2017年8月30日水曜日

剣道に憧れてすぐに打ちのめされる小説/誉田 哲也 『武士道シックスティーン』

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誉田 哲也 『武士道シックスティーン』

内容(e-honより)武蔵を心の師とする剣道エリートの香織は、中学最後の大会で、無名選手の早苗に負けてしまう。敗北の悔しさを片時も忘れられない香織と、勝利にこだわらず「お気楽不動心」の早苗。相反する二人が、同じ高校に進学し、剣道部で再会を果たすが…。青春を剣道にかける女子二人の傑作エンターテインメント。

剣道を題材にした青春小説。
ぼくは剣道をやったことも観戦したこともない。中学校の体育での武道は柔道だったし、高校には剣道部があったけど閉じられた道場で活動していたので部外の人間からはまったく見えなかった。ただ「道場はくさい」というイメージがあっただけだ。
柔道は国際スポーツじゃないし、テレビでもほとんどやっていない。日曜日のお昼とかにEテレあたりで国体の剣道とかを放送しているような気がするけど、「なんだ剣道か」と3秒以内にチャンネルを変える。


というわけで剣道に関する知識はきわめて乏しいのだけれど、「剣道八段をとるのはとんでもなく難しい」と聞いたことがある。
そもそも46歳以上じゃないと試験を受けられなくて、合格率は約1%で、人格者であることまで問われるのだそうだ。
さらに「範士」という称号は、八段をとった後にさらに修行を重ねて、後進の育成に携わってきた経験があり、周囲から推薦されないとなれないのだとか。
ただ強いだけではだめなのだ。

また『武士道シックスティーン』を読むまでは知らなかったのだけど、いくら相手に竹刀を打ちこんでもその後に”残身”(反撃に対する身構え)ができていなければ「一本」にはならないのだそうだ。

同じ「道」を名乗りながらも柔道と剣道ではまったく違うんだね。
なんせ柔道はスポーツとして発展する道を選んだので、時間切れを狙ったり帯をわざとゆるめたり小ずるく点数稼ぎに走ったりと、けっこうあさましい戦いも多い。
それはそれで駆け引きのおもしろさがあるのだが、観ていてかっこいいものではない。最近ではオリンピックのメダル数を稼ぐために使われていることもあって(→『国民メダル倍増計画』)どうも政治的なスポーツになっている。ますます「道」からは遠ざかっているように思えてならない。

柔道のスポーツ化に逆らうように、剣道は断固として「道」であることを追及している。
まさに「武士道」だ。




剣道にはまったく興味がなかったけど、『武士道シックスティーン』を読むと、「剣道やってたらよかったなあ」と思えてくる。
剣士ってかっこええなあとうらやましくなる。
というわけでYouTubeで剣道の試合を観てみたんだけど、すぐに「こりゃ無理だ」と思いいたった。

野球やサッカーの一流選手のプレーを観ると「おお、すげえなあ。自分には逆立ちしてもできないな」と思う。
でも剣道は、それすらわからない。剣士たちが接近して、ばしばしばしっと竹刀が動いて、たちまち旗が上がる。ぼくには何が起こったのか、さっぱりわからない。
「どっちが一本とったの?」
目で追うことすらできないのだ。
『武士道シックスティーン』は小説だから、相手の動き、自分の思考の流れ、肚の読みあいがじっくりと書いてあるけど、観ているととてもそんなことを考えられるようには思えない。竹刀が激しく動いた、ということしか把握できない。
この剣の動きさばいているのが信じられない。サッカーでいうなら、同時に10本のパスをさばくようなもんじゃないか?




というわけで剣の道で生きていくという夢は一瞬にして諦め(もともといいかげんな気持ちだけど)、剣道は小説で楽しむことにした。

『武士道シックスティーン』は、わかりやすい青春小説だ。
「勝つこと」だけにひたすらこだわり、一心に剣の道を突き進む香織と、日本舞踊の延長で剣道を始め勝ち負けではなく己の成長ができればいいやぐらいの気持ちの早苗。
香織が早苗に敗れたことを機に二人の交流がはじまり、まったく考え方の違う相手に影響されて、香織は勝ち負けでない剣道を、早苗は勝ちにこだわる剣道について考えるようになる……。
「対照的なライバルの存在」「主人公の苦悩と成長」「家族とのかかわり」といったわかりやすい要素がちりばめられた王道青春ストーリーだ。少年漫画に連載されてもいいぐらい。『ブシドー!』みたいなタイトルで。ありそう。


剣道の魅力は十分に伝えてくれる小説なんだけど、正直にいって、あまり引きこまれなかった。
青春時代をとうに過ぎた素直じゃないおっさんには読むのが遅すぎたのかもしれない。中学生ぐらいで読んでたら「剣道やるぞ!」ってなってたかもしれない。
決しておもしろくないわけじゃないんだけどね。引っかかりがなさすぎるというか。エグみがないというか。さわやかすぎて、読んでて気恥ずかしさを感じるぐらいだった。ラストで二人が再会を交わすところなんてまぶしすぎてつらかった。おっさんにはサイダーじゃなくてにごり酒みたいな小説がお似合いなのだ。


あっ、一個あったわ、引っかかり。ずっと気持ち悪かったところ。

昼休みも黙々と握り飯を食い、ダンベルを片手に宮本武蔵の『五輪の書』を読む、武士のような女・香織。
この女の一人称が「あたし」なのだ。
これ、ほんとに理解できない。どう考えても「あたし」のキャラクターじゃないだろ!



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