは会社近くのスーパーでピノを買ってきてオフィスの冷凍庫に常備している。
 仕事の合間合間に「難しい案件を処理しています」みたいな顔をつくりながら冷凍庫へと足を運び、こそこそとピノを食べるのが至福のひととき。
 ピノを食うために仕事をしているといってもいいぐらいだ。

 そんなぼくのピノが、どうも知らぬうちに減っている気がする。
 はじめは気のせいかと思ったが、明らかに減っている。
 あと10個はあったはず。
 しかし、この冷凍庫を開けるのは社内の人だけだ。
 同僚を見渡してみても、勝手に他人のピノを口に入れるような育ちの悪い人はいない。

「なんかさ、冷凍庫に入れてるピノが減ってるんだよね。怪奇現象かな」
 後輩Nに向かってつぶやいた。

  「ああそれ、おれが食ってるんすよ」

「はあ!?」

  「ピノうまいですよね」

「いや知ってるけど。ピノのうまさは誰よりもよく知ってるけど。じゃなくて、ええー!? なにおまえ、冷凍庫に入ってる誰のかわかんないピノを勝手に食べちゃうの?」

  「そんなことしませんよ」

「したじゃん」

  「誰のかわかんないのは食べませんよ。犬犬さんのってわかってたから食べたんですよ」

「あーそっかー。って、ええー!?」

  「だってちゃんとピノの箱に犬犬さんの名前書いてるじゃないですか」

「そうだよね。うん、ちゃんと名前書いてるよね」

  「だから、あー犬犬さんのなんだーって思って、それで、食べました」

「いやいや意味がわかんない。そこで『それで』って接続詞を使う意味がわかんない。『にもかかわらず』でしょ。いやそれでもどうかと思うけど」

  「だって犬犬さん、よくお菓子くれるでしょ。変なおばちゃんみたいに」

「あげてるね。変なおばちゃんは余計だけど」

  「だからこのピノも、おれにくれるために買ったんでしょ」

「はあ?」

  「だからもらってもいいかなって思ったわけです」

「……。いやね、よしんばね。よしんばおまえにあげるために買ったとしてもね。もらうのと勝手にとるのは意味合いがぜんぜん違うからね」

  「“よしんば”って何ですか」

「はぁ……。わかった、じゃあ一万歩ゆずって、勝手にとったことはいいとするわ。で、何でアーモンド味ばっかり減ってるわけ?」

  「いちばん好きなんですよ、アーモンド味」

「おれも好きなんだよ! アーモンド味を食べるために525円も出してピノバラエティパックを買ってると云ってもいいぐらいにね!」

  「気が合いますね」

「なに握手求めてきてんだよ。今のやりとりから和解にはほど遠いわ!」

  「犬犬さん」

「なんだよ!」

  「これで今日は最後にするんで、もう一個だけもらっていいすか」

「あげねーし!
 しかも今日は最後ってことは明日以降も食う気だし!
 って勝手に取っとるし!
 アーモンドだし!」

2015年11月4日水曜日

【エッセイ】交換日記と文章修行


高校生のとき、同じクラスの女の子と交換日記をしていた。
ぼくの唯一の甘酸っぱいおもいでだ。

きっかけはよく覚えていない。
なぜだかわからないけど、ぼくのところに女の子から手紙がまわってきて、ふざけた返事を書いたら、それが妙にウケた。
それからというもの、「○○先生についてどう思いますか?」とか「さっきの授業中に先生が発した□□という言葉についてどう思う?」みたいな他愛のない質問状が届くようになった。
一生懸命考えておもしろおかしく質問に答えて、別の紙にこちらからも質問を書く。

口下手なぼくは話しかけることもできず、もちろんデートに誘うこともできず、交換日記だけの関係だった。
日記といってもちゃんとした日記帳に書くわけではなく、ノートの切れ端やプリントの裏に書くだけだった。
いつしかぼくは彼女に好意を持つようになったが、告白するどころか交換日記に本心を書くこともできなかった。
交換日記は半年以上続いたが、そのうちその子に彼氏ができて終わりを告げた。



ノートの切れ端、というのが緊張感があった。
ノートの切れ端ならいつでも終わらせることができる。
つまらないことを書いたら、もう返事が来ないかもしれない。
なんとなく始まった交換日記は一度途絶えてしまったら再開するのは難しい。
そのはかなさがあったからこそ、この手紙のやりとりを終わらせないようにしよう、飽きられないようにしようと、毎回毎回手を変え品を変えて渾身の文章を書いた。
文体を変え、クイズ形式にしたり会話調にしたり。わざと核心を書かずに次回への引きを作ったり、あえて誤ったことを書いて指摘させたり。そんなテクニックも使ってたったひとりの読者を引きつけようとした。
授業中にこそこそ書く手紙なので、常に先生に見つかる危険性もはらんでいる。もし見つかって読まれてもさほど恥ずかしくない文章にするような客観的な視点も要求された。

いい経験だったと今にして思う。

ぼくは今では少し文章を書く仕事をしているが、あのときほど必死に文章修行をしたことはない。今後もないだろうな。

2015年11月3日火曜日

【エッセイ】ボルダリング殺人


ボルダリング(フリークライミングの一種)に初挑戦。
ちょろっとレッスンを受けただけですぐに始められるのがいい。
練習しなくとも上級者のすぐそばでプレーできる競技というのは、めんどくさがりで練習嫌いのぼくにはぴったりだ。
こんなスポーツは他にちょっと思いつかない。

