2017年2月27日月曜日

【読書感想エッセイ】 サラ クーパー 『会議でスマートに見せる100の方法』

サラ クーパー 『会議でスマートに見せる100の方法』

内容(「BOOK」データベースより)
会議に悩むビジネスパーソン必携!会議でスマートに見えること。それがトッププレイヤーになる一番の近道だ。でも、会議中は眠くなったり、つぎの休暇やランチのことで頭がいっぱいになったりしてスマートに見せるのが難しくなるときもある。そんなときこそ本書の出番だ。著者がYahoo!とGoogleで働きながら、会議に集中するふりをして書きとめた裏ワザの数々を大公開。これを実践すれば、すぐにデキる人の仲間入り!(会議の暇つぶしにもなるはず。)全世界500万ビューのビジネスあるあるブログが、ついに書籍化。
「世界で最も重要なビジネスウェブサイトだ」と自分で言っちゃうブログを書いているサラ・クーパーさん(ウソかマコトかGoogleとYahoo!で働いていたとか)が提唱する「会議で(表面上だけ)スマートに見せる方法」。


ぼくは会議がだいっきらいで、無駄な会議の多さに辟易して転職したぐらいの人間なので「どうして日本人はこんなに意味のない会議が好きなんだ」と思っていたのですが、この手のジョークがいろんな国でウケているということは、会議が無意味なのは万国共通なんですね。

労働時間のじつに75%が会議に費やされるそうだ。しかし、それらの会議のうち3分の1以上は次の会議の計画に使われる。そして全体の6分の1がボンヤリしていたせいで、いま言われたことを聞き返すために使われ、さらに6分の3は、本来はメールで済ませるべきだったことに使われる。会議ではだれもがウワの空だ。だから、先を越すためには、だれよりもうまくウワの空になることが必要だ。会議はじつは、リーダーの素質、社交能力、そして分析的でクリエイティブな思考能力をアピールする絶好のチャンスなのだ。
スマートに見えれば見えるほど、たくさんの会議に呼ばれるようになり、スマートに見せる機会が増え、そして瞬く間に、革張りの重役椅子でくるくる回りながら天井を見上げ口笛を吹いているだろう。CEOがいつもやっているみたいに。

これはジョークなんでしょうが、一抹の真実も含まれています。

会議を無意味と思っている人は多いのに、そしてメールやチャットやクラウドなど会議をしなくても情報を共有できるテクノロジーがこれだけあるのに、それでも会議はなくなりません。
なぜなら、信じられないことですが、世の中には「会議が大好きなやつ」がいるからです。

何かあるたびに「これについては会議を開いて話し合おう」「ちょっとみんなにも話を聞いてみよう」と言いだすやつ。で、終わったら「これを毎週やろう」というろくでもない提案をするやつ。

そういうやつにかぎって会議の場でなんら生産的な提案をせず、要するに自分が何もわからなくて、何もわかってないことすらわかってないから、会議をしたらなんとかなるんじゃねえのって思ってるわけです。
「なんかおもしろい話して」って言う女が総じてつまんないのと同じく、会議を開きたがるやつが他人にとって有意義な話をしてくれることは決してありません。


ぼくが会議を嫌いな288の理由

  1.  3人以上で話すとぜったいに話を聞かない時間がある。その時間は他の仕事をしたほうがいい。この無駄な時間は参加メンバーが増えれば増えるほど等比級数的に増えてゆく。
  2.  頭が悪いやつほど要点をまとめるのもへただから、ぐだぐだと長くしゃべる上に何が言いたいのかわからなくて聞き返される。結果、非生産的な彼らの話が会議の大部分を占めることになる。
  3.  その場の大多数を納得させようとすると、どうしても反論のしようのない(=内容のない)提案が説得力を持つことになる。具体的な「明日から19時には強制的にオフィスの電源を落としましょう」は反対されるけど「効率よく仕事をするよう努力しましょう」に反対する人はいないでしょ。結果、内容のない提言ばかりがされることになる。
  4.  そもそも、発案者が資料を作って「〇〇と考えるのですがみなさんのご意見をお聞かせください」ってメールかチャットを送れば済む話が大半。その労力を惜しんで他人の時間を割こうとする(会議をするというのはそういう話)ような人間と、まともなビジネスの話ができるとは思えない。



あんまり書きすぎると誰も読んでくれないのでこのぐらいにしておく(主張と会議は短いほうがいい)けど、ぼくが会議を憎んでいるのには他にも350個の理由がある(さっきより増えてる!)。


まあぼくは会議をサボることのできる立場にいた(というか見放されていた)のでしょっちゅう適当な用事を作ってすっぽかしてましたけど、「日本の会社ってなんでこんなに無駄な会議が多いんだろう」って思ってました。

でも『会議でスマートに見せる100の方法』を読んで、ああ会議に辟易しているのは日本人だけじゃなかったのか。会議の時間が不毛なのは万国共通だったのか、とちょっと安心しました。
むしろ人と人とのコミュニケーションを重要視する欧米のほうがその傾向が強いのかもしれませんね。

この本では、役に立つようで立たない、会議での立ち居振る舞いが指南されています。

 『上司でもないのに場の空気を支配する方法』
 『電話越しにスマートに見せる方法』
 『たいしたことを言っていないのに、聴衆を魅了する方法』
 『描くだけでスマートに見える21個の無意味な図形』

もちろんジョークなんですけど、これをナチュラルになっているやつがけっこういるからなあ……。

以下、いくつかを紹介。

No.17 反論しようのないあたりまえのことを言う

あなたのすべての発言に相手を同意させるのは、スマートに見せるのに効果的だ。そのために一番よい方法は、相手が反論できないことを言うことだ。たとえば、次のように言えばいい。
・現実に向き合わなくては
・この件については、うまく対処しなければ
・優先事項に集中しなければ
・正しい選択肢を選ぶべきだ
・事実と意見だけに向き合おう

ぼくが前いた会社でも、毎日朝礼をやっていて、こういう濃度0.01%の話をずっと聞かされていました。
「最大限努力するようにしましょう」「目の前の重要な業務に注力するように」みたいなことを。


No.38 リソースが限られていることをみんなに思い出させる

リソースが限られていることは、すでにみんな知っている。それなのに、あなたがそれを持ち出すと、なぜか絶対にスマートに見える。

会議でよく話されるテーマが「効率化」ですよね。
その会議がいちばん効率化じゃないのに。
ぼくが前いた会社で(わあ愚痴ばっかりだ)、終業時間の2時間後に「残業をなくすにはどうしたらいいか」っていう会議をやっていたときはコントかと思いました。


No.57 「いい質問だ」と言って質問に答えない

質問者をほめると、答えないで済む方法を思いつくまで時間を引き延ばせるだけでなく、寛大なプレゼンターに見せることができる。その質問がどんなに素晴らしいかをたっぷり伝えたら、その後の「そのまま聞いていたらわかります」や「終わりに言います」、「あとで直接答えます」などはだれも聞いてないだろう。

ああこれはいいテクニックだなあ。
プレゼンをしていると、まともに答えるのがアホらしい質問がけっこう飛んでくるんですよね。
でもアホな質問をしているやつほど「おれ今いい質問してます!」って顔してるから、うっせえアホとも言いづらい(どんな顔してても言っちゃダメ!)。
そんなときはこうやってかわすのがいいですね。勉強になるなあ。


No.96 次の四半期で一番楽しみなのはなにかと聞かれたら「イノベーション」と答える

一番楽しみなことについての話題が持ち上がったら(絶対に持ち上がる)、イノベーションについて語る。イノベーションに向けた努力や、イノベーションの機会についてなにかコメントする。

目的と手段が入れ替わっている人ってけっこういますよね。
ほら、政治の世界にもいっぱいいるじゃないですか。やたら『改革』とか『刷新』とか言う人。
それはあくまで手段でしかないのに、改革が目的になってるやつ。
「決められない政治より、決められる政治を」というのはヒットラーの言葉ですが、何かを変えると「やった気」になるんですよね。
シリコンバレーでは「やった気になれる魔法の言葉」が "イノベーション" なんですね。
同様に、「コミュニケーションが大事」ってな言説も、目的と手段をまちがっている例ですよね。大学サークルかっ!



