【読書感想文】 スティーヴン・D・レヴィット 他 『超ヤバい経済学』

スティーヴン・D・レヴィット スティーヴン・J・ダブナー
『超ヤバい経済学』

内容(「BOOK」データベースより)
ゾウとサメ、どっちが怖い?酔っ払って歩くのと酔っ払い運転、どっちが危険?ポン引きと不動産屋さん、どっちが偉い?お医者さんはちゃんと手を洗ってるの?サッカー選手になるには何月に生まれると有利?臓器移植問題は思いやりで解決する?カンガルーを食べれば地球は救われる?性別を変えたらお給料は上がるの?全世界400万部超のベストセラー『ヤバい経済学』に待望の続編。


前著『ヤバい経済学』に続いて、『超ヤバい経済学』もおもしろい本でした。
でもこのタイトルはちょっとセンスがないなあ。
原題は『Super Freakonomics』。
「Freakonomics」は「経済学の考え方を用いたもっとイカれた学問」みたいな意味の造語だと思うんですが、『ヤバい経済学』だと、それ経済学の域を出てないじゃんってなってしまうんですよね。

でも章のタイトルはいい。
第2章のタイトルは『自爆テロやるなら生命保険に入ったほうがいいのはどうして?』。
これは気になりますね。
自爆テロをやったらどうせ保険金はもらえないだろうし、そもそも自爆テロをやるような連中が残された家族のことなんか考えるんだろうか?
この謎の答えは、この本を読んでください。なるほど、と納得するはず。

テロリストの実像って、我々が抱いているイメージとは違うようです。
 一般的に言って、「テロリストは、中流から高所得の家庭の出身で、いい教育を受けている傾向がある」とクルーガーは述べている。いくつか例外――アイルランド共和軍や、たぶんスリランカのクルミの虎(証拠が十分ではないから)やなんか――はあるけれど、この傾向は、ラテンアメリカのテロリスト・グループからアメリカで9・11の攻撃を仕掛けたアルカイダのメンバーまで、世界中どこへ行っても見られる。
 いったいどういうわけだろう?
 おなかが減ってるときは自分で自分を吹き飛ばすよりもっと他に考えないといけないことがあるってことかもしれない。あるいはテロリストのリーダーたちは能力を重視しているのかもしれない。テロ攻撃は典型的な犯罪よりも組織的な動きが必要だからだ。
 加えて、クルーガーが指摘しているように、犯罪は基本的には自分の利益のためにやるものだ。一方、テロは本質的には政治的行動である。彼の分析から考えると、テロリストに一番なりそうなタイプに一番近い特徴を持つ人といえば……選挙に行く人ですね。市民の義務にステロイドをぶち込むとテロになる、みたいな。
そういやそうですね。
チェ・ゲバラやレーニンのような革命家もそうだし、日本のテロリスト・新撰組や日本赤軍やオウム真理教もみんな育ちが良くて頭のいい人たちでした。中には頭の悪い革命家もいるんでしょうけど、大きな事件を起こせないから知られていないんでしょうね。

ぼくらみたいに平和なところであぐらをかいている人間からすると、テロなんかやるやつはばかだ、みたいに思うほうが楽ですよね。あいつらはばかだからあんなことするんだ、って。
でもそう考えていると、常にテロリストに裏をかかれることになりつづけるんでしょう。

そうでなくても、テロとの戦いは、圧倒的にテロリスト側に分があるようです。
 テロが効果的なのは、直接の犠牲者だけでなく、あらゆる人に負担を強いるからだ。そんな間接的な負担のうち一番大きいのが、また攻撃されるかもという恐怖である。そんな恐怖の向けられる先がぜんぜん的外れでも関係ない。ある年に平均的なアメリカ人がテロ攻撃で死ぬ可能性はだいたい500万人に1つだ。同じ人が自殺する可能性のほうが575倍も大きい。
 もっと見えにくい負担も考えてみよう。たとえば時間と自由が奪われることだ。この前空港でセキュリティ検索の列に並んだときのことを思い出してほしい。靴を脱がされ、ストッキングの足で歩いて金属探知機をくぐらされ、それからよたよた歩きながら自分の荷物をまとめないといけなかったでしょう。
 テロの美しいところは――あなたがテロリストならってことだけど――失敗したって成功するかもしれないという点だ。靴を脱いで云々なんていう決まった手順を踏まされるようになったのは、リチャード・リードというイギリス人のせいだ。この人は靴に入れた爆弾を起動させるのには失敗したが、ぼくたちに莫大な代償を払わせるのには成功した。空港のセキュリティの列で、靴を脱いでから履きなおすまでに1分かかるとしよう。アメリカだけで考えても、この手続きが年にだいたい5億6000万回繰り返されている。ごおくろくせんまん分は年に換算すると1065年を超える。それを(アメリカ人の平均寿命である)77.8年で割ると、この時間の長さは全体で14人近くの一生に相当するのがわかる。だから、リチャード・リードは失敗して1人も殺せなかったが、それでも、1年に14人の命に相当する長さの時間をぼくたちから奪うのに成功している。
この視点はおもしろいですね。生命を奪うだけがテロの成果ではない、ということですね。

そういえばベトナム戦争のとき、ゲリラ兵士が民間人のふりをしてアメリカ軍を狙撃したそうです。こうした攻撃が続くうちにアメリカ軍は疑心暗鬼に駆られ、民間人を次々に殺しました。それが明るみに出て国内外から激しい批判が相次ぎ、結果としてアメリカはベトナムから撤退することになりました。
これもゲリラ行為の成果ですよね(もちろんベトナムのゲリラ兵士が意図したわけではないにせよ)。

