2016年12月24日土曜日

烙印をきれいに押す

ビジネスの場で

「がんばります」
「努力します」
「全力を尽くします」
「注力します」
「全身全霊で取り組みます」
「最善を尽くします」

という言葉を耳にすると、ああこいつはずっと同じ失敗をくりかえすダメなやつだ、という烙印を押すことにしています。


頭脳労働に従事している以上、
「全力を尽くさなくても物事が円滑に運ぶようにする」
のが仕事というものです。

うまくいかなかった要因を「努力が足りなかったせいだ」と考える人間は、同じ失敗をくりかえしますし、また他人にも同じ失敗をさせます。

オフィスワークにおいて、常に全身全霊をかけて取り組まないといけないのは
「印鑑をきれいに押す」
という作業のときだけ!

2016年12月19日月曜日

隣からモヘンジョ・ダロ

姉夫妻が一戸建てを買ったので遊びに行く。

南隣に空き地なので、そのおかげですごく陽当たりと風通しがいい。
「明るくていい家だね」
「今はね。でももうすぐ南に家が建つから、陽当たり悪くなっちゃうんだよね。来月から工事も始まるからうるさくなるし」
と話していた。



それから数ヶ月してまた遊びに行くと、まだ隣は空き地のまま。
「あれ? 隣に家が建つんじゃなかった?」
と訊くと、

「それがね、すごいラッキー! 隣の工事がはじまってすぐに、地面の下から遺跡が出たんだって! 考古学的に価値のある遺跡だったらしくて、あの土地は発掘を続けるために国が買い上げて、家は建てないことになったんだって!」
と大喜びしていた。


そんなこともあるんですね。

「景観を壊す高速道路の建設反対!」
なんて運動をしている人たちは、ぜひ参考にしてください。
遺跡埋めるといいですよ。

2016年12月17日土曜日

世界のおかあさん

子どもの頃、おもちゃを取りあってきょうだい喧嘩になると、おかあさんが
「喧嘩するんだったらふたりとも遊んじゃダメ! これはおかあさんが使う!」
と宣言して、おもちゃを取り上げてしまった。


世界中で起きている領土問題も、そんなふうにしたらいい。
「北方領土をめぐって争うんだったら、2国とも使わせません! 南極みたいに誰のものでもない土地にします!」
とすればいい。

「日本としてはそこまで北方領土がほしいわけじゃないけど、目と鼻の先までロシアが来るのは嫌だ」

「ロシアとしても、北方領土がほしいというより、そこが日本領になって米軍基地とか造られたら困る」

みたいな事情があったりするわけだから、どっちのものでもなくなったら、それはそれで仕方ないかと思えるんじゃないかな。


それに、「あと1年たっても仲直りできてなかったら領土没収します!」って締切を設定されたら、
「じゃあ四島を二島ずつで分けましょうか」
という現実的な話し合いもできるんじゃないかな。


世界のおかあさん的な存在の出現、待ってます。


2016年12月14日水曜日

高齢スクリュードライバー

高齢者ドライバーの事故が増えていることを受けて、高齢者が運転することに対する規制を強めよという声が高まっている。

そうなると当然、規制に対する反対意見も多く聞かれる。

賛否両論あってしかるべきなんだけど、両者ともレベルの低い意見が多いなあという印象。
特に高齢者の免許規制反対派に。


意見1
「車がないと生活できない高齢者もいる」

反論
それって「麻薬の売人は麻薬の取引を禁じられたら生活できない」みたいな話だよね。
不便だからって他人を危険にさらしていいわけない。


意見2
「ひとくちに高齢者といっても認知能力や運動能力は個人差が大きい。一様に規制するのはおかしい」

反論
それって「おれは何度も飲酒運転してるけど一度も事故を起こしたことがない」みたいな話だよね。
どっかで線引きは必要なんだから、事故を起こす確率が高いカテゴリー内にいる人に規制を施すのは必然。


意見3
「統計的に見ると高齢者よりも若者のほうが事故を起こす確率が高い」

反論
それって「おれは10万円しか盗んでないけどあいつは20万円も盗んだ」みたいな話だよね。
だったら若者の運転を規制しよう、という話になるならまだわかるけど、それと「高齢者の運転を規制しなくていい」とはまったく無関係。

そもそも単純な事故率だけで比較できないと思いますけどね。
かたや今は運転技術が未熟だけど慣れるにつれてどんどんうまくなって事故率の下がる若者、かたやこの先どんどん事故率が上がる一方の高齢者。どっちから免許を取り上げるかっていったら、そりゃ後者でしょう。
「18~20歳の事故率が高いから」っていってその世代を免許取得できなくしたら、今度は21~23歳の事故率が上がるだけでしょう。



「社会全体で見たときに、高齢者の運転を制限することによる不利益と、もたらされる利益の総和を比べて、どっちが大きいか」
という議論をすべきなのに、大半が個人の不利益の話に終始してる、という印象。


2016年12月13日火曜日

【エッセイ】イークァイ、イークァイ

十数年前に北京に留学していたとき、寮で同室だったKさん。
Kさんはふしぎな人で、語学留学に来ているくせにまったく中国語を勉強しようとせず、スーパーマーケット(中国語では超市という)で謎の食材を買ってきて、毎晩そいつを肴に酒を飲んでいるだけだった。


そんなKさんと買い物に出かけたときのこと。
一軒の店でKさんがバッグを見ていると、店員が声をかけてきた。
「おっ、それはいいバッグだ。今なら特別に100元でいいぞ」

もちろんこれはぼったくり価格である。
中国では交渉するのが基本だから、「高すぎる。もっとまけろ」「90元」「15元なら買ってやる」なんてやりとりをして、値切って買うことになる。
外国人相手には、まず相場の5倍近い値をふっかけるのがふつうだ。


Kさんは勉強をしないので中国語がわからない。
ぼくが通訳をしてやった。
「100元でどうだって言ってるよ。でも明らかに高すぎるから値切ったほうがいいよ」

するとKさん、
「犬犬くん、1元ってなんていうの」
と訊ねてきた。
当時、1元は日本円で15円。
いくら中国の物価が安いとはいえ、バッグが1元は安すぎる。

が、ぼくは訳してあげた。
「1元はイークァイだよ」

Kさん、そのまま
「イークァイ、イークァイ」と店員に言う。

店員は苦笑しながらも交渉をする。
「じゃあ90元でどうだ」
「イークァイ(1元)、イークァイ(1元)」
「よしっ、80元」
「イークァイ、イークァイ」
「しょうがない。75元。これ以上は下げられないぞ」
「イークァイ、イークァイ」

すると店員、とうとう怒りだした。
「こっちは値下げしてるんだから、そっちも上げないと交渉にならないじゃないか!」
と。
店員の言うことももっともだ。
それを訳して伝えると、Kさんはぼくに訊ねた。

「犬犬くん、1.1元ってなんていうの」



結局バッグは買えなかったけど、いやあ、あれは百戦錬磨の中国人の店員に勝利した瞬間だったなあ……。



2016年12月6日火曜日

覗き見趣味と強い意志

マザー・テレサも言っていたように他人のプライバシーを覗くことほどおもしろいものはないよね(よく考えたらマザー・テレサは言ってなかったかもしれない)。
電車で本を読んだりメールを打ったりしている人がいれば、できるかぎり覗きこむように心がけている。

こういうことは日頃から意識していないと意外と実行に移すのは難しい。
ジョギングを続けようと思ってもすぐ三日坊主になってしまう人が多いが、それは意志が弱いからだ。
ぼくは「ひとりでも多くの人のプライベートな部分を覗き見よう」という気持ちを強く持っている。
これが継続につながっている。
何事もすぐに投げだしてしまうみなさんは、ぜひぼくのこの姿勢を見ならってほしい。


ぼくは本には詳しいほうなので、他人が読んでいる本をちらっと見ただけでだいたいのジャンルがわかる。
活字の組み方でどの出版社かわかるし、出版社とフォントの大きさや行間がわかればある程度のジャンルは見当がつく(河出なら純文学、徳間なら時代小説かミステリ、新潮でページ数が少なければ軽めのエッセイまたは文豪の作品が多いとか)。
おかげで「なるほどね。いかにも伊坂幸太郎を好きそうな風貌だな」とか「ばかみたいな顔してるのに意外と骨のあるノンフィクションを読むんだな」とか考えてにやにやすることができる。
これはかつて本屋で働いていた経験があるからこそだ。
若いうちの経験がゲセワな趣味に活きるのは、とても誇らしいことだ。


本もおもしろいが、他人のメールはもっとおもしろい。
先週の金曜日に女の人が打ち込んでいたLINEの内容は、今日はありがとうございましたまた誘ってくださいというものだった。
合コンか初デートの帰りだったのだろうか。
きっとお相手を気に入ったのだろう。

彼女の恋がうまくいくかはどうでもいいけどいいけど、このLINEのやりとりが長く続くといいな。それも早めに返事が来るといい。
しかしぼくの願いもむなしく、合コン相手からの返事が来る前に彼女は電車を降りてしまった。
残念だが、覗き見に慣れているぼくはこんなことではいちいち落ち込まない。強い意志を持っているから。


それにしても、後ろから覗きこまれているのを知らずにLINEを打つ女の人は、どうしてあんなに魅力的なのだろう。
ぼくが本を読むふりをしながらちらちらスマホを覗きこんでいることを知ったら、きっと彼女は嫌な顔をするだろう。恥ずかしがるだろう。

けれどもぼくを楽しませるという崇高な行為をしてくれたのだから、ちっとも恥じることはない。自分のLINEを他人に読ませて楽しませてくれる女の人は、きっと将来孫から愛されるおばあちゃんになるはずだ。

おばあちゃんは見ず知らずの若者の口座に大金を振り込んじゃったりするぐらいガードが甘いから、今の若い女の人たちがおばあちゃんになったときには、スマホやタブレットを覗き見るチャンスがぐっと増えているにちがいない。

そう考えると年をとるのが楽しみだ。



2016年11月30日水曜日

結婚するのがふつうだという幻想

「今の若い人たちは結婚願望が低い」
「子どもを持つより自分の楽しみを優先しようとする」
なんてことをよく耳にします。

でも。ふと思った。
「結婚しない」という選択は、じつは昔から多かったんじゃないのか。


大半の人が
「自分が食っていくだけでせいいっぱい」
「残すほどの財産もない」
だった時代であれば、
「結婚しない」「子どもなんていらない」という選択をするのはごくごくふつうのことだ。

「結婚しても子どもを持たない」という生き方についても、昔は避妊の技術がなかったから選択されなかっただけで、技術があったらそれを選んだ人も多かったのでは。



落語には、『たらちね』『ろくろ首』など、

「邪魔するよ」
 「おや、大家さん。どうしたんですかい」
「おまえもいい歳だろ。そろそろかかあでももらってもいいだろう」
 「うちに来てくれる女がいればいいですけどね」
「そう思って、いい縁談を持ってきたんだ。ところが少しだけ問題があってな」

……という流れではじまる噺がいくつかある。

それだけ、結婚しようとしない人が一般的だったということでしょう。


「いい歳なんだから結婚して身を固めるのがあたりまえ」
という価値観なんて、ここ100年ぐらいの(人類の歴史から見たら)ごく短期間の例外的な時代のものなんじゃないのか。

これから先、日本はまちがいなく若者が生きにくい時代になる。
結婚しない、子どもを持たない人は増えていくでしょう。

でも、それは稀有な存在ではない。


いつの時代も、あえて結婚しなかった人はけっこうな割合で存在した。
ただ、そういう人の存在は後世に伝えられなかっただけ(だって語り継ぐ子孫がいないんだもん)。

2016年11月28日月曜日

幽霊から学ぶ生物進化学と経営への提言

まったく光の届かない深海に棲む魚は、ものを見る必要がないため、眼が退化するといいます。


一方、幽霊。

彼らには脚がありません。
これは、浮遊能力を身につけたことで歩く必要がなくなり、脚という器官が不要になったためです。

脚をなくしたことで、脚の維持・活動にかかっていた物資やカロリーを他の器官にまわせるようになりました。
また、脚の分の重量がなくなったために、浮遊に用いるエネルギーも少なくて済みます。
脚をなくすのはたいへん効率がいい退化であるといえますね。


また、幽霊には胃や腸などの消化器官もありません。
彼らは怨念をエネルギーに変換して活動しているため、食物からカロリーを摂取する必要がないのです。
そのため消化器官は少しずつ小さくなり、ついにはなくなってしまったのです(ただし完全に消えたわけではなく、なごりはまだ見られます。「霊腸」と呼ばれる、今では何の役にも立たない器官が、かつて腸を持っていた痕跡です)。


消化器官はなくなりましたが、肺や舌は今も残っています。
これは「うらめしや」といった言葉を発することで怨みを伝達するためです。

怨念エネルギーによって肺に空気を取り込み、怨念エネルギーによって空気を吐き出し、その際に喉を振動させることによって「うらめしや」という音を発するのです。

幽霊の声帯は人間のものより長く、また自在に震わせることができます。
これによって、より低く、恨めしく聴こえる声を出すことができるのです。
他の幽霊との怨み競争に勝つための戦略であるといえるでしょう。



大昔の幽霊は、人間とほとんど同じ姿をしていました。
ですが代を重ねるごとに少しずつ遺伝子が変化していきました。
不必要な器官を持った幽霊は怨むことができずに淘汰されていき、結果として今の姿の幽霊だけが残ったというわけです。


失ったものばかりではありません。新たに身についた機能もあります。

たとえば浮遊能力がそれです。

昔の幽霊は、浮くことができませんでした。
当時は高い建物がなかったので、浮かずとも怨む相手の夢枕に立つことができたからです。
ところが文明が進むにつれ、高いところに住む人間が増えてきます。これでは夢枕に立つことができません。

しかし幽霊は進化の過程で浮遊能力を獲得しました。
浮遊できる幽霊は他の個体に比べて怨みに行くのに有利だったために、浮けない幽霊は淘汰され、浮ける個体ばかりになったのです。

このように、別の種の進化にあわせて進化することを「共進化」といいます。
捕食者が鋭い歯を持つようになったからカニが堅い殻を持つようになった、というのと同じです。


また、幽霊が建物などを透けることができるのも、共進化により獲得した形質です。
昔の人の家は鍵がなかったり壁にすき間があったので幽霊が侵入しやすかったのですが、今の住宅は気密性が高いのでかんたんに入ることができません。
そこで、壁を透けて通れる能力を身につけたのです。


このように、幽霊の進化速度はたいへん速く、人間のライフスタイルの変化にあわせてその形態や行動はどんどん変わっています。
近年では、写真に写ったり、ビデオテープを介して呪ったりといったことも可能になっています。

もしかすると、もう、ドローンにつかまって移動したり、電気自動車に特化した幽霊も出現しているかもしれません。


幽霊がこれだけ長期にわたって繁栄してきたのも、この
「的確に状況の変化をとらえる力」と
「変化に柔軟に対応するために既存の成功パターンを捨てて自己を変革していく柔軟な心」
があったからに他なりません。


我々ビジネスマンが幽霊から学ぶべきことは非常に多くあります。

ここにお集まりいただいた経営者諸兄に対しては、ぜひこのことを忘れずに今後の経営に勤しんでいただきたいと思います。

本日はご清聴、ありがとうございました。


2016年11月26日土曜日

寝ている人の口に何かを放り込むことについて

お疲れなのだろう、電車の中で口を開けて眠っている人がいる。

心がざわつく。
この口に、何か放り込んでやりたい。

ボタンがあればつい押したくなるのと同じで、ぽっかりと開いた口は人間の本能的欲求に強く訴えかける何か入れたい。

消しゴムのカスでもあれば、パスタに粉チーズでもかけるようにぱらぱらっと口の中に放り込んで味を調えてあげるのに。
だけど電車の中なので消しゴムのカスはない。
おい口をあけて寝ている女よ。消しカスがなくて命拾いしたな。

まあどっちにしろ他人の口に何かを放り込んだりはしない。
なぜならぼくは大人だから。分別があるから。



ぼくがまだ小学生で、父親と一緒に風呂に入ったときのこと。
父が湯船に浸かって大口を開けて気持ちよさそうに眠っているのを見て、口の中に何か放り込みたくなった。
といっても風呂の中なのでたいしたものはない。
ぼくは湯船のお湯をすくって、父の口に注いだ。

直後、父は溺れた。

んげほっ。がはああぁっ。
信じられないぐらいむせかえり、顔を真っ赤にして何度も咳きこんだ。
ぼくは、父はこのまま死ぬんじゃないかと思って怖くなった。手のひらいっぱいのお湯で死ぬなんて、お湯って怖いなと思っていた(怖いのはおまえの発想だ)。

1分後、めちゃくちゃ怒られた。
ぼくの父はめったに感情的にならない人だが、このときばかりは声を荒らげて怒った。
無邪気な好奇心で殺されかけたのだから。
後にも先にも、全裸であんなに怒られたのはこのときだけだ。




この体験からぼくは三つのことを学んだ。

寝ているときに口にお湯を入れると人はかんたんに溺れるということ。

他人の口に勝手にものを入れてはいけないということ。

そして、服を着ているときよりも裸で怒られたときのほうがずっとダメージがでかいということ。


ぼくはもう大丈夫だ。経験から学んだから。
勝手に人の口にものを放り込んだりしない。

だけど世の中の人々はそうではない。
隙あらば、本能のままに他人の口に消しカスやお湯を入れてしまうやつらばかりなのだ。

だからみんな知っておいてほしい。
電車内で口を開けて寝ることは、死と隣り合わせの危険な行為なのだと。

あと、全裸で怒られるのは服を着て怒られるのより三倍ダメージを受けるのだと。

 

2016年11月21日月曜日

【エッセイ】雷天犬捕獲大作戦

母の奇行について。

うちの母は犬が好きだ。
ずっと犬を飼っていたのだが、かわいがっていた犬が昨年死んでしまった。
しばらく落ち込んでいたのだが、最近また犬を飼いたいという気持ちがふつふつと沸いてきたらしい。
「でもねえ、わたしもお父さんも、もういつ死ぬかわからないし、犬だけ残されたらかわいそうでしょ。だから飼っちゃいけないと思うのよねえ」


犬を飼いたい。でも飼えない。
そんなジレンマを抱えた母はひらめいた。
「そうだ、迷い犬を保護しよう!」

迷い犬を見つけて保護すれば、飼い主が見つかるまでの数日間限定で、犬を飼う楽しさを味わうことができる。
これまでにも何度か迷い犬を預かった経験のある母はそう考えた。


しかし迷い犬などそうそういるものではない。
そこで彼女がとった行動は「カミナリの日に近所をうろうろする」というものだった。

犬を飼ったことのある人は知っていると思うが、たいていの犬はカミナリをものすごく怖がる。
遠雷であってもあのゴロゴロが聞こえたとたんにパニックを起こし、すくみあがり、吠え、走り回る。
首輪から抜け出したり塀を飛び越えたりして脱走する犬もめずらしくない。

それを知っている母は、カミナリの音が聞こえると家を飛び出し、あちこち歩き回って積極的に迷い犬を探しているのだとこないだ電話で話してくれた。
いいアイデアを思いついたと自慢気だ。


しかし。

母もまあまあいい歳だ。

カミナリの日にあてもなくうろうろする老婆を見て、近所の人はどう思うだろう。
「ああ犬好きのおばあちゃんなんだな」と察してくれる人は決して多くはあるまい。

犬を保護するより先に自分自身が保護されないことを、息子としては切に願うばかり。


2016年11月20日日曜日

【エッセイ】地味だけど効果的ないやがらせ

ファミレスに行って、メニューを見て、さあ注文。
店員呼び出しボタンを押す。

ピンポーン



......店員、こないな

もう一回押す

ピンポーン



......こないな

もう一回押す

ピンポーン


おいどうなってんだこの店。
ぜんぜん注文訊きにこないじゃないか。
そんなに客が多いわけでもないのに。
店員が少ないわけでもないのに。

隣のテーブルには店員が来てるのに、なんでこっちには来ないんだ!?

と思ってふと隣のテーブルに目をやると、客と店員がもめている。

客が店員に声を荒らげていた。
「だから呼んでないって言ってるだろうが!」


ん?
どういうことだ?

