2017年6月14日水曜日

【読書感想エッセイ】NHKスペシャル「消えた子どもたち」取材班 『ルポ 消えた子どもたち』

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NHKスペシャル「消えた子どもたち」取材班

 『ルポ 消えた子どもたち』

内容紹介(e-honより)
一八歳まで自宅監禁されていた少女、車内に放置されミイラ化していた男の子―。虐待、貧困、保護者の精神疾患等によって監禁や路上・車上生活を余儀なくされ社会から「消えた」子どもたち。全国初の大規模アンケート調査で明らかになった一〇〇〇人超の実態を伝えると共に、当事者二三人の証言から悲劇を防ぐ方途を探る。二〇一四年一二月に放送され大きな反響を呼んだ番組取材をもとに、大幅に加筆。

いろんなケースが紹介されるけど、やはり18歳になるまで家の中に監禁されて、学校に一度も通わせてもらえなかった女性の話のインパクトが強烈。
もちろん学校や教育委員会も彼女が一度も学校に来ていないことは把握していたが、ずっと放置していた。

(中学二年相当)今後の対応について、学校と教育委員会、児童相談所、民生委員らで協議した。児童相談所は、学校と親との関係が保たれているように見えたこと、就学前に虐待の情報がなかったことなどを評価して、虐待のおそれは低いと判断してしまった。この判断に基づき、児童相談所が直接介入するのではなく、親との関係を持っている小学校が家庭訪問を繰り返し行い、児童相談所と教育委員会が適宜連絡を取り合う方針とした。

「虐待のおそれは低いと判断してしまった」という記述に驚いた。
小学校にも中学校にも一度も来ない児童が「虐待のおそれが低い」んだったら、いったいどのケースが虐待になんねん! と思うんだけど。

彼女は18歳のときに自力で逃げだして救出されるんだけど、その後は監禁していた母親の言い分ばかりが聞き入れられ、母親に対して科せられたのはなんと罰金10万円。

人を18年間監禁して罰金10万円。
ううむ。被害者である女性が厳罰を望まなかったから、ってのもあるらしいんだけど、はたして18年監禁されて学校にも一度も行ったことのない人が監禁を解かれてすぐに下した判断を正常な判断とみなしていいのか。
こういう判決が出てしまうと「親は、我が子を殺しさえしなければどれだけ虐待してもほとんど罰は受けない」ということになってしまうよなあ。


また、こんなケースも紹介されている。

 たとえば、十七歳(二〇一四年当時)の少年が祖父母を殺して金を奪ったという事件。これだけ聞けば、なんという凶悪な少年だ、と思うだろう。実際、まさにこの原稿を書いているときに二審の判決が出たが、懲役一五年の刑が言い渡された。
 しかし、この子もまた小学校5年から学校に通わせてもらえず、公園やラブホテル、簡易宿泊所を転々とし、母親からネグレクトされ、養父から暴力を受けて生きてきた「消えた子ども」のひとりだった。少年自ら働き、ゲーム浸けの母親と新たに生まれた幼い妹の面倒を見るも、母親の浪費によって金は尽き、少年自身が祖父母などの親戚に無心する生活だった。ついに断られるようになり、母親に「殺してでも金をとってこい」と言われた末の犯行だった。

もちろん同じ境遇でも殺人を犯さない人もいるだろうからこの少年が無罪だとは思わないけど、どう考えたって母親のほうに責任がある。
このケースで母親に下された処罰はわからないけど、まちがいなく直接手を下した少年よりは軽いはず。

「子どもは親の所有物だからある程度は自由に扱っていい」という近代的な意識が判決にも影響を与えているように思える。


さまざまな "消えた子ども" の話を読んで、手塚治虫の『奇子』という漫画作品を思いだした。
戦後すぐの農村を舞台に、家族にとって都合の悪い出来事(身内の殺人)を目撃してしまったがゆえに10年以上土蔵に閉じ込められてしまう少女の生涯を描いた話だ。ムラ社会の醜悪な部分を露骨に描いた作品である。
また、藤子・F・不二雄にも『ノスタル爺』というSF短篇があり、これも土蔵に閉じ込められる男が描かれている。
『奇子』も『ノスタル爺』もフィクションだけど、近代以前の日本の農村を描いた作品には「扱いに困った家族を土蔵に閉じ込める」というモチーフは決してめずらしいものではない。
家制度が強かった時代、家長の大きな権力、恥の文化、農村の広い屋敷。そういう「閉じ込めやすい」条件が重なっていた時代だから、監禁はめずらしいことではなかったんだろう。経済的な事情で学校に来ない子も多かっただろうし、戸籍制度も今ほどしっかりしていなかっただろうし。
アクシデントでも起こらないかぎりは閉じ込めたほうも閉じ込められたほうも語らない(語れない)から明るみに出たのはごく一部だったんだろうけど。

