2016年9月30日金曜日

【考察】憎い3歳児

3歳の娘がいる。

もちろん我が子なのでかわいいけれど、腹の立つことも多い。
ぜんぜん言うことを聞いてくれなかったり、時間がないときにかぎってだだをこねたり、よくわからない理由で不機嫌になったり。

聞いた話では、親が子に手をあげてしまうのは、3~5歳くらいのときが多いらしい。

ぼく自身のことを考えてみても、子どもが1歳2歳のときよりも、3歳になってからのほうが憎らしさが増したように思う(かわいさも増してるけど)。


よく考えるとふしぎなことだ。

1歳や2歳のときだって、親の言うことなんて聞いてくれなかった。
時間がないときにぐずったり、急に怒りだしたりしていた。

同じことなのに、なんで1歳2歳に対しては「しょうがないな」と思えて、3歳に対してのほうが腹が立つのだろうか。
これは、「こちらの意図が伝わる」からだと思う。

3歳になると、かなりしっかりとコミュニケーションがとれる。
「遊んでないで早くごはん食べてね」という言葉の意味も正確に伝わっているはずだ。
なのに、いつまでも遊んでいてぜんぜんごはんを食べてくれない。

「言葉が伝わらないから言うことを聞いてくれない」よりも
「言葉が伝わるのに言うことを聞いてくれない」のほうが、ずっと大きなストレスなのだ。

ま、そりゃそうだよね。
まったく日本語がわからない外国人にこちらの意図が伝わらなくても腹は立たないけど、50年日本人をやっていて日本語が理解できるにもかかわらず他人の話にまったく耳を貸そうとしないおっさんには腹が立つもんね。


だから3歳の子どもに対しては、手を上げてしまいそうになるぐらい腹が立つんだろうね。


でもよく考えたら、それは子どもにとっても同じはず。

1歳のときは言葉がしゃべれなかった。
2歳になっても、感情をうまく言語化することができなかった。
3歳になって、ちゃんと言葉で気持ちを伝えられることができるようになった。

「まだあそぶ!」とか「いや! おふろはいらない!」とか。

言葉の意味は正確に伝わっているはず。
なのに大人たちはぜんぜん言うことを聞いてくれない!


もどかしさと腹立たしさはお互い様でしょうな。



2016年9月29日木曜日

【エッセイ】100万人のヘビ使い

『世界史を変えた50の動物』(エリック・シャリーン/原書房)という本を読んでいると、
「今でもインドには100万人のヘビ使いがいる」という記述に出会った。

100万人のヘビ使い……!
さすがはインドだ(インドのこと何も知らないけど)。

懐の深さがすごい。

日本にも、ヘビ使いに似た職業としてサル回しがいる。
でも日本にサル回しは100人もいないだろう。
日本には、100人のサル回しが食っていけるだけの余裕がない。


以前、十二星座にへびつかい座が加わって十三星座になると聞いたときに
「なんだよへびつかい座って」と思った。
でも、インドで100万人が従事するぐらいメジャーな職業だったのだ。
インドだけで100万人ってことは、世界には100万とんで50人くらいのヘビ使いがいるにちがいない。

世界中にライオンは100万頭もいないだろう。
弓道やアーチェリーや弓を使った猟で食べていっている人は100万人もいないだろう。

そう考えると、獅子座や射手座よりもへびつかい座のほうがよっぽどメジャーな星座といえる(本物の乙女も絶滅危惧種らしいから、乙女座よりもメジャーかも)。


100万人ってどれぐらいの数なんだろうと思って調べてみたら、日本の警察官の人数が約28万人らしい(総務省統計)。
ヘビ使いの4分の1しかいない。

もしも100万人のヘビ使いと、250万匹のヘビ(ヘビ使い1人あたりの平均ヘビ所有数を2.5として算出)が大挙して日本に押し寄せてきたとしたら。
たった28万人の警察官では防ぎきれないだろう。自衛隊や消防を入れたって敵わない。日本はあっというまにヘビだらけになってしまう。