こっちは呼んでるのに店員が来なくて、
隣のテーブルは呼んでもないのに店員が来ている......。



どうやら、前にいた客が、この席と隣のテーブルの呼び出しボタンを入れ替えたらしい。
そのせいでぼくが呼び出しボタンを押すたびに、店員が隣のテーブルに行っていたようなのだ。



おい誰だボタン入れ替えたやつ!
地味だけど、この席の客も隣の客も店員も困る、かなり効果的ないやがらせだぞコノヤロウ!!



2016年11月16日水曜日

【エッセイ】わざとイライラさせる方法

最近読んだ本に載っていた、アメリカのとある大学でおこなわれた実験。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

まず被験者たちをイライラさせる。
イライラした被験者たちを2つのグループに分ける。
1つのグループは、ストレス発散のためにサンドバッグをなぐったり物を投げたり大声を出したりする。
もう1つのグループは、何もせずに静かに座る。

その後、2人1組でゲームがおこなわれ、ゲームの勝者は敗者の顔の前で不快な音を立てる権利が与えられた。

さてサンドバッグを殴って叫び声を上げたグループは怒りが静まっただろうか。
結果は逆だった。
サンドバッグを叩いたグループは叩く前より攻撃的になり、仲間の目の前で長く大きな音を立てた。
つまり、イライラしたときに暴れたり大きな声を出すのは、ストレスを発散するどころか逆効果だということだ。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

……という実験結果もおもしろかったのだが、ぼくがもっとおもしろいと感じたのは実験の前段階。

「まず被験者たちをイライラさせる」という部分。

被験者たちをイライラさせるために、実験者は何をしたか。


実験の参加者は、まず大きな数(たとえば3000)から、13ずつ引き算をさせられる。
2987、2974、2961……というように暗算で数を引いていく。

そして、30秒ごとに
「もっと早くできないのか!」とか
「どうしてそんなに遅いんだ!」とかの言葉を被験者に浴びせたのだそうだ。


この実験内容を読んで、ぼくは大笑いし、そして感心した。

いやこれ、どんなに修行を積んだ高僧でも相当イライラするよ。まちがいなく。
シンプルだけどじつに効果的な方法だ。

この実験を考えた人物は、なんて頭がよくて、そしてなんて性格が悪いんだろう。
実験をやっている間、さぞ楽しかったにちがいない。


で、これがイライラさせるための実験ならいいんだけど、
まさに行動している最中の相手に対しての叱咤がいい結果を生むと思ってる上司とか教師とか親とかって少なくないよね!


2016年11月14日月曜日

【エッセイ】なぜ誰もがマネキンに欲情するのか

仕事で疲れたとき、ぼくはちょっと遠回りして、女性用下着売場の前を通って帰ります。

誤解のないように云っておきますが、ぼくは女性の下着そのものに興奮するようなヘンタイではありません。

そんなヘンタイではなく、下着を身につけた“マネキン”に魅力を感じるタイプのヘンタイなのです。


下着なんてものはしょせんただの布っきれです。

女性用下着には興味がないのでブランドとかはまったくわかりません。
ワコールだかトリンプだかピーチジョンだかチュチュアンナだか知りません(ほんとまったく知らない)。
物質として見ればどれもハンカチと大差ありません。

そんなものに性的な興奮をおぼえる人が世の中にはいるみたいですが、まったくどうかしています。


ただ、マネキンが身につけたとたん、下着はぐっと魅力を増します。
ぼくは下着マネキンにかぎらずマネキン全般が好きなので、アウターをまとったマネキンや、紳士服売場のマネキンもよく眺めます。

服には頓着しない性質なので、衣料品売場を通るときは服よりもマネキンを見ている時間のほうが長いぐらいです。知らず知らずのうちにマネキンのポーズを真似ていたりもします。

「服は着せやすいかもしれないけどやっぱり頭のないマネキンは魅力半減だな」とか

「イトーヨーカドーにある赤いマネキンにはえもいわれぬ気持ち悪さがあるな」とか

「あのマネキンのポーズは空条承太郎以外の人がやってるの見たことないな」とか

そんなことばかり考えてしまいます。



そんなマネキン好きのぼくから見ても、やはり女性下着を身につけたマネキンには、ずばぬけて心を惹く魅力があります。

下着売場のマネキンはどうしてあんなに美しいのでしょう。

下着を最高にきれいに見せるために造られたものだから、といってしまえばそれまでです。
しかしやはりそれだけでない気品をあのマネキンたちは持っています。

見た目の美しさだけでいえば、どの人間よりもマネキンのほうが上だと断言できます。
たとえばニッセンとかディノスなどのカタログには、下着を身にまとった外人モデルさんの写真が載っています。
当然ながらスタイルはばつぐん。顔もきれい。ポーズも完璧。光のあてかた、写真の構図に至るまで、下着がもっとも美しく見えるよう計算されつくしています。

それでも。
それでもなお、西友の下着売場のマネキンに遠く及ばないのが現実です。


なにしろマネキンときたら、やせすぎず太りすぎない絶妙のプロポーションに、陶器のような白い肌(いろんな色のマネキンがあるけどぼくは #FFFFFFのような純白が好き)。

ポーズも、洋服屋のマネキンのようなこれ見よがしな格好はしておりません。下着売場の彼女たちはあくまで慎ましやかに、けれどもきりりと背中を伸ばして胸を張り、凛とした自信をのぞかせています。

それにマネキンには生身の人間とちがってほくろもシミもありませんし、背中の変なところから毛が生えたりもしていません(美人のうなじに生えた変な毛はそれはそれで魅力的なのですが、これについて語りだすと長くなるので今はやめときます)。

そして何よりいいのは、マネキンには顔がないということ。

いいですか。
顔がないということは、裏を返せば、そのとき自分が見たいと思う表情を思い描けるということ。
想像力によって描かれた顔は無限通り。

いうなれば、マネキンは千の仮面を持つ少女。おそろしい子!

のっぺらぼうほどセクシーな表情はありません。



それほど魅力的なマネキンですが、ぼくは決して凝視したりはしません。
こっそりと見るだけです。それも、一瞬。

やはり下着売場にあからさまに目を向けるのは気恥ずかしいですし、女性客だって下着を選んでいるところをおじさんに見られるのはいい気がしないでしょう。
ですから通路を歩きながら、周囲に人がいないときを見計らって、横目でちらりと目をやるだけです。

そのかわりといってはなんですが、ぼくがマネキンを見るときは顔を不自然につくったりはしません。

自分の顔を見ることはできませんが、マネキンを見るときのぼくはきっとひどくいやらしい顔をしていると思います。
あえて隠しません。
実際にいやらしい気持ちを抱いているのにいやらしい顔をしないなんて、かえって品性が汚らしいと思いませんか。
どうせマネキンにしか見られていないのですから。

美しいマネキンの前では嘘をつけませんし、嘘をつきたくもありません。


「いやらしい顔をしたっていいんだよね」

ぼくはちらりとマネキンの顔を窺います。

「そう、いいのですよ。だってそれがあなたなんですもの」

ほら、マネキンののっぺらぼうな顔もちゃんとそう答えてくれているではありませんか。




2016年11月11日金曜日

【エッセイ】ナチュラル美人

うちのおじいちゃんは農家だったが、車が大好きで、頭がぼけてきてからも車を乗り回していた(ほんとやめてほしかった。人をひき殺さなかったのは奇跡だと思う。あとド田舎で人がいなかったからだと思う)。

それから新しいもの好きで、新しいトラクターだから性能がいいとか、新しい肥料はすごいにちがいないとかいっていた。


もちろん例外はあるけれど、都会に住んでいる人よりも、田舎に住んでいる農家のおじいちゃんのほうが機械や化学肥料に対して全幅の信頼を置いているように思う。
「科学は生活を豊かにしてくれるものだ」という意識が、ゆるがないものとして根底にあるのだ。

自然に還ろう、なんてのはめったに自然の脅威にさらされることのない都会で生活しているから言えることであって、じっさいに自然を対峙して生きている人からすると、自然というものは人間を苦しめる存在であって、そこから守ってくれるのが科学という認識なのだと思う。


自然と美人はちょっと遠くから見ているぐらいがいちばんいいですよね、ほんと。


2016年11月10日木曜日

【思いつき】ヘイトお見合い

嫌いなものを語るときにこそ、その人の人間性があらわれるね。

好きを語るときは「あれ好きなんだー」で済むけど、
嫌いを語るときは「なぜ嫌いなのか」を自分なりに理由づけして、理論武装してから臨む。

お見合いでも、趣味を尋ねるよりも嫌いなものを言いあったほうが、お互いへの理解が深まるんじゃないかな。



 「マサヒロさん、お嫌いなものは?」

「占いと愛犬家と歯みがきと料理の写真撮る奴ですかね」

 「へー、そうなんですね」

「ミカさんのお嫌いなものは?」

 「一気飲みと朝礼とフラッシュモブを少々……」

「なるほど、なるほど。わかります」

 「ところでマサヒロさんは音楽鑑賞が趣味だということですけど、どういうジャンルが……?」

「すっごくふつうなんですけど、EXILEとか嫌いですね。あとはゆずとかユーミンとかですかね」

 「あっ、私もあれ嫌いです! 『栄光の架け橋』」

「ですよねー。ぼくたち気が合いそうですね!」

 「ですねー」

「えーと、こんなこと訊いちゃっていいのかな……」

 「なんですか?」

「どういった男性がタイプですか……?」

 「えっとですね。ちょっとマッチョな感じで、坊主の人。自分のイメージを上げるためなら周囲の不幸でも何でも利用してやるぞっていうタイプ。そういうタイプが嫌いですね」

「芸能人でいうと?」

 「市川海老蔵さんがどんぴしゃです」

「あーわかります!」



どうでしょう。
相手の人となりがよく見えてきますし、ものすごく話が弾みそうですよね。

それか、まったくの無言になるかのどっちかね。


2016年11月7日月曜日

【エッセイ】どっちみち貸さないけど

よほど立ち居振舞いに隙があるのか、ちょくちょく変わった人に声をかけられる。

今日は自宅のすぐ近くで、自転車に乗った30歳くらいの男から
「すみません、お金ないんで、食べるもの買うお金もないんで、お金貸してもらえませんか」
と言われた。

もちろん金は貸さずに「急いでるんで」とその場を離れた。


その男に云いたいことはたくさんある。

「貸してくれって云うけどおまえ絶対返す気ないだろ」とか

「まずその自転車売ったら?」とか

「ほんとに困ってるなら交番か役所に行きなよ」とか。


いろいろあるけど、でもいちばん云いたいことは、

「知らない人にお願いをするときは自転車にまたがったままじゃなくて、ちゃんと降りてからお願いしなさい!」

とりあえずはこれ。


2016年11月5日土曜日

【エッセイ】光源氏のように

ぼくの友人にNくんという豪傑がいる。

といっても迫りくる宇宙からの危機に全米でただひとり勇敢に立ち向かったり、五条大橋で刀を999本集めたりするタイプの豪傑ではない。

彼自身はいたって温厚な男だ。
彼が豪傑たるゆえんは、どんな怪しい誘いも決して退けないことにある。


インターネットの世界には怪しい誘いが跳梁跋扈している。
Facebookに会ったこともない若いオナゴから友だち申請が来たり、
LINEで届いたメッセージに
「ひさしぶり(*^^*) 携帯変えたからこっちに連絡ちょうだい(はぁと)アイコ」
という文章とともに何故かメールアドレスではなくURLが貼られていたりする。

Nくんは、そのすべての誘いに「とりあえず乗ってみる」のだそうだ。
友だち申請は承諾し、見るからに怪しいURLも一応クリックし、メールアドレスが載っていればひとまずメールを送るのだという。

もちろんNくんだってばかではないから(ばかなんだけど)、
それらの誘いの送り主が、出会い系または詐欺をなりわいとしているおっさんであることは知っている。

「じゃあなんで誘いに乗るんだよ?」

ぼくの問いに対して彼は、きっぱりと云った。
「でも万にひとつ、ほんとにエッチな出会いを求めているかわいい女の子からの誘いだったなら。きっと彼女は、すごく勇気を出してメールを送ったと思うんだ。そのけなげな想いを無駄にさせるなんて……おれにはできないっ!」


ジェ、ジェントルマンっ……!

本当の優しさとは、きっとこういうことをいうのだろう。

その手のメールは即座にごみ箱に放り込んでいるぼくのような小市民からすると、会ったこともない(そして実在するかどうかもわからない)淫乱女のために大量のスパムメールを甘んじて受け入れる彼は、まるで光源氏のようにまばゆい存在である。

そして光源氏のようにエロい。



2016年11月2日水曜日

【エッセイ】ジョジョの奇妙なロボコップ

プレイステーションVRというやつをはじめて体験したよ。
ロボコップのヘルメットをもっとかさばる感じにしたやつをかぶってするゲーム。

ロボコップって知ってる?
ロボットのおまわりさん。
っていっても観たことない人には伝わらないかな。
んーなんていったらいいかな。

あっ、そうだ例えていうなら『ビバリーヒルズ・コップ』のロボット版。
ってよけいにわからんね。



んでもとにかくそのロボコップをかぶってするゲームが、プレイステーションVR。
だからたぶん「バーチャル・ロボコップ」の略でVRなんだと思う。

それか「ビバリーヒルズ・ロボコップ」の略かも。
ワーオ、ハイブリッド!
(ビバリーヒルズはVじゃなくてBか?)



それはそうとVRの映像すごい。
ゲームの光景が、ほんとに目の前に広がっているみたい。
『ビバリーヒルズ・コップ』もびっくりのド迫力。


ぜひVRで『ジョジョの奇妙な冒険』のゲーム開発してほしいよね。
VRの世界に自分のスタンドが出てくるの。
で、動き回ったり、敵と戦ったり、落ちてる宝くじを広い集めたりすんの(重ちーのハーヴェストかよ地味だな!)。

もちろん「スタンドが傷ついたら本体もケガをする」という設定も生かしてほしい。
スタンドがケガをしたら、電気を流すなどして痛みを感じるようにしてほしい。
スタンドが熱いものに触れたら、熱を感じさせてほしい。

危険だけど、だからこそ、ものすごくスリリングなゲーム体験ができるはず。



たとえば冬場にスタンドがドアのノブに触れたら、生身の肉体にもバチッとくるとか。

たとえばスタンドがカップ焼きそばの湯切りに失敗したら、生身の肉体も熱さを感じるとか。
ついでに360゜サラウンドシステムで、台所のシンクのべこんっていう音が鳴り響くとか。


そういうド迫力なゲームを期待してるよ!!


2016年10月31日月曜日

【おもいつき】イカれのには理由がある

イカれたメンバーを紹介するぜ!


まずはギター!
彼女にフラれてから、投函もしない愛の手紙を毎日書きつづけている!


次はベース!
毎日終電までの激務のせいで、朝布団から出られなくなった!


それから紅一点!
自分は汚れていると思って1時間以上も執拗に手を洗いつづけるキーボード!


最後はこの俺!
創作の苦悩のあまり、自分の耳をそぎおとしたボーカル!


このイカれた4人のメンバーがお送りするぜ!



観客(内に向かうタイプのイカれかたか……)

2016年10月28日金曜日

【エッセイ】結婚式における脇役。

妻の妹の結婚式に出席した。

で、思ったんだけれど、「新婦の姉の夫」って結婚披露宴の出席者の中でも、いちばんの脇役じゃない?
新郎新婦と直接交流があるわけでもないし、地のつながりもないし。



結婚披露宴における主役は、誰がなんといおうと花嫁。
これは異論がないでしょう。
野球でいうとピッチャーで4番。

準主役は花婿。
野球でいうとキャッチャー。
花嫁に比べると大きく差はあるけれど、いなくてはゲームが成立しないポジション。

ついで、新郎新婦の両親あたりが内野手かな。
新郎父親は、両家を代表して挨拶するので、内野の要のショート。
新婦父は花嫁をエスコートするので、重要だけどさほど難しくないファースト。
『お母さんへ』の手紙を読んでもらえる新婦母がサードで、特に出番のない新郎母がちょい地味なセカンド。


身内だけでやる結婚式もあるぐらいだから、内野手だけでもいちおう野球の試合にはなる。

でも本格的にやるなら外野手もいないとね。

新郎新婦の友人たちや会社の同僚たちが外野手だね。
新郎新婦からはちょっと離れたところにいるけど、活躍次第ではピッチャーよりも目立つこともあったり。
「式のことはぜんぜん覚えてないけど、余興やスピーチだけは印象に残っている」って披露宴もあるもんね。


披露宴の司会者はウグイス嬢。
受付はビールの売り子。
決して目立つことはないけれど、この人たちの働きがあるからこそ大いに盛り上がる。


新郎新婦の親戚は、球場に観にきているファン。
特に出番はなく、拍手を贈るのが仕事。
「あの小っさかった○○ちゃんがこんな立派な花嫁さんになって......」と感動したりもする。
多めのご祝儀という形でお金を落としてくれるところもファンと一緒だね。


で、新婦の姉の夫(ぼく)はというと......。

「野球ファンの彼氏につれてこられた、野球にぜんぜん興味のない彼女」ですかね......。




2016年10月26日水曜日

【エッセイ】素材の味を楽しむために

寿司食ってたら、食通ぶったやつが

「醤油をつけると素材の味が死んじゃうから、通は醤油をつけずに云々」

としょうもない持論を展開していて、

うるせえよ素材の味を楽しみたいならシャリじゃなくて稲に生魚のせて食っとけよばか!


2016年10月24日月曜日

【エッセイ】てっきり的な話

高校の同級生たちと飲む。
高校時代にひそかに思いを寄せていた女性に云われた衝撃の一言。

「久しぶりだねー。会うの、高校卒業以来だね」

え?

嘘でしょ?

うわーこれ冗談の顔じゃないわ……。

いやいやいやいや。
高校卒業してから10回以上は会ってるからね!


成人式でも会ったし。

同窓会でも会ったし。

何度か一緒に飲み会やったし。

そういや京都を案内してほしいって云われて南禅寺と銀閣に連れてったことあったし。

その後数人で朝まで飲んだし。

よく考えたら去年も友人の結婚式で会ってるし。


ぼくの基準に照らし合わせればこれってかなり親しくしてるほうだったと思うんだけど、それ全部忘れてる……!?


あれかな。
記憶的なものを喪失的なことしちゃった的な話かな?

うん、そうだよね。
そうゆう路線ね。

記憶回路にね、若干のトラブルがあるパターンね。
脳のシナプスとか海馬みたいなとこが大型連休とってる感じね。


はいはいはいおっけーおっけー。

そうだよね、でなきゃね、忘れるわけないよね。
10回以上会ってる人を。ぼくを。

あー、あせったー!
てっきりあれかと思ったわ。
ぼくに対しては何の関心も無いから覚える必要を感じなかったみたいなやつかと。てっきり。

あーっ、よかったー! ちがっててよかったー!


2016年10月21日金曜日

【読書感想文】高野 和明『ジェノサイド』

高野 和明『ジェノサイド』

内容(「BOOK」データベースより)

急死したはずの父親から送られてきた一通のメール。それがすべての発端だった。創薬化学を専攻する大学院生・古賀研人は、その不可解な遺書を手掛かりに、隠されていた私設実験室に辿り着く。ウイルス学者だった父は、そこで何を研究しようとしていたのか。同じ頃、特殊部隊出身の傭兵、ジョナサン・イエーガーは、難病に冒された息子の治療費を稼ぐため、ある極秘の依頼を引き受けた。暗殺任務と思しき詳細不明の作戦。事前に明かされたのは、「人類全体に奉仕する仕事」ということだけだった。イエーガーは暗殺チームの一員となり、戦争状態にあるコンゴのジャングル地帯に潜入するが…。

学生時代の読書は、小説:ノンフィクション=8:2ぐらいの比率でした。
ですが30代くらいになると、その比率は逆転。2:8ぐらいになりました。
勉強したいという気持ちが学生時代よりも強くなったからなのでしょうか(学校に行かなくなると知識欲を満たす場が読書ばかりになりますからね)。
ノンフィクションのほうが楽しめるようになり、月並みな表現ですが「やっぱり事実は小説よりも奇なりだな」と思うこともよくあります。

ですが、高野 和明『ジェノサイド』を読んで思ったことは
「いやいや、人間の想像力には限度がない。小説はどこまでもおもしろくなる!」

つづきはこちら


2016年10月19日水曜日

【考察】歌舞伎俳優のふしぎ。

歌舞伎俳優のふしぎ。

テレビのワイドショーを観ると、よく歌舞伎俳優が話題に上がっている。

ぼくは歌舞伎のことはさっぱりわからないのだけれど、やれカンクロウが死んだだの、カンザブロウが熱愛発覚しただの、カンタロウが舞台を休んだだの、けっこうな頻度で歌舞伎ネームを耳にする。


で、ふと疑問に思ったんだけど、世の中の人ってそんなに歌舞伎を好きなの?

