2016年5月30日月曜日

【ふまじめな考察】一億総いい夫婦


いい夫婦のためには11月22日(いい夫婦の日)があるのに、それ以外の夫婦の日がないのは差別だと思います!


いいとまではいえない夫婦の日 とか

よかった夫婦の日 とか

対外的にはいい夫婦の日とか

いい夫婦になりたい人の日 とか

いいか悪いかでいったらギリいい夫婦の日 とか


そういうのを設けてこそ、一億総活躍社会と呼べるのではないでしょうか総理!





2016年5月28日土曜日

【エッセイ】心にミシン目をつくられて


中学生のとき、ホームセンターの文具売場で心を奪われた。
田舎の純真な中学生のハートを奪ったその文具は、“きりとり線をつくるカッターナイフ” だった。

持ち手の部分はカッターナイフと同じだが、異なるのは先端に円盤がついているところ。
ピザを切り分けるアレみたいな形状だ。
さらに円盤の縁が一定間隔で凹んでいる。
この円盤を紙にあててくるくるさせることで、紙に断続的な穴があき、ミシン目ができるという構造だ。



これを見たとき、ぼくは感動で胸が震えた。

「き、き、きりとり線が自宅でつくれるなんて……!」



きりとり線。

その前で人は平常心を保てない。


たとえば雑誌のページ中ほどにはさまれている応募ハガキ(最近はほとんどないかもしれないけど)。

それをミシン目に沿って切りはなすとき、気持ちがたかぶらない人などいるだろうか。

ミシン目を境に紙と紙が割かれる感触がかすかに手に伝わるときにおぼえる興奮。

力を入れすぎて、ミシン目でないところでびりりと破れてしまうのではないかと想像したときに味わう緊張感。

たとえ、決して冷静さを失わずに正確に的を射抜くすぐれた弓道の射手であっても、ミシン目を切りはなすときには心拍数が上昇するにちがいない。


そんな、どきどきわくわくさせてくれるという点ではディズニーランドにもひけをとらないきりとり線を、好きなときに、好きな場所につくれるなんて!



もちろん買った。
値段は今でも覚えている、515円(その頃は消費税3%だった)。
当時のぼくのこづかいは月に1,500円だったからかなりの金額だ(なにしろ月収の3分の1だぜ?)。
それでも迷わず買った。
すっかりミシン目カッターに心を奪われていたから。
いや、心にミシン目をつくられていたから!

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

たちまちぼくはきりとり線カッターのへヴィーユーザーになった。

紙を切り分けるとき、カッターナイフで切れば早いものを、わざわざきりとり線カッターでミシン目をつくってから切りはなした。

友人に用もなく手紙を書いて、返信用切り取り線をつくった。




で、どうだったか。


結論からいうと、ミシン目カッターの使い勝手は悪かった。
ものすごく。

かなり力を入れて刃を紙に押しつけないとミシン目ができないし、力を入れすぎると刃が欠けるし、厚い紙だとミシン目に沿って切れないし、薄い紙だと破れるし、そもそもよく考えたら切り取り線ををつくらないといけない状況なんかぜんぜんないし。


だから断言しよう。

ミシン目カッターナイフはほんとに役に立たない。

ただ楽しいだけ!


2016年5月26日木曜日

【エッセイ】なぜその本屋に行かなくなったのか


中学生のとき。
近所に小さな本屋があった。
おじさんひとりだけで経営している、いわゆる「町の本屋さん」だ。

あるとき、文庫本を1冊買った。
阿刀田高の短篇集だ。
さっそく帰って読んだ。おもしろかったので1日で読みおえた。

翌日、阿刀田高のべつの小説を手に取り、レジへ持っていった。
おじさんはぼくの顔を見て、それからレジに置かれた本を見て、言った。
「昨日買った本はもう読んだの? すごいなあ」


それまで何度もその本屋でマンガや本を買ったことはあったが、話しかけられたのははじめてだった。
きっと、読書好きの中学生が来てくれることがうれしくて、思わず話しかけてしまったのだと思う。




いやだった。

すっごくいやな気持ちになった。



いや、もちろんおじさんが善意で声をかけてくれたことはわかっている。
本好きな人間としては、ひとりでも多くの若人が読書の悦びにめざめてほしいと思う。

しかしそれはそれとして。



本を選ぶということは、ぼくにとってほんとにプライベートなことなのだ。
それを監視(ぼくはそう感じた)されているなんて、とても耐えられることではない。
「昨日も同じ作家の本を買ってたよね。1日で読んだんだ」と言われることは、
「昨日もあの女の子のこと見てたね。あの子のこと、好きなんだ」と指摘されるのと同じくらい恥ずかしいことだったのだ。



それ以来、自然とぼくの足はその店から遠のいた。

今にして思えば、店のおやじさんに申し訳なかったなと思う。
でもいちばん自意識過剰だった中学生当時は、どうしても許せなかったのだ。



今ならぜんぜん許せる。

っていうか、Amazonさんから
「あんたこの作家好きだったよね! 前も買ってたしどうせ今回も買うんでしょ!」
と言われてもぜんぜん平気だからなあ。


2016年5月25日水曜日

【読書感想文】スティーヴン・D・レヴィット他『ヤバい経済学』

スティーヴン・D・レヴィット
スティーヴン・J・ダブナー
望月衛(訳)
ヤバい経済学〔増補改訂版〕―悪ガキ教授が世の裏側を探検する

内容(「BOOK」データベースより)
アメリカに経済学ブームを巻き起こし、170万部のベストセラーとなった話題の書。若手経済学者のホープが、日常生活から裏社会まで、ユニークな分析で通念をひっくり返します。犯罪と中絶合法化論争のその後や、犬のウンコ、臓器売買、脱税など、もっとヤバい話題を追加した増補改訂版。

橘玲『言ってはいけない』の参考文献の一冊。
というか『言ってはいけない』の大部分はこの本がつくりだしたといってもいいぐらいでしょう。そういえば橘玲の文体まで、『ヤバい経済学』に似ている気がするぞ。
それもしかたないですね。
「一般には○○と思われているけど、じつは××なんだよ」という手の話が好きな人には(みんな好きだよね)、読んだら影響を受けずにはいられないぐらい刺激的な本でした。
訳もいいしね。