でも心配しなくても大丈夫。
ヘビ使いのヘビはキバを抜かれているので、襲われて命を落とすようなことはほとんどないんだって。

これで安心して眠れますね。

ではみなさま、よい夢を。

2016年9月28日水曜日

【考察】ザリガニの差

厄年の男女を対象にした神社の厄払いと、

「これを買わないと不幸になりますよ」
と言って高い壷を売りつける霊感商法

両者の違いについて考えてみたけれど、
残念ながらぼくには違いが見つけられませんでした。

あえていうなら、壺が手に入るだけ後者のほうが少しマシかな。
壺でザリガニとか飼えるし。

2016年9月27日火曜日

【ふまじめな考察】今年はこれを流行らせます

「今年の流行色」は、日本流行色協会なる団体が毎年制定しているらしい。

流行色を誰かが決めてるってどうなのよ。
流行って自然発生的に起こるもんでしょ。

と思ったのだけれど。
特にカラートレンド情報については、長い歴史の中でカラー設計の指針としてその信頼性と的確性が広く認められています。
(日本流行色協会ホームページより)

という文章を読むと、ファッション業界からするとありがたい指針かもしれないなと思いなおした。

なんの制約もなしにゼロからものをつくるってたいへんだもんね。
自由は創造性を制限する。
「今年はこのテーマに従って服をつくってください」という指針があったほうが、かえってつきぬけた発想も生まれやすいのかもしれない。

どんな色が流行るかあらかじめわかっていたほうが仕入れや在庫の計画も立てやすいだろうし。



「今年の流行」は、色だけじゃなく他の分野でも計画的に制定したらいい。

「来年流行するギャグは、謝罪のギャグです」とか。
で、謝罪ギャグを生みだした芸人を、テレビ番組も積極的に使うようにするの。 

流行りのギャグって、初めて見たときはそんなにおもしろくなくて、何度もくりかえされるうちに 人口に膾炙して広まっていくことが多い。
でも見る人もあらかじめ「今年は謝罪ギャグがくる」ってわかってるから、心の準備ができていて、初見から笑うことができる。

うん、準備ができてるっていいね。



詐欺も年々新しい手口が考え出されては廃れていく。
ある程度知れわたってしまえば詐欺として通用しなくなるから、詐欺師は常に新しい手口を考案しなくてはいけなくてたいへんだよね。

だから日本流行詐欺協会が、
「来年は葬式を利用した詐欺が流行ります」
という指針を示してやるといい。

ある程度の指針があったほうが詐欺師も騙しかたを考えやすいだろう。

流行に敏感な人は特に葬式詐欺には注意するから引っかからない。
そうなると詐欺師たちも食っていけなくなるんじゃないかと心配してしまうよね。

でも大丈夫。
流行にうとい人って決して少なくないから。
もう若者が誰も使わなくなった頃に流行りだったギャグを言い出すおっさんとかいるでしょ。
ああいう人が、ちゃんと後から流行の詐欺にひっかかってくれるから。



日本流行疫病協会は、
「来年は蚊を媒介にした伝染病を流行らせます」
って、ちゃんと流行の指針を示しといてほしい。

流行が事前にわかってたら医療機関も対策できるし、予防接種もできる。
指針があるとほんと助かる。

それに、病死に見せかけた殺人計画も立てやすいしね。

2016年9月26日月曜日

【読書感想文】米原 万里 『旅行者の朝食』

内容(「BOOK」データベースより)
さる賢人曰く、人類は以下の二つに分類される。「食べるために生きるのではなく、生きるためにこそ食べる」「生きるために食べるのではなく、食べるためにこそ生きる」さて、あなたはどちらのタイプ?グルメ・エッセイロシア風味。

旅行グルメ本みたいなタイトルですが、旅行の要素はほとんどなく、食べ物エッセイ。

続きはこちら


2016年9月25日日曜日

【エッセイ】凶器を手にした心を持たないやつら


いっとき仕事で毎日車を運転していましたが、どれだけ運転しても慣れなくて、車に乗るのがイヤでイヤでしかたありませんでした。
そのときの会社を辞めたときにまず思ったことは「よかった、これで車の運転をしなくて済む」でした。