歌舞伎はテレビ中継もしないし、公演をテレビCMで宣伝しているのも観たことがない。
テレビを観ている人たちの大半は、歌舞伎そのものにはぜんぜん興味がない。たぶん。

なのに歌舞伎俳優のプライベートは、報道の価値があるらしい。ふしぎだ。



歌舞伎ファンってどれぐらいの数がいるんだろう。
少なくともぼくは「歌舞伎ファンです」という人に会ったことがない。
野球ファンとかジャニーズファンとかに比べれば、ずっとずっと少ないと思う。
人口でいったら、落語ファンとかオペラファンとか骨董好きとかとそれほど変わらないんじゃなかろうか。

なのに、
「落語家Sが熱愛発覚!」
「あの大御所オペラ歌手Cが緊急入院!」
「新進気鋭の女流陶芸家Yが離婚間近!?」
なんてことは、まず報道されない。

どうして歌舞伎俳優ばかりが話題になるのだろう。

誰か知ってる?


2016年10月17日月曜日

【エッセイ】どっちもがんばれ大統領候補

アメリカ大統領選をめぐり、どちらを支持するか。
アメリカ国民に問うた、とあるアンケートの結果。

クリントン氏支持が48%

トランプ氏支持が41%


おお、すごい。
なんと、89%の人が、明確にどちらを支持するかを明確にしているとは。

日本だったら、「わからない」「どちらともいえない」などの回答がずっと多くなるにちがいない。



自分の気持ちを白黒はっきりうちだすアメリカと、あいまいにぼやかす日本。


どっちがいいかは……。

「どちらともいえない」よね。
日本人だもの。


2016年10月16日日曜日

【読書感想文】 中山 七里『贖罪の奏鳴曲』

中山 七里『贖罪の奏鳴曲』

内容(「BOOK」データベースより)
 御子柴礼司は被告に多額の報酬を要求する悪辣弁護士。彼は十四歳の時、幼女バラバラ殺人を犯し少年院に収監されるが、名前を変え弁護士となった。三億円の保険金殺人事件を担当する御子柴は、過去を強請屋のライターに知られる。彼の死体を遺棄した御子柴には、鉄壁のアリバイがあった。驚愕の逆転法廷劇!

いろんな本を読みますが、めったにこういう感想は抱くことはありません。
この本の感想は
「おもしろいけど好きになれない小説」
でした。

続きはこちら

2016年10月13日木曜日

【エッセイ】ハロウィンの仮装をおもしろくするために

ハロウィンの仮装で、おもしろいものを見ないのはなぜなのだろう。

あれだけたくさんの人が仮装しているのだから、1割くらいは笑えるもの、センスが光るものがあってもよさそうなものなのに、まあつまらない。
誰一人としてセンスを感じない。


なぜかと考えてみたのだが、やっぱり「仮装していいときに仮装してるから」なんだろうね。
ハロウィンに仮装をするのって葬式に喪服を着るようなものだから、そりゃ笑えない。
仮装は場違いだから笑えるのであって、これだけハロウィンが市民権を持ってしまった今日では、どんな格好をしてもそれは正装にすぎない。


卒業式や成人式にヤンチャな服装で出席するヤンキーに対しては
「やるべきときにやるべきことをやっていてすごくまじめな人なんだな」という印象しか持たないけど、それに似ている。

「ハロウィンに仮装」も「まじめにふつうのことをやっている」だけだから、それを見て笑えるわけがない。


新入社員が初出社の日に喪服を着てきたら
「なんであいつ喪服なの。これは大物ルーキー現る!」
ってな感じですごく笑えると思う。


そこでぼくが提案する仮装は
「ハロウィンの1週間後あたりにゾンビの格好して
 『あれ? おれだけ? 今週じゃないの? まじで!?』
 みたいな顔で赤面する人」
の仮装である。


これだったら見てみたい。
そして恥ずかしすぎるからぜったいにやりたくない仮装でもある。



2016年10月12日水曜日

【エッセイ】ハンコぺったん

4歳の姪と電話をしていたときのこと。
「今なにしてたの?」と訊くと
 「ハンコぺったんしててん」とかわいい返事。

「へー。ハンコで遊んでたの」
 「遊んでるんとちゃうねん。ハンコぺったんせなあかんねん」
「ん?」
 「この電話が終わったらまたぺったんせなあかんねん。たいへんやわ」
「ん?遊んでるんじゃないの?」


彼女の母親(ぼくの姉)に話を聞いてみると、こういうわけだった。

夕食の支度をしていると、姪が「おてつだいする!」と言いだした。
しかし揚げ物をしているので近寄らせたくない。
かといって、せっかくお手伝いをしようという気になっているのに無下に断るわけにもいかない。
そこで、ハンコと紙を渡して
「おかあちゃんの代わりにこの紙いっぱいにハンコぺったんしといて。お願い」
と頼んだのだそうだ。


なるほど。
これならひとりでやらせても危なくないし、子どもも達成感を味わえて仕事の喜びを学べる。

これはいい子育て術を知ったと思い、妻にも教えた。妻も感心していた。
 


1週間後。
妻が黙々とミシンを踏んでいたので「よっしゃ、手伝ったろ」と言ってみた(ミシンの電源ボタンがどこにあるのかも知らないけど)。

すると妻は微笑みながら
「んー。じゃあハンコぺったんしといて」


こいつ……。さっそく実践しとるっ!!



で、質問なんだけど、あと何回ぺったんしたらいいのかな?


2016年10月9日日曜日

【読書感想文】曽根 圭介『藁にもすがる獣たち』

 

曽根 圭介『藁にもすがる獣たち』


内容(「BOOK」データベースより)

サウナの客が残していったバッグには大金が!?持ち主は二度と現れず、その金で閉めた理髪店を再開しようと考える初老のアルバイト。FXの負債を返すためにデリヘルで働く主婦。暴力団からの借金で追い込みをかけられる刑事。金に憑かれて人生を狂わされた人間たちの運命。ノンストップ犯罪ミステリー!
いやあ、実に「うまい」小説でした。

続きはこちら

2016年10月8日土曜日

【エッセイ】さながら石油王

今日は会社の飲み会。
妻に対しても、一週間前から「帰りが遅くなる」と言ってある(上司への報告は社会人の基本だからね)。

そんなとき、妻が風邪をひいた。
かなりしんどいらしく、朝から寝込んでいる。


これは……。

チャンス!!

圧倒的チャンス!!



他の家庭はどうか知らないが、夫婦の立場というのはポイント制だとぼくはとらえている。

ごはんを作ったら2FP、洗い物をしたら1FPがプレイヤー(夫または妻)に加算される。
 ※FPとは夫婦ポイントのこと

逆に、連絡なしに帰りが遅くなった場合や、余計なものを買ったことがばれた場合などはFPが減点される。


日常のあらゆる行動に対して、FPのプラスマイナスが規定されており(ポイントは夫婦によって異なる)、
このFPの累積によって各プレイヤーのランクが決定し、すなわち家庭内での地位が確定する。
(つまりぼくのFPは妻よりも圧倒的に少ないということになる)


また、プレイヤー間のFPに著しい差が生じた場合は、上位のプレイヤー(=妻)は下位のプレイヤー(=夫)に対して攻撃を加えることができる。
攻撃とはすなわち、怒りを爆発させるということであり、
この際の攻撃力は、

(直近1ヶ月のFP差)+(直近1週間の相手のマイナスFP)/(1+(直近1週間の相手の獲得FP))×14.2

という式で求められる。


さらに、攻撃力が550を超えると、特別ボーナスが加算される。

属性が同じ相手プレイヤーのエラーを過去40年までさかのぼって召喚し、攻撃力に加算することができるのだ。
「4年前のあのときもあなたはこう言ったわよね!」という過去ほじくり攻撃である。


2016年10月4日火曜日

【エッセイ】放屁の文化史

突然だが、ぼくが生まれ育った家庭では
「放屁は黙殺」という掟があった。

一家団欒の席において誰かがことに及んだ(つまり音の出る屁を放った)場合、家族の誰もそのことに言及しない。
顔色ひとつ変えずに、会話を続けるのが鉄則である。

とはいえ、掛け軸に「放屁は黙殺」としたためた書が床の間に飾ってあるわけではない。

家族会議が開かれて三日三晩話し合って
「やはり放屁については言及しないこととしよう」
という議決を出したわけでもなく、いつの間にかなんとなく決まった不文律だ。


もちろん基本的には我慢する。
それでも人間なんだから、おならの一発や二発、うっかり出てしまうことはある。
事を大げさにするほどのことでもあるまい。そっと目を閉じて(というより耳と鼻を閉じて)、なかったことにするのが大人のたしなみだろう。
これが、(話し合ったわけではないけどおそらく)うちの実家の共通認識である。


どこの家でもそうなのだと思っていた。
ところが最近判明したのだが、どうも各家庭によってそのへんの処遇についてはまちまちであるらしい。


ぼくの妻。
彼女の生まれ育った家庭においては、そもそも「おならは御法度」であるらしい。
だから万にひとつもおならをするようなことがあってはならないし、よしんばその禁を破った場合は速やかに頭を下げてその場にいる者の許しを乞わなければならないのだという。

たとえば、会話中にぼくがうっかり放屁をしてしまう。
ぼくは三十年来の習慣に従い、なにくわぬ顔で話を続ける。
このとき、ぼくの親族であれば、やはり聞かなかったことにして会話を続行してくれる。

しかし妻は許さない。
アゲハチョウの幼虫には外敵を追い払うために顔みたいな模様がついているけど、ちょうどあれぐらいの怖い顔をしてぼくを睨みつける。
その表情の変化に気づかないふりをして会話を続けるぼく。
すると彼女はとうとう、口に出して夫の不始末を咎める。

「ごめんなさいは?」

これがぼくには理解できない。
なぜそっとしておいてくれないのか。

いうなれば、ぼくの実家は『恥の文化』。
放屁をしても、誰も何も言わなければしなかったのと同じだから、恥ずかしくない。
和をもって貴しとなす日本古来のやりか
ただ。

一方、妻が説くのは『罪の文化』。
放屁はそれ自体が罪だから、周囲の反応には関係なく償わなければならないと主張する西洋文化だ。


はたしてどちらが正しいのか。
ぼくは、旧友のSくんに相談してみた。

彼は云った。
「おれの実家は事前申請制を採用してる」


なんと、彼が生まれ育った家では、おならが出そうになったら
「もうすぐ出る!」と宣言して、家族が心の準備を整えてから出すのだという。

彼の家ではおならをすること自体は罪ではないが、黙っておならをしてそれが明るみに出た場合にはじめて非難を浴びるのだという。
「黙っておならしたの誰?」と。

Sくんにはたいへん美人なお姉さんがいるが、そのお姉さんもやはり宣言してからなさっていたそうだ。


なんと。
新たなルールが見つかった。
例えるならば、戦国文化であろうか。
戦国武将のように「やあやあ我こそは……」と名乗りを上げてから出陣しないと卑怯者と見なされる、たいへん勇ましい文化だ。

いろんな家庭があるものだ。



ところでこのSくん、今では結婚して二人暮らしだ。
「今も宣言してるの?」
と尋ねると、彼は首を振った。
「おならをしたら奥さんにめちゃくちゃ怒られる。事前申請しても、後から謝ってもだめ。そもそもおならをしたらだめだって言われる。『たとえ私が留守にしているときでもだめ』だってさ」


高らかに名乗りを挙げて刀を振り回していたのも、今は昔。
もう今は武士の時代ではないのかもしれないな……。
剣の道に悩む宮本武蔵の顔が、寂しそうに笑うSくんにだぶって見えた。


2016年10月3日月曜日

【おもいつき】たまごのしょうたい

そのときです。

おなかにきょうれつないたみと、からだがきゅうにもちあげられるかんかくがありました。

オオワシです。
オオワシのおおきなつめが、おなかにくいこんでいるのです。
じたばたとあばれましたが、ぎらりとまがったかぎづめがからだにくいこむいっぽうで、とてもにげられそうにありません。

オオワシがおりたったのは、じぶんのすでした。

ナイフのようにするどいくちばしで、ふたりのはらわたをひきさきます。



ああ、あそこにおちていたのはオオワシのたまごだったんだ。

あのたまごをホットケーキにしてしまったぼくたちのことを、うらんでいたのか。

やけるようなはらわたのいたみと、うすれゆくいしきのなかで、ぐりとぐらがさいごにおもったのはそのことでした。

2016年10月2日日曜日

【エッセイ】心に傷を持った老ニワトリ

大阪・天王寺動物園の情報紙を見たら、「幸せを呼ぶニワトリ・マサヒロ」という記事が乗っていた。

記事によると、マサヒロは肉食動物の生き餌として入荷したが、カモに餌の食べ方を教える「先生役」に抜擢されたために命拾いし、その後は野生のイタチを捕獲するための「おとり餌」にされたがイタチが現れなかったために九死に一生を得て、また餌になるところだったが偶然需要がなかったために、現在は動物園で飼われているとのこと。



「今や、マサヒロは動物園の一員として、命の大切さを伝える大切な役目を担っているのです」

と締めくくられてるけど、いやあ......。
この話から読み取れるのは「命の大切さ」なんて、そんな単純な美談じゃないでしょ......。

「人間が動物の生殺与奪の権利を握っているんだな」ってこととかでしょうよ......。



命の大切を教えるなら、このニワトリが過酷な戦地から帰還した傷痍軍人のように、

「仲間たちはみんな死んだ。腕っぷしが立つやつも、頭のいいやつも、みんなから好かれてたやつも、家族思いだったやつも、みんな死んだ。私が生き残ったのはただ運がよかっただけだ。だから二度とあんな悲惨な入荷がおこなわれないことを願う」

って、未来を担うヒヨコたちに語りついでいくしかないのでは。



2016年9月30日金曜日

【考察】憎い3歳児

3歳の娘がいる。

もちろん我が子なのでかわいいけれど、腹の立つことも多い。
ぜんぜん言うことを聞いてくれなかったり、時間がないときにかぎってだだをこねたり、よくわからない理由で不機嫌になったり。

聞いた話では、親が子に手をあげてしまうのは、3~5歳くらいのときが多いらしい。

ぼく自身のことを考えてみても、子どもが1歳2歳のときよりも、3歳になってからのほうが憎らしさが増したように思う(かわいさも増してるけど)。


よく考えるとふしぎなことだ。

1歳や2歳のときだって、親の言うことなんて聞いてくれなかった。
時間がないときにぐずったり、急に怒りだしたりしていた。

同じことなのに、なんで1歳2歳に対しては「しょうがないな」と思えて、3歳に対してのほうが腹が立つのだろうか。
これは、「こちらの意図が伝わる」からだと思う。

3歳になると、かなりしっかりとコミュニケーションがとれる。
「遊んでないで早くごはん食べてね」という言葉の意味も正確に伝わっているはずだ。
なのに、いつまでも遊んでいてぜんぜんごはんを食べてくれない。

「言葉が伝わらないから言うことを聞いてくれない」よりも
「言葉が伝わるのに言うことを聞いてくれない」のほうが、ずっと大きなストレスなのだ。

ま、そりゃそうだよね。
まったく日本語がわからない外国人にこちらの意図が伝わらなくても腹は立たないけど、50年日本人をやっていて日本語が理解できるにもかかわらず他人の話にまったく耳を貸そうとしないおっさんには腹が立つもんね。


だから3歳の子どもに対しては、手を上げてしまいそうになるぐらい腹が立つんだろうね。


でもよく考えたら、それは子どもにとっても同じはず。

1歳のときは言葉がしゃべれなかった。
2歳になっても、感情をうまく言語化することができなかった。
3歳になって、ちゃんと言葉で気持ちを伝えられることができるようになった。

「まだあそぶ!」とか「いや! おふろはいらない!」とか。

言葉の意味は正確に伝わっているはず。
なのに大人たちはぜんぜん言うことを聞いてくれない!


もどかしさと腹立たしさはお互い様でしょうな。



2016年9月29日木曜日

【エッセイ】100万人のヘビ使い

『世界史を変えた50の動物』(エリック・シャリーン/原書房)という本を読んでいると、
「今でもインドには100万人のヘビ使いがいる」という記述に出会った。


100万人のヘビ使い……!
さすがはインドだ(インドのこと何も知らないけど)。

懐の深さがすごい。

日本にも、ヘビ使いに似た職業としてサル回しがいる。
でも日本にサル回しは100人もいないだろう。
日本には、100人のサル回しが食っていけるだけの余裕がない。


以前、十二星座にへびつかい座が加わって十三星座になると聞いたときに
「なんだよへびつかい座って」と思った。
でも、インドで100万人が従事するぐらいメジャーな職業だったのだ。
インドだけで100万人ってことは、世界中では100万とんで50人くらいのヘビ使いがいるにちがいない。

世界中にライオンは100万頭もいないだろう。
弓道やアーチェリーで食べていっている人は100万人もいないだろう。

そう考えると、獅子座や射手座よりもへびつかい座のほうがよっぽどメジャーな星座といえるかもしれない。
(本物の乙女も絶滅危惧種らしいから、乙女座よりもメジャーかも)。


100万人ってどれぐらいの数なんだろうと思って調べてみたら、日本の警察官の人数が約28万人らしい(総務省統計)。
ヘビ使いの4分の1しかいない。

もしも100万人のヘビ使いと、250万匹のヘビ(ヘビ使い1人あたりの平均ヘビ所有数を2.5として算出)が大挙して日本に押し寄せてきたとしたら。
たった28万人の警察官では防ぎきれないだろう。
日本はあっというまにヘビだらけになってしまう。


でも心配しなくても大丈夫。
ヘビ使いのヘビはキバを抜かれているので、襲われて命を落とすようなことはほとんどないそうなのだ。

これで安心して眠れますね。

ではみなさま、よい夢を。


2016年9月28日水曜日

【考察】ザリガニの差

厄年の男女を対象にした神社の厄払いと、

「これを買わないと不幸になりますよ」
と言って高い壷を売りつける霊感商法

両者の違いについて考えてみたけれど、
残念ながらぼくには違いが見つけられませんでした。

あえていうなら、壺が手に入るだけ後者のほうが少しマシかな。
壺でザリガニとか飼えるし。




2016年9月27日火曜日

【ふまじめな考察】今年はこれを流行らせます

「今年の流行色」は、日本流行色協会なる団体が毎年制定しているらしい。


流行色を誰かが決めてるってどうなのよ。
流行って自然発生的に起こるもんでしょ。


と思ったのだけれど。


特にカラートレンド情報については、長い歴史の中でカラー設計の指針としてその信頼性と的確性が広く認められています。
(日本流行色協会ホームページより)


という文章を読むと、ファッション業界からするとありがたい指針かもしれないなと思いなおした。

なんの制約もなしにゼロからものをつくるってたいへんだもんね。
自由は創造性を制限する。
「今年はこのテーマに従って服をつくってください」という指針があったほうが、かえってつきぬけた発想も生まれやすいのかもしれない。

どんな色が流行るかあらかじめわかっていたほうが仕入れや在庫の計画も立てやすいだろうし。



ってことで、「今年の流行」は、色だけじゃなく他の分野でも計画的に制定していったらいいんじゃなかろか。

「来年流行するギャグは、謝罪のギャグです」とか。
で、謝罪ギャグを生みだした芸人を、テレビ番組も積極的に使うようにするの。 

流行りのギャグって、ふつう初めて見たときはそんなにおもしろくなくて、何度もくりかえされるうちに 人口に膾炙して広まっていくことが多い。
でも見る人もあらかじめ「今年は謝罪ギャグがくる」ってわかってるから、心の準備ができていて、初見から笑うことができる。

うん、準備ができてるっていいね。



詐欺も年々新しい手口が考え出されては廃れていく。
ある程度知れわたってしまえば詐欺として通用しなくなるから、詐欺師は常に新しい手口を考案しなくてはいけなくてたいへんだよね。

だから日本流行詐欺協会が、
「来年は葬式を利用した詐欺が流行ります」
という指針を示してやるといい。

ある程度の指針があったほうが詐欺師も騙しかたを考えやすいだろう。

流行に敏感な人は特に葬式詐欺には注意するから引っかからない。
そうなると詐欺師たちも食っていけなくなるんじゃないかと心配してしまうよね。

でも大丈夫。
流行にうとい人って決して少なくないから。
もう若者が誰も使わなくなった頃に流行りだったギャグを言い出すおっさんとかいるでしょ。
ああいう人が、ちゃんと後から流行の詐欺にひっかかってくれるから。



それから日本流行疫病協会は、
「来年は蚊を媒介にした伝染病を流行らせます」
って、ちゃんと流行の指針を示しといてほしい。

流行が事前にわかってたら医療機関も対策できるし、予防接種もできる。

指針があるとほんと助かる。

それに、病死に見せかけた殺人計画も立てやすいしね!



