2015年7月29日水曜日

妖怪パック

 ぼくの髪を切っていた美容師が小さな声で「あれ?」って言ったことについてなんだけど。
 
 正直、不安になりましたよ。
 まあね。
 少々カットをミスっちゃったぐらいならぜんぜんいいですよ。
 人間誰しもまちがいはあるしね。
 ぼくは嵐のメンバーじゃないから(そう嵐のメンバーじゃないんです)、誰もぼくの髪型なんか気にしてないしね。
 職場で女性社員たちから陰で『金正恩』とかあだ名を付けられない程度であればとるに足らないことです。
 問題なのは、美容師の「あれ?」が
「あれ? この人髪切ってみたらこんなにハゲてたんだ」
の「あれ?」なんじゃないかってこと。

 ぼくもいい歳ですからね。
 戦々恐々としながら毎日を過ごしているんです。
 ハゲんじゃないかって。
 やっぱりね。
 男はみんな震えているわけです。
 次にハゲるのは自分じゃないかって。
 ハゲないためなら悪魔に魂を売ってもいいも思っているわけです。
 はっきりいってガンより怖い。
 ハゲがかっこわるいとは言わないけれど、でも無いよりはあったほうがいいよね。
 このへんのことを女の人はあんまりわかってないみたいで、うちの妻なんか平気で「ハゲろ!」とか云ってくるわけ。
 たとえ冗談でもめったなことを云うもんじゃないよ、ほんとに。
 それ、妙齢の女性に「子どもつくらないの?」っていうぐらいのセクハラだからね。

 ハゲることの何がおそろしいって、自分に責任がないことだよね。
 たいていのデブは自分に責任があるわけじゃない。
 でも、髪を染めたりパーマあてたりもせず、海藻類なんかもそこそこ口にしてるのに。
 なのにぼくの髪の毛は日々頭皮に別れを告げていってるからね。
 こんな理不尽なことがありますかっての。
 身に覚えがないのにいきなり逮捕されるようなもんですよ。
 それでも僕はやってないってのに。

 理不尽といえば。
 子どもの頃にぼくが持っていた『ようかいだいずかん 世界のようかい編』に、パックという西洋の妖怪が載っていた。
 妖怪ってさ、こどもをしつけるために生み出されたものだから、早く寝ない子を脅かしにくるとか、嘘をついた人を食べてしまうとか、ちょっと教訓めいた特徴を持ってるんだよね。
 ところが。
 妖怪パックの解説文にはこう書いてあった。
「おやにかおが似ていないこどもがいると、やってきてこどもをつれさってしまう」
 ええええぇ!?
 なんでー!?
 妖怪に理屈を求めるべきではないけれど、それでもこども心にこれは理不尽だと思った。
 そして理不尽だからこそ底知れぬ恐怖を感じて震えあがった。

 やっぱり人間、得体の知れないものがいちばん怖い。
 だからね。
 さっきの「あれ?」は何の「あれ?」なのか説明しなさいっての!

2015年7月28日火曜日

マダムと四色問題

 昼間にバスに揺られていると、マダムたちが6人ほど連れだって乗り込んできた。
 マダムたち(というよりおばちゃんたち)は乗車するなり、
「ちょっとちょっと。このバス若杉町に行かへんやつちゃうの!」
「もう発車するで。はよ降りて降りて!」
「大丈夫!城山町に行くやつやから若杉町にも行く!」
などと口やかましくやっている。
 あまりに大きな声でやりあっているものだから、見かねたのだろう、運転手さんが車内アナウンスを使って
「このバスは若杉町に行きますよー」
と告げた。
 これにて一件落着。

と思っていたら、マダムたち(というよりおばちゃんたち(というよりオバハンたち)の百家争鳴はそれでもまだ収まらないのだった。
「城山町に行くやつでも若杉町に行かんことあるで!」
「でもこのバスはたぶん若杉町にも行くやつやと思うで」
「まああかんかったら途中で降りたらええんちゃう」