会議にうんざりしている人は楽しめる本だと思います。
ほんとに読んでほしいのは会議を愛している人だけど!
そしてぼくの願いは、ほんのちょっとでいいから世の中から会議が少なくなること。今ある会議のたった97%をなくすだけでいいから!



 その他の読書感想文はこちら



2017年2月26日日曜日

【読書感想エッセイ】 木村 元彦 『オシムの言葉』

木村 元彦 『オシムの言葉』

内容(「BOOK」データベースより)
「リスクを冒して攻める。その方がいい人生だと思いませんか?」「君たちはプロだ。休むのは引退してからで十分だ」サッカー界のみならず、日本全土に影響を及ぼした言葉の数々。弱小チームを再生し、日本代表を率いた名将が、秀抜な語録と激動の半生から日本人に伝えるメッセージ。文庫化に際し、新たに書き下ろした追章を収録。ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞作。
ぼくはサッカーファンではありません。
正月のひまなときに、高校サッカーをテレビでやっていたら観る、という程度。
Jリーグも日本代表戦もまったく観ない。ダイジェストで得点シーンだけを観るのは好き、という程度で、サッカーファン偏差値は40ぐらいでしょうか。

2014年のワールドカップも、毎日のダイジェスト番組を観ていた程度でしたが、今でも強く印象に残っているチームがあります。
それは優勝したドイツ代表でもなく、日本代表でもなく、ボスニア・ヘルツェゴビナ代表です。

ボスニア・ヘルツェゴビナと聞いて、正確な場所がわかる日本人がどれほどいるでしょうか。「いっときニュースでよく聞いたような。紛争があったんだっけ」ぐらいの認識でしょう。ぼくもそうでした。
「ボスニア・ヘルツェゴビナが初出場? ふーん、小さそうな国だもんね」ぐらいにしか思っていませんでした。
でも、たまたまNHKスペシャルで『民族共存へのキックオフ〜“オシムの国”のW杯』という番組を観て、一気に引き込まれました。
(番組の内容については こちら に詳しい説明があります)


ボスニア・ヘルツェゴビナは、かつてはユーゴスラビアという国の中にありました(ぼくはユーゴスラビアという国がなくなったこともこのときはじめて知りました)。
ユーゴスラビアは『七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家』と呼ばれ、いくつもの民族がせめぎあって暮らしていました。
ですが多くの多民族国家がそうであるように、次第に民族間の争いが深まり、1980年代後半からは殺し合いもはじまるようになったのです。

そんな国家分裂寸前の1990年、サッカーのユーゴスラビア代表を率いて監督としてワールドカップに出場したのがイビチャ・オシムでした。
オシムは、ユーゴスラビア史上最高と呼ばれたメンバーを率いて予選リーグ、決勝トーナメント1回戦と勝ち進み、準々決勝で前回大会で優勝している強豪・アルゼンチンと対戦します。
以下は『オシムの言葉』より引用。

 ユーゴはひとり少ないこのフォーメーションで残りの88分を見事に戦い抜く。古都フィレンツェでの死闘は延長でも決着がつかず、PK戦に持ち込まれた。
 ここで選手たちはオシムに直訴する。
 ディフェンディング・チャンピオンを相手に押しまくった猛者たちは、国際映像でその勇猛果敢な姿を世界に晒しながら、PK戦を眼前に控えると怯えだした。
――監督、どうか、自分に蹴らせないで欲しい。
 オシムの下で9人中7人がそう告げて来たのだ。彼らはもうひとつの敵と戦わなくてはいけなかった。
「疲労だけではない。問題は当時の状況だ。ほとんど戦争前のあのような状況においては、誰もが蹴りたがらないのは当然のことだ。プロパガンダをしたくて仕方のないメディアに、誰が蹴って、誰が外したかが問題にされるからだ。そしてそれが争いの要因とされる。そういう意味では選手たちの振る舞いは正しかったとも言える。PK戦になった瞬間にふたりを除いて皆、スパイクを脱いでいた。あのピクシーも蹴りたくなかったのだ」
 祖国崩壊が始まる直前のW杯でのPK戦。これほど、衆目を集める瞬間があろうか。選手は国内の民族代表としての責務を背負い、スポットにボールをセットしなくてはならない。オシムはその重圧が痛いほど分かった。

PK選で、代表選手がそろって「蹴りたくない」と言う。ふつうならありえない状況です。
でも、そんな異常事態が起こっていたのが当時のユーゴスラビア代表だったのです。

ユーゴスラビアの選手たちも、自分が責められるだけなら蹴れたかもしれません。でも、失敗すれば家族や友人、同胞の命に身の危険が及ぶかもしれない。そんな状況ではほとんどの選手が「蹴らせてください」とは言えなかった。
こんなたいへんな状態のチームを率いていたのが、イビチャ・オシム監督だったのです。


互いに殺し合いをしている民族を集めて代表チームをつくる。
その苦労は想像を絶するものだったでしょう。

「代表に来る方法もいる場所すらもないだろう。彼らは真剣に心配していた。『(代表に)行けば、(味方から)自分の村に爆弾が落とされる』。そんな状態の時に『来い!』と言えるはずがない。選手たちを道も穏やかに歩けないような状態に追い込むことはできない」
 オシムは苦笑とも嘲笑とも取れる表情を浮かべて声を出す。
「そこまでして、代表のために人を呼べるほど私は教育のある人間ではない」

こんな状態で、オシム自身、あちこちから圧力をかけられます。自分の民族の代表を優遇すれば他の民族から脅され、かといって自分の民族を優遇しなければ裏切り者となじられる。
それでもオシムは、「チームにとって必要であればどんな民族の選手であろうと使う。それが必要であれば敵民族の選手で11人そろえる」と公言し、非常事態の代表チームをまとめあげたのです。
各方面から妨害が入り、思うようにチーム作りができない。それでもぜったいに勝たなくてはならない。負ければ「あの民族の選手を使うからだ」という声が上がり、紛争の火種になるから。
こんな状況でベストを尽くしていたのですから、すごい監督ですね。それにひきかえ小久保監督は……(やめとこ)。


しかし、ほどなくしてユーゴスラビアは崩壊。
スロベニア、クロアチア、セルビア、モンテネグロ、マケドニア、そしてボスニア・ヘルツェゴビナという国家に分裂します(コソボも正式国家ではないけど独立を宣言している)。
その中のひとつ、オシムの故郷であるボスニア・ヘルツェゴビナのワールドカップ初出場をとりあげたのが前述の『民族共存へのキックオフ〜“オシムの国”のW杯』だったのです。
(ちなみにボスニア・ヘルツェゴビナの初戦の相手は、奇しくもユーゴスラビアの最後の対戦相手となったアルゼンチンでした)