『経済学』と書名に入っていますが、株価もマルクスも税制も景気も利益もほとんど出てきません。
この本を読んでも経済学の勉強にはならないでしょう。
おまけに日常生活にも役には立たない。
役に立つとしたら、酒の席での話のネタか、「おもしろい問いを立てるにはどうしたらいいか」という物の見方が身に付く(かもしれない)ことぐらいでしょう。
たとえば「不動産広告によく使われる言葉と価格の関係を調べれば、言葉を見ただけで家の価格の傾向がわかるのでは?」と思って調べた結果。

 不動産広告で使われる言語を調べると、ある種の言葉が家の最終売却価格と強く相関していることがわかる。
(中略)
 一方「最高」というのはあいまいで危ない形容詞で、「素敵」もそうだ。この2個の言葉は不動産屋さんの営業担当者が使う暗号で、その家は具体的に言えるようないいところはあんまりないよということのようだ。「広々」した家はだいたい古くて使い物にならない。「環境良好」は買い手に、あのね、この家はあんまりよくないかもしれないけど周りの家はいいかもしれませんよ、と語っている。不動産広告で感嘆符(!)を見たら間違いなく悪いニュースで、本当に足りないところを中身のない勢いでごまかそうとしているのだ。


あー。
言われると、なるほどな、という感じです。
求人広告も一緒ですよね。
「アットホームな職場です!」
「やる気のある方なら誰でも大歓迎!」
「たいへんやりがいのあるお仕事です」
みたいな求人広告は危ない感じがしますね。
具体的にアピールできるところ(「年収600万円」「週休完全2日」とか)がないから、抽象的な文句でお茶を濁しているような(ちゃんと調べたわけじゃないけどね!)。


けっこうどぎつい表現も出てきます。
というか「見も蓋もない」というか......。
黒人は白人よりも貧乏になる可能性が高いことが生まれたときから決まってるよ、とか、名前を見ただけで子どもの将来がある程度予測できるよ(要するにキラキラネームをつけられた子どもは非行に走りやすい)、とか、中絶禁止制度をなくして望まれずに生まれてくる子どもを減らしたら犯罪率が大きく低下したよ(つまり生まれたときから犯罪をおかしやすい子どもは決まっている)、とか。

こういうのって書き方によってはすっごく不快感を与えるんでしょうね。
でも『ヤバい経済学』では、淡々と「だからどうしろと言ってるわけじゃなくて現実はこうなんですよね」といった調子で書いているので、ぼくはあまりイヤな気はしませんでした。
(そうはいっても発表後はだいぶ非難もあったようですけど)

ものごとをドライに考えられる人にとってはすごくおもしろい本だと思います。
刊行は十年以上前ですけどぜんぜん古びてないですし。
正確さには欠けるところもあるけど、それを補ってあまりあるほど読み物としておもしろい。

最後に、ぼくが特におもしろいと思ったくだりをご紹介。
(なぜ麻薬の売人は儲からないのかということについて。育ちの悪い子にとってギャングのボスは映画スターと同じくらいみんなの憧れの職業だとした上で)

 そういう売り出し中の麻薬貴族は労働市場不変の法則にぶち当たった——たくさんの人がやりたいと思い、たくさんの人がやれる仕事は、普通、給料が悪い。これは給料を決める四つの重要な要因の一つだ。他の三つは、その仕事に必要な特殊技能、その仕事のつらさ、そしてその仕事が提供するサービスに対する需要である。
 こうした要因の微妙なバランスを考えると、たとえば、典型的な売春婦が典型的な建築家よりも稼いでいるのがどうしてかわかる。一見、そんなの間違っていると思うかもしれない。建築家のほうが高度な技術(「技術」を普通に言うときの意味だとして)を要求されるようだし、(やっぱりふつうの意味で)勉強もしているはずだ。でも、ちっちゃい子が売春婦になりたいと夢見て大きくなることはないので、売春婦の潜在的供給は相対的に限られている。彼女たちの技術は、まあ「専門的」というわけではないかもしれないけれど、とても特殊な状況で用いられる。仕事はきついし、少なくとも二つの重要な点で近寄りがたいーー凶悪犯罪に巻き込まれる可能性があることと、安定した家庭生活を得る機会が失われることだ。では需要は? ま、建築家が売春婦を呼ぶことの方がその逆よりも多いとだけ言っておこう。


 ね、正確さには欠けるでしょ?

2016年5月24日火曜日

【写真】本供養、CD供養

本やCDは捨てづらい。

昔はまったく捨てられなかった。
最近は、少しは捨てられるようになった。

しかし捨てるときに心が痛むのは変わらない。
自分の記憶の一部がなくなるような気がする。
だからせめて、捨てるときは写真を撮って「この本をたしかに読んだ」という記録を残すようにしている。


今回は10年くらい前に買ったものが多いです。










吉田戦車や西原理恵子は好きだったからどんな作品でも買い集めていたけど、好きになれないものもある。
特に吉田戦車は、もう『伝染るんです』『スカートさん』のような不条理漫画はもう読めないのだろうと思いつつも、その事実が受け入れられずにずっと新作を買ってはがっかりされつづけた。
『学活! つやつや担任』は好きでしたが。


石原まこちんや中崎タツヤのような脱力系漫画(中崎タツヤは脱力とはちがうかもしれないが他にジャンル分けのしようがない)は、まず読み返すことがないので捨てることにした。
とはいえ、それぞれの代表作『THE3名様』『じみへん』は捨てられない。読み返さないだろうけど。


CDを捨てるのは、生まれてはじめてのことだ。
デジタルデータで持っているので全部捨てたっていいのだが、やっぱり捨てられない。
ディスクをセットすることなどないのだが。
合理的に生きているつもりだが、こういうところは割りきれない。

槇原敬之は好きで全部のCDを集めていたが、逮捕~出所後は説教くさくなったので聴くのをやめた。
あんなにストーリーテリングの才能を持ったシンガーソングライターは他にいないと思っていたのに、上質なエッセイのような私的な歌詞は書かなくなり、「生きるってすばらしい☆」みたいなつまんない歌詞ばかり書くようになってしまった。

