【読書感想文】 こだま 『夫のちん●が入らない』(Googleから検閲が入ったので一部伏字)


こ●ま 『夫のちん●が入らない』

(Google様から検閲が入ったので一部伏字にしています)
内容紹介(Amazonより一部抜粋)
“夫のちん●が入らない"衝撃の実話――彼女の生きてきたその道が物語になる。
2014年5月に開催された「文学フリマ」では、同人誌『なし水』を求める人々が異例の大行列を成し、同書は即完売。その中に収録され、大反響を呼んだのが主婦こだまの自伝『夫のちん●が入らない』だ。
同じ大学に通う自由奔放な青年と交際を始めた18歳の「私」(こ●ま)。初めて体を重ねようとしたある夜、事件は起きた。彼の性器が全く入らなかったのだ。その後も二人は「入らない」一方で精神的な結びつきを強くしていき、結婚。しかし「いつか入る」という願いは叶わぬまま、「私」はさらなる悲劇の渦に飲み込まれていく……。
交際してから約20年、「入らない」女性がこれまでの自分と向き合い、ドライかつユーモア溢れる筆致で綴った“愛と堕落"の半生。“衝撃の実話"が大幅加筆修正のうえ、完全版としてついに書籍化! 

ブログ 塩で揉む や、Twitter で人気のこだまさんの私小説(というか自叙伝?)。


2014年に『なし水』という同人誌に掲載された文章に加筆修正。
ぼくは『なし水』も読んだことがあるのでストーリーはだいたい知っていたけれど、それでも改めて「これはいい本だ……」と一気に読んだ。


まず語るうえで避けては通れないのがタイトル。
タイトルだけでこれだけ騒がれる文学作品は、山崎ナオコーラさんの『人のセックスを笑うな』以来だろうね(彼女の場合はその筆名も話題になったけど)。

でも通読してみると、やっぱりこの本のタイトルは『夫のちん●が入らない』以外にはありえない(日本人の大好きな七五調だしね)。

 好いている人に、好いてもらえていた。
 こんなことは生まれて初めてだった。

 住民票を移すよりも先に恋人ができた。
 人と深く関わることを避けてきたのに、この地に越してきた途端、生活が一変した。変わろうと強く意識する前に、大きな波に飲まれていた。だが、そんな驚きさえも吹き飛ぶぐらい、もっと信じがたい出来事が私たちを待ち受けていた。

 私と彼は、セックスをすることができなかった。
 ちん●が入らなかった。

叙情的な美しい文章からの、急転直下のちん●。

タイトルそのままに、お互いに愛情はあるのにセックスのできないカップルの物語が展開されてゆく。

 昨夜と同じ振動が始まった。強く、強く押されている。ぶつかっている。
「うーん、これより先に進まない」
「今どれくらい入っていますか」
「入ってはいない。当たっているだけ」
「当たって、いるだけ」
 まるでトンネル工事の掘削員が交わす会話のようだ。山の西側で重機を操る彼がいる。山が小刻みに揺れる。土煙が舞う。東側で貫通を待つ私に無線が入る。彼はヘルメットを外し、タオルで汗を拭いながら言うのだ。
「まったく駄目だね。当たっているだけ」
 この山はちっとも崩れる気配がない。

ユーモラスな表現で描かれているけれど、次第にこだまさんは「入らない」原因を自らの内面に求めてゆく。
生い立ちに原因があるのではないか、けっして幸福だったとはいえない過去の男性経験が好きな人を拒絶させているのではないか、と。


ぼくは中学のとき女子から「つまんない顔」と言われたことがあって、そのつまんない顔のまま30年以上生きているけれど、べつに「これまでの人生が悪かったからだ」と自分を責め立てたりしたことはない。そういう遺伝子を持って生まれちゃったんだからしょうがないよね、と思うだけだ。
背が低いとかハゲとか、自分ではどうにもならない身体上のコンプレックスについては、思い悩むことはあっても、ふつうは内面に原因を求めたりしない。