ぼくはその番組を観るまで、オシムという人のことをほとんど知りませんでした。
日本代表監督をしていたことだけは知っていましたが、それ以上の情報はまったくありませんでした。
でも番組の中で、決して流暢ではないけれど、重みのある言葉でサッカーそして国家のことを語るオシム氏の姿を観て、興味を惹かれたのです。


有名なスポーツ選手で、しゃべるのが上手なひとは多くありません。
どうしてもスポーツにばかり打ち込む人生を送ってきたから、その競技のことをあまり詳しくない人にも理論を伝えることは難しい。
ぼくが知っているかぎりでは、それができる人って江川卓さんとか桑田真澄さんとか、ほんとにごく一部だけです。

でもオシム氏は、サッカーのことを、サッカーを取り巻く環境のことを、雄弁に、そしてわかりやすく語ります。
崩壊していく国家で代表監督をしていた。若いころは数学教師になろうとしていた。そうした経験が、理論的でときに大胆でときにユーモラスな言葉を言わせているのでしょう。

「私は別にテレビやファン向けに言葉を発しているわけではない。私から言葉が自然に出てくるだけだ。しかし、実は発言に気をつけていることがある。今の世の中、真実そのものを言うことは往々にして危険だ。サッカーも政治も日常生活も、世の真実には辛いことが多すぎる。だから真実に近いこと、大体真実であろうと思われることを言うようにしているのだ」
――あの会見の言葉も?
 じっとこちらを見つめて口を開いた。ミステリアスな監督が、ようやく漏らした本音だった。「言葉は極めて重要だ。そして銃器のように危険でもある。私は記者を観察している。このメディアは正しい質問をしているのか。ジェフを応援しているのか。そうでないのか。新聞記者は戦争を始めることができる。意図を持てば世の中を危険な方向に導けるのだから。ユーゴの戦争だってそこから始まった部分がある」

ちょっとした発言が、文字通り命運を分けかねない立場にいたからこその思慮深い言葉。
おっさんになってきて、年々「思いついたことを口にしてしまう」病が進行しているぼくとしては、大いに見習わなくてはいけません。

しかしオシム氏の言葉は、サッカー以外でも使えるような含蓄に富んだ言葉が多いですね。
特に組織についての言葉は考えさせられました。

「システムは関係ない。そもそもシステムというのは弱いチームが強いチームに勝つために作られる。引いてガチガチに守って、ほとんどハーフウェイラインを越えない。で、たまに偶然1点入って勝ったら、これは素晴らしいシステムだと。そんなサッカーは面白くない。
 例えば国家のシステム、ルール、制度にしても同じだ。これしちゃダメだ、あれしちゃダメだと人をがんじがらめに縛るだけだろう。システムは、もっとできるはずの選手から自由を奪う。システムが選手を作るんじゃなくて、選手がシステムを作っていくべきだと考えている。チームでこのシステムをしたいと考えて当てはめる。でもできる選手がいない。じゃあ、外から買ってくるというのは本末転倒だ。チームが一番効率よく力が発揮できるシステムを、選手が探していくべきだ」

「日本のサッカーはこれまで、非常に大きなステップを踏んで進化してきました。この十年、高度経済成長期と同じような、まさに『高度サッカー成長』とでもいえるような勢いで進んできたように見えます。
 しかし、その三段跳びのような大股のステップは、本来刻むべきだった細かなステップを踏まなかった、ということを示してもいます。本来、人は走りはじめる時、スタートダッシュの時には小刻みなステップから加速していくものです。この十年ほど、日本のサッカーは、その小刻みなステップを行なわずに進んでしまった、と思うのです。

システムにこだわる人は多いです。
ビジネスの場では「〇〇社は成果主義を導入して業績を伸ばした」と言い、教育の場では「フィンランドではこんな教育法を取り入れています」と言う。

でも、システムはある日突然導入されたわけではなく、それができた背景があるはず。
試行錯誤の結果、その組織のいろんな事情を鑑みて、たどりついたものです。
はじめからめざしてその地点にたどりついたものではなく、いわば妥協の産物として得られたもの。
その奇跡的なバランスの完成品を持ってきて首だけすげかえるようなことをしたって、うまくいかない場合がほとんどです。

日本は平和憲法を持ち、(少なくとも形式的には)軍隊を持たずに戦後70年をそれなりに平和にやってきました。
でもそれは日本が島国であり、冷戦下でアメリカが中国やソ連を牽制するうえで重要な地理的位置にあったからであり、たとえばイスラエルみたいな敵国に囲まれた国家がそんな戦略をとってたらとっくに消滅していたことでしょう。
だから他国に勧めるべきじゃない。
トヨタのやりかたはトヨタだからできることであって、社員10人の中小企業に取り入れてもたぶんうまくいかない。

たぶんだれよりも多くシステムについて考え、だれよりも多くのシステムをつくってきたオシム氏が語るシステム論ですから、共感できることも多い。
かといって、それはやっぱりオシム氏の考えであって、その完成品の考えだけそのまんま自分の状況に持ってきてもうまくはいかないんでしょうね……。



 その他の読書感想文はこちら



2017年2月25日土曜日

【芸能鑑賞】 バカリズムライブ『類』

バカリズムライブ『類』

内容紹介(Amazonより)
バカリズムの最新オリジナル・コント・ライブ!! 2016年6月23日~26日に草月ホール(東京)で開催されたバカリズムライブ「類」の模様を収録! 主演「升野英知」/作・演出「升野英知」/作詞「升野英知」と、すべて自身で手がけているライブ作品。


・オープニング

このライブについて、ひたすら自画自賛するバカリズム。
ポスターや音楽やライブタイトルを絶賛し、センスがいいだの、知性を感じるだの、あげくにはサブカル心をくすぐるだの、一歩まちがえたら自分のライブを観にきた観客をばかにしているとも取られかねない(じっさいばかにしているのかもしれない)言葉を並べ立てる。
事実、ポスターも音楽もオシャレだし、このオープニングを1本のコントとしてカウントしてもいいぐらい十分におもしろい。
メタ的な笑いをちりばめながらもライブ本編への期待がいやが上にも高まる、小憎らしいオープニング。


・友情の類

自称「リア充」の男が、「非リア充」の友人に対して、リア充を隠していたことを謝罪をするという独白コント。
論旨は何もまちがってなくて男は本心から謝罪をしているわけだから、本来なら笑うようなことはないのに、でもずっとおかしい。
「当人はいたってまじめなのに傍から見ているとおかしい」というコントらしいコント。
ボケらしいボケはオチのみなんだけど、だからこそその破壊力は強烈。
即時性のあるコントだから5年後に観てももうおもしろくないんじゃないでしょうか。


・(幕間映像)教師の類


・手品の類

ハイパー中本というマジシャンによる「言葉だけで表現する手品」。
ぼくも昔、同じようなことをしていたのを思いだしました。
学生時代、友人と一緒に「ラジオ番組を作ろう」っていって、音声コントをカセットテープやMDに吹き込んでいたんですね(時代だなあ)。
その中で、「ラジオだから音声しか聞こえないのにマジックショーをやる」という設定のコントがありました。
だから発想自体はさほどめずらしいものじゃないんですよね。「ラジオなのに匂いを伝えようとする」「電話なのにおもしろい顔をする」とかって。