なんでそんなにもイヤだったのかというと、周りのドライバーの悪意がむきだしになっている(ように感じられる)ことに耐えられなかったからです。


ぼくは大量殺人鬼や総理大臣ではないので、あからさまな敵意を向けられることは、めったにありません。

でも、車を運転していると、それをしょっちゅう感じてしまうのです。
「こいつ、とろとろ走りやがって。割り込んでやれ」
「へたくそな運転してやがるな。わざとぶつけてやろうか」
「だっせえ車に乗ってんな」

周囲の車のドライバーからの声が聴こえてくるような気がします。


歩いていたり自転車に乗っているときはそんなこと感じないのに、どうして車を運転しているときだけそのような心持ちになるのでしょうか。

やはり、顔が見えないからでしょうか。

運転手の顔が見えず、ただの大きな鉄の塊しか目に入らないため、攻撃的な目を向けられているような気がするのかもしれません。


考えてみると、自動車というものはいともかんたんに人の命を奪うことのできる乗り物ですから、いわば凶器です。

多くの車と並んで走っているという状況は、ナイフや銃やアイスピックやバールのようなものを手にした人たちに囲まれている状況と同じようなものなのです。

おまけに、その凶器を持った人たちは顔が見えず、何を考えているのかまったくわからないのです。

不安な気持ちにならないわけがありません。
車を運転している間、ぼくはずっと怖くてしかたありません。


しかし。
ぼくが大嫌いな車の運転をしているときでも、ただひとつだけ安心する瞬間がありました。

それは、救急車がサイレンを鳴らして近づいてきたときです。
救急車が来ると、ほとんどすべての車は速度を落としたり脇に寄ったりして道を譲ります。
この行動を見て、ぼくはほっとするのです。

ああよかった、ぼくの周りにいるのは凶器を手にした心を持たない大量殺人鬼じゃなかった。
ちゃんと良心を持った人たちが運転しているのだ。
その証拠にほら、どこかで怪我か急病になった顔も知らない人が助かるよう、救急車に道を譲ったじゃないか。


救急車が走り去ると、車たちはまた雑然と走り出します。
でももうさっきとは違います。
つい先ほどの行動によって、彼らは見ず知らずの人のために道を譲る、心優しい人たちだと証明されたのですから。

もう怖くありません。
ぼくはひと心地つきます。

そして冷静に周りを見渡して、こう思うのです。

前の車、とろとろ走りやがって。
わざとぶつけてやろうか。

と。

2016年9月22日木曜日

【思いつき】歌詞ビフォーアフター

日本人に「嫌いな歌詞の歌は?」と訊いたらまちがいなくトップ3には入るであろう『世界にひとつだけの花』。

終始上から目線なのが、嫌われている要因なんでしょう。

(話はそれますが、昔の槇原敬之は掌篇小説のようなストーリー性の高い良い歌詞を書いていたのに、逮捕されてから説教くさくなってしまった。これは、たくさん説教された人間は説教くさい人間になってしまうといういい教訓です)。


それなのに僕ら人間は
どうしてこうも比べたがる
一人一人違うのにその中で
一番になりたがる?

そうさ 僕らは
世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい

うん、「何を偉そうに」という気持ちが湧いてくる歌詞ですよね。

「僕ら」というところが特に良くないんでしょうね。
おまえがそうだからって他の人まで同じ心持ちだと思うなよ、って気持ちが湧いてきますもんね。



だから思いきってこの歌詞をリフォームしちゃいましょう。

やり方はかんたん、「僕ら」を「ヤツら」にするだけ。

それでは、歌詞リフォームの匠が修繕した後の歌詞をごらんください。


それなのにヤツら人間は
どうしてこうも比べたがる?
一人一人違うのにその中で
一番になりたがる?