 なんということだろう。
 他ならぬ運転手さんがマイクを使ってまで「若杉町に行く」と断言したのだ。
 にもかかわらず、マダムたち(というよりおばちゃんたち(というよりオバハンたち(というよりババアたち)はまだ
「このバスは若杉町に行くか行かないか」で議論しているのだ。
 いったいどれほど多くの詐欺に引っかかってきたら、人はこれほど疑り深くなれるものだろうか。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆
 話は変わるが、最近ロビン・ウィルソンの『四色問題』という本を読んだ。
 四色問題というのは数学の世界では非常に有名な問題で、
「地図上の隣り合う国を違う色に塗り分けようと思ったら、どんなに複雑な地図でも、四色あれば十分である」ことを証明する問題だ。
 この一見単純な問題が極めて難しく、多くの数学者が百年以上挑んでは跳ね返され、最近になってやっとコンピュータを使って証明されたのだ。
 実際に地図を塗ってみればいいじゃん、というのは素人考えで、それでは数学の世界では証明として認められない。
 一億枚地図を塗ってみてすべて四色で塗れたら、ふつうの人は「じゃあどんな地図でも四色で塗れるんだろう」と思ってしまう。
 しかし99.999999パーセント正しくてもまだ信用しないのが数学者というやつで、その正確性の追求こそが科学を今日のように進歩させてきたのだから、彼らの取り組みにはただただ頭が下がるばかりだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 というわけで、運転手の言うことすら信用せず、森羅万象を疑ってかかる。
 こうしたババアたちの姿勢こそが科学技術を躍進させるのだ
ということはまったくなく、躍進どころかただただバスの発車を遅滞されるばかりなのだった。

2015年7月27日月曜日

ゴルフ教えたがり

ゴルファーってなんですぐ教えてくんの。

あいつらってすぐ教えるでしょ。
もっとわきをしめてスイングしなきゃとか 、右にスライスしてるから腰に溜めを作らなきゃだめだよ、とか。

あれなんなんだろうね。
ゴルフ特有の現象だよね。
たとえばカラオケで、歌がへたなやつにいきなりボイストレーニングをはじめるやつはいない。
すぐ教えるのはゴルファーだけ。
趣味なんだから、へたくそでも本人が楽しめたらいいじゃねえかって思うんだけど、ゴルファーという人種はそれを許さないらしい。


聞くところによると、ゴルフ場にへたくそがひとりいるだけで、渋滞が発生するらしい。
一緒のグループのみならず、後ろのグループの連中まで、そいつがボールをカップに入れるのを待たねばならないんだとか。

おまけにゴルフは、いつ終わるかわからない。カップインするまでに80年かかるということも理論上はありうる。
野球だと、へたくそなバッターがいたとしても三回バットを振ればそいつの番は終わるわけだから、全員が無限に待つ必要はない。
ピッチャーのコントロールが悪くてストライクが入らない場合は時間がかかるけど、しびれを切らしたバッターがボール球をわざと空振りすれば終わらせることはできる。
それに野球は選手交替ができるしね。
そのへんもゴルフとちがうところだ。

要するにゴルフは、へたな人が楽しめるシステムになっていないんだろうね。
だからへたなやつを見ると教えずにはいられないのだろう。
教えたがりがゴルフ場に跳梁跋扈するのは構造上の問題なわけだ。


へたくそを指導しなければという妙な使命感に燃えているからだろう、ゴルフをやる連中はやたらとスコアを気にする。
相手がゴルフをやると知ると、二言目には「スコアは?」と訊く。

野球が趣味の人にいきなり「時速何キロで投げられます?」と訊いたり、カラオケ好きに「何点とったことある?」「何ホン出せる?」とか尋ねたりはしない。
ぶしつけにスコアを聞くのは、ゴルフとボーリングとTOEICだけだ。

「最高スコアはいくつ?」って聞くのは、初対面でいきなり「あんた学歴は?」って訊くようなもんじゃないかと思うんだけど、紳士のスポーツとかいってるわりにそういう行為はなんで許されるんだろうね。

って聞くとゴルファー諸兄はみんないやな顔するんだけど、教えたがりのわりにそういうのは教えてくんないのよね。

2015年7月26日日曜日

プレミアムのむヨーグルト

 あまり酒を飲むほうではないが、年に何回かは
「ビールってうまいなあ!」と思う。
 でも。
 正直に言おう。
 ほんとは、のむヨーグルトのほうがずっとずっとうまいと思っている。
 プレミアム金賞にふさわしいのは、明治ののむヨーグルトだって。
 世の大人たちは、みんなかっこつけてビールやコーヒーを飲んでいる。
 おっさんたちが居酒屋でビールを飲むのも、
オサレ大学生がスターバックスでMacBook広げて屁にもならないブログ書いてるのも、
中学生が先公に隠れて屋上でタバコ吸うのも、
みんな周りの目を気にしてかっこつけているだけなんだ。
 ほんとは誰だって、のむヨーグルトのほうがおいしいと思っている。
 コーヒーみたいな苦くて眠れなくなるやつより、カルピスとかヤクルトとかマミーとかの甘くて生きて腸に届くほうのやつのほうがいいに決まっている。
 
