2016年11月30日水曜日

結婚するのがふつうだという幻想

「今の若い人たちは結婚願望が低い」
「子どもを持つより自分の楽しみを優先しようとする」
なんてことをよく耳にします。

でも。ふと思った。
「結婚しない」という選択は、じつは昔から多かったんじゃないのか。


大半の人が
「自分が食っていくだけでせいいっぱい」
「残すほどの財産もない」
だった時代であれば、
「結婚しない」「子どもなんていらない」という選択をするのはごくごくふつうのことだ。

「結婚しても子どもを持たない」という生き方についても、昔は避妊の技術がなかったから選択されなかっただけで、技術があったらそれを選んだ人も多かったのでは。



落語には、『たらちね』『ろくろ首』など、

「邪魔するよ」
 「おや、大家さん。どうしたんですかい」
「おまえもいい歳だろ。そろそろかかあでももらってもいいだろう」
 「うちに来てくれる女がいればいいですけどね」
「そう思って、いい縁談を持ってきたんだ。ところが少しだけ問題があってな」

……という流れではじまる噺がいくつかある。

それだけ、結婚しようとしない人が一般的だったということでしょう。


「いい歳なんだから結婚して身を固めるのがあたりまえ」
という価値観なんて、ここ100年ぐらいの(人類の歴史から見たら)ごく短期間の例外的な時代のものなんじゃないのか。

これから先、日本はまちがいなく若者が生きにくい時代になる。
結婚しない、子どもを持たない人は増えていくでしょう。

でも、それは稀有な存在ではない。


いつの時代も、あえて結婚しなかった人はけっこうな割合で存在した。
ただ、そういう人の存在は後世に伝えられなかっただけ(だって語り継ぐ子孫がいないんだもん)。

2016年11月28日月曜日

幽霊から学ぶ生物進化学と経営への提言

まったく光の届かない深海に棲む魚は、ものを見る必要がないため、眼が退化するといいます。


一方、幽霊。

彼らには脚がありません。
これは、浮遊能力を身につけたことで歩く必要がなくなり、脚という器官が不要になったためです。

脚をなくしたことで、脚の維持・活動にかかっていた物資やカロリーを他の器官にまわせるようになりました。
また、脚の分の重量がなくなったために、浮遊に用いるエネルギーも少なくて済みます。
脚をなくすのはたいへん効率がいい退化であるといえますね。


また、幽霊には胃や腸などの消化器官もありません。
彼らは怨念をエネルギーに変換して活動しているため、食物からカロリーを摂取する必要がないのです。
そのため消化器官は少しずつ小さくなり、ついにはなくなってしまったのです(ただし完全に消えたわけではなく、なごりはまだ見られます。「霊腸」と呼ばれる、今では何の役にも立たない器官が、かつて腸を持っていた痕跡です)。


消化器官はなくなりましたが、肺や舌は今も残っています。
これは「うらめしや」といった言葉を発することで怨みを伝達するためです。

怨念エネルギーによって肺に空気を取り込み、怨念エネルギーによって空気を吐き出し、その際に喉を振動させることによって「うらめしや」という音を発するのです。

幽霊の声帯は人間のものより長く、また自在に震わせることができます。
これによって、より低く、恨めしく聴こえる声を出すことができるのです。
他の幽霊との怨み競争に勝つための戦略であるといえるでしょう。



大昔の幽霊は、人間とほとんど同じ姿をしていました。
ですが代を重ねるごとに少しずつ遺伝子が変化していきました。
不必要な器官を持った幽霊は怨むことができずに淘汰されていき、結果として今の姿の幽霊だけが残ったというわけです。


失ったものばかりではありません。新たに身についた機能もあります。

たとえば浮遊能力がそれです。

昔の幽霊は、浮くことができませんでした。
当時は高い建物がなかったので、浮かずとも怨む相手の夢枕に立つことができたからです。
ところが文明が進むにつれ、高いところに住む人間が増えてきます。これでは夢枕に立つことができません。

しかし幽霊は進化の過程で浮遊能力を獲得しました。
浮遊できる幽霊は他の個体に比べて怨みに行くのに有利だったために、浮けない幽霊は淘汰され、浮ける個体ばかりになったのです。