でも、「過去の栄光として語る」という切り口を加えることによって、たしかめようのない過去の自慢をするやつへの風刺にもなっているというのがいいですね。
おっさんの「昔はワルかった」自慢みたいなね。どうせ誇張してるんだろうけど確かめようもないしそもそもおまえに興味ないから確かめようとも思わねえよハイハイすごかったんですね、みたいなやつね。


・(幕間映像)類物語


・上司の類

会社員の男が、「自分がいかに会社を辞めたいか」を表やグラフを駆使してプレゼンするという内容。
「なんとかして自分の気持ちを伝えよう」と思っているという意味ではたしかにパワーポイントは適切なツールだし、こないだ会社を辞めた身としては思いの丈をぜんぶぶちまけてやりたいという気持ちもわかる(ぼくは言わなかったけど)。
「しょうもないことでもパワポでバーンと見せればおもしろい」ってのは、バカリズムやスーパー・ササダンゴ・マシンがよく使う手法だけど、ちょっとずるい笑いの取り方だよなあ。でも笑っちゃうんだよなあ。


・正義の類

罵倒することによって相手に精神的ダメージを与えるヒーロー・ノノシリンダー。
「手下の前で無理していきがってんじゃねえよカス、卓球部の2年か」
みたいな言葉を延々並びたてる一人コントなんだけど、ちゃんと半泣きになっている敵が見える。
あのオチも鮮やかだね。いっそはじめからそうしてやれよ、って。


・(幕間映像)ボールは誰の何の類


・背徳の類

いろんなものをずらして楽しむ「ずらし屋」を名乗る男の独白。
途中から恋愛話になってきて、いったいどう着地するのかと思っていたらなるほどこういうことねというオチ。
単独ライブならでは、という感じのゆるめのネタ。
既婚者としてはちょっとドキドキしました。


・(幕間映像)類物語


・反逆の類

叛逆精神の表出であるロックにあこがれた男による独白と歌。
一人『マジ歌選手権』というようなネタで、でも狙いがベタベタになっちゃった近年の『マジ歌』よりもずっとおもしろい。
いい歌だし。
『ガラスの翼は壊れたマリオネットのように傷だらけさ』『I think』『JOY』の3曲を披露。『I think』『JOY』は曲の最後でタイトルの意味がわかるという構成で、歌の中でもきっちりオチをつけるという完成度の高い曲。
今回いちばん笑ったコントでした。


・(幕間映像)思い出の類


・40LOVE~幸福の類~

40歳独身男が、生身の女性との結婚をあきらめ、精神的な結婚生活を想像する ”マリッジベーション” にふける。
「妄想彼女」という題材は新奇なものではないよね(『東京大学物語』という妄想の頂を極めてしまった漫画作品があるし)。でも先の展開のばかばかしさはすばらしい。これはライブで観たら、引き込まれる分、めちゃくちゃ笑うだろうなあ。
終盤はラーメンズの『映画好きの二人』(公式動画)のような展開。



知性3割、バカ7割ぐらいのちょうどいい配分の作品集、という印象でした。

コントというのは知的なだけでは笑えません。
知的なだけでは感心はしても笑えないし、バカなだけだと後に何も残らない。
知性とバカの両方があってこそ印象に残る名作コントとなるのだとぼくは思います。

だからいいコント師と呼ばれるような人は、漫才のボケ/ツッコミほどではないにせよ、「知性」と「バカ」の役割が決まっていることが多い。
(コントによって役割が変わることがあるにせよ)ラーメンズなら知性の小林とバカの片桐、バナナマンなら設楽の綿密な構成からはみだすほどに暴れる日村、というように。

ところが一人コントをしようとすると、「知性」「バカ」の両方の役割を一人で担わないといけません。
これはたいへん難しいことです。さっきまで賢いことを言ってたやつが急にバカなことを口にしても説得力に欠けますから。

でもバカリズムはこれを一人でやっている。
これをやるには何より表現力が必要なわけで、バカリズムというのはその奇抜な発想がづどうしても語られるけれど、ぼくはそれより「表現力のすごい人」という印象を持っています。
ちょっと怒ったり、照れたり、相手をこばかにしたり、悪意を持って毒づいたり、あわてたり、とにかく表情が目まぐるしく変わる。
「演者」としての能力も高い人だと、コントを観るたびに思います。

「知性」が強く出た『バカリズム案』シリーズもいいのですが、「バカ」と「表現」が存分に発揮されるコントのほうが、やっぱりいいですねえ。


2017年2月23日木曜日

格安スマホに切り替えたからD社の悪口を書く

15年契約していた携帯会社のD社を解約して、MVNO(いわゆる格安スマホ)に乗り換えた。

さほどD社に不満があったわけではない。
(だってテレビCMがいちばんマシだもん。S社とA社は不快になるぐらいスベってるから。あれをおもしろいと思って作ってるやつの情報源コロコロコミックしかないのかな)
ただ安いから乗り換えたってだけ。

高い値をつけるのもひとつの営業戦略だから、それに対してどうこう言う気はない。

でも解約するにあたってナンバーポータビリティの手続きをして、いっぺんにD社を嫌いになった。


携帯会社のD社を大嫌いになった7つの理由
1.ホームページには「手続きはお近くのdショップでおこなってください」としか書いてない(じっさいはオンラインでも手続き可能なのに隠している)。

2.オンラインの手続きはPCからしかできない。
 スマホの手続きがスマホからできない!

3.手続きの方法が死ぬほどわかりにくい。
 ぼくはWeb業界の仕事をしているので人よりはるかに多くのホームページを見ているが、それでも迷いまくった。手続き方法を見つけられない人がほとんどだと思う。
「目次がない」「解約ページへのリンクがなくURLが書いてあるだけ」など、意図的に解約ページにたどりつけないようにしているとしか思えない作り。

4.オンラインの手続きなのに、9時から17時まで、とか時間が決まってる。
 Web上で申し込むだけなのだからぜったい24時間対応できるはずなのに(深夜に2時間だけシステムメンテナンスをするとかならわかる)。

5.手続きがめちゃくちゃ煩雑。本人確認→確認→完了 の3ステップでいいはずなのに、10ステップぐらいある。

6.決まった月に解約しないと1万円近い「解約手数料」をとられる(この解約手数料は裁判にもなっているぐらいグレーに近い)。

7.ナンバーポータビリティの申し込みをすると、その瞬間からLTE通信が使えなくなる。ナンバーポータビリティを申し込んだということは、いってみれば解約の予約をしただけ。まだ契約期間中なのにもう使えなくなる。

一度出ていった人が戻ってくることはないという前提で、全面的に「退会を邪魔してやろう」作戦に出ているわけですね。
7 なんかもう違法なんじゃねえのかとも思うんですが。裁判する気ないので泣き寝入りしますけど。


