2017年5月9日火曜日

【DVD感想】『カラスの親指』





『カラスの親指 by rule of CROW's thumb』(2012)

内容(Amazonビデオより)
悲しい過去を背負ったままサギ師になったタケ(阿部寛)と、成り行きでコンビを組むことになった新米サギ師のテツ(村上ショージ)。そんな2人の元に、ある日ひょんなことから河合やひろ(石原さとみ)と河合まひろ(能年玲奈)の美人姉妹、それにノッポの石屋貫太郎(小柳友)を加えた3人の若者が転がり込んでくる。彼らもまた、不幸な生い立ちのもと、ギリギリのところで生きてきたという。これをきっかけに始まる他人同士のちょっと奇妙な共同生活。やがて、タケが過去に起こしたある事件が、彼らを一世一代の大勝負へ導くことになるが、この時は誰一人、それを知る由もなかった…。社会のどん底で生きてきた5人の一発逆転劇。そして驚愕の真実が明かされる…。

Amazonプライムで鑑賞。
道尾秀介の小説を映画化したもの。
詐欺で悪人から大金を騙しとる、っていういわゆる「コン・ゲーム」の王道のようなストーリー。

コン・ゲームって、小説だとジェフリー・アーチャーの『100万ドルを取り返せ!』とか伊坂幸太郎『陽気なギャングが地球を回す』、映画だと『オーシャンズ』シリーズや『ラスベガスをぶっつぶせ!』なんかが有名だね。

そういう作品をいくつか見ているので『カラスの親指』も

「予想外のハプニングがあり、失敗したかにみえてもじつはそれも計算通りで、最終的にはうまく金をとるんだろうなー」

と思ってたらまさにそのとおりの展開だった。

……と思いきや、もうひとひねりあった。


だまされたー!
と気持ちよく叫びたいところだけど……。

んー、この展開はいただけない。

完全にやりすぎ。ご都合主義が過ぎる。
「最後に大どんでん返し」をやりたいあまりリアリティを捨ててしまった。

「たまたまうまくいった」の10乗みたいな確率のストーリーを「全部私の筋書き通りです」って言われてもなあ……。

さらっと「当たり馬券を用意してただけです」とか言ってるけど、どうやって当たりの万馬券を用意するんだよー!
これは一例だけど、ほかにも穴だらけだった。

しかも無駄金使って大芝居を打つ動機が弱いし。
このへん、原作小説ではちゃんとつじつま合わせてるのかな?

一応ちゃんと伏線は張ってあってフェアではあるけどね。

でもフェアだったらなんでも許されるわけじゃないぜ!

2時間40分もある長編映画だったけど、無茶などんでん返しを入れるぐらいなら、2時間ですっぱり終わってほしかった。

終盤まではけっこう楽しめただけに残念。



冒頭の競馬場のシーンはよかったなあ。

詐欺師3人の騙しあい。

あのシーンがいちばん「おお!」ってなった。



村上ショージの演技が笑っちゃうぐらいへただった。

「ぱっとしない詐欺師」の役だからへたでもあんまり気にならなかったんだけど、セリフが聞きとれないところも。

ラストの重要なセリフまで棒読みだったけど、あそこで豹変してシリアスな演技をしてたら全体の印象も大きく変わったんだけどな……。



時間がたっぷりあるのに、セリフで説明してる箇所が多くて疲れてしまった。

阿部寛が聞かれてもいないのに自分の過去をべらべらしゃべる。
あまりにあけっぴろげだから「これも嘘なんだろうな」と勘ぐっていたら、全部ほんとだったのでびっくりした。

詐欺師なのにオープンすぎる!
しかも隠したい過去なのに。

そのへんが「詐欺師として一流にはなれない」という人物描写なのだとしたらアリだけど、たぶん何も考えてないだけ。

原作小説の地の文で説明してることを、何も考えずにセリフにしちゃったんだろうなー。



公開時のキャッチコピーは

「衝撃のラストには、衝撃のウラがある。」

だったそうだけど、そろそろこういう

「驚愕のラスト!」
「ネタバレ禁止! あなたもきっと騙される」

みたいな映画、やめにしない?