よっぽどムショでつらい思いをしたんだろうなあ。


サザンオールスターズは好きすぎて、桑田佳祐のソロアルバムも買い(これはふつうのサザンファンの行動)、原由子のソロアルバムも買い(これもまだふつう)、ファンですらあまり名前を知らないメンバー・関口和之や松田弘のソロアルバムまで買い(もうだいぶおかしい)、さらにはインストゥルメンタルCDや、オルゴールバージョンのCDまで買い集めるという奇行に走っていた。
もはやファンというよりただのコレクターだ。
買うだけでほとんど聴いてないし。

ちなみに、アルバムをすべてそろえた後は、集める目標がなくなり、中古CD屋をまわって8cmCDを買いあさっていた。
もちろん、アルバムにも収録されているわけだから一度も聴かなかった。

その8cmCDはまだ捨てていない。
買ってから一度も再生されぬまま、今も押し入れに眠っている。


2016年5月23日月曜日

【考察】ぼくが老いぼれたときに

年をとったときに、

「老いぼれ」といわれようと
「くそじじい」といわれようと
「死にぞこない」といわれようと
「ボケ老人」といわれようと

「まっ、おれもトシとったしな」
と受け流せるんじゃないかと思う。


でも「老害」といわれたら、聞き流せる自信がない。

それまでの人生が全部否定されるような気がする。
はらわたが煮えくりかえるにちがいない。

またおそろしいことに、「老害」といわれたことに対して何と言い返そうと、どんな行動をしようと、「そういうところが老害なんだ」という切り返しがあるから、抵抗の余地がない。


よくできた悪口だと思う。
ほとんど最強。

「老害」って言葉を考えた人って、相手が何を言われたらいちばんイヤかをわかっているという点ですごく想像力豊かで、それを口に出してしまうという点ですごく底意地の悪い人だよねえ。

2016年5月22日日曜日

【読書感想文】ニコルソン・ベイカー 『中二階』



内容(「BOOK」データベースより)
中二階のオフィスに戻る途中のサラリーマンがめぐらす超ミクロ的考察―靴紐はなぜ左右同時期に切れるのか、牛乳容器が瓶からカートンに変わったときの感激、ミシン目の発明者への熱狂的賛辞等々。これまで誰も書かなかったとても愉快ですごーく細かい注付き小説。

 岸本佐知子(翻訳家)のエッセイがめっちゃくちゃおもしろいので買ったのですが、いやあ、やっぱり奇才・岸本佐知子が訳そうと思うだけありますね。
これも異常な小説でした。
誰にでも薦められる小説ではないけど、人によってはものすごくおもしろく感じると思います。ぼくはこういうの大好きです。

◆ 異常なとこ 1


ほんとに何も起こらない。
昔、井上ひさしの『吉里吉里人』を読んだときに、数百ページを費やして2日しか経たないので、「なんて話の進行の遅い小説だ!」と思ったものですが、『中二階』はその比じゃない。
なにしろ、主人公がエスカレーターに乗るところではじまり、エスカレーターを降りるところで終わる。その間、エスカレーターが止まったりするようなトラブルもない。ただ主人公がエスカレーターに乗っている間に考えたことをひたすら書いているだけ。

そういう実験的な小説はほかにもあると思います。「ものすごく短い時間に起こったことを長々と書く」という思いつき自体はそこまでめずらしいものではないでしょう。
でもそういう実験的小説はたいていおもしろくない(おもしろくないから手法として定着せずに実験で終わるのでしょう)。

『中二階』はちゃんとおもしろい小説としても成立しているのがすごい。これはかなりめずらしい実験成功例ですね。


◆ 異常なとこ 2


注釈の多さ。
量も多いが、ひとつあたりの長さも尋常じゃない。
5,000字以上にわたって長々と注釈が続いていたりする(しかもその注釈の中でさらに脱線して余談の余談になったり)。
もう読みづらいことはなはだしい。
でもその注釈が本編と同じくらいおもしろいので読み飛ばすわけにもいかないのが困ったものです。

しかし数ページにまたがって延々と注釈が続いていたりするので、編集者はレイアウトを組むのに苦労しただろうなあ。


◆ 異常なとこ 3


視点の細かさ。
アメリカ人っておおざっぱでがさつなやつらだとぼくは思っているのですが(そしてだいたいあっているんですが)、ニコルソン・ベイカーという人はアメリカ人作家とは思えないぐらい細かい。
両脚の靴紐が同じ日に切れたことについて、「同じ日に切れる確率はどれぐらいか」「どういった動作をしたときに靴紐にどの程度の力がかかるのか」といつまでも考えています。もうこの小説のはじめっから最後まで、ことあるごとに靴紐のことを考えていて、しまいには「1年のうちで靴紐が切れることについて考えるのは何回ぐらいだろう」と考えます。
ほとんど「靴紐が切れることについて考える小説」だといってもいいぐらいです。



ところでこの小説が発表されたのが1988年。
「たいしたトピックのない文章」「注釈の多い文章」「ものすごく視点の細かい極私的な文章」というのは、今ではWeb上にあふれています。
FacebookやTwitterのテキストはほとんどが内容の薄い私的な日記ですし、リンクは注釈に相当しますしね。

とすると、1988年発表の『中二階』がインターネット時代のテキストの氾濫を予想していたというのは考えすぎでしょうか......、
考えすぎですね、はい。


2016年5月20日金曜日

【エッセイ】捨てなくてよかったアジスロマイシン

みんな、余った薬ってどうしてる?


風邪ひくよね。
病院いくよね。
薬もらうよね。1週間分。

3日で治るよね。
薬飲まなくなるよね。
その、残り。


一応おいとくよね。
ぶりかえすかもしれないからね。

で、そのまま。
その薬を後に飲んだことはあるだろうか、いや、ない。


数ヶ月後にまた風邪をひく。
たしか前にもらった薬があったはずーと思って冷蔵庫をさぐると(あたしは薬を冷蔵庫にしまう)、薬が出てくる。

やったー!
捨てずにおいててよかった!



