2017年2月26日日曜日

【読書感想エッセイ】 木村 元彦 『オシムの言葉』

木村 元彦 『オシムの言葉』

内容(「BOOK」データベースより)
「リスクを冒して攻める。その方がいい人生だと思いませんか?」「君たちはプロだ。休むのは引退してからで十分だ」サッカー界のみならず、日本全土に影響を及ぼした言葉の数々。弱小チームを再生し、日本代表を率いた名将が、秀抜な語録と激動の半生から日本人に伝えるメッセージ。文庫化に際し、新たに書き下ろした追章を収録。ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞作。
ぼくはサッカーファンではありません。
正月のひまなときに、高校サッカーをテレビでやっていたら観る、という程度。
Jリーグも日本代表戦もまったく観ない。ダイジェストで得点シーンだけを観るのは好き、という程度で、サッカーファン偏差値は40ぐらいでしょうか。

2014年のワールドカップも、毎日のダイジェスト番組を観ていた程度でしたが、今でも強く印象に残っているチームがあります。
それは優勝したドイツ代表でもなく、日本代表でもなく、ボスニア・ヘルツェゴビナ代表です。

ボスニア・ヘルツェゴビナと聞いて、正確な場所がわかる日本人がどれほどいるでしょうか。「いっときニュースでよく聞いたような。紛争があったんだっけ」ぐらいの認識でしょう。ぼくもそうでした。
「ボスニア・ヘルツェゴビナが初出場? ふーん、小さそうな国だもんね」ぐらいにしか思っていませんでした。
でも、たまたまNHKスペシャルで『民族共存へのキックオフ〜“オシムの国”のW杯』という番組を観て、一気に引き込まれました。
(番組の内容については こちら に詳しい説明があります)


ボスニア・ヘルツェゴビナは、かつてはユーゴスラビアという国の中にありました(ぼくはユーゴスラビアという国がなくなったこともこのときはじめて知りました)。
ユーゴスラビアは『七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家』と呼ばれ、いくつもの民族がせめぎあって暮らしていました。
ですが多くの多民族国家がそうであるように、次第に民族間の争いが深まり、1980年代後半からは殺し合いもはじまるようになったのです。

そんな国家分裂寸前の1990年、サッカーのユーゴスラビア代表を率いて監督としてワールドカップに出場したのがイビチャ・オシムでした。
オシムは、ユーゴスラビア史上最高と呼ばれたメンバーを率いて予選リーグ、決勝トーナメント1回戦と勝ち進み、準々決勝で前回大会で優勝している強豪・アルゼンチンと対戦します。
以下は『オシムの言葉』より引用。

 ユーゴはひとり少ないこのフォーメーションで残りの88分を見事に戦い抜く。古都フィレンツェでの死闘は延長でも決着がつかず、PK戦に持ち込まれた。
 ここで選手たちはオシムに直訴する。
 ディフェンディング・チャンピオンを相手に押しまくった猛者たちは、国際映像でその勇猛果敢な姿を世界に晒しながら、PK戦を眼前に控えると怯えだした。
――監督、どうか、自分に蹴らせないで欲しい。
 オシムの下で9人中7人がそう告げて来たのだ。彼らはもうひとつの敵と戦わなくてはいけなかった。
「疲労だけではない。問題は当時の状況だ。ほとんど戦争前のあのような状況においては、誰もが蹴りたがらないのは当然のことだ。プロパガンダをしたくて仕方のないメディアに、誰が蹴って、誰が外したかが問題にされるからだ。そしてそれが争いの要因とされる。そういう意味では選手たちの振る舞いは正しかったとも言える。PK戦になった瞬間にふたりを除いて皆、スパイクを脱いでいた。あのピクシーも蹴りたくなかったのだ」
 祖国崩壊が始まる直前のW杯でのPK戦。これほど、衆目を集める瞬間があろうか。選手は国内の民族代表としての責務を背負い、スポットにボールをセットしなくてはならない。オシムはその重圧が痛いほど分かった。

PK選で、代表選手がそろって「蹴りたくない」と言う。ふつうならありえない状況です。
でも、そんな異常事態が起こっていたのが当時のユーゴスラビア代表だったのです。

ユーゴスラビアの選手たちも、自分が責められるだけなら蹴れたかもしれません。でも、失敗すれば家族や友人、同胞の命に身の危険が及ぶかもしれない。そんな状況ではほとんどの選手が「蹴らせてください」とは言えなかった。
こんなたいへんな状態のチームを率いていたのが、イビチャ・オシム監督だったのです。


互いに殺し合いをしている民族を集めて代表チームをつくる。
その苦労は想像を絶するものだったでしょう。

「代表に来る方法もいる場所すらもないだろう。彼らは真剣に心配していた。『(代表に)行けば、(味方から)自分の村に爆弾が落とされる』。そんな状態の時に『来い!』と言えるはずがない。選手たちを道も穏やかに歩けないような状態に追い込むことはできない」
 オシムは苦笑とも嘲笑とも取れる表情を浮かべて声を出す。
「そこまでして、代表のために人を呼べるほど私は教育のある人間ではない」

こんな状態で、オシム自身、あちこちから圧力をかけられます。自分の民族の代表を優遇すれば他の民族から脅され、かといって自分の民族を優遇しなければ裏切り者となじられる。
それでもオシムは、「チームにとって必要であればどんな民族の選手であろうと使う。それが必要であれば敵民族の選手で11人そろえる」と公言し、非常事態の代表チームをまとめあげたのです。
各方面から妨害が入り、思うようにチーム作りができない。それでもぜったいに勝たなくてはならない。負ければ「あの民族の選手を使うからだ」という声が上がり、紛争の火種になるから。
こんな状況でベストを尽くしていたのですから、すごい監督ですね。それにひきかえ小久保監督は……(やめとこ)。