あと「映像化不可能と言われた〇〇がまさかの映画化!」も。
(『イニシエーション・ラブ』とか『アヒルと鴨のコインロッカー』とか)

中にはよくできているものもあるけどさ。

でも監督の自己満足に思えちゃう。

よく映像化したなーとは思うけど、でもべつに映像化する必要なかったんじゃない?


「観客をだますタイプの作品」って映像には向いてないんだよね。

小説だと
  • 「読者はすべての文を読む」という了解があるので伏線やトリックが見過ごされにくい
  • すべてを描写する必要がないので、都合の悪い情報は隠すことができる
  • かんたんに読み返せるので「あーそういうことか」って思ってもらえる
という利点があるから、自然に、かつフェアに読者をだますことができるんだよね。

でも映像作品は
  • 画面の情報量が多いので伏線の提示がさりげなさすぎると観客に気づかれない
  • 読者に与えたくない情報まで画面に映ってしまう
  • かんたんに見返せないので、観客が「そんな伏線あったっけ?」ってなる
こういう事情があるから、読者をだますタイプの作品には向いてないと思うんだよね。
(難しいからこそ『シックス・センス』のようにうまくはまったときは衝撃も大きいんだけど)

「やってやれないことはない」ぐらいだったらやらないほうがいいと思うんだよなあ。

映画には映画の長所があるんだからさ。

小説では表現しづらいスピードとかリズムとかスリルとかを表現するのには向いてるんだし。

作品ごとに適したメディアは違うから、無理に映像化・アニメ化・コミカライズ・ノベライズしないほうがいいと思うなー。

2017年5月5日金曜日

なぜバイクはかっこいい(とされるん)だろう?


バイクのかっこよさがわからない。

男の50%はバイクを見て「マジかっこいいぜ」と言い、残りの50%はぼくのようにバイクのかっこよさがわからない。たぶん。

洗濯機を見ても
「うおーこれマジいかす洗濯機だぜ!」
「あのマシンまじシブいっすねぇ」
なんて思わないように、
バイクを見ても「大きいな」「高そうだな」以上の感想は出てこない。
「大きくて高そう」なバイク



ま、それはべつにいい。

バイク愛好家を否定したいわけじゃない。


話は変わるけど、ぼくは鍵が好きだ。

「うわ、この鍵かわいいなあ」とか
「引っ越す前の鍵のほうがエロチックでよかったな」とか思う。

自分でもヘンだと思うし、この嗜好を他人に理解してもらおうとは思わない。

理解されたいとは思わないけど否定されたくはない。

だからバイクの良さも自分が理解できないからといって否定するつもりはない。


多くの人がバイクをかっこいいと言っているからには、バイクにはかっこよさがあるんだと思う。

バイクのかっこよさをぼくも理解したい。

いいものをたくさん知っているほうが人生は愉しい。



まず、思いつくのは「速い」ということがある。

速いものはかっこいい。

多くの男の子は新幹線に夢中になるし、ウサイン・ボルトもチーターもかっこいい。

洗濯機の回転はそんなに速くない。時速にしたら20kmぐらいじゃないかな。知らんけど。

だからバイクはかっこよくて洗濯機はかっこよくない。


しかもバイクは重い。100kgを超えるものもめずらしくない。

力 = 重さ × 速さ

速くて重いバイクは大きなパワーを持っている。

パワー。これはかっこいい。

[パワー] は、[マッハ] [ターボ] [バリアー] に次いで、小学3年男子の好きな言葉第4位だ(2017年 ぼく調べ)。
ちなみにマッハもターボも速さに関する言葉だから、実質パワーが1位といってもいい。

"強いはかっこいい"
これに異論を唱える人はいない。
  • バイクにはパワーがある。
  • パワーはかっこいい。
  • だからバイクはかっこいい。
この三段論法、一見スジが通っているように思える。