このように、別の種の進化にあわせて進化することを「共進化」といいます。
捕食者が鋭い歯を持つようになったからカニが堅い殻を持つようになった、というのと同じです。


また、幽霊が建物などを透けることができるのも、共進化により獲得した形質です。
昔の人の家は鍵がなかったり壁にすき間があったので幽霊が侵入しやすかったのですが、今の住宅は気密性が高いのでかんたんに入ることができません。
そこで、壁を透けて通れる能力を身につけたのです。


このように、幽霊の進化速度はたいへん速く、人間のライフスタイルの変化にあわせてその形態や行動はどんどん変わっています。
近年では、写真に写ったり、ビデオテープを介して呪ったりといったことも可能になっています。

もしかすると、もう、ドローンにつかまって移動したり、電気自動車に特化した幽霊も出現しているかもしれません。


幽霊がこれだけ長期にわたって繁栄してきたのも、この
「的確に状況の変化をとらえる力」と
「変化に柔軟に対応するために既存の成功パターンを捨てて自己を変革していく柔軟な心」
があったからに他なりません。


我々ビジネスマンが幽霊から学ぶべきことは非常に多くあります。

ここにお集まりいただいた経営者諸兄に対しては、ぜひこのことを忘れずに今後の経営に勤しんでいただきたいと思います。

本日はご清聴、ありがとうございました。


2016年11月26日土曜日

寝ている人の口に何かを放り込むことについて

お疲れなのだろう、電車の中で口を開けて眠っている人がいる。

心がざわつく。
この口に、何か放り込んでやりたい。

ボタンがあればつい押したくなるのと同じで、ぽっかりと開いた口は人間の本能的欲求に強く訴えかける何か入れたい。

消しゴムのカスでもあれば、パスタに粉チーズでもかけるようにぱらぱらっと口の中に放り込んで味を調えてあげるのに。
だけど電車の中なので消しゴムのカスはない。
おい口をあけて寝ている女よ。消しカスがなくて命拾いしたな。

まあどっちにしろ他人の口に何かを放り込んだりはしない。
なぜならぼくは大人だから。分別があるから。



ぼくがまだ小学生で、父親と一緒に風呂に入ったときのこと。
父が湯船に浸かって大口を開けて気持ちよさそうに眠っているのを見て、口の中に何か放り込みたくなった。
といっても風呂の中なのでたいしたものはない。
ぼくは湯船のお湯をすくって、父の口に注いだ。

直後、父は溺れた。

んげほっ。がはああぁっ。
信じられないぐらいむせかえり、顔を真っ赤にして何度も咳きこんだ。
ぼくは、父はこのまま死ぬんじゃないかと思って怖くなった。手のひらいっぱいのお湯で死ぬなんて、お湯って怖いなと思っていた(怖いのはおまえの発想だ)。

1分後、めちゃくちゃ怒られた。
ぼくの父はめったに感情的にならない人だが、このときばかりは声を荒らげて怒った。
無邪気な好奇心で殺されかけたのだから。
後にも先にも、全裸であんなに怒られたのはこのときだけだ。




この体験からぼくは三つのことを学んだ。

寝ているときに口にお湯を入れると人はかんたんに溺れるということ。

他人の口に勝手にものを入れてはいけないということ。

そして、服を着ているときよりも裸で怒られたときのほうがずっとダメージがでかいということ。


ぼくはもう大丈夫だ。経験から学んだから。
勝手に人の口にものを放り込んだりしない。

だけど世の中の人々はそうではない。
隙あらば、本能のままに他人の口に消しカスやお湯を入れてしまうやつらばかりなのだ。

だからみんな知っておいてほしい。
電車内で口を開けて寝ることは、死と隣り合わせの危険な行為なのだと。

あと、全裸で怒られるのは服を着て怒られるのより三倍ダメージを受けるのだと。

 

2016年11月21日月曜日

【エッセイ】雷天犬捕獲大作戦

母の奇行について。

うちの母は犬が好きだ。
ずっと犬を飼っていたのだが、かわいがっていた犬が昨年死んでしまった。
しばらく落ち込んでいたのだが、最近また犬を飼いたいという気持ちがふつふつと沸いてきたらしい。
「でもねえ、わたしもお父さんも、もういつ死ぬかわからないし、犬だけ残されたらかわいそうでしょ。だから飼っちゃいけないと思うのよねえ」