 
 かつてタバコは成人男子の嗜みだったけれど、近年では「タバコ=かっちょいい」という風潮は崩れさった。
 みんな、タバコなんてほんとはおいしくないということに気づいてしまったのだ。
 日本はこれからどんどん人口が減り、経済の市場はとても成長が見込めない。
 今後は他人と物質的豊かさを競うのではなく、自分らしい幸せを追い求めゆく時代が到来する。
 さあ。立ち止まってもう一度考えてみてください。
 あなたがアホみたいな顔をしてうまいうまいと飲んでいるそのビール、ほんとにおいしいですか?
 あなたがだらしない顔をしながらああいい香りと鼻をフガフガさせているそのコーヒー、ほんとにおいしいですか?
 通はブラックを楽しむみたいな言説になんとなくうなずいてますけど、ほんとはミルクとシロップをたっぷり入れたいんじゃないですか?
 そろそろ自分にうそをつくのはやめましょうよ。
 ねえ。
 だから。
 今年こそは、ぼくが職場でピノを食べながらのむヨーグルトを飲んでいることをバカにされない社会になってほしい。
 願わくば「味の違いのわかるダンディーな男性ですね」と囁いてもらえる世の中になりますように!
 
 
……ということと、争いのない世の中になること。
 この二点が、私が切に願うことであります。

2015年7月25日土曜日

タガログ語の学習動機

 だいぶ前に語学書系出版社の営業から聞いた話。
 英語以外の外国語を学習するのは大半が大学生なのだが、タガログ語(フィリピンの言語)の学習者だけはほとんどが中年男性らしいのだ。

 というのは、フィリピンでは英語も公用語になっているから、旅行者にとっては英語さえ知っていればタガログ語はほとんど必要ないらしいのだ。

 じゃあどういう人がタガログ語を学ぶのかというと、
「そりゃあフィリピンパブの女の子を口説きたいおじさんが、女の子を喜ばせようと一生懸命おぼえるんですよ」
と出版社の営業は云っていた。
「だからふつう語学書は大学の近くの書店でよく売れますけど、タガログ語のテキストだけはフィリピンパブの近くで売れます」
だと。

 ほんまかいなと思ってタガログ語のテキストをぱらぱらとめくってみると、
「これはあなたへのプレゼントです」
「この後ヒマですか」
「あなたのお休みはいつですか」
 こんな例文ばっかり。
 ううむ。エロの力はすごい……。

2015年7月24日金曜日

大正時代の国語辞典

祖母の本棚から、大正十三年発行の国語辞典『言海』が出てきた。


初版は明治三十七年。



天皇、皇太后、皇后、皇太子に献上と書いてある。
明治二十四年の文章だから、皇太子が大正天皇のことか。


序文は漢文。



『ねこ』で調べてみる。

「古くは、ねこま。人の家に飼われる小さき獣、温柔で馴れやすく、よく鼠を捕るので飼われるが、盗み食いの性質があり、形は虎に似て、大きさは二尺足らずで、眠るのを好み、寒いのが嫌いで、毛色は白や黒や黄色やぶちなど様々で、その眼は朝は丸く、次第に縮んで、正午には針のようになり、午後はまた次第に広がって、晩には再び玉のようになる。暗いところでは常に丸い」
と書いてある(たぶん)。

辞書の説明というより随筆のよう。
眼の説明に力を入れすぎだろ。

2015年7月23日木曜日

電力会社からのチェーンメール

 東北の大地震の後に、旧友から
「関西電力に勤めてる人から聞いたんだけど、電力があと少し! みんな電力の消費を抑えて! あとこのメールを拡散して関西電力を助けよう!」
というメールが来た。

ほんまかいなと思って関西電力の公式ホームページを見に行ったら
「関西電力がパンクしかけなので電力の消費を抑えるようにとの情報が飛び交っていますが、そんな事実はありません」
みたいなことが書いてあった。

