2015年6月23日火曜日

貧乏ウイルスで九死に一生

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 ぼくの身体の中には『貧乏ウイルス』が棲んでいる。
 こいつは贅沢が大嫌いで、贅沢なものを食べつづけるとたちまち発症する。
 結婚式などのパーティーが続くともうだめだ。激しい嘔吐および下痢を引き起こし、たちまち体内から贅沢品を追い出してしまう。
 さらに丸一日は、一切の食べ物さらには水さえも受けつけなくなる。
 ぼくという人間はよほど育ちが悪いらしい。贅沢というものが体質的に合わないのだ。
 この貧乏ウイルスが発症するとひっきりなしに嘔吐と下痢に襲われるので苦しいのだが、上と下からすべてを出し切ってしまうと身体の内側がすっかり洗われたようで、かえって気持ちがいいくらいだ。
 ちょうどホースに勢いよく水を流しこんで内側にへばりついている澱を洗い流すような感覚。

 つい数日前にもぼくの体内で貧乏ウイルスが猛威をふるっていた。
 飲み会が続いており、「ローストビーフ」「プレミアムモルツ」「ハーゲンダッツ」というこの世の贅の限りを尽くしていたのが祟ったらしい。
 間の悪いことに、その日はかねてから計画していた旅行の日であった。
 貧乏ウイルスは嘔吐と下痢こそ引き起こすものの、熱は出ないし他人に感染するものでもないので、ぼくはからっぽになった身体を引きずって旅行へと発った。

 そして旅先でぶったおれた。



 宿泊先で、人生ではじめて五右衛門風呂なるものに入った。
 ぴんと張りつめた屋外の空気の中で浸かる五右衛門風呂はめっぽう気持ちよく、また他に客のいない貸切状態だったこともあってこの世の極楽であった。
 どれくらい気持ち良かったかというと、朝から何も食べていないことも忘れてつい長湯をしまったほどだ。
 五右衛門風呂を十分に堪能して、風呂から上がった。
 とたんに目の前がまっしろになった。

 後頭部がぶんなぐられたみたいに痛む。
 目がぐるんぐるん回ってとても立っていられない。
 たまらず倒れこんだのだが、息がうまくできない。
 貧血で倒れたのだ。
 緊急事態になると人間というやつは何を考えるかわからないもので、風呂場の床に素っ裸で倒れながらぼくがまず考えたのは
「五右衛門風呂のふたをしなくちゃ。
 次の人が入るときにお風呂のお湯が冷めちゃう」
という心配だった。

 息も絶え絶えになりながら死にもの狂いで風呂のふたをすると、再び床に倒れこんだ。
 心臓が途方もない速さで鼓動しているのが、まるで1メートルも遠くの音のように聞こえる。
 しばらく寝ていたら快復するかと思っていたのだが、頭はまっしろなままだ。
 さっきは最上だと思っていた貸切状態が恨めしい。どうしてこんなときにかぎって誰も来てくれないんだ。
 意識が次第に薄れてゆく。

 このまま気絶していればそのうち誰かが発見してくれるだろう。
 全裸で倒れているところを救助されるのは恥ずかしいが、贅沢は云ってられない。
 ぼくはわずかばかり残っていた力を抜いて、ゆっくりと目を閉じた。
 今にして思うと、あのまま意識を失っていたら命が危なかったかもしれない。
 長時間見つけられずに素っ裸で横たわっていたら、この世の極楽から一転、本物の極楽へ行ってしまうところだったかもしれない。

 しかし、人間の身体というやつは本当によくできている。
 さっきも書いたとおり、その日の腹具合は決して良くなかった。
 おまけに浴室内に裸で寝っ転がっていたために冷えたのだろう、おなかがゴロゴロと言い出した。
 やってきたのだ。
 便意様が。

 ここでぼくは、薄れゆく意識の中で必死に考えた。
 いま気絶すれば、理性という抑止力を失ったぼくの尻は暴走をはじめ、放射性物質にも匹敵する危険な物質を世に放つことになるだろう。
 その結果、周囲の環境は汚染され、しばらくの間は人間の住めない土地へと変わってしまう。宿の風呂がチェルノブイリ化してしまう。
 歴史から学ぶこと、これは今を生きる我々に課せられた使命でもある。
 同じ過ちを何度もくりかえすわけにはいかない。
 わたしは浴室環境を守るため、そしてなにより、全裸+汚物まみれの姿で発見されたくないという人間の尊厳を護るために、ふたたび立ち上がることを決意した!
(挿入歌:『ロッキーのテーマ』)

 そこからのことはよく覚えていない。

 意識を取り戻したとき、わたしは洋式便器に腰かけていた。
 わたしは勝ったのだ。
 貧血に。そして便意に。
 どうやら、くらくらと回る頭を抱えながら服を着て、這うようにしてトイレへと駆け込んだらしい。
 こうして、ひとりの男の強い意志によって浴室内の平和は守られたのであった。



 よくこんな話を聞く。
『重い病になり、高熱が出た。
 生死の境をさまよい、三途の川にさしかかった。
 川を渡ろうとしたそのとき、家族の呼ぶ声が聞こえてきたので引き返した。
 おかげで死なずに済んだ』
 ぼくもあのときたしかに、三途の川の入口で、引き返してこいという声を聞いた。
 声をかけてくれたのは家族でも友人でもない。ぼくの便意だった。
 まさか便意に命を救われるとは。
 ありがとう。いい薬です。

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