2017年3月28日火曜日

やっぱりデモより広告のほうが効率いい

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自腹を切ってデモの不毛さを検証してみた

という記事を少し前に書いた。

  • デモって非効率でしょ?
  • WEB広告を使えば同じ労力と費用でもっと効果挙げられるんじゃない?
  • じっさいに広告費使って配信してみたら、2,000円で数百人に記事を読んでもらえたよ
  • 「考え方を知ってもらって共感者を増やす」という目的のためにはデモは効果薄いでしょ

って内容。

その記事も、1,000円使ってTwitterで広告配信してみた。


広告で配信された回数が5,773回、広告以外で見られた回数が2,531回。
ぼくの不人気Twitterの投稿はふだんは200~300インプレッションぐらいなので、広告によってだいぶ接触が増えたことがわかりますね。

配信した結果、賛同・批判それぞれ意見をいただいた。
けっこう拡散もしてもらえた。

おもしろかったのは、ぼくはデモをやる人を応援するつもりで「もっといい方法があるよ!」という記事を書いたんだけど、彼らからはぜんぜん支持されなかったこと。
「デモに参加してきました!」というツイートを書いている人からは批判されて、政治的なツイートをほとんどしない人からは「そのとおり! デモを見ても嫌いになるだけだからやめればいいのに!」という意見をもらった。
あと、なぜか反対の立場の人(つまり政権擁護派)からもけっこう支持された。タイトルだけ読んで「デモ反対ってことはこいつは政権支持者だな」と思われたのかな。


「政治闘争は極右でも極左でもない中道の人をどれだけ味方につけるかで決まるのに、デモは中道に訴えかける手段としては適切でない」
と考えてたんだけど、やっぱりそのとおりの結果になったなーという感想。
やっぱり政治に関心の薄い人にはデモは響かないんじゃないかな。

とはいえ、これまでがんばってきたデモを「それ効果薄いんじゃね?」って言われたら自分を否定されたようで腹立つのは当然だろうから、その点は反省点。
「デモに関するツイートをしている人」を対象に広告配信したんだけど、むしろ「デモや政治に関心のない人」をターゲットにしたほうがよかったかもしれない。

人間誰しも自分がやってきたやり方を改めるのはむずかしいので、今デモをがんばっている人に「やり方を変えろ」と言うつもりはない(言ってもムダだろうしね)
でも、これからデモに参加しようかなーとか、自分もデモを主催してみようかなーとか考えてる人には、「もっといいやり方があるのでは?」と考えてほしいですね。

個人が情報発信できる手段がなかった100年前と同じやり方に固執する必要はないよ。



こんなご意見がありました。


いただいたご意見の紹介と、それに対するぼくの見解。
たくさんのご意見をいただきました。

「デモをやってマスコミを動かせば多くの読者に届くよ」
→ たしかにいくらかはマスコミを動かせるだろうけど、かけた労力と費用に対して、効果が薄いよね……。
1万人のデモが、1人の「保育園落ちた日本死ね」に負けてる現実を考えると、メディアを動かすより自分がメディアになるほうがいいんじゃないかと思う。
小さなメディアがたくさん動けば、マスメディアも動かざるをえないだろうから。


「デモのほうが多くの人に知ってもらえる」
→ それはそうかもしれない。でも、知ってもらえたとしても必ずしもプラスにはたらくとはかぎらないよね。
自宅や会社の前でデモの声が大音量で聞こえてきたときに、賛同して仲間になってくれる人より「うっせえな」って反感持つ人のほうが多いんじゃない?
ま、広告もうっとうしいからそこはどっこいどっこいかもしれないw


「デモはゼロコストだからデモのほうがいい!」
→ どういう計算をしたらゼロになるんだろう。仮に道具を一切使わずに徒歩でデモ会場まで行ったとしても、確実に時間は消費するわけだから機会損失は発生する。
まあ賃金労働のできない子どもなら、デモのコストはゼロと言えるのかな。


「デモを使って金儲けするな!」
→ これはまったくの検討外れ。ぼくは儲けてないどころか損してる。3,000円くらい使っただけ。ブログにAdsense貼ってるから一応収益はあったけど、50円くらい。金儲けできたらいいけど、その仕組みはぼくには思いつかないなー。
まあ損してるっていっても、デモに参加することに比べればぜんぜん大したことないけどね。
「ぼくだったらもっとうまく運用する」って書いたのが、「そんなこと言って自分の懐を肥やす気だろ」と思われたのかな。書かないほうがよかったね。
万が一ぼくに運用の依頼があったなら、思想的に100%共感できるところだったらタダでもやるし、共感できないところならナンボ積まれてもやらん、と言いたいところだけど、まあ額によるかな……。


「個人が広告なんかやったって誰も読まないよ」
→ これは大間違いで、この批判をしてきた人がまさに、広告を介してぼくのブログにやってきた人だった。広告の影響を受ける人は自分でもそうと気づかないことが大半だということを、彼は皮肉にも自ら証明してしまった。
ちなみにぼくのブログのアクセス数は以下の通り。
(Google Analyticsより)
3/26が広告配信した日(広告費1,000円分)。
1,000円でこの結果。
業界のことを知らない人が思っている以上に、人は広告を見て行動するのです。