そうさ ヤツらは
世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい


なんということでしょう。
あれほど偉そうに感じられた歌詞が、「僕ら」を「ヤツら」にしただけで、宇宙人の視点が与えられ、見ちがえるほど新しいテーマを持った歌詞へと生まれ変わりました。

最大の特徴だった説教くささは残しつつも、「宇宙人からの説教」という様相を呈したことで、「おまえが言うな」感を見事に取り払いました。
これなら聴いた人も「文明の進んだ宇宙人に言われるのならしかたない」とすんなり受け入れられます。


さらに、

「ワレワレから見たらおまえら人間など大差ない。おまえらもアリの個体差を見分けられないだろう。おまえらがどれだけがんばったところでワレワレの足下には及ばんのだから、せいぜい種の保存のために、ちっぽけな命というその花を咲かせることだけに一生懸命になればいい」

というメッセージが伝わってくるではありませんか。


これなら宇宙船地球号の住人たちも大喜びですね。

2016年9月19日月曜日

【読書感想文】茂木 誠『世界史で学べ! 地政学』

内容
なぜ日米は太平洋上でぶつかったのか。日中関係と北方領土問題の根本原因は―新聞では分からない世界の歴史と国際情勢が、地政学の視点ならスッキリと見えてくる!世界を9つの地域に分けてわかりやすく解説。ベストセラー「経済は世界史から学べ!」の著者が贈るビジネスパーソン必読の書。

ジョージ・フリードマン『100年予測』やマクニール『世界史』がおもしろかったので、地政学の本をどんどん読みたくなって購入。

なんか予備校講師が書いた本みたいな表紙。
表紙が安っぽいので5点減点......。というどうでもいい採点はさておき、内容は明快。
地政学の入門書としてはちょうどいい。

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2016年9月16日金曜日

【エッセイ】国民メダル倍増計画


リオ・オリンピックで日本の獲得したメダルの数が過去最高になったそうですね。
これをもって「日本もスポーツに強くなった」と言っている人がいますが、それは正確な言い方ではありません。
べつに日本人全般の身体能力が大幅に向上したわけではありません。
正しくは、国家としての「力の使いどころが変わった」、もっというと「金の使いどころが変わった」です。

リオ・オリンピックで日本が獲得した金メダル12個のうち11個は、レスリング(4個)、柔道(3個)、競泳(2個)、体操(2個)で稼いでいます。

これらの競技に共通しているのは、「メダルの数を増やしやすい」競技だということです。

まず種目の数が多い。
たとえば柔道なら14種目、レスリングなら18種目もあります。
国家としてこれらの競技に力を入れて選手を育成して全種目に選手を送り込めば、理論上は32個の金メダルを獲得できるチャンスが得られます。
もちろん現実的に金メダル総なめということはありえないでしょうが、世界的な競技人口が多くない競技ですから、国家として力を集中すれば2割ほどの種目で金メダルを獲ることは(他の競技に比べれば)難しいことではないでしょう。
実際、柔道とレスリングあわせて32種目のうち2割強の7個の金メダルをい本は獲得しています。

さらに競泳や体操に関しては、種目の数が多いだけでなく「1人の選手が複数の種目に出場できる」というメリットがあります。

体操男子なら床、あん馬、跳馬、鉄棒、平行棒、個人総合と、1人優れた選手がいれば最大6個の金メダルを獲得できる可能性があります(団体も入れれば7個)。 内村航平選手は3大会で7個のメダルを獲得しています。
水泳でも種目別、メドレー、リレーなどを掛け持ちすれば1人でメダル量産が可能です。2000年のシドニー・オリンピックではオーストラリアのイアン・ソープ選手が5個のメダルを獲得しました。

さらに、個人競技(体操団体と水泳リレーを除く)だというのもトータルのメダル獲得数を増やすための重要な要素です。

このへん、サッカーなどの人気競技と比べてみればコストパフォーマンスの良さは明らかです。
サッカーの場合、まずチームを作るのに選手だけで20人は必要になります。
選手が増えればその分、スポーツドクターやら栄養士やらのスタッフの数も増えるので、1チーム作るだけでもかなりの大所帯になります。
しかもサッカーの場合、一流選手は世界各国でプレーしていますので、強化合宿に彼らを招聘するだけでもたいへんです。
数十人の交通費、宿泊費、食費、その他雑費などを考えると莫大な金額になることは疑いがありません。

