2017年2月22日水曜日

【読書感想エッセイ】 井上ひさし 『本の運命』

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井上ひさし 『本の運命』

内容(「BOOK」データベースより)
本を愛する人へ。本のお蔭で戦争を生き延び、闇屋となって神田に通い、図書館の本を全部読む誓いをたて、(寮の本を失敬したことも、本のために家が壊れたこともあったけれど)本と共に生きてきた井上ひさしさんの半生と、十三万冊の蔵書が繰り広げる壮大な物語。

2010年になくなった井上ひさしさんといえば、小説家、戯曲作家、『ひょっこりひょうたん島』を手がけた放送作家など幅広く活躍されましたが、また本の界隈ではとんでもない読書家としても有名でした(遅筆家としても有名でしたが)。

ぼくは中学生のとき年間300冊ぐらい本を読んでいて、世間知らずだったので「こんなに本を読むやつは他にまずいないんじゃないか」と悦に入っていたのですが、その頃井上ひさしさんのエッセイを読んで、自分なんか読書家として「中の下」ぐらいだということを思い知らされました(読書量だけが大事なわけじゃないですけど)。
井上ひさしさんの「本を積みすぎて自宅の二階の床が抜けた」というエピソードにあきれながらもちょっとあこがれたりしました。

井上ひさしさんの本の読み方(というか買い方)って、もう常軌を逸しているんですよね。
『本の運命』にこんな話が出てきます。

 本というのは読まなくても別に死ぬわけじゃないですから、買わなきゃそれでも済んでしまう。出版社が寄贈してくださる本もかなりありますから、本代を節約しようと思えば可能なんですね。でも僕は、本代をケチるようになったら自分はお終いだと、それだけは言い聞かせています。
 一番買い込んだのは、朝日新聞で文芸時評をやってた頃でした。たまたまその頃、僕の『吉里吉里人』がびっくりするほど売れて、印税がどんどん入ってきたせいもあった。
 気が大きくなって、「よしっ、世の中に出てる本で、文芸時評の対象になりうるものは全部買ってみよう」と決意して、一年間続けました。出入りの本屋さんに、小説と評論と漫画をとにかく全部取ってくれと頼んで。これは月に四、五百万円かかりました。
 お陰で、印税は本代で消え、税金を払うために借金をして、払い終わるのに五年ぐらいかかったでしょうか。これがきっかけで、本がたくさん売れるのが怖くなった(笑)。
 さすがにこんな買い方は続きませんでしたが、いまでも本代が月に五十万円ぐらいになるでしょうか。ですからうちの、エンゲル係数じゃなくて、本にかかる係数はかなり高い(笑)。

とんでもない買い方ですよね。
調べたら『吉里吉里人』が刊行されたのは1981年。当時の大卒初任給は12~13万円だそうです(参考リンク:年次統計)。
2016年度の大卒初任給が20万円くらいだそうですから(参考リンク:厚生労働省 賃金構造基本統計調査結果)、物価は今の6割くらいですかね。
ってことは今の金銭価値だと月に1,000万円近くを本代にしていたということでしょうね。
作家ですから経費として認められるんでしょうが、それにしても多すぎる。ぼくが税務署員だったら「いくらなんでもこれは本代としてありえない」って朝イチで監査に入りますね。



ところで「最近、時間なくて本読んでないなー」って言う人いるじゃないですか。
あれぜったいウソなんですよね。そんなはずない。
「時間なくてゴルフ行ってない」ならわかるんですよ。何時間か要する遊びですから。でも本を読むのにまとまった時間なんていらない。1分の空き時間があれば読める。なんなら空き時間がなくても読める。ぼくは風呂に入りながら読むし、歯磨きをしながらも本を読んでいる。こないだスカイダイビングしたときも読書しながら落下してきましたし、っていうのと同じくらい「時間なくて本読んでない」はウソだと思うんですよ。

本をよく読む人ならわかると思うんですけど、むしろ忙しいときほど読書ははかどる。まとまった時間があったら出かけたり人と会ったりしますからね。
本を読むと心を落ち着かせることができますから、忙しいときのストレス解消にいいんですよね。本を読みながら激怒している人を見たことありますか。