なんつうかね。
どっちに向かって努力しとんねんって感じですよね。

格安スマホ業者がどんどん参入してきて、顧客の流出が止まらない。値段では勝負できない。品質はどこ使っても一緒。
圧倒的不利な状況ですよね。

だったら、高齢者にターゲットを絞ってもっとサポートを手厚くするとか、利用料で儲けるのはやめて付随サービスで稼ぐシステムをつくるとか、今まで培ったいろんなノウハウを利用してまったくの新規事業に挑戦するとか、そういう方法しかないわけでしょ。
そんなことしたって焼け石に水かもしれないけど、たぶん死期を早めるだけになるだけなんだけど、でもそれしかないんですよ。

でもD社はそういう努力じゃなくて、「なんとかして既存顧客から搾り取ろう」ってがんばってるわけですよ。
「やめられないように魅力的なサービスを提供しよう」じゃなくて、「やめられる前に1円でも多くかすめとってやろう」ってがんばってる。



ぼくは他人にあんまり興味がないから、他人がどれだけ無駄な金を使おうが知ったこっちゃないって思ってる。
でも「ああそうか。D社って15年利用してくれた客に後足で砂かける会社なんだ」って思ったから、今後は積極的に人に「D社やめて他に乗り換えたほうがいいよ」って勧めていこうと思ってる。
「ナンバーポータビリティの申し込み方法難しいから教えてあげるよ」って言ってあげようと思ってる。

大手3社をやめて格安スマホに切り替えた人が、みんな口をそろえて
「乗り換えたほうがいいよ。お金もったいないよ」
って言うのを聞いて、みんな親切でおせっかいだなあと思ってた。

だけどそうか。ぼくみたいに乗り換えるときに前の会社から嫌な思いをさせられたから、恨みを晴らすために言ってるのか!



2017年2月22日水曜日

【読書感想エッセイ】 井上ひさし 『本の運命』

井上ひさし 『本の運命』

内容(「BOOK」データベースより)
本を愛する人へ。本のお蔭で戦争を生き延び、闇屋となって神田に通い、図書館の本を全部読む誓いをたて、(寮の本を失敬したことも、本のために家が壊れたこともあったけれど)本と共に生きてきた井上ひさしさんの半生と、十三万冊の蔵書が繰り広げる壮大な物語。

2010年になくなった井上ひさしさんといえば、小説家、戯曲作家、『ひょっこりひょうたん島』を手がけた放送作家など幅広く活躍されましたが、また本の界隈ではとんでもない読書家としても有名でした(遅筆家としても有名でしたが)。

ぼくは中学生のとき年間300冊ぐらい本を読んでいて、世間知らずだったので「こんなに本を読むやつは他にまずいないんじゃないか」と悦に入っていたのですが、その頃井上ひさしさんのエッセイを読んで、自分なんか読書家として「中の下」ぐらいだということを思い知らされました(読書量だけが大事なわけじゃないですけど)。
井上ひさしさんの「本を積みすぎて自宅の二階の床が抜けた」というエピソードにあきれながらもちょっとあこがれたりしました。

井上ひさしさんの本の読み方(というか買い方)って、もう常軌を逸しているんですよね。
『本の運命』にこんな話が出てきます。

 本というのは読まなくても別に死ぬわけじゃないですから、買わなきゃそれでも済んでしまう。出版社が寄贈してくださる本もかなりありますから、本代を節約しようと思えば可能なんですね。でも僕は、本代をケチるようになったら自分はお終いだと、それだけは言い聞かせています。
 一番買い込んだのは、朝日新聞で文芸時評をやってた頃でした。たまたまその頃、僕の『吉里吉里人』がびっくりするほど売れて、印税がどんどん入ってきたせいもあった。
 気が大きくなって、「よしっ、世の中に出てる本で、文芸時評の対象になりうるものは全部買ってみよう」と決意して、一年間続けました。出入りの本屋さんに、小説と評論と漫画をとにかく全部取ってくれと頼んで。これは月に四、五百万円かかりました。
 お陰で、印税は本代で消え、税金を払うために借金をして、払い終わるのに五年ぐらいかかったでしょうか。これがきっかけで、本がたくさん売れるのが怖くなった(笑)。
 さすがにこんな買い方は続きませんでしたが、いまでも本代が月に五十万円ぐらいになるでしょうか。ですからうちの、エンゲル係数じゃなくて、本にかかる係数はかなり高い(笑)。

とんでもない買い方ですよね。
調べたら『吉里吉里人』が刊行されたのは1981年。当時の大卒初任給は12~13万円だそうです(参考リンク:年次統計)。
2016年度の大卒初任給が20万円くらいだそうですから(参考リンク:厚生労働省 賃金構造基本統計調査結果)、物価は今の6割くらいですかね。
ってことは今の金銭価値だと月に1,000万円近くを本代にしていたということでしょうね。
作家ですから経費として認められるんでしょうが、それにしても多すぎる。ぼくが税務署員だったら「いくらなんでもこれは本代としてありえない」って朝イチで監査に入りますね。



ところで「最近、時間なくて本読んでないなー」って言う人いるじゃないですか。
あれぜったいウソなんですよね。そんなはずない。
「時間なくてゴルフ行ってない」ならわかるんですよ。何時間か要する遊びですから。でも本を読むのにまとまった時間なんていらない。1分の空き時間があれば読める。なんなら空き時間がなくても読める。ぼくは風呂に入りながら読むし、歯磨きをしながらも本を読んでいる。こないだスカイダイビングしたときも読書しながら落下してきましたし、っていうのと同じくらい「時間なくて本読んでない」はウソだと思うんですよ。

本をよく読む人ならわかると思うんですけど、むしろ忙しいときほど読書ははかどる。まとまった時間があったら出かけたり人と会ったりしますからね。
本を読むと心を落ち着かせることができますから、忙しいときのストレス解消にいいんですよね。本を読みながら激怒している人を見たことありますか。


ぼくがいちばん本を読んでいたのは中高生のとき。さっきも書いたように年間300冊くらい読んでいました。
部活で朝練に行って、学校で授業を受けて、また部活して、夜はテレビを観たり勉強したりして、休みの日には友人と遊びにいっていたのに、いったいいつ読んでいたのか今思うとふしぎ。でも本って知らない間に読んでいるもんなんですよね。

人生でいちばん本を読む量が減ったのは、本屋で働いていたときです。
激務でしたからね。おまけに郊外型書店だったので車通勤をせざるをえず、通勤途中にも読めない(信号待ちのときに少し読んでましたけどやっぱり集中できないんですよね)。
ある日急に「本屋がいちばん本を読めないってどういうことだよ!」ってめちゃくちゃ腹が立って、本屋を辞めました(それだけが理由じゃないですけど)。
忙しいときほど読めるっていいましたけど、さすがに1日15時間働いて、月に休みが3日だったら読めるわけない。

 本と野球と映画――、それが僕にとっては決定的でした。結局僕は、小さい頃の記憶にある本や文房具、レコード、映画、それから物置にあった野球の道具とか、そういうものをもう一度身のまわりに集めようと思って、後の半生を生きてきたような気がする。つまり、あの山形のちっちゃな店を自分のまわりにもう一度、建てようとしてる。そういう運命にあったんですね。

中崎タツヤさんという漫画家がいます。彼のエッセイ『もたない男』には、ひたすら物を持たない人間の生活が描かれています(なにしろ彼は、読みおわったページを捨てながら本を読んでいく)。
おもしろいエッセイなんですが、同時に異常性を感じてうすら寒さを感じました。あらゆる物を捨てずにはいられないというのはきっと何かの病なんでしょう。
そして、井上ひさしさんのエッセイにも似たものを感じました。
何にも持たないということと集めすぎるということは正反対ですが、じつは表裏一体で、モノに執着しすぎるという点で同じ病なのかもしれませんね。