それだけのお金を使っても、獲得できるメダルは最大で1個(実際にはメンバーの数だけもらえますが、新聞やテレビではメダルは個数ではなく種目数で数えます)。
さらにサッカーの場合は日本と他国のレベルの差が大きいので、予算を割いて強化したところでメダルを獲得できる可能性はかぎりなく低い。
サッカーは、メダルの数を稼ぐためには非常に「コスパの悪い」競技であるかとがわかります。

......と考えると、「オリンピックで数多くのメダルを獲得するように」という使命を与えられた関係各部署が、コストパフォーマンスの悪いサッカーやバレーボールよりも、容易にメダル数を稼げる柔道・レスリング・水泳・体操にかぎりある資金を投下するのは当然のことです。
実際、それらの競技に投下される強化費はここ10年ほど、以前よりずっと増加しているそうです。

「メダルさえ増やせばいい」というシンプルな目標に向かって関係部署が努力をおこない、その努力が見事に実ったという形です。

(べつに柔道や体操でメダルを獲りやすいっていってるわけじゃありませんよ。ただ国全体として見たときに数を稼ぎやすいというだけです)

誤解しないでいただきたいのは、ぼくがこういうやり方を批判しているわけではないってことです。
国家として、こういう戦術をとるのは「アリ」だと思います。
いや、それどころかぼくは好きなんです。
真っ向勝負で勝てない相手に対して戦うときは資源の投下を局所的におこなうことで、部分で負けてもトータルで勝ちを拾いにいく、これは非常に「スポーツ的」な考え方ですよね。
テクニックもパワーもシュート本数もボール支配率も劣っていたチームが勝った、なんてことが起こるのがスポーツのおもしろさですからね。

非常に「クレバー」なやり方で、体格で劣る日本人が国際大会で成功を収めるためにはこの方法しかないとさえ思います。

「リオデジャネイロ・オリンピック男女総合」というひとつの競技だと考えたときに、まちがいなく日本は成功したといっていいと思います。

団体競技や勝ち目の薄い競技など、「費用対効果の悪い競技を国として切り捨てたことは成功だった」ということはもっと喧伝されてもいいと思いますよ!

もちろん皮肉込みで言ってますよ!

2016年9月15日木曜日

【エッセイ】強烈な好意

中国にいたとき、とあるパーティーに参加して話してたら

「なんだ日本人は嫌なやつだと思ってたけど、話してみたら日本人っていいやつじゃないか。日本人最高!」

って流れになって、

「日本人最高!」「日本人最高!」
の大合唱が起こった。

はじめはうれしかったんだけど、

あまりに周りの中国人が熱狂的なので、
だんだん
「ここで水を差すようなことを言ったら殺されるんじゃないだろうか」
と怖くなってきた。

強烈な好意は、あからさまな敵意と同じくらい怖い。
ということを学んだ夜でした。

2016年9月13日火曜日

【読書感想文】曽根 圭介 『鼻』

曽根 圭介『鼻』

内容(「BOOK」データベースより)
人間たちは、テングとブタに二分されている。鼻を持つテングはブタに迫害され、殺され続けている。外科医の「私」は、テングたちを救うべく、違法とされるブタへの転換手術を決意する。一方、自己臭症に悩む刑事の「俺」は、二人の少女の行方不明事件を捜査している。そのさなか、因縁の男と再会することになるが…。日本ホラー小説大賞短編賞受賞作「鼻」他二編を収録。大型新人の才気が迸る傑作短編集。


『暴落』『受難』『鼻』の3篇からなる短篇集。

感想はこちら


【エッセイ】うちの雲孫を紹介します

子どもの子どもは孫。
孫の子は曾孫(ひまご)。
曾孫の子は玄孫(やしゃご)、その子は来孫(らいそん)、以下、昆孫(こんそん)、仍孫(じょうそん)、雲孫(うんそん)と続くらしい。

ほう……。

それ、いつ使うの……?



曾孫はわかる。

玄孫もわかる。

20歳で子どもを生んで、その子がまた20歳で子どもを生んで、その子がまた……というのをくりかえしていくと、80歳で玄孫ができる計算になる。

うん、ぜんぜんありうる。

その調子でいくと、100歳で来孫が誕生。
そして120歳で昆孫。

だいぶ厳しいが、理論上はありうる。


ここまでが、同じ時代に生きることのできる限界だ。

仍孫や雲孫には、生きて会うことは不可能だ(冷凍睡眠でもすればべつだが)。


ぜったいに会うことのない孫の孫の孫の孫のことを話題にする機会があるでしょうか?