2016年9月26日月曜日

【読書感想文】米原 万里 『旅行者の朝食』

米原 万里 『旅行者の朝食』

内容(「BOOK」データベースより)
さる賢人曰く、人類は以下の二つに分類される。「食べるために生きるのではなく、生きるためにこそ食べる」「生きるために食べるのではなく、食べるためにこそ生きる」さて、あなたはどちらのタイプ?グルメ・エッセイロシア風味。

旅行グルメ本みたいなタイトルですが、旅行の要素はほとんどなく、食べ物エッセイ。

続きはこちら


2016年9月25日日曜日

【エッセイ】凶器を手にした心を持たないやつら

いっとき仕事で毎日車を運転していましたが、どれだけ運転しても慣れなくて、車に乗るのがイヤでイヤでしかたありませんでした。
そのときの会社を辞めたときにまず思ったことは「よかった、これで車の運転をしなくて済む」でした。

なんでそんなにもイヤだったのかというと、周りのドライバーの悪意がむきだしになっている(ように感じられる)ことに耐えられなかったからです。



ぼくは大量殺人鬼や総理大臣ではないので、あからさまな敵意を向けられることは、めったにありません。

でも、車を運転していると、それをしょっちゅう感じてしまうのです。

「こいつ、とろとろ走りやがって。割り込んでやれ」

「へたくそな運転してやがるな。わざとぶつけてやろうか」

「だっせえ車に乗ってんな」

周囲の車のドライバーからの声が聴こえてくるような気がします。



歩いていたり自転車に乗っているときはそんなこと感じないのに、どうして車を運転しているときだけそのような心持ちになるのでしょうか。

やはり、顔が見えないからでしょうか。

運転手の顔が見えず、ただの大きな鉄の塊しか目に入らないため、攻撃的な目を向けられているような気がするのかもしれません。



考えてみると、自動車というものはいともかんたんに人の命を奪うことのできる乗り物ですから、いわば凶器です。

多くの車と並んで走っているという状況は、ナイフや銃やアイスピックやバールのようなものを手にした人たちに囲まれている状況と同じようなものなのです。

おまけに、その凶器を持った人たちは顔が見えず、何を考えているのかまったくわからないのです。

不安な気持ちにならないわけがありません。
車を運転している間、ぼくはずっと怖くてしかたあしません。



しかし。
ぼくが大嫌いな車の運転をしているときでも、ただひとつだけ安心する瞬間がありました。

それは、救急車がサイレンを鳴らして近づいてきたときです。

救急車が来ると、ほとんどすべての車は速度を落としたり脇に寄ったりして道を譲ります。

この行動を見て、ぼくはほっとするのです。

ああよかった、ぼくの周りにいるのは凶器を手にした心を持たない大量殺人鬼じゃなかった。
ちゃんと良心を持った人たちが運転しているのだ。
その証拠にほら、どこかで怪我か急病になった顔も知らない人が助かるよう、救急車に道を譲ったじゃないか。



救急車が走り去ると、車たちはまた雑然と走り出します。
でももうさっきとは違います。
つい先ほどの行動によって、彼らは見ず知らずの人のために道を譲る、心優しい人たちだと証明されたのですから。

もう怖くありません。
ぼくはひと心地つきます。

そして冷静に周りを見渡して、こう思うのです。


前の車、とろとろ走りやがって。
わざとぶつけてやろうか。


と。


2016年9月22日木曜日

【思いつき】歌詞ビフォーアフター

日本人に「嫌いな歌詞の歌は?」と訊いたらまちがいなくトップ3には入るであろう『世界にひとつだけの花』。

終始上から目線なのが、嫌われている要因なんでしょう。

(話はそれますが、昔の槇原敬之は掌篇小説のようなストーリー性の高い良い歌詞を書いていたのに、逮捕されてから説教くさくなってしまった。これは、たくさん説教された人間は説教くさい人間になってしまうといういい教訓です)。


それなのに僕ら人間は
どうしてこうも比べたがる
一人一人違うのにその中で
一番になりたがる?

そうさ 僕らは
世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい

うん、「何を偉そうに」という気持ちが湧いてくる歌詞ですよね。

「僕ら」というところが特に良くないんでしょうね。
おまえがそうだからって他の人まで同じ心持ちだと思うなよ、って気持ちが湧いてきますもんね。



だから思いきってこの歌詞をリフォームしちゃいましょう。

やり方はかんたん、「僕ら」を「ヤツら」にするだけ。

それでは、歌詞リフォームの匠が修繕した後の歌詞をごらんください。


それなのにヤツら人間は
どうしてこうも比べたがる?
一人一人違うのにその中で
一番になりたがる?

そうさ ヤツらは
世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい


なんということでしょう。
あれほど偉そうに感じられた歌詞が、「僕ら」を「ヤツら」にしただけで、宇宙人の視点が与えられ、見ちがえるほど新しいテーマを持った歌詞へと生まれ変わりました。

最大の特徴だった説教くささは残しつつも、「宇宙人からの説教」という様相を呈したことで、「おまえが言うな」感を見事に取り払いました。
これなら聴いた人も「文明の進んだ宇宙人に言われるのならしかたない」とすんなり受け入れられます。


さらに、

「ワレワレから見たらおまえら人間など大差ない。おまえらもアリの個体差を見分けられないだろう。おまえらがどれだけがんばったところでワレワレの足下には及ばんのだから、せいぜい種の保存のために、ちっぽけな命というその花を咲かせることだけに一生懸命になればいい」

というメッセージが伝わってくるではありませんか。


これなら宇宙船地球号の住人たちも大喜びですね。

2016年9月19日月曜日

【読書感想文】茂木 誠『世界史で学べ! 地政学』

茂木 誠『世界史で学べ! 地政学』

内容(「BOOK」データベースより)
なぜ日米は太平洋上でぶつかったのか。日中関係と北方領土問題の根本原因は―新聞では分からない世界の歴史と国際情勢が、地政学の視点ならスッキリと見えてくる!世界を9つの地域に分けてわかりやすく解説。ベストセラー「経済は世界史から学べ!」の著者が贈るビジネスパーソン必読の書。

ジョージ・フリードマン『100年予測』やマクニール『世界史』がおもしろかったので、地政学の本をどんどん読みたくなって、買ってみました。

なんか予備校講師が書いた本みたいな表紙。
表紙が安っぽいので5点減点......。というどうでもいい採点はさておき、内容は明快。
地政学の入門書としてはちょうどいいと思います。

続きはこちら




2016年9月16日金曜日

【エッセイ】国民メダル倍増計画

リオ・オリンピックで日本の獲得したメダルの数が過去最高になったそうですね。
これをもって「日本もスポーツに強くなった」と言っている人がいますが、それは正確な言い方ではありません。
べつに日本人全般の身体能力が大幅に向上したわけではありません。
正しくは、国家としての「力の使いどころが変わった」、もっというと「金の使いどころが変わった」です。


リオ・オリンピックで日本が獲得した金メダル12個のうち11個は、レスリング(4個)、柔道(3個)、競泳(2個)、体操(2個)で稼いでいます。

これらの競技に共通しているのは、「メダルの数を増やしやすい」競技だということです。

まず種目の数が多い。
たとえば柔道なら14種目、レスリングなら18種目もあります。
国家としてこれらの競技に力を入れて選手を育成し、全種目に選手を送り込めば、理論上は32個の金メダルを獲得できるチャンスが得られます。
もちろん現実的に総なめということはありえないでしょうが、世界的な競技人口が多くない競技ですから、国家として力を集中すれば2割ほどの種目で金メダルを獲ることは(他の競技に比べれば)難しいことではないでしょう。
実際、2割強の7個の金メダルを獲得していますし。

さらに競泳や体操に関しては、種目の数が多いだけでなく、「1人の選手が複数の種目に出場できる」というメリットがあります。

体操男子なら床、あん馬、跳馬、鉄棒、平行棒、個人総合と、1人優れた選手がいれば最大6個の金メダルを獲得できる可能性があります(団体も入れれば7個)。 内村航平選手は3大会で7個のメダルを獲得していますし。
水泳でも種目別、メドレー、リレーなどを掛け持ちすれば1人でメダル量産が可能です。2000年のシドニー・オリンピックではオーストラリアのイアン・ソープ選手が5個のメダルを獲得しました。

さらに、個人競技(体操団体と水泳リレーを除く)だというのもトータルのメダル獲得数を増やすための重要な要素です。



このへん、サッカーなどの人気競技と比べてみればコストパフォーマンスの良さは明らかです。

サッカーの場合、まずチームを作るのに選手だけで20人は必要になります。
選手が増えればその分、スポーツドクターやら栄養士やらのスタッフの数も増えるので、1チーム作るだけでもかなりの大所帯になります。
しかもサッカーの場合、一流選手は世界各国でプレーしていますので、強化合宿に彼らを招聘するだけでもたいへんです。
数十人の交通費、宿泊費、食費、その他雑費などを考えると莫大な金額になることは疑いがありません。

それだけのお金を使って、獲得できるメダルは最大で1個(実際にはメンバーの数だけもらえますが、新聞やテレビではメダルは個数ではなく種目数で数えますから)。
さらにサッカーの場合は日本と他国のレベルの差が大きいので、予算を割いて強化したところでメダルを獲得できる可能性はかぎりなく低い。
サッカーは、メダルの数を稼ぐためには非常に「コスパの悪い」競技であるかとがわかります。


......と考えると、「オリンピックで数多くのメダルを獲得するように」という使命を与えられた関係各部署が、コストパフォーマンスの悪いサッカーやバレーボールよりも、容易にメダル数を稼げる柔道・レスリング・水泳・体操にかぎりある資金を投下するのは当然のことです。
実際、それらの競技に投下される強化費はここ10年ほど、以前よりずっと増加しているそうです。

「メダルさえ増やせばいい」というシンプルな目標に向かって関係部署が努力をおこない、その努力が見事に実ったという形です。

(べつに柔道や体操でメダルを獲りやすいっていってるわけじゃありませんよ。各種目ごとのレベルの高さは比べられるものではないと思っています。ただ国全体として見たときに数を稼ぎやすいというだけです)



誤解しないでいただきたいのは、ぼくがこういうやり方を批判しているわけではないってことです。
国家として、こういう戦術をとるのは「アリ」だと思います。
いや、それどころかぼくは好きなんです。
真っ向勝負で勝てない相手に対して戦うときは資源の投下を局所的におこなうことで、部分で負けてもトータルで勝ちを拾いにいく、これは非常に「スポーツ的」な考え方ですよね。
テクニックもパワーもシュート本数もボール支配率も劣っていたチームが勝った、なんてことが起こるのがスポーツのおもしろさですからね。

非常に「クレバー」なやり方で、体格で劣る日本人が国際大会で成功を収めるためにはこの方法しかないとさえ思います。

「リオデジャネイロ・オリンピック男女総合」というひとつの競技だと考えたときに、まちがいなく日本は成功したといっていいと思います。


団体競技や勝ち目の薄い競技など、「費用対効果の悪い競技を国として切り捨てたことは成功だった」ということはもっと喧伝されてもいいと思いますよ!

もちろん皮肉込みで言ってます!




2016年9月15日木曜日

【エッセイ】強烈な好意

中国に住んでたとき、とあるパーティーに参加して話してたら

「なんだ日本人は嫌なやつだと思ってたけど、話してみたら日本人っていいやつじゃないか。日本人最高!」

って流れになって、

「日本人最高!」「日本人最高!」
の大合唱が起こった。

はじめはうれしかったんだけど、

あまりに周りの中国人が熱狂的なので、
だんだん
「ここで水を差すようなことを言ったら殺されるんじゃないだろうか」
と怖くなってきた。


強烈な好意は、あからさまな敵意と同じくらい怖い。
ということを学んだ夜でした。


2016年9月13日火曜日

【読書感想文】曽根 圭介 『鼻』

曽根 圭介『鼻』

内容(「BOOK」データベースより)
人間たちは、テングとブタに二分されている。鼻を持つテングはブタに迫害され、殺され続けている。外科医の「私」は、テングたちを救うべく、違法とされるブタへの転換手術を決意する。一方、自己臭症に悩む刑事の「俺」は、二人の少女の行方不明事件を捜査している。そのさなか、因縁の男と再会することになるが…。日本ホラー小説大賞短編賞受賞作「鼻」他二編を収録。大型新人の才気が迸る傑作短編集。


『暴落』『受難』『鼻』の3篇からなる短篇集。

感想はこちら


【エッセイ】うちの雲孫を紹介します

子どもの子どもは孫。
孫の子は曾孫(ひまご)。
曾孫の子は玄孫(やしゃご)、その子は来孫(らいそん)、以下、昆孫(こんそん)、仍孫(じょうそん)、雲孫(うんそん)と続くらしい。

ほう……。

それ、いつ使うの……?



曾孫はわかる。

玄孫もわかる。

20歳で子どもを生んで、その子がまた20歳で子どもを生んで、その子がまた……というのをくりかえしていくと、80歳で玄孫ができる計算になる。

うん、ぜんぜんありうる。

その調子でいくと、100歳で来孫が誕生。
そして120歳で昆孫。

だいぶ厳しいが、理論上はありうる。


ここまでが、同じ時代に生きることのできる限界だ。

仍孫や雲孫には、生きて会うことは不可能だ(冷凍睡眠でもすればべつだが)。


ぜったいに会うことのない孫の孫の孫の孫のことを話題にする機会があるでしょうか?

いや、ない。

あなたはこれまでの人生において、雲孫のことを考えたことがあっただろうか?

「おれの雲孫、どんな顔してんだろ? おれに似てんのかな?」
とか考えたことがあっただろうか?

ないだろう。

考えるまでもない。
雲孫はあなたの顔にはぜんぜん似ていない。
だって256分の1しかあなたの血をひいてないんだもの。

256分の1というと、日本全体の面積に占める、栃木県日光市の割合ぐらいだ。
日本と日光市、ぜんぜん似てない。
似ざる、言わざる、聞かざるだ。




断言してもいい。
仍孫とか雲孫なんて言葉、誰も使わない。

ぼくらに残された時間にはかぎりがある。
存在するかどうかもわからない子孫のことを考えるひまがあるなら、今、周囲にいる人たちに気を配ってあげてほしい。

これはとても大事なことだから、このことは雲孫の代まで語り継いでいきたいと思う。


2016年9月9日金曜日

【エッセイ】年齢をnとすると、10の(n/10-1)乗× 1万円

「20歳のときに10万円使わないとできない経験は、30歳になると100万円使わないと体験できなくなる」

という意見を聞いた。

なるほど、たしかにそういう面もあるだろうな。
30代になったぼくも、そう思う。

学生時代なら10万円出せば1週間海外旅行ができるが、社会人になると仕事を休んだり(場合によっては辞めたり)、休んだ分の埋め合わせをしたりしないといけないので、金額に換算すると10万円ではきかなくなる。

20歳のときに1日寝たらとれた疲れは、30歳になると1週間とれなくなったりするしね。



でも、だから20代のうちに貯金をせずにどんどんお金を使おうという考えには賛同できない。

なぜなら、
「20歳で10万円の浪費をする人間は、30歳になると100万円浪費するようになる」
からだ。

あと
「20歳にとっての10万円の借金は、30歳の100万円の借金と同じくらい、持っている資源を失わせる」
ともいえる。



ってことで何が言いたいのかというと、使うことも大事だけど貯金も大事ですよってこと。

つまんない結論ですけど。

2016年9月7日水曜日

【エッセイ】狂牛病から15年

若い人は知らないだろうが、2001年に、狂牛病(BSE)騒動というのがあった。
狂牛病という脳がスポンジ状になる病気が見つかり、牛肉を食べると人間も狂牛病に感染するおそれがあるという噂が流れ、牛肉がぜんぜん売れなくなったのだ。
そのあおりで潰れた焼肉屋も多かったと聞いた。

参考→Wikipedia


その頃、ニュースなんかで
「狂牛病は食中毒とはちがうので、食べてすぐに発症したりしない。10年後、15年後に脳がスポンジ状になってしまうのだ」
といった解説がなされていた。

感染してもすぐには気づかないこと、

脳がスポンジ状になってしまうという症状、

そして「狂牛病」というおどろおどろしい名前、

すべてが恐ろしかった(「狂牛病」というネーミングでなければ、あそこまでおおごとにならなかったと思う)。


で、あれから15年後。
狂牛病にかかったという人の話は聞いたことがない。


そして今、ぼくは思う。

 あの騒ぎはなんだったのか、と。


そして、こうも思う。

 脳がスポンジ状になったら知識の吸収力がものすごく向上しそうだな、とも。




2016年9月6日火曜日

【エッセイ】足りない分を君に贈る

妻と娘(3歳)と、3人で夕食。

食卓にはトウモロコシが2切れあった。

すると3歳児が言った。
「あれー。3にんいるのに、トウモロコシ2こしかないねー。1こ、どっかにいったのかなー」


おお。
もう引き算の概念を理解しているのか! うちの子は天才だ!


と思っていたら、続けていわく、
「おとうちゃんのトウモロコシはどこいったんかなー」


足りない分=おとうちゃんの分 って決めるなよ!!

2016年9月5日月曜日

【エッセイ】こつこつ地道に2億円

振り込め詐欺メールが届いた。

期日までに指定の金額を振り込まないと裁判するぞ、というよくある詐欺メールだ。

でも、よく見ると……




200,000,000円……!
指定された振り込み金額が2億円!!

無理だー。
用意できねー!

そもそも2億円って振り込める金額なのか?
ATMのお金入れるところに2億円入るのか?


もし信じこんだとしても断念する金額だろ、これは。


ものすごく騙されやすい大富豪しかひっかからないだろー。

この詐欺メール送ったやつ、大穴を狙いすぎ!

もっとこつこつ地道に詐欺やりなさい!



2016年9月4日日曜日

【読書感想文】奥田 英朗『用もないのに』

奥田 英朗『用もないのに』

内容(「BOOK」データベースより)職業:小説家。年齢:とりあえず中年。じきに五十路の身である。〆切のある旅なんて真っ平御晩。自慢じゃないが、おやじの腰は重いのである。と、胸を張ったはどこへやら。編集者の甘言につられて、北京、NY、あっちこっちの野球場、果てはお遍路まで…。人気作家がしぶしぶ物した、脱力紀行エッセイ集。

奥田英朗さんの書く文章は軽妙でテンポよく読めるので、紀行エッセイに向いていますね。
紀行文ってどうしても説明が多くなってしまうので、堅い文章だとほんとうに読むのがつらくなってしまうので。

続きはこちら



2016年9月2日金曜日

【ふまじめな考察】大会のはじまり

競技としての柔道はつまらない!

時間稼ぎに終始したり、相手から逃げるためにわざと場外に出ようとしたり。

いまいち真剣みが感じられない。
それも戦術といえば戦術なんでしょうけど、相手から逃げまどう格闘技はやっぱり見ていて興ざめ。

あたしはもっと単純な力と力のぶつかりあいが観たい。

かけひきを駆使して勝った選手に対して、素直に称賛の拍手を送れないもの。



考えたんだけど、

・時間制があること、場外に出ると仕切り直しになること。これが逃げるという選択肢を生んでいる。

・判定勝ちはもちろん、一本ですら審判の判断に委ねられるので、見ていてすっきりしない。どうしても判定に疑惑がつきまとう。


ってことが、競技としての柔道がつまらない要因なんだと思う。

そこで提案なんだけど、

・時間無制限

・場外に出たら負け

・倒れて10秒間立ち上がれなければ一本負け


ってルールにしたらどうかな?