ぼくがいちばん本を読んでいたのは中高生のとき。さっきも書いたように年間300冊くらい読んでいました。
部活で朝練に行って、学校で授業を受けて、また部活して、夜はテレビを観たり勉強したりして、休みの日には友人と遊びにいっていたのに、いったいいつ読んでいたのか今思うとふしぎ。でも本って知らない間に読んでいるもんなんですよね。

人生でいちばん本を読む量が減ったのは、本屋で働いていたときです。
激務でしたからね。おまけに郊外型書店だったので車通勤をせざるをえず、通勤途中にも読めない(信号待ちのときに少し読んでましたけどやっぱり集中できないんですよね)。
ある日急に「本屋がいちばん本を読めないってどういうことだよ!」ってめちゃくちゃ腹が立って、本屋を辞めました(それだけが理由じゃないですけど)。
忙しいときほど読めるっていいましたけど、さすがに1日15時間働いて、月に休みが3日だったら読めるわけない。

 本と野球と映画――、それが僕にとっては決定的でした。結局僕は、小さい頃の記憶にある本や文房具、レコード、映画、それから物置にあった野球の道具とか、そういうものをもう一度身のまわりに集めようと思って、後の半生を生きてきたような気がする。つまり、あの山形のちっちゃな店を自分のまわりにもう一度、建てようとしてる。そういう運命にあったんですね。

中崎タツヤさんという漫画家がいます。彼のエッセイ『もたない男』には、ひたすら物を持たない人間の生活が描かれています(なにしろ彼は、読みおわったページを捨てながら本を読んでいく)。
おもしろいエッセイなんですが、同時に異常性を感じてうすら寒さを感じました。あらゆる物を捨てずにはいられないというのはきっと何かの病なんでしょう。
そして、井上ひさしさんのエッセイにも似たものを感じました。
何にも持たないということと集めすぎるということは正反対ですが、じつは表裏一体で、モノに執着しすぎるという点で同じ病なのかもしれませんね。

井上ひさしさんは、幼いころは本や映画に囲まれて育ったのに、父親が死に、母親とも離れて児童養護施設で暮らすことになります。そういった生い立ちが、異常とも思えるほどの本の収集癖につながったのだと自分で分析しています。

そして収集癖が高じて、ついには故郷の町に大きな図書館を建てるということまでしてしまうのです。

図書館をつくるにあたって、海外の図書館を視察したことが書かれています。
以下は、シアトル市立図書館についての記述です。

 もっと感心するのは、本の並べ方です。書棚に背表紙を並べるのじゃなくて、横にして本の表側を見せて並べてある。特に子供の本は、表側に楽しい絵を描いたり、色がとても鮮やかだったり、凝って作ってあって子供が喜ぶようになっている。それがずらりと並ぶと、美術館に来たように華やかで、子供がすぐに近づいていきたいという気になる。しかも一冊取っても、下に十冊ぐらい同じ本が置いてある。それでも人気がある本は、そこだけグッと引っ込んでしまいますから、今度は後ろにバネの仕掛けが付いていて、取るたびに前に出てくる……。とにかく、子供のことを考えて、心にくいほどの配慮をしているんですね。

ぼくも娘が生まれてから本屋や図書館の児童書コーナーによく行くようになりました。
娘も本が好きなので、絵本を1冊持ってきて「次これ読んで!」と差しだすのですが、娘がとってくるのはきまって、棚に並べている本ではなく、平台に積んであったり展示台に置かれている絵本なんですね。
子どもは字が読めない(読めても早くは読めない)から、書棚にたくさん並んでいる本の背表紙だけを見て、おもしろそうな本を見つけることができない。
だから表紙が見える本しか目に入らないわけです。

これって考えてみたらあたりまえのことなんですけど、大人は意外と気づけないことかもしれません。ぼくも本屋のときは、背表紙を向けて書架に絵本を詰めこんでいました。


子どもと本を読んでいると、本ってただの情報源じゃなくて、アートであり、インテリアであり、おもちゃであり、アルバムなんだということを改めて気づかされます。子どもって、さわって、ひっぱって、投げて、ときにはなめて、本を楽しみますからね。
手ざわりやにおいや重さも、本を構成する大事な要素ですよね。

置き場所の事情もあって最近は電子書籍を買うことが多いですけど、やっぱり読みやすいのは紙の本です(引用は不便だけどね)。

許されるならばぼくも床が抜けるぐらいの紙の本を集めたい!



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