でも、速いのはバイクだけじゃない。

バイクが速いといったって、じっさいに走るスピードはせいぜい時速100kmぐらいだ(理論上はもっと出るのかもしれないけど)。

軽自動車だって在来線の電車だってそれぐらいのスピードは出る。しかもバイクよりずっと重い。

でも、軽自動車や電車はバイクほど「かっこいい」と言われない。

パワーでいったらバイクよりずっと大きいのに。



バイクにあって軽自動車や電車にないものはなんだろう、と考えてみてひらめいた。

"不安定さ" じゃないだろうか。


バイクは不安定だ。

すぐに倒れそうに見える。このあやうさこそがバイクの魅力じゃないだろうか。


あやういものはかっこいい。

マフィア一味にも、死線をくぐりぬけた戦士にも、結核を患っている少年にも、あやしい魅力がある。


死と隣り合わせのものがかっこよく見えるのにはちゃんと理由がある。

死のすぐ近くに身を置くというのは、裏返せば「それでも死なない」という強い生命力の証明になるからだ。


パワーが大きくて不安定。

これぞバイクのかっこよさの理由だ。


ということは。

めちゃくちゃ回転が速くてときどき爆発する洗濯機を作ったら、

「うお、このマシンまじかっけー!」

と言われるかもしれないね。

2017年5月4日木曜日

ぼくの考えた地獄



鋭いかぎ爪のついた大きな金棒を持った鬼が背後から追いかけてくる。

人がすれちがえるかどうかという細い道を走って逃げる。

道の脇には煮えたぎった血の池。



逃げた先には扉があるが、扉の前には多くの亡者たちが立ち並んでいるので通れない。

ぐんぐん背後にせまってくる鬼。

もうだめだと思った瞬間、目の前に突如として階段が現れる。



あわてて階段をかけあがる。

息が苦しい。ぜえぜえ言いながら階段を走ってのぼる。

もう限界に近いが、この階段の先には安全な場所がある。そこへは鬼はやってこない。

やっとのことで階段をのぼりきった。

安全な場所へと駆けこもうとするが、そこにも亡者たちが立ちふさがっていて通れない

あなたはついに鬼に追いつかれてしまい、身を引き裂かれる苦しみを味わうことになる……。




これが、駅の階段のすぐ先やドアの前など、人通りの多いところで立ち止まる人が落ちると言われている
大叫喚混雑地獄」です。



説教をするのが苦手だ

説教をするのはすごく苦手だ。

自分ができの悪い人間であることを知っているから、とても他人に偉そうなことなんて云えない。

先週、本格的に説教を施した。

ふだん叱らないぶん説教するときのぼくはとてもしつこい。

叱った相手は同僚のAさん(30代女性)。




「考えられないっ!」
「すみません」
「そういうことしますか。社会人、いや人間としてぜったいにやっちゃいけないことでしょう」
「すみません。つい……」
「ついで済まされることじゃないですよ、会社の冷凍庫のアイスクリームを勝手に食べるなんて!」
「犬犬さんのって知らなかったから……」
「だとしても食べちゃだめでしょ。自分以外の人が買ったアイスは」
「はい、反省してます」
「ぼくだって、ただのアイスクリームならここまで云いませんよ。でもハーゲンダッツですよ、ハーゲンダッツ。ハーゲンダッツっていったら税法上は固定資産ですよ」
「いやそれは……」
「言い訳しない!」
「でも、冷凍庫の奥の方にあったから、誰かがずっと前に買って忘れてるのかと思ったんですよ」
「ピノとかスイカバーならそういうこともあるかもしれません。でもハーゲンダッツ忘れますか? 結婚記念日忘れても、ハーゲンダッツの存在は片時も忘れないでしょ」
「結婚記念日も覚えといたほうがいいですよ」
「今はそんな話してるんじゃないんです。まだね、百歩譲ってですよ、バニラ味とかストロベリー味なら忘れることもあるかもしれません。『ミニカップ・マルチパック 6個入』を買って1個忘れるってことはありえます。でもあなたが食べたのはマカデミアンナッツ味ですよ! マルチパックにマカデミアンナッツ味が入ってないことぐらい常識じゃないですか。つまりこれはマカデミアンナッツ味を食べたくてわざわざ買ってきたものだってことぐらい、ちょっと考えればすぐわかるでしょうよ!」
「たかがアイスの1個なのにすごく理屈っぽいな……」
「たかがとはなんですか。これ、夫婦間でやったらまちがいなく離婚事由になりますよ!」
「すみません、買って返しますんで」
「そういうことじゃないんですよ! 見てください、この紅茶。たった今淹れた紅茶です。さあ今からティータイムだと思って紅茶を用意して、うきうきしながら冷凍庫を開けたらからっぽ。この絶望感、わかりますか!? ぼくがなんのために仕事をしてると思って……」