これなら勝敗も明快だから、戦う側にも見ている側にもしこりを残さない。



これなら純粋に強い人が勝つはず。

よしっ、もう階級制もなくしちゃおう。
体重に関係なく、とにかく強い人がぶつかりあうの。

これで優勝したら、天下に並ぶものはないぐらい強いって堂々と言えるよね。

だから名前も『天下一武道会』に変えちゃおう!


2016年9月1日木曜日

【エッセイ】違法駐輪に国境なし

本屋で働いていたときのこと。

店に駐輪場があった。
よくそこに自転車を放置して、どこかへ出かける人がいた 。

あるとき、開店前に30歳くらいの白人男性が自転車で駐輪場にやってきた。
自転車を置いてバス停へと歩いていこうとしたので、呼び止めて注意をした。

「すみません。ここに自転車を置いていかないでくださいね」

 「ドウシテデスカ」

「ここはお店を利用する方のための駐輪場なんで」

 「アーハイハイ。ワタシ、コノ店ヨク利用シテマスヨ」

「えーっと。そうかもしれないですけど、今はまだ開店前ですよね。店を利用する時間だけ、駐輪場を使ってもいいんです」

するとその男性、突然顔を赤らめて

「ドウシテデスカ! ドウシテワタシダケニ言ウデスカ! 他ノ人モ停メテルジャナイデスカ! コノ人モコノ人モコノ人モ!」


その言葉を聞いて、ぼくはちょっとうれしくなった。

よく「みんなやってるからオレも」というような思考が日本人的だと言われているけど、なんだ外人もけっこう長いものには巻かれてんじゃないか。


2016年8月30日火曜日

【ふまじめな考察】勝者の論理

そうだのう。

昔もいじめはあったが、わりとみんなあっけらかんとしていたなあ。
ガキ大将が堂々とぶん殴ってたから、いじめられた側も根に持ったりしなかった。
わしもいっぱい殴ったし、同じくらいいっぱい殴られた。
みんなそこから社会のありようを学んだりしていたもんだ。
殴るほうもちゃんと加減をしていたんだ。

でも今のいじめは、ほら、インターネットを使ったりして陰湿だろ?
外で遊ばなくなったことや、教師が体罰をしなくなったことが原因なんだ。



それから、昔の戦争は、今みたいに陰湿じゃなかった。
剣や銃で正々堂々と闘ったから、殺されたほうも恨んで幽霊になったりせず、あっけらかんとしていたものだ。
イギリスやアメリカみたいなガキ大将が力でねじ伏せる戦争をしてたからな。
みんなそこから国際社会のありようを学んだものだ。

でも最近はインターネットを使って情報収集をしたり、コンピュータを使って遠くから空爆したりして、やり方が陰険だろう?
だから兵士が帰国後に精神病になったりするんだ。

昔はちゃんと残党狩りをしたり敗戦国に無茶な講和条約を押しつけて力を削いだりしたから、復讐の連鎖なんてものも生まれなかった。
今は敗戦国を民主化しようとしたりするから、テロが生まれたりするんだ。
それも、子どもが外で遊ばなくなったことや、体罰がなくなったことが原因なんだ。


昔の戦争はからっとしててよかったなあ。


2016年8月29日月曜日

【エッセイ】ぼくがヒーローじゃない理由


たとえばぼくが空を飛べるとして。

一撃で敵を倒す必殺のパンチをもっていたとして。

頭を切られても何のダメージも受けないぐらい頑強だったとして。

自分の頭がおいしいアンパンの味だったとして。

食べられた後は、工場長的な人が代わりの頭部を補修してくれるとして。


目の前におなかがすいた人がいたら、アンパンマンのように
「さあぼくの顔をお食べよ」
と微笑みながら言えるのか?

って考えてみたわけです。


うーん……。

無理だろうな……。


たとえノーリスクだとしても、できることなら自分の顔面は食べさせたくない。
痛みがなくても、なんか嫌だ。


相手のおなかのすきぐあいによるかもしれない。

「おなかすいたよー! えーん、えーん!」
ぐらいだったら、まちがいなく食べさせない。

「そうは言ってもまだ我慢できるよね?」
「つばとか飲み込んだらちょっとは気がまぎれない?」
「市役所とかに相談に行ってみた? 意外と公的なサービスって充実してるよ?」
と、口頭だけで解決をはかると思う。


スジャータが思わず乳粥を飲ませてしまったほどガリガリに痩せていた断食中の釈迦(手塚治虫『ブッダ』参照)。
あれぐらいになってはじめて、自分の顔面を食べさせることを検討する(あくまで検討ね)。

でも、もし食べさせるとしても、せいぜい眉毛とか、唇の皮とかだと思う。



だから、肉体的な理由だけじゃなく、精神的にも、ぼくはヒーローにはなれないな、と思う。



あっ、でも相手がとびきり美人な女性だったら話は別ね。

それだったら、彼女がお昼過ぎに
「あーちょっと小腹がすいたなー」
って言ってただけで、すぐに
「ぼくの顔をお食べよ!」
って言う。

「どこからでも食べていいよ!」
って言う。

「あっ、でも耳だけは最後まで残しておいてよ。きみがぼくの顔を咀嚼する音を聴いていたいから」
って言う。


痛みもなく、美女の整った歯によって噛み砕かれてゆくワタクシの顔。

おお。ぞくぞくする。



これってヒーローの素質ですかね?



2016年8月28日日曜日

【読書感想文】福岡 伸一『生物と無生物のあいだ』

福岡 伸一『生物と無生物のあいだ』


内容(「BOOK」データベースより)

生きているとはどういうことか―謎を解くカギはジグソーパズルにある!?分子生物学がたどりついた地平を平易に明かし、目に映る景色をガラリと変える。

分子生物学研究者による科学エッセイ。
数十万部発行という科学書としては異例のヒットとなった新書ですが、読んでみたがどうしてそんなに売れたのかがふしぎでしかたがありません。

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2016年8月27日土曜日

【エッセイ】一休さんの水あめを食べた話

中学生のとき。
旅先のみやげ物屋で、「一休さんの水あめ」という商品を見つけました。
瓶にはアニメ版一休さんのイラスト。
すごくチープなデザインがかえって魅力的で、思わず買ってしまいました。

300円くらいだったと思います。
当時おこづかいとして月に1,500円もらっていましたから、月収の2割。
まあまあの額です。


一休さんの水あめといえば、もちろんあの有名な話に由来するものでしょう。

ある日、和尚さんが水あめを手に入れた。
坊主たちに分け与えるのは惜しいと思い、「これは毒だから食べてはいけないよ」と嘘をついて独り占めしようとした。

それが嘘だと見抜いた一休さんたちは、和尚さんの留守中に水あめを食べてしまう。

全部食べてしまってから、和尚さんが帰ってきたら怒られる、と青ざめる坊主たち。
そこで一休さんは一計を案じ、和尚さんが大事にしている壺を叩き割ってしまう。
水あめを食べた上に壺まで割ったらただじゃすまないとあわてふためく坊主たち。しかし一休さんは「あわてない、あわてない」とすずしい顔。

帰ってきた和尚さんは、大事な壺が割れているのでびっくり。
そこに一休さんがやってきてこう云った。
「うっかり、和尚さんが大事にしている壺を割ってしまいました。
 とても弁償できるものではありません。
 そこで死をもって償おうと、この毒をなめたのですがちっとも死ねません。
 もっとなめれば死ねるかと思い大量に口にしたのですが、全部食べても、悔しいかな死ねません」

これには和尚さんも返す言葉もなく、むむむとうなるばかり......。

たしかこんなお話でした。
「このはし渡るべからず」「屏風の虎を捕まえろ」に次ぐ、一休さん界で三番目に有名な話(たぶん)です。

ところでみなさん。
水あめを食べたことがありますか?

ある、という方は少数派だと思います。
ぼくの周りの人に訊いてみましたが、食べたことないという人ばかりです。
Wikipediaには
昭和40年代頃まで盛んに行われていた街頭紙芝居には水飴が付き物で、子供たちが水飴を割り箸で攪拌して遊びながら、おやつとして食べていた。
とありますから、今の60歳以上はわりとよく食べていたのかもしれませんが、今ではまず目にすることのないおやつです。



ぼくが月収の2割もの大金をはたいてまで買ったのは、そんな水あめを食べてみたかったからです。

なにしろ、『一休さん』によれば、厳しい戒律を守って生きる徳のある僧侶(和尚さん)ですら独り占めしたくなるほどの食べ物なのです。

なにしろ、『一休さん』によれば、一休ひきいる小坊主たちが、師の大事な壺を割ってまでして食べようとしたほどの食べ物なのです。


おいしくないはずがありません。


和尚さんは、「これは毒だから食べてはいけないよ」と嘘をつきました。

山本 健治『現代語 地獄めぐり』(三五館)によれば、人を正しい道に導くべき立場にある僧侶が私腹を肥やすために妄言(ウソ)を口にすると、大叫喚第十六地獄【受無辺苦処】に落とされ、炎を吹き出す鋭い金属の口と歯を持った地獄の魚によって頭から噛み砕かれ、さらに腹の中で燃えさかる炎によって焼かれて苦しむという責めを味わうことになるそうです。

それだけのリスクを承知の上で、和尚さんは「これは毒だから......」と云ったのです。
どれほどおいしいのでしょう。


また、一休さんたちは水あめをなめる瞬間、こう考えたのではないでしょうか。
「和尚さんは『これは毒だ』と言った。私たちに食べさせないための嘘に違いない。でも万が一、ほんとに毒だったらどうしよう......」
一休さんは賢明な少年ですから、当然こんな思いが頭をよぎったはずです。

ふつうだったら、それだけで思いとどまるのに十分です。
知人から「この瓶の中身は毒だから絶対に食べたらだめだよ」と真顔で言われたら、たぶん冗談だろうと思ったとしても、万が一を考えて手はつけないでしょう。
ぼくだったらぜったいに食べません。

それでも一休さんは食べずにはいられなかった。
どれほどおいしいのでしょう。



......というようなことを考えて、ぼくは期待で胸をいっぱいにして水あめを口にしたのです。


え? おいしかったかって?


それは秘密です。
ぜひみなさんも一度食べてみてください。

そうすると、昭和40年頃までは食べられていたのに今では誰も食べない理由がよくわかると思います。



【エッセイ】草食動物のとがったやつ

角が生えている動物は草食動物だけだと聞いた(一部の恐竜をのぞく)。
角は防御用のもので、攻撃には向かないからだそうだ。

なるほど。ということは鬼は草食動物か……。

たしかに『桃太郎』にしても『一寸法師』にしても『こぶとりじいさん』にしても、鬼の方から積極的に攻撃を仕掛けたりはしてないな。
攻撃してきた人間から身を守るために戦っているだけで。

金銀財宝を奪ったっていうのも、すみかを追われたイノシシやサルがたまに野に下りてきて畑を荒らす程度のもんなんだろうな……。 


2016年8月24日水曜日

【読書感想文】川上 徹也 『1行バカ売れ 』

川上 徹也 『1行バカ売れ 』


内容(「BOOK」データベースより) 大ヒットや大行列は、たった1行の言葉から生まれることがある。様々なヒット事例を分析しながら、人とお金が集まるキャッチコピーの法則や型を紹介。「結果につながる」言葉の書き方をコピーライターの著者が伝授する。

コピーライターによる「ヒットを生みだす」コピーの作り方。
著者の体験談がつまらなかったり前著の宣伝が多かったりするのはちょっとアレですが、紹介されているエピソードはおもしろかったです。
有名なエピソードも多いのでしょう、コピーの本をほとんど読んだことのないぼくでも、耳にしたことのあるものがいくつかありました。

ぼくも広告の仕事をしているので、目を惹く文章を作ることには日々頭を悩ませています。
この本ではいくつものセオリーが紹介されていますが、やはりいちばん効果があるのは「常識の逆を言う」という手法です 。

北海道北見市にある「北の大地の水族館」が来場者数を大きく増やしたコピー。

 それは、この地方の水族館の最大の弱点を売りにした1行でアピールしたからです。
 その1行とは、
 世界初! 凍る水槽
 でした。
 土地柄、野外に水槽をつくると、冬は水面が完全に凍ってしまいます。それは水族館にとって最大の弱点であるはずでした。しかし、それを逆手にとって、凍った水面の下で活動する魚たちの様子を観察できるようにしたのです。北海道の自然河川そのままに。
 凍った水面の下で魚がどんな風に活動しているか観察したくありませんか? 多くの人は興味をそそられて、真冬のその時期にわざわざ「凍る水槽」を見に来たのです。

たしかにこれは見にいきたくなりますよね。
弱点を、たった1行でひっくりかえしてアピールポイントに変えてしまう。
これぞ名コピー!

実際にはコピーだけではなく、水槽の改修などいろんな対策のおかげで効果を挙げたのでしょうが、これが「氷の下の魚が見られる水族館」とかだったらそこまでお客さんも詰めかけなかったでしょうね。


もうひとつ、弱点を見事に長所に変えたとされる名コピーの例。
アメリカのハインツというケチャップメーカーの話です。

 当時のケチャップはビンづめです。ハインツのケチャップは水分が少なかったので、なかなか出てこないという欠点がありました。ビンを逆さまにして底をたたく必要があったのです。それに比べると、他社のケチャップは水分が多いので簡単に出てきます。使用者のストレスは大きく違いました。他社はハインツの弱点をついてきたのです。
 これに対抗するには、ケチャップの成分を出てきやすい液状に変えるしかありません。しかしそれではハインツらしさがなくなる。ハインツはその戦略をとりませんでした。 たった1行のコンセプトで消費者の価値観をひっくり返したのです。
 それは、
 ハインツのケチャップは、
 おいしさが濃いからビンからなかなか出てこない。
 でした。

このコピーによってハインツのケチャップは売上を大きく伸ばしたそうなのですが、人々がこの広告を見てハインツのケチャップを買ったのは「おいしさが濃いから」だけじゃないと思うんですよね。

不自由さを楽しむ気持ち、というものが人間にはあります。
ぼくの知人は、古い車に乗っていて、「これパワーウインドウじゃないんだよね」とうれしそうに手動で窓を開けたりしています。


ぼくはMacのコンピュータを使っています。
今でこそMacユーザーもめずらしくなくなりましたが、10年くらい前はまだMacはマイナーで、なにかと不便でした。
Windowsユーザーから送られたファイルが開けなかったり、IEじゃないと正常に表示されないサイトがあったりと。
でもそんな不便さがかえって愛おしかったところもあったんですよね。

もー不便だなー、と言いながらも、それがまた「Macの特別な感じ」を引き立たせていたのです。

そういうのってなかなか狙って生みだせる価値ではないんですが、だからこそ成功すると効果ははかりしれないですよね。



この本はコピーの本ですが、コピーにかぎらず「ものを売る方法」のヒントがたくさん転がっています。

スタンダードブックストアが一躍有名になったキャッチコピーや、ブラックサンダーがバレンタインデーに成功させたエピソードなんかは、コピーというよりマーケティング戦略の話です(詳しくは読んでみてください)。



最後に、いちばん印象に残ったエピソードをご紹介。
ジャパネットたかたがボイスレコーダーを販売したとき、高田社長は通販番組でこんな話をしたそうです。

「お母さんがまだ会社で働いてるあいだにお子さんは学校から帰ってきますね。お母さんがいなくてちょっとさびしい。
 でもボイスレコーダーにこんなメッセージが吹き込まれていたらどうでしょう?
 〇〇ちゃん、お帰りなさい。お母さん、まだ会社だけど、おやつは冷蔵庫に入っているからね。宿題は早めにちゃんとやってね。
 ……どうですか?
 こんなお母さんの声を聞いたら、お子さんは喜びます。さびしさも少しやわらぎます」

 自分が働くお母さんの立場になって聞いてみると「なるほどそんな使い方があるんだ」と改めて思ったのではないでしょうか?
 実際、この放送は大反響を呼び、ボイスレコーダーはバカ売れしました。
 通常、このような商品を売る場合は、録音時間や音のクリア度など機能やスペックを訴えることが普通です。しかし、お客さんは機能やスペックではなく「その商品を買ったら、自分の生活にどんないいことがあるか」に興味があったのですね。
 現在、ジャパネットたかたでは、このボイスレコーダーをシニア向けに売っています。
 物忘れが多くなった人に向けて、用事をレコーダーに吹き込んでおけば「忘れるというトラブル」を防ぐことができますよ、という提案です。
 この新しい提案によってボイスレコーダーは、今まで需要がなかったシニア層からの注文が殺到したと言います。

このエピソードを聞いてぼくは、有名な「未開国に靴を売りにいった営業マン」の話を思い出しました。
「だめです、この国では誰も靴を履いていません」と売ることを諦めた営業マンと、「やりました、この国ではまだ誰も靴を履いていません!」と喜んだ営業マンの話です。

ジャパネットたかたの発想はまさに後者。
「お母さんやお年寄りはまだボイスレコーダーをほとんど使っていません!」という考えですよね。


宣伝によって、それまで需要のなかったところに需要を生みだす。

こんなにマーケティング担当者冥利に尽きることはないですよねー。



2016年8月23日火曜日

【エッセイ】過去最高の熱闘甲子園


高校野球が好きなのでここ20年ぐらい『熱闘甲子園』を見ているが、今年は良かった。

高校野球の世界では″10年に1人の逸材″と呼ばれる選手が2年に1人くらい現れるのだが、大げさな表現ではなく、本当に10年に一度の熱闘甲子園だった。
(ついでに言うと走攻守そろったリードオフマンが甲子園に出るとすぐに″イチロー2世″と呼ばれる。ホームランバッターは″清原2世″と命名されるのも定番だったが、清原がああなった今となってはもう呼ばれることはあるまい)



10~5年ほど前の『熱闘甲子園』は最低の時代だった。特にキャスターである長島三奈が取材をするようになってからは地獄だった

どんな試合展開だったのか、どんなプレーが生まれたのか、どういった戦術がとられたのか。

高校野球ファンが知りたいのはそういう情報なのに、長島が取材する内容ときたら、「この選手は誰と仲がいいか」「この選手の家族はどんな人か」といった愚にもつかないことばかりだった。

きっと長島三奈は、高校球児の青春が好きなだけで、高校野球はべつに好きではなかったのだろう。
いきおい、放映されるVTRは野球に対してまったく敬意が感じられない仕上がりになっていた。

特にうんざりしたのは、故人を使って安易に感動を誘おうとするVTRだった。
まだチームメイトが亡くなったとか、監督が死んだとかならわかる。そんな出来事があれば、チームに対する影響も大きいだろう。彼らの死を抜きにはチームのことは語れないにちがいない。

でも「ある選手のお父さんが数年前に亡くなった」なんてのは、本人にとっては大きな出来事だろうが、そのチームにとってはほとんど関係のない話だろう。

ひどいのになると「2年前に亡くなったおじいちゃんに捧げる勝利!」なんてことをいったりしてて、もうそこまでいくと感動どころか失笑しか出なかった。

高校生にもなったらおじいちゃんもいい歳だから、死ぬのもぜんぜん珍しいことじゃないだろうよ。
部員全員の両親曾祖父が健在、なんてチームのほうが少ないと思うぜ。

たぶん熱闘甲子園のスタッフが、むりやりネタをつくるために、選手たちに「身内に亡くなった人いないっすかね?」って聞いてたんでしょうね。
死人で商売する、墓場泥棒みたいなやり口でした。


そんなわけでぼくは、欠かさず観ていた熱闘甲子園から遠ざかるようになった。
高校野球自体は変わらず好きで、毎年1度は甲子園まで足を運んでいるが、熱闘甲子園はときどきしか観ない番組になっていった。


しかし数年前に工藤公康がキャスターを務めるようになってからは、徐々に番組の内容は良くなっていった。
安易な感動狙いは相変わらずだったが、プロ野球解説者も務めていた工藤による解説はさすが着眼点が鋭く、ゲームの内容に深く切り込む内容が増えた。

そして 2014年をもって、ようやく憎き長島三奈が退いた(ぼくはまだ許してないぜ。だいたいなんであいつがキャスターやってたんだ。七光りなんだろうけど、長嶋茂雄だって長嶋一茂だって高校時代は甲子園に出てないからほぼ無関係じゃないか)。
そして古田敦也がメインキャスターとなり、『熱闘甲子園』は十数年ぶりに甲子園をメイン舞台にした番組に戻る(長島三奈時代はグラウンドの外にスポットを当てすぎていた)。

そして番組の内容は格段におもしろくなった。

そうなんです。
べつに選手の宿泊先に押しかけて取材をしなくたって、ただ試合を丁寧に放送するだけで、いい番組はできるんです。
どれだけ練習したかも、身内がいつ死んだかも関係ない。
甲子園での試合にこそドラマがあり、感動があるのです。

作曲の苦労を知らなくたって、いい歌は胸を打つ。
役者の人柄を知らなくたって芝居を観て、人は感動する。


これだよ。
20年ほど前の『熱闘甲子園』はこうだった。
なにより、甲子園での試合の様子を丹念に、ありのままに伝えていた。

そして昨年(2015年)から『熱闘甲子園』は甦った。
高校球児の活躍をきちんと伝える番組になった。

でも2015年は、最後の最後で
高校球児たちが未来への願いを込めた紙飛行機を飛ばす
という、くそダサい演出をやらかして、すべてを台無しにした。
(気になる人はぜひYouTubeで「熱闘甲子園 2015 エンディング」で検索してほしい。ほんとダサいから。そして、明らかに高校球児の書いた文字じゃないから)

2016年の熱闘甲子園は、最後まで野球を中心にした番組だった。
ほんとに良かった!

