【読書感想文】 マツコ・デラックス 『世迷いごと』

 

 マツコ・デラックス 『世迷いごと』

内容(「BOOK」データベースより)
一度見たら忘れられないインパクトで、いまやあっちこっちに引っ張りダコのマツコ・デラックス。広末涼子、高岡早紀ら芸能界の美女か女子アナ、スポーツ選手、果ては谷亮子議員まで、マツコが気になるオンナたちの本性を鋭く見抜く。
タレント本は買わないことにしてるんですけど、なぜか気になるマツコ・デラックス。
本業がコラムニストなのでこれはタレント本じゃないよね、ということで購入。

女性誌に連載されていた、いろんな「女」のことをずばずばと書いていくというコラム。
ぼくはドラマも映画も見ないので、AV女優以外の女優さんのことはほとんどわかりません。
というより、テレビに出ているきれいな女の人にあんまり興味がないんですね。

だからこの本で取り上げられている女優・モデル・女子アナのことはほとんど知らず、コラムを読んでもぴんときませんでした。
でもスポーツ選手(福原愛や谷亮子)のところはおもしろかったですね。

 そこへいくと、やっぱり福原愛よね。愛ちゃんって、エロいよね~。実にエロい顔してる。何しろ、北京五輪の選手村でテニスの錦織圭とデキちゃうようなオンナよ。コレ、修学旅行の宿でヤッちゃうようなものこのニュースを聞いたとき、アタシ、「ついにきたな、愛ちゃん」と思ったのよ。でも、周りが寄ってたかって、福原愛の「オンナ」の部分を消そうとしていた。"エロ愛ちゃん"にはならないようにしたの。それで、もう一歩先に進めなかったんだよね。期待していたんだけど、伸びなかったね~。エロ愛ちゃんにはなれなかった。

こういう、テレビでは言えないような(もしかしたら言ってるのかもしれないけど)ことをばんばん書いています。
たしかにオリンピック選手って、アンタッチャブルな存在ですよね。
内村航平だって羽生結弦だってエロいことしてるはずなのに、まるで「スポーツとみんなの笑顔のことしか考えていない人」みたいな描かれ方をテレビではしますよね。
別にスキャンダルをすっぱ抜けとはいいませんが、必要以上にクリーンな存在として取り扱われていることに不自然さを感じます。
自分のためにスポーツをしているだけでも、「子どもたちのお手本になるように」みたいな生き方を要求されるオリンピック選手もしんどいだろうなあ。



あとおもしろかったのは『AKB48&西野カナ』の章。
アイドル論、というよりアイドルの売り出しかた論。

 これ、『モー娘。』のころから感じてはいたんだけど、『モー娘。』はおかしなコスチュームを着たり、アイドルのパロディのようなことをしていたから、アタシたちも楽しめていたのよね。でも、AKBはそんなサービスはしてくれない。ぴょ~んとか踊ってくれないし、変な衣装も着てくれない。歌だけはアイドル然としたものを受け継いでいるけど、それだったら家で松田聖子聴けばいいだけの話。
 エンターテインメント性で楽しめる部分がないから、テレビ見ていても、特に何も感じないのよ。そんなわけだから、女子高生が「AKBって、いいよね」と絶賛しているのが、わからないの。オタク的楽しみ方を見つけた一般人のメカニズムが、アタシには理解できないの。

ぼくはモーニング娘。もAKB48も等しく好きではないんですが、それでも、どっちのほうがおもしろいかっていったら、マツコ・デラックスと同じようにモーニング娘。なんですよね。
それは、(当時としてはめずらしかった)小学生ぐらいの女の子をメンバーとして加入させたり、ダサいのに妙に耳に残る歌をうたったり、ばかばかしい踊りと衣装で騒いでいたりと、"変なこと"をいっぱいしていたので、ファンじゃない人にとっても気になる存在ではあったんですね。

そしてAKB48ってファンしか相手にしていない感じがしますよね。
歌や踊りはアイドル王道ど真ん中だし、CDを買った人しか投票できないとか、メンバーみんなかわいいし、ファンじゃない人が引っかかるような"遊び"がないんですよね。
「金を落とさないやつは入ってくるな」って感じで。


 西野カナに、「ありがとう、君がいてくれて、本当よかったよ……」なんて詞の歌(『Best Friend』)があって、CMでガンガン流されているうちに強制的に覚えさせられちゃったんだけど、あんな詞をどう解釈しろっていうのよ。どこに心の機微があるの? 「ああ、そうですか。よかったですね」って言うしかないじゃん。「ありがとう」ということを自分なりの言葉に変えて表現することこそが、作詞活動じゃないの?
(中略)
 等身大の思いというのは、いつの世にもあったけど、自分のことを世代の代表として選ばれたアーティストと自負しているのなら、カッコつけようとかのプライドがあるはず。でも、それが西野カナには微塵も感じられないのよ。彼女だけが問題じゃない。こんな薄っぺらい歌詞を、何の疑いもなく支持してしまっている女子高生たちの精神構造もわからないの。

西野カナの歌ってちゃんと聞いたことないんですが、検索して何曲か見てみたらたしかに何のひねりもない歌詞ですね。中島みゆき『泥は降りしきる』を聴いて勉強しろ、とも思います。
でもこのレベルなのは西野カナだけでもないような……とは思いますけど。

歌詞に対する考え方はアーティストによると思うので、べつに"ただメロディを邪魔しなければいい"ぐらいの考えの人もいるでしょう。
だから西野カナの詞にべつに問題があるわけではないんですけどね。
ただ、それをありがたがるのはどうかと思う、ってのはわかる気もしますね。


AKB48といい西野カナといい、よく言えば「わかりやすい」、悪く言えば「薄っぺらい」ものが文化として大勢を占めるようになってきたってことなんでしょうかね。
もちろん昔から万人受けするものがメジャーになってきたわけですけど、より「消費しやすい」ものに移ろってきている。
立ち止まって「これはどういう意味なんだろう」「どんな背景があってこのメッセージは生まれたんだろう」と考える必要がないというか。
ひとつにはネット文化の影響でしょうか。
匿名で発信された140字のツイートから、共有された背景や隠された意図を読み取ってくれる人は少数派ですからね。

消費しやすいことがかならずしも悪いわけではないんですけどね。胸やけがするからうどんとかで済ませたいこともありますし。
でもコラムニストや評論家のような職業の人からすると、商売あがったりですね。
だからでしょうか、この章はマツコ・デラックスも特に熱く語っています。


いろんな人のことを悪しざまに書いたりもしてるんですけど、基本的に表現する人に対しては愛を感じる文章です。
だからこそ、ただ消費されるだけに甘んじている"表現しようとしない人"に対する視線はものすごく厳しいコラムです。



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