でも。

こわくて飲めない。

たぶんこれは風邪薬だと思う。
たぶん。
けど、この「アジスロマイシン錠250mg」が風邪に効くという確証が持てない。

もし、風邪薬じゃなかったらどうしよう。
下剤だったらどうしよう。
耳を溶かす薬だったらどうしよう。


そもそも。
これはほんとに飲み薬なのか。

粉末にして水にとかして注射器で静脈に打ちこむのがただしい服用方法かもしれない。

飲んで大丈夫か。

飲んだら耳が溶ける薬だったらどうしよう。



そんな不安に負けて、結局いつも冷蔵庫の薬は飲めない。

結局、病院にいく。

また薬をもらう。

出されたのは、カルボワシステイン錠500mg。

ああよかった。
冷蔵庫にあるアジスロマイシン錠とはちがう薬だ。
家にあるのと同じ薬だったらもったいないもんね。


で、新しくもらったカルボワシステイン錠を全部飲む前に、また風邪がなおる。

そしてまた、何の薬だったか忘れられるカルボワシステイン錠。



こうして、あたしの冷蔵庫には耳が溶ける薬ばかりがたまってゆく。




2016年5月17日火曜日

【読書感想文】 奥田英朗『どちらとも言えません』

内容(「BOOK」データベースより)
スポーツに興味がなくても、必読。オクダ節エッセイ集
サッカー後進国の振る舞いを恥じ、プロ野球選手の名前をマジメに考え、大相撲の八百長にはやや寛容?スポーツで読み解くニッポン。
スポーツはやって楽しく、観て楽しく、そして語ってこそ楽しい!プロ野球に大相撲、サッカーW杯からオリンピックまで、スポーツ大好き作家が勝手気ままに論じます。サッカー後進国の振る舞いに恥じ入り、プロ野球選手の名前をマジメに考え、大相撲の八百長疑惑にはやや寛容?オクダ流・スポーツから覗いてみるニッポン!
「Number」に連載されたスポーツエッセイ。毎回ワンテーマ10枚で、連載全26回+2010年サッカーW杯臨時増刊4回分。 基本的に特定の選手やチームには一切取材せず、一ファンとして、あるいは単に観戦した者として、フリーの立場から綴っているので極めてニュートラルな書き方になっているのが特徴です。そのため、とりあげた選手や競技について読者の側に知識がなくても、スポーツを中心にすえた文化論として読めます。もちろん、著者ならではの軽妙な語り口は健在。著者の若い時代に見聞きした話も多数入っているので、40代以上の読者には特にお薦めな一冊。


奥田英朗ってこんなにエッセイがうまかったのか。

スポーツのことをこんなにおもしろく語れる人は、ほかにまずいないんじゃないでしょうか。
スポーツのことはもちろん、社会一般や他国の文化や人の心の機微にも造詣が深く、それなのにあくまで観戦者の立場を守りつづけた文章を書けるのはすばらしい。

スポーツライターなどの業界関係者には無理でしょうね、このほどよい温度感でエッセイを書くのは。
関係者だと利害関係が生じるから思いきったことは書けないし、どうしたって「世間一般の人は知らない、入念な取材に基づくここだけの裏話」になってしまう。
それだといいルポルタージュにはなっても、おもしろいエッセイにはならない。

その点、奥田英朗は本業が小説家なので、スポーツ業界からどう思われたっていいやぐらいの気持ちで書いているのだろう、肩に力を入れずにあることないこと書いていて気持ちがいい。
たとえば、2010年のサッカーワールドカップについて書いたこんな文章。

 ところで、今大会最大のスターはC・ロナウドとメッシだろうが、彼らがハンサムかどうかという議論はさておき、印象的な顔であることは間違いない。ロナウド君は、粋がった町のチンピラ顔なんですね。ラテン女にモテモテで、目一杯自分を飾るが、どこか安いムードが漂う。ギャング映画だと序盤に殺されそう。一方のメッシ君は学生顔。ノートと教科書を抱えてキャンパスを歩くのが似合っていて、青春学園物のネクラな脇役によいのではないか。ついでにパク・チソンは丁稚顔。岡崎は柴犬顔。中澤はEXILE顔。いやすまない。さっきから失礼なことばかり書いている。


どうです、こんな無責任なことを書ける人がスポーツライターにいますか。いないでしょう。
匿名掲示板にだって書くのを躊躇していまいそうな“適当発言”ですねえ。
これを、由緒あるスポーツ情報誌『Number』に署名入りで書いてしまうのだから、根性がすわっているというかなんというか。


ぼくはほぼ毎年高校野球を観るために甲子園に行くのですが、友人とビールを飲みながら、かなり下劣なことばかりしゃべっています。
やれ「□□高校の監督は顔に知性が感じられない。学校の偏差値の低さが顔に出ている」だの、やれ「○○県は民度が低いからアルプススタンドの応援もダサい」だの、当事者に聞かれたらぶん殴られても文句のいえない低俗な軽口を叩いています。

これは友人しか聞いていないから言える冗談ですが、だからこそおもしろい。
『どちらとも言えません』もそれと同じですね。
無責任だからこそ辛辣で痛快。
野球場で酔っぱらいが飛ばしているヤジみたいなものです。
妙にヤジがうまいおっさんっていますもんね。
まあそういうおっさんは、えてして改まって意見を求められると言葉に詰まっちゃったりするものですが、おもしろいヤジをそのまま文章にできるのが奥田英朗の才能なんですねえ。

あくまで「観客の目線」。
エッセイのほとんどは、テレビ中継や新聞記事に基づいて書かれたもの。つまり、我々読者と同じ条件なわけです。
それが、奥田英朗の考察や思いつきの要素が加えられることで、ぐっと読みごたえが増すのです。


 わたしはふと思ったのだが、もしかしてアメリカの野球って、日本の大相撲みたいなものなのではなかろうか。ワールドシリーズ(このネーミングからして傲岸不遜でしょう)が唯一無二の晴れ舞台で、五輪もWBCも眼中にない。ファンはグローバル化など少しも望んでおらず、おらが町のチームの勝敗のみに一喜一憂する。その証拠に、彼らは日本が優勝しても、「おめでとう。でもイチローも松坂もメジャーの選手でしょ」くらいの余裕の態度でいる。大相撲も同様で、仮に相撲の国別対抗戦をやったら、今なら文句なくモンゴルが勝つと思う。しかし日本人はそれほど危機意識を持たないような気がする。なぜなら朝青龍も白鵬もほぼ日本人として受け入れられているし、相撲は日本の国技で、その座が揺らぐことは永遠にない。世界の中心にいるという自負心が、国民の上から目線を増長させるのである。