(褒め称える記事のはずなのに、悪口のほうがずっと多いな……)



2016年8月21日日曜日

【おもいつき】感動の大安売り


「感動をありがとう」
最近よく耳にする言葉ですね。

しかし感動を用いたあいさつはこれだけではありません。

ここでは、感動あいさつの事例を紹介しましょう。


日本選手が金メダル!
感動をありがとう!


喜んでもらえてうれしいです。
感動をどういたしまして!


日本選手の金メダル獲得まで残りわずか!
感動をいただきます!


みっともない負けかたをしてしまってお恥ずかしい。
感動をごめんなさい……。


よくがんばったな。
感動をおつかれさん!


まだ勝負はついていませんが、わたくし、早くも胸が熱くなってきました。
感動をお先に失礼します!


見事リベンジ達成! 2大会ぶりの金メダルです。
感動よおかえり!


さあいよいよ日本中が待ちのぞんだ決勝戦です。
感動へようこそ! 感動へおこしやす! めんそ~れ感動!


なんだよ不甲斐ない戦いしやがって!
おととい感動しやがれ!


オリンピックもいよいよ閉会です。
それではみなさん、また感動する日まで~!



2016年8月19日金曜日

【考察】一(マイナス)を聞いて十(プラス)を知る

「思うんだけどね。
 読解力が高い人って、人の話を集中して聴くのが苦手な傾向がある気がする。自分で読んだり考えたりして答えを導きだせるから、話を聴く必要がないんだろうね」

 「なるほど。読解力と聴く力は反比例するってことか」

「いや、反比例はしない。読解力もなくて人の話も聴かないやつもいるから」


2016年8月18日木曜日

【読書感想文】『ネオ寄生獣』

 

『ネオ寄生獣』


 内容紹介(Amazonより)

田宮良子が生み、泉新一に託した子どものその後を描いた萩尾望都『由良の門を』。砂漠の戦場での寄生生物同士の激しいバトル! 皆川亮二『PERFECT SOLDIER』。まさかの『アゴゲン』とのコラボ、平本アキラ『アゴなしゲンとオレは寄生獣』など『寄生獣』への想いに満ちた12編の傑作が集結! 他の著者・遠藤浩輝、真島ヒロ、PEACH-PIT、植芝理一、熊倉隆敏、太田モアレ、瀧波ユカリ、竹谷隆之、韮沢靖。

岩明均の傑作漫画『寄生獣』のトリビュート漫画集。

いやあ、おもしろかった。
ぼくが『寄生獣』をはじめて読んだのは20年ほど前ですが、その後もくりかえし読んだので細かいところまでよく覚えています。
奇抜な設定、綿密に練られたストーリー、丁寧な伏線、泉新一、ミギー、田宮良子、後藤といった魅力的なキャラクター 、力が勝敗を分けるわけではない戦いなど、「こんなに完璧な漫画があるのか」と感心したことを覚えています。
強いて欠点を挙げるならあまり絵がうまくないことですが、絵がうまくないこともストーリーに貢献していて(ネタバレになるので伏せますが、広川が××だということにほとんどの読者が気づかなかったのは絵がうまくないおかげでしょう)、絵の拙さまで魅力に変わっています。

『寄生獣』の特にすばらしいところは、ちょうどいいところでスパッと完結しているところ。
やろうと思えば、ミギーを復活させることも新たな敵を出すこともできただろうに、そこまでした引き伸ばさなかったからこそ今でも『寄生獣』は名作だとの評価を受けているのでしょう(「○○編までは名作だった」と呼ばれている漫画がどれだけ多いことか)。

終盤に最高潮が来ているので、読み終わったあとに満足するとともに「もっと読みたい」という気になりました。
そしてそう思ったのはぼくだけではないようです。
多くの表現者も同じように感じたらしく、それがこのトリビュート『ネオ寄生獣』を生みだしたのでしょう。

『寄生獣』の世界や登場人物を使って、いろんな創作者の方々が独自のストーリーを展開しています。


ぼくがいちばん楽しめたのは、太田モアレ『今夜もEat It』。
上品なユーモアもハートフルでスリリングなストーリー展開も一級品で、「この人の『寄生獣』をもっと読みたい!」と思いました。

さらに絵柄をオリジナルに寄せていたり(岩明作品の人物って考え事をするときこんな口するよね!)、別の岩明均作品の登場人物が顔を出したりと、ほんとに『寄生獣』を敬愛する感じが伝わってきて、これぞトリビュート!って言いたくなる、完成度の高い小編でした。


ついでおもしろかったのは竹谷隆之『ババ後悔す』。
造形作家だそうで、海洋堂でフィギュア作ったりしてた人らしいですね。
造形もさることながら、「もし○○に寄生したら」というアイデアもすばらしい。
ま、田舎だったらこうなるよなあ。


熊倉隆敏『変わりもの』はショート・ショートのような不気味な後味の作品。
『今夜もEat It』といい、寄生獣といえば“健康”なのがおもしろい。
寄生生物にとっての最大の関心事が宿主の健康なのは、あたりまえといえばあたりまえなんだけど。


PEACH-PIT『教えて!田宮良子先生』もおもしろかったんだけど、これはトリビュートというよりはもはや同人誌……。


ひどかったのは平本アキラ『アゴなしゲンとオレは寄生獣』。
いやあ、これはひどい。
笑いましたけど。

もう、原作のキャラをむちゃくちゃにしてます(しかもあの人かよ……)。
でも、原作の台詞を忠実にパロったりして(忠実にパロったり、って変な表現だけど)、『寄生獣』に対する愛も存分に感じました。

ぼくは清水ミチコの、対象に対する悪意と愛情の両方を感じるものまねが好きなんだけど、なんとなくそれを思い出しました。


『ネオ寄生獣』、『寄生獣』ファンなら少なくともどれか一篇は楽しめる作品集だと思います。

でも全部気に入るのは難しいだろうな……。



2016年8月16日火曜日

【写真エッセイ】科学で守る甲子園



甲子園で高校野球観戦。


21世紀ももう16年目だっていうのに!

これだけ国防費に予算を使ってるのに!

なのに甲子園のカメラを日射熱から守る技術がまだゴザってどういうことなんですか、総理っ!

【エッセイ】五山送り火のええとこ

京都人は遠回しなものの言い方をする。
「ぶぶ漬け食べていきなはれ」は有名だが、他にもいろいろある。

「おたくのお嬢ちゃん、ピアノ上手にならはりましたなあ」
は、
「ピアノうるさいですよ」
の意味。

「若い人は何を着ても似合わはりますなあ」
は、
「若いから場にふさわしい服も知らないのね」
の意味だそうだ。



学生時代、京都に住んでいた。
京都市内の中でも中心部、いわゆる“洛内”という場所だ(ちなみに京都人にとって中心部とは、市役所や繁華街がある場所ではない。御所に近い場所が中心部だ)。

ぼくの住んでいたアパートは、大文字山のすぐ近くにあって、アパートの通路からは「大」の文字がよく見えた。



毎年8月16日は五山送り火。
大文字山の「大」の字には煌々と火が灯る。俗にいう大文字焼きだ。

友人が、一緒に大文字焼きを見ようぜとぼくの家にやってきた。
だがアパートの通路で見るのも興に欠ける。
いい場所はないかと探すと、アパートの屋上からだと大文字が真っ正面に見えることがわかった。
屋上へ通じるフェンスにはカギがかかっていたが、何でも許されると思っている学生のこと、フェンスをよじのぼって屋上に上がった。

上がってみると、じつによく見える。
人もいないし快適だ。
これは愉快愉快とビールを飲みながら大文字山に灯る送り火を眺めていると、アパートの大家さんがやってきた。

大家さんは70歳くらいのおばあちゃんで、いたって柔和な人柄だった。
ぼくらが勝手にフェンスを乗り越えて屋上で酒を飲んでいるのを見ても
「あらー、ええとこ見つけはったねえ」と微笑むだけだったので、ぼくらも
「そうでしょう。ここ穴場ですよ」
とへらへらしていた。



……という話を知り合いの京都人にしたところ、

「『あらー、ええとこ見つけはったねえ』っていうの、それたぶん京都人特有のイヤミですよ」

と云われた。


あーそうかー。
よくよく考えたらそうかもしれーん!

でも当時はまったく通じなかったよ!

田舎者だと馬鹿にされてたんでしょうなあ……。

2016年8月13日土曜日

【読書感想文】貴志 祐介 『新世界より』


貴志 祐介 『新世界より』



内容(「BOOK」データベースより)
1000年後の日本。豊かな自然に抱かれた集落、神栖66町には純粋無垢な子どもたちの歓声が響く。周囲を注連縄で囲まれたこの町には、外から穢れが侵入することはない。「神の力」を得るに至った人類が手にした平和。念動力の技を磨く子どもたちは野心と希望に燃えていた…隠された先史文明の一端を知るまでは。

いやあ、とんでもなくスケールの大きい小説でした。
これだけの話をたった一人の人間が書いたということに驚かされます。
これを実写映画化しようとしたら、『スター・ウォーズ』7部作ぐらいの予算と上映時間が必要になるでしょう。

緻密に考えられた世界観、魅力的な新生物、次から次にピンチに陥る怒濤の展開、そして巧みに仕掛けられた伏線。
どれをとっても一級品でした。

単行本で前後編あわせて1,000ページを超えるボリュームでありながら、ページをめくる手が止まらなくなり、一気に読んでしまいました。
小説の世界にどっぷり浸かりたいときにおすすめの小説です。

でも逆にいうと、どっぷり浸かりながら読まないとついていけなくなって、おもしろみを感じられないかもしれません。
登場人物は特に多いわけではないですが、1,000年後の日本、超能力者が支配する世界を描いたSFなので新しい概念が多く登場します。
呪力、攻撃抑制、愧死機構、悪鬼、業魔など。
これらの概念はちょっとややこしい上に少しずつしか明らかにならないので、もどかしい感じがします。

その分、徐々に世界の謎が明らかになっていく瞬間には、カタルシスを感じます。
未知の分野を勉強するときって、はじめはぜんぜん理解できなくって苦痛なんだけど、ある瞬間から急に全体像が見渡せるようになって爽快感を味わえますよね。ちょうどあんな感じです。
「そうか、世界はこうなってたのか!」

勉強が嫌いな人ってこの悦びを知らない人が多いですから、勉強嫌いな人にはこの小説もしんどいかもしれませんね。


あとホラー出身の作家だけあって恐ろしいストーリー展開やグロテスクな描写も多いので、そのへんも読む人を選ぶでしょうね。
後味もすごく悪いです。
ぼくは後味の悪い小説が好きなのでおもしろかったのですが。
特にラストの薄気味悪さはすごかったです。バケネズミが実は×××だったというのは、まったく想像もしなかったし、言われてみればなるほど!という感じで、見事に騙されました。
読み終わってから寝たら見事に悪夢を見ましたからね。それぐらいイヤなラストでした。
SFとしてもミステリとしてもサスペンスとしてもホラーとしてもよくできた小説です。


ストーリーの本筋についてはネタバレにならないように書くのは難しいのでこれ以上触れないとして、
『新世界より』の魅力のひとつは、架空の動物たちの存在です。
珍奇な生物たち(バケネズミ、ミノシロモドキ、トラバサミ、不浄猫、フクロウシ......)のどれも魅力的なのですが、ぼくが特に感心したのはカヤノスヅクリというヘビ。

 カヤノスヅクリの戦略は、托卵を行う鳥の習性を巧みに利用するものだった。
 托卵というのは、自ら巣を作って雛を育てる手間を省き、ほかの種類の鳥の巣に自分の卵を産み付け、育てさせることである。托卵された卵はすばやく孵化して、元からあった卵をすべて巣の外に放り出してしまう。生きるためとはいえ、あまりにも冷酷な仕打ちだと思う。アフリカ大陸に棲息する蜜教(ミツオシエ)にいたっては、嘴に付いた棘によって、宿主の雛を刺し殺すようなことまでするらしい。
(中略)
 カヤノスヅクリは、鳥の巣を模倣したものを造り、大きさから模様まで本物の卵とそっくりな偽卵を並べておいて、騙されて托卵する鳥を待つ。あとは、定期的に自分の作った巣を巡回すれば、新鮮な卵の貢ぎ物が見つかるというわけだ。

さらに、卵を食べにくる他のヘビを殺すため、毒や鋭い突起を仕込んだ偽卵を仕込むこともあるというしたたかさ。
あまりにも合理的な生存戦略なので、本当にいるのではないかと検索してしまったほどです(だって自然界の生き物ってほんとに合理的なんだもの)。

いやほんと、1,000年後はないにしても、数万年後にはこんな生物も誕生してるんじゃないかな。検証しようがないけど。
願わくば、バケネズミだけは誕生していませんように......。



2016年8月12日金曜日

【おもいつき】ぼくらとオリーブの染色体

「人間の染色体は23対、他に23対の染色体を持つ生物はオリーブぐらいしかいないらしいよ」

 「オリーブってポパイの恋人の?」

「あれは人間だろ。植物のオリーブだよ」

 「へえ。じゃあチンパンジーなんかよりオリーブのほうが人間に近いってこと?」

「うーん……。染色体の数だけならそうだけど……」

 「つまり腕が折れたときはオリーブの木で接ぎ木をしたら腕とくっつくってこと?」

「そんなことはない」

 「つまり血が足りないときはオリーブオイルで輸血できるってこと?」

「そんなこともない」

 「あのさあ。ほんとのこと言うとね」

「うん?」

 「おれ、染色体って何かわかってないんだよね」

「だろうね!」

2016年8月9日火曜日

【エッセイ】許すまじ巨悪

そろそろ国が本腰を入れて、「ふたりが出会えた奇跡」という歌詞を取り締まらなければならないと思う。



あまりに安易。

いったいどれほどの曲に使われているのだろうと思って調べてみた。
(歌詞検索サービス 歌ネットhttp://www.uta-net.com/)



「出会えた奇跡」の検索結果230件
「出逢えた奇跡」の検索結果は130件
「出会った奇跡」は34件
「出逢った奇跡」は22件
「出会えたこの奇跡」は15件
「出逢えたこの奇跡」は13件


手垢にまみれてクソみたいな色になってクソみたいな臭いを放っているこの表現。
「奇蹟」や「キセキ」も含めたらもっと多い。

これだけ氾濫してたらもう奇跡でもなんでもないよ!

2016年8月7日日曜日

【知識】わかりにくい野球規則の話

わかりにくい野球のルール。


1.野球規則 3.03
同一イニングで投手が他の守備位置についたら、投手以外の他の守備位置につくことはできない。
また、同一イニングに2度投手として登板した際は、他の守備位置につくことができない。

× ピッチャー→ファースト→ライト 
○ ピッチャー→ファースト→ピッチャー
× ピッチャー→ファースト→ピッチャー→ファースト
ってことですね。(同一イニングの話)

昔、阪神が同一イニングで遠山→葛西→遠山→葛西っていう継投をしてたけど、葛西が2回目に出てきたときには遠山はベンチに退かなくてはならないわけです。
時間短縮のための措置でしょうかね。


2.第3アウトの置き換え

1死満塁。
打球は外野へのライナー。ヒットと思った走者は一斉に走るが、センターの好捕でバッターアウト。
3人の走者はそれぞれ次の塁に到達していたので、センターからセカンドへとボールが送られ、飛び出していた2塁ランナーがアウト。
この場合、攻撃側に1点入ってしまうのだそうです。
2塁ランナーがアウトになるより早く3塁ランナーがホームインしていたから、というのがその理由。

得点を防ぐためには、3塁に送球するか、審判に対して「3塁走者が飛び出していた」とアピールして、3塁走者をアウトにしなければなりません(このアピールプレイによって第3アウトが2塁走者から3塁走者に置き換わる)。
アピールする前に守備側の選手が全員ベンチに引き上げて(正確にはファウルラインの外に出て)いたら得点が記録されちゃうとのこと。
高校野球センバツ大会でも起こった事例です。


3.見逃し振り逃げ
見逃しでも「振り逃げ」はできるのだとか。
振ってないじゃん、と思うかもしれませんが野球規則には「振り逃げ」という言葉は出てきません。
「第3ストライクの投球を捕手が正規に捕球しなかった場合は打者が走者になる」としか書かれていません。
というわけで、見逃し三振でも振り逃げは可能。

でもこれをやろうと思ったらストライクボールをキャッチャーが大きく逸らさないといけないわけで。
プロ野球や、甲子園に出るレベルのキャッチャーだとまずありえないプレーですよね(プロ野球では過去に1度だけ起こったそうです)。


2016年8月5日金曜日

【エッセイ】そんなパーティー出たことないけど

「世の中には10種類の人間がいる。
 二進数を理解できる人間と、そうでない人間だ」

ってのは、簡潔でウィットにとんでいる、よくできたジョークなんだけど、文章にしないと伝わらないのが残念だよなあ。

パーティーで披露できないじゃないか。

2016年8月3日水曜日

【エッセイ】ハゲ・ハラスメント

「女に対して『太ったね』は、口が裂けても言っちゃだめ」
と女性から云われました。


男の立場からすると、べつに悪気はないんだけどな(あることもあるけど)。
男どうしだと「おうひさしぶり。おまえ太ったなー!」と挨拶代わりに言ったりするし。


しかし何を気にするかは人それぞれ。
言うなというのであれば、ぐっとこらえて、心のなかでこいつ太ったなーと思って、にやにやするだけにとどめておくことにしましょう(あんまりとどまってないな)。


その代わりといってはなんですが。


女性のみなさん、男に向かって「ハゲ」と言うのだけは、やめてください。

女が思っている50倍、男は「ハゲ」という言葉に傷つきます。
すべての男は、自分がハゲることに怯えています。
「おれは死ぬことなんて恐れちゃいないぜ」なんてうそぶく男ですら、ハゲることは恐れています。
死よりも怖いもの、それがハゲるということなのです。


薄毛の人はもちろん気にしています。

ふさふさの人も、近い将来ハゲだすんじゃないかとびくびくしています。

まして、現在進行形でハゲが進る人の心配たるや、いわずもがなです。

毛が1本でも残っているかぎり、毛髪問題に関して心休まる日は訪れません。
(もしかすると完全にハゲきった人ですら、また生えてこないかと気にかけているかもしれません)


男は女ほど占いを気にしませんが、自分がハゲるかどうかを占うことにかけては、たいへん関心があります。
やれ家系にどれだけハゲがいるかだとか、やれ頭皮が硬いのはあぶないとか、やれどのシャンプーは抜け毛を抑えるだとか。

それぐらい気にしていることですから、どうか女性のみなさんは、口が裂けても、男性に向かってハゲたとか抜けたとか薄くなったとか減ったとかスッキリしたとか軽量化に成功したとか言わないようにお願い申し上げます。



最後に、なぞかけをひとつ。


ハゲとかけまして

政党のメンバーとときます。


そのこころは、


抜けたり後退(交代)したりしますが、結局は不毛です。


2016年8月1日月曜日

【エッセイ】わたしの周囲の3人中3人が待ち望んだ金メダル

わたくしは、
日本人の父と日本人の母を持ち、
日本人としての戸籍を有し、
日本に生まれ、日本に育ち、日本に暮らす、
れっきとした日本人です。


そのわたくしですが、
今回のリオデジャネイロ・オリンピックにおける日本人選手の活躍には一切関心がありませんので、
日本人選手を一切応援せず、オリンピックも一切観戦しないことをここに宣言いたします。

ですから。

テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、Webサイト他あらゆる報道機関のみなさん、今回のオリンピック報道に関して、

「日本中が待ち望んだ金メダル」

「日本中に感動を与えた」

といった虚偽にまみれた言葉を使わないようお願い申しあげます。



その代わり、

「日本中の少なくともひとりを除く多数が待ち望んだ金メダル」

「おれが個人的に想定する非実在日本人全員に感動を与えたプレー」

といった正確な表現を用いていただくよう要請する次第であります。


わたくしがオリンピックに無関心なばかりにご不便おかけして恐縮ですが、正確な報道のため、ご協力よろしくお願い申し上げます。

2016年7月31日日曜日

【エッセイ】候補だけならなんとでも言える

自宅の郵便受けに入っていた夏祭りのポスター。


総合司会の松原美穂って人に
「お嫁さんにしたい女優No.1候補の癒し系歌手」
ってキャッチコピーがついてるんだけど、


女優なんだか歌手なんだかわかんないし、


No.1候補って、つまり何者でもないってことだし、


検索してみたらこの人39歳で、
39歳をお嫁さんにしたい人がそんなに多いわけがない のか疑問だし、


わけわからんキャッチコピーつけられてかわいそうだな。



……と思ってたら、
この人のブログで

「総合司会は私、お嫁さんにしたい女優No.1候補の癒し系歌手、松原美穂が務めさせていただきます。」

って自分で書いてた……。



そんなのを名乗っていいのなら、これからはぼくも、

「抱かれたいイケメン俳優No.1候補の引きこもり系サラリーマン」

を自称することにしよう!