井上ひさしさんは、幼いころは本や映画に囲まれて育ったのに、父親が死に、母親とも離れて児童養護施設で暮らすことになります。そういった生い立ちが、異常とも思えるほどの本の収集癖につながったのだと自分で分析しています。

そして収集癖が高じて、ついには故郷の町に大きな図書館を建てるということまでしてしまうのです。

図書館をつくるにあたって、海外の図書館を視察したことが書かれています。
以下は、シアトル市立図書館についての記述です。

 もっと感心するのは、本の並べ方です。書棚に背表紙を並べるのじゃなくて、横にして本の表側を見せて並べてある。特に子供の本は、表側に楽しい絵を描いたり、色がとても鮮やかだったり、凝って作ってあって子供が喜ぶようになっている。それがずらりと並ぶと、美術館に来たように華やかで、子供がすぐに近づいていきたいという気になる。しかも一冊取っても、下に十冊ぐらい同じ本が置いてある。それでも人気がある本は、そこだけグッと引っ込んでしまいますから、今度は後ろにバネの仕掛けが付いていて、取るたびに前に出てくる……。とにかく、子供のことを考えて、心にくいほどの配慮をしているんですね。

ぼくも娘が生まれてから本屋や図書館の児童書コーナーによく行くようになりました。
娘も本が好きなので、絵本を1冊持ってきて「次これ読んで!」と差しだすのですが、娘がとってくるのはきまって、棚に並べている本ではなく、平台に積んであったり展示台に置かれている絵本なんですね。
子どもは字が読めない(読めても早くは読めない)から、書棚にたくさん並んでいる本の背表紙だけを見て、おもしろそうな本を見つけることができない。
だから表紙が見える本しか目に入らないわけです。

これって考えてみたらあたりまえのことなんですけど、大人は意外と気づけないことかもしれません。ぼくも本屋のときは、背表紙を向けて書架に絵本を詰めこんでいました。


子どもと本を読んでいると、本ってただの情報源じゃなくて、アートであり、インテリアであり、おもちゃであり、アルバムなんだということを改めて気づかされます。子どもって、さわって、ひっぱって、投げて、ときにはなめて、本を楽しみますからね。
手ざわりやにおいや重さも、本を構成する大事な要素ですよね。

置き場所の事情もあって最近は電子書籍を買うことが多いですけど、やっぱり読みやすいのは紙の本です(引用は不便だけどね)。

許されるならばぼくも床が抜けるぐらいの紙の本を集めたい!



 その他の読書感想文はこちら



2017年2月20日月曜日

値打ちこく

ぼくの通っていた中学校にも、学校のマドンナと呼ばれるような女子生徒が2人いた。
YさんとMさんとしよう。

あどけなさを残したかわいさのYさんと、少し妖艶な色気を漂わせたMさん。
生徒数の少ない中学校だったので、ほとんどの男子はそのどちらかに恋心を抱いていて、「おまえ好きな子いる?」は「YさんとMさんのどっちが好き?」とほぼ同義だった。


卒業してからも同窓会やなんやかんやで、たまにYさんとMさんに会うことがあったけど、2人とも学生時代と変わらずきれいで、いかにもモテるんだろうなという雰囲気を身にまとっていた。

そんなYさんとMさん、30代なかばの今でも独身だ。
話を聞くかぎりではYさんもMさんも結婚願望がないわけではなく、「いい人がいなくて……」と言っていた。

もちろん、そんなわけはない。
学生時代からモテモテだったわけだから、言い寄ってくる男はいくらでもいただろうし、自分からアプローチすればなびく男はその数倍もいただろう。



よくある話だ(ドラマ化もされた漫画『東京タラレバ娘』も、まさにそんな話)。

この話を、会社の後輩(男)にした。
「美人だったから、もっといい相手がいると思ってえり好みをしているうちに、婚期を逃しちゃったんだろうねー」
と言うと、後輩が言った。

「そうなんですよ。そういう女って値打ちこいてるからだいたい結婚できないんですよ」


いい言葉だ、と思った。
彼がそういう女に対してどんな嫌な思いをさせられたのかはわからないけど、いい言葉だ。

「値打ちこく」ってのは関西弁だと思うが、この言葉の持つニュアンスを他の言葉で言い換えるのは難しい。

強いて言うなら「気取ってもったいをつける」みたいな感じだろうか。

「しょうもないもんのくせに値打ちこくなや」のように罵言として使われることが多い。たまに「自分を安売りせんともっと値打ちこいたほうがええで」みたいに使われることもある。
いずれにせよ、「じっさいよりも高い価値があるかのように見せる」という意味である。


なまじっかモテるから「わたしにはもっとイケメンで金持ちで、わたしの好きにさせてくれる男がいるはず」と思っている女を形容するのに「値打ちこく」はぴったりの言葉だ。


もっとみんな、お高く留まって婚期を逃しかけている女の悪口を言うときに「値打ちこく」という言葉を使うようになればいいのに。

あんまり機会ないけど。




2017年2月19日日曜日

手のひら、内出血すればいいのに

生のパフォーマンスを観る機会ってあるじゃない。
音楽だったりお芝居だったりお笑いだったりバレエだったり(バレエは見たことねえけど)。

そういうのを鑑賞するときの態度として、あたしがいちばん嫌いなのは手拍子。


あれなんなの。
何のつもりなの。
歌がはじまったとき途端に、取り憑かれたように手拍子はじめるやつ。少なからずいるけど。

「さあ、あたしがリズムとってあげるから上手に歌いなさい」って言いたいわけ?
さんざん練習積んで舞台上で歌を披露している演者が、おまえの手拍子なしではちゃんと歌えないと思ってるわけ?


観客の手拍子、すっごい邪魔。
あってよかったと思ったことない。

ノイズでしかねえんだよ。
舞台上のミュージシャンなり役者なり芸人だったりオペラ歌手だったり(オペラも見たことねえけど)の歌を聞きたいの、こっちは。
おまえの手拍子を聴くために金払ってんじゃねえの。



あとね。
何年か前に、ラーメンズのコントライブを観にいったのよ。
で、コントだからおもしろいこと言うじゃない。
ウケるじゃない。

そこで、手を叩いて笑うやつがいるのよ。

バカなの?
それとも、ゼンマイ巻いたらシンバル叩くサルのおもちゃみたいに、笑ったら自動的に手叩いちゃうの?

笑うのは当然。
コントだからみんな笑いに来てるわけだし、笑いって反射的に出るもんだし。
でも手を叩くのは意識的にやってるわけでしょ?
邪魔してる自覚ないの?

ラストの大オチで手を叩くならいいよ。
「おもしろかった!」って演者に伝える手段として。
あたしもおもしろかったコントが終わったときはせいいっぱいの拍手をするよ。

でも途中で手を叩くのはやめて。
続きのセリフが聞こえないんだよ。
まだ落語とか漫才なら、観客の拍手が鳴りやむのを待つ"笑い待ち"ができるかもしれない。
でもコントは芝居なんだよ。舞台上と観客席は切り離された空間なんだから、演者が観客の反応に合わせて"笑い待ち"をするわけにはいかないんだよ。



パフォーマンスの途中で観客が手を叩くのは、相手がしゃべっている途中に「はいどうもありがとうございました」って言うのと同じでしょ。
それくらい失礼な行為だと、義務教育で教えてほしい。

手拍子や拍手をするやつは、観劇とスポーツをごっちゃにしてるんじゃない?