さすがは小説家。
異国の文化も、このようなストーリーを持たせることですんなり理解できるようになります。
いや、理解できるというより「わかったような気になる」ですかね。
でもそれでいいんです。
だってスポーツ観戦自体ってそんなもんですから。スポーツ解説者なんて、勝手に選手の心情を憶測して、さも真実であるかのように説明してるだけですから。
スポーツ観戦に必要なのは真実ではなく物語性なんです。

そういやぼくは小学生のときに近藤唯之(元スポーツ新聞記者)のプロ野球エッセイをよく読んでいたけど、あれなんか完全に報道じゃなくて物語だったもんなあ……。


奥田英朗のエッセイは、正確性よりも「わたしはこう思う」というホンネのほうを大事にしているので、軽く楽しめます。
とはいえ、ちょうどよいぐらいの「耳障りなひっかかりも」もあります。皮肉というか警句というか。
これがまた、ほどよく疲れるスポーツをした後のような爽快感を味わわせてくれるんです。
たとえばこんな一説。

 これはマスコミ自身が一番わかっていることと思うが、スポーツ報道には、どこか「本当のことは言いっこなし」という雰囲気があるんですね。多少強引にでも盛り上げないと、新聞は売れないし、テレビの視聴率も上がらないのだ。
 たとえばバレーボール。なんでバレーボールのワールドカップが毎回日本で開催されるのか、考えてみるとよろしい。おかしいでしょう。永年開催権なんて。小さな声で言うと、興味がないんですね、他国は。好きにやっていいよ、なのである。

あーあ、言っちゃったよ……。
それをわかってても口に出さないのが大人のふるまいなんですが、改めて言われると「いややっぱりそうだよなー」と苦笑。
みんなうっすら思ってるんでしょうけどね。


ちなみに、ぼくが思う「本当のことは言いっこなし」は、「みんな柔道なんかまったく好きじゃないんでしょ?」ってこと。


いやほんとつまんないもん。
そりゃ豪快に一本背負いとかきめてくれたらおもしろいよ?
でも、スポーツとしての柔道って、(特にレベルの高い人同士の試合だと)点数稼ぎ & 時間稼ぎだからね。
でかい選手が胸ぐらつかみあったままじりじりじりじりすり足で歩くだけの競技なんて誰がおもしろがるんだって話ですよ。

ほんとはみんな興味ないけど、日本人選手がメダルを稼いでくる競技だから、オリンピックの時期になったら応援してるふりしてるだけでしょ?

もしもだよ。
国際オリンピック連盟が
「次のオリンピックから柔道はなしね」って言い出したとするよね。
けっこうな数の日本人が反対すると思う。

でもそれって、「日本の獲得メダル数が減るから反対!」じゃない?

「柔道をオリンピックで見たいから反対!」って人は柔道家以外にいる?

日本がすごく弱くなってメダルを1個もとれなくなったとしても柔道を見つづける人ってどれだけいる?


2016年5月15日日曜日

【考察】答えは404 not found

「日本の中学・高校の教育は詰め込み型で、答えるある問題を解かせることしかやっていない」

みたいな偉そうな批判をする輩がいるけど、
てめえがテストで点とるための勉強しかしてこなかったことを日本の教育の問題にすりけてんじゃねえよ!

やるやつはやってるし、やらないやつはどんな環境でもやらねえよ!


ってうちの2歳児が言ってました。

2016年5月12日木曜日

【考察】失われしトキを求めて

佐渡島でトキが飼育されているというニュースが、「子どもたちに命の大切さを知ってもらいたい」というメッセージとともに流れていた。

命の大切さを知ってもらいたいなら、
もう保護なんてやめて、「かつて日本にはトキという鳥がいましたが、完全に絶滅してしまいました。決してトキの存在が戻ることはないのです……」
とやったほうが効果的だと思いますよ。

2016年5月11日水曜日

【エッセイ】妖怪キャベツ持たせ


見知らぬ女性につかまれながらキャベツを運んだときの話。




大学生のときのこと。
当時住んでいたアパートの近くには中高一貫の女子校があった。ぼくはその女子校の横を通って大学に通っていた(誤解しないでいただきたいが、女子校のそばを通っていたのは決して不純な動機ではなく、うら若い乙女の甘い香りを嗅ぎたいというきわめて純粋な気持ちによるものだ)。

少し肌寒い昼下がり。
ぼくが歩いていると、三十半ばの女とすれちがった。
“ふらふら”と“よたよた”の中間のような、おぼつかない足どりだった。
赤塚不二夫が生前100パーセントのアル中状態でテレビに出演していて、ガゼルがこの震え方してたらヤバい病気もってると思われて逆にライオンに狙われないぐらいだわってぐらいに震えていたが、ちょうどそのときの赤塚不二夫みたいな歩き方だった。

ゆっくりと歩いていた女はやがて歩みを止め、くずれるように道端に倒れこんだ。

あっ倒れた、と思った。
ほんとうに親切な人ならここで何も考えずにすぐさま駆けよるのだろうが、なにぶんぼくは性根が腐っているので、あら倒れちゃったよ、一応様子見に行った方がいいかしら、でも早めに大学行って空き教室で昼寝したいしな(かなりどうでもいい用事)と逡巡していた。

きっかけをくれたのは、ちょうど真ん前の学校から出てきた二人の女子高校生だった。
彼女らも女の人が倒れたことに気づいて「うわっ。人が倒れたよ」「やばいんじゃない?」と言い合っている。
女子高校生の存在に気づいてからのぼくの行動は素早かった。
すぐさま女の人に駆け寄り「どうしました? 救急車呼びましょうか?」と、どちらかといえば女子高校生たちに聞いてもらうためにつとめて優しい声をかけた。

倒れた女の人をあらためて見ると、顔に血の気がなくて、ものすごく痩せていて、ぼくが保健所の職員だったらとりあえずトラックの荷台に詰めこんでしまいそうなぐらい不健康なオーラを醸し出していた。
彼女は消え入りそうな声で「救急車は……呼ばなくても……いいです……。よくあることなんで……」と言い、しかし立ち上がるわけでもなく路上に座り込んでいる。
いやいやあんた立てなさそうじゃん、だいたいよく道に倒れますって第二次世界大戦のバターン死の行進かよ。