犬を飼いたい。でも飼えない。
そんなジレンマを抱えた母はひらめいた。
「そうだ、迷い犬を保護しよう!」

迷い犬を見つけて保護すれば、飼い主が見つかるまでの数日間限定で、犬を飼う楽しさを味わうことができる。
これまでにも何度か迷い犬を預かった経験のある母はそう考えた。


しかし迷い犬などそうそういるものではない。
そこで彼女がとった行動は「カミナリの日に近所をうろうろする」というものだった。

犬を飼ったことのある人は知っていると思うが、たいていの犬はカミナリをものすごく怖がる。
遠雷であってもあのゴロゴロが聞こえたとたんにパニックを起こし、すくみあがり、吠え、走り回る。
首輪から抜け出したり塀を飛び越えたりして脱走する犬もめずらしくない。

それを知っている母は、カミナリの音が聞こえると家を飛び出し、あちこち歩き回って積極的に迷い犬を探しているのだとこないだ電話で話してくれた。
いいアイデアを思いついたと自慢気だ。


しかし。

母もまあまあいい歳だ。

カミナリの日にあてもなくうろうろする老婆を見て、近所の人はどう思うだろう。
「ああ犬好きのおばあちゃんなんだな」と察してくれる人は決して多くはあるまい。

犬を保護するより先に自分自身が保護されないことを、息子としては切に願うばかり。


2016年11月20日日曜日

【エッセイ】地味だけど効果的ないやがらせ

ファミレスに行って、メニューを見て、さあ注文。
店員呼び出しボタンを押す。

ピンポーン



......店員、こないな

もう一回押す

ピンポーン



......こないな

もう一回押す

ピンポーン


おいどうなってんだこの店。
ぜんぜん注文訊きにこないじゃないか。
そんなに客が多いわけでもないのに。
店員が少ないわけでもないのに。

隣のテーブルには店員が来てるのに、なんでこっちには来ないんだ!?

と思ってふと隣のテーブルに目をやると、客と店員がもめている。

客が店員に声を荒らげていた。
「だから呼んでないって言ってるだろうが!」


ん?
どういうことだ?

こっちは呼んでるのに店員が来なくて、
隣のテーブルは呼んでもないのに店員が来ている......。



どうやら、前にいた客が、この席と隣のテーブルの呼び出しボタンを入れ替えたらしい。
そのせいでぼくが呼び出しボタンを押すたびに、店員が隣のテーブルに行っていたようなのだ。



おい誰だボタン入れ替えたやつ!
地味だけど、この席の客も隣の客も店員も困る、かなり効果的ないやがらせだぞコノヤロウ!!



2016年11月16日水曜日

【エッセイ】わざとイライラさせる方法

最近読んだ本に載っていた、アメリカのとある大学でおこなわれた実験。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

まず被験者たちをイライラさせる。
イライラした被験者たちを2つのグループに分ける。
1つのグループは、ストレス発散のためにサンドバッグをなぐったり物を投げたり大声を出したりする。
もう1つのグループは、何もせずに静かに座る。

その後、2人1組でゲームがおこなわれ、ゲームの勝者は敗者の顔の前で不快な音を立てる権利が与えられた。

さてサンドバッグを殴って叫び声を上げたグループは怒りが静まっただろうか。
結果は逆だった。
サンドバッグを叩いたグループは叩く前より攻撃的になり、仲間の目の前で長く大きな音を立てた。
つまり、イライラしたときに暴れたり大きな声を出すのは、ストレスを発散するどころか逆効果だということだ。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

……という実験結果もおもしろかったのだが、ぼくがもっとおもしろいと感じたのは実験の前段階。

「まず被験者たちをイライラさせる」という部分。

被験者たちをイライラさせるために、実験者は何をしたか。


実験の参加者は、まず大きな数(たとえば3000)から、13ずつ引き算をさせられる。
2987、2974、2961……というように暗算で数を引いていく。

そして、30秒ごとに
「もっと早くできないのか!」とか
「どうしてそんなに遅いんだ!」とかの言葉を被験者に浴びせたのだそうだ。


この実験内容を読んで、ぼくは大笑いし、そして感心した。

いやこれ、どんなに修行を積んだ高僧でも相当イライラするよ。まちがいなく。
シンプルだけどじつに効果的な方法だ。

この実験を考えた人物は、なんて頭がよくて、そしてなんて性格が悪いんだろう。
実験をやっている間、さぞ楽しかったにちがいない。


で、これがイライラさせるための実験ならいいんだけど、
まさに行動している最中の相手に対しての叱咤がいい結果を生むと思ってる上司とか教師とか親とかって少なくないよね!


