【読書感想文】共同通信社会部 編『30代記者たちが出会った戦争』

共同通信社会部 編『30代記者たちが出会った戦争』

内容(「BOOK」データベースより)
戦後70年を機に先の戦争を振り返り、ガダルカナル、インパールなどで過酷な戦闘に加わった日本兵の証言を30代の若手記者8人が取材。兵士らがどんな状況におかれ、何をし、どのようにして生き延びてきたのか。現地の様子や記者自身の思いも織り込み、戦地の実相を明らかにする。忘れてはならない記憶として心に深く刻まれる。

知人が執筆に携わった、ということで購入。
そうじゃなかったらまず手に取らない系統の本だ。『岩波ジュニア新書』という時点でもうかなり説教くさそうだし。

でも読んでみたらいい本だった。
「今、出版された」ということに意義のある本


「戦争で悲惨な思いをした」という話は他にも読んだことがあるけれど、この本で紹介されているのはそれだけではない。
「加害者としての体験談」も多い。
「飛行機で爆弾を落として民間人を殺しまくった日本人」
「中国の農村で子どもやその母親を殺した日本人」
「従軍慰安婦を金で買っていた日本人」
こういう体験談は、他ではなかなか読めない。

戦争経験者の生の話を聞けるのは、今が最後だろう。
終戦時に20歳だった人が、今では90歳以上。
あと20年たったら存命の人はほとんどいなくなるし、逆に20年前だったら「自分が民間人を殺した話」を語ってくれたかどうか。
90歳になったからこそ言える話なのかもしれない。
(そうはいってもかなり逡巡したことだろう。聞き出せたのは記者の腕か)


これはほんとに貴重な証言。
今でも「日本軍による虐殺はなかった」という人がいる。
そういう人は、こうした証言をどう受け止めるんだろう。
実際に戦地に行った日本人が「自分が民間人を虐殺した」と証言しているのに。しかも実名を出して。この人たちには、そんな嘘をつくメリットがない。
それでも虐殺否定派の人は、「虐殺はなかった」と主張するんだろうか。気になるところだ。


ところでぼくは、百田尚樹『永遠の0』を読んだときにものすごく違和感を覚えた。
それは「軍上層部の誤った判断のせいで多くの若者が命を落とした。このようなことが二度とあってはならない」という主張に、加害者意識の著しい欠如を感じたから。

じゃあ軍上層部が羽生善治並みに次から次へと妙手をくりだして終始有利に戦争を進めたら、それは「あってはならないこと」じゃなくなるのか?

ドイツ人が
「ナチスドイツがソ連やイギリスに無理して攻めこんだせいで形勢がひっくりかえって多くのドイツ軍人が命を落とした。あの直前でやめておくべきだった。あのような失敗を二度としてはいけない」
って主張したら
「いやターニングポイントはそこじゃないんじゃないの?」
って首をかしげてしまうだろう。
まさにそんな感じ。


日本は被害者だったけど、それ以上に加害者だったという意識はきちんと持っておきたい。
虐殺もあった。爆撃もした。慰安婦もいた。認める。
だって加害者本人が認めてるんだもの。

でも、戦後生まれの我々が責任を負う必要はない。
それでいいんじゃないの。


この本が「今、出版された」ことに意義があると思う理由のもうひとつが、安保法案が成立したこと。

ぼくは例の法案に反対の立場だけど、
「身に危険が及びそうになったときに戦える体制をつくっておかなければ!」
という人の意見もわかる。

でもさあ。
それを言う人の立場がダサいんだよね。

現役自衛隊員が言うならわかる。
「国や家族を守るために戦える法制度を作っておこう!」って。
その言葉は真摯に受け止めなければならないと思う。
なぜなら自分の言葉に責任を負っているから。

でも、安保法案賛成派って
「他の国から攻めこまれたら、自分以外の誰かが銃を取って戦うべきだ!」
っていう人が大半じゃない。
それ、すっごくダサくないですか?

ぼくは「怖いから戦いたくない。たとえ日本人の半分が殺されたって、自分や愛する人たちが無事なら戦わない。だってケガとかPTSDとか嫌だもん!」という立場なので、それもめちゃめちゃかっこ悪いけど、でも「おい、おれ以外の誰かが行けよ~!」の人たちよりはずっとマシだと思ってるよ。



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