2017年8月27日日曜日

人類を進歩させてくれるメディア

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テレビが世に出たとき、世の人々はどんなふうに新しいメディアは歓迎したのだろうか。
もしかすると「テレビが我々を聡明にしてくれる」と期待したのではないだろうか。
遠くの映像を一瞬にして家庭へ届けてくれる機械。それは人々の知識欲を充たしてくれるツールだったはずだ。

だがテレビ登場から数十年たった今、テレビが聡明な人間をつくることを期待する人はほとんどいない。
ためになる番組はあるし、新たな知見も得られる。その中には、読書では決して得られないような知識もある。
とはいえ低俗、不道徳、不誠実な番組はその何倍も存在する。そしていちばん厄介なのは、ぼくたちはそういう番組ばかり好んで見てしまうということだ。
さらに悪いことに、テレビ番組の作り手たちは、ぼくら俗悪な人間の大好きな俗悪な番組ばかり作りよる。
低俗な人間のために低俗な番組ばかり流しているのだから、テレビが高尚な人間を養成してくれるはずがない。
「テレビばかり見ているとバカになる」は、親から言われるまでもなく、誰しもが経験的に知っていることだ。


今から15年ほど前、インターネットにはじめて触れたとき、ぼくは「これはとんでもなく知見を広めてくれるツールだ」と感じた。
それまでは辞書をひいたり図書館に行ったりしても容易に見つけられなかった文献が、いともたやすく手に入るのだ。
すごい。もはや脳は知識の蓄積のために使わなくてもよい。必要な情報は都度インターネットにアクセスして取りだし、人間は洞察と空想のために持てる力を発揮する。人類は飛躍的に成長し、ずっと賢くなるはずだ。


それから15年、みなさんご存じの通り人類は成長していない。その思考力はどちらかというと後退しているかもしれない。

インターネット上には有意義な情報も多い。しかしその1万倍、ごみのような情報が氾濫している。テレビの比ではない。
そして困ったことに、ぼくたちはそのごみに引き寄せられてしまう。インターネットを使って賢くなりたいと思っているのに、腐臭に群がらずにはいられないハエと同じように、読んだところで1ミリアインシュタイン(賢さの単位)も賢くならないとわかっているSNSやニュースサイトやまとめサイトに今日も足を踏み入れてしまう。

そんなはずはないと足掻いて足掻いて15年かかったが、やはり認めざるを得ない。
「インターネットで賢くなる」というのは幻想だ。不可能だ。
1万人に1人ぐらいは賢くなれるかもしれないが、そういう人はインターネットがなくたってぐんぐん学べる。


インターネットがテレビに代わる『娯楽の王様』になる(またはもうなっている)ことはまちがいない。
しかし、ぼくらが俗物であるかぎり、人類を進歩させるという役割についてはまったく期待できない。


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