2016年11月14日月曜日

【エッセイ】なぜ誰もがマネキンに欲情するのか

仕事で疲れたとき、ぼくはちょっと遠回りして、女性用下着売場の前を通って帰ります。

誤解のないように云っておきますが、ぼくは女性の下着そのものに興奮するようなヘンタイではありません。

そんなヘンタイではなく、下着を身につけた“マネキン”に魅力を感じるタイプのヘンタイなのです。


下着なんてものはしょせんただの布っきれです。

女性用下着には興味がないのでブランドとかはまったくわかりません。
ワコールだかトリンプだかピーチジョンだかチュチュアンナだか知りません(ほんとまったく知らない)。
物質として見ればどれもハンカチと大差ありません。

そんなものに性的な興奮をおぼえる人が世の中にはいるみたいですが、まったくどうかしています。


ただ、マネキンが身につけたとたん、下着はぐっと魅力を増します。
ぼくは下着マネキンにかぎらずマネキン全般が好きなので、アウターをまとったマネキンや、紳士服売場のマネキンもよく眺めます。

服には頓着しない性質なので、衣料品売場を通るときは服よりもマネキンを見ている時間のほうが長いぐらいです。知らず知らずのうちにマネキンのポーズを真似ていたりもします。

「服は着せやすいかもしれないけどやっぱり頭のないマネキンは魅力半減だな」とか

「イトーヨーカドーにある赤いマネキンにはえもいわれぬ気持ち悪さがあるな」とか

「あのマネキンのポーズは空条承太郎以外の人がやってるの見たことないな」とか

そんなことばかり考えてしまいます。



そんなマネキン好きのぼくから見ても、やはり女性下着を身につけたマネキンには、ずばぬけて心を惹く魅力があります。

下着売場のマネキンはどうしてあんなに美しいのでしょう。

下着を最高にきれいに見せるために造られたものだから、といってしまえばそれまでです。
しかしやはりそれだけでない気品をあのマネキンたちは持っています。

見た目の美しさだけでいえば、どの人間よりもマネキンのほうが上だと断言できます。
たとえばニッセンとかディノスなどのカタログには、下着を身にまとった外人モデルさんの写真が載っています。
当然ながらスタイルはばつぐん。顔もきれい。ポーズも完璧。光のあてかた、写真の構図に至るまで、下着がもっとも美しく見えるよう計算されつくしています。

それでも。
それでもなお、西友の下着売場のマネキンに遠く及ばないのが現実です。


なにしろマネキンときたら、やせすぎず太りすぎない絶妙のプロポーションに、陶器のような白い肌(いろんな色のマネキンがあるけどぼくは #FFFFFFのような純白が好き)。

ポーズも、洋服屋のマネキンのようなこれ見よがしな格好はしておりません。下着売場の彼女たちはあくまで慎ましやかに、けれどもきりりと背中を伸ばして胸を張り、凛とした自信をのぞかせています。

それにマネキンには生身の人間とちがってほくろもシミもありませんし、背中の変なところから毛が生えたりもしていません(美人のうなじに生えた変な毛はそれはそれで魅力的なのですが、これについて語りだすと長くなるので今はやめときます)。

そして何よりいいのは、マネキンには顔がないということ。

いいですか。
顔がないということは、裏を返せば、そのとき自分が見たいと思う表情を思い描けるということ。
想像力によって描かれた顔は無限通り。

いうなれば、マネキンは千の仮面を持つ少女。おそろしい子!