旧友に連絡して
「それたぶんデマだから広めないほうがいいよ」
って言ったら
「そうなのか! 反省して、嘘の情報を広めないように今後は気をつけるわ」
と返ってきたので、
ああこいつまったくわかってないからまたやらかすだろうなって思った。

だってデマを広めてる人たちは
『嘘の情報を広めてる』と思ってなくて
『おれが真実だと思う情報』を広めてるわけだから。
って思ったけど、そもそも電力会社がチェーンメールで重要なお知らせを流布させるってことに疑いを持たない人に何を言っても無駄だろうなって思って、何も言わなかった。

2015年7月22日水曜日

血ヘドの数だけ強くなれるよ♪

あたしのおばあちゃんは認知症なので、つい5分前のことも覚えていない。

去年から介護施設に入っているんだけど、そこでおばあちゃんは毎日、出会いと別れをくりかえしている。
今日ほかの入居者と出会って、今日その人のことを忘れて、明日また新たに出会うのだ。

そんなんだけど、おばあちゃんはそこでけっこう楽しくやっているらしい。
知らない人と話すのが好きな人なので、日々出会いが生まれる環境は刺激的でいいみたい。

一方、あたしは人見知りなので知らない人と話すのはヘドが出るほど嫌いだ(さっきも知らない人に声をかけられてヘドを献上した)。
あたしがいつか認知症になったら、それからの日々は地獄だ。
知らない人しかいない世界。
ストレスで血ヘドを吐きつづける世界。

だからあたしは願う。

あたしが老いる前に科学が進歩して、画期的な認知症の治療薬が発明されることを。

もしくは、吐いた血ヘドを有効活用する夢のリサイクル技術が開発されることを。

2015年7月21日火曜日

仙人の年賀状

橋本が仙人になった。

橋本は大学時代の友人だが、卒業以来だからもう十年は会ってない。
でもお互い筆まめなので、今でも年賀状のやりとりだけは続いている。
1年に1回だけの交流。

今年の正月、おれは「転職しました。今年こそ時間をつくって飲みにいけるといいですね」と年賀はがきの隅に書いて送った。
橋本からの年賀状もやはり近況報告だった。
「仙人になりました」と。

それだけ。
何もわからない。
携帯電話を壊したときにデータも消えてしまったから、橋本に電話して聞くこともできない。
聞きたいことはたくさんあるのに。

・仙人になるのに資格とかライセンスとかいるのか。
・個人事業主という扱いになるのか。
・だとしたら確定申告するのか。
・仙人でも銀行のローンの審査は通るのか。

聞きたいことは山ほどある。でもそれを質問するのは来年の年賀状。
そして筆まめな橋本は早めに年賀状を投函しちゃうだろうから、おれからの質問が届くときにはもう橋本は年賀状を送った後なんだろな。
すなわち、質問の返事が届くのは再来年ということになるわけで……。
喪中とかあったらもっと先になるんだな……。

2015年7月20日月曜日

ガンマの本日 (←)

少し前まで、日本のマンガを海外で出版するときは左右を反転して印刷していたそうだ。

欧米ではページも文字も左から右なので、マンガのコマも左から右になるように反転させていた、というのがその理由。
だから『寄生獣』が英訳されたとき、右手に寄生するミギーは、左手のLEFTYに変えられたのだとか。

でも最近はオリジナルの文化を尊重しようということで、反転せずに日本式で右から左に読んでいきましょうという流れになっているそうだ。

でもまだ慣れない人も多いのだろう。
こないだイタリア語版の『ジョジョの奇妙な冒険』を手にとる機会があったのだが(もちろん第5部)、1ページ目に説明書きがあった。
図入りで、右から左にこうやってコマを見ていくんですよ、ページも右から左にめくっていってくださいね、と書いてあった。

マンガを読むためにまず学ばなくてはならないのか、と感心した。

不まじめな印象のあるイタリアでもこの調子だから、まじめなドイツではきっと、カルチャースクールとか専門学校とかで、マンガを読むためのテクニックを教えているんだろうな。