と、この時点で早くもめんどくさくなってきて(なにしろ性根が腐っているから)、さっさと救急車呼んで隊員に引き渡してしまおうかと思ったのだが、本人が呼ぶなって言ってるのに勝手に呼んで恨まれても嫌だしなあ、だってシッダルタが断食修行しすぎて死にそうになったときにスジャータが無理やり乳がゆを飲ませて助けたら感謝されるどころか修行の邪魔したみたいに言われてたしなあとか手塚治虫の『ブッダ』のストーリー思い出してたら、さっきまで心配そうに見つめていた女子高校生たちが、女の人の生命に別状はなさそうなこととぼくが声をかけたことで安心したみたいで、あっさり立ち去ってしまった。

こうなるともういい人のふりをする理由もないのだが、かといって「じゃっ、お元気で!」とさわやかに言ってこの場を離れるのも、高校生の前でいいかっこしたいという魂胆が見え見えなので、女の人の心配をするふりしながら突っ立っていた。

「ほんとに救急車呼ばなくて大丈夫ですか」

「ええ……。ちょっと……休めば治るんで……。ありがとうございます……」

べつにあなたのことを気遣ってるわけじゃなくて、救急車呼ぶなり立ち上がるなりしてもらわないと、一度声をかけた手前、この場を離れづらいじゃん。

それにほっといてもし今晩のニュースで「女性がのたれ死にました。都会の冷たさが生んだ悲劇とでもいいましょうか」とか古舘伊知郎がしゃべってんのを聞いちゃったら寝覚めが悪いしさ。
とはさすがに口に出して言うわけにもいかず「立てないようなら肩貸しましょうか」と云ってしまった。

そしたら女はまってましたと言わんばかりに「ほんとですか。ありがとうございます!」と若干元気よく食いついてきて、さっきまでの「ええ……ちょっと……」みたいな息も絶え絶えなかんじのしゃべり方はどこいったんだよ、と少し
イラっとしたものの、一度言いだした以上は今さら「やっぱ疲れるの嫌だからさっきのなしで」とも言えず、肩を貸すことになった。

そんで隣にしゃがんだら、信じられないぐらい強い力が肩にのしかかってきた。
うそでしょ?
だってこんなに細い人なのに。
体重以上の圧かかってない?物理法則ちゃんと機能してる?
立つために必要な分の倍ぐらい力かけてない?

あーこれ読んだことあるやつだ。
子どもの頃持ってた『ようかいだいずかん 日本のようかい編』で。
そう、こなきじじい。
おんぶしたら石に変わるっていう、人の善意につけこむ鬼畜妖怪。
いたんだ。現代にも。


で、左肩むしりとられんじゃねえかってぐらいの力でしがみつかれながらもなんとか立ち上がった。
そのときはじめて気づいたんだけど、この現代版こなきじじい、いっちょまえに荷物持ってんの。
ハンドバッグと、キャベツ。


キャベツ……?


なぜだかわからないけど、キャベツ1個だけ持ってる。
袋とかなくて、丸のままのキャベツ。
買い物帰りなんだろうけど、ふつうキャベツ裸で持ち歩くかね。
しかもおかず買いに行ったら、肉とか魚とかも買うと思うんだけど。
キャベツだけをバリバリかじっているなんて、ますます妖怪じみている。


そんでさ、立ち上がった拍子にハンドバッグ落としちゃったわけ(キャベツは無事)。
そりゃそうだよね。
だって全身全霊の力をこめて、ぼくの肩肉に指をくいこませてるんだもの(たぶんもう肩が紫色になってる)。
そんなに肩に力かけてたら、ハンドバッグ持ってる方の手に力なんか入るわけない。

だからね。見かねて云ってやったわけ。
「荷物持ちましょうか」って。
もう女子高校生もいないのによ。
純粋な親切心で。

そしたらその女、ちょっとためらって断るんだよ。
あ……いや……いいです……。
なんつって。

まあわからんでもないよ。
貴重品とか入ってるだろうし、初対面の男に荷物預けるのは不安って気持ちは。
でもさ。
こっちは倒れてるところを助けてやった(っていっても肩の肉を紫色になるまでつかませてやっただけだけど)恩人なわけよ。
そんな人間が盗みをはたらく悪人だと思うのか! 失礼な!

もし盗むんなら倒れた直後にハンドバッグひったくって、すぐに走って逃げて、角を曲がったところの自販機の下あたりにハンドバッグ押し込んで万が一捕まっても証拠が残らないようにしてその場を離れてから、ほとぼりが冷めた頃を見計らって金品だけ回収に来るわい!(まあなんて計画的な悪人)

と思ってたら、それが顔に出ていたのか、女の人もせっかくの申し出を無駄にしちゃ悪いと思ったらしく、
「じゃあ……これ、持ってもらってもいいですか……」
とキャベツを差し出してきた。

というわけで、ふらふらの女に左肩をわしづかみされながら、右手でキャベツを裸のまま抱えて、近所に住んでいるという女の家まで歩くことになった。


道中はほとんど会話なし。
訊きたいことはキャベツの繊維の数ほどあった。
なんでキャベツ1個だけ買ってんの?とか
なんでそんなに痩せてんの?とか
なんでよく倒れんの?とか
なんで救急車呼ばないの?とか。

でもどの質問しても返ってくる答えは「お金がないから」だろうなってことがその頃にはもう薄々わかってきてたから、結局何も云わなかった。明らかにお金なさそうな風貌だったし。
うかつにお金の話題になって、見ず知らずの女から「お金貸してもらえませんか」って云われたら困る。
そりゃあ、こっちも貧乏学生だとはいえ、そして性根が腐っているとはいえ、人の命に替えられるならいくらかはカンパしてあげたいとは思う。
だけどこの女、さっき立ち上がるために必要な分以上の力をぼくの肩にかけたことから察するに、生きていくために必要な分以上を要求してくる可能性がある。ガーデニングしたいんで肥料買うお金貸してもらえませんか的な。

そんなわけでお金の話にならないように警戒しながら送ってやったのだが、その人の家に着く前に「あ……ここらへんでいいです……。あと少しで家なんで……。ありがとうございました……」って云われて、ああ見ず知らずの男に自宅を知られないように警戒されてるんだなあと思ってちょっと悲しくなった。

一応人助けしたのに、よほど心の汚さがにじみ出ていたみたいで、ハンドバッグは預けないわ、自宅は知られないようにするわで、とうとう最後まで警戒されたままだった。
ぼくはただ純粋に、女子高校生の前でいいかっこしたかっただけなのに。
でもぼくも借金を申し込まれないかとずっと警戒していたわけで、そのへんはお互い様だ。


というわけで人助けなんていうと聞こえはいいけど、実際は助けたり助けられたりしながらもけっこう腹のさぐりあいをしているものよね。

2016年5月10日火曜日

【エッセイ】あいさつがとくい


Eテレ『おかあさんといっしょ』
その中の『ともだち8人』には、ヤアヤというキャラが登場する。
「あいさつがとくい」なんだって。

あいさつに得意も苦手もあるかいっ!!