のっぺらぼうほどセクシーな表情はありません。



それほど魅力的なマネキンですが、ぼくは決して凝視したりはしません。
こっそりと見るだけです。それも、一瞬。

やはり下着売場にあからさまに目を向けるのは気恥ずかしいですし、女性客だって下着を選んでいるところをおじさんに見られるのはいい気がしないでしょう。
ですから通路を歩きながら、周囲に人がいないときを見計らって、横目でちらりと目をやるだけです。

そのかわりといってはなんですが、ぼくがマネキンを見るときは顔を不自然につくったりはしません。

自分の顔を見ることはできませんが、マネキンを見るときのぼくはきっとひどくいやらしい顔をしていると思います。
あえて隠しません。
実際にいやらしい気持ちを抱いているのにいやらしい顔をしないなんて、かえって品性が汚らしいと思いませんか。
どうせマネキンにしか見られていないのですから。

美しいマネキンの前では嘘をつけませんし、嘘をつきたくもありません。


「いやらしい顔をしたっていいんだよね」

ぼくはちらりとマネキンの顔を窺います。

「そう、いいのですよ。だってそれがあなたなんですもの」

ほら、マネキンののっぺらぼうな顔もちゃんとそう答えてくれているではありませんか。




2016年11月11日金曜日

【エッセイ】ナチュラル美人

うちのおじいちゃんは農家だったが、車が大好きで、頭がぼけてきてからも車を乗り回していた(ほんとやめてほしかった。人をひき殺さなかったのは奇跡だと思う。あとド田舎で人がいなかったからだと思う)。

それから新しいもの好きで、新しいトラクターだから性能がいいとか、新しい肥料はすごいにちがいないとかいっていた。


もちろん例外はあるけれど、都会に住んでいる人よりも、田舎に住んでいる農家のおじいちゃんのほうが機械や化学肥料に対して全幅の信頼を置いているように思う。
「科学は生活を豊かにしてくれるものだ」という意識が、ゆるがないものとして根底にあるのだ。

自然に還ろう、なんてのはめったに自然の脅威にさらされることのない都会で生活しているから言えることであって、じっさいに自然を対峙して生きている人からすると、自然というものは人間を苦しめる存在であって、そこから守ってくれるのが科学という認識なのだと思う。