2015年7月19日日曜日

エクセルワード

 知人の会社の住所が
『エクセルワード○○』というビル名だったので

「会社が『エクセルワード』にあるなんて、まさに『オフィス』って感じですよね!」

と得意満面で言ったのに、

「いやそんな大したビルじゃないですよ」
と、ぼくの全力ジョークが伝わらなかったことをここに記す。

まあそれはいいんだけど、でもわかった上でスルーされてたのだとしたらすっごく恥ずかしいな。

2015年7月17日金曜日

危険食品

豚の生レバーが危険だからって提供を禁止されたけど、
ガラスとか釘とかも食べることを法律で規制したほうがいいんじゃないでしょうかね。

ほとんどの人は食べたことないから知らないだろうけど、ああいうのって食べるとマジ危険だからね。

2015年7月16日木曜日

語り継がれしバウムクーヘン

「戦争の悲惨さを語り継ぐ会」
 これが、あたしにはふしぎでしょうがない。

どうして「語り継ぐ」のだろう。
どうして文書で書き残さないんだろう。
あたしが関ヶ原の合戦やトロイ戦争のことを知っているのは、語り継がれてきたからじゃない。読んだからだ。
うまく文章で書けないんなら、映像で残すなり、録音するなり、絵画で表現するなり、他にもいっぱい手段はあるのに。

もし語り継がれたとしても、伝言ゲームみたいにちょっとずつ変遷して、伝えたかった内容とぜんぜんちがう話になってる可能性のほうが高そう。
だから「語り継ぐ」のはほんとおすすめしない。

昨日、「バウムクーヘン買ってきて」って頼まれて、何をどうまちがえたらそうなるのかわかんないけど、とにかくまちがえてシャウエッセン買ってきたあたしが言うんだからまちがいないよね。


2015年7月15日水曜日

勉強嫌いにさせる方法

とあるサイトで、
「小学生の息子に『どれだけゲームをしてもいいけど、その代わりゲームしたのと同じ時間だけ勉強すること』というルールを課したら勉強するようになった」
と得意げに語っている人を見た。

こういう親をもった子どもはとても不幸だと思う。
こんなことを言われて勉強好きになる子がいるだろうか?
親が勉強することを “罰” “楽しいことの代償” としか考えていないのに、子どもが勉強好きになるはずがないじゃないか。

ぼくの親はとりたてて教育熱心ではなかったが、
「勉強したら○○してあげる」と子どもに対して言うことはなかった。

父は算数のおもしろさを知っていたから
「こんな問題もあるよ」
と、パズルを出してくれた。

母は読書のおもしろさを知っていたから
「この本おもしろいよ」
と、小学生にとっては難しめの、けれど小学生でも楽しめる本を与えてくれた。

おかげでぼくは、算数も読書も好きになった(ただし母は算数嫌いだったし、父は本を読まなかった )。

どうして教育をする人が、わざわざ勉強を苦役だと信じこませるのだろう。
わからなかったことがわかるようになるのはうれしい。
見えなかったものが見えるようになる、こんな楽しいことはない。
これは万人に共通する感覚だと思うんだけど。

2015年7月14日火曜日

アカのシャツ

ベトナムに旅行したときにホーチミンの肖像画がプリントされたTシャツを買った。
共産主義だからもちろん真っ赤なTシャツ。

帰国後、洗濯したらものすごい色落ちして、一緒に洗った白いシャツがピンク色になってしまった。

それを見たときは、思わず
「おお、共産思想に染まっとる……」
とつぶやいてしまった。

2015年7月13日月曜日

歌ってるやつ。

後輩Nは、ずっと歌っている。
鼻歌とかじゃなく、全国中学校合唱コンクールぐらい大きく口を開けてはっきりと歌う。

隣に人がいても気にせず歌う。
もちろんひとりのときもずっと歌ってるらしい。

「夜道を自転車で走りながら歌っていたら、向こうから人が来て、熱唱を聞かれて恥ずかしい思いをした」
という経験が誰しもあると思っていたが、Nにはそんな経験はないらしい。
なぜなら恥ずかしくないから。
だから彼は、向こうから知らない人が来ても歌いやめない。これまでと同じボリュームで歌いつづける。


そんな彼に対して、ぼくが驚きあきれた瞬間ベスト3。

3位。
焼きそばを食べながら歌っていたとき。

2位。
すぐ隣で別の人が本気の説教を食らっているときに、ウルフルズを歌っていたとき
(さすがの彼も自分が怒られているときは控えるらしい)。

1位。
AKB48の曲がかかっているコンビニで、AKB48のべつの曲を歌っていたとき。

2015年7月12日日曜日

記録するだけダイエット。されど……。

友人宅の冷蔵庫に貼ってあったメモ。

ダイエットをはじめたらしく、体重と体脂肪率を毎日記録することにしたそうだ。

1日目……記録開始
2日目……順調
3日目……記録を忘れる
4日目……2日ぶりに記録
5日目……記録を忘れる
6日目……記録を忘れる
7日目……記録を忘れる

よしっ!
彼のダイエットが成功しないほうに1万円!