と長々と説教をしていると、上司から

「犬犬くん、長くなるようならその話は仕事終わってからにして。それとあんまり仕事中にアイスクリーム食べないように」

と叱られた。


叱っていたはずがいつのまにかぼくが叱られている……。

やっぱり、説教は苦手だ。


読書感想を書きつづけてたら少しだけ見えてきた景色


読んだ 本ほぼすべての感想をブログに書くようになって、1年ちょっと。

書いた感想は70冊くらい。
継続的に書いているうちに、自分の中にいろいろと変化があった。
感想を書くのにも慣れてきたし、同時に本の読み方も変わってきた。



どういう 文体で書けばいいかよくわからなかった。
「~だ」「~である」で書いていると、すごく硬派な文章になった。
それで学術的に価値のあることを書けるんだったらいいけど、学術論文みたいな文体のわりに中身は薄っぺらい。
これはすぐにやめた。

誰かに語りかけるように書こうと思って、しばらくは「~です」「~ます」で書いていた。
これは書きやすかった。
すらすら書ける。
ところがしばらくして、あたりさわりのないことしか書けないことに気がついた。
丁寧語はよそいきの言葉だ。本音を語るのには向いていない。

くだけた言葉で書くようにした。
「親しすぎない友人」に語りかけるようなイメージ(親しい友人だとくだけすぎる)。
わざと乱暴な言葉遣いもまじえた。
「知らんがな」
「あほとちゃうか」
ぞんざいな語り口調を出すのにはたまに方言を混ぜるといいことを発見した。ぼくは関西で生まれ育ったので関西弁。
これがちょうどよかった。
筆が進むし、思いきったこともずばずば書ける。
書く前は思いもよらなかったことがぽんぽん湧いてくる。


「見た目を変えると中身もついてくる」という言葉がある。
真実だと思う。
正座して背筋を伸ばしてエロいことを考えるのは難しい。だらしなく寝そべっているときは自然にエロい妄想が浮かんでくるのに。
文章も同じだ。
エロいことを考えるのに適したポーズ

何にも 書くことねえなあ、ということがはじめのうちはあった。
それでもむりやり感想文を書いているうちに、「あまり書くことがないときの書き方」が見つかってきた。
本に書いてあることに、かならずしも真正面からぶつからなくていいということに気づいた。
ほんの1行でも引っかかるところがあれば、それをフックに話を広げていけばいい。

褒めるところのないおっさんに対して
「メガネかけてるんですね。あたしメガネの男性好きなんですよ~」
と言っておけば、おっさんのことは一言も褒めてないのに相手は好意を持たれたような気になる。

あえていうならこんな感じかな。ちがうかな。


本の読み方も 変わってきた。

読書感想を書くようになって気づいたんだけど、本を読んでいるときって70%くらいしか集中してない。
本の内容を理解しようとしながらもけっこう発想が飛躍している。
よしなしごとが心に浮かんでは消えてゆく。
そういうとりとものないことって読み終わったときには忘れていた。

読書感想を書くようになって、そういう「あれやこれや」を捉えてメモをとるようした。
これまではすぐに消えてなくなっていた思念の燃えかすが、残るようになった。
たいして読者の多くない感想文だけど、書きつづけることで、少なくとも自分ひとりは楽しませることができるようになった。

強制されずに 書く読書感想文は、読書をもっと楽しいものにしてくれるね。