2016年7月30日土曜日

【考察】ぶったおれるほどのヒット

ゲームやアニメって、批判されたり犯罪に利用されたりするようになってはじめて大ヒット、って気がする。


買ったばかりのドラクエをカツアゲする不良とか。

ビックリマンシールだけ集めてチョコを捨てる子どもとか。

子どもたちがクレヨンしんちゃんの真似をして大人たちが眉をひそめたこととか。


そういうのが報道されるようになって、社会的に広く受け入れられるんだよね。


だからポケモンGOがヒットしたのも、アメリカでポケモンGOにまつわる事故や事件が頻発した、というニュースがあったからだと思う。

そもそもポケモンが大人にも広く知られるようになったきっかけも、いわゆる“ポケモンショック”で子どもたちがぶったおれたことだったしなあ。



2016年7月29日金曜日

【エッセイ】ほんとにあった、たどたどしい話

ほんとにいるんですねえ。

いやいや、いると聞いてはいたんですが。

目の当たりにしたのははじめてでした。


百貨店で、幼稚園児くらいの子がおもちゃを買ってほしいと、お母さんにせがんでいました。

するとそのお母さんが、
「そうね、ええっと、おくとーばー、のーべんばー、でぃっせんばー……。でぃっせんばーになったら買ってあげる!」

はじめはぼくも、ふざけてるんだろうなあ、と思っていました。
でもその後もお母さんは一生懸命しゃべっていました。

「でぃっせんばーになったらプレゼント、プレゼント・ふぉー・ゆー。わかる? あんだーすだんど?」


出たー、本物だ!
本物の、これが子どもの英語習得に有効だと本気で信じてる母親だー!

日本語混じりのたどたどしい英語。
もう完全にルー大柴。

聞いてるこっちが恥ずかしい。



ですがお母さん。
安心してください。

あなたのその努力はきっと実ることでしょう。

そしてあなたのお子さんは、きっと将来は流暢なルー語をしゃべれるようになることでしょう。



ちなみに、早期教育が外国語の習得に有効だという説もありますが、教育科学的にはまったく証明されておらず、否定的な研究結果のほうが多いみたいですよ。

……と声をかけようかと思いましたが、やめときました。

だって昔から言うでしょう、「言わぬがフラワー」ってね。


2016年7月28日木曜日

【エッセイ】褒めて伸ばす教育の功罪

3歳の娘と遊んでると、しょっちゅう痛い目に遭うんですよね。

ほら、こどもって手かげんも距離のとりかたも知らないから。

だから油断してると、すぐにみぞおちにパンチ入れられたり、飛び蹴りをくらったり、目つぶしをされたり、ジャーマン・スープレックスをくらわされたりするんですよね。
最後のはウソですけど。


ものすごく痛いこともあるんだけど、向こうに悪気はないわけだし、こども相手に怒るのもおとなげないなと思って、ぐっとこらえるわけです。

でも、謝罪のできない子にはなってほしくないので、落ち着いたトーンで語りかけるようにしてたんです。
「お父ちゃんはすごく痛かったから、ごめんって言おうね」
って。

で、こどもがちゃんと「ごめんなさい」と言ったときは、 「わー、ちゃんとごめんなさいって言えたねー! えらいねー!」
と大げさなぐらい褒めてやるようにしてたんです。


ああこれぞ褒めて伸ばす教育だ。
見たか尾木ママ、ぼくは今、いい父親をしているぞとひとり悦に入っていたんです。


が。

子育てってうまくいかないものですね。

根気強く教えこんだおかげで、ぼくが痛がるととっさに「ごめん」と言える子になったんですよ。

でも、その後に必ず「ごめんって言えた!」とアピールしてくる子になったんです。

「ちゃんとごめんって言えたねー! えらいねー!」
と褒めすぎたんでしょうね……。


ぼくのあごに頭突きを決めた後、悶絶するぼくに向かって
「ごめーん。ごめんって言えた!」
と間髪を入れずにうれしそうに声をかけてくる娘。
3歳児とはいえ、そして我が子とはいえ、正直、イラっとします。



そして、我が子の将来が心配です。


政治家になったものの、公金の不適切な使い込みが明らかになって記者会見を開くことになったわが娘。

「心よりお詫び申し上げます……」
と深く頭を下げた後に、

「1、2、3……。ヨシっ、ちゃんと謝罪できた!」

と言わないかと、お父ちゃんは心配です。


2016年7月26日火曜日

【読書感想文】ロバート・A・ハインライン 『夏への扉』

ロバート・A・ハインライン 『夏への扉』

内容(「BOOK」データベースより)
ぼくの飼っている猫のピートは、冬になるときまって夏への扉を探しはじめる。家にあるいくつものドアのどれかひとつが、夏に通じていると固く信じているのだ。1970年12月3日、かくいうぼくも、夏への扉を探していた。最愛の恋人に裏切られ、生命から二番目に大切な発明までだましとられたぼくの心は、12月の空同様に凍てついていたのだ。そんな時、「冷凍睡眠保険」のネオンサインにひきよせられて…永遠の名作。

SF史に残る不朽の名作として語られる作品。
今さら読んでみましたが、いやあ美しい小説でした。

「美しい」といっても描写が巧みだとか純愛が描かれているとかではなく(猫に対する純愛は描かれているけど)、ストーリーに無駄も不足もない、疾走感を保ったまま最後まで一気に読ませてくれる小説だということです。
あまりにうまくいきすぎる、ご都合主義的なところもありますが。


SFとしては、今読むとちょっと物足りないところがあります。
『バック・トゥー・ザ・フューチャー』や『サマー・タイムマシン・ブルース』のようなよくできたタイムマシンものを知っている人間からすると、「え? もうひとひねりないの?」と思ってしまいます。

というのは、『夏への扉』があまりにいろんな作品に影響を与えすぎたからでしょう。
現代のタイムトラベルものは直接的にであれ間接的にであれほぼすべて『夏への扉』の影響を受けているといってもよいのではないでしょうか。


『夏への扉』が出版されたのが1957年なので、60年近くも前のこと。
この作品中で描かれる<未来>が、西暦2000年のことですしね。
しかし、ちっとも古びていません。
 逆に、よく言い当てているなと感心しました。
 たとえばこんな描写。

 しかし、最近そういったオフィスでは、製図工の見習いなど置かず、たいてい、一種の半自動的な製図機を用いて仕事の能率をあげていた。癪にさわる機械ができたものだと思ったが、その製図機の写真を見たとき、ぼくはなにかはっとした。この製図機なら、機会さえ与えられれば、二十分とかからずに、操作法をマスターしてみせるぞと思った。というのはほかでもない ─ ─ その製図機は、三十年前のある日、ぼくが考えついた製図機のアイデアに、じつによく似ていたからである。製図者が椅子にすわってキイを押すだけで、イーゼルの上の任意の箇所に、直線なり曲線なりを描き出すことができるところなど、まるで、ぼくのアイデアを模倣したとしか思えないほどなのだ。

 文化女中器は(もちろん、これはのちにぼくが改良を加え完成したセミ・ロボット型でなく、市販第一号時代のである)どんな床でも、二十四時間、人間の手をわずらわせずに掃除する能力を持っていた。そしておよそ世の中には、掃除しなくてよい床など、あるはずがないのだ。
 文化女中器は、一種の記憶装置の働きで、時に応じてあるいは掃き、あるいは拭き、あるいは真空掃除器とおなじように塵埃を吸収し、場合によっては磨くこともする。そして、空気銃のB・B弾以上の大きさのものがあれば、これを拾いあげて上部に備えつけた受け皿の中に置き、あとで、彼らよりいくらか頭のよい人間様に、捨ててよいかどうかを判断してもらうこともできるのだ。こうして、文化女中器は一日二十四時間、静かに汚れを求めて歩く。曲がり角であろうとどこだろうと、塵ひとつ見落とさず、すでにきれいになっている床は素通りして、一刻も休まず汚れた床を求めてまわるのだ。もし部屋に人がいる場合には、しつけの行き届いたメイドよろしく、主婦にスイッチをひねって、掃除してもいいよといわれないかぎりは、決して部屋に入ってこない。動力が切れるころになると、自動的に所定の置場へ出かけていって、動力をチャージする─ ─ ただしこれも、永久動力につけ替える以前のことである。

それぞれ、CADオペレーターやルンバに驚くほどよく似ていますよね。
1957年(まだ日本でカラーテレビの放送が始まる前ですよ!)に書かれたものとしては、ものすごく正確な予言だと思いませんか。

さらに感心するのは、作中に登場するこうした機械にハードウェア・ソフトウェアの概念が取り入れられていることです。
すべての部品を1台の機械に入れてしまうのではなく、マシン自体には最低限の機能だけ持たせておいて、部品を取り替えることで、バージョンアップも修理もかんたんになるという発想。


わくわくさせてくれるストーリーもさることながら、60年前の想像力がふんだんに表現されている細部の描写もおもしろい本です。

あと猫が活躍するという、めずらしい小説でもあります。
犬とちがって、猫ってあまり活躍するような生き物じゃありませんからねー。


2016年7月23日土曜日

【読書感想文】角田光代・穂村弘 『異性』

角田光代・穂村弘 『異性』


内容(「BOOK」データベースより)
好きだから許せる?それとも、好きだけど許せない?男と女は互いにひかれあいながら、どうしてわかりあえないのか。「恋愛カースト制度の呪縛」「主電源オフ系男女」「錯覚と致命傷」など、カクちゃん&ほむほむが、男と女についてとことん考えてみた、話題の恋愛考察エッセイ。

歌人・穂村弘と小説家・角田光代が、それぞれ男と女の立場から恋愛についてつづったエッセイ。
交互に連載していたらしいので、お互いの書いたものにコメントしつつ「いや私はこう思うよ」「ぼくはこう思うんだけどあなたはどう?」といったやりとりも見られます。

往復書簡のような形がとても新鮮でよかったです。
これを考案したのは編集者でしょうか。内容にもあってますし、すばらしい発明だと思います。
書いている人たちも楽しかったのではないでしょうか。

学生時代に好きな女の子と交換日記のやりとりをしていたのですが、そのときの愉しさを思い出しました。


えー内容ですが、ぼくは穂村弘さんのエッセイが大好きなので穂村パートは楽しく読めました。でもふだんのエッセイより腰が引けているというか、マトモなことを書いているのが残念でしたね。
妄想が暴走して、読んでいる側がなんだそりゃもうついていけねえ、ってなるのが穂村弘さんのエッセイのおもしろさなんですが。
でもこの連載では、半分は角田さんに語りかけるように書いているので、あまりにとっぴなことは書かれていません。
女同士の会話って「意見」とか「思いつき」よりも「共感」のほうが重視されることが多いと思うけど、まさにそんな会話を聞いてるみたい。
「あーあるある」って話に終始しているのがもったいなかったなあ。

角田パートのほうは、うーん......。
ぼくが男性だからなのかもしれませんが、共感もできないし、かといって「この感情をそんなふうにとらえるのか!」っていうような切れ味もなく、穂村パートへの前振りになってしまっているような感じを受けました。

角田「男ってこうだよね」
穂村「いや、それはそうじゃなくて、こうなんだよ」
角田「なるほど、そうだったのか!」
ってな流れが多かったなあ。

ぼくが穂村弘びいきになっているだけかもしれませんが。



いちばん大きくうなずいたのはこんな話(穂村パートです)。

 思うに、恰好いいとかもてるとかには、主電源というかおおもとのスイッチみたいなものがあって、それが入ってない人間は、細かい努力をどんなに重ねても、どうにもならないんじゃないか。
 その証拠に、お洒落やマナーの本を書いたり教えたりいている人自信が特に恰好よいわけではない、ってことはよくある。その人たちは、確かに知識もセンスもあるんだろう。お金も時間もかけているんだろう。でも、そんなもの何にもなくたって、恰好いい人は遥かに恰好いい。もともと輝いている彼らは、何故自分が恰好いいのか、その理由を深く考えたこともなさそうだ。逆に云うと、だから、その種の本を書くことはできないだろう。
  高校生の私は、「恰好よくなるための本」を何冊も熟読した。でも、くすんだ存在感は変わらない。無駄無駄無駄。だって、主電源が落ちてるんだから。

そうそう!

これ、ずっと思ってました。
マナーにうるさい人ってなんか卑しいし、ファッションについてあれこれ語る人って微妙にかっこよくない(「すごく」じゃなくて「なんか」「微妙に」だめなんだよね)。

たぶん、王室に生まれ育った人ってマナーに無頓着だと思うんだよね。
その人にとってはそれが自然に身に付いているもので、意識するようなことではないから。

同じように、自然にかっこいい人(顔立ちがいいとかじゃなくて身のこなしが優雅だとか内面の魅力があふれているような人)は、お洒落についてあれこれ語らない。
うるさいのはむしろ、自分を実物以上に良く見せようと必死な″おしゃれ成金″の人たちです。

ちょっと高級めのスーツ屋なんかに行くと、店員がみんな「なんか惜しい」。
いいスーツを着こなしているし髪型もキマっているのに、どうもかっこよくない。
素敵だな、と思えるような店員を見たことがない。
「ほら、ばっちりキマっているおれってかっこいいでしょ」ってな心持ちが透けて見えてしまう。


そうかあ、あの人たちはみんな″主電源″が落ちていたのかあ。


2016年7月21日木曜日

【エッセイ】レッサーパンダの悲哀


レッサーパンダは、かわいい。

これは異論の余地がない。

つぶらな瞳、平安貴族みたいなちょっと変な眉、寄り目なところ、ちょろりと出た舌、豊かな表情、ずんぐりむっくりした胴体、ぼてっとしたしっぽ、どこをとってもかわいい。

どんなへそまがりな人が見たって、かわいい。

しかも、体長は約50センチ、体重は3~4kg。
これはちょうど人間の赤ちゃんと同じくらいだ。
おまけによちよち歩きで歩く。

もう、人間にかわいがられるために神が創ったとしか思えない。



なのに。

なのに。


レッサーパンダは不遇の扱いを受けている。

かつて、日本では「パンダ」といえばレッサーパンダのことを指したらしい。
ところが、ジャイアントパンダがやってきて、そいつがすっかり人気者になったために、「パンダ=ジャイアントパンダ」になってしまった。
ぬいぐるみやキャラクターも、ジャイアントパンダのほうが圧倒的に多い。


それだけではない。

それまで「パンダ」だった動物は、大熊猫の登場により、「LESSER(小さいほう、劣ったほう)」という不名誉な冠称をつけられて呼ばれることになった。

彼の心中の悔しさたるやいかに。

せめて、「レッドパンダ」とかにしてやれよ……。



中学生のとき、同級生にスガくんがふたりいた。
一方のスガくんは体格が良くてけんかも強かった。
もうひとりのスガくんは、学年でいちばん背が低く、そのせいもあってみんなから低く見られていた。

みんな、背の低い大きいほうのスガくんのことを「小スガ」と呼んでいた。小さいほうのスガだからコスガなのだ。

じゃあ大きいほうは「大スガ」かというと、そんなことはない。
彼は単に「スガさん」と呼ばれていた。

今思うと、「小スガ」は残酷な呼び方だったと思う。
ごめんよ小スガ。



世界史で出てきた「小ピピン」。
新約聖書に出てくる「小ヤコブ」。

彼らも、かわいそうだ。
歴史に名を残すはたらきをしたのに、「小」がついているせいで、どうしても小物感が拭えない。

しかも彼らはべつに小さかったわけではないのだ。
近い時代に同名の人物が歴史に名を残していたため、区別するために後から生まれたほうが「小ピピン」「小ヤコブ」と呼ばれているのだ。

もっと他にあっただろう。
「新ピピン」とか「続ヤコブ」とかさあ。

彼らならきっと、レッサーパンダの悲哀を深く理解できるんだろうなあ。




2016年7月20日水曜日

【読書感想文】荻原 浩『オロロ畑でつかまえて』

荻原 浩『オロロ畑でつかまえて』

内容(「BOOK」データベースより)
人口わずか三百人。主な産物はカンピョウ、ヘラチョンペ、オロロ豆。超過疎化にあえぐ日本の秘境・大牛郡牛穴村が、村の起死回生を賭けて立ち上がった!ところが手を組んだ相手は倒産寸前のプロダクション、ユニバーサル広告社。この最弱タッグによる、やぶれかぶれの村おこし大作戦『牛穴村 新発売キャンペーン』が、今始まる―。第十回小説すばる新人賞受賞、ユーモア小説の傑作。

ぼくは、創作物を見て笑うことはあまりありません。
テレビやマンガでも「ふふっ」ぐらいの笑いが出たらいいほう。
文章ではせいぜいにやにやするぐらい。

それも、今までに笑わされた文章といえば、東海林さだおのエッセイとか、原田宗典のエッセイとか、土屋賢二のエッセイとか、穂村弘のエッセイとか、岸本佐知子のエッセイとか、要するにエッセイでしか笑ったことがありません。
今まで、いろんな小説を読んできましたが、小説で笑ったことってほぼありません。
子どもの頃に読んだ、北杜夫の『船乗りクプクプの冒険』くらいでしょうか。
特に「爆笑必至」みたいな煽り文句の書かれた小説がおもしろかったためしがありません。

笑いってアドリブ性に大きく依存していると思うんですが、小説だとそれがまったく期待できないからでしょうかね。
ユーモア小説とか言われるほど、作者の狙いが透けて見える分、笑えなくなってしまうんんでしょうね。


なので、内容紹介に「ユーモア小説の傑作」と書かれている『オロロ畑でつかまえて』も、(笑いに関しては)まったく期待せずに読みました。

案の定、笑いませんでした。
特に前半の、ド田舎ぐあいを大げさに描いて笑いをとりにいくところは、40年前の笑いのとりかたじゃないかと思ってうすら寒くなりました。

でも中盤からは、笑いに関してはどうでもよくなりました。
ストーリーがおもしろかったからです。

伏線を丁寧に回収して、登場人物それぞれのエピソードをしかるべきところに着地させる手法は見事です。
これがデビュー作だということで、荒っぽさも目立ちましたが(青年団の人々は最後まで誰が誰だかわからなかったぜ)、荻原浩の、ストーリーテラーとしての才能は十分に感じることができました。


この人は脚本家としての才能のほうがあるんじゃないかとふと思いました。
『オロロ畑でつかまえて』も、 映像化したほうが映えるんじゃないかなあ。


2016年7月19日火曜日

【読書感想文】桐野夏生 『東京島』

桐野夏生 『東京島』


内容(「BOOK」データベースより)
清子は、暴風雨により、孤島に流れついた。夫との酔狂な世界一周クルーズの最中のこと。その後、日本の若者、謎めいた中国人が漂着する。三十一人、その全てが男だ。救出の見込みは依然なく、夫・隆も喪った。だが、たったひとりの女には違いない。求められ争われ、清子は女王の悦びに震える―。東京島と名づけられた小宇宙に産み落とされた、新たな創世紀。谷崎潤一郎賞受賞作。

アナタハンの女王事件をモデルにした小説。
実際にあった事件を下地にしているとはいえ、かなりショッキングな設定ですが、設定を存分に活かしたサバイバルゲーム的な物語ではありません。
Amazonでも低評価のレビューが多かったのですが、たぶんそういう小説(『インシテミル』『バトル・ロワイヤル』みたいなやつね)のつもりで読んだのではないでしょうか。
それだとがっかりするでしょうね。


桐野夏生の作品を読んだことのある人なら予想できるでしょうが、みんなが力を合わせて生還をめざす冒険小説でもありませんし、知恵と勇気で悪を倒すバトルもありません。
なんとか人を出しぬこう、自分だけが助かろうとする人たちしか出てこない小説です。
シチュエーション的にも、展開的にも、ゴールディングの『蠅の王』を思い出させる内容でした。


『東京島』は、「この後どうなるんだろう。はたして助かるんだろうか?」とはらはらしながら読むものではありません。
「こいつらほんとクズだな」と楽しみながら読む小説。そして、それを楽しんでいるクズ(=自分)と向き合いながら読む小説です。
クズにおすすめする小説。もちろんぼくは楽しめました!

