2016年1月5日火曜日

【思いつき】ニッポンのシンデレラ

 ゴーン ゴーン ゴーン

「まあたいへん、除夜の鐘が鳴りはじめたわ! 百八つ鳴りおわるまでに戻らなきゃ」

お殿様と踊り念仏を唱えていたシンデレラはあわてて駆けだしました。びろおどの下駄が脱げましたが、かまっていられません。
シンデレラがお寺の長い階段を駆けおりると同時に仏法の効力が切れ、立派な牛車はたちまち南瓜の駕籠に戻ってしまいましたとさ。

2016年1月4日月曜日

【写真エッセイ】本供養

本を売ったり捨てたりするときは供養のために写真を撮ってから見送ることにしている。








特に思い入れが強いのは、北杜夫『船乗りクプクプの冒険』と『さびしい王様』シリーズ。
これらに出会ったのはぼくが小学生のとき。
ほとんど児童文学しか読んだことのなかったぼくに、大人向けの本もおもしろいということを教えてくれた本だ。
井上ひさしの『ブンとフン』『偽原始人』や『モッキンポット氏』シリーズも小学生のときに読んだ本。
読書の道に引きずりこんでくれた。

椎名誠の『あやしい探険隊』シリーズと青春3部作は、高校生のときに読んで、ぼくも仲間たちとこんな日々を送りたい!と思わされたエッセイだ。
今でも高校時代の友人たちと山登りをしたりキャンプをしたりしているのは、椎名誠の影響が大きい。

こういった「若いうちに読んでおいてよかった本」を再読することはもうないだろう。
にもかかわらずこれらの本を捨てずに置いていた理由は「いつか生まれてくる自分の子どもにも将来読んでほしいから」だった。

でも実際に自分の子どもが生まれてみて、我が子と接するうちに少しずつ考えが変わってきた。
この子はぼくとはちがう人生を送るのだから、ぼくとはちがう本から刺激を受けたほうがよい、と思うようになった。
ぼくが影響を受けた本ではなく、子どもが大きくなったとき、その時代のおもしろい本を読んでくれたほうがずっといい。

だってほら、大人たちが薦めてくる本って死ぬほどつまらなかったでしょう?
教科書で読んだときはクソみたいにつまらなかったのに、後で自分で買って読んだらすごくおもしろかったという経験、本好きなら一度や二度や三度や四度は経験があるはずだ。

おもしろい本は薦められるものじゃない。
まず自分の勘をたよりにおもしろそうな本を探しあてることから、読書の楽しみははじまっているのだ。

2016年1月3日日曜日

【ふまじめな考察】おい日本の教育

「学校で習ったことは社会に出てから何の役にも立っていない。日本の教育には問題がある」
居酒屋でおっさんが力説していた。

たしかに。
ぼくは小学校で理科の実験をやったり音楽をやったり跳び箱やったりしてたけど、今はぜんぜん役に立ってない。
日本の教育がちゃんとしてれば、今ごろぼくは、物理学者とピアニストと体操選手の3足のわらじをはいていたはずなのに……。
ぼくがノーベル賞とアカデミー賞と金メダルを同時受賞をしていないのは日本の教育のせいだ!

おい日本の教育~。
ちゃんとしとけよなー!

2016年1月2日土曜日

【エッセイ】ハツカネズミの親子

 不思議な光景を見た。

 若い親子が電車に乗っていた。
 父親は赤ちゃんをだっこしていて、母親は妊娠しているらしく、大きなおなかを抱えて大儀そうに歩いていた。
 それだけならどうということのない微笑ましい光景なのだが、問題は父親が抱いている赤ちゃんがどう見ても生後3~4ヵ月の乳児だということだ。
 はじめはなんとも思わなかった。
 でもなんとなく違和感を覚えて、よくよく考えてみると、
あれ? 計算合わなくない?

 一目で妊娠していることがわかるってことは、少なくとも妊娠4ヶ月くらいは経ってるよね。
 だったら生後3~4ヵ月の赤ちゃんがいるはずないよね。
 じつにミステリアス。
 何度見ても、赤ちゃんは生まれたばかり(だってまだ首が据わってないもの)。
 ひょっとしてお母さんが産後太りしてるだけ?と思ったけど、こっちもどうみても妊婦(鞄にマタニティバッヂ付いてるし)。

 ううむ。
 不思議だ。
 仮説を立ててみた。

1.二人は夫婦ではない。
  たとえば兄と妹とか。

2.二人は夫婦だが、妻は赤ちゃんの母親ではない。
  養子だとか、亡くなった兄夫婦の忘れ形見だとか、夫の浮気相手が産んだとか。

3.二人は夫婦で、赤ちゃんもお腹の子も、どちらも夫婦の子。
  ただ双子の片方だけが何ヶ月も先に出てきちゃったとか。

4.じつはぼくが知らないだけで、医学の進歩だかアベノミクス効果だかによって、そうゆうことが可能になっている。

5.あの夫婦はじつは人間ではなく、ハツカネズミ。

2016年1月1日金曜日

【エッセイ】2番目に好きな人

小学3年生のとき。
クラスにMさんという女の子がいた。とびきりかわいくて、快活な子だった。
男子の半分はMさんのことが好きだった。
ぼくもそのひとりだ。

あるとき、Mさんからこう言われた。
「わたし、君のこと、2番目に好きだよ」

1位でないのは残念だったが、喜ばしい気持ちのほうが大きかった。
大人だったら「1位じゃないなら意味がない」と思うかもしれない。でもしょせん小学3年生、1位だったとしてもデートするわじゃないのだ。
「2位じゃだめなんですか!?」という問いを誰が否定できよう。

なにしろ、10人以上の男子が彼女に恋心を抱いていたのだ。その中で2位というのは、モテないぼくからしたら奇跡的な好成績だ。
ぼくは「ひょっとしたら1位浮上ということも十分にありうるぞ」と考え、Mさんへの想いをさらに強固なものにして、あの手この手で彼女の気を惹こうとした。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

人心掌握術について書かれた本を読んでいると、こんな記述を見つけた。

独裁者、軍の司令官、犯罪組織のリーダーらが部下を統治するのに使う方法として「部下たちを順位付けする」というものがある。
部下たちに順位をつけ、さらに順位によって待遇に差をつける。1位は優遇し、最下位には厳しい罰を与えることで、上位を目指すように仕向ける。
さらに順位付けの基準を明確にしないことで、部下たちはトップの顔色だけを窺うようになり、ひとつでも順位を上げようと、上からの指示には絶対に服従し、メンバー間の密告が増えて裏切りも防ぐことができる。特に1位を狙える位置にいる者や、あと少しで最下位に転落しそうなものほどその効果は顕著に表れて、たいへん支配しやすくなるのだとか。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

うわ、Mさんすげえ。
小3にして支配術を使いこなしていたなんて(使いこなしていた証拠に、ぼくは完全に支配されていた)。

魔性の女どころの話ではない。
天地を統べる逸材だ。