スポーツは存分に拍手したらいいよ。
いいプレーが出たら思う存分手を叩けばいい。
ゴルフのパットの直前とかじゃないかぎりは、プレーの妨げにも観戦の邪魔にもならないから。


でも、フィギュアスケートにかぎっては、演技途中の拍手は禁止にしてほしい。

フィギュアで、ジャンプ決めるたびに客が拍手するでしょ。
あいつら、演技をひとつの作品として楽しむ気ないの?
まだ音楽が流れて演技が続いてるんだから拍手したら邪魔になると思わないの?

フィギュアスケートはスポーツであると同時に、芸術表現でもあるからね。
バレエやオペラと同じなんだから(だからバレエもオペラも見ねえけど)。



2017年2月17日金曜日

【読書感想文】 東野 圭吾 『新参者』

東野 圭吾 『新参者』

内容(「BOOK」データベースより)
日本橋の片隅で一人の女性が絞殺された。着任したばかりの刑事・加賀恭一郎の前に立ちはだかるのは、人情という名の謎。手掛かりをくれるのは江戸情緒残る街に暮らす普通の人びと。「事件で傷ついた人がいるなら、救い出すのも私の仕事です」。大切な人を守るために生まれた謎が、犯人へと繋がっていく。

東野圭吾さんの『加賀恭一郎シリーズ』。
加賀恭一郎シリーズといえば『どちらかが彼女を殺した』『私が彼を殺した』のような実験的なミステリのイメージがあったのですが、最近では『赤い指』のように社会派のミステリに傾いてきているみたいですね。

切れ者の加賀刑事が登場するこの『新参者』ですが、正直にいって、ミステリとしては退屈な部類に入ると思います。
東野圭吾さんの過去の作品である『悪意』『容疑者Ⅹの献身』『聖女の救済』のようなあっと驚く仕掛けはありません。
『秘密』『変身』『分身』のような、奇抜な設定があるわけでもありません。
殺人事件が起きて、刑事がいろんな人に話を聞いていくうちに、徐々に謎が解き明かされていくというストーリー。
殺し方も絞殺だし、密室でもないし、犯人は偽装工作を仕掛けたわけでもないし、アリバイトリックがあるわけでもなければ叙述トリックがあるわけでもない。被害者も犯人もどこにでもいるような市井の人だし、最後に明らかになる殺人の動機も平凡。
ないない尽くしで逆に新鮮なぐらいです。

ミステリ小説を構成するおもしろ要素が何にもない。
じゃあつまらないのかというと、おもしろいんだな、これが。



東野圭吾さんはもう押しも押されぬ大作家。
その大作家のテクニックで調理したら、派手さのない素材でもこんなにおいしくなるんですね。
志賀直哉、O・ヘンリー、阿刀田高、ジェフリー・アーチャーらの"短篇の名手"と呼ばれる人って、大したことのない日常のふとした出来事を、見事な短篇に仕上げてしまうじゃないですか。
東野圭吾さんもそんな領域に達したんでしょうね。
ミステリ作家としてだけでなく、小説家としても超一流になった証でしょうね、こういう地味だけどおもしろいミステリを書けるのは。


『新参者』は、殺人事件を軸にストーリーが進みますが、大部分は「日常の謎系ミステリ」です。
「キッチンばさみがあるのに新しくキッチンばさみを買ったのはなぜだろう」といった小さな謎を加賀刑事が解き明かしていく。
こうした謎はほとんど殺人事件とは関係ないのですが、真相には東京下町の人々の人情がにじみ出ています。

ぼくは読みながら「なんか落語みたいな雰囲気の小説だな」と感じていました。
落語には滑稽噺とか怪談噺とかいくつか分類があるんですが、その中に人情噺というジャンルがあります。
笑わせながらも最後はほろりとさせてくれる噺。
もちろん『新参者』は落語ではないので笑いはありませんけど(でも東野圭吾は笑える小説を書くのもうまいけどね。『名探偵の掟』シリーズは傑作!)、笑いの代わりに謎があり、サゲの代わりに真相があります。

人情噺ならぬ人情ミステリですね。
そういやO・ヘンリーも人情ミステリが多いですね。

ミステリとして読むと肩透かしを食らいそうな小説ですけど、人間の情や業を描いた短篇小説集だと思って読むと、しみじみとさせられるのではないでしょうか。


「奇抜な設定もトリックも意外性ないミステリなのになんでおもしろいんだろう」
これこそがいちばんのミステリであり、東野圭吾という実力者の仕掛けたトリックなのかもしれません。



 その他の読書感想文はこちら




2017年2月16日木曜日

【読書感想文】 久坂部 羊『ブラック・ジャックは遠かった』

久坂部 羊『ブラック・ジャックは遠かった
 阪大医学生ふらふら青春記』

内容(「BOOK」データベースより)
手塚治虫の母校、『白い巨塔』の舞台としても知られる大阪大学医学部。アホな医学生にとって、そこは「青い巨塔」だった。個性的すぎる級友たち、さまざまな初体験、しょうもない悩み。やがて解剖実習を体験し、研修医として手術に立ち会うことに。若き日に命の尊厳と医療について悩み、考えたことが作家・久坂部羊の原点となった。笑いと深みが絶妙にブレンドされた青春エッセイ!

この本の感想はこちら


2017年2月15日水曜日

けなげな美人

2月の寒空の下、中華料理屋の前で店員がビラを配っていた。

ティッシュとか有用性のあるものじゃなくてただのビラだから、歩を緩めて受け取る人も少ない。
都会の人はせちがらいね。
かといって田舎で夜にビラ配りしたって、下手したら1時間やっても誰も通りかからないわけだけど。


ぼくもビラ配りを無視して通りすぎようと思ったんだけど、ふとビラ配りをしているかっぽう着姿の店員の顔を見て目を見張った。


美人。


モデルみたいなギラギラした感じの美人じゃなくて、高校の吹奏楽部一の美人みたいな感じ。
大砲みたいにばかでかい金管楽器持ってたくましいのに漂う素朴な美しさと知性、みたいな感じ。
電車の中で凛として文庫本を読んでいるのが似合うような美人。


おおっ、と思って思わずビラを受け取ってしまいましたよ。
さっき飯食ったばかりだけど。

美人に弱いからね。
それも「働き者の美人」にはとびきり弱いからね。

美人はそこそこいるけど、「働き者の美人」ってすごいよね。
だって中華料理屋の彼女は、目を見張るぐらいの美人なんだよ。
もっと楽にお金を稼ぐ方法はいくらでもあるはず。

大学生かな?
同級生はキャバクラとかでバイトしてるんじゃないの?
なのに時給数百円の中華料理屋でバイト。しかも、冬の戸外でビラまき。

けなげ。

やっぱりあれね。美人とそうでない人の差って、つらい境遇におかれたときに出るね。
結婚式とかで着飾ってたら、だれだってそこそこきれいだもんね。
幸せに満ちて笑っているときは誰だって素敵に見える。