失敗しても成果を挙げられるとなると、テロを防ぐのってほぼ不可能ですよね。
ひょっとしたら、「少々人が殺されたとしても無視を決め込む」ってのがいちばん有効な対策かもしれませんね。大きな声では言えない話ですけど。



また、地球温暖化問題について、金になるかならないかという観点から論じた章も、ユニークな視点が光っていました。
地球温暖化の解決策として大気の温度を下げる方法がいくつか紹介されているんですが、どれもそんなに難しくなさそうで、かつコストもかからないみたい。
このままじゃ地球があぶない、と言われていますけど、頭のいい人たちはとっくに解決策を考えているんですね。

でも著者は、「地球の温度を下げるのはいいアイデアだけど、実現しようとしたら大反対されるだろうな」と予想しています。

環境保護派の人は感情的になっているので、
「ぼくたちの地球をみんなで守ろう」という考えが好きで、
「地球の温度を下げる方法ができたから好きに二酸化炭素を垂れ流してもいいよ」というやり方は好きじゃない、というわけです。得られる結果が同じでも。後者のほうが良い結果が得られたとしても。

それに対する著者の言い分が、素直でいい。
 でも、心の温かい人道派じゃなくて、身体に冷たい血が流れる経済学者みたいに頭を使うなら、ゴアの言葉は筋が通らないのがわかるはずだ。ぼくたちは大気の汚染をどうやって止めたらいいかわからないんじゃない。ぼくたちは止めたくないのだ。あるいは止める代償を払いたくないのだ。
 思い出してほしい。ほとんどの公害はぼくたちの消費が起こす負の外部性だ。工学や物理学がどれだけ難しいか知らないが、人間に振る舞いを変えさせるほうがたぶんずっと難しい。今のところ、1人ひとりにとって、消費を抑えても見返りは小さく、過剰な消費を続けても代償は小さい。ゴアやなんかの保護派の人たちは、消費を減らしましょう、公害を減らしましょうと呼びかけている。そりゃ気高い話だ。でも、インセンティヴに関する限り、あんまり力強い話とはいえない。
このリアリスティックな視点。経済学って何?  という疑問に明快に答えるのがこれですよ。建前やきれいごとを捨てて、現実的な解決策を探る学問、とでもいいましょうか。

そうなんですよね、みんな大気汚染を止めたくないんですよね。

環境保護を訴える人たちだって、程度の差こそあれ、結局は電気を使っているし、(大量のメタンガスで地球を温暖化させている)牛の肉を食べているわけです。
そういう現実を受け止めた上で、「じゃあ大気汚染を止めずに、でも地球からのしっぺ返しは食らわないで済むような方法はないかしら」っていう”虫のいい話”を考えるのが経済学的なアプローチなんですね。
文明ってそういう”虫のいい話”や”わがまま”に支えられて進歩してきたわけですからね。実際に問題を解決するのは「地球を大切に」「愛は地球を救う」みたいなきれいごとではありません。


ここから個人的な話になるんですけど、ぼくはこのたび転職することになったんですけど、会社を辞める理由のひとつが「理想を押しつけられる」ことだったんです。
一応管理職というポジションについていたんですが、やたらと「おまえのチームの社員は早く帰りすぎる。ちゃんと仕事してるのか」みたいなプレッシャーをかけられていて、ぼくはそれが嫌で嫌でしかたがなかった。

ぼくの考えとしては、

人間なんだからサボるときはサボる。ミスもぜったいに発生する。
そこはゼロにはできない。かぎりなくゼロに近づけることはできるだろうけど、そんなことをしても労力に見合わないからやりたくない。
手を抜くやつがいても、ミスをするやつがいても、メンバーにばかが混ざっていても、それでも一定水準の業績を上げられるように制度設計をするのが管理職の仕事だ。

と思っているわけです。


「やる気」「まじめさ」みたいな不確かなものに頼ったシステムなんて信用できないわけです。

「うちの原子力発電所では、ミスが起きないように職員が全力で注意しているんで大丈夫ですよ。やる気にあふれた職員がみんな全身全霊で取り組んでいるので安全装置なんていりませんよ」
という言葉を誰が信用できますか? っていう話ですよね。

「うちの職員は100日に1回くらいミスをしちゃいますけど、別々に作動する安全装置が5個あるので、事故につながるのは100分の1が5回重なった日、つまり確率的には100億日、つまり約2,700万年に1回です」のほうがずっと信用できます。


でも会社では、手を抜いてるけど80点とれるやつより必死こいて70点しかとれないやつのほうがえらい、と言われるわけです。
「手を抜いて80点なんだったら、手を抜かなかったら100点とれるはずだ!」と言われるわけです。
ぼくとしては「手を抜いていても81点とれるシステムをつくるにはどうしたらいいか」という話し合いがしたいのに。

そういう話を、とある会社の社長に話して、「じゃあうちに来てそういうチームをつくってくれ」と言われたので転職を決めました。

一生懸命な人って、周りに一生懸命じゃない人がいるのが許せないんですよね。その人が自分やチームに不利益をもたらすかどうかなんて関係なく。
そういう、一生懸命な人にこそ読んでもらいたい本です。一歩引いた、クールな視点を持つために。




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