【読書感想文】 ウィリアム・H・マクニール 『世界史』

ウィリアム・H・マクニール 『世界史』

内容(「BOOK」データベースより)

世界で四十年余にわたって読みつづけられているマクニールの「世界史」最新版完訳。人間の歴史の流れを大きく捉え、「きわめて特色ある歴史上の問題」を独自の史観で鮮やかに描き出す。ユーラシアの文明誕生とそのひろがりから、紀元後一五〇〇年までの四大文明の伸展とその周縁部との相互干渉まで。地図・写真多数収録。年表つき。

学生時代に世界史の授業をちゃんとやっていなかったので、いろいろと不自由なことがある。

本や新聞を読んでいると
「イスラエルをめぐってアラブ諸国とユダヤ人が争っているのは、イギリスの二枚舌外交のせいだ」
なんて記述が出てくる。世界史を知らないぼくにとっては事情がさっぱりわからない。

ニュースで
「北方四島はソ連が条約を一方的に破って占領したものだ」
なんて主張を見ることがある。やはりぼくにはその主張の真偽がわからない。

まあぼくは北方領土問題を解決するためにロシアと丁々発止の交渉をくりひろげる凄腕外交官ではないのでそのへんの事情を知らなくても困らないのですが、知っておいたほうがニュースがわかっておもしろいんだろうなあ。

勉強をするといろんなことがおもしろくなるよね。
勉強を嫌いな人って「人生をおもしろくするために勉強をする」ということが理解できないようだ。
もったいない。


10年ほど前に池上彰『そうだったのか!現代史』シリーズを読んでから、近代史の主なところはわかるようになった。キューバ危機とか文化大革命とかパレスチナ問題とか。
あの本はすばらしいシリーズだったんだけど、その後池上彰さんがテレビに活躍の場を移してしまったので、あれぐらいじっくり取材してうまくまとめた本が再び書かれることはしばらくなさそう。

と、そんな事情があったので、古代~中世~近代の歴史を(できれば少ないページ数で)まとめた体系的な世界史の本がないかと探した。
候補に上がったのが『もういちど読む山川世界史』(山川出版社)と、マクニールの『世界史』
細かい用語を覚えたいわけじゃないので教科書っぽい山川は避けて、マクニール『世界史』を読んでみた。


上下巻あわせて約800ページという短い枚数で人間の歴史を記述しているので、著名人のエピソード的なものは皆無。
というより人名がほとんど出てこない。物語としてのおもしろみには欠ける。でも歴史というものに対して誠実な態度だ。

「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら歴史は変わっていた」
「カエサルが『賽は投げられた』と言ったことが歴史の転換点になった」
といった説は、たしかに魅力的だ(カエサルとクレオパトラは世界史上ナンバーワンお騒がせ夫婦だね)。
『その時歴史が動いた史観』とでもいうか。

でも実際の歴史というものは、ひとりの人間が動かせるほど造作のゆるいものではない。
ナポレオンやヒトラーや坂本龍馬が同世代の人間に多大なる影響を与えた突出した人物だったことはまちがいない。
でも、彼らが1世紀早く生まれていたら。あるいは別の国に生まれていたら。それでも同じような活躍をしたとはとうてい思えない。
逆に、べつの誰かがナポレオン的な活躍をして、フランスは似たような道をたどっただろう。

歴史上の偉人と言われる人が才覚のある人たちだったのはまちがいない。
でも彼らは自分の力で歴史を変えたというより、「歴史によってかつぎあげられた」人たちなのだとおもう。
『その時歴史に動かされた』だね。

であるならば、登場人物たちの逸話を重ねた歴史の本よりも、
「どのような地理、農工業、芸術、建築、宗教、言語、文字の変化が歴史に影響を与えたのか」
といった試みのほうが、歴史に対する誠実なアプローチなんじゃないだろうか。
おもしろみには欠けるけどね。

ジャレド・ダイアモンド 『銃・病原菌・鉄』(草思社)やジョージ・フリードマン『100年予測』(早川書房)などが話題になったことからもわかるように、今はそういう考え方のほうが主流なんだろうね。


さて、マクニールの『世界史』ですが、とりたてておもしろい本ではない。
先ほども書いたように歴史上の人物の逸話もなければ、うんちくやビジネスに通ずる教訓めいた話もない。
あるのは歴史に対する、俯瞰的かつなるべく中立的な視点のみ。
歴史に対して誠実で、ケレン味のない実直な本だからこそ、原著の刊行から50年近くたった今でも多くの人に読まれる本なんだろう。
(いやこれほんとすごいことだよ。歴史の世界って次々に新しい発見があるのに、わずかな改訂だけで50年も読まれつづけるなんて)



印象に残ったのは、フランス革命の意義について。
マクニールは、フランス革命の結果として成し遂げられたものをこう語っている。

 まず第一に革命家たちは、政府とは実際に人間が作ったものであって、多かれ少なかれ計画に従って変えたり操作したりできるものだということを、疑いの余地なく実証した。為政者の権力は国民の意志によるという理念のもとで、いくつもの政権が成功をおさめるにつれて、神の意志によって政府が作られ、神が特定の人間に他の人間を支配する権限を授けたとする従来の考えかたは、説得力を失った。社会改革をひとつの前進する過程としてとらえる見かたも、この自由主義的な政治的見解から発展したものであった。社会に苦しみや不正が存在するならば、段階をおって計画的にそれを是正するための行動をとることが可能だし、またそうすべきである――このことをますます多くの人が信じるようになった。このようにして、社会はきわめて弾力的なものとしてみなされるようになった。正当さの基準や、必要とされるものの基準が変化するにつれて、社会そのものもまた少しずつ変えていくべきだとされた。
 こうした考えはいずれも、それまでの見解とはまるで異なっていた。一七八九年以前には、大部分の人々は自分たちが不動の社会構造の内部で生きていると考え、それを疑いもしなかった。社会の制度はすべて神の意志によって定められ、それゆえ決して変えることができず、変えるべきでもないと思っていたのである。けれども新しい自由な精神が広がっていくにつれて、急速に産業化した社会が生み出すさまざまな必要に対しても、以前よりすみやかに効果的な対応がなされるようになり、同時にそれに対する抵抗も少なくなった。

これはかなり衝撃的な文章だった。

今の日本(だけでなくほとんどの国)において、
「自分たちが不動の社会構造の内部で生きている」なんて考えている人は誰もいないよね。
現在の社会システムは段階的なもので、これまでもこれから先も絶えず変動を繰り返すものだ、と思っている。
そのために立法府があって選挙があるわけだし、テクノロジーの進歩が社会を変えることもぼくたちは知っている。


でも、それってあたりまえの考え方じゃない。
むしろ変動を前提とした社会に生きている時代のほうが、人類の歴史のうちごくわずかだけだった......。

フランス革命って、こんなに大きな意義を持つ出来事だったんだね。
一応、世界史の授業でフランス革命は教わったけど、その意義なんてさっぱりわかっていいなかった。
これはまさに「革命」だわ......。

一度も読んだことのない『ベルサイユのばら』、読んでみようかな......。


その他の読書感想文はこちら


0 件のコメント:

コメントを投稿