と思ったあなたは、あいさつがとくいな人。
ヤアヤ系のタイプ。
あいさつに苦労をしたことのない、いわば社交界のぼっちゃん。
軽々に「あいさつができないなら世間話をすればいいじゃない」とか言って、非・社交的な民衆から反感を買ってギロチンにかけられればいいのに。



あたしはあいさつがへただ。
あたしが「あいさつがとくい」というアビリティを獲得するためには、相当なことをするしかないんじゃないだろうか。
たとえば悪魔に魂を売り渡すとか。


まずあいさつのタイミングがわからない。
いつおはようと言ったらいいのか。

「そんなのかんたんじゃないか。
 朝、最初に顔をあわせたときだよ」

そんなことはあたしにもわかってる。

でもよ。
まず顔をあわせられないわけ。
人の目を見ないから。

さあどうする。
そちならどうする、一休。



あとさ。
こんなケース。

あっ、知り合いのAさんだ。
でもAさん、Bくんとしゃべってる。
あたし、Bくんと話したことないんだよね。
じゃましちゃ悪いし、素通りしよう。

こんなとき。
そのあと、Aさんに対してどうやってあいさつしたらいい?
さっきお互いに気づいてたのに、今さら「おはよう」ってのもねえ……。

こんなとき、「あいさつがとくい」なヤアヤならどうするわけ?

『おかあさんといっしょ』ではこんなときの対応も教えてくれるわけ!?

2016年5月9日月曜日

【エッセイ】寿司おしえます

ぼくの夢は「寿司をおしえる」ことだ。
それも、とびきりえらそうに。


寿司屋でひとり、寿司を食うぼく。
たまたま隣に、外国人客が座る。若いカップル。大きな荷物を持っているから旅行客なのだろう。

お品書きを見ながら、ひそひそと小声で話しあうカップル。
どうやら寿司屋に入ったものの、どうやって頼んだらいいかわからなくて困っているらしい。

お品書きは日本語のみ。
おまけに「えんがわ」「ねぎとろ」「あなきゅう」など、辞書にも載っていないような名前が並んでいる。
困惑しないわけがない。

「どうしよう。ぜんぜんわかんない」
 「上から順に頼んでみようか」
「でも。クレイジーなメニューだったらどうしよう。ピカチュウの頭部とか」
 「おーまいがー」

みたいな会話をしているにちがいない。


絶体絶命の大ピンチ。
そこへ優しく声をかける、ジャパニーズ・クールガイ(ぼくのこと)。

「へいどうしたんだい、そこのトラベラーズ?」

「まあ。地獄でブッダとはこのことだわ。たすけて、オーダーの方法がわからなくて途方にくれてるの」

「なんだ、どんなダイハードな事態かと思ったらそんなことか。おやすいごようだ。オーケー、ぼくが寿司のオーダーという方程式を鮮やかに解いてみせよう。まずは無難にサーモン、ほんのちょっとだけソイソースをつけて食うべし。それから甘いソースのかかった蒸しアナゴ……」

とえらそうな顔で寿司の食い方とうんちくをレクチャーし、尊敬のまなざしを受けるのがぼくの夢だ。




とはいえ、たいていの夢がそうであるように、ぼくの夢もかんたんには叶えられそうにない。
まずぼくは外国語が話せない。英語ですらニューホライズンレベルだ。
それから寿司通でもないのでうんちくなんかひとつも知らない。
あと出不精だからひとりで寿司屋なんか行かないし、人見知りだから隣の客が困ってても話しかけたりもしない。

なんと道が険しいことか。

というわけで、ひとなつっこくて、ぼくの説明に対してややオーバーめに感心してくれて、日本語が堪能で、でも寿司のことだけは何も知らない外国人がいたら、ぼくのところまで!!
待ってます!
こっちからは声かけないです!

2016年5月7日土曜日

【読書感想文】橘 玲『言ってはいけない 残酷すぎる真実』


内容(「BOOK」データベースより) この社会にはきれいごとがあふれている。人間は平等で、努力は報われ、見た目は大した問題ではない―だが、それらは絵空事だ。進化論、遺伝学、脳科学の最新知見から、人気作家が明かす「残酷すぎる真実」。読者諸氏、口に出せない、この不愉快な現実を直視せよ。

いやあ、おもしろい本でした。

とある書評サイトで
「この本には著者独自の見解というものがほとんど含まれていない。いろんな本や論文から得た見識を紹介しているだけだ!」
と批判している人がいた。

そう、そのとおり!
いろんな見識を紹介しているだけ!
でも、それがすごいんだよなあ。かんたんな仕事に見えるかもしれないけど。

膨大な資料にあたり、それをわかりやすくまとめて、興味をひくように提示するてのは、ほんとに頭がいい人にしかできないことですよ。
「政治・経済の池上彰、(経済学も含めた)サイエンスの橘玲」
ですね。

なにより、挑発的なコピーをつけるのがうまいですね。
たとえば、この本の見出しだけをいくつか取りあげてみましょう。

  • 馬鹿は遺伝なのか
  • 犯罪は遺伝するのか
  • 妻殺しやレイプを誘発する残酷な真実
  • 脳科学による犯罪者早期発見システム
  • 「美貌格差」最大の被害者とは
  • メスの狡猾な性戦略
  • 避妊法の普及が望まない妊娠を激増させる
  • 低学歴の独身女性があぶれる理由
  • 子どもはなぜ親のいうことをきかないのか
  • 英才教育のムダと「バカでかわいい女」