いや、ない。

あなたはこれまでの人生において、雲孫のことを考えたことがあっただろうか?

「おれの雲孫、どんな顔してんだろ? おれに似てんのかな?」
とか考えたことがあっただろうか?

ないだろう。

考えるまでもない。
雲孫はあなたの顔にはぜんぜん似ていない。
だって256分の1しかあなたの血をひいてないんだもの。

256分の1というと、日本全体の面積に占める、栃木県日光市の割合ぐらいだ。
日本と日光市、ぜんぜん似てない。
似ざる、言わざる、聞かざるだ。




断言してもいい。
仍孫とか雲孫なんて言葉、誰も使わない。

ぼくらに残された時間にはかぎりがある。
存在するかどうかもわからない子孫のことを考えるひまがあるなら、今、周囲にいる人たちに気を配ってあげてほしい。

これはとても大事なことだから、このことは雲孫の代まで語り継いでいきたいと思う。


2016年9月9日金曜日

【エッセイ】年齢をnとすると、10の(n/10-1)乗× 1万円

「20歳のときに10万円使わないとできない経験は、30歳になると100万円使わないと体験できなくなる」

という意見を聞いた。

なるほど、たしかにそういう面もあるだろうな。
30代になったぼくも、そう思う。

学生時代なら10万円出せば1週間海外旅行ができるが、社会人になると仕事を休んだり(場合によっては辞めたり)、休んだ分の埋め合わせをしたりしないといけないので、金額に換算すると10万円ではきかなくなる。

20歳のときに1日寝たらとれた疲れは、30歳になると1週間とれなくなったりするしね。


でも、だから20代のうちに貯金をせずにどんどんお金を使おうという考えには賛同できない。
なぜなら、
「20歳で10万円の浪費をする人間は、30歳になると100万円浪費するようになる」
からだ。

あと
「20歳にとっての10万円の借金は、30歳の100万円の借金と同じくらい、持っている資源を失わせる」
ともいえる。


ってことで何が言いたいのかというと、使うことも大事だけど貯金も大事ですよってこと。
つまんない結論ですけど。

2016年9月7日水曜日

【エッセイ】狂牛病から15年

若い人は知らないだろうが、2001年に、狂牛病(BSE)騒動というのがあった。
狂牛病という脳がスポンジ状になる病気が見つかり、牛肉を食べると人間も狂牛病に感染するおそれがあるという噂が流れ、牛肉がぜんぜん売れなくなったのだ。
そのあおりで潰れた焼肉屋も多かったと聞いた。

参考→Wikipedia


その頃、ニュースなんかで
「狂牛病は食中毒とはちがうので、食べてすぐに発症したりしない。10年後、15年後に脳がスポンジ状になってしまうのだ」
といった解説がなされていた。

感染してもすぐには気づかないこと、

脳がスポンジ状になってしまうという症状、

そして「狂牛病」というおどろおどろしい名前、

すべてが恐ろしかった(「狂牛病」というネーミングでなければ、あそこまでおおごとにならなかったと思う)。


で、あれから15年後。
狂牛病にかかったという人の話は聞いたことがない。


そして今、ぼくは思う。

 あの騒ぎはなんだったのか、と。


そして、こうも思う。

 脳がスポンジ状になったら知識の吸収力がものすごく向上しそうだな、とも。

2016年9月6日火曜日

【エッセイ】足りない分を君に贈る

妻と娘(3歳)と、3人で夕食。

食卓にはトウモロコシが2切れあった。

すると3歳児が言った。
「あれー。3にんいるのに、トウモロコシ2こしかないねー。1こ、どっかにいったのかなー」


おお。
もう引き算の概念を理解しているのか! うちの子は天才だ!


と思っていたら、続けていわく、
「おとうちゃんのトウモロコシはどこいったんかなー」


足りない分=おとうちゃんの分 って決めるなよ!!