自然と美人はちょっと遠くから見ているぐらいがいちばんいいですよね、ほんと。


2016年11月10日木曜日

【思いつき】ヘイトお見合い

嫌いなものを語るときにこそ、その人の人間性があらわれるね。

好きを語るときは「あれ好きなんだー」で済むけど、
嫌いを語るときは「なぜ嫌いなのか」を自分なりに理由づけして、理論武装してから臨む。

お見合いでも、趣味を尋ねるよりも嫌いなものを言いあったほうが、お互いへの理解が深まるんじゃないかな。



 「マサヒロさん、お嫌いなものは?」

「占いと愛犬家と歯みがきと料理の写真撮る奴ですかね」

 「へー、そうなんですね」

「ミカさんのお嫌いなものは?」

 「一気飲みと朝礼とフラッシュモブを少々……」

「なるほど、なるほど。わかります」

 「ところでマサヒロさんは音楽鑑賞が趣味だということですけど、どういうジャンルが……?」

「すっごくふつうなんですけど、EXILEとか嫌いですね。あとはゆずとかユーミンとかですかね」

 「あっ、私もあれ嫌いです! 『栄光の架け橋』」

「ですよねー。ぼくたち気が合いそうですね!」

 「ですねー」

「えーと、こんなこと訊いちゃっていいのかな……」

 「なんですか?」

「どういった男性がタイプですか……?」

 「えっとですね。ちょっとマッチョな感じで、坊主の人。自分のイメージを上げるためなら周囲の不幸でも何でも利用してやるぞっていうタイプ。そういうタイプが嫌いですね」

「芸能人でいうと?」

 「市川海老蔵さんがどんぴしゃです」

「あーわかります!」



どうでしょう。
相手の人となりがよく見えてきますし、ものすごく話が弾みそうですよね。

それか、まったくの無言になるかのどっちかね。


2016年11月7日月曜日

【エッセイ】どっちみち貸さないけど

よほど立ち居振舞いに隙があるのか、ちょくちょく変わった人に声をかけられる。

今日は自宅のすぐ近くで、自転車に乗った30歳くらいの男から
「すみません、お金ないんで、食べるもの買うお金もないんで、お金貸してもらえませんか」
と言われた。

もちろん金は貸さずに「急いでるんで」とその場を離れた。


その男に云いたいことはたくさんある。

「貸してくれって云うけどおまえ絶対返す気ないだろ」とか

「まずその自転車売ったら?」とか

「ほんとに困ってるなら交番か役所に行きなよ」とか。


いろいろあるけど、でもいちばん云いたいことは、

「知らない人にお願いをするときは自転車にまたがったままじゃなくて、ちゃんと降りてからお願いしなさい!」

とりあえずはこれ。


2016年11月5日土曜日

【エッセイ】光源氏のように

ぼくの友人にNくんという豪傑がいる。

といっても迫りくる宇宙からの危機に全米でただひとり勇敢に立ち向かったり、五条大橋で刀を999本集めたりするタイプの豪傑ではない。

彼自身はいたって温厚な男だ。
彼が豪傑たるゆえんは、どんな怪しい誘いも決して退けないことにある。


インターネットの世界には怪しい誘いが跳梁跋扈している。
Facebookに会ったこともない若いオナゴから友だち申請が来たり、
LINEで届いたメッセージに
「ひさしぶり(*^^*) 携帯変えたからこっちに連絡ちょうだい(はぁと)アイコ」
という文章とともに何故かメールアドレスではなくURLが貼られていたりする。

Nくんは、そのすべての誘いに「とりあえず乗ってみる」のだそうだ。
友だち申請は承諾し、見るからに怪しいURLも一応クリックし、メールアドレスが載っていればひとまずメールを送るのだという。

もちろんNくんだってばかではないから(ばかなんだけど)、
それらの誘いの送り主が、出会い系または詐欺をなりわいとしているおっさんであることは知っている。

「じゃあなんで誘いに乗るんだよ?」

ぼくの問いに対して彼は、きっぱりと云った。
「でも万にひとつ、ほんとにエッチな出会いを求めているかわいい女の子からの誘いだったなら。きっと彼女は、すごく勇気を出してメールを送ったと思うんだ。そのけなげな想いを無駄にさせるなんて……おれにはできないっ!」


ジェ、ジェントルマンっ……!

本当の優しさとは、きっとこういうことをいうのだろう。

その手のメールは即座にごみ箱に放り込んでいるぼくのような小市民からすると、会ったこともない(そして実在するかどうかもわからない)淫乱女のために大量のスパムメールを甘んじて受け入れる彼は、まるで光源氏のようにまばゆい存在である。

そして光源氏のようにエロい。



2016年11月2日水曜日

【エッセイ】ジョジョの奇妙なロボコップ

プレイステーションVRというやつをはじめて体験したよ。
ロボコップのヘルメットをもっとかさばる感じにしたやつをかぶってするゲーム。

ロボコップって知ってる?
ロボットのおまわりさん。
っていっても観たことない人には伝わらないかな。
んーなんていったらいいかな。

あっ、そうだ例えていうなら『ビバリーヒルズ・コップ』のロボット版。
ってよけいにわからんね。



んでもとにかくそのロボコップをかぶってするゲームが、プレイステーションVR。
だからたぶん「バーチャル・ロボコップ」の略でVRなんだと思う。

それか「ビバリーヒルズ・ロボコップ」の略かも。
ワーオ、ハイブリッド!
(ビバリーヒルズはVじゃなくてBか?)



それはそうとVRの映像すごい。
ゲームの光景が、ほんとに目の前に広がっているみたい。
『ビバリーヒルズ・コップ』もびっくりのド迫力。


ぜひVRで『ジョジョの奇妙な冒険』のゲーム開発してほしいよね。
VRの世界に自分のスタンドが出てくるの。
で、動き回ったり、敵と戦ったり、落ちてる宝くじを広い集めたりすんの(重ちーのハーヴェストかよ地味だな!)。

もちろん「スタンドが傷ついたら本体もケガをする」という設定も生かしてほしい。
スタンドがケガをしたら、電気を流すなどして痛みを感じるようにしてほしい。
スタンドが熱いものに触れたら、熱を感じさせてほしい。

危険だけど、だからこそ、ものすごくスリリングなゲーム体験ができるはず。



たとえば冬場にスタンドがドアのノブに触れたら、生身の肉体にもバチッとくるとか。

たとえばスタンドがカップ焼きそばの湯切りに失敗したら、生身の肉体も熱さを感じるとか。
ついでに360゜サラウンドシステムで、台所のシンクのべこんっていう音が鳴り響くとか。


そういうド迫力なゲームを期待してるよ!!