だから「家族を幽閉する」という行為は異常なことではあるけれど、ごく一部の異常者だけの話かというとそんなことはない。
ほとんどのケースにおいて「閉じ込める人」「閉じ込められる人」の他に、「見て見ぬふりをする人」の存在があるわけで、たぶんいくつかの条件さえ重なってしまえば、ほとんどの人は「見て見ぬふりをする人」にまわりうる。

そういう「一定の割合で起こりうる悲劇」を100%防ぐことはできないし、対策としては意識を高めるとかじゃなくて制度的に早めに検知できるようにするしかない。



このルポはすごく意義のある調査だったんだけど、著者が書いている
「どうして教師が気づいてやれなかったのか」
「地域で見守っていくことが大事」
といった主張にはまったく共感できない
個人の責任に帰していてもぜったいに状況は良くならない。

家庭内で虐待されている子どもを救いだすことは教師の仕事じゃない。
専門知識もないし、そんなことやってたら学校に来ている児童の相手がおろそかになるだけ。
もちろん教師には「学校に来ていない子がいる」「どうも家庭内で暴行を受けているようだ」を報告する義務はあるけれど、そこから先は児童相談所なり民生委員なりの仕事だ。
虐待、親の経済的事情、親の精神病。子どもを学校に通わせない親にはさまざまな事情があるのに、すべての教師が万能に対応できるわけがない。

「地域で見守っていくことが大事」って主張も、何をねぼけたこと言ってるの? としか思えない。
もちろん地域のコミュニティが子どもを見守れたらいいけど、これから先、地域ネットワークが今より強固になることなんて100%ありえない。だいたい昔のムラ社会ですら防げていなかったのに、密閉性の高い家に住みプライバシー意識が高まっている現代でどうやって気づけって言うのか。

本気で防ごうと思ったら個々の努力に委ねるのではなく、システムをきちんと整備するしかない。
一定日数学校に来ていない、市区町村の健康診断や予防接種を受けていない、そういった児童がいれば必ず面会する。親だけでなく子どもにも会う。拒む親に対しては法的拘束力を行使する。児童相談所、民生委員には今以上の権力を持たせて、疑いがあれば半ば強引に調査することを可能にする。

もちろんこのやり方ですべての "消えた子ども" を助けることはできないけど、早期に発見できる可能性はかなり高まるはずだ。
「教師が注意深く見守りましょう」「地域で見守っていきましょう」なんてメッセージ、「原発事故を起こさないように気をつけます」って発言ぐらい空虚で間抜けだと思うね。



つい最近、ある有名スポーツ選手が自殺を考えている人に向けて「人のせいにするな、政治のせいにするな」というメッセージを発信して炎上していた。
非難殺到だったけど、ぼくは「それぐらい言わせたれよ」と思う。そのメッセージで前向きになれる人もいるだろうし(でもそういう人はそもそも自殺しないように思うけど)。

たしかに恵まれた身体を持って標準以上の家庭に生まれ育ったスポーツ選手が「自殺したくなるのを人や環境のせいにするな」と言うのは、たとえば18年間監禁されていた人に対する想像力に欠けた発言だと思う。
でも、そんなにありとあらゆる可能性を考えて発言しなきゃいけないの? と思う。
我々が何かについて語るとき、18年間家の中に監禁されて学校に通わせてもらえなかった人のことまでふつう想像しない。でもそれでいいと思う。

18年間監禁されてたという事件が明るみに出てホットなうちは「おたくのご近所は大丈夫?」と言いたくなる気持ちはわかるけど、どうせそんな意識が長続きするわけがない。
人の生命に関わるような重大な問題を "意識" や "想像力" なんて不確かなものに委ねてはいけない。
人を救うのは意識でも想像力でもなく、"システム設計" だ。意識や想像力はシステムを作るために使うべきだ。



児童相談所の人の話を少し聞いたことがあるけど、「あの家ちょっとおかしいな」と思っても個人情報保護だなんだで、なかなか調べることができないらしい。
確固たる証拠がなければ動けないし、確固たる証拠が出てくる頃にはもう手遅れになっている可能性も高いので、難しい仕事だと思う。

ぼくは、子どもの教育に個人情報保護を持ち込むべきではないと思う。
教育というのは公的なものであって、各家庭に属する私的なものではない。
「人に迷惑をかけてはいけません」と教えるのはその子のためじゃない。社会のためだ。
憲法にも「教育を受けさせる義務」があるように、親には「子どもを教育する義務」はあっても「子どもを好きなように育てていい権利」はない
私的な行為じゃないから当然ながら個人情報保護の対象とすべき事柄じゃない。

そのへんが勘違いされているのが近代の病だね。

ぼくもひとりの子の親として、「この子は自分だけのものじゃない」ということは常に忘れないようにしている。
「この子は私たち夫婦だけの子。教育のすべての権利もすべての義務も自分たちにある」と思ってたら親もしんどいし、子どもはもっとしんどいと思うよ。


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