2016年9月5日月曜日

【エッセイ】こつこつ地道に2億円

振り込め詐欺メールが届いた。

期日までに指定の金額を振り込まないと裁判するぞ、というよくある詐欺メールだ。

でも、よく見ると……




200,000,000円……!
指定された振り込み金額が2億円!!

無理だー。
用意できねー!

そもそも2億円って振り込める金額なのか?
ATMのお金入れるところに2億円入るのか?

もし信じこんだとしても断念する金額だろ、これは。


ものすごく騙されやすい大富豪しかひっかからないだろー。

この詐欺メール送ったやつ、大穴を狙いすぎ!

もっとこつこつ地道に詐欺やりなさい!

2016年9月4日日曜日

【読書感想文】奥田 英朗『用もないのに』

奥田 英朗『用もないのに』

内容(「BOOK」データベースより)職業:小説家。年齢:とりあえず中年。じきに五十路の身である。〆切のある旅なんて真っ平御晩。自慢じゃないが、おやじの腰は重いのである。と、胸を張ったはどこへやら。編集者の甘言につられて、北京、NY、あっちこっちの野球場、果てはお遍路まで…。人気作家がしぶしぶ物した、脱力紀行エッセイ集。

奥田英朗さんの書く文章は軽妙でテンポよく読めるので、紀行エッセイに向いていますね。
紀行文ってどうしても説明が多くなってしまうので、堅い文章だとほんとうに読むのがつらくなってしまうので。

続きはこちら



2016年9月2日金曜日

【ふまじめな考察】大会のはじまり

競技としての柔道はつまらない!

時間稼ぎに終始したり、相手から逃げるためにわざと場外に出ようとしたり。

いまいち真剣みが感じられない。
それも戦術といえば戦術なんでしょうけど、相手から逃げまどう格闘技はやっぱり見ていて興ざめ。

あたしはもっと単純な力と力のぶつかりあいが観たい。

かけひきを駆使して勝った選手に対して、素直に称賛の拍手を送れないもの。



考えたんだけど、

・時間制があること、場外に出ると仕切り直しになること。これが逃げるという選択肢を生んでいる。

・判定勝ちはもちろん、一本ですら審判の判断に委ねられるので、見ていてすっきりしない。どうしても判定に疑惑がつきまとう。


ってことが、競技としての柔道がつまらない要因なんだと思う。

そこで提案なんだけど、

・時間無制限

・場外に出たら負け

・倒れて10秒間立ち上がれなければ一本負け


ってルールにしたらどうかな?

これなら勝敗も明快だから、戦う側にも見ている側にもしこりを残さない。



これなら純粋に強い人が勝つはず。

よしっ、もう階級制もなくしちゃおう。
体重に関係なく、とにかく強い人がぶつかりあうの。

これで優勝したら、天下に並ぶものはないぐらい強いって堂々と言えるよね。

だから名前も『天下一武道会』に変えちゃおう!


2016年9月1日木曜日

【エッセイ】違法駐輪に国境なし

本屋で働いていたときのこと。

店に駐輪場があった。
よくそこに自転車を放置して、どこかへ出かける人がいた。

あるとき、開店前に三十歳くらいの白人男性が自転車で駐輪場にやってきた。
自転車を置いてバス停へと歩いていこうとしたので、呼び止めて注意をした。

「すみません。ここに自転車を置いていかないでくださいね」

 「ドウシテデスカ」

「ここはお店を利用する方のための駐輪場なんで」

 「アーハイハイ。ワタシ、コノ店ヨク利用シテマスヨ」

「えーっと。そうかもしれないですけど、今はまだ開店前ですよね。店を利用する時間だけ、駐輪場を使ってもいいんです」

するとその男性、突然顔を赤らめて

「ドウシテデスカ! ドウシテワタシダケニ言ウデスカ! 他ノ人モ停メテルジャナイデスカ! コノ人モコノ人モコノ人モ!」


その言葉を聞いて、ぼくはちょっとうれしくなった。

よく「みんなやってるからオレも」というような思考が日本人的だと言われているけど、なんだ外人もけっこう長いものには巻かれてんじゃないか。