なにより、達成感が手軽に得られるのがいい。
細かい課題がたくさんあるので、ちょっとやっただけですぐ上達する(気になる)。
これは飽きっぽいぼくにはぴったりだ。

こんなすばらしいスポーツがあってもいいものか。
まるで打ち出の小槌のようにいいことばかりが出てくるではない。


とまあ、はしゃぎにはしゃぎながら3時間ほど壁を登っていたのだが。
気がつけば、手が血まみれになっている。
知らない間にぼくの別人格が人を殺めたんじゃないかってぐらいに血に染まっている。
登っているあいだにどこかに挟んだらしい。
友人から指摘されて気づいたのだが、膝もすりむいて出血している。
足の爪も猛烈に痛い。
腕の腱も異常にこわばっている。

壁昇りに夢中で、身体が発するSOSサインにまったく気づいていなかったのだ。
これはいかん。
自分が死んだことに気づかずにうっかり化けて出ちゃうタイプのアレだ。

あわてて切り上げて帰ったのだが、もちろん翌日の筋肉痛たるや無形文化財レベルである。
腕を鞭打たれる夢で目が覚めたほどだ(これは腕の痛みによるものであって、ぼくの性癖を投影したものではない)。
すぐにさじを投げてしまうやぶ医者よりも握力がなくなり、ドアを開けるだけで乙女のような叫び声が飛び出す始末。

つらい練習をしなくてもいいといっても、結局はつらさを先延ばしにしているだけなのだ。
やはり打ち出の小槌なんてものはないわけで、というわけでクレジットカードのご利用は計画的に。

2015年11月2日月曜日

【ふまじめな考察】汚れをください


スポンジに洗剤をたっぷりつけ、きゅっとひとなで。
ぎとぎとの油汚れがすっととれて、真っ白なお皿が姿を現す。
という洗剤のCM。

欲しい。
欲しくてたまらない。
新製品の洗剤を、ではない。
あの油汚れがほしい。



あんなにきれいに落ちる汚れ、CMでしか見たことない。
ぎっとりと汚れているのに、さっと拭くだけで鮮やかに落ちる。
あの汚れを拭いたらさぞかし気持ちよかろう。
換気扇の汚れもあんなだったら、どんなに換気扇掃除が楽しいだろう。

ふだんやらないところを掃除するのは楽しい。
なぜなら、目に見えて汚れが落ちていくから。
風呂場の排水溝を掃除をするのは、風呂をきれいにしたいからじゃない。ぬめぬめの髪の毛を見て、ああこんなに汚れがとれた、と達成感を味わいたいからだ。

「留守宅に侵入して風呂を掃除していた男が逮捕されました。男は『ぬめぬめをとりたいという欲望が抑えられなかった』などと供述しており、警察ではぬめぬめ欲しさの計画的な犯行と見て捜査を進めています」
みたいな事件もどこかで起こっているにちがいない。
それぐらい「汚いものがとりたい」というのは、人間の根源的な欲求なのだ。

だから、こまめに掃除をして、いつも部屋をぴかぴかにしている人を見ると、かわいそうだと思う。
だって彼らは、ごっそり溜まった汚れを落とす快感を味わえないのだから。汚れは溜めれば溜めるほど、こそげ落とす喜びは大きい。微々たる汚れしか落とせない、きれい好きさんが不憫でならない。



ところで洗剤のCMの話に戻るが、あの映像に出てくる汚れは、当然《落とすための汚れ》なんだろな。
汚く見えて、落ちやすい汚れ。
となると、洗剤を開発している薬品会社には、《落とすための汚れ》を開発する《汚れ開発部》が存在するにちがいない。
そこでは、よりかんたんに落ちてより汚ならしく見える汚れを開発するために、優秀な研究員たちが日夜、研究に研究を重ねているのだ。

殺虫剤を開発しているメーカーでは、実験をするためにゴキブリや蚊を大量に飼育している。
あそこにもまた、《殺すための虫》を飼育する害虫飼育班がいるわけだ。

なんだか不毛なことをしている気もするが、よく考えたら我々はみな、排出するために食事をして、死ぬために生きているわけだから、ま、そんなもんか。

2015年11月1日日曜日

【考察】ママ友とのつきあい方

育児の本を読んでいたら
『公園デビューの悩み ~ママ友とのつきあい方~』
って特集があったんだけど、『ママ友』って言葉が悩みの原因なんだと思う。

友だちだと思うから、仲良くしなきゃ、嫌われたくないって悩むわけでしょ。

「お姉ちゃんの友だちの妹」は、わたしの友だちじゃない。
その人に好かれなくたってかまわない。
「子どもの友だちのお母さん」が友だちじゃなくたっていいじゃない。


2015年10月31日土曜日

【思いつき】鼻からパスタ

映画『ドラえもん のび太の恐竜』でのび太が卵から育てたピー助(フタバスズキリュウ)は、
最近の研究では卵生ではなく胎生だとされていて、おまけに恐竜のカテゴリに入れられていないそうだ。

おいのび太ー!
約束通り鼻からスパゲティ食えよなー!