2015年7月10日金曜日

新選大地図 外國篇

おばあちゃんの本棚を見ていたら、昭和18年発行の地図帳が出てきた。「中等學校教科書株式会社」の発行とある。

昭和18年といえば太平洋戦争まっただなかだが、意外に彩り鮮やか。保存状態もいい。
貴重な資料なので一部載せる。


日本が広い。朝鮮半島、満州、台湾までが日本に。
中国は中華民国。
蒙古人民共和国(モンゴル)とはべつに蒙古連合という国がある。これは歴史の教科書には載ってなかったな。



東南アジアの国が少ない。
今とほとんど変わらないのはタイぐらい。
佛領インド支那とか蘭領東インドとか。



ヨーロッパも国が少ない。
でも意外と変わってないかも。
このときのポーランドやハンガリーは風前の灯火だったっけかな。




国旗は今とだいぶ違う。
ナチスやファシスト党の国旗を見ると、おお、大戦中だと改めて思う。

この地図帳、再発行しないかな。
歴史の理解が進みそうだ。


2015年7月9日木曜日

畜生の限界

今日スーパーで売ってたうなぎの蒲焼きにもキティちゃんがプリントしてあった。

ねじりはちまきを締めて、うなぎを焼くキティちゃん。

ううむ。
キティちゃんの焼いたうなぎの蒲焼き、すごくまずそうだ。
なんかカラメルソースとかかかってそうだ。
山椒じゃなくてシナモンとかかかってそうだ。

キティちゃんが仕事を選ばないのは有名な話だけど、キティちゃんの握った寿司とかキティちゃんが漬けた漬物とかはすっごくまずそう。
そのへんがやはり畜生の限界なんだろな。

2015年7月7日火曜日

七夕ぐらいはかあちゃんの顔でも見っか

織姫と彦星って恋人同士かと思ってたんだけど、あいつら夫婦なんだってね。

ってことは遠距離恋愛じゃなくて、単身赴任もしくは別居婚なのか……。

そう考えると、1年に1度しか会えなくてもあんまり悲痛な感じしないね。
「愛しているのに会えないかわいそうなふたり」
というより
「羽を伸ばしている、気持ちはまだ若いふたり」
って感じがする。

まあでもそれぐらいのほうが、いっちょ赤の他人が笹の葉に釣った願いごとを叶えてやろうか、ってぐらいの気持ちの余裕が生まれそうだよね。

っぽくない女

ケンタッキーのレジで働いてるおねえさんって、ケンタッキーなんか食べなさそうな顔してる人ばっかりだな……。

2015年7月6日月曜日

ネガポジの関係

 ポジティブな人って
「おれができたんだからみんなできるはず!」
って思っててすごく傲岸よね。

 ネガティブな人って
「周りはみんな悩みなんてないのにわたしだけがこんなに悩み苦しんでいる……」
って思ってて、それもまた傲岸よね。

「自分は他とは違う特別な存在」って思ってるという点では、ネガティブな人のほうがポジティブかもしれないよね?

2015年7月5日日曜日

仲良しについての回想

小学校では「みんなと仲良くする」ことを求められて、
中学校では「悪い子とは仲良くしない」ことを求められた。
高校でやっと「人間、合う合わないがあるから、好きなやつとだけ仲良くすればいい」って感じになって生きやすくなったなあ。

2015年7月3日金曜日

キングオブ飲み物

お茶を飲み飽きて、でものどがかわいたから何か飲みたいなと思った。

コーヒーはおなかこわすし、炭酸は嫌いだし、甘い飲み物は口の中がべたべたするし、高い飲み物は買いたくないし、なんかちょうどいい飲み物ってないもんだなー。

って思ってたら。

そうか、水か!
こういうときのために水ってあったのか!
水いいよ、まじおすすめ。
知らなかったみんなも使ってみて! 水!