「○○さんが書けば、広告なんか打たなくてももっと多くの人に読んでもらえる」
→ これはまったくそのとおり。すでに十分影響力を持ってる人にとっては、広告配信をするメリットは比較的小さい。でもぼくのような影響力を持たない人間にとっては、金さえ出せば有名人と同じ影響を与えられる広告という手段は大きな意味を持つ。
それに、自然な流入と広告では流入の質がまったく異なるんだよね。
たとえばTwitterのフォロワー数の多い人が何かつぶやけば多くのフォロワーにリーチできる。でもそのほとんどは、もともと彼の思想に賛同している人だ。言ってみれば身内。「やや賛成」「どちらかというと反対」「そもそも無関心」の人にはアプローチできない。だが重要なのはむしろその層だ。
上のグラフの新規セッション率を見ればわかるように、ぼくが広告によってリーチできたのは、90%以上が「これまでぼくのブログを読んだことのない層」。これは非常に重要なことだ。
「大賛成」の人と「大反対」の人は何をやってもまず変えられないから、票取りゲームにおいては放っておいてもいい。世の中を変えるために必要なのは、その中間の人。アメリカの大統領選を見ても、大事なのは「民主党支持」と「共産党支持」の間で揺れている州でしょ?
政治の戦いというのは、囲碁でいうところの「生き死にが確定していない石」をどれだけとるかが重要になる。
仲間内に向けて書いて、身内が「いいね!」をしても、「生き死にが確定していない石」はとるのにはあまり役に立たないと思う。


「WEB広告ではインターネットを見ない人にアプローチできない」
→ たしかにそうだね。インターネットにほとんどふれない人はまだまだ多い。
でもぼくの記事が政治家や記者の目に留まって、間接的にリーチできる可能性は十分にあると思わない?
ぼくは一例としてWEB広告を挙げただけで、デモより費用対効果の高い手段はほかにもいっぱいあるしね。
それにそんなことを言ったら、デモだって大きな駅前や国会議事堂前に行かない人には直接アプローチできないよ?


「素人が広告配信してもうまくいくはずない」
→ そうだろうね。だから知識のある人が一括してやってもいいし、やり方を教えてあげてもいい。効率を上げるためにはばらばらにやるより、数字にもとづいたルールを決めたほうがいい。今まで実践する人が多くなかったからルールを決めるのは容易じゃないだろうけど、難しいからってあきらめてしまうのはもったいなくない?


「みんなが記事を書いて広告配信できるわけじゃない」
→ そのとおり。だから全員がやる必要がない。
インターネット環境がない人、まとまった文章を書けない人、1,000円の広告費を出すぐらいなら半日つぶれるほうがいいという人はこれまでどおりデモをやればいい。
でも選択肢を多く持つことはマイナスにならないと思わない?


「クリックしまくってこいつに高額な料金の請求がくるようにしてやろう!みんなもクリックしてやれ!」
→ はっはっは。ぼくが使った広告はインプレッション課金(配信ごとに課金される方式)なのでクリック数は請求に関係ないんだよ。
ていうかリツイートは広告扱いにならない、って前回の記事の中で書いたんだけどなあ……。拡散してくれてありがとう! おかげでタダでフォロワーが増えたよ!


「とにかく団結することが大事だ! インターネットでは団結できない!」
→ 文化祭やっとけw
デモって参加したことないけど、参加したらいくばくかの達成感があってきっと楽しいんだろうね。
団結することやデモをすることが目的になっている人には何も言いません……。
60年代の大学闘争も、大部分はそういう人だったらしいね。



敵陣営の嫌がることをしよう


たとえば内閣を退陣に追い込みたいと思ったら、政権が嫌がることをすればいいわけでしょ?
ぼくが政権の人間だったら、「野党支持者がデモを組んで団結すること」なんかぜんぜん怖くない。そんなことしたって野党支持者はほとんど増えないから。
「ほんのちょっと風向きが変わって無党派層が『なんか今の政権おかしくない?』と思うようになること」のほうが圧倒的にイヤ。

そのために必要なのって、大声でシュプレヒコールを叫ぶことじゃなくて、過激なツイートでもない。
1960年代に大学闘争がさかんだったけど、火炎瓶投げてゲバ棒振り回してるやつ見て、彼の思想に共感すると思う?
今のデモとはぜんぜんちがうと言われるかもしれないけど、無関心層からしたら、徒党組んで路上で大声あげてるやつも同じように見えるよ。

必要なのは、何ヶ月も何年もかけて、少しずつ少しずつ、考えにふれてもらうことだと思う。
いくつかの2ちゃんねる系まとめサイトが思想的に偏っていることが問題視されている。ぼくも見たことあるけど、あれは吐き気がするぐらいひどい。だけど広告戦略的にはすごく賢い。いいところはちゃんと見習うべきだ。

THINK AGAIN !

デモをやってる人たちって、本気で勝とうとしているように思えない。
戦略がぜんぜん見えない。
徒党を組んでのデモは、表現の自由が失われて通信も制限されたときの最後の手段としてとっておけばいいんじゃないかな?


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