善人は桐野夏生を読んでないで『十五少年漂流記』でも読んでやがれ!



とはいえ、展開も一筋縄ではいきません。
アナタハンの女王事件を知っていたので、たった一人の女をめぐって男たちが争う話だと思っていたのですが、それは前半まで。
中盤から、主人公である清子は求められなくなるばかりか、疎まれ、憎まれ、無視されます。

ああ、この感じ、わかるなあ。

ぼくが学生時代入っていたサークルもそんな感じでした。
男の比率が極端に高かったから、たまに新入生の女性がやってくると、一部のメンバーはあからさまに近寄っていき(そして水面下で激しい争いをくりひろげ)、かと思うと一部のメンバーはそんな状況に嫌気がさして、「もういっそ女がいないほうがいいのに」とぼやいたりしていました。

当時はまだ「サークルクラッシャー」という言葉はありませんでしたが、いつの時代も、そしてどんな環境でも、人間がやることって変わらないのかもしれませんねえ。



2016年7月17日日曜日

【考察】寿司の大学デビュー

堀井 憲一郎 『かつて誰も調べなかった100の謎』  によれば、寿司を「一貫、二貫」と数えるようになったのは1990年代のことで、それまでは「一個、二個」と数えていたらしい。

誰が「一貫」言い出したのかもしれないが、きっと寿司を格調高い食べ物として扱おうという魂胆があったのだろう。
おにぎりやサンドウィッチみたいな軽食と一緒にすんなよ、なんたってSushiはジャパニーズソウルフードなんだからな。という浅ましい優越感があったのかもしれない。
1990年代とはそういう時代だった(そのころぼくは小学生だったので適当に言ってます)。



しかしそのもくろみは成功し、今ではすっかり寿司は「一貫、二貫」の食べ物になってしまった。
「貫」は寿司だけに使われる特別な数えかただ。
いや、「百貫デブ」という言葉もあったな。
訂正。「貫」は寿司とデブだけに使われる特別な数えかただ。

寿司業界のほうでも恥じるわけでもなく、うちじゃあもう三百年前から「一貫、二貫」よ、べらぼうめいという顔をして寿司を握っている。


こういうやつ、いたなあ。
大学に入ったとたんに付け焼き刃のおしゃれをして、おれって昔から遊び人だったんだぜみたいな態度をとるやつ。

高校までは異性としゃべることすらほとんどなかったくせに、「いやあ地元に彼女を残してきたから寂しいぜ」みたいな嘘をついちゃうやつ。

そういうやつってすぐにボロが出るんだけどね。


だから寿司!
おまえももう背伸びをするのはやめて、「一個、二個」の頃のおまえに戻れって!
見ているこっちのほうがつらくなるから!


2016年7月15日金曜日

【エッセイ】さいごはグー!

古代オリンピックの五種競技。

競走をして、跳躍をして、円盤投げをして、やり投げをする。

で、最後に成績上位の2人で決着をつけるんだけど、それがレスリング+ボクシングみたいな格闘技で勝敗を決めたのだとか。


走ったり跳んだり投げたりやってきて、結局最後はなぐりあいかよ!


……まあわかりやすくていいですよね。
結局はけんかが強いやつが勝つっていうのは、自然の摂理にかなってるような気もする。



近代オリンピックでも取り入れてみたらどうでしょう。

42.195km走った後に、1位と2位がなぐりあいとか。

ショートとフリーのプログラムを滑り終えた後に、キム・ヨナと浅田真央がなぐりあいとか。

見てるほうからしたらすごく盛りあがる。


ただ、やるのは絶対にイヤだ。
入試が英語・数学・国語・日本史・物理・なぐりあいの6教科とかじゃなくて、ほんとに良かった。


2016年7月14日木曜日

【エッセイ】フードコートにまつわる怖い話

怖い話を一席。

ほんとに背筋が凍るぐらい怖い話なので、ホラーが苦手な人と、フードコートによく行く人は読まないほうがいいです。


先日、某大型ショッピングモールのフードコートを通りがかりました。
食事どきではなかったので客数はさほど多くなく、学生がぺちゃくちゃとおしゃべりをしているだけでした。

フードコートの端には手洗い場があり、布巾が置いてあります。
きれい好きな人はこの布巾を水でぬらし、テーブルを拭いてから食事をするのでしょう。


そこにひとりのおじさんが立っておりました。
頭はボサボサでしばらく洗った様子はなく、日焼けと垢でまっ黒な顔をした、まあ要するにおうちを持たないタイプのおじさんです。

私は、見るともなしにおじさんの様子を眺めておりました。

おじさんはフードコートの布巾を手に取ると、水で濡らし、よく絞りました。

そして、その布巾で、自分のお腹や腋をごしごしと洗いはじめましたのです


全身の血の気が引くとはこのことです。

すぐに周りを見渡しました。しかし他の客はおしゃべりに夢中で無住居型のおじさんには目もくれません。
おじさんの行為に気がついたのはぼくだけのようでした。

眼前で起こったことがいまだ現実のこととは思えません。
しかしぼくはたしかに見たのです。少なくとも1ヶ月は風呂に入っていないであろうおじさんが、共用の布巾を使って身を清めるところを。


ぼくはそのまま立ち去ったので、その後の顛末は知りません。

もし、おじさんが身体を拭いた布巾を持ち去ったのであれば、まあいいでしょう(それも良くないことではありますが)。


しかし、もし。

ぼくは想像してしまうのです。
おじさんが身体をていねいにこすった布巾を、元あったところに戻し、そうとは知らない誰かがその布巾でテーブルを……!

きゃー!!!




どうです、ほんとに背筋が凍りついたでしょう……?

だから読まないほうがいいといったのに!

ちなみにわたしは、あれ以来、そのフードコートを利用したことはありません。



2016年7月12日火曜日

【エッセイ】 リア銃。


電車の中で、大学生ぐらいの男女グループが

「ほんとあいつリア充だよなー」

「リア充爆発しろ!」

と、楽しそうにキャッキャッ言っていた。



「リア充」とか「リア充爆発しろ!」とかって、男女グループで楽しく談笑したりできない人たちが、自尊心を守るために生み出した武器のはず。

その武器を、どう見ても「リア充」側に属する人たちが使って、非「リア充」の人たちを傷つけている。



この感じ、何かに似ている。

……ああ、あれだ。

アメリカ人の銃に対する考え方だ。

銃規制反対派が「銃は善良な市民が身を守るために必要なものだ!」と主張して、その身を守るための銃によって多数の善良な市民が殺されているやつと一緒だ。


2016年7月11日月曜日

【読書感想文】施川ユウキ 『バーナード嬢曰く。』

施川ユウキ 『バーナード嬢曰く。1巻』


内容紹介 (Amazonより)
読むとなんだか読書欲が高まる“名著礼賛”ギャグ! 本を読まずに読んだコトにしたいグータラ読書家“バーナード嬢”と、読書好きな友人たちが図書室で過ごすブンガクな日々──。 『聖書』『平家物語』『銃・病原菌・鉄』『夏への扉』『舟を編む』『フェルマーの最終定理』……古今東西あらゆる本への愛と、「読書家あるある」に満ちた“名著礼賛”ギャグがここに誕生!!

ありとあらゆるものがマンガの題材になっている時代なのに、ありそうでなかった読書マンガ。

『名作小説をマンガにしてみました』とかはよくあるけど、「読書」について真っ正面から取り扱ったマンガは他に知らない。
読書もマンガも好きな人っていっぱいいると思うのにな。
ぼくもその一人ですし。
読書ってのはものすごく内的な行為なのでマンガにしにくいのかもしれませんね。動きもないですし。


『バーナード嬢曰く。』は、内容紹介に「読むとなんだか読書欲が高まる」とあるとおり、本が読みたくなるマンガです。

熱を込めて「この本おもしろいよ!」って薦めているわけでもないのに、ふしぎです。


本屋に行くと、「涙が止まらない感動巨編」ってな帯とか、「書店員が選んだ泣ける本No.1」みたいな安っぽいPOPが立ち並んでいますが、ああいうのって本好きからするとへどが出ますよね(書店でへどを出すと迷惑なんでこらえますが)。

あれって本を読まない人、本の選び方を知らない人のためのものなんですよね。
本好きはあんなもので本を買わない。
ごく淡々としたあらすじだけで十分。何千冊も読んでいれば、自然と五十文字くらいのあらすじだけでおもしろい本を見抜けるようになるものです。

たいていの文庫の巻末についている『他の文庫を紹介するコーナー』の魅力は、文庫好きなら誰もが知っているでしょう。



そんな『他の文庫を紹介するコーナー』みたいなおもしろさが詰まっているのが、『バーナード嬢曰く。』

あっさりした本の紹介と、軽めのギャグ。
まさに文庫目録のような軽妙さが心地いい。

このマンガで紹介されている本を読みたくなって、思わずマクニールの『世界史』とハインラインの『夏への扉』を購入してしまいました(なにしろkindleで読んでいるので、あっという間に買えちゃうのです。Amazonこわい)。


紹介されている本は、いわゆる『文学』だけかと思っていたら、ノンフィクション、ビジネス書、絵本、ケータイ小説など多岐にわたっています。作者の好みが反映されているのでしょう、SFにやけに比重が置かれていますが。



このマンガのおもしろさのひとつは「読書家の本に対する姿勢」への言及。

読書家って、話題になっている本に対して素直な態度をとれませんよね。
たとえば芥川賞をとった又吉直樹の『火花』。
本を好きな人ほど、あの本の扱いに困ってるんじゃありませんか?

やっぱり「しょせんはタレント本でしょ」という気持ちもどっかにあるから、手放しでほめることはできない。
かといって全面的に否定するのも、芥川賞の歴史を軽んじてるようだし、そんじょそこらのにわか芥川賞ファンと一緒にされそうでイヤ。

結局、
「新人としてはスケールの大きい作品だが細かい点で粗も目立った。次回作に期待したい」
なんて、変に大上段にかまえた選考委員みたいなコメントをしてしまったりする。

あるいは、斜に構えて「おれは話題作とか読まないんだよね」みたいなスタンスをとってしまう(誰もおまえの読書傾向になんか興味ないっての)。
ぼくは完全に後者のタイプです。

そういう、本好きのひねくれたところをうまくギャグにしています。
特にSFファンからしたら「あるある!」なネタもたくさん。



ところで『読書好きがどういう評価をくだしていいか悩む作家 ダントツの第1位』である、村上春樹の名前がこの本には出てきません。

読書について語るなら村上春樹ははずせないだろう、あんなに評価の分かれる作家はいないんだから!


......と思っていたら、2巻では満を持して村上春樹に言及しているらしい。


いかん、2巻も買ってしまいそうだ。さすが「読むとなんだか本が買いたくなる」マンガ!




2016年7月10日日曜日

【思いつき】数字を使わずにね

「デジタルだと微妙な違いを表現できない」 みたいなことを云う人に訊きたいんだけど。 おまえは0.99と0.98の違いを、アナログ的に表現できるの?

2016年7月9日土曜日

【読書感想文】 エド・レジス 『不死テクノロジー―科学がSFを超える日』

エド・レジス『不死テクノロジー―科学がSFを超える日』

内容(「BOOK」データベースより) 
人体冷凍保存、民間宇宙ロケット、スペース・コロニー、ナノテクノロジー、「心」の転送、人工生命、太陽の分解計画、星のリサイクル、反重力生成装置、タイム・マシンなどをめぐる、世紀末の「驚くべき物語アメージング・ストーリーズ」。

「最先端科学のさらに先をいく理論」の本。
「今の科学では実現不可能だけど、将来的にも不可能だとは立証されていないこと」に挑戦する科学者たちを紹介しています。

サイエンス2割、伝記2割、SFが6割という感じ。

1993年に書かれた本ですが、内容はまったく古びていません。
なぜならこの本で予想されている未来は、まだぜんぜん実現していないから。


たとえば......。
 たとえばもしDNAサイズで、機械的驚異のミニロボットのような複雑な機械を作れたらどうだろう? そのミニロボット(ドレクスラー)は、物質の分子一個一個、あるいは原子一個一個をあつかえるほど小さいものにする。そしてこのアセンブラーを内蔵のプログラムで操れるとしたら、実にめざましいことがやってのけられるにちがいない。彼らは原子を並べて積み重ね、化学的に可能な限りの構造を作り、こっちの思いどおりの物質を合成してくれるだろう。また構造上安定した形なら、どんな形にでも物質の分子を置くことができるから、人間が築きたいと思っているものは何でも作れるはずだ。そもそも彼らにできないことなどあるだろうか?

作り方はこうです。
小さなロボットを作る。
そのロボットには「自分と同じ動きをする、自分より小さなロボットを作る」というプログラムを組んでおく。
すると、ロボットがひとまわり小さなロボットを数体作り、そのロボットがもっと小さなロボットを数体作り……となって、ナノサイズの動きを制御できるロボットが大量にできあがる。


このロボットは分子単位の操作ができるから、鉄を金にすることはできないが(原子が違うから)、炭素をダイヤモンドにすることは可能かもしれない。

分子を並び替えることによって、牛がいなくても牛肉がつくれる。
金属の分子を並び替えることによって車も宇宙船もつくれてしまう。
そうなると、生産のための労働は不要になる。


このナノロボットを使えば細胞レベルで治療ができるから、ガンもあっという間に治せる。
それどころではない。
人間を冷凍保存して、数万年後に解凍する。解凍時に破損した細胞はナノロボットで治せるから、未来旅行もできてしまうのだ。


おお。
バラ色の未来。
しかもこれってそう遠くない未来にできそうなことですよね。
ひょっとすると百年後には実用化してるんじゃないかっていう気もします(『不死テクノロジー』によると、もう未来での復活を信じて冷凍されている人はたくさんいるようです。復活した人はまだいないようですが)

星新一ファンのぼくからすると「冷凍保存して未来の世界に生まれ変わったら、そこは現代よりもずっと退屈な世の中だった」というシナリオしかイメージできないのですが.......。



ただ、この本で描かれる未来の技術は、こんなもんじゃない。
SFだとしても「ありえない」ぐらいの未来を、本気で信じている人がいるのです。

「宇宙へ出ていって、コロニー(居住空間)をつくる」方法を模索している人たちの話。

 オニールの描く植民地は「宇宙基地(スペース・ステーション)」ではなく、どちらかといえば「小さな世界」なのだ。つまりミニ地球だと思えばよい。ただ違うところは、巨大な岩である地球の外側の地表に住む代わりに、人工居住地の内側に住むところだ。とはいってもこの人工地球は、現在の地球と同じぐらい安楽にできているのである。人工重力からはじめ、住宅地、学校、病院、公園、湖、小川、農場、高層建築、船、橋にいたるまで、人が要りそうなものは何でござれ、すべて備わっている。山脈だって全体がすっぽり入ることだって考えられる。あたかもマンハッタン島全部にアディロンダック山脈 [ニューヨーク州北東部にあり、アパラチア山脈の一部をなす] の一部を足してクルクル丸め、両端にふたをした円筒のようなものである。そしてその円筒は、月と地球とのあいだを、安定した軌道にのってフワフワと漂っているのだ。

なんて壮大なスケールの空想……。
ぼくからすると「99.9999%失敗するだろ」としか思えない無謀な試みです。

でも、その「0.0001%」に挑戦してきた人がいるからこそ、今、人類が宇宙に進出できてるわけですしね。
ライト兄弟が有人飛行に成功するまでは、「人間を乗せて空を飛ぶなんて理論上不可能だ」と科学者にすら思われていたらしいです。
そう考えると、宇宙コロニーもありえないことではないのでしょう。ひょっとするとあと百年くらいで形になっているのかもしれません。


それにしても感心するのは、この本に出てくる科学者たちの、科学への全幅の信頼と、底抜けのポジティブさ。
 だが考えてみれば、これはひょんな意味合いで利にかなっているのである。なぜならこの地球自体に重大な欠点があることを疑う者があるだろうか? そもそも地球と言う天体は、定期的に火山の噴火、地震、津波、洪水、疫病、ペストなど、ありとあらゆる天災に悩まされているではないか。これにひきかえ人工居住地なら、そのようなやっかいな問題はいっさいない。そういうものはすべて設計上しめだしてしまうことができるからだ。もう母なる自然なんぞという気紛れなものに、翻弄される心配はない。スペース・コロニー(宇宙植民地)の環境自体が隅の隅まで念入りに計画され、コントロールされるからには、ある意味で自然というものはなくなってしまうわけだ。汚ない煙を吐く工場もなく、スモッグもなく排気ガスもなく、大気を汚すものは居住地域にはいっさい入れないのだから、産業汚染などは過去のものである。それは地上の天国、いやそれに近いものになるはずなのだ。
「地球環境を守って住みよい地球にしよう」と皆が話しているときに、
「じゃあ地球なんて捨てて別の居住地を作っちゃえばいいじゃん!」って言ってる
わけですからね。
発想の次元がちがいますよね。
もう楽観的というか、傲慢というか......。

彼らからすると、地球は「ただ偶然に固まっただけの欠陥品」で、「現在のバージョンの太陽系はエネルギー効率が悪い」ということになっちゃうのです。

ぼくみたいな常識にとらわれたつまんない考えしかできない人間からすると、ただもう呆然とするばかり。

太陽を分子加速器の巨大なリングのなかに入れて絞りあげ、太陽を分解して必要なエネルギーを取りだそう、なんてアイデアが出てくるに及んでは、もう完全についていけない......。



そんな中、ぼくが「これはもうすぐ実現するんじゃないかと思ったのは、「心の転送」というアイデア。


人間の情報、思想、記憶なんてものはすべて情報ですから、これらすべて読み取り、情報記憶装置に移すというもの。
人間の脳内のデータをすべてコンピュータに移植するってことですね。
こうすれば移動(転送)も容易なので、宇宙旅行もかんたん。死ぬこともないし、万が一のデータが消失してしまうという事態に備えてバックアップをとっておくこともできるのです。
 理論的にはコンピュータの中にいたところで、今まで古い肉体の中でしたのとまったく同じ経験ができるはずなのである。ただ一つ違うのは、今や君は現実そのものの代わりに、現実のシミュレーションを経験しているところだ。もっと正確には、現実のシミュレーションではあるが、異なった種類のシミュレーションを経験しているのだというべきかもしれない。なぜならモラヴィックの考えでは、君の元の体が与えてくれたのもシミュレーションにすぎなかったからだ。脳が感覚器官から伝わってきたデータを統合して作った精神構成概念も、やっぱりシミュレーションなのである。
これができれば、もう宇宙コロニーも必要なくなるわけですよね。
一ヶ所にいながらにして何でもできちゃうわけですから。

これはひょっとするとあと十年くらいでできちゃうんじゃないかという気もしますね。
脳内で起こっていることを解析する研究はどんどん進められていってますし、データを保存するサーバーは今でもあるし。

いや、ひょっとするともう実現してる可能性もありますよね。
たとえば火星や金星には(我々が思うところの)生命体は存在しないけれど、たとえばただの電気信号だけの存在となって思考したりコミュニケーションをとったりしているやつらがいるのかも......。