しかし、ほどなくしてユーゴスラビアは崩壊。
スロベニア、クロアチア、セルビア、モンテネグロ、マケドニア、そしてボスニア・ヘルツェゴビナという国家に分裂します(コソボも正式国家ではないけど独立を宣言している)。
その中のひとつ、オシムの故郷であるボスニア・ヘルツェゴビナのワールドカップ初出場をとりあげたのが前述の『民族共存へのキックオフ〜“オシムの国”のW杯』だったのです。
(ちなみにボスニア・ヘルツェゴビナの初戦の相手は、奇しくもユーゴスラビアの最後の対戦相手となったアルゼンチンでした)


ぼくはその番組を観るまで、オシムという人のことをほとんど知りませんでした。
日本代表監督をしていたことだけは知っていましたが、それ以上の情報はまったくありませんでした。
でも番組の中で、決して流暢ではないけれど、重みのある言葉でサッカーそして国家のことを語るオシム氏の姿を観て、興味を惹かれたのです。


有名なスポーツ選手で、しゃべるのが上手なひとは多くありません。
どうしてもスポーツにばかり打ち込む人生を送ってきたから、その競技のことをあまり詳しくない人にも理論を伝えることは難しい。
ぼくが知っているかぎりでは、それができる人って江川卓さんとか桑田真澄さんとか、ほんとにごく一部だけです。

でもオシム氏は、サッカーのことを、サッカーを取り巻く環境のことを、雄弁に、そしてわかりやすく語ります。
崩壊していく国家で代表監督をしていた。若いころは数学教師になろうとしていた。そうした経験が、理論的でときに大胆でときにユーモラスな言葉を言わせているのでしょう。

「私は別にテレビやファン向けに言葉を発しているわけではない。私から言葉が自然に出てくるだけだ。しかし、実は発言に気をつけていることがある。今の世の中、真実そのものを言うことは往々にして危険だ。サッカーも政治も日常生活も、世の真実には辛いことが多すぎる。だから真実に近いこと、大体真実であろうと思われることを言うようにしているのだ」
――あの会見の言葉も?
 じっとこちらを見つめて口を開いた。ミステリアスな監督が、ようやく漏らした本音だった。「言葉は極めて重要だ。そして銃器のように危険でもある。私は記者を観察している。このメディアは正しい質問をしているのか。ジェフを応援しているのか。そうでないのか。新聞記者は戦争を始めることができる。意図を持てば世の中を危険な方向に導けるのだから。ユーゴの戦争だってそこから始まった部分がある」

ちょっとした発言が、文字通り命運を分けかねない立場にいたからこその思慮深い言葉。
おっさんになってきて、年々「思いついたことを口にしてしまう」病が進行しているぼくとしては、大いに見習わなくてはいけません。

しかしオシム氏の言葉は、サッカー以外でも使えるような含蓄に富んだ言葉が多いですね。
特に組織についての言葉は考えさせられました。

「システムは関係ない。そもそもシステムというのは弱いチームが強いチームに勝つために作られる。引いてガチガチに守って、ほとんどハーフウェイラインを越えない。で、たまに偶然1点入って勝ったら、これは素晴らしいシステムだと。そんなサッカーは面白くない。
 例えば国家のシステム、ルール、制度にしても同じだ。これしちゃダメだ、あれしちゃダメだと人をがんじがらめに縛るだけだろう。システムは、もっとできるはずの選手から自由を奪う。システムが選手を作るんじゃなくて、選手がシステムを作っていくべきだと考えている。チームでこのシステムをしたいと考えて当てはめる。でもできる選手がいない。じゃあ、外から買ってくるというのは本末転倒だ。チームが一番効率よく力が発揮できるシステムを、選手が探していくべきだ」

「日本のサッカーはこれまで、非常に大きなステップを踏んで進化してきました。この十年、高度経済成長期と同じような、まさに『高度サッカー成長』とでもいえるような勢いで進んできたように見えます。
 しかし、その三段跳びのような大股のステップは、本来刻むべきだった細かなステップを踏まなかった、ということを示してもいます。本来、人は走りはじめる時、スタートダッシュの時には小刻みなステップから加速していくものです。この十年ほど、日本のサッカーは、その小刻みなステップを行なわずに進んでしまった、と思うのです。

システムにこだわる人は多いです。
ビジネスの場では「〇〇社は成果主義を導入して業績を伸ばした」と言い、教育の場では「フィンランドではこんな教育法を取り入れています」と言う。

でも、システムはある日突然導入されたわけではなく、それができた背景があるはず。
試行錯誤の結果、その組織のいろんな事情を鑑みて、たどりついたものです。
はじめからめざしてその地点にたどりついたものではなく、いわば妥協の産物として得られたもの。
その奇跡的なバランスの完成品を持ってきて首だけすげかえるようなことをしたって、うまくいかない場合がほとんどです。

日本は平和憲法を持ち、(少なくとも形式的には)軍隊を持たずに戦後70年をそれなりに平和にやってきました。
でもそれは日本が島国であり、冷戦下でアメリカが中国やソ連を牽制するうえで重要な地理的位置にあったからであり、たとえばイスラエルみたいな敵国に囲まれた国家がそんな戦略をとってたらとっくに消滅していたことでしょう。
だから他国に勧めるべきじゃない。
トヨタのやりかたはトヨタだからできることであって、社員10人の中小企業に取り入れてもたぶんうまくいかない。

たぶんだれよりも多くシステムについて考え、だれよりも多くのシステムをつくってきたオシム氏が語るシステム論ですから、共感できることも多い。
かといって、それはやっぱりオシム氏の考えであって、その完成品の考えだけそのまんま自分の状況に持ってきてもうまくはいかないんでしょうね……。



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