どうですか。
読みたくなるでしょう。
電車の吊り広告に載っている週刊誌の見出しのようですよね。
実際、週刊誌と同じで煽りすぎなところもあったり、結論を急いで極論に走ったり、わざと誤解を招くようなことを書いたりしていますが、娯楽的な読み物としてはこれで十分。
あくまで入門書(または飲み会での話のネタ)と考えて、正確な知識は巻末の参考文献にあたる、というのが正しい接し方ですね。


内容も刺激的。
たとえば……。

 犯罪における遺伝と環境の影響を知るには、養子に出された犯罪者の子どもがどのような人生を歩んだかを調べてみるのも有益だ。もちろんこうした研究も行なわれていて、約1万5000人の養子(男の子)を対象としたデンマークの大規模な調査が有名だ。
 この調査では、実の親も養親もともに犯罪歴がない場合、有罪判決を受けた息子の割合は 13・5%だった。養親に犯罪歴があり、実の親にない(遺伝的な影響がない)場合、この割合は 14・7%にしか上がらない。しかし養親に犯罪歴がなく、実の親が有罪判決を受けたことのある(遺伝的な影響がある)ケースでは、息子が犯罪をおかす割合は 20%にはねあがったのだ。

つまり、子どもが犯罪者になるかどうかは、どんな家庭で育ったかよりも、どんな親から生まれたかに影響されやすいということです。
たしかにこれはおおっぴらには言えない話ですよね……。
犯罪者の親を持つ子どもへの差別につながりかねないですもんね(親が犯罪者でも犯罪をしない子のほうが多いのに)。
「親のしつけが悪かったせいだ!」というほうがよほど受け入れやすいですよね。事実とちがっても。 

でも、備えあれば憂いなし。
「親なんて無力だ」ということを知っておくためにも、子育てをする前にこの本を読んでおいてもいいかもしれません。
おもしろかったのはこんな話……。

男女共学の学校に通う女子生徒は、「数学や物理ができる女はかわいくない」という無言の圧力を加えられている。「バカでかわいい女」でなければ友だちグループに加えてもらえないなら、好きな数学の勉強もさっさと止めてしまうだろう。
 このように考えれば、親のいちばんの役割は、子どもの持っている才能の芽を摘まないような環境を与えることだとハリスはいう。
 知的能力を伸ばすなら、よい成績を取ることがいじめの理由にならない学校(友だち集団)を選ぶべきだ。女性の政治家や科学者に女子校出身者が多いのは、共学とちがって、学校内で「バカでかわいい女」を演じる必要がないからだ(必要なら、デートのときだけ男の子の前でその振りをすればいい)。同様に芸術的才能を伸ばしたいなら、風変わりでも笑いものにされたり、仲間はずれにされたりしない環境が必要だろう。


ぼくは女子校がどんなのかは知らないけど、たしかに高校時代は賢い女子も「ちょっとばかな子」を演じてたなあ、と思いあたる。
あれは生きていく上でやむなくとっていた生存戦略なんだなあ。
ちょっと悲哀を感じますね。

他にも、刺激的なトピックが多く紹介されています。


「知性は大部分が遺伝で決まる。家庭での教育はほとんど子どもの知能や性格に影響しない」

「生まれもって犯罪者になりやすい子は存在する」

「端正な顔立ちの人のほうが知能が高い」

「同じ罪を犯しても、顔立ちによって罪状は変わる」

「男女をまったく同じように育てると、かえって男は男らしく、女は女らしくふるまうようになる」


これらは『言ってはいけない』に書かれている内容ですが、学校で教わる「道徳」に反することばかりですよね。
誰でも努力をすれば成功する、出自や見た目で人を判断してはいけません、男女に優劣の差はありません……。

特に学校教育は「人はみな平等である」という幻想にもとづいて制度設計されているので、それがウソだとわかってしまうと、成り立たなくなりそうですよね。
みんな薄々ウソだとは気づいているけど、あえて口にしない。

でも、はたしてそれって人を幸福にしているのでしょうか。
生まれもって勉強が得意でない子に「がんばればできるよ!」と勉強をさせるのって、車椅子の子に「がんばれば速く走れるようになるよ!」というようなもんじゃないのか。

以前にも書きましたが、ぼくは障害者がそうでない子と同じ学校に通うことに反対です。
能力の異なる子を同じように扱うことは、決して本人を幸せにしないと思います。

そろそろ「誰でも努力すれば成功する」というエセ平等主義はやめましょうよ。
優しいことを言っているようで、「成功しなかったのは努力しなかったおまえが悪い」と言ってるのと同じだから。
ねえ。



2016年5月6日金曜日

【エッセイ】霊感があるタイプの人

あたしには霊感がある
……という人を見分ける力が、あたしにはある。


(あー、こいつ言いそうだなー)
と思っていたら、あんのじょう。

「あたしさぁ、霊感ある人なんだよねー」

ほら、言った。

ほら、「ほかの人には見えないものが見えるトクベツなあたし」かもしだしてきた。



(こいつ、言わなくてもいいのにみんなの不安をあおるようなこと言いはじめそうだなー)
と思っていたら、あんのじょう。

「この道、なんか感じない……?」

そら、きた。

「あたしだけかな……。まとわりつくような視線を感じるっていうか……」


それはあたしが(こいつめんどくさいこと言いだしそうだな)って目で見てたからだよ!



2016年5月4日水曜日

【エッセイ】SAKURAパイ

日本に来た人が買って帰るおみやげのお菓子ってなんなんでしょう。

北海道における白い恋人。
広島ならもみじまんじゅう。
ハワイのマカデミアナッツチョコ。

そういうやつ。

めちゃくちゃおいしいというほどではないけど、誰が食べてもそこそこおいしい、おみやげのド定番。

現地の人は誰も食べない、おみやげとしてのみ生きていけるお菓子。



ぼくらが知らないだけで、日本にもそういうのがあるんじゃないでしょうか。

「SAKURAパイ」とか「JapaNoodle」みたいな、日本みやげ専門のお菓子がどこかで売られているんじゃなかろうか。


日本人は誰も食べたことがない、けれども訪日する外国人にとっては誰もが知っているド定番のお菓子が……。