でも性の問題って、なかなかそうはいかない。

「子孫を残すことが生物の使命だ」
「愛こそがすべて。愛する人と結ばれることが人生における最大の喜びだ」
みたいな言説がはびこっているから、うまくセックスができないことって実存にかかわる問題になっちゃうんだろうな。

冷静に考えれば単なる肉体的な問題なのに、他人には言いづらいデリケートなことだからこそ内面に向かいやすいのかも。こだまさんは、自分はまっとうに愛を育んではいけない人間なのではないか、と思うようになっていく。

そして小学校教師として働きはじめると、担任するクラスの学級崩壊という状況を前にして、さらに自身への攻撃を強めていく。

「学級崩壊の原因は百パーセント担任の指導力不足。家庭環境のせいにする人がいるけど、そんなの教師失格だよ」
「うん、そうだね」
 ここにいるのです。目の前に。
 私もそんな情けない教師のひとりなのだとは言えなかった。私は間違いなく彼の忌み嫌う教師になってしまっている。職員室では権力のある教師の顔色を窺い、学級では子供とどう向き合えばよいかわからず、騒がしい教室を見渡して途方に暮れている。
 誰も私の話など聞きやしません。気が狂いそう。いえ、すでに狂っているのです。助けて下さい。

ここは、いちばん胃にずしんときたところで、読んでいて本当に息苦しくなった。
この追い詰められていく感じ。

引用文の冒頭のセリフは、こだまさんが高校教師をしている夫から言われた一言だけど、うまくいかないときって、周囲から言われたなんでもないことを悪く取ってしまうんだよね。

ぼくも精神的な病で1年間何もせずに吐いたり寝たりしてばかりいたときのことや、仕事でメンバーの言葉にどうしようもなく傷ついて夜も眠れなかったことを思いだした。
今ふりかえるとどうでもいいことでずっと悩んでいたなあ、と。


よく「自分を見つめよう」なんてことを言いますけど、この歳になって思うのは、内面なんて探ってもろくなことないよなあってこと。
自分の内面も、他人の内面も。
あるのは「自分が何をした」「誰かがこんなことを言った」という事実だけで、内面とか真意なんて考えてもあんまり意味がない、と最近になって思えるようになった。

でも、こだまさんは、鋭すぎる人なんだろうね。
だから他の人が気付かずに流してしまうようなことでも、必要以上に嗅ぎ取ってしまう。
そして自分を攻撃する材料に変えてしまう。

もっとずうずうしく生きればいいのに、と傍から見れば思うんだけどね。

渦中にいる人にとってはそういうわけにはいかないんだろうけど……。


死の直前まで追い詰められたこだまさんは、いくつかのものを失い、そしていろんなものを失ったことで結果的に徐々に平穏な暮らしを取り戻してゆく。


ぼくはこないだ転職するために会社を辞めた。

いくつか嫌なことがあったから会社を辞めたんだけど、最後のほうは、「辞めるんだからもういいや」と抱えていたいろんな仕事を手放した。
そして、手放したことでいろんなことが楽になり、辞めるときにはわりと居心地のいい会社になっていた。皮肉なことに。
なんだ、こんなことならもっと早く捨てればよかったな。

足りないことからくる不幸よりも、多く持ちすぎていることからくる不幸のほうが大きいのかもしれない。


みんな喪失と再生をくりかえして生きているんだなあ。

深刻に書いたらかなりヘビーな物語になりそうだけど、冷笑的な文章のおかげで乾いた雰囲気になっているのがいい。
「だから、あなたも生きぬいて!」と説教くさい口調じゃないのがいい。(大平 光代『だから、あなたも生きぬいて!』は読んだことないけど)

なんというか、一度人生を終わらせた人のような達観した文章。


「ずうずうしく生きられない人」が読むと、少し救われる物語だと思う。



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