でも逆境でこそ美人は輝く。

シンデレラもマッチ売りの少女も人魚姫もきっと美人でしょう。
不幸なブスは見てられないもの。


中華料理屋の美人は、ばんそうこうが似合う。
冬の皿洗いでひび割れた指に貼ったばんそうこう。本人は恥ずかしいから隠そうとするんだけど、そのばんそうこうはどんな指輪やネイルよりも美しいよ!なんて気持ち悪い言葉をかけたくなるね。


しかしさあ、2月の夜ですよ。おまけに寒波ですよ。
こんなときに美人に外でビラ配りさせる店主ってすごくない?
ぼくが店主だったらぜったいに言えないわ。
他にバイトがいなかったとしても「いい、いい。おれが行ってくるから。カナコちゃん(仮名)はここでテレビ観といて。お客さん来たら呼んでね」って言って外に行っちゃう。

お父さんが店主で、お父さんの店でバイトってパターンかな。
それもいいね。
家の仕事を手伝ってる子って「けなげさポイント」が上がるよね。

娘が美人で良からぬ男が寄ってこないか心配だから、店の手伝いをさせている。
だけど甘やかしたらいかんと思うから、つらいビラ配りの仕事を命じる。
娘を送りだした後、ぐっとこぶしを握る親父。すまんカナコ(仮名)、おれだってつらいんだ。

こういうシチュエーションもいいね。
やっぱり美人はすべてが絵になるね。



2017年2月10日金曜日

【読書感想文】 山田 真哉『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』

山田 真哉『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』

内容紹介(Amazonより)
あの店はいつも客がいないのになぜ潰れないのだろうか?――この本では、日々の生活に転がっている「身近な疑問」から考えることで、会計の重要なエッセンスを学んでいきます。細かい財務諸表は出てきませんし、専門用語もそれほど多くありませんので、気を楽にして、ひとつの読み物として読んでみてください。「会計が嫌い」「会計が苦手」「会計を学んでも意味がない」と思っている方でも、きっと会計に対する見方が変わるはず。
10年以上前のベストセラーを今さら読んでみました。
サブタイトルに『身近な疑問からはじめる会計学』とありますが、これはウソ。この本を読んでも会計学は身につかないでしょうね。
スタートラインに立つ前の本、「会計学っておもしろいかもしれないな」と思うための本ですね。

新書ですが、内容は会計士のエッセイといった感じです。
エッセイとして読めば、なるほどこういう考え方をする人もいるのか、という発見があっておもしろいです。


 この本の感想のつづきはこちら




【読書感想文】 藤井 健太郎 『悪意とこだわりの演出術』

藤井 健太郎 『悪意とこだわりの演出術』

内容紹介(Amazonより)
『水曜日のダウンタウン』『クイズ☆タレント名鑑』など、数々のバラエティ番組を手がけるTBSプロデューサーによる初の著書。
人気番組が生まれる背景、芸人の凄さのヒミツから、「ナレーション原稿もすべて自分で書く」こだわりの演出に宿る信念、藤井ワールドの特徴でもある〝悪意〟の正体まで……。テレビ界、最注目プロデューサーがその「手のうち」を余すことなく語った、ファンならずとも必読の一冊!
「本当に好きなことでしかその人の最大のパワーは出ないし、本当にやりたいことで突破していかなければ、そこに未来はありません」。

この本の感想はこちら



2017年2月5日日曜日

【読書感想文】池上 彰 『この日本で生きる君が知っておくべき「戦後史の学び方」』

池上 彰
『この日本で生きる君が知っておくべき「戦後史の学び方」』

内容紹介 (Amazonより)
敗戦から高度成長に至ったわけ、学校では教えない「日教組」、アベノミクスとバブルの教訓まで。池上彰教授のわかりやすい戦後史講義を実況中継!
歴史の授業ではなおざりにされがちな「日本の戦後史」ですが、社会に出るとこれほど「使える」分野はありません。そこで、池上彰教授の東工大講義シリーズ第2弾は、『この日本で生きる君が知っておくべき「戦後史の学び方」』。平成生まれの学生たちに、日本が敗戦から不死鳥のように甦った道筋から、現在の問題を解くヒントを教えます。「アベノミクスはバブルから学べるか?」「政権交代の不思議な歴史」「学校では絶対に教えない『日教組』」など、ビジネスパーソンにも参考になることばかり。

池上彰さんが東工大の1年生に向けておこなった近代史の講義をまとめた本。


この本の感想はこちら



2017年2月2日木曜日

脱肛コーデ

転職して初出社の日だってのにケツが痛い。

この痛みは知っている。

脱肛だ。
肛門が脱げると書いて脱肛。

なったことない人は知らないだろうけど、肛門ってのは着脱可能なのである。

ウェアラブル肛門。

軽やかに肛門を脱いだ装いが今の流行り!
脱肛コーデで春を先取りしちゃお☆


そんなファッショナブルな感じで脱げるんならいいんだけど、じっさいはもっと陰鬱なものだ。

なんせ、痛い。
座っても痛いし、歩いても振動で痛いし、力んでも痛いし、ケツにタイキックを食らっても痛い(あたりまえだ)。

さらにぼくは今、病み上がりで咳喘息というやつになっており、おまけに花粉症だ。
つまり、咳とくしゃみがひっきりなしに襲ってきて、そのたびにケツに力が入って悶絶する。


数年前にも脱肛になったが(そのときのいきさつはこちら)、何度目だろうと耐えられるようなもんじゃない。


そういや前に脱肛したときも、転職してすぐだった。
関係あるんだろうか。

新天地でがんばろうと意気ごんだら、肛門も新しい世界に飛び出したくなるんだろうか。

肛門だけはチャレンジ精神を持たず、体内に定年まで勤めあげてもらいたいものだ。


2017年2月1日水曜日

【読書感想文】 前川 ヤスタカ 『勉強できる子 卑屈化社会』

前川 ヤスタカ 『勉強できる子 卑屈化社会』

内容紹介(Amazonより)
勉強できて、すみません――なぜか「勉強できる子」に冷たい国、ニッポン。
ツイッターで大反響を受けた投稿「勉強できた子あるある」を発端に、教育史やメディア史を縦横無尽に
ひもときながら、日本のゆがんだ“逆学歴差別"の実態を分析。
国の将来を担うはずの「勉強できる子」たちが生きづらさを抱え続ける現状に、真っ向から警鐘を鳴らす!
巻末に著者と能町みね子との対談を収録。

ああ、学生時代にこの本を読みたかったなあ……。
大人になると忘れてしまう、子どものころに感じていた理不尽を丁寧にすくいあげた本です。

この本の感想はこちら





【読書感想文】 加藤 希尊 『The Customer Journey』

加藤 希尊 『The Customer Journey』

内容紹介(Amazonより)
The Customer Journey(ザ カスタマージャーニー)

企業と消費者の接点がデジタルチャネルの浸透により格段増え、情報収集・購買における意思決定のプロセスが激変している。
お客さまが理解できないという課題を抱える企業が増える中で、注目されるのが「カスタマージャーニー」という考え方。
2014年11月に日本のトップマーケター同士が集える場として設立した「JAPAN CMO CLUB」の活動を通じて、見えてきたデジタル時代に実現すべき、顧客起点のマーケティングの実践論、方法論を解説。
これまでCLUBに参加した約50の企業の中から、30ブランドのマーケターが考える、カスタマージャーニーも収録。

この本の感想はこちら