2015年7月2日木曜日

続・わがまま靴下

 こないだ「もう三十年も生きているのに、まだ靴下がうまくはけない。三十年もあれば普通の人ならトランペットだってうまく吹けるようになるはずなのに」と書いた。→リンク
 するとたまたま次の日に、「トランペットを吹ける」という人と出会った。しかもぼくと同い年である。
 思わず彼の足元に目がいってしまう。
 靴をはいているのではっきりとはわからないが、きちんと靴下をはいているようだ。
 彼に質問してみた。
「あのう。つかぬことをおうかがいしますが、トランペットを演奏するときって靴下はどうしてるんですか」
 「えっ。どういうこと?」
「靴下をはいて演奏するんですよね」
 「え、ええ」
「演奏中に靴下がずれてきたりしませんか。かかとの位置がずれたり」
 「さあ。そんなこと気にしたことないですけど。でも気にならないってことはずれてないんでしょうね」
 彼は怪訝そうな顔を浮かべながら、ぼくの唐突な質問に丁寧に答えてくれた。
 すごい。
 トランペットを吹ける上に、靴下もはきこなせるなんて。F難度の技をふたつも同時に!
 ぼくが一輪車に乗ろうと悪戦苦闘している間に、彼は一輪車に乗りながらジャグリングをやってのけている。
 ぼくと同じ年月しか生きていないのに、彼はもう靴下ステージの次のトランペットステージをもクリアしているのだ。
 さらに驚愕することに彼は、靴下を上手にはきながらトランペットを吹けることをひけらかすことなく、
「そんなこと気にしたことない」などと謙遜してみせるのだ。
 内心で誇りに思っていないはずはないのに。
 なんて大人な対応なんだろう。
 ぼくだったらひけらかす。ひけらかしたおす。
「楽器やってるんですね」と云ってもらいたいがために、意味もなくトランペットケースを持ち歩く。
 いや、もうケースなんかに入れずに、これみよがしにトランペットを裸で持ち歩いてしまいそうだ。
 はっ。
 もしかして。
 こういうところなのか。
 こういうところが原因なのか。
 この「ケースで覆い隠すもんか!」という気持ちが、靴下というケースで足を隠すことを拒絶し、無意識に靴下をちゃんとはくことを拒んでいるのか。
 そうだったのか。
 靴下をうまくはけない原因は深層心理にあったのか。
 ということはつまり、トランペットをさりげなく持ち歩けるようになれば、靴下も上手にはけるようになるということになる。論理的に考えてそうなる。
 靴下の次のステージがトランペットだと思っていたのに、トランペットのほうが先だったなんて!
 だから靴下をちゃんとはける人たちよ、ぼくにおしえてくれ。
 まずはトランペットの吹き方を。

2015年7月1日水曜日

わがままなあたしに似合う靴下を

 靴下がうまくはけない。

 靴下ってそんなに難解なものじゃないはずだ。
 もう三十年近くはきつづけているのに、いまだに下手だ。
 三十年っていったら、トランペットだって相当うまく吹けるようになるぐらいの歳月だ。

 なのに。
 歩いているうちに靴下のかかとの位置がずれる。ひどいときには、かかとが収まるべき部分が甲の上にきていたりする。
 周囲の人を見渡してみると、靴下がうまくはけなくて悩んでいる顔をした人なんかひとりもいない。
 みんな「靴下なんてヨユーっしょ?」みたいな顔をして歩いている。
 足の通し方が悪いのか、足の形が悪いのか、靴が悪いのか、靴下が悪いのか、歩き方が悪いのか、あるいは地球の自転的なものが関係しているのか。
 ちっとも靴下が上達しない。おまけにトランペットも。

 もしぼくがプロ野球の四番打者だったら、一球ごとにタイムをかけてソックスの位置を修正しなければバッティングに集中できない。
 これが、ぼくがプロ野球の四番打者にならなかった理由のひとつだ(この他にも99ほどの理由があるがこここでは省略する)。

  いろんな靴下をはいてきたが、これなら大丈夫と思うものには出逢えない。
 考えてみれば不思議である。
 この三十年間で携帯電話などはものすごく進化した。
 なのに、靴下に関しては昭和時代からまったく変わっていない。
 現代科学の粋を結集すれば、かかとの位置を感知して自動でずれを修正するスマートソックスなどすぐに作れそうなものなのに。

 ぼくのわがままボディーにぴったり合う靴下の開発が待たれる。